九 ちはやふる
タマヒメとのデートからきっかり一週間経ったある日――
「あたしを泊めろ、水遥」
「なんだと?」
「だーかーらー。あたしを泊めてくれ、水遥」
「そんな――僕には君を殺すことなどできないッ!」
「いやそんな『あ、あたしを止めてくれ……お前らを攻撃する前に……!』的な意味じゃねえよ。なんで暴走してんだあたし」
突如として家のインターホンが連打されたので、何事かと思って玄関のドアを開けると……そこには12歳ほどの少女が立っていた。
天界から追放され、地上で暮らすことになった天探女。
ノースリーブワンピースにデニムのショートパンツという、そこらの小学生女児にしか見えないそのスタイルは、地上に降りてから買った服のようだ。自分の持つ強みを最大限に生かした、たいへんに素晴らしい服装である。
あれからどうしていたのか話を聞いたところ、ここ数日は中史から支給された資金で快○CL○Bに寝泊まりしていたらしい。その資金が昨日ついに尽きてしまい、路頭に迷っていたのだそうだ。
「大変そうだな」
「驚くくらい他人事だなお前」
実際他人事なのだ。
「それで、要するに住むべき家がないから、うちに居候させろということか?」
「そうだ。相変わらず話が早くて助かるぜ。それじゃ、さっそく――」
サグメは僕を押し除けて、玄関へと入ろうとする。
「待て。誰が泊まっていいと言った」
彼女の肩を掴み、それを制止する。
「は? なんだ、ダメなのかよ」
「泊まれるところならば、ほかにいくらでもあるだろう」
「ほんとか!?」
サグメが期待の眼差しを向ける。
「ああ。例えば、あそこはどうだ」
僕は近所の雑木林を指差した。
「野宿しろってか! いやだわっ!」
「犬や猫でもできることだぞ」
「できるできないの話じゃねえよ!」
サグメは色をなしてツッコんでくる。
「なんだ、不満なのか?」
「逆になんで納得すると思ったんだよ……?」
存外贅沢なやつだ。
「ではあの場所はどうだ。掛け布団も完備されているから、夜も安心だぞ」
「ん、どこだ……?」
――そこはゴミ置き場だった。
「あたしは粗大ごみじゃねえっ! 夜は安心でも次の日には焼却炉行きだッ‼︎」
「しかし掛け布団が」
「烏避けのネットを掛け布団扱いすんな!」
どうやらゴミ置き場もお気に召さないようだ。
「ふむ、我儘なやつだな」
「あたしそんなおかしいこと言ってるか……?」
僕が断固として家の中に入れようとしないのを見て、サグメは諦めたように肩を落とす。
「はぁ……もういいよ。他あたる」
くるりと踵を返して、サグメが立ち去ろうとする。
「だから待てと言っている。そも、お前にこれ以上あたる『他』などないだろう」
今度はサグメの頭を掴み、彼女の歩みを止めた。
そのまま彼女の頭を攪拌するように揺らしてやる。
「んぎゃっ! あわわわわわわぁっ、揺らっ、すな――阿呆ッ!」
サグメは勢い良く後ろに飛び退いて、無理矢理僕の手を振り解いた。
「――なにすんだよ! ってかなんなんだよ! 泊まらせる気ないなら話はもう終わりだ!」
「いつ、誰が泊まらせないと言った。僕は別に構わないぞ」
サグメはキョトンとした顔をする。
「へっ、いいのか……?」
「なにを驚いている。元より、そのつもりで来たのだろう?」
「いや、そうだけど……てか、それならさっきのやりとりなんだったんだよ」
下から僕を睨み上げるようにするサグメだが、あまり凄みは感じられなかった。
「特に理由などはない。ただ、僕は――君にはいつも悲しい思いをしていて欲しいのだ、サグメよ」
「ただ性格悪いだけじゃねえかッ!」
「――君には、泣き顔が良く似合う……」
「『笑顔が良く似合う』のノリで言ってもダメだからな!」
☽
そういうわけで、サグメが僕の家に居候することになった。
「布団だっ!」
ぽふんっ。
僕の部屋に入ったサグメは、畳に敷かれた布団を見るや否や、その中に潜り込んでいった。
「はふぅ……やっぱりちゃんとした布団じゃないとなぁ……」
ネカフェは寝心地がいいとは言えないからな。数日振りのまともな寝床に、はしゃいでいるようだった。
「遠慮というのを知らない奴だ」
「……うぅん……」
生返事をしたサグメは布団から顔だけ出して、目を閉じてしまう。完全に寝る態勢に入っていた。
「寝るのなら、せめて着替えてからにしたまえ」
「お前は馬鹿かー? 手ぶらのあたしがそんなもん持ってるわけないだろぉー?」
「なぜ僕が馬鹿にされているのだろうか」
「はやく着替え用意しろー」
「……着替えか。部室にいけば、対○忍ユキ○ゼのコスプレ衣装があるが……」
「よく分からないけどそれはなんかやだ」
似合うと思うのだがな。
「……仕方ない。君はここで待っていたまえ」
「ん、あてがあんのか?」
「まあな」
ふーん、とサグメは興味なさげな反応をしていた。それくらいが気楽で、ちょうどいい。
☽
無事寝巻きを入手することができたので、さっそくそれに着替えてもらう。パジャマ姿になったサグメはうとうと、真夏の屋外に数時間放置されたアイスクリームのごとく溶けた顔で、布団に寝転がっている。
「なあなあ、みずはるー」
眠いのだろう、声も心なしか舌足らずだ。
「ふっ……なん、だ……っ」
「それ、なにしてるんだー?」
上半身裸の僕は答える。
「……筋トレだ」
その動作をやめ、サグメの方を向く。
僕が今手にしているのはアブローラー。一般的には腹筋ローラーと呼ばれる、筋トレ道具だ。
僕はこの器具で筋トレをしていた。
「みずはる、それ以上強くなってどうする気なんだ? 神より強いんだから、もう十分だろー?」
ごろごろごろ――サグメは寝返りを打つ。その際に布団を抱いていたので、彼女の身体は布団にくるまり、姿が見えなくなってしまった。
「……魔術の強さは、御魂の強靭さに比例する。そのためには、日々の鍛錬を疎かにはできない」
また、近接格闘に持ち込まれた際なども、やはり筋力は必要になってくる。魔術師だからといって、体づくりをしなくてよいというわけではないのだ。
