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七話   努力家の夜

 食後はこの世界の本――不思議なことに言語は日本語とほとんど同じだった――を読んでだらだら過ごし、風呂を済ませた後、就寝準備。


 部屋は少女と同室……なわけはなく、新しく一室借りてそこでしばらくは暮らすことにした。

 そもそもは少女を介抱し家に帰した後、自分で使おうと思って一週間借りていたわけだが……なにぶん記憶喪失という特殊な状況下だ。

 御魂の傷のこともあるし、そのままこの世界の人間に引き渡すのは何か良くない気がする。


 ということで少女はそのままで、隣の部屋に俺が泊まり……そしてなぜかそのまた隣の部屋を借りたのが、召喚士さん。


 外の魔灯篭が消えているのを見るに、もうかなり遅い時間なんだろうが……まあいいだろう。召喚士さんに宿屋を利用した理由を訊きに行こう。


 廊下に出て、真隣のドアをノックする。


「俺だ」


 ノックしてから気づいたが、そもそももう寝てる時間か――

 などと思っていると、


「勇者様? どうぞ」


 召喚士さんの声が、ドア越しに返ってくる。

 まだ起きてたか。


「邪魔したか?」


 部屋の明かりはすでに消されていて、中はしんと静まり返っていた。

 薄暗がりの中、キャンドルランタンの灯りに照らされた仄明るい一角がある。


 そのランタンの置かれた机に向かって、召喚士さんは何かの本を広げていた。


 入浴も済ませ、夜も深まったこの時間の召喚士さんは寝間着……ネグリジェ姿だ。

 その絹みたいな薄い布にかかる、透き通るような白髪の、美少女。 

 

 ここが墓地か遺跡だったら、世界三大美女のいずれかの幽霊を見たのだと信じてしまいそうになるほど、この召喚士さんは幻想的で儚げな居住まいをしていた。


「いえいえ。寝るのはもう少し後になりそうですので」

 

「そうか。……なにしてたんだ?」


「魔法学の本を、少し」


 本を覗けば、そこには魔術の解説が、魔法陣などの図式で示され細かく書かれてある。

 昼のことと言い、勉強熱心だな。召喚士さんは。


「勇者様こそ、こんな遅くにどうしたんですか? 夜這いなら大歓迎ですよ」


 寝る前なんだから当然と言えば当然なんだが……今の召喚士さんは、日中とは変わって落ち着いている。

 これで発言さえ色欲にまみれていなければ、文句ない美人だと言い切れたんだが……


「なんでエロギャグ路線目指しちゃったかなぁ」


「……勇者様は、なにが不満なんですか? 私、そんなに魅力ないですか……? 普通、女性がこれだけ熱心に言い寄ってきたら、折れるのが男性なんじゃないんですか?」


「いや……そりゃ確かに召喚士さんはかわいいと思うし、正直すごく好みなんだけど……」


「えぁ、きゅ、急になに言い出すんですかっ……!」


「だが、俺は自他共に認める純愛厨なんだ……」


「……ぇ、はい?」


 あと処女厨だ。

 意気揚々と購入したエロゲのヒロインが非処女だったことが判明し、学校を一週間ほど休んだことがある。

 ショックを受け、高熱を出してしまったからだ。中史(なかし)の御魂は強固で、生まれてあの方熱なんて出したことなかったから、両親をひどく心配させてしまったのを覚えている。


 俺は理性的な男だったから、ディスクを真っ二つにしてゲーム会社に送り返すようなことはしなかったが……。


「だから俺に迫る理由が『初めて召喚した強い人だから』なんていうビッチとは付き合えないんだ! 証明終了、Q.E.Dィッ‼‼」


「私には勇者様の声が大きくなる瞬間が全く掴めません…………というか今、なんだか謂れのない悪口を言われた気がするんですけど」


 横文字は通じなくとも、そこに刻まれたバッドイメージは伝わったらしく、召喚士さんが眉を顰める。


「勇者の権利を濫用して召喚士さんを……って言うのは、俺の矜持に反するんだよ。本人の同意があるならまだしも、それじゃ強姦と変わんない」


「同意あるんですよ話聞いてましたか?」


 ジト目で睨んでくるが……

 それでも、異世界で召喚士さんと子供をこさえるつもりはない。

 

