四話 夢織人
そして。
「っくぁ~、静かすぎて死ぬかと思ったぜ。わ、足しびれてやがる」
ツクヨミへの奏上も終わり、儀礼的な段階を終えた『月の間』に気の抜けた声が響く。
行方勇。本流行方家当主で、剽軽者だが確かな実力者だ。
「もうちょっとくらい我慢できないの?」
「うるせえよ。『中史』に真面目さなんて似合わねぇ」
緋花里さんからの小言を意にも介さない勇さんだが……まあ分かる。この面子で静かなのは違和感しかない。
勇さんの一言で場の緊迫した空気が完全になくなり、月の間はわいわいがやがや、普通に仲の良い親戚の集まりに変化してしまった。
俺としても、そこに加わりたい気持ちはあるんだが……それよりも今は、今回の全貌を掴みたい気持ちが先行している。
わざわざ輝夜を連れてきてまで、会議を開いた真意とはなんなのか。
俺は訊ねる。
「なあ父さん。そろそろ教えてくれよ。今回は何の会議なんだ」
「あれ、まだ言ってなかったか?」
「ぶっとばすぞ」
思わず親相手に暴言が出てしまった。ちょっと遅めの反抗期ってことで許してください。
「もートキ、ダメだよ。親に向かってそんな口利いちゃ」
そんな反抗期の子供に諫言してくるのは、俺の腕に抱き着いたままのルリ。
「ルリはルリでなんでそんなに冷静なんだよ……。一応この集まり、こんなでもめちゃくちゃ秘密裡に行われてる国の重要会議なんだぞ?」
「そう言われても……ほとんど顔なじみだしなぁ。ね、奈々さん! 千歳さん!」
「うん、やほやほー。久しぶりね、るりるり~」「変わらず跡目ラブだねぇ、胸焼けしそう」
笑顔で手を振るルリに反応したのは……行方分家長月家の当主長月千歳と、戌徳院家の嫡子、戌徳院奈々花。ほんとにルリのやつ、中史と交友関係あったんだな。
「てぇかトキジュニア、あんた思い出したんじゃねえのかい。記憶」
俺の言動に疑問を呈するのは、行方傍流桜狼家の当主、流さん。
「トキジュニアとかいう不名誉なあだ名止めろ。……いや、一部だけなんだよ。その口ぶりだとルリは流さんとも繋がりがあったんだろうけど、生憎俺は忘れたままだ」
「トキ、覚えてないの? 流さんには、一緒に剣術指南してもらったじゃん」
「俺の記憶だと、一人で習ってたんだけど……」
「そりゃ悲しいことだなぁ。毎日のように二人でうちに来て練習してたってのに。なあまほろ?」
「なっ、そこでまほろに振らないで下さい! まほろは中史のことなんて、これっぽっちもそれっぽっちも覚えていないですっ!」
ぷい、とそっぽを向いてしまったうちの高校の生徒会長さん。こっちとしても、あんたの娘さんには嫌われてる自覚あるんだから、あんまり話振らないでやってください。誰も得しませんから。
「というか中史は、去年ちょっかいかけてた女の子はもう飽きたんですか」
ほらね。
「たしかにおめぇ、あの子どうしたんでえ? ずっと一緒にいたろ、確か、大義んところの……」
「は? トキまさか、ボク以外の女の子とも付き合ってたの?」
「勘弁してくれよ……」
絶対言う必要のなかったことをまほろにバラされ、俺の腕を抱くルリの力が強まる。痛い痛い。
「でも、『中史』としても、助かったのよ。ルリが変わりなかったから、これだけの時間を稼げたんだもの。ね? 光時」
上手くやったお姉ちゃんを褒めて? みたいな感じで俺に笑いかける菖姉さんだが……
「ね? とか言われても、なんのこっちゃだぞ。……ああいや、そういうことか。ルリは岩手にいたんだもんな。連れ戻したのも、姉さんなのか」
言っている途中で、合点がいった。
姉さんは……久慈家の屋敷は岩手の遠野にある。俺が小学生だった頃に、住んでいたこともある家だ。ルリはその近くに匿われていたと言っていた。岩手の久慈の援助で暮らしていた、と。