「まじゅつしとして、最強になりたいのか?」
布団の中から、くぐもった声が聞こえてくる。
「別に、頂点である必要はない。ただ僕と、僕の守りたいと思う人間が脅かされた時、それを難なく打ち払うことができるだけの力。それを欲している。僕が僕であるために、な。そのために、これは欠かせないのだ」
僕はタオルで汗を拭いながら、サグメの質問に答えていく。
ちょうどサグメに襲われた時、その力があったから僕に降りかかる厄災を撥ね退けることができたのだ。無駄な鍛錬ではないだろう。
「そうかそうかー」
ちゃんと聞いているのかいないのか、いい加減な返事が返ってくる。
「みずはるは、守りたいもののために、いっしょうけんめいなんだなー」
ふむ。
サグメはなにやら、他人事のように言っているが……
「今や君も、その一人なんだぞ?」
ビクッ、と簀巻き状になっている布団が震えた。
「っ――……そ、それは、お前を脅かす側として、か……?」
「何を言っている。僕は君のことも、この手で守ってやりたい対象だと考えている。そう言ったんだ」
「~~~~ッ‼」
どたんばたんっ、と巻物状の布団がその場で飛び跳ねる。器用なことだ。
……サグメは女神だ。この世に棲まう生物の中でも、上位の強さを持っている。大抵の害は彼女一人の力で打ちのめせることだろう。誰かに助けてもらったという経験も、あまりないはずだ。
しかし、だからといって最強かと言えば、そうではない。彼女よりも強い存在というのは、確かに存在する。そんな相手がサグメの敵となった時、いったい誰が彼女を守るのか。その時都合よく万能超人が――それこそトキなどが彼女の隣にいれば、それほど幸運なことはないだろう。が、現実はそう上手くはできていない。
だから、僕が。彼女と、浅くとも確かな「縁」で繋がれている鮫水遥が守る。それは合理的というだけではなく、他ではない僕自身の心が、彼女を守ってやりたいと思っているから。
「…………」
ふと、先程までどたばた騒がしかった布団が静かになった。
「なんだ、寝たのか?」
「…………ねた」
「起きているではないか」
「ねたもんは、ねたんだよ」
「……そうか」
本人が寝たと言うのなら、別に、わざわざ叩き起こす理由もない。
そっとしておいてやろう。
「ゆっくり休め。話なら、起きた後でもできるだろう」
「……みずはるこそ、へいきか?」
……それは、予想していなかった返答だ。眠気により、判断能力が鈍っているのだろう。普段のサグメでは絶対に言わないようなことも、今は言ってしまう。
「――」
そしてその言葉の意味するところに、僕は答えることができなかった。
「つらくないのか? くるしくないのか? がまん、してるんだろ?」
舌足らずな、あどけない声でそう囁かれると――
「……それは」
「あたしにいってくれれば……らくにしてやるぞ?」
――理性で耐えていたものが、つい暴発してしまいそうになる。
「それは大変、魅力的な申し出だな」
「なあ……ほんとうにいいのか?」
「……そのような言葉をかけてくれる君と友達になれたことを、僕は、誇りに思うこととしよう」
「そうかー……みずはる。そうだな、あたしとお前、――」
それから先の言葉を、サグメは口にしなかった。
口にすればきっと、その言霊は反転してしまっただろうから。
☽
他にあてがないから僕の家に来た――サグメはそう言った。これは嘘ではないだろう。彼女が僕の家を訪ねてくることは、予想されていたことだ。だからそれ自体に、別段驚きはなかった。
「……ん……むにゃ」
しかし、その来訪が想定していた時期より一週間ほど早い。中史がサグメに持たせた資金の量なら、よほど荒い金遣いをしない限りは、現時点ではまだ宿に泊まる金もないなどということはありえないはずだ。サグメは僕が自分の持たされた金額を知らないと思っていたようだが、僕はあらかじめトキに聞いて把握していた。だから気づけた。
「ぐがっ……すぴー……」
サグメは恐らく、まだ宿に泊まれるだけの余裕があるはずだ。だというのに、わざわざ今日僕の家に駆けこんできたということは――なにかあるのだろう。僕に話したいことが。
「この様子を見ていると、そうとも思えなくなってくるがな」
「ぐー……すー……」
僕の眼下に寝転がっているのは――ひどい寝相で布団から身体がはみ出し、パジャマがめくれて腹部が丸出しになっている幼女。またの名をサグメという。
「もう夕飯の時間だというのにな」
「飯かっ!?」
黒ひげ危機一髪でももう少しゆっくり飛び出すだろうという速度で、サグメは布団から飛び起きた。どうやら「夕飯」という単語に反応したらしい。分かりやすい奴だ。
「初日だというのに、些か居候生活をリラックスしすぎてはいまいか」
「ん? あー、慣れてるからな、他人ん家で暮らすの。高天原にいた時は、ずっとタマヒメの館で寝泊まりしてたし」
なるほど。それでタマヒメがウワバミ草を食んでいたあの日、サグメは彼女の家から出てきたわけか。タマヒメはここの所ツクヨミと自分の家を行き来していたようだから、あの日まで僕がサグメと会わなかったのも頷ける。
「それより飯だ! 腹減った!」
「その調子でタマヒメへの好意も素直に口に出来ていれば、苦労せずに済んだのだがな」
「そりゃ無理だ」
――その後、サグメは白飯を4杯おかわりした。体格の割に、食欲旺盛なことだ。
……では、そろそろ本題に入ろうか。
僕はもう一週間ほど高天原へ行っていない。その間、天界でなにがあったのか。サグメに訊ねるとしよう。
☾中史 時☽
今日は7月4日の土曜日――つまりミズがタマヒメとデートをした日から、6日が経過したことになる。
俺はここ二週間ほど……中史として、ミズとタマヒメの動向を見守らせてもらっていた。
