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幻月のセレナ -世界と記憶と転生のお話-  作者: 佐倉しもうさ
第三章 而して浮生は夢のごとし
81/116

プロローグ BAD√1 月光革命

 ――セレスティア王国とその隣国アークルムの間には、カルディア森林と呼ばれる温帯雨林が広がっている。


 降水量の多いその森は、豊かな自然に恵まれている。様々な動植物の生息するカルディア森林は、セレスティアの冒険者にとってなじみの深いエリアだ。しかし危険な魔物も数多く生息するため、街道は開かれていない。

 樹木によって林床の光は遮られており、方向感覚を失い遭難する冒険者も少なくない。


 そんな危険な森の中を、純白のドレスで駆ける姿があった。


 一目で一級品と分かる白のドレスの裾をからげて、森路を行くのには不適切なハイヒールでカルディア森林を進んでいく。


 森の中を疾走したことから、泥まみれのドレスはところどころ破れている。


「はぁっ……はぁっ……!」


 彼女は憔悴しきった様子で、その足取りは覚束ない。

 かつて美しい濡羽色をしていた長髪は傷んでおり、誰もが息をのむような美貌に生気はなく、極度の疲労が窺える。


 彼女はもう何日も栄養を取っていない。

 体のいたる箇所で発生している異常は、栄養失調の症状に他ならない。 

 

 セレスティア王国第一王女、セレナ・(セレナーデ)・セレスティア。


 革命によって一夜にしてその立場を追われた、亡国の姫君である。

 セレナには現在、クーデター軍の追手が迫っていた。


 彼女の胸中を支配するのは、圧倒的な後悔と自責の念。


 どこで選択を間違えたのか。もっとやれることはあったのではないか。これからセレスティアの民はどうなるのか――


 過る気持ちに限りはない。後ろを振り向いていたらキリがない。


 それでもセレナは走り続ける。

 把握できていることは僅かで、これからの自分に待っている未来は決して明るいものではないだろう。


 しかしセレナは知っているのだ。何よりもまず、生きねばならぬことを。

 セレスティアの姫である自分が、(セレナーデ)の称号を冠する自分が捕まった時、本当の意味で国が滅んでしまうことを。


 だからセレナは渾身の力で、御魂をすり減らしながらも、走っている。


 逃亡先のアークルムは、宗教の違いからセレスティアと緊張状態にある。アークルムの国境を越えてしまえば、革命軍の追手はそれ以上手出しできないだろう――今のセレナは、それだけを頼りに足を動かしていた。


「――あっ――!」


 しかしそれでも、体力には限界が存在する。

 彼女は足元に張られた木の根に躓き、その場に転んでしまう。

 いかに運動神経に恵まれていても、平衡感覚を失った今のセレナでは、本来ならまともに歩くこともままならない状態だ。

 むしろ、ここまで気力一つで走っていた彼女の意志の強さに驚くべきだろう。



「「「《爆熱噴炎星(ガデル・デズヘルム)》」」」



 そこへ、熱く煮え滾った噴炎(ふんえん)が襲い掛かる。

 革命軍の追手――それも、高位の魔導師によるものだ。


 背後から迫りくる上級魔法。

 転んだばかりのセレナに、それを避けるだけの余裕はない。


「――っ」


 セレナは敗北を覚悟する。


 燃え盛る炎弾が、彼女の目に映る。その炎はぐんぐんと大きくなり、彼女の瞳を覆いつくす。

 それでもセレナは、己が瞼を閉じることをしない。

 淡青(ライトブルー)の魔力に染まった双眸を、自らを襲う魔法へと向ける。


 敵に捕らわれる間際まで、自らの生き様を知らしめるためだ。

 武力で負け、政治で負けたとしても、心までは屈しなかったと証明するためだ。


 その凄まじき精神力は、間違いなく一国を統治する王女のものだった。


「――殿下ッ!」


 ――故に、彼女は人を惹きつける。

 

