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幻月のセレナ -世界と記憶と転生のお話-  作者: 佐倉しもうさ
幕間 したひ山 下行く水の 上に出でず
74/116

七  みちのくの

   ☾鮫 水遥☽



 彼女とは二回目の御対面だ。まだまだ御魂は慣れてはくれない。


「――というわけで、犯人はこのサグメだ」

 

 質素な館の中、長い廊下を抜けた先の部屋にて、僕は大蛇で縛り付けたサグメを前に押し出す。


 眼前に坐すは、天照大御神。

 この国をあまねく照らす三貴子の一柱にして、高天原の主宰神。


 今回の事件においては、僕らの趨勢を定める裁判長だ。


「まさかあんただったとはね。まだ懲りてなかったか」


「最初から全部分かってたくせに、今知ったようなこと言うな」


「いやいや。私だってミズハルが犯人だと思ってたさ」


「ふん。どうだか」


 どうやら二人は犬猿の仲……というより、サグメが一方的にアマテラスを苦手としているようだ。自分を追放した張本人なのだから当然だろう。もっとも、悪いのはサグメなのだが。


「これで、僕の容疑は晴れるだろうか」


「そうね。確かにミズハル、あんたの言ってることの筋は通ってるし、怪しいところもない。サグメに罪を着せようだとか、そういうあくどいことを考えてる素振りもない。どうせなら確実性を高めるために、《(うつろ)》を使ってほしいところだけど……」

 

 アマテラスは冷静にそう言った。有罪判決を下そうと言うのだ、これくらい慎重になるのは道理だろう。――だが、それでは少々まずいことになる。


「僕としては、あまりそれはお勧めできないな。《(うつろ)》を使うフリをして、他の神術を発動されては面倒だ」


「……ふうん」


 僕の言い分を聞いたアマテラスは、その双眸に緋色の光を湛えて目を細める。

 そして、なにか含みのある笑みを浮かべると、彼女はおもむろに立ち上がり、口を開いた。


「いいわよ、ミズハル。あんたの無罪を認めてあげましょう」


 そうして、僕に着せられていた天津罪の撤回を宣言してくれた。


「肩の荷が下りる思いだ。貴女(きじょ)の海よりも深き御心に、大いなる感謝を」

 

 言って、僕は正式な作法で礼をする。

 これで僕は晴れて自由の身。再び、いつでもタマヒメに会いにゆくことができるようになったわけだ。


「こっちこそ悪かったよ、あんたを疑ったりして」


「勿体なきお言葉だ」


「……それでサグメ。問題はあんただ」


 アマテラスの眼が、横にいるサグメに向けられる。

 

 僕が無罪になったということは、サグメが有罪となったということ。

 これから彼女は、アマテラスから裁きを受けるのだ。


「ミズハルの立証によって、今回あの脳筋(のうきん)莫迦(ばか)の畑を荒らしたのはサグメ、あんただということになった。あんたがどれだけ否定しようが、それは私も納得した、この高天原の総意であるということを意味する。ここまではいいね?」


「好きにしろ。ここまでされちゃ、さすがに捲り返そうって気も起きねえよ」


 人間である僕に純粋な戦闘で敗北し、体を拘束され、被害者の前で罪の自白をさせられ、裁判官にまで有罪判決を言い渡された。サグメの言う通り、ここから身の潔白を証明するのはもはや不可能だ。これが冤罪ならばやりようはあったかもしれないが、実際犯行を行ったのは彼女で、それは覆すことができない事実。

 複数の人間にそれが知れ渡った現在、現実改竄の神術《天竄(あまつあらため)》でも、この状況をなかったことにはできないだろう。彼女の神術はそれほど万能なものではない。事実、神通力を使った戦闘で、ヒトである僕に負けているのだ。術の内容を知っていれば、人間でも対処できる程度のものでしかない。


 それに、もし神術を使う素振りを見せれば、その時はまた大蛇で黙らせればいい話だ。


 今のサグメに、為す術はない。


「じゃ、そういうことで。サグメ、あんたはどうしてこんなことをしたの?」


 サグメが犯人であるという前提を確認した上で、話が進行していく。

 