四家の強硬派も、なんとか落ち着いてきたので……そろそろ、俺も俺として動くとしよう。とはいっても、この件に関しては俺、完璧に部外者なんですけどね。漫画化したらモブDくらいの、脇役もいいとこなんですけどね。
「――ツクヨミ、頼む」
そんな詮無いことを考えつつ、俺は横で浮遊するロリ女神――ツクヨミに話しかける。
『任せて』
俺の頼みに対して、快い返答が返ってくる。相変わらず、子孫想いのいい女神だ。
――ツクヨミが、その黄金色の眼を大きく見開いた。
彼女の周囲に、膨大な量の魔力が渦巻いていく。金碧色の粒子は、流れるようにツクヨミの右眼に集っていく。
ツクヨミの左目の色が、徐々に変化していく。
欠けたることのない望月の光のような黄金色から、鮮やかな赤銅色へと――
『《月渡》』
俺とツクヨミを囲む魔力が、激しい光を発し――
――次の瞬間には、俺たちは別の場所にいた。
ツクヨミの神術で転移したのだ。
場所は他でもない――高天原。
あの恋愛キ○ガイは三日で転移の魔術を完成させて自力でここまで来たらしいが、生憎俺にそんな根性はない。普通に偉くて強くてかわいい祖神ロリータに頼るのが、この激動の現代社会を上手く生き抜く賢い在り方なのである。他力本願最強! ツクヨミ、本願じゃなくて神だけど。
「さて……お、いるな」
歩いて探すまでもなく、目当ての人物はそこにいた。
古墳時代の教科書に載っているような居館が設けられたその場所に――その家の主たる彼女は佇んでいた。
――ジャリッ。
俺がそこに近づくと、地面の砂礫と靴裏が擦れて、足音が鳴った。
「――鮫さん?」
その小さな――耳を澄ましていなければ聞き取れないほどの小さな音に敏感に反応したタマヒメが、こちらを振り向く。
「あ、中史さん……と、月読様……?」
「悪いな、ミズじゃなくて」
「あ、い、いいえっ!」
自分の胸の前でぱたぱたと手を振って、否定のジェスチャーをするタマヒメ。たしかにこれは、神とは思えない純情さだ。根は真面目なミズが惚れるのも納得だな。
『じゃあ、此方は遊んでくる』
俺とタマヒメの話が始まったのを見て、ツクヨミはどこかへ飛んで行った。退屈な話はつまらないと言わんばかりだ。ちなみにツクヨミの言う「遊ぶ」は管弦楽を奏でたり歌を詠んだりすること――ではもちろんなく、その辺のちょうちょを追いかけたりすることを指す。
「え、えっと……中史さんは、どうしてここに……?」
タマヒメは、俺がここに来た理由を訊ねてくる。
「いや、大した用事じゃないんですけどね。このままだと、流石にあいつが不憫だと思いまして」
「あいつって、鮫さんのことですか!?」
ものすごい食いつきだ。これは、来た甲斐がありそうだな。
「はい。あいつ、もう一週間も貴女に会いに来てないそうですね」
「は、はい……あの、中史さんは鮫さんから、何か聞いてませんか? 急に姿を見せなくなったので、心配になってしまって……」
心配、か。
都合よく他人を気に掛けるのに、これほど便利な言葉はないな。
「それだけですか?」
「えっと……?」
俺がなにを聞いているのか分からないんだろう、タマヒメは疑問符を浮かべる。だから俺は言ってやる。
「ここに来る前に、與止日女命という神から聞きました。貴女――ミズが来なくて、泣いていたそうじゃないですか」
ヨドヒメ。『肥前国風土記』に見られる、河川神らしき女神だ。
そもそも俺がこんなことをしているのは、今朝彼女からツクヨミに頼み込んできたから。友人が何やら困っているらしいので、助けてやってくれ、と。
そんなヨドヒメ曰く、タマヒメはミズと会えないことを悲しがっていたそうだ。
ここ二週間、様々な伝手から手に入れた二人の情報と、ヨドヒメから聞いた生の事情、さらにミズから中史の持つ資料について貸し出しの申請があったのをを鑑みて……俺は言うべき言葉を選んでいく。
「っ! それは、そのぉ……」
タマヒメは赤面し、小さくなってしまう。どうやら恥ずかしがっているようだ。たしかに異性に会いたくて泣いてしまった、というのは他人には知られたくないことかもしれない。
……だが、求めている反応はそんなものじゃない。
「本当に心配だけですか? その間、あいつに会いたいとか思わなかったんですか?」
いつまでも話が進まないのも面倒臭いので、もうこちらから直接的なワードを口にする。
それは決して的外れな憶測ではないだろう。
「それは……思いました、けど」
タマヒメは渋々、不承不承といった様子でそれを認めた。
ミズから会いにくれば相手をするけど、自分から会いたいと思うほどではない――
俺もアズマも、というかミズ自身も――ミズに対するタマヒメの姿勢は、そんなもんだと思っていたに違いない。
だがヨドヒメの言っていたことが本当なら、その見方は180°変わってしまう。
「じゃあ、どうして会えなかったんですかね」
「そ、それは……鮫さんが、来ないから」
ああ……それはそう。たしかにそうだ。正しい。――だが、それは常に一義的だ。一面的な見方でしかないんだ。
「まあそうですね。一週間も貴女を放っておくミズもミズです。けど――」
一週間相手が姿を見せなかっただけで、泣くほど会いたいと思うなら――そうするのが自然なはずだ。
きっとミズ以外の誰もが思うだろうことを、彼女に告げる。
「――なんで自分から会いには行かないんだ? 天探女のような例外を除けば、神の出入りは自由なはずだろ」
「……っ」
タマヒメの表情が険しくなる。虚を突かれたような素振りは、演技ではないだろう。
「そんなに嫌いなのか? ミズのことが」
「ち、違います! それだけは――それだけは絶対に違います!」
そこだけは、断固として否定したいらしい、タマヒメは前のめりになって、そう主張した。
「じゃあ、どうしてだ? どうしてあんたは待ってるだけなんだ。自分から行動を起こさない」
「そ、それは……」
その俺の質問に、タマヒメは口ごもってしまう。
どうやら未だ彼女自身の中でも、明確な答えが導けていないように思える。