 セレナの目前まで迫っていた《爆熱噴炎星(ガデル・デズヘルム)》は、突如現れた人影の斬撃によって、真っ二つに切り裂かれた。


 彼女を守るように立つのは、軽鎧(ライトアーマー)を身に纏った女騎士。

 それは、二千年の歴史を持つセレスティア王家に代々使えてきた、王家の盾。

 セレスティアの神鎧(しんがい)・レディエル家の嫡女。


 国王より直々にセレナの近衛騎士を拝命する、アウローラ・ライラ・レディエルだ。


「ご無事ですか、殿下ッ」


 追手を振り切り、自らが忠誠と親愛を寄せる主の危機を救ったアウローラは、セレナの体調を確認する。


「それはこっちの台詞よ、アゥル! 無事だったのね!?」


 セレナは起き上がりながら、アウローラに言葉を返す。


 二人が再会したのは、実に二日振りだ。

 始めは行動を共にしていた二人だったが、二日前、アウローラが追手を一手に引き受けセレナを逃がしたのだ。それで二人は離れ離れになってしまい、互いの安否も分からない状態が続いていた。

 しかしアウローラは生きていて、今も自分のことを身を挺して守ってくれた。


 幼少期から苦楽を共にし、姉妹のように仲の良いアウローラと再会できた。それがセレナにとっては、自分の身から危機が去ったことよりもなによりも、喜ばしいことだったのだ。


「またすぐに追手が来ますッ、殿下」


「ええ、行きましょう!」


 一人では挫けそうな逆境でも、信頼する仲間と一緒なら耐えられる。人間とはそういう生き物だ。


 セレナもアウローラも満身創痍だったが、互いが心の拠り所である二人はなんとか気力を振り絞り、再び走り始める。


 ――ぽつり、ぽつり、と雨が降り始めた。

 葉先から滴る雫が二人を濡らす。髪や服が水を吸った分だけ、身体が重くなる。頬に張り付いた髪が走行時の振動ですぐに剥がされていく。


 体力が底を尽き、濡れて重くなった身体を無理やりに走らせるセレナとは対照的に、アウローラにはまだいくらか余力がある。

 セレナは肩で息をしているぐらい呼気が不安定だが、アウローラは違った。騎士としての訓練を積んでいる彼女は、丹田を意識した腹式呼吸――異世界の言葉でいうところの瞑想における呼吸法をマスターしているのだ。

 だからアウローラには、全速力で走りながらも背後の気配に気を配るだけの余裕があった。

 

「殿下ッ、伏せてくださいッ!」


「えっ――!?」


 突として、アウローラはセレナを突き飛ばした。

 いきなりのことに受け身を取れず、セレナはその場に横臥してしまう。その後すぐに顔を上げたセレナは、驚いた顔でアウローラを見上げる。しかし、その目にアウローラに対する不信の色はなかった。セレナはアウローラを信じていたから、なんらかの理由があって自分を突き飛ばしたのだと信じて疑っていなかった。セレナはただ、どうしてアウローラがそんな行動を取ったのか知りたかったのだ。


「はあぁ――ッ‼‼」


 そしてセレナの信頼に間違いはなかった。そこでは、アウローラが迫りくる火炎魔法を騎士剣でいなしていた。

 アウローラは背後から火属性上級魔法が迫っていることに気づいて、その軌道上を走っているセレナを突き飛ばしたのだ。


 アウローラの鍛え抜かれた狂いなき斬撃によって、火炎魔法はその形を保つことができなくなり、火炎は魔力の粒子となって消えた。


「ありがとう、アゥル! 助かったわ!」


 セレナはアウローラに感謝しながら、地面に膝をつき立ち上がろうとする。


「いえ、殿下――まだです」


「え……?」

 

 しかしそのセレナを、アウローラは片手で制止した。


「革命軍の追手――魔導師です」


 アウローラの視線は、先程自らが切り裂いた上級魔法――それがやってきた方向に注がれていた。

 魔力の粒子が消え、視界がクリアになったその向こうに――フードで顔を隠した、怪しげな集団が立っていた。


 宮廷魔導師団だ。


「なぜだ……全速力で走っている我らに、鈍間な魔導師がなぜ追いつける……?」


 アウローラの疑問は正しかった。普段から身体的な鍛錬を欠かさない騎士であるアウローラと、(セレナーデ)の力により戦闘慣れしているセレナに、室内に籠って魔法研究ばかりしている魔導師が追い付ける道理はなかった。普通に走っていたら、二人はクーデター軍を撒くことができるはずだった。だから今、普通ではないことが起こっている――それに気づいた時、アウローラの胸中に、一抹の不安が去来した。


