十二 吾が念ふ情 安きそらかも
エピローグです
そこに立つ少女は、白の薄いワンピース一枚を身に纏った、ラフな姿で。
ほっそりとした体躯の、贔屓目抜きにしても美しい容貌をした佳人であった。
しかし彼女を語るにおいて、特筆すべきはそこではない。
色素の薄い白皙の肌に、透き通るような白髪。比喩ではない意味での細い白眉。
頭からつま先まで、全身を透明感のある白にて包み込んだ彼女は、いわゆるアルビノを患っていた。
アルビノ患者の常として、妹は生まれつき視力が弱かった。通常なら医術的アプローチによって矯正されるそれだが、幸いにして我が家は魔術師の家系。妹は魔力を効率よく目に送ることによって、視力を矯正している。
だから妹は、新雪に垂らされた一滴の血痕のごとくに、とても目立つ緋色の目をしている。魔素とでも呼ぶべき粒子が目に蓄積し、変色したものだ。サグメも似たような色の目を持つが、妹のものはそれよりいくらか明るい色合いをしている。
緋色の目を持つ、真白の少女。線が細く、儚げな見た目をした彼女が――
「紹介しよう、我が妹だ」
「どうも。お兄ちゃんの妹でーす」
「どうしましょう、自己紹介されたはずなのに情報が一つも増えませんでした……」
――鮫水陽。正真正銘、同じ血の通った実妹であった。
「水陽ちゃん、ですね。私はタマヒメ――珠代といいます。よろしくお願いしますね、水陽ちゃん」
「………………」
ぺこりとタマヒメが頭を下げるも、水陽は黙ったままだった。
「えっと……よろしくお願いします、水陽ちゃん……」
「………………」
水陽は依然、仏頂面のままだ。
「あの……よろしく、お願いします……」
「は? いやお前誰」
三度目の正直、ついに水陽は反応を示した。
だがなにやら、その感触は芳しくないようだ。
ここは、僕から説明した方がよさそうだ。
「急なことで悪いが、タマヒメは今日から我が家で暮らすこととなった」
「え、タンマ」
「最初のうちは慣れない生活に苦労するかもしれないが、水陽も協力して――」
「いやいや待って。タンマタンマですお兄ちゃん」
疑問点でもあるのか、水陽が僕の話を遮る。
「む? どうかしたか?」
「どうかしてるのはお兄ちゃんの方だけど……そもそもなんで私がこいつの居候を許可する前提で話進んでんの? 私はいきなりお兄ちゃんの彼女らしき人と……人? ……あれこの感じ、こいつ人じゃないよお兄ちゃん。なんかヤバい御魂してるよ?」
「玉日女命。女神だ」
「………………まあそれはいったん置いといて」
扱いきれない問題については保留する方針らしい。
「仕切り直すけど――私はいきなりお兄ちゃんの彼女らしき神と同棲しなきゃいけないってこと?」
「無論だ」
「え、イヤだけど」
「……?」
「イヤですけど」
「ふはは、我が妹よ。相も変わらず、お前は冗談を言うのが不得手だな」
「本気と書いてマジと読みますけど!」
「なん……だと……」
「ここそんな意外そうな顔するところか?」
「なんだか背景が真っ白です……」
これは演出だ。
「えーこの気持ちわかんないかなぁ……。んじゃあ例えばだけど、私に彼氏がいたとするじゃん」
「そんな相手がいるのか!?」
「いやだから例え話だっつってんだろ耳なし芳一か?」
この瞬発力を生かせば、妹はいいスプリンターになれそうだった。
「それで私がさ、ある日突然彼氏家に連れてきて『今日から彼とここで一緒に暮らすからよろ~』とか言い出したらお兄ちゃんどうする? 処すでしょ処すよねだから私も今同じ気持ちなんだよ」
「僕のことを妹だと思っているのか?」
「処すぞ……!」
水陽は緋色の目を大きく開いて怒りを露わにしていた。
「ふふ……」
「あっ笑ったな――!? 『さっきから処す処す連呼して処女アピールかこの喪女が』と嘲笑いやがったな無銭宿泊売女がァ‼」
「ああいえ……ただ、微笑ましいやり取りだなって……!」
「その余裕クソムカつく!」
「そうカリカリするな、水陽」
水陽は基本的に、初見のものにはとりあえず噛付いて反応を確かめるタイプだった。
「なんかお前さっきから清楚ぶって笑ってるだけだけどさぁ、それでいいの? お兄ちゃんと一緒に暮らすとか。ぶっちゃけこの兄ちょっとおかしい人だよ? もしお兄ちゃんに脅迫されて連れてこられただけなら一緒に警察行こ?」
「これは二人で決めたことだ。そうだろう、タマヒメ?」
「はい、水遥くんはかっこいいです♡」
「あっこの女洗脳済みだ……この場でまともなの私だけなんだぁ……」
すべてを悟ったような顔で、肩を落とす水陽。
「ふっ……まともなままでは、恋などできないからな――」
「なんで誇らしげなんだこいつ……」
「恋愛のためなら正気を失うことも辞さない水遥くん、素敵です……!」
「そんな君はさらに素敵だぞ、タマヒメ」
