一話 京にての物語
五月四日、月曜日――
暦の上では春の終わりも終わり、明日には夏となる週初め。
今年のゴールデンウィークは4日間で今日は2日目だ。俺はその休みを利用して、遠出をしていた。
その行先は、言うまでもない。
父さん、母さんと共に東京駅から東海道新幹線・のぞみに乗り、約二時間で京都駅まで移動、そこから更に烏丸線に乗り換え、今出川駅で降り……京都御所と同志社大学に挟まれた今出川通りを抜けてしばらく歩くと……鴨川沿いの一角に――あった。
たいそうな和風建築の、中史本家――その本邸が。広い敷地の中に、大きな日本庭園や、いくつかの離れ家がある……本来なら、俺たちが住んでいるべき御屋敷だ。諸事情で、今は東京の月科で暮らしてるけど。
「じゃ、俺たちは一足先にみんなに挨拶回りだな」
「トキはそこら辺で油売ってて」
「そんな解散の仕方ある?」
雑に両親と別れてから、俺は藤の花の咲き誇る庭園内をぶらつく。が、分家にろくに挨拶もせずにこのまま散歩するだけだと本当に油を売ることになるので、少しは今回のことについて考えることにする。
まず、今回の騒動――正しくは、これから起こるだろう騒動――の中心にいるらしい月見里輝夜ちゃんについては、るりと一緒に来るように言ってある。俺と一緒に来なかったのは、俺たち家族が「中史家」としてここへ来た、という事実を作るため。要するに、中史氏での体面を気にしたわけだ。
で、長らく俺の記憶から消えていたるりに関しては――昨日のうちに関係各所に問い詰めてみたところ「あ、やっと自分の彼女のこと思い出したの?」的な感じで笑われた。どうやら空波るり=中史時の彼女というのは中史連中の一般認識だったらしく、今回の会議にも普通に参加していいらしい。
LINEで確認したところ、五分前に「京都駅着いたよ!」というスタバで抹茶フラペチーノを飲んでるツーショット付きのメッセージが送られてきたので、もうすぐ合流できるだろう。早く来いよなにしてんだ。
「というかあの二人、もうそこまで打ち解けたの……?」
ずっと輝夜を無視していたルリだが、もうその必要もなくなった。一体あの二人がどんな会話を展開しているのか、想像するだに恐ろしい。あまり気にしないでおこう。
それよりも今は、目の前の懸案事項。もうそれほど時間はないが、だからといってすることもない……。
いつもなら、適当に時間を潰すために魔術の練習でもするところだ。が、今日に限ってはどうもそんな気も起きない。
ここに来るまでの間に、ある程度は覚悟を決めてきたつもりだが……いざその土を踏みしめていると、緊張するな、やっぱり。
『――すべての中史が一同に会するドデカい会合、月詠会議の開催を!!』
俺は一昨日、父さんがのたまっていた言葉を思い出す。
ああ……考えただけで、ストレスで胃がキリキリする。多分今回は、俺がガッツリ関わっちゃってるんだろうし。
――月詠会議。
平安時代の御前定をその始まりとするこの会議は……その月の名の通り、日本の趨勢を陰から定める話し合いの場だ。基本的には十数年に一度、何らかの災害や大事件が発生した際に、その対策を練るために不定期で執り行われる。前回は東日本大震災の時期に災害対策として開かれた。
……今回みたいな緊急招集は、稀だがな。いくらなんでも招集がかかってから二日でハイ始まりというのは早すぎる。……あの父さんが、何をそんなに焦っているんだ?