「ミズは優しいから、それでもいいんだろうけどな。俺はあんたに対してなんの感情も抱いてないから、ちゃんと客観的評価をするぞ」
俺は彼女が最大限傷つくように、最大限俺を恨むように、あえてキツイ言葉を選んでいく。
そうすることで生まれた他人への反発心は、やがて自らの姿を映す手鏡となる。
今は心無い言葉を投げかけるべき時だ。
「――あんたのそれは、ただの甘えだ」
「…………っ」
増々、彼女の顔が歪んでいく。
「相手がいつまでも言い寄ってくるから。何度振っても諦めないでいてくれるから、それにつけこんで自分からは何もしない。そのくせ相手がちょっと自分に会いにこないと、それが不満だとして相手のせいにする」
自分で言っていて、偉そうな奴だなと思う。自分が言われたら手が出ているからしれない。
でも、それでいい。それでこそいい。
「ミズの優しさに甘えるのもいい加減にしろ、臆病者」
そろそろ、限界のはずだ。
突然現れた部外者に、タマヒメとは何の「縁」もない俺に、ここまで罵詈雑言を掛けられれば。
どんなに温厚で優しい性格をしていても、我慢ならないものがあるだろう。
「な――なにも知らないあなたに、そんなことを言われる筋合いはありませんっ!」
それをタマヒメは解放する。
怒りに任せて、俺を怒鳴りつける。
「よく分かってるじゃないか」
「え……」
――だが、それで俺が引くと思っている辺りが、口論に慣れていない証拠だな。
タマヒメは自分の怒りを受けても平然としている俺を、困惑と恐怖の入り混じった目で見つめる。
あえてそう振舞っているから、当然だが。
「俺は何も知らない――俺も、他ならぬミズさえも、あんたの事情なんて知らないんだ」
「み、鮫さんには私のことを、ちゃんと――」
「話してるのか? 『恋山説話』や玉姫のことについて言ってるなら、そんなの『話した』の範疇に入らないぞ。あんなのネットで検索かければ三秒で手に入る情報だ」
「それは――そうです、けど……!」
それは本人もわかっているのだろう。
――ミズに対して、言っていないことがある。
隠し事と言ったら大袈裟な、本来なら言う必要もあまりない自身の過去だ。
「つまり、あんたの過去の情報量に関して、俺とあいつにそこまでの差はないんだよ。そんな状態で、俺なら呆れるような状態で、あいつは耐えてるんだ。例え本人にその自覚がなくてもな」
そして……それを全部理解した上で見過ごしているなら、どうにかするべきだ。ミズはこんな強い言葉を掛けれないだろうから、部外者が。
「受け入れるなら受け入れろ。振るなら振れ。きっぱりと」
「きっぱりって……どうやってですか」
「分からないふりをするなよ。昔、和邇相手にしたのと同じことをすればいいんだ。あいつの通り道を塞いで、二度と自分のところまで来れないようにしてやればいい」
ミズに通用するかは別として……
それはタマヒメも、真っ先に思いついていたことだろう。
「でも、そんなことをしたら鮫さんを傷つけてしまいますっ! なによりそれは、真剣な想いをぶつけてくれてる鮫さんへの、裏切りですっ!」
「口頭でなんとなく断り続けられるより、よっぽどマシだろ」
「それはッ……!」
昂った彼女の感情が拳を握らせる。言い返す言葉が見つからなくて、俯いてしまった。
「……今日はそれ言いに来ただけです。これでも俺はあいつの友達なんでね。ちょっと他人の人間関係に土足で踏み入らせてもらいました。いろいろ偉そうなこと言いましたけど……まあ、あんまりあいつを弄ぶようなことは、控えてくれると助かります」
「も、弄ぶ――⁉︎ え、あ、いや、そんなっ……!」
ぷしゅうー、と頭から湯気でも出てるんじゃないかってくらい顔を赤くして……タマヒメは、おろおろと慌て始めた。
これは……本人も、後になってから自覚してたっぽい反応だ。それを更に他人に指摘されて、恥ずかしがってるんだな。
「じゃあ、そういうことで」
「あっ……」
俺は彼女に背を向けて、居館から離れていく。
タマヒメは何も言わなかった。
『果てにしや』
俺とタマヒメの話が終わるのを、《千里眼》で眼ていたのだろう。ツクヨミが、虚空から現れる。
「ああ。言うべきことは言ったよ」
『がんばった』
ぽふ、ぽふ。
俺の顔の間近にまで近づいてきたツクヨミが、その小さな手で俺の頭を撫でてくれる。
労ってくれてるらしい。
「まあ、これも中史としての仕事の内だからな。神と人が縁を結ぼうとしてるんだ。俺たちが事情を把握しないわけにはいかないだろ」
それに……
タマヒメがミズと結ばれた場合、彼女が地上で暮らすようなこともありえるからな。
2020年現在、地上に住む日本の神はすべて中史が把握し、中史を通じて政府がサポートをしている。確認されているのは数柱で、そこに更にタマヒメも増えるかもしれないというなら、中史として動かないわけにはいかない。
最近はいろいろと流動的で、忙しないからな。
ツクヨミは、そういうことを言っているのだと思っていたのだが……
『さにあらず。――鮫水遥は彼の神より事情を聞き出しやすくなった。輩のために頑張った、トキにより。トキは今、輝夜のことで、忙しいのに。それは、トキの優しさならずや。もっと、自分を誇ってかし』
「……今日はよく喋るんだな、ツクヨミ」
『此度くらいは』
「そうか」
なんとなく返す言葉が見つからず、ツクヨミが転移魔術を使っている間も俺は無言だった。
なにはともあれ、地上に戻ってから……
俺は月科の〇活〇LUBで寝泊まりしている褐色ロリ女神を訪ねた。といっても、ツクヨミと比べれば十分大人だけど。
「ん? 中史……今代は、時だったか。なんか用か。言っとくけど、なにも悪さしてないからな」
個室でジョ〇ョを読んでいたサグメは、俺の姿を見るや否や、そう断りを入れてきた。
神は地上で暮らす際、月読命の名の元に、人間に害を為さない代わりにその生活を中史がサポートすることを、誓約で約束してるからな。その約束を破ってないぞと主張しているわけだ。