そんな姉さんなら、ルリを一番誘いやすい環境にあっただろうしな。俺から輝夜を引き離すためにルリを月科に連れて来たのは姉さんだったということだ。
「正確には、緋花里さんと、ね。奈々も、久しぶりに会いたがっていたことだから」
「まー、あたしは事情までは聞かされてないんだけどねー。ありがとね菖」
純粋に顔見たかっただけ、と笑う奈々さん。奈々さんは菖姉さんと同じ大学生で、一緒に筑波大学で民俗学の研究とかしてるらしい。岩手から茨城の大学に通えるなんて、きさらぎ駅様様だな。
「ん、なに? みんな知ってる人なの? 置いてけぼりはボクだけって感じ?」
「わ、私も、見たことない人です……。一門の人じゃ、ないですよね?」
「葵も葵もー!」「おねーちゃん、誰?」
なにやら騒ぎ出した、あいつらは……
長柄分家後長尾家当主の弟・夜風と、同じく長柄分家加賀智家の嫡女、加耶。そして神島三姉妹の下二人。中史の中でも特に若い奴らだ。
そうか。俺たちより世代が下の奴らは、物心着く前にルリと俺が死に別れたから、面識がないんだ。
「中三の椛と夜見が、ギリ知ってる感じか?」
「ええ……幼き頃に、一度だけ顔を合わせた覚えがありまする」
「夜見は千鳥から、話で聞いたから知ってるよ。トキちゃんの彼女でしょ?」
「どうやらそうらしい。……ってことだ、理解してくれたか、夜風、加耶、あおなつ姉妹」
そう言うと、雑なまとめ方をされたのが不満らしい神島姉妹以外は頷いてくれた。
「いやいやお前ら、それで納得するのは早くないかあ? もっとよく思考を凝らして真理を追究してみろ。いくらうちの息子に激重恋愛感情抱いてるからって、それだけで俺がほいほいと部外者を月詠会議に――」
「……おい、刻。無駄話はそこらで切り上げて本題に入れ。じゃないと西日川の爺さんがキレそうだ」
いつものようにへらへら舌を回していた父さんに、ある男が告げ口する。
あの人は、西日川分家鴇田家の当主・鴇田白臣。そして、実は父さんと結婚する前の母さんの旧姓がこの鴇田。母さんは鴇田白臣の娘なのだ。つまり彼は、俺にとっての祖父。
その、俺のじいちゃんが目線を送ったのは――確か今年で古希を迎えた、現当主緋花里さんの父親だ。
その男を見た父さんは、珍しくバツの悪そうな顔をして――
「うへ、もうダメか。――じゃ、そろそろ気を引き締めて話を始めよう」
気味悪いくらい素直に、気持ちを入れ替えた。
そして、当主が静座した瞬間、月の間の喧噪はぴたりと止んだ。
ここからようやく本格的に会議が始まるのだと、皆が察したのだ。
みんなの注目を浴びる中、父さん、中史本家当主が口にした言葉は……
「さて。まず、この場のみんなに確認なんだが……『異世界転生』って言葉を聞いたことあるやつは、この中でどのくらいいる?」
……そんな、拍子抜けしてしまうくらい俗っぽい単語だった。
まあ、本題を思えば納得の切り口ではあるんだけどな。
「異世界転生モノを知ってるやつは手をあげてくれ」
「……そもそもそれは、どういった意味の言葉なんだ」
知らないんだろうじいちゃんが、そんな疑問を呈する。
「それが分からないってことは、知らないってことだろ?」
それもそうかと言うことで、結局手を挙げたのは中史一家と西日川光、桜狼まほろ、後長尾夜風とあおなつ姉妹くらいだった。
その様子を確認した父さんは小さく頷いて、話し始める。
「んじゃ、この人数なら改めて説明した方が早そうだな。異世界転生ってのは、要するに小説の一ジャンルでな。近未来SFとか、青春部活モノとか、そういったのと同列の概念だ。大雑把に説明すると――物語冒頭で何らかの理由で死んだ主人公が、これまで生きてきた世界とは別の世界、つまり異世界に、大抵は記憶を保持したまま転生してそこで第二の人生を送る、ってな話だな」
父さんの簡単な説明に、なろう系に触れたことのない中史の皆々様は……