 アウローラは眼前の魔導師達を、今までより一層注視した。


「――我が国でも屈指の宮廷魔導師団の魔法を剣技一つで打ち破るとは、見事です。よく鍛錬なされている」


 その時、魔導師達の先頭に立っていた男が一歩前に出て、口を開いた。

 彼はゆっくりとした動作でフードを取り、自らの素顔を晒した。


「貴様は――ミッドナイトの!? 牢獄に囚われていたはずが、脱走したのか……!」


 騎士としてならず者の世話をする機会の多いアウローラは、彼の顔に見覚えがあった。

 異世界でいうところのハリウッド俳優並みに整った顔立ちをした、初老の男。男は嫌味のない笑みを浮かべ、恭しくアウローラに礼をする。


 その男の名は、クライン・ルード・ミッドナイト。かつてセレスティア王国の公爵家として、王家に次ぐ広大な領土を持っていた貴族の男だった。

 しかしクラインは十八年前、国家転覆を謀った罪で公爵家の地位を剥奪され、刑務所に入れられていたはずだった。そのクラインが目の前にいて、自分たちの逃走を邪魔していたから、アウローラは驚いたのだ。


「この私が、なんの策も練らずに大人しく刑を受けていたとでもお思いで?」


「革命派の刑務官と、通じていたのか……!?」


「ご名答」


 一度は牢屋に入れられていたクラインだが、元は公爵家にして、セレスティア議会の長であった男だ。様々なコネクションを持っている。その中には牢獄の刑務官と革命軍のメンバーもいた。クラインは彼らを通じて牢屋の中で革命に向けて準備を整え、来る王家追放の日、十八年ぶりに塀の外に舞い戻ってきたのだった。


「そんなことが許されると思っているのか!?」


 目の前で当然の権利かのように敢行される犯罪に、真面目な騎士であるアウローラは強い義憤を覚える。


「おやおや、これは異なことを。一体誰が許さないというのです? 今やただの小娘でしかないあなた方に、私を塀の中に連れていくだけの力があるわけでもあるまいに」


 数日前までなら格別、今のセレナとアウローラは立場を追われた一般人でしかない。革命軍に追われているという意味では、一般人以下の権利しか持ち合わせていない。

  

「おのれ……我だけでなく、殿下まで愚弄するとは――!」


 雨降りしきる森の中、アウローラは闘志を燃え上がらせる。


 アウローラにとって、生まれた時から苦楽を共にしてきたセレナを侮辱されたことが、自分を馬鹿にされたことより何より、許せなかったのだ。


「貴様らのような軟弱者など、我一人で十分だッ! 覚悟しろ、ミッドナイト‼」


 心の内に怒りを煮え滾らせて、アウローラが突撃した。鈍色に輝く騎士剣を構え、俊敏な動作で魔導師団に接近する。その洗練された動きは、ほとんど人間が自力で出せる最高速度だった。


「なるほど、さすがは『神鎧(しんがい)』の名を冠するレディエルの騎士……正攻法では、まず勝てないでしょうね」


 その目にも止まらぬ動きに、クラインは感心する。

 だがそう語るクラインの目に、諦めの感情は読み取れなかった。


「しかし残念! 我々はもはや、生物の限界を超越しているのです‼」


 突如有頂天になったクラインは、天を仰ぐようにして叫ぶ。

 その動きに呼応するように、クラインの周囲にいた魔導師達が魔法の構築を始める。


「世迷言を――!」


 そのクラインの言葉を、アウローラは取り合わなかった。アウローラはよどみない動作で飛び上がり、魔導師達の頭上にて剣を振りかぶる。それは剣の道を志す者が見れば、惚れぼれしてしまうような美しい動作だった。