「まだ当主じゃないし、お前を疑ってるわけでもない。……一つ頼まれてくれないか」
「頼みだ? 認めたくねえけど、お前にできなくてあたしにできることなんて、片手で数えるほどしかないだろ」
予想通りというか、乗り気ではない様子だ。
「明日辺り、ミズに伝言を伝えてくれないか。俺は今日の夜からしばらくこの世界を留守にするから、お前に頼みたいんだ」
「み、水遥か……」
俺がその名を出した途端、サグメはなにか含みのある苦笑いを浮かべた。
「お前があいつを嫌ってるのは分かるが、伝言の内容的にもお前が適任なんだよ。どうだ?」
「い、いやー……別に嫌じゃない。そうじゃなくてだな……」
そう言って……サグメはなにやら、口ごもってしまった。
これは……本音を言おうとしてるけど、自らの神格が邪魔するのを避けて口に出すのをためらってる感じだな。
俺は念のためと思って持ってきてたそれを、ポケットから取り出す。
それをサグメの手に押し付け、ぐっと握らせた。
「これでお前の神格は無効化される。自由に喋れ」
「はっ?」
彼女はその深紅の瞳を大きく見開いて、ぽかんと口を開ける。
「中史の宝具の一つ、氷目矢。神の力を半減させる楔だ。ミズから、お前は本音が話せない神だと聞いた。氷目矢なら、その性質も無効化できる。――時間がない。いつまでも黙ってられると面倒臭いから、さっさと本音を話せ」
「えぇー……」
俺の話を聞いたサグメは、「今までのあたしの苦悩に少しは敬意を払えよ」的な感じで、ドン引きしていた。
「なんつーか……お前ら一族がいると悲劇が生まれなくて、つまらないな」
しかも、そんな意味分かんない誹謗中傷を浴びせてくる。それの何がダメなんだよ。誰も悲しまないの、いいじゃん。
「で、なんでさっき微妙な顔してたんだよ」
面倒くさくなった俺は、無理やり話を元に戻す。
文句を言われるかとも思ったが、サグメは比較的素直に俺の問いに応じてくれた。
「そ、それは……前回あいつと別れた時、あたし、水遥に『大嫌いだ』って言っちゃったから……」
彼女はもじもじしながら、そんなことを告げる。
「で?」
「あ……あとは察しろっ!」
とか無茶振りされたので、察してみる。
「……お前のその言葉をミズが真に受けて、自分のことを嫌っていないかどうかが不安で会いづらい?」
「声に出すな!」
どうしろと。
だが、否定しないということは合っていたらしい。
なんだこいつ……振る舞いに似合わず繊細なやつだな。
「まあお前のその思春期男子みたいなガラスのハートは理解したが……ミズは十中八九そんなの気にしてないと思うぞ」
「……そうか?」
と言って……サグメはどこか困ったような、安心したような笑みを浮かべる。
俺はそれに、少なからず衝撃を受けた。
こいつは、ミズによって高天原を出禁になったようなものなので、多少なりともミズを恨む気持ちがあるものだと思っていたんだが……
この様子だと、そうでもないみたいだな。むしろ逆の感情を抱いているまであり得る。
「ああそうだ。懸念はそれだけか。頼まれてくれるな」
「あ、ああ……伝言だろ。それくらいならいいぜ、暇だし」
この調子なら、この女神はあいつに面倒を見てもらうくらいでもいい気がしてきた。
ので、俺は一つ提案してみる。
「ついでにあいつの家に住まわせてもらったらどうだ? 中史からの資金で暮らせるのも、あと少しだろ」
「え? やだよ。まだ死にたくないし」
ミズは死神かなにかか。
……などと思っていると、サグメは付け加えるように、肩を震わせて言葉を続けた。
「あいつと一緒に暮らすとかっ……だってそれ、寝てる間とか、ずっと無防備な状態で……それで首とか絞められたら、抵抗できないし……っ!」
これは……あれだな。普段はその神格によってストップがかけられてる本音が、氷目矢のせいで駄々漏れになってる感じだ。他人が聞いちゃいけないタイプのやつ。
「あのときあたし、ほんとに苦しくて……やめてほしくても、全身拘束されてて、なにもできなかったのに……あいつはあたしのこと、何とも思ってないんだ……! うぅっ、ひどいやつだな、水遥……!」
そう語るサグメの表情が……どことなく嬉しそうに、恍惚として見えるのは、俺の錯覚だろうか。いや、俺の錯覚だな。そういうことにしておこう。そして、そっとしておこう。
というか、首絞めって。ミズのやつ、こいつになにしたんだよ。
「そ、それに……そもそも、金はお前らが出してくれるんじゃないのか? そういう約束だろ」
「そうだが……あれは一応政府の国家予算から捻出されてるもので、請求する度に書類書いたりすんの大変だし……鮫家が養ってくれるなら万々歳なんだよ」
「清々しいくらいに個人の都合だな……」
――そんな感じの押し問答の末――
結局俺が言伝の内容を伝えたら、サグメはくるりと掌を返してそれを引き受けてくれた。
俺はミズの家の住所を教え、その伝言――俺とタマヒメのやりとりを伝えるように、頼んだのだった。
ともかく、これでこの件で俺ができることはやったつもりだ。
あとは当人達次第。ミズは上手くやってくれるかどうか……せいぜい応援してやるとするか。
☾天探女☽
――あたしはボロボロの体を引きずりながら、あてもなく葦原を歩いていた。
「くそっ……無茶苦茶しやがって……」
あたしを睥睨する小鳥たちは、呑気に唄なんか歌いやがって。あいつらはまさかこの粗悪なごわごわした無地の麻布でてきた服の下に、爛れた肌、赤黒い切り傷、肉が抉れて露出した骨が隠れてるとは、つゆほども思わないだろうな。
「いくらすぐに治るからって、容赦ないにもほどがあるだろ……っ」
御魂が激しく消耗して、まともに歩くことすらできない。腹も減った。
だが、今のあたしが誰かに助けを求めるなんてことはできやしない。
千位置戸。かの豪傑スサノオが受けたのと同じ、罪人に課せられる罰。
あたしはそれを受けた。あたしが仕えていた神、ワカヒコを殺したからな。当然だ。
