五話 stray sheep
異世界について、中史四家の当主達はなぜか詳しい様子だった。
そしてその説明を今、姉さんが始める。
「そもそも『異世界』とは、並行世界――エヴェレットの多世界解釈が最も近い、完全に独立した世界線。つまり、光時と月見里輝夜が『流離世界』と呼んでたあの世界は、こことは異なる道程を辿った地球なのね。光時の転移したセレスティア王国は中央ヨーロッパに位置するコーカソイドの大国で――」
前置きも何もなく、とんでもないことを言い出した姉さんに――
「ちょっ、ちょっと待ってくれっ」
俺は思わず、待ったをかけてしまう。
「くすくす。慌てちゃって、どうしたの? 光時」
「その……どこからツッコめばいいのか分からないんだが……並行世界? あの世界が、この世界から分裂した一つだって言うのか?」
「ちょっと違うわ。この世界だって、大いなる本流、全なる一から零れ落ちた枝の一つに過ぎないもの。だからこことあそこは、同じ親から生まれた、姉妹みたいなもの」
姉さんは落ち着いた様子で、流離世界の真実を語っていく。
「姉妹……か」
たしかに異世界が並行世界だったというオチのなろうは、あるっちゃある。が、そもそも物語中で『異世界』という概念にフォーカスする作品が少ないというのもあって、そこに対する疑問を持つことすら忘れてた。完全に、ノーマークだったよ。
……だが、そうと分かれば見えてくるものもある。
姉さんが口に出した、多世界解釈というのは……俺は量子力学なんて全く詳しくないんで分かるわけないが、要は無限に世界線が分裂し、それらは互いに干渉しあうことなく、独立した世界としてあり続けるだろうというような仮説だった気がする。なぜ知っているかというと、俺の趣味の一つであるエロゲはなぜか哲学と量子力学が大好きだからな。シュレディンガーの猫とか二重スリット実験とか、そっち系の知識は無駄にあるんだよ。特に認識論の話は耳にタコができるくらい聞いている。
「でも……だとしたらおかしくないか? 並行世界は、干渉できないから並行世界として成り立ってるんだろ、今の話だと。俺たちはこの世界線の中で生まれ、生きてる存在だ。普通ならどんな方法でも異世界になんていけないはずだろ。異世界転移は、その理を逸して――……ああ、そうか……」
「くすくす。そう、お姉ちゃんに聞かなくたって、光時は気づけるの。今も言葉にしたことで気が付いた。賢い子に育ってくれて、お姉ちゃん嬉しいわ」
自称姉の喜びは無視するとして、
「だから……神なのか。世界の理を超えて、独立した世界と世界をつなぐ神術――《月渡》……世界の法則の外側にある神通力なら、異世界転移が可能だ」
「くすくす。そうよ。メトロや魔草少女の巫女も、理の外にある力を操るものね。それで世界間転移魔術が使えるの」
俺が当初この世界に戻る手段としてあてにしていた、江国アクアラクナの底に安置されている人魚族の秘宝、<世界水晶>メトロ。人魚の女王であるセルキーはメトロのことを、世界を映し出す宝具だと言っていたが……その力も、神通力に通じるものだというのなら納得がいく。
だが……
「なんでそのことを……姉さんたちは知ってるんだ。俺みたいに、実際に向こうに行ったわけでもないんだろ?」
「そこで、菖の研究が活きてくるのよ」
ね? と姉さんに視線を送る緋花里さん。
俺は首を傾げる。
「研究? 姉さんの研究って、大学の方の……じゃなくて、『中史』としてのか?」
俺の言を肯定する姉さんは……なぜか少し不安そうにして、訊いてくる。
「私が普段なにしてるか、光時は覚えてくれているかしら」
「確か……魔術学の中でも、現象学だったか」
中史としての研究、つまり魔術に関する学問の研究だ。その中でも姉さんは、現象学――この場合は魔術に関する体系的な理解と認識、その方法論を追求する学問としての現象学について、昔から熱心に研究していた。
「覚えていてくれて、嬉しいわ。そうよ、現象学。私の場合は、それによって魔術と科学の差異を可視化し、魔術ならではの技術を確立することを目的とする、比較魔術現象学の研究ね」
「……」
魔術と科学の、差別化――
それは、現代の魔術学界隈で議論が盛んなテーマの一つだ。