 裁判長であるアマテラスが訊ねたのは、犯行の動機だ。

 なぜ今回のような畑荒らしをしたのか。


 脳裏に過るのは、二時間ほど前にタマヒメからされた質問。

 どうして僕を攻撃するのか。


 タマヒメの心の行く末を決めた分水嶺、彼女は応えてしまった。


『――――()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その言葉は、本心からの言霊はタマヒメの心を深く傷つけた。


「前にも言っただろ、そりゃ――」


 彼女の言葉に、神の魔力が集う。

 神託の巫女が、言霊を紡ぐ。


「――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 だから今回も、彼女は本心からの言霊を紡ぐ。

 心底嬉しそうな声色で、天探女が奏上する。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!」


 それは遊びで蟻を踏み潰す純粋な子供のような満点の笑顔で。

 混じりけのない鮮やかな赤に染められた両目を開いて。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 僕に罪を被せたその理由を、滔々と語っていった。

 それは先程タマヒメに語ったものと、根本的には同じものだった。

 

「……なるほどね。それなら納得できるけど」


 口で言うほどには納得していないようにも見えるアマテラスが、ゆっくりとその玉座に腰を下ろす。

 

「本当に、それが理由なの?」


 アマテラスの声が響く。

 特別な魔力が籠っているわけでもない。だというのに、彼女の言葉は万物の御魂を震わせる。


「言っただろ、ここで嘘なんかついたって仕方ない」


「そ。じゃ、いいわ」


 アマテラスはため息一つ、頬杖をついて言葉を続ける。

 最後の時だ。

 彼女はとうとう、サグメに裁きを下す。


「――天探女(あめのさぐめ)。あんたを天津罪に則り、『畔放』『溝埋』『樋放』の罪にて、追放処分と――」


「――それだけではない」

 

 その裁きを、僕の声が遮る。 

 皇祖神の言葉を遮るなど万死に値する行為だが、背に腹は代えられない。


「ミズハル? なにかまだ、言いたいことがあるわけ?」


 幸い、アマテラスは特に気分を害した様子もなく、変わらぬ口調で僕に訊ねてくる。


「ああ。たしかにサグメは、今貴女が口にした三つの罪を犯した。だが――」


「……お前、何を言おうとして……?」


 アマテラスの決定に口を挟み、突如何かを話し出した僕を、サグメは不思議そうに見ている。

 その目はほとんど胡乱な光を宿していた。だが微かに、期待の光も見える。サグメは、僕がなにか助けてくれるのではないかと無意識のうちに期待しているようだ。


 ならば、彼女には謝らなければならない。


「彼女の罪状は、それだけではない。彼女が犯した罪は、他にもあるのだ」


 それは、サグメの信頼を裏切ることになる言葉なのだから。


「………………は?」


 僕が何を言ったのか理解できない、という様子のサグメが固まる。


「へえ。いいわ、続けなさい」


 太陽神から直々に許しも出たことなので、僕は放心するサグメに構わず話を続ける。


「それは今日の午前中のことだ。彼女は僕を襲撃するため、葦原にある我が学び舎にやってきた」


 サグメが魔術を放ち、それを僕とトキの二人がかりで止めようとしたときのことだ。あの時は、トキの迅速な判断によって被害は校舎の壁だけにとどまった。

 ――しかし、それだけではダメなのだ。


「そこで彼女は、神術を用いて――僕のクラスメイトの命を奪った。人間を殺したのだ」


「……お、おい……お前、何言って……?」


 目を大きく開き、動揺するサグメ。

 彼女からしたら心当たりなどないのだから、さもありなんだ。


「なるほど。その話が本当なら、確かに一大事だ。神が人間を殺した事例なんて、この国の歴史を振り返っても片手で数えるほどだからね」


 しかしサグメの動揺など、アマテラスには関係がない。彼女は淡々とした口調で話を進めていく。


「そうだろう。ならば、殺人罪――これも彼女への罪に加えるべきだ」


 サグメの表情が、絶望に染まる。

 僕のしようとしていることを理解したのだろう。


 サグメが悪だというこの流れに乗じて、彼女に更なる重い罪を着せる。

 