「~~っ♡」
「――――――《かつて王と呼ばれし者》」
死んだような無表情で魔術を放つ妹。
この家くらいなら軽く吹き飛ばせる衝撃波が襲い掛かる。
「《大鏡》」
僕は被害がでないよう、それを受け止めた。
「人様に向けて魔術を使うなと、普段から言っているはずだぞ、水陽」
「この女は人様じゃなくて神様だからいいの! おいコラ美神局、お前うちの敷居跨いどいて無事でいられると思うなよ――!!」
ガルルルルルル――猛犬のように威嚇する水陽。
「我が家は魔王城かなにかか」
「私が魔王だ覚悟しろ女神! 人間を無礼るな!」
最終決戦にでも臨むのかという勢いで叫喚する、魔王なのか人間なのか分からない水陽だが――
「はいっ、これからたくさん一緒に遊びましょうね、水陽ちゃん!」
「ああ私この女生理的に無理! 絶対殺す! ――《真なる不滅の永遠環》!」
タマヒメは水陽が自分と遊びたがっているのだと理解したらしい。が、その能天気さがむしろ水陽の逆鱗に触れたようだ。
水陽が叫ぶと、周囲に水色の魔法陣がいくつも展開される。
「【第一術式】承認――【降神儀式】行使――《破滅の…………あ痛っ!」
ポコッ。
いつまでもだらだらと魔術式を構築している妹の頭を、軽く叩いてやる。
「その非効率な魔術式は改善しろと、いつも言っているだろう」
「うぅ~……だって日本の魔術ダサいんだもんっていつも言ってるじゃん! 詠唱もないし漢字ばっかりで! そもそも日本語がクールじゃない!!」
我が妹は、魔術師でありながら中二病という、少々変わった人種だった。
「そのように悠長に詠唱していては、敵の不意打ちを防ぐこともままならないだろう」
「そうやって実用性を突き詰めていった結果が今のクソダサジャパンなんだよ! 他になにも誇るものがないから苦し紛れにクールジャパンとか言ってこれまで散々バカにしてたアニメ文化に頼る始末‼ 恥ずかしくないの⁉︎」
「でも日本には四季がありますよ?」
「記紀にすら載ってないマイナー女神は黙ってろ! ――――あっ。……これはあくまで一意見であり、神様への誹謗中傷や、その神位を貶めようという目的による発言ではないことをご了承ください」
一体なにに怯えているのだろうか。
「だいたいお前が今使おうとしていたのは、《八岐大蛇》だろう。なんなのだ、《真なる不滅の永遠環》とやらは」
「蛇だからウロボロス」
妹の思考回路は不良品のようだった。
「いやまあそんなんどうでもいいんだけど」
「お前が始めた物語だろう」
「私はそもそもさ、お兄ちゃんが女連れて来たってのが、まず信じられないんだけど……」
水陽はタマヒメに不審な目を向ける。
「お前……珠代、だっけ? 珠代はお兄ちゃんのどこがいいのさ」
「……ぽー……(水遥くんかっこいい……♡)」
「ダーメだこいつ話聞いてねぇや」
真面目に対応するのが馬鹿らしくなったか、妹がずんずんとタマヒメに近づいていく。
「……ぽー……」
なにやらこちらを見てぽーっとしている(?)タマヒメの顔の前で手を振りながら、水陽は訊ねる。
「もしもーし? 聞こえてますかー? 自分のお名前分かりますかー」
「……鮫珠代……」
「お兄ちゃんこいつ変だよ」
「その通り。タマヒメは今、懸命に“変”わろうとしている時期なのだ」
「それ明らかに間違った方向に変化してない……?」
水陽が若干引いていた。
たしかにここ数日で、タマヒメは少し変わった。
前よりも少々、積極的になったかもしれない。
少しずつではあるものの、姉の死と向き合い、その悲しみを乗り越え、前に進むことができているのだろう。
だというならば、水陽のそのような反応も、仕方がないのかもしれない。
「他者の変化をすぐに受け入れるというのは、なかなか容易なことではないからな」
「ううん違うのそういう高いレベルの話じゃないんだよお兄ちゃん」
「ほう」
「いやだってほら……あれ見てよ」
水陽が「なんで分かんないかなぁ」というような顔をしながら、タマヒメを指さした。
「『中史』に戸籍作ってもらうときは、鮫珠代にしよう……そうしたら見た目的に、私は水遥くんの妹で、水陽ちゃんのお姉ちゃんです。それなのに恋人になるってことは……ダ、ダメですそんなの、国津罪に問われちゃいますよ――み、水遥お兄ちゃん……。……きゃあああああ!」
「ねぇ変でしょ」
「清純な生娘が羞恥に頬を赤らめるその姿。そこに秘められているのは“希望”である。エヴァ・プリマ・パンドラ――かつてパンドラであったエヴァが抱きし壺に残った、最後の希望。人類がその猿臂を伸ばしながらも、ついぞ届くことのなかった未開の境地へと、僕はこれから踏み入るのだ。かつて玉日女であった珠代の持つ、壺の中の希望へと――!」
「しまったお兄ちゃんはもっと変だった……!!」