「「「《閃光灼熱咆哮(スぺクテイタクス)》」」」


 しかしどういう訳か、生物としての限界速度を叩きだし、絶対に捉えきれないはずのアウローラの動きに合わせて、魔導師たちは魔法を放った。

 彼らが放った魔法は夜の森を明るく照らし出し、世界が白に包まれた。


「うっ――!」


 あまりの明るさに、アウローラは反射的に目を瞑ってしまった。

 自ら視覚を制限し、空中で隙だらけになったアウローラめがけて――白熱の光線が、射出される。

 それは魔導師達の放った魔法の本来の効果だった。失明しそうなほどの光は、光線が発する副次的なものに過ぎなかったのだ。


「まずいっ――!」


 常人ならば、光線に心臓を貫かれて死んでいた場面。しかし熟達した騎士のアウローラは、暗闇の中でも死の危機を感じ取った。


「ふっ――‼」


 アウローラは咄嗟に剣を一閃することで、その反動によって空中で《閃光灼熱咆哮(スぺクテイタクス)》を避けることに成功した。魔力を乗せた斬撃ならば、それ自体が力として作用するため、空中でも反作用が生じたのだ。だからアウローラは回避することができた。


「殿下は無事かっ――!?」


 自らの命の危機が去って、最初に考えるのはセレナの安否。自分が魔導師の攻撃に対処している間に、セレナが襲われていないかを心配したのだ。


「私のことは気にしないで! 戦闘に集中しなさい、アゥル!」


「殿下、よかった……」


 幸いにして、セレナは無事だった。アウローラが想定外の戦力を持っていたので、彼女を相手にしながらセレナまで攻撃するだけの余力が革命軍側になかったのだ。


「今の一撃を避けますか……必殺の一撃だったのですがね」


「どういうことだ、貴様ら――なぜ我の動きを追える」


 アウローラは不思議でならなかった。自分は身体能力の限界に迫る速度で攻撃を仕掛けた。それは魔導師達では目で追う事すらできないものだという自信があった。しかし実際には捉えられた。それがアウローラの不安感を一層募らせた。


「さて、あなたの鍛錬不足ではないでしょうか」


「――ッ! 殺す!」


 怒髪天を衝く勢いで、再度駆けだしたアウローラ。だが口で言うほどには、彼女は怒りに支配されてはいなかった。精神統一は騎士の基本だ。アウローラはクラインの挑発に乗ったフリをして、冷静に相手の動向を警戒しながら近づいていった。


 そんなアウローラのことだ、無策で同じ攻撃を行うつもりはなかった。今度の攻撃では、相手が捕捉しにくいよう、高速で左右に動きながら接近していく。あまりに素早いその動きは、彼女が去った後に残像を作るほどであった。


「これで――!」


 川の流れのような無駄のない動きで、アウローラは魔導師団の背後を取った。彼女は剣を一閃する。


「「「《閃光灼熱咆哮(スぺクテイタクス)》」」」

 

 しかしまたもや、魔導師達はすぐに背後を振りかえり、魔法を間に合わせた。

 世界が白に覆われ、アウローラの視界を奪う。


「なぜだっ――!?」


 内心で舌打ちしながら、アウローラはギリギリその攻撃を避ける。だがこの時のアウローラに、攻撃の回避に成功したことによる喜びは微塵もなかった。

 正体不明の絡繰りによって、自分の動きが完全に捕捉されている。そのことがアウローラを苛立たせていた。


「知られたところで、どの道対策のできるものでもありません――教えて差し上げましょう」


 自分たちが優位に立っていることを確信したクラインは、不敵に笑って言う。


 クラインは自らの手の内を明かすと言った。迂闊なことだと思われるかもしれないが、これは彼の性格からしたら、むしろ遅いことだった。クラインは本来、自らの手の内は先に明かし、相手に抵抗の余地がないことを思い知らせた後で、徹底的にいたぶるのが好きな性格をしていた。それが十八年前までの彼の癖だった。

 