 それに……


 今の召喚士さんへの主張とは全く異なる、別の理由が召喚士さんを拒んでいる気もするんだ。

 召喚士さん……というよりは、女性そのものを、か。

 

 それが一体なんなのかは俺にも分からないんだが……

 時々、こういう感覚に陥る時があるんだ、昔から。


 少しでも女性と親しくなると、その先に進むのを御魂が阻むような……そんな感覚。

 自制心と言うのも違う何かが、度々俺の行動を制限しにかかる。


 何も身に覚えがないんだとすると……その答えが眠っているのは恐らく、俺の失われた記憶の中だ。

 小学生の頃の出来事に、女という生き物から俺を遠ざける理由があるんだろうか。


「はあ……美少女ちゃんのこともあるからここに泊ったんですけど……その間に勇者様を篭絡するのは無理そうですね……」


 俺が自身のことについて考えを巡らせていると、召喚士さんがそんな独り言を零す。


 なるほど。


「召喚士さんはあの少女が心配でこの宿を利用したのか」


「そうですよ。勇者様も同じじゃないんですか?」


「俺の場合は住むところがなかったからっていう方がメインだけど。…………まあ、俺はそれを訊きに来ただけだから」


 そろそろ退出する、と言外に告げる。


「そうだったんですか。じゃあ……私はもう少し勉強するので」


 本で顔の下半分を隠して、目を細める召喚士さん。

 

「…………」


 正直、「セ○クスしましょう!」などとダイレクトに言い寄られるよりも、こういう細かい仕草を所々で挟まれる方が童貞の俺には効くんだが……


「……どうしたんですか勇者様?」


 こっちは、本人は無自覚なようだ。


「なんでもないよ。……それより、それは魔術の本だったな。俺、この世界の魔術ってどんな種類のものがあるのか、まだよく分かってなくて……」


「それは……勇者様、まだ眠くないんですか?」


「実は、ちょっと」


「分かりました。では、私が勇者様にこの世界の魔法について教えて差し上げます」


 召喚士さんは本の初めの方の頁を開いて、指さししながら説明をはじめてくれる。


「まず、私達の世界では……主に自然の力を再現する火・水・土・風と、天候を操る空の、合わせて五つの魔法が使われます」


 そこは五大元素魔法……テンプレ通りか。分かりやすくていいことだ。


「そして魔法の威力や発動に必要な魔力量、魔術式の複雑さなんかによって、初級、中級、上級の三つに分けられてます」


 階級を言うごとに開いた手の指を折っていく召喚士さん。

 俺は残った薬指と小指を見て、首を傾げる。


「その三つだけか? なろうだと、その上に帝級だとか超級だとか、自然災害レベルの魔法が存在するものだけど」


「上級よりも強力な魔法は、確かに存在します。ですがそれだけ強い魔法となると、万人が使えるほど汎用性の高い魔術式で使用するのが難しく……」


「体系化する以前に、その魔術を開発した魔術師限りで失われてしまうわけか」


 これに似た現象は、俺の世界でもままある事だ。


「勇者様の使う魔法も、その分類ですよね。自分で作ったんですか?」


「いや、開発したのは鎌倉時代の古い先祖だよ」


 俺がこの世界で使った《月降(つきおろし)》や《呪々反射鏡(まそみかがみ)》、《稀月(きづき)》なんかの魔術式も、実は共通の先祖の御魂の形質を受け継いだ中史の人間にしか扱えない、『始祖体系式』という種類に分類される特殊なものだったりする。

 

「それに普通の魔術師は、そもそも上級を御するだけで精一杯なので、それ以上を望むこと自体が稀なんですよ……」


 ため息を吐いて、落胆のポーズをとる召喚士さん。


 術口(すいこう)の存在すら知られていないレベルだ。それも仕方ない。


「例えば……見ててください、勇者様。魔術式だけなら覚えたんですよ? 水属性の最上級魔法《水渦極海砲(ノウル・ナヴェレスト)》。――――魔術式を描こうとすると……これだけ多くの魔法陣が可視化されちゃいます」