 それが僕の目的で、サグメはそれを理解したから、平静を失なった様子で僕を見つめ続けているのだ。


「こちらでは殺人罪は、如何なる罪に相当するのだろうか」


「そうだね。人を殺めたというなら、それは国津罪(くにつつみ)の方の、『死膚断(しにはだたち)』だ」


 国津罪。それもまた、天津罪と対を為す古代の法律。

 死膚断(しにはだたち)は、現行の刑法に照らし合わせれば傷害致死罪に相当する。それが故意であった場合は立派な殺人罪となり、サグメにこれは当てはまる。


「でもそうなると、話は変わってくるね。神の国高天原において、死は最も忌むべき穢れ――神逐(かむやらい)なんかじゃ釣り合わない。あんたが犯したのは死罪(しぬるつみ)――死によってのみ許される穢れだ」


 つまり――サグメに下される裁きは追放などではない。『死』であるということだ。


「残念だったな、サグメよ。お前は死罪だそうだ」


 それを僕は、放心状態のサグメに告げてやる。


「ふ、ふざけんなよお前……い、いくらあたしのことが嫌いだからって、こんなっ……」


 突如僕によって『死』を突き付けられたサグメ。何が何だか分からず、予想だにしない展開に、彼女は悲痛な面持ちで僕に向かう。


「だっ、第一、お前はあたしを殺さないんじゃなかったのかよ! さっきだってそう言って――」


 先程僕は、自分を殺すつもりなのかというサグメの質問に、そんなわけがないと回答した。だとしたらなんのためにお前を着替えさせたのだ、と。

 それがあるから、サグメは僕が自分を陥れようとしているなどとは信じられなかったのだろう。


 たしかに僕はそう言った。だが、


「あんな言葉を信じたのか?」


「――っ!?」


 僕はサグメを、徹底的に突き放す。

 そうして失望の中、がくんと頭を下げた時、彼女の視界に映ったのは自らの自由を縛っている僕の大蛇たちだ。

 その蛇によって、自分は首を絞められた。絞め殺されそうになった。その時の僕は本気だった――それを思い出したから、彼女は心から理解したことだろう。

 やはり鮫水遥は、自分のことなどなんとも思っていないのだ、と。むしろ殺したいほど憎んでいるのだ、と。


「だと言うなら、滑稽なことだ。お前は僕の言葉を信じた結果、殺される。ちょうど、お前がワカヒコにしたのと逆の状況だな。かの神は、お前の言葉を信じた結果殺されたのだ。――ならばこれは、天罰だ」


「……嘘、だよな……?」


 僕から浴びせられる冷徹な言葉に、耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいになっているだろうサグメ。しかし両腕はその僕に拘束されているので使えない。サグメは辛い現実から逃げ出すことさえ許されない。


「嘘だと? 何度言えば分かるのだ。鮫水遥は、嘘などつかない。どうしても信じられないというのなら、得意の言霊でもなんでも使うがよい」


 僕の煽りを受けたサグメ。

 彼女はその目に、にわかに紅き光を灯す。


「ああ、ああ分かったよ――お前の言う通り、使ってやる!」


 絶望の淵に叩き落されて、すべてがすべて一周した時、(サグメ)はその怒りを放出する。


「結局お前もそうなんだなっ、お前ならと思ったけど、やっぱり失格だッ!」


 魂からの慟哭。サグメの紅く美しい瞳には涙が浮かんでいる。

 悲しいのだろう。辛いのだろう。信じかけていた存在に裏切られたことが。

 サグメはそれが理解できる神だったのだ。


「その減らず口、封じてやるッ! ――《()()()()()()()()()()()》‼‼」


 彼女の言葉に、神通力が宿る。

 神の魔力が込められたそれは、天からの言霊だ。


「《()()()()()()()()()()()()()()()()()()》――――――《(うつろ)》ォッ‼」


 キイィィィィ――――ン…………


「――《共鏡(ともかがみ)》」

 