水陽は頭を抱えた。
そこで僕はいったん観念の世界より舞い戻り、タマヒメの言っていたことについて真面目に考えてみる。よい機会だったので、この場で提案してみよう。
「しかし、そうだな……。冗談ではなく、しばらくは鮫姓を名乗ってはどうだ?」
「…………へ?」
呆然とするタマヒメをよそに、水陽は机に両手をついて声を上げる。
「お兄ちゃんそれ本気!?」
「無論、本気だ」
「えー私ヤだよこいつを尾張一門に加えるの!」
力強くタマヒメを指差して、猛反対する水陽。
水陽はこう言っているが、実はこれは元から決まっていたことだ。
数日前、トキからタマヒメの戸籍作成に関する話を持ち掛けられた僕は、タマヒメに暫定的に鮫姓を与えることを決めた。
すでに方々に話は通しており、後は本人の承諾を貰えばすぐに受理される状態だ。もちろん本人が嫌というなら、断ってくれて構わなかったが……今日の様子を見る限り、問題はなさそうだ。
「不都合はないだろう。今回の事情を知った葛城奏も、喜んでいたぞ。『それって、身内に神様が増えるってことでしょ!? 大歓迎だよ!』と」
「嘘でしょ……!? お兄ちゃん頼むから奏さんに迷惑かけないでよ!? あんな心の綺麗な人他にいないんだからさぁ――!!」
クラスメイトの葛城奏――この間、階段から転げ落ちそうになっていたお転婆な少女。彼女の生まれである葛城家は、古くから尾張氏と深い付き合いのある氏族だ。
「穂積や笛吹からも、すでに承諾は貰っている」
「根回し完璧すぎて私が駄々こねる隙ないんだが!?」
「なぜキレる」
ちなみにこの二家も、尾張氏族に縁のある古い家だ。
「タマヒメは、それでいいか?」
「わ、私が鮫珠代を名乗るって――私が鮫珠代を名乗るってことですか!?」
見事なトートロジーであった。
「落ち着け、タマヒメ」
「落ち着けません! 飛び離れてます! 気持ち的に!」
「そうだそうだ飛び離れてんぞ! オゾン層に穴開く勢いで成層圏突破してやりますわァ!」
「一応言っておくが、『落ち着く』の対義語は『飛び離れる』ではないからな」
「だいたいなんで私になんの相談もせずにそんなこと決めるの!? お前も困るよなぁ珠代!」
「は、はい……そんないきなり鮫珠代になれだなんて……困っちゃいます……」
微妙に意味合いが違っている気がするが。
「やっぱそう思うよなぁ!」
「はいっ。初めて水陽ちゃんと意見が合いました!」
「なんだか私たち仲良くなれる気がするね、ということでお兄ちゃんの妹は私一人で十分! さっさとこの邪魔な女追い出して!」
「話の流れとしては何も間違っていないのが性質の悪いところだな」
どうやら水陽は、本気でタマヒメをこの家に居候させるのが嫌らしい。
「――とまあ、雑談はこの辺にして夕飯を作るとしよう。水陽、今日はなにがいい」
「うぉおい! 私の人生のターニングポイントになりそうな決死の抗議を『雑談』扱いすんなや! オムライス!! 半熟のやつ!!!」
タマヒメもそれでいい――聞いたことがない料理なので楽しみです、とのことだった――ということで、僕は台所へと向かった。
あの二人だけで話す時間も、必要だろうからな。
☾玉日女命☽
水遥くんが厨へと入ったその少しあと、私は外の物見台に立っていました。
見晴らしがいいとは、決して言えません。そこかしらに家屋が建てられていて、少し窮屈です。かろうじて空を見上げればそこには闇夜が広がっていますが、現代の夜は人工の明かりが強すぎて、星はあまり見えません。
それでもなんとか鼓星――後で水遥くんが教えてくれた呼称では、オリオン座というらしい――くらいは見えないものかと、目を凝らしていると――
ガラガラガラ。
「こんな都会じゃ星なんて見えないでしょ」
掃き出し窓を開けて私の横に並んだ――水陽ちゃん。
きめ細やかで輝いてみえる白髪に、絽の絹のような真白の肌。浮世離れした幻想的な純白の容貌のなかで、ただ一箇所のみ文字通り異彩を放つ、唐紅の瞳。
まるで神の使いたる白蛇が人に化けた、蛇女房のようだ――初めて水陽ちゃんを目にしたとき、私はそう思いました。それほど心を惹きつけられる、圧倒的な美を水陽ちゃんは持っていたのです。
これほどの女性を妹に持っていれば、水遥くんが妙に女性の扱いに慣れているのも分かります。
そんな水陽ちゃんに……残念なことに私は、あまりいい印象を持たれていないようです。
でも、それは恐らく私がお兄ちゃんの連れて来た女性だから。
私という個人を嫌っているわけでは、ないと信じたいです。
それならまだ、やりようがあります。好きになってもらえる余地が、あると思います。
水遥くんの妹と、いえ、そうでなくとも水陽ちゃんとは、仲良くなりたい。
だから私はまず話のきっかけとして、先程から気になっていたことを訊ねます。