そもそも科学が発達してきた近代において、科学と魔術は異なるものとして考えられてきた。科学とはこれまでの曖昧で不規則な魔力を扱う魔術学とは一線を画す、規則的で再現可能性を持つ新たな学問として歓迎されていた。
しかし更に研究が進み、社会が発展していくにつれ、科学とは単に魔術を別の言葉で言い換えただけのものであることが分かってきたのだ。
例えば、魔術学においては世界を構成する最小の物質は『魔力』であり、それが集合したものを『御魂』だとしているのに対し、科学では魔力を『原子』と呼び、原子が結合した『有機高分子』によって生物は生きているのだと説明しているに過ぎない、と。
このように、科学と魔術というのは根本的には同一の学問なのだ。そういった時流の中で、魔術現象学は魔術の科学とは異なる性質を探求し役立てるための方法論として、一般的なものとなった。
そして現在、その研究の先端を走る魔術師こそが――中史氏の血を引く久慈家の才女、久慈菖。姉さんなのだ。
今ここで、その話を持ち出すってことは――
「現象学の研究でなんらかの進歩があって……それが異世界の様子を知る手段となった……のか?」
「くすくす。くすくす。嬉しいわ、嬉しいわ。お姉ちゃん、光時のお姉ちゃんで本当によかった」
「いやめちゃくちゃ偽姉だけど」
「その通りよ、光時。私の研究、進展があったの。これはみんなにも聞いてほしいわ」
俺の抗弁は当然のように無視され、姉さんは話を進めた。
中史の意識が一斉に姉さんへと集中しする。研究発表をする大学生――という表現はそのまますぎるだろうか。とにかくそんな雰囲気だ。
「魔術現象学は進んだ。数字と記号ばかり気にする科学者ではまず気づけない、魔力の特性――」
多分散々科学者にバカにされた腹いせなんだろう、微妙に科学者にあたりの強い姉さんが言う。
「万物を構成する御魂を操り、指向性を持たせる現象。魔術師が『想いの力』と呼ぶ、魔力と魔力の意志の呼応。それを可能にする力。それが、魔術師にのみ許された力」
――想いの力は、周囲の魔力を引き付ける。これは魔術学では基本知識だ。
例えば――これは違ったらしいが、俺はメフィの異世界召喚も、想いの力で魔力が増幅し可能になったものだと思っていたし……アレックスが俺の《月降》を黒剣で逸らしたのなんて、モロにそれだ。メフィがクラインとの勝負の最後に放った魔法も、恐らく想いの力により引き出されたものだ。よく覚えていないが、九年前の俺がアリストテレスにルリを奪われ、怒りで我を忘れていた時にも、これと近いことが起こっていたはずだ。
感情が膨れ上がると、御魂内の魔力に周囲の魔力が反応する現象。それが『想いの力』現象。
先にあえて極端な例を出したが、これは実は魔術師が常に行っているものだ。
魔術師は魔術を行使する際、体内の魔力を御魂に集中させることで、周囲の魔力をかき集める。それを一度術口から体内に取り込み、自分の波長に合った魔力に変換する。その魔力で魔術式を構築し、最後に魔術式全体に魔力を流し込んで完成。魔術が発動するという寸法だ。
メフィに修行を付けた時にも同様の事を言ったが、あれには『魔術師は想いの力を扱える』という認識が前提としてあった。
つまり姉さんが言っているのは、そこだ。魔術師にしか扱えない想いの力――魔力をある程度の範囲まで自在に操る力。それを用いて、研究を行った。
「科学者は、魔力の移動と観測に関して、確率とかなんとかって誤魔化しているけれど――魔術師は『想いの力』によって、それを局所的に決定論へと変える」
姉さんが宙に右手を差し出せば、そこには紫色の魔力で象られた一本の枝が描かれた。姉さんの手元から生えたよう見える枝は、上へ行くにつれて幾重にも枝分かれしている。
「その『想いの力』を上手く活用して、観測範囲の魔力を操ってみたら、その結果――枝を、見ることができるようになったの。これはそのイメージね」
くすくす――姉さんはいつも通りの美しい笑みを浮かべながら……
「大いなる時の流れ……その支流たるこの世界と、枝分かれした異世界。その『流れ』の様子を観測するための魔道具が、完成したのよ」
……そんな、とんでもないことを言い出した。
「『非時九年母』という、魔力を纏った特殊な橘。私の家に植わっているその橘が、世界の流れを見せてくれる」