最も忌むべき穢れである死を与えた悪しき女神。それが今のあたしだ。
天津神として『命』を称すことさえ禁じられちまった。
住むべき家もない。
葦原の国津神もあたしの事情は知ってるらしく、相手にされない。あたしの姿を見ると、みんな目を逸らして逃げていく。
人間なんか、さらにひどい。そもそもあいつらは、あたしら神を畏怖の対象だとしてむやみに近づきたがらない。触らぬ神に祟りなし――そんな言葉が最近流行ってるらしい。体のいい逃げの言葉だ。あたしは鬼神かってんだ。人なんか祟るかよ。
「……いや、祟るのか」
祟ったし、鬼神みたいなもんだ。
あたしには過去がある。その空言によってワカヒコを殺めたという、決して覆せぬ過去が。
そんなことしたくなかった。そんなつもりはなかった。でも、神格が勝手に。
……なんてこと言ったって、分かってくれるわけないんだけどな。
傍から見たらそれは、あたしが快楽のためにいたずらを働いて、ワカヒコに死を与えたように映るのだろう。それはあたしの意思じゃない、そう言って信じてくれる善人が都合よくいるわけもない。
そもそも口にしようったって、あたしの神格がそれを邪魔してくるしな。
本音を口にしようとすると、その逆の言動を取らされてしまうという、神としての性質――それがあたしの神格だ。
別にこの神格を、あたしは嫌ってない。もともとあたしは本音を話すのが苦手だ。人と面と向かって本心から語り合うなんて、性に合わない。そんな考えが、この神格を生み出したのかもしれない。
……ああ。そう考えれば、少しは惨めさが薄まるってもんだ。これは自然の摂理があたしに与えた理不尽な運命なんかじゃなく、あたしがあたしだったからこそ生まれた神格だってことだもんな。これも自分なんだと思えば、少しは楽だ。
……でも、思うもんは思うんだよな。
「誰か、気づいてくれねぇかなぁ……」
その声は、情けないほどに情けなかった。
今にも消えかけそうな、か細い声だった。似合わないな。
誰か。神じゃなくてもいい。人ですらなくていい。その辺の小鳥、物言わぬ花、姿さえ見えない風。そんなんでも構わない。
あたしがあたしだってこと、理解してくれるやつがいて欲しい。
あたしは神霊だ。その御魂は、大自然から零れ落ちた一かけら。
その自然の誰にも理解されず一人ってのは、さすがに少し辛い。
すぐじゃなくていい。あたしの理解者が現れるって言うなら、いつまでだって待つつもりだ。それくらいの覚悟はある。
だから。いつまでだって待ってやるから。
あたしがいくら暴言を吐いて、暴力を振るって、その神格がどんなにひどいことをしても……ぜんぶ笑って受け止めてくれるような、そんな益荒男が現れてほしい。
そりゃ少し、都合がよすぎるか? 甘えすぎか? いや、でもそれくらい求めたって許されるだろ。許してくれよ。千年でも、二千年でも待つつもりなんだからな。
――そんな、到底叶わぬ夢物語を見ていたら、驚くことが起きた。
「あの……大丈夫、ですか?」
話しかけられた。あたしが。死の穢れを纏うあたしに、話しかけてくれるやつがいた。
そんな奇異なやつはどんな姿をしてるのかと、声のした方を見やる。
(……綺麗なやつだな)
煌々と輝く銀の光が、目に飛び込んできた。魔力が目にまで移ったのか、そいつは銀の瞳を持っていた。
黒髪はまっすぐに垂らした垂髪の美人だった。白地の衣を長い領巾で隠すようにしてるのは、内気な性格なんだろうな。……てかこいつ、神だぞ。神ならあたしのこと、知らないはずないのに。
……ああ、そうか。あたしが大罪を犯した天探女だって、気づいてないのか。思えば、あたしの処分は高天原でも難航して、結局罰が下されたのは、あの事件からもう何百年も経ったこの間のことだもんな。聞けば最近は天孫の子孫が、倭建命と名乗って快進撃を続けてるそうじゃねえか。出雲もそいつが治めたらしい。もうあの女をとっかえひっかえして遊んでた大国主のやつが出雲を治めてる時代は終わってたってことだ。あいつは今、でっかい社を造ってもらってそこに引き籠ってるらしいからな。
そんだけ葦原が様変わりすれば、あたしの顔を知らない神が出てくるのも頷ける。
「えっと……あなたも女神、ですよね……?」
「あたしは――天探女だ」
だからあたしは、自らの正体を明かした。
そうすりゃこいつは怯えて、逃げてくだろうと思ったからな。
嫌われ者のあたしとつるんでいいことなんて何もない。
……だってのに。
「あ、はい。私は珠代と言います。初めまして、サグメさん」
目の前の女神は、呑気にお辞儀なんでしてきやがった。
こいつ、あたしがただ自己紹介しただけだと思ってるな。あたしの思慮が何も伝わってない。……どんくさいやつだ。
「大丈夫ですか、サグメさん。ひどい怪我です」
「お前も知ってるだろ。これは罰だ。ほっとけ」
眉を下げて心配してくれるそいつを、あたしはあえて無下にあしらう。
そうすりゃ気分を悪くして、あたしから離れていくだろうと思ったからだ。
「でも……あ、そうだ……」
気の弱いやつだ。その割に、頑固なやつだ。なかなか引き下がろうとしない。
どうするつもりかとそいつを……珠代を観察していると、
「――《桃花》」
珠代が両手を合わせて魔術を使うと、銀色の魔力があたしを取り囲み、御魂に働きかけていった。
すると……あれほどひどかった御魂の傷が、すぅ……と癒えていく。数秒もしないうちに、あたしの傷は完治していた。
「……なんだ、今の魔術は」
あたしが知る限り、これほど治癒能力が高い魔術を扱えるのは最低でも上位の国津神からだ。こんな気の抜けた女神に使えるとは考えにくい。じゃあ、今の魔術はなんなのか。あたしはそれが単純に気になって訊ねた。
「波限彦さんが生み出した治癒魔術です。ちゃんと、効きましたか?」
「ナギサヒコ?」
「えっと……比支志志於さんの子孫、って言えば分かりますか?」
「……ああ」
その名を聞いて、得心が行った。