「あの、水陽ちゃん。この方角からは、どんな敵が攻めてくるんですか?」
「は?」
ぽかんとした顔の水陽ちゃん。……まさか。
「あ、あれ……私また間違えちゃいましたか? ここ、母屋に併設された物見櫓じゃないんですか……」
「んーこいつ何言ってんの? 解説お願ーいお兄ーちゃーん!」
水陽ちゃんは櫓(違う?)の柵に捕まって、ぶんぶんと前後に身体を揺らしながら水遥くんを呼びます。
「その、ごめんなさい。私、つい数か月前までずっと山奥に引き籠ってたので、最近のことは全然知らないんです」
「このスペース見て物見櫓が真っ先に出てくるのは全然『最近』の範疇じゃないじゃんなんで見栄張ったの!?」
水陽ちゃんは、まるで打てば響く玩具のように元気な返しをしてくれるので、一緒に話していて明るい気持ちになれます。
「なんか恐ろしいこと考えてんなお前……」
「え、そんなことは……」
私が否定するも、水陽ちゃんは胡乱気な目を止めてくれませんでした。
「……まあいいか。いいか珠代、一回しか教えないからよく聞いとけよ! ここはベランダ! 洗濯物干したりするところ!! 洗濯ってのは……あれあれ、白妙の衣干すてふ天の香具山!!!」
「せ、洗濯はいくらなんでも分かりますよぅ……」
水遥くんといい水陽ちゃんといい、私の無知をからかって楽しんでいます。教えてくれるのはありがたいですけど、同時にひどいとも思います!
「……あぁでも、そっかー……引き籠ってたって……お前恋山説話のタマヒメなんだね」
「知ってたんですか?」
私からしたら千年以上前にあった奥山での出来事なので、それほど皆さんに知られているものだと聞くと驚いてしまいます。
「魔術師が日本について詳しくなきゃまずいからね。その手の家系のやつなら、山幸海幸の神話の類型として七歳でも習うよ。……でもそれなら、お前とお兄ちゃんの馴れ初めもなんとなく想像つくわ。あれでしょ、お前がうじうじ悩んでヘラってたのを、お兄ちゃんがほっとかなかったんでしょ?」
「う、うじうじ……そうですけど……」
自覚していたことではありますが、改めて他人からそうだと指摘されると、こう、重いものがあります。
「お兄ちゃん優しいからなぁ。目の前に困ってる人がいれば、誰彼構わず助けようとすんだよね。お前みたいな『私不幸なんです』アピール全開の女見つけたら、無視するわけないよねー」
そう語る水陽ちゃんは……うっとりとした眼差しを、どこか遠くへと向けます。
私は思ったことを、率直に伝えました。
「水陽ちゃんは、水遥くんが大好きなんですね?」
「え? ――だってお兄ちゃん、めちゃくちゃイケメンだし高身長だし頭良くて運動出来て魔術師としても超優秀で天才なのに努力も欠かさないストイックな性格だし誠実で思い遣りがあるけどたまにいじわるで子供みたいな無邪気な面も見せてくる完璧人間じゃん。あんなん好きにならない方が難しいだろj k」
「は、はい……そうですね……」
怒涛の勢いで捲し立てられ私は何とも言えない気持ちになっていましたが――というよりも、そういう意味での『大好き』ではなかったつもりなんですが――水陽ちゃんは気にせず続けます。
「――だからお兄ちゃん、昔からモテてさ。中学の頃なんて、同じ学区域じゃ知らない生徒はいないくらいの人気もあってさ、他校の女子が放課後わざわざお兄ちゃんの中学まで告白しに来たこともあったなあ」
想像もしなかったことですが、想像しやすいことでした。
あんな素敵な人、他の女性が放っておくはずありません。
「でも、あの頃お兄ちゃんは恋愛とか興味なくて、一人も彼女作ったことなかったんだ。だからある時私、訊いたんだよね。なんで彼女作らないのって。……そしたらお兄ちゃん、『今は、できるだけ水陽と一緒にいたいのだ』ってさ。すっごく恥ずかしいこと、馬鹿みたいに真面目な顔で言うんだ」
「あ、それとても想像つきます。自然体であれだから、むしろこちらが困っちゃうんですよね」
「……うん。でも、お前に向ける言葉とは、あれはちょっと違うよ。あの言葉にはなんの含みもなかった。それは、すぐにわかったよ。兄妹だもん。きっとお兄ちゃんは、あの時の後悔からまだ立ち直れてないんだなって。それを分かってる上でなお喜んでる自分が、心底浅ましくて……イヤだった」
当時のことを思い出しているのでしょう。陰鬱とした表情で、水陽ちゃんは湿度の高い夏の夜空を眺めます。そのままこてんとこちらに目を向けては、
「まーそんなお兄ちゃんも、今やどこぞの女神にご執心なわけですよ。人って変わるもんだなぁとか適当な常套句じゃ流せないくらいの大ショックで、私は今絶賛傷心中ー」
ベランダの手すりに突っ伏す水陽ちゃん。
そうして彼女は耳を澄ましていなければ聞き逃していただろうというほどの消え消えとした声で、誰にともなく呟きました。