 耳鳴りのような音がこちらまで届く直前、僕は反射鏡を構築した。


 キイィィィィ――――ン…………


 彼女の言霊が《共鏡(ともかがみ)》にて反射され、そのままの形でサグメへと返っていく。


「なっ――!」


 予想だにしない反撃に、サグメはまともに自らの神術を受けてしまう。


 嘘をつくことが許されぬ神術、《(うつろ)》。

 それを、《共鏡(ともかがみ)》にて反射したのだ。


 その効果はそのままサグメの御魂(みたま)取り憑いて、彼女の意思に背く言動をとるようになる。すなわち、今のサグメは嘘がつけない。


「お前……最初からこれが目的で、あんなことっ……!」


 自らの意識下に置かれていない御魂――自分で自分の神術にかかるのは初めてのことだろう――に戸惑いながらも、サグメが僕を睨み上げる。


「二度も耳にすれば、いかなボンクラとて気づく」


 サグメの言っていることは正しい。

 僕は彼女に《(うつろ)》使わせるため、あのようなデタラメを言った。


『――――()()()()()()()()()()()()()()()()()


『――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 お前はなぜ犯行を犯した――そう訊ねられたサグメの答え。それを僕は二度間近で聞いていた。

 それは神の魔力がこもった言葉、言霊だった。だから僕は――タマヒメは、それがサグメの偽りなき本心からの言葉なのだと感じ取った。言霊とは心からの言葉であり、表面上だけの薄ぺらな思いでは、決して紡げぬ神聖な言葉だからだ。


 しかし、違った。


天探女(あめのさぐめ)――他者を騙し、世界を改竄し、その嘘によって人を死へと導く神託の女神。それがお前だ」


 それがサグメという神の本質であり、神話によって現在まで語り継がれる正しき形だ。


「そんなお前の矛盾した行動、世界に背いた行動を知った人間は、いつしかこんな事を言うようになったそうだな」


 だが、それだけではなかったのだ。その性質を知らなかったがために、タマヒメは騙された。


「――天探女は、妖怪天邪鬼(あまのじゃく)の原型である、と」


 日本古来の妖怪、天邪鬼。

 人を欺き、自らをも欺き嗤う、堕ちた神――鬼だ。


「嘘ばかりついて他を惑わせるその様から、現代では意味もなく本心とは異なる言動を取るような者を『天邪鬼』と呼ぶ。……サグメよ、お前もそうなのだろう?」


「…………!」


 迂闊な事は口に出来ない。そう思ってか、これまで口をつぐんでいたサグメが反応を示す。


 と同時に、僕はついにサグメを拘束していた大蛇を消し――彼女の身体を、自由にしてやる。

 ぺたりとその場に、女の子座りで座り込んだサグメに、僕は問いかける。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 キイィィィィ――――ン…………


 耳鳴りのような音が、サグメの御魂へ響き渡る。


「そんなことな――んぐッ」


 《(うつろ)》の強制力が彼女の御魂に働きかけ、サグメの嘘を封じた。

 彼女は、自らの意思を否定してでも本音を口にしなければならない。


「――……そ、そうだ……あたしは、全てに背理する女神……本音を口にしようとすると、あたしの神としての性質がその気持ちに背理する……」


 自身の神術を使って吐き出した、サグメの偽らざる本心からの言葉。

 それは、自身の心にさえ嘘をつく女神の本音だった。

 

「随分と生きづらい性質であるな」


「……これは、あたしが本当に伝えたいこと、本当に人に知ってほしいこと……ようは、嘘が一つもない、文字通り本当の心に背理する……どうでもいいような事実なら、別に話せるんだよ…………」


 その言葉が本心であればあるほど、彼女はその言葉を紡げなくなる。その代わりに、本心とは全く逆の言葉を紡いでしまう。


 その時に世界を騙す神としての性質が働き、言葉には魔力が伴うため、傍からは本心からの言霊であるように感じられたということだ。


「ならば、訊ねよう。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 キイィィィィ――――ン…………


 耳鳴りのような音が響き、サグメの御魂に《(うつろ)》の強制力が働く。


「……違う」


 それが本音であればあるほど、口にすることができなかったサグメの本心。

 しかし、今やその(ことわり)は彼女自身の神術によって阻まれている。

 

 ――サグメの本心を邪魔だてするものは、何もない。


「……そんなわけ、ないだろ……! あんな根っからの善人を、嫌いになれって方が難しいだろ……!」


 心の底から絞りだした、か細い声が広い室内に響く。 


「ではなぜ、僕を殺そうとした」


「…………珠代から、お前を遠ざけるためだ……」


「それは、珠代への嫌がらせのためか?」


「――違う。そんなわけない……お前を殺そうと決めたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ……」