「なんだそりゃ。主人公が話の始めに死ぬのか? 変な話が流行ってんだなぁ」「あまり判然としませんな」
と、イマイチ飲み込めていない様子。
ここは毎日なろう小説を読み漁っている俺が直々に説明した方がいいかと、静かに息巻いていると……
「……『浜松中納言物語』のごとき草紙にはございませぬか。であれば、『転生』はもとより仏教の根幹を成す思想ゆえ、むしろ馴染み深いものとして理解も容易くならぬかえ?」
口許を着物の裾で隠すたおやかな仕草が様になっている椛が、そう噛み砕いて理解を促してみせた。
「おお、確かにこの場だとその例えの方が分かりやすいな。そうだ。仏教の輪廻転生思想の現代版だ」
「さすが椛ちゃんね!」「い、いえ……」
異世界モノが通じなくて浜松中納言物語でピンとくる一族もどうかと思うのだが、中史は有職故実の研究を国費で行なっている面もあるのでさもありなん。むしろ通じてくれないと困るという話だ。
「異世界転生についてはそんな感じだ。最近ネット小説と言う形でそのジャンルが一部の若者を中心に流行ってる、いわゆるサブカル文化だな。で、そこから派生して主人公が生まれ変わるわけじゃなく、現世のそのままの姿で体だけ転移する『異世界転移』というものもあってな」
こちらは少々マイナーな区切りだろう。転移も転生も一緒くたに『異世界転生モノ』と呼称することも多いくらいだし。
「その『異世界転移』を――うちの息子、トキが先月体験してきたんだ」
ゲームの先行体験してきましたみたいなノリで言わないでほしい。
「は? おいおい、話がいきなり飛躍しやがったぜ。当主さんよ」
荒唐無稽な話だ。当然、中史からも苦言が呈される。
ガサツな口調で父さんに呆れた顔をするのは、行方勇の嫡子、行方往人。
「そんなことはないぜ、往人。俺は至って理路整然だ。実際にトキはこことは別の異世界に転移して、帰ってきた。だからここにいる。そも、じゃなかったらなんでこの場で異世界転生の話なんか振るんだ?」
「それは――真かえ? 中史殿」
椛が混乱中の一堂を代表して、事実確認をしてくる。
本当なら俺もこんな話は馬鹿げていると父さんを嘲笑いたいとこなのだが、生憎とそうもいかない。
「ああ……事実だ。俺は今年の4月5日に異世界へ転移して、向こうで43日間過ごした後にこっちに帰ってきた。こっちの世界では、一日しか時間が経ってなかったけどな」
「てなわけで、本当だ。……ま、そこは本題じゃないんですぐに飲み込んでほしい。まさかこの場に『そんな出鱈目信じられるか』なんて非常識なこと言う中史はいないよな?」
それまでは半信半疑だった連中や、そもそもまともに取り合ってもいなかった年配達も……
父さんのその一言で、黙らざるを得なくなる。
そう、俺たちは『中史』なのだ。
非日常を日常とする魔術師の一門。
日本のあらゆる超常の頂点に立つ一族。
一般的には非常識だ非科学的だと言われている魔術や妖や神仏といった現象と仲がいいどころか、むしろそれらを統括する側。
今更異世界転移ごときで驚く資格はないのだ。
……そう、俺は思っていたのだが……
「だが俺としても、無条件にこの異世界転移という現象を肯定するわけじゃないぞ。そんな各地でぽんぽん転移が起きていたら、今頃世界は行方不明事件で溢れてる」
どうやら父さんは、そこから続けてなにか別のことを言いたいらしい。
なんだ? それは俺も、察しがつかないことだぞ。
父さんは、何を言おうとして――……
「だから――今回のトキの異世界転移、これは何も偶然起こったものじゃない。俺たち四家のトップが事前に話し合って決めた、確定事項だった。」
「――――……は?」
そんな父さんの発言に、誰よりも先に反応したのは勿論俺だ。
今、父さんはなんと言った……?