「ずっと――私だけだと思ってたんだけどなぁ」
この時、私は思い始めていました。――水陽ちゃん、ちょっと色々拗らせてる面倒な子なんだな……と。
それは決して馬鹿にしているわけではなく……言うなれば、負の親近感でした。
「なんだか、水陽ちゃん……少しだけ、私に似てますね」
「は? 安易な共感発言ほどムカつくものもないんですけど? とりあえず共感しとけばいいってかぁ? おぅおぅ女の悪いとこ出てるぞカマトト女神がよぉ~」
「はい、私もムカつきます。そうやっていつの間にか事実と離れて、どんどん悪い方に物事を考えていく自虐趣味的な性格とか。なんでも勝手に自己完結する、思い込みの激しいところとか、私に似ていて、大嫌いですよ」
「…………っ」
水陽ちゃんが顔を顰めます。これまでの私の印象からは想像のつかないような言葉に、たじろいでいるようです。
「それなのに水遥くんは、許してくれちゃうんですよね。変われって、成長しろって、どうしようもないわがままな私たちのことを、泥沼から引っ張り上げようとしてくれるんですよね」
「……よく、分かってんじゃん。そうだよ。お兄ちゃんはどんなにダメな私でも、見捨てずに成長のチャンスを与えようとしてくれる。でもこっちからしたら却ってその手を掴みづらい! だってそうでしょ? こっちが勝手に拗らせて、お兄ちゃんを困らせてる側なのに! なのになんで本人に助けてもらえるの!? どんな顔して助けてもらえばいいの!? そんなのおかしいだろ! こっちは怒りに任せて一発くらい殴られたって理不尽だと思わないくらい、迷惑かけてる自覚あるのにさぁ!」
まるで、昨日までの私を見ているようだった……なんて上から目線での物言いは、まだできません。依然として私は臆病なままで、大事な決定を先延ばしにし続けている身には変わりありませんから。
でも――
「でも、だからって差し伸べられた手すら掴めなくなったら、それこそおしまいだと思います。どんなに惨めでも、どんなに情けなくても、それが今の自分だって受け入れて、水遥くんの手を取らなきゃダメなんです。……今はまだダメダメな自分だからその手は取れない、いつか完璧な自分になって、水遥くんが心配する意味もなくなった頃、なんの気負いもなく水遥くんの隣に並ぼう――そんな風に思ってるうちは、一生変われません」
二千年の停滞から、水遥くんは掬い上げてくれた。私に手を差し伸べてくれた。最初の一歩すら満足に踏み出せなかった私に、勇気をくれた。
「私もまだ……その手を掴みかけている途中です。私は、できることなら……水遥くんのもう片方の手が、水陽ちゃん。貴女と繋がっていたらいいなって、思います」
「…………お前、は……」
ゆっくりと、顔を俯かせた水陽ちゃんは。
「あー。……あああああ! もうッ! ――おい珠代!」
突如その白の透きとおるような髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにして、それから私の名前を呼びました。
「正直私は、お前なんかお兄ちゃんとは全然釣り合わないと思ってる! 本来なら住む世界が違うところを、超超超優秀なお兄ちゃんが想像もつかないような苦労の末に作り上げた奇跡的な繋がりの上に、お前がタダ乗りしてるようにしか見えない! けど!」
水陽ちゃんが私を指差す。暗い夜のベランダで、白魚のような指先の細かな震えまでがよく見えた。
「けど、だからこそ……お前はお兄ちゃんを、精一杯幸せにしろ。そして、精一杯幸せにされろ。それくらいはしろ。じゃなきゃ許さない」
「水陽ちゃん……」
悲しさと、妬みと、辛さと、恨みと、憎さが混沌とした唐紅の瞳が揺れている。私を祝福しようだとか、歓迎しようだとか、そんな気持ちは一切見受けられない。私を思いやる気持ちなんて微塵もないのだろう。少し違うかもしれませんが、恋敵のようなものなんです。仕方がありません。
でも……どうしてだか、嬉しかった。
水陽ちゃんが、玉日女としてでもなく、珠代としてでもなく、目の前にいる私を、ただ認めてくれた気がしたから。
彼女の言う通りだ。私はまだまだ、水遥くんには釣り合わない。神の座に胡坐を掻いた、分不相応な臆病者でしかない。
それでもいつかは……水陽ちゃんがその先まで認めてくれるような女性になろうと、この時確かに決心しました。
……ただ、それはそれとして言っておかなければならない気がしたことを、私は口にします。
「あの……私たちまだ付き合ってないんですけど、それでもいいんですか……?」
「はぁあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
ガラガラガラ――ドン、ドタドタドタドタ――!!