 召喚士さんが手をかざすと、紺碧の多重魔法陣が展開される。その数はおよそ6つ。

 

 あまりに魔術が複雑だったり、発動に膨大な魔力を要する場合……または術者が未熟な場合に、その魔術式から魔力が漏れ出し、可視化してしまうことがある。

 その可視化した魔術式というのが、この円形の文字盤――俗に言う魔法陣だ。 


 魔術式の可視化は、魔術発動前から相手に手の内を明かすようなものであるため……俺の世界では昔から、この対策には中国の陰陽師や日本の修験者、西洋のエクソシストや魔女など、古今東西の魔術師が取り組んできたものだ。


「確かに、この程度の魔法を行使するのに魔法陣6つは出し過ぎだな」


「やっぱりそうですか……」


 魔法陣を消して、召喚士さんが意気消沈する。


「落ち込む必要はないぞ。これは召喚士さんの技術不足というより、魔術式そのものに原因がある」


 ザっと目を通しただけだが……

 あの魔術式には、粗が目立っていた。

  

 もっと簡略化できるだろう。


「……こんなだったか?」


 俺は召喚士さんが描いた魔術式を、見様見真似で構築してみる。

 宙に浮かぶ6つの魔法陣からは、紺碧の粒子が漏れ出ている。


 俺でもこうなるか。なら確定だな。


「は、はい……これは確かに《水渦極海砲(ノウル・ナヴェレスト)》の魔術式です。……やっぱり、すごいですね、勇者様は……一度見ただけで、最上級魔法の魔術式を覚えるなんて……」


「そんだけキレイに『さす勇(さすがは勇者様!)』してくれると、こっちもイキり甲斐があるってもんだな。……だが重要なのは暗記じゃない。その応用だ」


 言って、6つの魔法陣を重ねつつ、その場で展開した魔術式を再構築し、まとめあげていく。

 やがて魔術式は完全に一つとなり、巨大な魔法陣が浮かび上がった。


「この方が覚えやすいし、楽だろ?」


「あ……あれだけ複雑だった魔術式が、こんなに単純なものに……」


 無駄の多かった魔術式を組み直し、よりコンパクトなものにした。

 この改良で、習得のハードルはだいぶ低くなったことだろう。


「今はお前に見せるためにあえて可視化してるが、これなら魔法陣を消すこともできる。術口の扱いに慣れた魔術師なら、誰でも……召喚士さんでも、魔法陣を見せることなく使えると思うぞ」


「あ……ありがとうございます、勇者様」


 感謝の言葉を告げる召喚士さんだが、その顔はどこか曇っている。

 そういえば、昼間俺が《月降(つきおろし)》を放ったときにも同じような表情をしてたな。


「なにかまだ分からないことがあるのか?」


「え……」


「魔術に関してなら、大抵のことで力になれるぞ。今のうちに疑問は解消しておいた方がいい」


 俺の言葉を聞いた召喚士さんは――戸惑ったように泳がせる。

 が、しばらくすると諦めたか、またため息を一つついてから、


「あまり、魔法とは関係ないことなんですが……」


 と、重々しい様子で語り始めた。


「たまに、分からなくなることがあるんですよ」


 眉を八の字にして、苦笑いする召喚士さん。


「分からなく?」


「例えば、勇者様は、私と違って色々な魔法が使えて……勿論努力もしているんでしょうけど、それでも多分、私なんかよりもずっと才能があるじゃないですか」


「中史の人間だから、多少はな」


「はい。……私がいくら頑張っても手の届かない領域に、易々とたどり着いてしまう。勇者様程ではないにしても、そんな人達が、この世界にもたくさんいます」


「…………そうだろうな」


「そんな人達を見てると、思うんですよ。私の努力も、何もかも、全部無駄なことで……私のしようとしてることも、別に私がそれをしなくたって、いつか他の誰かが通りがけに為し得てしまうんじゃないか、って」