俺の転移が、事前に決まっていた?
「ど、どういうことだよ。あの転移が、偶然じゃない? あんたらが仕組んだものだったって……!?」
話が想定外の方向へ転び、俺の立場は180°変化してしまった。
だって、そうだというのなら……
「何混乱してんだ、言葉の通りだぞ。俺たちはツクヨミから聞かされたある目的のために、俺の嫡子であるお前を異世界に送り込んだ」
それは。それではなにか、前提が逆転してしまうぞ――!
「それはおかしいぞ……! だって、俺の転移はメフィ……異世界人の召喚士が行ったもののはずだ。それなのに……」
「なーんもおかしくないわよ。トキこそ、よく考えてみなさい。トキとの訓練によって上級魔法を使えるようにまで成長した彼女ならまだしも、あの時点でのメフィス・フェレストが異世界転移の魔術なんて使えたと思う?」
異世界での俺の動向はすべて調査済みらしい四家の大人達に、理詰めでそう言われては、俺の答えなんて……
「それ、は……」
思わない、以外にない。それは俺自身も、あの頃は何度もメフィをバカにするときに言っていたから、覚えている。
――あんなぽんこつ召喚士に転移魔術なんて使えるわけがない、と。
「……てっきり、感情の昂ぶりで実力以上の魔術が行使できたんだってことで、納得してたんだが……」
「そりゃおめえ、想いの力を過信しすぎだぜ。あれはあくまでそいつの潜在能力を極限まで引き出すものだ。凡才がいくら背伸びしたところで、神術レベルには届かねえよ」
行方勇が、微妙にメフィを馬鹿にしつつそう教えてくれる。
「あの世界で世界間転移の術が使えるとしたら、そうね。コエティアの大樹に選ばれた魔草少女の巫女か、<世界水晶>メトロの力を借りた人魚の王女……あとは、セレスティアの月神様くらいよ」
『トキの異世界転移は、此方の《月渡》によるもの。此方が、彼の者が魔法を発動する瞬間に合わせて、トキを転移させた』
――要するに、偽装してたわけか。ツクヨミがタイミングよく俺を転移させることによって、あたかもメフィの転移魔術が成功したように見せかけていた、と。
……てことはあいつ、マジでただのピエロだったんじゃん。あんなに勇者様を召喚させたのは私だなんだって威張ってたのに、それすら勘違いでやんの。ぷぷぷ。
「今更驚くのもおかしな話だろうが。召喚魔術なんて大層な術式、そこらのレア度Rがせいぜいの召喚士に、会得できるわけねぇだろうに」
「おい、Rはないだろ勇さん」
「お? 刻の跡目を体現したようなお前でも、自分に惚れてる女バカにされたら流石にキレ――」
「あいつは生粋のCだ」
「おぅ……」
……メフィをいじっていたらつい話が脱線してしまった。
「でも、どういうことだよ父さん……というか、四人ともだ。質問したいことはたくさんあるが、まず――四人は異世界の存在を知ってたのか?」
事態を把握するには、最初にこの質問をするのがいいだろう。
魔術を統べる『中史』に生まれた俺ですらフィクションだと考えていた『異世界』――。
その全貌をなぜか、実際に現地に赴いた俺以上に知悉している四家当主達はあまりに怪しい。
その疑問を氷解することが、事態を正確に把握する第一歩だろう。
そう思っての、俺の質問に答えたのは――
「――それについては、お姉ちゃんが教えてあげるわ。光時」
なぜか、四家当主の誰でもなく。
俺の姉を誇称する、久慈家嫡女――久慈菖なのだった。