 人間で、本気だったから。

 断片的で、イマイチよく分からないな。


「どういう意味だ」


「……珠代は、かわいいだろ」


「お前は(そら)に向かって、『あれが空だ』と一々確認をとるのか?」


 サグメはイラっとした顔をしつつも、話を続ける。


「……だから葦原にいた頃から、あいつは多くの男に人気だったんだよ。殿上人や大名からも、求婚されてたくらいだ。美人で気が弱いってのが、男に刺さったみたいだな。あとあたしと違って胸がでかい」


 最後のはいらなかった気がしなくもない。


「二千年近く葦原にいたからな、数えきれないほどの男があいつの元にやってきては、結婚を迫ってきた。……けど、所詮は噂を聞いてやってきただけの軟派野郎共だ。そのうちの半分は、あいつが神であると知ったら諦めた。そのまた半分は、あいつに振られて素直に引き下がった。残ったしつこいやつらも、あたしに脅されて、あいつの恋愛嫌いを知っていくうちに、徐々に去っていった」


 タマヒメは表面上こそ気が小さく押しに弱いように見えるが、芯のところは意外と頑固で、頑なな印象を受ける。いつまでも自分に気を許す気のないタマヒメを見て、面白くなくなって諦めたといったところだろう。


「でもお前は違った」


 サグメは燃えるような深紅の双眸に、鮫水遥を映す。


「最初珠代からお前の話を聞いて、また馬鹿な人間があいつに惚れたんだと思ったよ。珠代の人間離れした美貌に一目惚れしたんだってな」


「別に間違ってはいないな。たしかに最初は、一目惚れだった。今は彼女の内面もわずかにだが知ることができて、明確な恋慕の情へと昇華されているが」


「それだ。お前の面倒で強固な意志が問題だった。お前はタマヒメが神だろうが構わず告白した。断られても諦めなかった。あいつの恋愛嫌いを知ってもそれは変わらなかった。なにより意外だったのは、お前の話をしてるときの珠代が、口で言うほどには迷惑そうじゃなかったってところだ」


 嬉しい限りだが、素直に喜んでいられる状況でもない。僕はそこについては何も言わずにいた。

 

「珠代の恋愛ぎらいは、単に異性が苦手ってだけじゃない。特に、人間――自分とは寿命もなにもかもが違う存在との恋愛を恐れてた。神と人が結ばれて、その結果がどうなるのかを、あいつはよく理解してたからな。その珠代が、人間の男のことを、煩わし気な感情を伴わずに話してる」


 ほう。なにやら興味深い話が出た。だが、この場で深堀りするのは無粋だろう。またしても、僕はそのまま聞き流す。


「あたしはそれに、危機感を抱いた。あの中史が連れてきた友人の『ミズ』……鮫水遥とかいうやつは、これまでの男共とはなにかが違う、このまま何もしないでいたら、()()()()()()がありえるかもしれない――そう思ったとき、あたしはお前に会う事を決めた。直接この目で判断してやろうってな」


「それで僕に神の魔力を見せつけ威圧したり、御陰(みと)目合(まぐわい)――性交渉をせがんできたりしたわけか。僕のタマヒメへの愛を試すために」


「ああ。結果はお前が一番よく知ってるな。お前は頑として譲らなかった。せ、性交渉の方は……まあ、あたしなんかに靡かないのは分かるけど……魔力で威嚇しても表情一つ変えなかった時は、さすがに驚いたぞ。でもそれで、確信した。お前は、この二千年で珠代に求婚してきたどんな男よりも強くて……そして本気で珠代をものにしようとしてる。このままじゃダメだ、ってな」


「だから僕を罠に嵌めて、高天原から追い出そうとしたのだな。……しかし、それなら何故わざわざ僕を殺しにきた。そのまま僕が有罪判決を下されるのを待っていればよかったのではないか?」