 しかしこの時、クラインの脳裏には十八年前の敗北の記憶が過っていた。

 自らが異世界から呼び出した――正確には召喚士に呼び出させた――一人の男と相対したとき、自らの手の内やその他様々な事情を喋った上で、敗北してしまった記憶だ。


 十八年前に異世界から召喚されるや否や、魔王を討伐して世界に平和をもたらすと、その後すぐに元の世界へと舞い戻ってしまった、セレスティアの伝説の勇者――ナカシ・トキ。


 彼に敗北し、牢屋に送り込まれた苦い記憶が、クラインに手の内を明かすことを躊躇させていた。


 しかし戦況は自分達が有利で、相手は手練れの騎士といえど、伝説の勇者ほどではない。そうした現実が、クラインの中の敗北の記憶を塗り替え、彼に今の発言をさせるに至ったのだ。


「我々が使っているこの魔法。実はこれは魔法ではなく――魔術なのです」


「魔術、そうか……貴様らは、とうとう術口(すいこう)の原理を……」


 クラインが口にした、『魔法』と『魔術』と言う言葉。

 それは伝説の勇者によってこの世界にもたらされた、魔法学的に全く新しい概念だった。


 従来の魔導師は、大気中の魔力をなんらの手も加えずに、そのまま使用していた。この純粋な自然界の魔力を使用する攻撃を、『魔法』と呼ぶ。


 対して、『魔術』は人間を構成する御魂(みたま)に開いている()である『術口(すいこう)』に一度魔力を通してから、術式を構築する。こうすることで、大気中の魔力が御魂の魔力を吸収し、より活発化する。活発化した魔力によって構築されたものを、伝説の勇者は『魔術』と呼んで、これを使っていた。


 この区分はナカシ・トキの生まれた世界では一般的なものなのだが、この世界に暮らす魔導師たちはそんなことを知る術はない。勇者がもたらした素晴らしき新概念だとして、魔法学会にパラダイムシフトを引き起こした。

 

 その後、セレスティア最高峰の頭脳が集う宮廷魔導師団による十数年に渡る熱心な研究の末、ついに術口の原理が解明され、『魔術』の実用化にまで至ったのだ。


 この『魔術』はセレスティアでも、一部の専門家の中で最近ようやく確立されたものだった。魔法と縁遠い騎士であるアウローラが知らなかったのは仕方がないことだろう。


「この魔術というのは素晴らしいものでしてね。あなた方に追いつけたのも、あなたのすばしっこい動きを追えるのも、身体能力を大幅に強化する魔術のおかげなのです」


「貴様らのような卑劣な者共には、過ぎた力だぞ……!」


「だからなんだというのです! どうしても許せないというのなら、力づくで従わせてみればよろしい! それができない時点で、あなたの負けなのですよ、レディエル卿!」


 そう言ったクラインは、左手を示すように掲げた。

 その指には紫の指輪がはまっている。


 魔力の込められた指輪――魔道具だ。

 クラインは魔導師ではないので、指輪などの魔道具を使って魔術行使のアシストをする必要があった。


「これで終わりです、レディエル卿!」


 クラインと宮廷魔導師達が、魔術式を構築し始める。

 雨風の激しい薄暗闇の森の中に、無数の魔法陣が浮かび上がった。


 アウローラの周囲を、魔法陣が取り囲む。


「これが《爆熱噴炎星(ガデル・デズヘルム)》を超える、火属性()()――‼」


 魔法陣から溢れる赤き光が、カルディアの闇を照らす。


「隙だらけな魔術など、使わせなければいいだけのことッ!」


 アウローラに、魔術式の構築が完了するのを指をくわえて待っている理由はない。彼女は上体を屈めて剣身に魔力を込める。

 アウローラは魔導師ではないので、魔術は使えない。だからこの剣に自らの魔力を乗せる攻撃は、彼女が意図して行っているものではない。しかし剣の天才であり、更に血の滲むような訓練を積んだアウローラは、並外れた剣技と集中力でその攻撃を可能にしていた。たゆまぬ努力のなせる技だったのだ。