「…………」


「少なくても、私が長い時間かけて覚えた上級魔法を一瞬で習得して、それどころか改良までするなんて……私には到底、できないことです」


 それは、才能ある者へ向けられた――羨望と嫉妬の眼差し。

 俺は幼い頃から向けられ慣れてきた……敢えて低俗な言い方をすれば、それは(ひが)みなどとも言い換えられる類の感情だ。


「今みたいなことが、これからも続いていくんだとしたら、それは少し……」


 それを、召喚士さんは――


「――つらい、かもです」


 真夜中の宿屋。気づかぬうちにキャンドルは溶け、ランプは怠惰にもその役割を放棄していた。


 今は窓から取り入れられた採光、ただそれだけが、召喚士さんの物憂げな顔を朧に照らしている。


「……あはは。ごめんなさい、勇者様。あまり、って言いましたけど……全然関係ありませんでしたね、魔法とは」


 それは空に懸かった、望月の光。


「なんか、おかしいですね……こんなこと、人に話すことでもないのに」


 煌々たる満月の青白い光が、部屋に差し込んでいる。


「柄にもないこと言って、困らせちゃいました。ごめんなさい」


 椅子の上で、自分を抱きしめるように、膝を抱え。


「忘れてください。勇者様には、関係ないことで――」


「そんなことないよ」


 悲し気に目を伏せる、白髪の少女。

 このままにしてはいけない、と思った。


「……勇者様……?」


「召喚士さんのしてることは、何も無駄じゃない」


 ここで何も声を掛けてやれないようじゃ、目の前にいる人一人救えないようじゃ、ダメだと思った。


「召喚士さんが人一倍努力してるのは、この一日、一緒に過ごしててよく伝わってきたよ」


 一つ一つ、断言する。


「俺は、召喚士さんが何のためにそんなに頑張ってるのかは知らないけど」


 勇者として、中史として。


「努力が報われないわけない」


 痛みをこらえるような表情で、召喚士さんは反駁する。


「でも……もし、報われなかったら、って、私は……」


「そんな未来があるなら、変えてやればいい。強く想い願う人間が報われない世界があるなら、世界の方が間違ってるんだよ。そんな世界は変えてやればいい」


 中史時は、言ってやりたいと思う。


「召喚士さんの努力は、絶対に報われる」


「それでも……」


「――それに、召喚士さんは、天才なんだろ?」


「……っ」


 痛みを覚えたかのように、顔をしかめる。

 

 今ならわかる。

 召喚士さんが、執拗に連呼していたその言葉。

 それはきっと、己を鼓舞し、自己を肯定し、前に進むための言葉。 


「俺は、その言葉を信じてるんだぞ」


 それは、ともすれば皮肉と受け取られかねない言い方だ。


 召喚士さんからすれば、自分の才能不足に懊悩している時に、その才能を持つ俺に、天才などと呼ばれることは。

 捉え方次第では、最大の侮辱に値するだろう。


 ――それでも、


「……そう、ですね」


 召喚士さんは折れなかった。


「その通りです……勇者様の、言う通りですよね」


 誰よりも勤勉に、勉強に励み。


「努力が報われないなら、世界の方が間違ってる、ですか……」


 誰よりも強い心を持つ彼女は――


「それなら、一層努力しないわけにはいきませんね」


「……そうだな」


「なんたって、私は天才ですからね!」


 胸の前で拳を握り、勇ましい笑顔でそう言うのだった。


 ……ああ。


「召喚士さんは、そうやってアホみたいに意気込んでる方が似合ってるよ」


「アホみたいは余計だと思います今とても良い雰囲気だったのに!」


 一息のうちに捲し立てて、彼女はもう何回目か分からない嘆息をする。


「……やっぱり、今日のこの話は忘れてください。じゃないと私、恥ずかしくて、明日から勇者様のこと、まともに直視できないと思います……」


「善処はするが……」


 無理だ。


「お願いしますよ?」


「まあ努力はする。多分その努力は、報われないだろうけどな……」


「勇者様っ!」


 割と強めに(はた)かれて、俺はドア付近まで避難する。

 このまま退出するか。


「……じゃあ、もう寝るよ」


「はい。明日からはまた、元気溌剌ですね!」


 召喚士さんは、後ろ手を組んで、にっこりと笑う。


 そうして俺たちは、最後に一日の終わりを告げる挨拶を交わした。


「……おやすみ、召喚士さん」


「はいっ、おやすみなさい、勇者様!」

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