「ちょっとお兄ちゃんどういうこと!?」
☾鮫 水遥☽
なにやら廊下から物凄い足音がすると思い振り向くと、そこには息を荒げた水陽がすさまじい形相で立っていた。
「落ち着け、水陽。夜に大声を上げるのは、近所迷惑だぞ」
僕は冷静に窘めたつもりだったのだが、
「そんなことよりお兄ちゃんまさか付き合ってもいない女を家に連れ込ん」「ん? なーみずはる、この女誰だ?」「ぎゃあ二人目エエエエエエエェェェェェェッ――!!」
水陽は――背後から僕にぎゅっと抱き着いているサグメを見た途端、ひっくり返ってしまった。
「僕の妹の、水陽だ。仲良くしてやってくれ」
「妹か! 任せろみずはる、あたしは妹の扱いは珠代で慣れっ子だからな。大好きなお前の妹なら、絶対仲良くなれ――」
「おいおい誰ですかはこっちの台詞だわちんちくりん! そもそもお前私に許可取らずにこの家上がりやがって立派な不法侵入だらあ! ぜってぇ許さへん! ぶっ殺してやる!!」
「――仲良くなれないかも。ごめんな」
再起した水陽に地元の方言混じりの暴言を吐かれ、サグメはしょんぼりとしてしまった。
「そう落ち込むなサグメ、君は悪くない」
僕は気落ちしてしまった彼女の頭を、できる限り優しく撫でて慰めた――のだが、それが水陽の怒りの火に油を注いでしまったらしい。
「うわよく見たらお前も女神じゃんなんなの女神ってそんな面食いなのそれともお兄ちゃんがかっこよすぎるのがいけないのぉ!? もうよく分かんないけどとにかくかかって来りぃよ褐色ロリ女神ィ!!」
天尾羽張の影打ちまで取り出して、臨戦態勢の水陽。
「みずはるの妹、元気な奴だな」
「普段はもっと大人しいのだがな。君たちが来て、はしゃいでいるのだろう」
「お兄ちゃんのその対応一番おこれる!」
……その後。
この褐色ロリ女神はサグメと言って、彼女とも浅からぬ縁ができた故この家に居候させることになり、先程水陽とタマヒメの二人がベランダで話をしている間に窓から侵入してきたこと、別にサグメと恋愛関係にあるわけではないこと、そもそもタマヒメとも付き合っていないこと、そうなった事情を水陽に伝えた。
「……なにその変な関係」
「尤もだ」
僕は深く頷いた。
「そんなわけで、あたしは天探女だ。よろしくな」
「誰がよろしくするかこの女狐が――ってストレス発散がてら怒鳴り散らしたいところだけど、さすがに二人目ともなると駄々捏ねる気にもなれないわ……はいはいよろしくねー」
ガシガシガシ、と水陽はサグメの頭を雑に撫でまわした。
「わっ、や、やめろ、髪がぼさぼさになるだろ……! なんなんだっ、無神経に頭撫でてくるのは鮫家の遺伝なのかっ!?」
手を振りほどき、僕の背後に隠れて水陽への警戒心を露わにするサグメ。……ふむ。髪がぼさぼさになる、か。
「君は出会った時はほとんど巨大な毛玉のような毛量で、髪のケアなどしていなかったはずだが……なにか心境の変化でもあったのか」
「えっ!? そ、それは……えっと、えっとな……言えないような理由、だ」
サグメが深紅の目を僕へと向ける。微かに揺れるの瞳に映っているのは、信頼と不安の感情だった。
その言葉は普通ならば、本当の理由を言いたくないからはぐらかそうとしているやましい言葉にしか聞こえない。
だが、違う。
僕はサグメという女神を、知っている。
だからその言葉の内奥に潜むものを、斟酌してやることができる。
「君のそういう素直なところが、僕は好きだぞ」
「そっ――」
言いながら、サグメの乱れた黒髪を、手櫛で梳いてやる。
「――そんなこと言われても、全然うれしくないぞっ」
花のかんばせに向日葵のような明るい笑みを湛えて、サグメは反転した言葉にて悪態をつく。
自分の言霊が、相手に伝わる。表層の言葉などではなく、その気持ちが言霊となって羽ばたいて、相手の心に届いている。
それが分かるから、それを信じることができるから、サグメは悪口を言うことを気にしない。
それで悲しい誤解を招くことはないんだと、信じているから。
そうしてサグメが僕を信じてくれるなら、僕はその信頼に全力で報いるまでのこと。
それが、嘘つき女神と嘘をつかない人間が暗黙のうちに下した、一つの結論だった。
「かっちーん」
しかし、それを良しとしない存在がいた。
他でもない僕の実妹、水陽であった。
「なんか今の、ダメです。お互い通じ合ってる感がダメダメです。正直珠代なんかよりよっぽど放っておいたらまずそう。よって排除する」
なにやらジェノサイドモードに入ったらしい水陽。全身から殺気を漂わせて、天尾羽張を脇に構える。