「お前、理由分かってて聞いてるだろ! 今日の午前中、何もせずに学校で授業なんて受けてやがったのがその証拠だ」


「無論、理解している。だが、サグメの口から直接話してもらわなくては、後味が悪いだろう?」


「…………《天竄(あまつあらため)》でお前を畑荒らしの犯人にして、高天原から追放する――高天原(こっち)だけで済む話なら、それでよかったよ。でも、お前は普通の人間じゃないからな。魔術師で、しかも自由に高天原を行き来できる特権持ちの中史が友人にいる。そしてお前は、あたしの神術によって犯行を行ったということにした時間、芦原の学校で授業を受けてた。外来語で、ありばいって言うんだろ、そういうの。お前の学校の同輩みんなが、お前のありばいを証明してくれる。そのことが中史からアマテラスに漏れれば、あたしの計画は台無しだ」


「だからサグメが直々に葦原――地上に降りて、僕を殺そうとしたのか。アマテラスがワカヒコの事情を知らなかったくらいだ、天界から地上の様子を見るのが難しいことは想像に難くない」


「さっきから殺す殺す言ってるけど、別に殺すつもりはなかったんだぞ? 適当に神と人の力の差を見せつけた後、対話で説得しようと思ってたんだよ」


「力の差を見せつけられたのは、さて、どちらだったか」


「うるせえ!」


 もしサグメの言った通りになっていれば、その作戦は成功していたかもしれない。

 よほどのことがなければ、サグメが地上に降りて僕を襲ったという事件がアマテラスの耳に入ることはなかっただろうからな。トキも、それしきのことで一々アマテラスに苦情を入れるほど暇な人間ではない。


 つまりサグメは、僕が高天原に行く自由を《天竄(あまつあらため)》にて奪い、タマヒメへの恋心自体は、直接的な戦闘によって奪うつもりだった。元より二段構えの作戦だったのだ。

 

 僕自身はそもそも犯罪を犯したのが自分でないことを分かっているのだから、《天竄(あまつあらため)》の存在こそ知らなくとも、誰かが何らかの手段を用いて僕に罪を着せようと企んでいることは容易に想像がつく。しかしそんな罪はサグメの言う通り、僕のアリバイを証明してくれる数十人のクラスメイトをアマテラスに会わせればすぐに冤罪だとバレてしまう無意味なものだ。それを防ぐため、真犯人は必ず僕に直接的なコンタクトを取ろうとしてくるに違いない――僕はそう予想していたので、昨日の夜から今日の午前にかけては、なにもしていなかった。


「では、お前は本当にタマヒメを嫌ってなどいなかったのだな」


「当然だろ……」


 サグメは、僕とタマヒメが結ばれることを、タマヒメにとってのなによりの不幸だと考えた。だから僕をタマヒメから遠ざけようと画策した。僕が罪を犯したとなれば、タマヒメは多少は悲しむだろうが、それは一時的なものだ。長い寿命を持つ神にとっては、数日間仲良くしていただけの人間が犯罪で捕まったことによる悲しみなど、すぐに忘れてしまう程度のものでしかないだろう。


 将来の大きな不幸を防ぐために、近い未来の小さな不幸を与える。そんな行為は、相手のことを真に想っていなければ到底不可能なことだ。大抵の人間は保身に走り、このようなハイリスクハイリターンな行動を取ることはないだろう。


 サグメは誰よりも、タマヒメのことを案じていたのだ。


「……あいつはな、この性質のせいでワカヒコを殺して、除け者にされてたあたしを気にかけてくれたんだよ……葦原で行き場をなくしてたあたしを疎ましく思うでもなく、同情するでもなく……ただ一緒にいてくれた、親友なんだよ…………!」


 目に涙を溜めたサグメの、初めての披瀝。


「その気持ちを伝えたかった……なんども感謝の言葉を伝えようとして……でも、やっぱりだめなんだ……欺瞞の神としてのあたしが、邪魔をする」


 それは……これまでその性質によって誤解され、蔑まれてきた神の本性を知らしめるのに、十分な内容だった。


「大嫌いなんて――そんなのが本心なわけあるかっ! あたしは珠代を親友だと思ってる! 珠代が大好きだっ!」


 口に出して初めて、自覚する。

 精霊信仰の根強かった古来、人はそれを神霊の宿った言葉――言霊と呼んだ。


「ああ……そう、そうだな……あたしは珠代が、大好きなんだな…………ようやく、言えたな……」


 大きな親愛の情を、口にした。


 日本は、言霊の(さき)わふ国だ。

 言葉が生を祝福し、その者の自覚を確たるものとする。


 この時、サグメはようやくタマヒメのことを、確かな親友として認めることができたのだ。


「――だ、そうだ。そんなところに隠れていないで、サグメに応えてやったらどうだ、タマヒメよ」

 