月乎比支志志於命――かの三貴子の一柱、月読命が、誓約にて生み出した神の子孫か。神々の中でも特に魔術の扱いに長けたツクヨミの子孫が作った魔術なら、今の治癒魔術の完成度にも納得がいく。
「ナギサヒコさん、すごいんですよ。魔術だけじゃなくて、戦上手でもあって。今度の東征も、タケイナダさんと一緒に……」
珠代はそのナギサヒコとやらの話をし始めた。なにやらもう一人知らない名前も出てきたが、それより……
あたしは気になったことを口にする。
「……まるで、そいつと知り合いみたいな口ぶりだな」
「はい。なにせ、タケイナダさんは――」
……ぎゅるるるる~~~…………
間抜けな音が、あたしと珠代の会話を強制的に中断させた。
その出どころは、あたしのお腹。
もう何日も、何も食ってないからな。空腹感が限界だったらしい。
「……ふふ」
「わっ、笑うな!」
あたしは恥ずかしくなって、つい怒鳴る。
珠代は恐らく、最近産まれたばかりの地祇だろう。だとしたらなんでこんな、何百歳も年下のやつに笑われなきゃならないんだ……っ。
「いえ、ごめんなさい! 違うんです。……その、サグメさん。よかったら、私の館に寄っていきませんか? ごちそうしますよ」
ぺこぺこと謝った珠代は……何を言うかと思えば、そんな提案をしてくる。
聞けば珠代の居館はこの近くにあり、散歩中にあたしを見つけたとのことらしい。
食事を出してくれる。こっちとしたら、願ってもない話だが……
「……いいのか? あたしは、天探女だぞ? 穢れ、なんだぞ。まさか、あたしのこと知らないってことはないだろ」
あたしは、再度確認する。あたしに近づいても碌なことがない。それでもいいのか、と。
「はい、もちろん知ってます。でも……」
「あっ……」
果たして珠代のやつは、あたしの手を取って。
「そういう風に私のことを慮ってくれる方なら、きっといい神です」
こともなげに、そう言い切りやがった。
「でも、あたしは罪を……」
「それはそうですけど……でも、それは過去のことで、サグメさんはしっかりと、罰を受けたんですよね。なら、私には関係ないです。少なくとも、今こうして話した貴女は、私のためにわざと私に嫌われようとしてくれるような、とても優しくてかわいい女神でしかないです」
そう言って、同じ女神ですら惚れ惚れするような、眩しい顔で笑いかけられた時……
あたしは心に決めた。このお人好しの女神の、助けになってやろうって。
あたしなんかに話しかけてくれる優しい女神の、一番の友達として……いつまでも支え続けてやろうって。
☽
その気持ちは今でも変わらない。
あたしは珠代の親友で、あいつは大切な存在だ。
だからこそ、慎重に。
あいつが姉を失くして困ってる時も、できる限り一緒にいて、話を聞いて。
あいつに言い寄ってくる馬鹿な男共がいれば、あたしが追っ払って。
そうして二千年近くの時が過ぎていった。
「……でも、お前ならいいかもって思うよ」
ほぼ無意識に、そう零していた。
居候し始めて最初の夕食を食べ終えて、今は満腹感が心地よい多幸感を誘うゆったりとした時間。
こいつに中史からの伝言を伝えた後、あたしはその流れで珠代との出会いの時を回顧していた。
「ん? なにか言ったか、サグメよ」
「なんでもねーよ」
夕食後、机に向かってなにか作業を続けている、この男。
鮫水遥。
この男が、あたし達のすべてを変えた。二千年変わらなかった珠代の人間嫌いも、あたしの神格による誤解も、全部笑い飛ばすように変えていきやがった。
水遥が珠代のことを好きだとかほざいて、あいつに近づいた時、あたしはいつも通り邪魔してやったよ。
二度と珠代が悲しい思いをしないように。それが正しいことだと信じていたから、今回もそうしたんだ。
でも、それじゃダメだったんだな。
珠代と出会ったばかりの頃は、それでもよかったのかもしれない。天界から追放され、除け者扱いされてたあたしと、姉を失った珠代で、お互い支え合って生きていればよかった。
間違いだったのは、その関係を永遠続けようとしたことだ。
それはどこまで行っても共依存で、そんなんじゃ、互いに前を向くことはできない。
時機を見て、変わる必要があったんだ。あたしと珠代は、その機会からずっと目を逸らしてた。
それを水遥が与えてくれた。
それじゃいけないんだと、水遥が教えてくれた。二千年前から変わらない振る舞いをするあたしたちの間に、新たな風を吹かせてくれた。
本当に、変なやつで……それで、すごいやつだ。
神より幾らも弱い人間の御魂で、あたし達にものを教えるだなんてな。怖いもの知らずの馬鹿としか言いようがない。
想えばそんな水遥に、あたしは随分ひどいことをしようとしたんだな。珠代に近づけさせないために、暴力に訴えた。
でもそれを、水遥はこともなげにいなして見せた。
あたしは水遥に鎌を掛けて、全身全霊で策略を練って、最後は神術まで使ってタマヒメを諦めさせようとした。それなのに、水遥には何一つ効かなかった。あたしの全力をぶつけてもなお、水遥は余裕そうな顔で笑ってやがった。そんな非道なことをするあたしと……と、友達になりたいとか言って……本当に変わってる。
挙句の果てに、これまで誰も気づかなかったあたしの神格まで見抜いて、こともあろうかアマテラスの前で堂々と一芝居を打ったんだ。
水遥にはそんな得、万に一つもないはずなのに。
自分はただ、損をするだけかもしれないのに。
誰よりも損得勘定が上手そうな面して、その実誰よりもお人好しの馬鹿野郎なんだ、水遥は。
あたしの本音を吐かせて、珠代との仲介役を買って出てくれた、こいつは……
「あ、あれ……?」
そこまで考えてあたしは……
なにか、とんでもないことに気づいてしまう。
……あたしがいくら暴言を吐いて、暴力を振るって、その神格がどんなにひどいことをしても……ぜんぶ笑って受け止めてくれるような、益荒男……?
あれ。
あれあれ。あれ? あれ!