「――きひひっ」
その空気を敏感に感じ取ったサグメは、それまでのほんわかした雰囲気から一変、僕を殺そうとした時と同じ鋭い目で、水陽を睨み上げた。
「――やってみろ、白蛇女」
深き呂色の魔力が、彼女の言葉に集中する――
「サグメよ」
ビクン、とサグメが肩を小さく震わせた。
「な、なんだ? みずはると喋ってると殺意が乱れるから、後にしてくれ」
「そのために話しかけた」
「でも……」
「サグメが力を使う時など、なくていいのだ。君はただ、僕に守られていてくれ。それが僕の願いだ」
「……っ!」
サグメはただでさえ大きな目を更に見開き、その顔を真っ赤に染めてコクコクと頷いた。
「わっ、分かった……みずはるのお願いなら、聞く……」
「今なんでもと言ったな」
「いや、言ってないぞ……?」
「ならば、これからは僕のいる前で神通力は使わないことだ」
「聞こえてないのか?」
「いいな」
「あ……う、うん。それは約束するぞ。その代わり、みずはるがちゃんとあたしのこと、守ってくれよ?」
サグメは眉を逆ハノ字にし、困ったような笑みを浮かべて言った。
「この二人無敵なのか……!? なんで一触即発の雰囲気から三十秒でこの空気作れるの……!」
あとは水陽の方だ。
「水陽」
「てかお兄ちゃん、その女に対してなんか優しくない? 言う必要のない大切なことまで、ちゃんと口にするじゃん。ひいきしてるよ」
ほう、この数回のやり取りを見てそこに気づくか。
「流石はわが妹だ」
「当然だよ。お兄ちゃんの妹だもん」
自慢気に鼻を鳴らす水陽。
「なら、分かってくれ。多少の苦労は掛けるかもしれない。だが、お前が望まないようなことにはならない」
「……お兄ちゃん」
僕は水陽の兄として、水陽の隣にいなくてはならない。なにより僕自身がそうしたいと思っている。
「……お兄ちゃんやっぱ、変わったんだね」
軽く下を向いた水陽は、僕を下から覗き込むようにする。
「そうかもしれない」
「うん。ここ一年間、ずっと変だったけど……今のお兄ちゃん、その前よりずっとかっこよくて、頼れるお兄ちゃんになったよ」
心当たりがあるとすれば、やはり一年前、中史時という人間と出会ったことが大きく関係してくるのだろう。
「お兄ちゃんにそこまで頼まれちゃ、妹として呑まないわけにはいかないね」
水陽はサグメの元に歩み寄り、腰に手をあてて偉そうに言い放つ。
「本当は嫌で嫌で仕方がないけど――サグメ。お前の居候を許す」
「あたしも、みずはるに免じて許してやる」
意外と似た者同士として、馬が合うかもしれない二人だった。
☾玉日女命☽
こんにちは、鮫珠代です。
……鮫、珠代です。
「え、えへへへへへ……」
「……???」
恥ずかしい、とても恥ずかしいです、この名乗り!
だって、そんな……水遥くんと、同じ姓を名乗るだなんて……そんなこと。
それって要するに「僕のタマヒメになれ」ってことですよね!? 水遥くんの……お、お嫁さんに……!
うう……まだ好きじゃないのに。彼女ですらないのに。一足飛びで、花嫁だなんて……! 私は、いったいどうしたらいいんでしょうか!?
鮫姓を名乗るからには、「鮫さん」どころか「水遥くん」呼びですら甘いですよね……でも急に普段から呼び方を変えるなんて、できないから……些細なところから……水遥くんが、学校に行く朝とか、玄関のお見送りの時とかに……
――いってらっしゃい、あなた……
とか!
「きゃあああああああ!!!!」
「…………??????」
できない! できませんよ水遥くん! まだ、まだダメです、それは!
「……??? ……うーん。……お兄ちゃーーん」
「どうしたーー? オムライスなら、もうすぐだぞー」
「お兄ちゃんの生オ○ホがなんかキモイー」
「なんだと? 『ぷにロ◯DX』なら僕の部屋の本棚の下の畳の中の葛籠に保管しているはずだが……」
「ちげぇよお前の彼女のことだよ。いいからさっさとこっち来い」
……そんな、困り果てている私の元に……
四人分のオムライスを載せたお皿を持って、水遥くんが帰ってきました!
「いったいなんだというのだ。……タマヒメ、待たせたな。チキンライスの量はこのくらいで良かっただろうか」
「お、おかえりなさい、あなた……!」
「ああ、僕の帰る場所はタマヒメ、いつも君のところだよ」
「今のクソヤバ文脈無視発言にその返しできるお兄ちゃんは超人かなにか?」
い、言いました! 言っちゃいました! なにか言うべき時を間違えた気もしますが、言えました!