 自らの魔力で青翠色(エメラルド)の光を発する騎士剣を構え、アウローラは魔導師団へ向けて駆け出した。


「はあああぁぁ――――ッ!!」


 アウローラは兎のように身軽に跳躍する。


 夏の望月を背にしたアウローラの剣先が、世界の祝福を受けたように光り輝く。


 その剣が、振り下ろされる――



「「「――――《煉獄魔導灼熱波(サンサニア・ゾガルグ)》」」」


 

 ……アウローラの剣は、ほんのわずかに届かなかった。彼女の剣が届くよりも早く、魔導師達は詠唱を終えていた。

 赤き魔法陣から、魔術が放たれる。 

 

 世界を焼き尽くす灼熱が、アウローラに直撃する。

 灼熱の魔術は彼女の剣を焼き、鎧を溶かし、髪を焦がしていく。


 超高温の炎は白い光を放ち、アウローラの全身を焼いていく。

 アウローラは自らの死を悟った。次の瞬間には、彼女の命は尽きている。


 ――殿下……どうやら、私はここまでのようです……。


 心の内で、彼女はセレナに別れを告げる。 

 アウローラ・レディエルは、最期の時まで敬愛する王女殿下を想って死んでいった。


「――――」


 ドゴッ。


 焼き尽くされ、黒焦げになった人間の亡骸が、地面に落下する。

 

 御魂が肉体から離れていく暇もない、一瞬のことだった。


「………………ぇ」


 刹那の攻防だったので、セレナは今になって何が起こっていたのか理解した。

 自身の目の前に落ちてきたのは、生まれた時から人生を共にしてきた親友の変わり果てた姿。

 セレナはすぐに現実を受け入れることができないでいた。


「…………死にましたか」


 それを見たクラインは、しかし油断しない。王家に忠誠を誓うレディエル家が、死体のフリをして自分たちの隙を狙っていてもおかしくはないと考えたのだ。


「念のためです、やりなさい」


 クラインは、魔導師団に命令する。


「「「《爆熱噴炎星(ガデル・デズヘルム)》」」」


 魔導師達の上級魔法が、既に絶命しているその黒い影を追撃する。


 最後まで勇敢に主君を守り切った騎士への敬いも何もない、冷酷な行為だ。

 その生き様を、誇り高き尊厳を踏みにじるような、冷徹な判断だ。


 物言わぬ骸が燃え盛る。


「………………」


 セレナは死んだような無表情で、その光景を見つめている。

 その目にはもはや、生者の光は灯ってはいない。


 革命で地位を追われた時も、その志は折れなかった。

 目の前で王妃たる母が胸を貫かれた時も、父であるセイクリッドの首が足元に転がってきた時でさえ、セレナは悲鳴一つ上げることなく、政権回復を目指して、我慢を重ねてきた。


「…………ぅ…………ぅぁ」


 しかし今、その誓いが崩れ去ってしまった。

 セレナの頬を、ひとすじの涙が伝う。それはすぐさま他の雨粒に紛れて分からなくなってしまった。


 アウローラが殺された。

 自らの眼前で、考えうる限り最悪の方法で、最愛の存在が殺された。


 この時、セレナの中で燃えていた灯は、あっけなく潰えてしまった。

 セレスティアの王女殿下としてのセレナが、死んだのだ。


「……あぁ……あ、あ…………」


 その現実が、逃れられぬ事実が、セレナの心を蝕んでいく。


 夏の望月は、そんな事情などお構いなしに夜空に輝いている。

 セレナは心を失くしてしまったような無表情で、微動だにしない。


「……さて。邪魔者は灰となって消えました」


「………………」


 火炎魔法の効果が切れ、クライン達がセレナに近寄ってくる。


「逃走劇は幕です、セレナ王女殿下。あなたと、あなたの持つその力を、我々に――」


 反応を示さないセレナに、クラインが手を伸ばす。

 あと少しでセレナの肩に、その手がかかろうかという時だった。


「――ああああああああああああああああ‼‼‼‼」


 セレナは、心のバランスを崩してしまった。

 乱心した彼女は、本能の赴くまま、その悲しさに従って甲高い叫び声を上げる。


「ああああああああああああああああああああっ‼‼‼」


 夏の望月の光が、セレナの元に集う。

 彼女の額に、白い紋章が浮かび上がる。


 紋章は月と星々の形を象っており、そこへ途方もない魔力が集まっていく。


「これは――まずいっ!」


 咄嗟に何が起ころうとしているのかを悟り、魔導師団に指示を出すクライン。

 