……と、俺はそこで立ち止った。
「…………」
――殺気。
背中を刺すような気配が襲う。
数は二。その二つは猛スピードでこちらに接近してきており――
「――っ」
視界の端に、微かに黒い影がちらついている。接近した何者かが、背後から襲い掛かってきたのだ。
だから、迫りくる左フックを……俺は手のひらをやわらかく開いて、その衝撃を受け流してやる。
「うひゃぁっ⁉︎」
空中で急に力のベクトルを変えられたそいつは、頓狂な声を出して驚いている。
「《花鎮》――空木」
そうこうしている間に、もう一つの気配がこちらまで接近し、魔術を発動したようだ。
半透明な卯の花色の花々が、鮮やかな粒子を飛ばしながら俺の周囲に咲き誇る。飛び散った粒子が花粉のようにブレザーに付着した。それは魔力の結晶体、《花鎮》の第一段階だ。
「――吸い葛」
そうして第二段階。咲き開いた魔力の粒子が、一斉に熱を持って発火する。この花粉のような魔力の粒子の一つ一つが術者の意志に呼応し、微量な震動を始めたのだ。
激しい震動を繰り返す魔力は、周囲の魔力を運動エネルギーとして必要とする。ブレザーに付着している魔力は、最も身近な魔力源――俺の御魂から魔力を吸い取ろうとし始める。
無理やり魔力を抜き取られるのはあまり気分のいいものではないので……俺はブレザーを脱ぎ、術者の顔を覆うように被せてやる。
「わっ……あ、あれっ」
《花鎮》の粒子がブレザーごと移動したことで、身近な魔力源が俺からそいつに移り……結果そいつは、自分の魔術を自分で喰らうことになってしまった。同時に視界も封じられたことで、軽いパニックに陥っているらしい。
「――!」
そして最初に攻撃を仕掛けてきた奴が、俺に攻撃を受け流されたその勢いを器用に利用し空中で態勢を変え……今度は鋭い後ろ蹴りを仕掛けてきた。
が、それは明確な判断ミスだ。
「きゃふぅっ!?」
重心の制御が効かない空中で、自分より体格のいい相手に蹴りを選択するなんて……どうぞ掴んでくださいと言っているようなものだ。
……と、俺に片足を掴まれて宙ぶらりんになっているそいつを見て思った。
「…………」
無事に攻撃を防ぎ切った俺は……その小さな襲撃者二人に目を向ける。
「うー、負けたー!」
宙づりになった体を振り子のようにぷらんぷらん揺らしながら悔しがる、ツインテールの少女。
「んん――ぷはっ! ……いっぱい練習したのに、やっぱり強い……」
ブレザーから顔を出し、しょんぼりと落ち込んでいる様子の、しっぽのような三つ編みが印象的な少女。
「……おい。葵、棗。なんだよ、今の奇襲は」
この二人は、中史家分家・神島家の三姉妹……の内の、次女と三女。神島葵、棗という。年齢はたしか、葵が今年で十、棗が八だったか。
「あ、あははー……久しぶり、お兄ちゃん」
「ちゃんと生き永らえてたね」
物騒なことを言う棗だが、冗談でもないので聞き流しつつ……
「ああ、久しぶりだな。で、なんだ、今のは」
「誤魔化せなかった……」
「えっと……やっぱり怒っちゃったー……?」
こちらのご機嫌を伺うように訪ねてくる葵に、俺は言う。
「当然だ。お前ら、何だ今の……未熟な奇襲は。まず葵。お前は確かに身体能力が同年代と比べて飛びぬけてるから、空中であんな無茶な動きもできる。だがそんなものに惑わされるのは子供だけだ。同年代の間では力とスピードでごり押して無双できるのかもしれないが、それまでだ。冷静な判断のできる奴にとっては、瞬時の判断力に欠ける葵みたいなやつはむしろ尤も相手にしやすい手合いだからな」
「はい……ごめんなさい……」
「そして棗。まず奇襲するってのに、相手に手の内を知られている魔術を使うな。《花鎮》なんて、神島が使う一番有名な魔術だろ。今みたいにすぐに対応されて終わりだ。使うにしても、なにか工夫しろ。例えば空木の花粉が衣服じゃなく人の皮膚にも付着するように改良するとかだ。そうすれば今みたいに、服を脱がされてカウンターを喰らうこともない。あとは、魔術に頼りすぎて、想定外の反撃に全く対応できてなかったのもダメダメだ」
「…………うん」