ああ、私、今ならわかります……この、胸が締め付けられるような感覚……水遥くんの顔を見るだけでどうにかなってしまいそうな、この気持ち……
これが、これこそが――
「お? 珠代、久しぶりだな! 二十日ぶりくらいだ」
――と、なにかが分かりそうな気がしたところで、私を呼ぶ声がしました。
その声は、水遥くんから……でも、水遥くんの声じゃなくて……
「サ、サグメちゃん!?」
声の主は、水遥くんにおんぶしてもらっていたようです。サグメちゃんは、よじよじ……と水遥くんの肩に上ると、「よっ」と私に手を振ってきます。
「元気そうですね、サグメちゃん。急に現れて、びっくりしましたよ。水遥くんの背中に隠れて、私を脅かそうとしてたんですか?」
「いや、ずっとみずはるの肩の上から顔出してたぞ……?」
「ごめんなさい、水遥くんしか見えてなかったです」
「え、ん? おー……そうか。珠代……お前なんか変わったな……?」
なぜかサグメちゃんが複雑そうな顔をしていますが、そんなことはサグメちゃんに再会できた感動の前には些事です。
「とにかく、あたしも今日からこの家で厄介になるから、よろしくな」
「そうなんですか? じゃあ、水遥くんも半分こですね!」
「何が『じゃあ』なの……? やっぱこいつ怖……」
「なあみずはる、珠代の攻略方間違えたんじゃねえか……?」
「そんなタマヒメも“最高”ではないか」
「まあ、お前ら二人がいいならいいんだけどな……」
呆れ顔のサグメちゃんを肩に乗せた水遥くんは、テーブルに私たち四人分のオムライスを配膳します。
「でも、またサグメちゃんと一緒に暮らせるんですね。とても嬉しいです」「ちょっと前まではネカフェで一人引き籠ってたのに、どうなるか分からないもんだよなー」「ホントお前らまとめて出てってくれないかなぁ」
そして水遥くんから降りたサグメちゃんは、それぞれ……銀で造られた食事用の道具らしきものを置いていきました。これは……
「匙じゃないですか。これを食事に使うなんて、懐かしいですね。現代ではすっかり箸食が定着したものと思ってました」
「あー……珠代、これは匙じゃなくてスプーンって言ってな……」
またなにか間違えたらしく、私がサグメちゃんに現代知識を教わっている間に……
「この二柱の相手してたら、なんかもう疲れたわ。さっさと食べて寝たい」
「では、そうするか」
食事の準備が、整ったようでした。
私たちは席に座って、手を合わせます。
私と、水遥くんと、水陽ちゃんと、サグメちゃん……
見慣れない組み合わせ。でも、いつかきっと見慣れる組み合わせ。
そんなことを思いながら、私たちは四人、同じ言葉を口にしたのでした。
「「「「いただきます!!」」」」
☾鮫 水遥☽
………………。
…………。
――そうして、我が家に二柱の居候がやってきた。
あれから数週間が立ち、季節は夏真っ盛りである。外は連日猛暑が続いているが、アマテラスの機嫌と無関係であることを祈るばかりだ。
最初の数日こそ、生活必需品の買い出しや、部屋決めなどでトラブルになることもあったが……
今ではタマヒメとサグメも、大分この家での生活に慣れてきたように見える。
「今日も水遥くんかっこいい……好きになりそう……♡」
「さっさとなれや。てかなってるだろ。逆にその態度で好きじゃないは無理あるわ……」
「日々是精進」
「ほらお前が素直にならないからお兄ちゃんが修行僧みたいなこと言い出しちゃったじゃん」
「みずはるは素でああだろ」
「否定できないのが辛いよぉお兄ちゃん……」
「そんな水遥くんもかっこいい……好きになりそう……♡」
「ループさせんなやこの戯け!!」
「あんまり珠代をいじめてやるなよ、水陽……」
水陽と、サグメと、タマヒメと――
三人がリビングに集合している絵面も、随分見慣れたものになった。
なんだかんだで仲良くやっているようで、なによりだ。
「…………」
正直、今のこの歪な生活がいつまで続くのか、予想もつかない。
人と神が共に生きた前例はあまりに少なく、全くの未知とも言っていい。
――しかし、だからなんだというのだろう。
人間は幾度も未知に挑み、進化を続けてきたのだ。
ゆえに僕のすることは変わらない。
僕は、鮫水遥。ただあるがままに、為すべきことを為す。
その果てにいかなる苦難が待ち受けようと、僕は突き進むことを決して止めないだろう。
歩き続けること。歩みを止めないこと。
それは生ける者に課せられた義務だ。
だから僕らは、いつまでも歩き続ける。
『ねえ、あなた――こんな光景、あの頃の葦原の誰が想像できたでしょうね?』
『私のような変わり者を好きになった、どこぞの女神くらいのものだろうな』
『人の身で、畏れ多くもその女神と契りを結んだあなたに、言われたくはないですね』
『一目惚れだったのだ。惚れたものは仕方がなかろう』
『……そういう素直な物言いに、女神はコロッと騙されてしまったんですよ。ばか』
過去があるから未来が存在する。
櫻の木の下には死体が埋まっているのだ。
僕らは生者として、死者の創り給うた道を歩き続ける。
それが今もなお、生者の幸せを願い続ける彼らへの敬意の形であり、自然な弔いであり――
なによりもっとも伝わりやすい、感謝の心であると思うから。
ミズタマのおはなし①、終わり! 次回からまたトキのおはなし!