それ、ぜんぶ――
「――水遥っ!」
心の内から沸き上がる、富士の山でも噴火したんじゃないかってくらいの感情の爆発。
溢れ出したその気持ちをうまく形にすることができなくて、不器用なあたしは、ただただそいつの名前を叫ぶことしかできない。だけどあたしはそれを悲しいこととは思わない。だって、それでもこいつなら、あたしの気持ちを受け止めてくれると信じているから。
「ど、どうした……?」
突然大声で自分の名前を叫ばれた水遥が、怪訝な顔をする。
ああ――こいつだ。
「水遥――みずはるっ、みずはるっ!」
あたしはその勢いに任せて、みずはるに抱き着いてやる。
なにも言葉は発してないので、あたしの神格が邪魔することもない。
「うおっ――こうも前触れなく乱心されると、流石に心配になってくるのだが……」
みずはるは突如飛び込んできたあたしを、受け止めてくれる。
ぜんぜん、嫌がらない……
「えへへー」
そのことが嬉しくて、自然と頬が緩んでしまう。
「き、君の笑い方は、もっと怪鳥のような不気味なものだったはずだろう……?」
「きひひっ」
「いや、そんな甘えた声でもなくてな……」
知るかっ。嬉しいもんは、嬉しいんだ。
「ひとまず、この行動の説明をしてもらえると助かるのだが」
「口に出したら全部反転するから無理ー」
「そうだったな……」
困ってる困ってる。あのみずはるが困ってるっ。
いいなぁ、楽しいなぁ、嬉しいなぁ。
あたしが二千年の間――ずっとずっと待っていた、あたしのこと全部理解して、受け止めてくれる存在。
ここにいた。気が付いたら、あたしの傍にいてくれた。
これがすべての始まりで、ここがあたしのまほろばなんだ。
そう、確信に近い予感を抱く。
ああ……報われたなぁ。
☾鮫 水遥☽
突然奇怪な行動を取りだしたサグメが気になり、作業を中断して彼女と話をする。
あまりにも突飛な行動に、外部から洗脳や身体操作の類の魔術でも使われたかと警戒してみたのだが……そのような気配はない。
つまるところ、この行動はサグメの純然たる心の表れだということになる。
一体何を考え、こんな行動を取っているのか、あまりに手掛かりが少なく見当もつかない。
「昼に見た時も思ったけど、みずはるお前、意外と筋肉質なんだなー」
だが今も、なにやらぺたぺたと僕の腹筋を触ってくるサグメの様子を見るに、それは悪い変化ではなさそうだった。なのでひとまず、この件について無理に聞き出す必要はないとみていいだろう。
「そろそろ離れる気にはならないものか? 作業がし難いのだが……」
それはそれとして、いつまでも左腕に抱き着かれたままだというのは、身動きがとりづらくてかなわない。片腕のみでの作業というのは、なかなかどうして不便であった。
「えー? でも、あたしはみずはるのことが大嫌いだからなー。こうして、お前の作業の邪魔をしてやるんだっ」
幸せそうな笑顔のまま紡がれたそれは、神の魔力が宿った言葉。一見すると言霊にしか見えない、虚偽の発言だった。
本音を口にしようとしたため、サグメの持つ、本心に背く天邪鬼としての性質が働いたのだ。
普通に考えれば、今の発言の「逆」がサグメの本音だと言うことになるが……ふむ。
「……ならば、しばらくの間は、このまま作業を続けるとしよう」
そこまで言ってくれたのだ。その気持ちを無下にはできないだろう。
僕は左腕にしがみついているサグメをそのままに、机に向かった。
「作業の邪魔されたのに、気にしないのか? お前は変な奴だなー、へへへ」
分かっているだろうに、態々悪態とも言えぬ悪態をついてくる。
じゃれている、と言った方が正しいくらいだ。
「なあみずはるー」
「…………」
少し調子に乗らせ過ぎたかもしれないと反省し、しばらく無視を決め込むこととする。
「みずはる?」
「…………」
「な、なんで返事してくれないんだっ? 聞こえてるだろ……?」
「…………」
「無視しちゃいやだ……。こっちを向いてくれ、みずはるっ!」
「……すまなかった」
ここまで必死になられると、さすがに罪悪感が湧いてくるというものだ。
僕は観念してサグメに向き直る。
「……。な、なあ……みずはる?」
そんな僕の反応を見ていたサグメは、上目遣いになって、恐る恐るといった様子で言う。
「なんだ?」
「あたし、ほんとにみずはるの家に居候しても、いいのか?」
昼間は勢いで許可したようなものだったからな。
今の僕の反応を受けて、僕が本当にいいと思っているのか、不安になったのだろう。
「みずはるは、あたしと一緒にいても……いやじゃ、ないか?」
サグメの深紅の瞳が揺れていた。
それでも彼女は僕から目を逸らさず、最後まで言い切った。
「一緒にいて不快に思う者を家に上げるほど、僕はできた人間ではない」
「もっと、はっきり言ってくれ……あたしは、お前からの確かな言葉が欲しい……」
婉曲的な表現では、サグメを安心させてやることはできないようだ。
僕は心の壁を一つ取っ払って、サグメに向けて言葉を紡ぐ。
「好きなだけここにいろ。僕は君を歓迎している」
「そ、そうか……歓迎してるか……えへへ~」
どこか幼く、純粋な、心の底から安心しているのだと分かる笑顔を浮かべるサグメ。
「…………」
「どうした、みずはる? 目を合わせてくれ。さては、照れてるのか?」
「……君から話を聞いて、為すべきことがはっきりしたからな。あと少しなのだ」
夕餉を食して後、僕はサグメから、トキに頼まれたという言伝の内容を聞き及んだ。
本来ならば僕が負うべき汚れ役を、彼は買って出てくれたのだ。頭が上がらない。ならばこそ、一日でも早く僕は、タマヒメに会いに行くべきなのだ。
なにやら浮かれ気分だったサグメも、この時ばかりはふざけた返答ができそうもなかったのだろう、声のトーンを落として答える。
「……それにしても、中史からみずはるん家の住所を聞いた時は驚いたなぁ。まさかみずはるが、尾張の末裔だとは思わなかった」
「言ってなかったか」
「聞いてなかった。それに、あんま似てないしな」
どこか遠い目をしたサグメが、昔を懐かしむように零す。
「そうか。君は会ったことがあるんだな」
「ああ。ひどいやつだったぞ。あたしがちょっといたずらしただけで、容赦なくげんこつ食らわしてきて……人間のくせにあたしら神に全然物怖じしないんだ。……ああ、そういう嫌なとこはちゃんと受け継がれてんだな」
不満気ながらも、どこか楽しそうに話すサグメ。彼女としても、どこか思うところがある人間だったのだろう。
「是非、彼の話を聞かせてくれないか。僕も興味がある」
「うん。まずあいつは、初対面から無礼なやつだったんだよ。あたしが……」
そうしてサグメの話を聞きながら、黙々と手を動かしていくうちに、その夜は深まっていった。