などと、俺が多少厳しめにお説教をしてやると……
二人は、うるうる。目に涙を溜めて……まずい、泣きだしちゃいそうだ。
こんなことで親戚のロリ二人を泣かそうものなら、父さんに特大の《月降》で三枚おろしどころか千枚おろしにされかねない。ので、俺は必死に誉め言葉を考えて二人の御機嫌取り。
「まあ……それでもこの前よりは、だいぶ成長したな。二人とも。なにより、ちゃんと自分の長所をよく理解して、そこを伸ばそうとしてる。葵の攻撃は一つ一つがより鋭くなった。棗も魔術の練度が格段に上がってる。その成長は今の一瞬でも、ちゃんと伝わってきたよ」
この前、というのは前回会った時にも同じように奇襲されたので、その時のことだ。というのも、この二人は数年前に俺が返り討ちにしてやって以来、こうして会う度に自分たちの成長を俺に見てもらおうと奇襲を仕掛けてくるようになったのだ。だから今回も、実はここに着いた時点でずっと警戒していた。そしたら案の定元気のいい二人が背後から迫ってきたので、落ち着いて対処できたというわけだ。
「ホント!? やったー! お兄ちゃんに褒められたぁ~っ」
「……嬉しい」
その二人はというと……よかった。少なくとも涙は引っ込んだらしい。元気はつらつな葵と落ち着きのある棗で、多少反応は異なるものの……喜んでいるようだった。
俺は二人と共に、中央の屋敷に向かっていく。
「最近は二人とも、何してたんだ?」「椛お姉ちゃんと一緒に、都知事のSPとか」「卑怯な裏工作大好きな国会議員たちのお掃除!」「すごいじゃないか。頑張ってるんだな。よし、知事には今度会ったらそれをネタに飯でも奢らせるか」「相変わらずセコいねーお兄ちゃん! ……とりゃー!」
「うわっ……」
話の文脈とかガン無視で急に俺の肩にタックルしてきた葵。また懲りずに攻撃してきた……わけではなく、これは葵なりの「肩車して」の合図。俺は葵をひょいと拾い上げて、自分の肩の上に乗せる。
「行けー! 進めー!」
「痛い痛い。髪引っ張るな」
「おー、ヒカリちゃん! やっほ!!」
「無視ですか。……って、ヒカリ?」
割と容赦なく髪の毛を掴んでくる葵に、十円禿の心配をしていると……俺からの文句を誤魔化すための嘘とかじゃなくて、ホントにいた。ゆるいウェーブのかかった金髪ロングが今日も綺麗な、六親等で結婚できるらしい、はとこの西日川光が。
「あ……中史くん。と、葵ちゃんたち。こんにちは」
こちらに気づいたヒカリは、ぱたぱたとやわらかく手を振ってきた。
「一昨日は悪かったな、ヒカリ。買い物の途中で輝夜押し付けて、急にいなくなちゃって」
「ううん。……るりのところに行ってたんでしょ? なら、私は何も言わない。二人の間にあるものは……私が二人の次に、よく知ってるつもりだから」
「……そ、そうか」
「あ、中史くん、照れた? るりとの仲を指摘されて。そんな、今更なのに」
ヒカリは何やら勘違いして、ころころ笑っているが……違う。俺はお前がそうやって、自分の意志とか言葉に自信をもって振舞えていることに驚いたんだぞ。これは中学の頃のこいつから考えたら見違える成長だ。が、一々訂正するのもおかしいしヒカリもなんだか楽しそうなので、放っておこう。
「久しぶり、ひかりん」
と棗。ひかりんとは、まあ分かると思うがヒカリのあだ名だ。
「棗以外誰もそのあだ名使ってないけどな」
「ぬぅん……絶対流行らせる」
三年前から同じことを聞いているが中史の中で一向に広まる様子はないので、それは望み薄だろう。
「あ……うん、棗ちゃん。久しぶり。また大きくなった?」
「そう言われればお前ら、背伸びたな。どおりで肩が重いわけだ。おい、降りろ葵」
「ひぇー、女性に向かってなんてこと言うの! 絶対降りてあげない!」
「成長期を舐めるな」
「ふふふっ」
ぷんぷんご立腹の葵。なぜかドヤ顔の棗。ふんわりと笑うヒカリ。少女三人が楽しそうにするその光景はとても和やかで結構なんですけど……冗談とかじゃなく肩がイカレそうなんで、頼むから俺の頭上で暴れるのはやめてくださいよ葵さん。てかお前もう小四だろ。とっくに肩車とかは恥ずかしい年頃じゃないの?