「総員ッ、防御魔術展か――」


「ああああああああああああああああああああああああああああああ――――‼‼‼」


 その指示は一歩遅かった。

  

 ――ドオオォォォォォォンッッ――……‼‼


 セレナの暴走した御魂が構築した魔法が、暴発する。

  

 辺り一帯に暴風が吹き荒れ、魔導師団が編みはじめていた魔術式が破壊される。


 それでも、セレナの魔法は収まらなかった。

 暴風の魔法は雨を巻き込んで、カルディアの樹木を枯らし、かまいたちを発生させ、魔導師達を攻撃する。


「ぐあぁっ――!?」「に、逃げ――」


 根元から折れた樹木が、魔導師団へと襲い掛かる。

 一人、二人、三人――――


 セレナはただその中心で、へなへなと座り込んで叫び声を上げているだけだ。


 それだけで、御魂の暴走によって行使された魔法が――クラインの連れてきた魔導師団を、一掃していた。


「このままでは、私まで殺されてしまう――!」


 想定外の被害に、クラインは表情を歪ませる。

 このままでは、彼はセレナの無差別攻撃によって樹木に殴打されていただろう。


「ああああああああああああああっ――――あがっ」


 だがそうはならなかった。


 闇夜に鈍色の光が煌めき、荒れ狂う風の中心にいたセレナの叫びが、突如として止まったのだ。


「っ――がふっ……!」


 セレナは虚空を見つめたまま、口から大量の血を吐き出した。

 

 その胸には、黒き粒子を纏った一振りの剣が突き刺さっている。

 黒剣はセレナの心臓を正確に突き刺していた。


 がくん、とセレナの頭が下がる。

 彼女は心臓を一突きにされて、既に絶命していた。


「……これでよかったのですか、先生」


 彼女の命を奪った張本人は、その黒剣を力強く引き抜いた。

 心臓部からぼたぼたと赤黒い血が流れ、地面の水溜まりを濁らせていく。


「――迷いは捨てるのだ。王になるためにはな」


 暗闇から声がした。

 王女殿下を暗殺した人間が、『先生』と呼んだ人物だ。


 彼が、物陰から姿を現す。


「おお……よく駆けつけてくださいました!」


 その二人をクラインは知っていたので、彼は喜んで駆け付けた。

 クラインからしたら、自身の命の危機を救ってくれた命の恩人だ。


「助かりました――アリストテレス卿、エンテレケイア卿」


 クラインが礼を言った二人は、それぞれ白髭を蓄えてた老人と、金髪黒目の青年。


 キトンという白い布を身に纏った男が、万学の祖――哲人・アリストテレス。


 もう一人の青年が、かつてセレスティアにて「アレックス」という名で冒険者をしていた男――エンテレケイア。


 二人はこの度の革命に傭兵として参加している戦士だった。


「ほんのついでだ、礼などいらぬ。……それよりも、エンテレケイアよ。王女殿下の精神魂(ガイスト)複製(コピー)を急げ。それこそが力の根源だ。この骸は器に過ぎぬ」


「は」

 

 アリストテレスの指示を受けたエンテレケイアは、剣を鞘に納め、その目で王女の御魂を探していく。


 夜の闇は深く、雨風が冷たいカルディア森林の奥地で――


 ――この日、第一王女セレナ・セレスティアと、その侍女アウローラ・ラディエルが暗殺された。


 革命は失敗しなかった。勇者は現れなかった。月神は間に合わなかった。この世界は、すべてが手遅れだったのだ。


 この二人の死を機に、革命の趨勢は決定的なものとなった。その後は覆すことのできない大きな革命の流れが、セレスティア全土を覆いつくしていった……

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