枝の流れ。世界の、流れ。それを観測できるようになったって、つまり――
「おいおい、そりゃマジなのか、久慈の姉さんよ。あんたが言ってるのは、要するに『限定的な未来視』――神でなければ不可能な術だぜ」
行方家の嫡男が言うように――
それは、未来予知。中史ですら、始祖であるツクヨミにしか成し得ない神術――だった。つい、この間まで。
姉さんはそれを人の手で行う術を見つけた、ということだ。
「ね、頑張ったお姉ちゃんを褒めて、光時」
「うんうん偉いねー頑張ったねー」
「くすくすえへへ」
「ともかく、菖のその橘とツクヨミの《千里眼》、そして向こうの月神からの情報を元に、俺たちは未知の異世界について把握した。トキ、俺たちがお前よりもあっちに詳しいのはそういう理由だ」
「なるほど……と言っていいのか分からないが、とりあえず頷いておくよ。それなら一応筋は通るからな」
魔術学におけるこれほどのパラダイムシフトが、ただの前座というのも驚く話だが……
要するに父さん達は、神の視点からあの世界を観測していたわけだ。そりゃ俺よりも詳しいわけだよ。
と、俺が一応の理解を示そうとしていたところで……
「ああ、でも菖だけは例外よ。彼女は実際に異世界に行ってるのよね」
緋花里さんが、ついでみたいな雰囲気でそんなことを教えてくれる。もう驚かないぞ。
「本当なのか、姉さん」
俺はすかさず、菖姉さんを詰問する。
「……光時、覚えていないかしら。クライン・ミッドナイトという公爵貴族のこと」
少し考える素振りを見せた後、姉さんはクラインの名を出した。
覚えている。忘れるはずがない。
あいつは、俺が救ってやれなかった存在の一人。目の前のメフィを助けたいという軽率な考えの下、俺はあいつを見放してしまった。
――……思えばそんなクラインは、確かに言っていた。
江国アクアラクナで俺と相対した時、あいつは俺の魔術を無効化する魔道具をつけていた。
高性能の魔道具だったので、俺はそれをどこから手に入れたのかと質問したものだ。
あいつは答えた。ある人から貰ったのだと。預言者と名乗る『彼女』から、俺の勇者化計画からなにまですべて教えてもらったのだと。
その、預言者というのが……
「姉さん、だったのか……」
「くすくす。光時を異世界に送るために、ね」
「でも……なんで、『勇者』だったんだ。俺を異世界に送った理由は、今の話の流れ的になんとなく想像はつき始めてるけど……わざわざクラインに接触し、あいつをかどわかしてまで、俺に魔王を倒させてセルキーを助ける、勇者としての役割を与えたのは――なんでだ」
クラインが言っていた、自分の行動はすべて姉さんの言う通りにしていただけだ、というのを信じるなら……
流離世界に転移してからの俺の行動は、ほとんど姉さんの手の内、九年母が示した通りの予定調和だったはずだ。
どうして姉さんは、わざわざそんな面倒臭いことをしたのか……
「……? だって、そういうの好きでしょ、光時」
その理由を、菖姉さんはこともなげに語る。
俺が、異世界転生モノが好きだから。俺がなろう系主人公に憧れてたから。
だからどうせ異世界に行くなら、弟好みのシチュエーションを用意してあげよう――と、つまりはそういうことを言っているのだ。
「…………」
……まったく。姉さんは昔から、なんというか、俺に対する意思表示の仕方が大げさなんだ。とても嬉しいけれど、その気持ちをどう返してあげたらいいのか、分からなくなる。
よく考えずともかなり問題がある行為だというのに、気軽に責め立てられなくなる。
「……みんなの前で、俺の趣味を暴露するのはやめてくれよ」
苦し紛れの強がりだ。そこに込められた意思は言葉ほどには強くなかった。
「くすくす。恥ずかしがって」
「んま、そんなこんなで愚息の恥ずかしい趣味嗜好がバラされたところで、みんなには『異世界』というものがどういう概念であるのか、理解いただけたことと思う。ここからは、ついに『問題』へと踏み込んだ話をしよう――」
誰が愚息か。あんたを許す義理はないんだぞ。
「――すなわち、俺たちがトキを異世界に送り込んだ理由。トキが異世界で拾ってきた、ある少女についての話を」
だがそんなことを追及する間もなく、父さんは話を先に進めてしまった。――それも会議の核心に迫る、重大な話を。