 だというのなら、その真摯な気持ちに応えてやるのが、道理というものだろう。


「……あはは……気づいてたんですね、鮫さん……」


「珠代……!?」


 決まりの悪そうな顔で姿を現すタマヒメだが、この何もない部屋で、身を隠せる場所はそう多くない。彼女が隠れてサグメの結末を見守っていたことは、すぐに分かった。


「聞いてたのか、珠代……」


「……はい。最初から、ずっと」


 自らのあけすけな親愛の告白を聞かれてしまったサグメは、顔を赤くする。

 そんなサグメをタマヒメは、優しい笑みで受け入れる。


「私も……あなたが大好きですよ、サグメちゃん」


 サグメの友情に応えて、タマヒメは彼女の傍まで寄っていく。


「あ…………え、えっとな……」


 いざ本人を前にして、なかなか気持ちを言葉にできない様子のサグメ。

 しかしそれは神としての性質のせいではない。言葉とは、本心とは本来そういうものだ。そんなもどかしさを、サグメは今、初めて経験しているのだ。


 しばらく口をもにょもにょと動かした後――結局サグメは、端的に伝えることにしたらしい。


「……ごめん。……ごめんな……あんなひどいこと言って……お前を傷つけるようなこと、言って……」


 その時のことを思い返して、サグメは顔を歪める。


「いいえ……私の方こそ、信じられなくて、ごめんなさい……サグメちゃんがあんなこと思ってないって、信じきれなくてごめんなさい……!」


 対してタマヒメは、自身の弱さを披瀝する。

 サグメの嘘を、嘘であると信じ切ることができなかった。もしかしたらという可能性を、考えてしまった――それを謝っているのだ。


 二人はどちらからともなく抱き合うと、嗚咽混じりの声で、静かに泣き出した。


「違うだろう、二人とも」


 僕が声を掛けると、二柱の女神は抱き合ったまま、同時にこちらを向いて「違う……?」と不思議そうに首を傾げる。

 感動的な場面なので黙っていようとも思ったが、どうにも我慢できず、口を挟んでしまった。しかしそれも、仕方がないことなのかもしれない。この二人は、自分の気持ちを伝えることに慣れていないのだ。


「友情とは親愛とは――愛とは、常に前向きであるべきだ。ならば、二人が交わすべきはそんな謝罪の言葉などではないのではないか?」


 僕の言葉を聞いた二人は、顔を見合わせた。

 そうして再び言葉を紡ぐ。


「そうだね……サグメちゃん。――いつも、ありがとう」


「ああ……こっちこそ、ありがとうな、珠代……」


 真に伝えたい言葉を――言霊を送りあい、二人の巫女は、満面の笑顔になった。


「…………」


 もう少しこの二人を見ていたい気もあるが、場所が場所で、状況が状況だ。


「……つまり、全部演技だったわけね?」


 僕は玉座にいます、アマテラスに向き直る。


「感情が高ぶった状態のサグメに神通力を使わせるには、ああするしかなかったのでな」


 落ち着いた精神状態では、本当に伝えたい言葉というのは紡ぐことが難しい。無意識に、羞恥心や理性がブレーキをかけてしまうためだ。だから僕は、サグメの情緒の安定を崩し、かつ自然な形で《(うつろ)》の使用に踏み切らせる必要があった。


 そのために、僕はありもしない重い罪をサグメに着せ、サグメの動揺を引き出した。


「しかし、いくらそのような理由があったとはいえ、皇祖神に対して空言を奏上したのは揺るぎなき事実だ。いかなる裁きであっても、受け入れよう」


「ふうん。最初から、覚悟はあったわけだ」


 高天原の主宰神であるアマテラスの前であれだけ堂々と嘘をつき、サグメを陥れようと画策したのだ。不敬罪は免れないだろう。


「でも、いいの? 詳しいことはオモイカネに聞いてみなきゃわかんないけど……ミズハル、多分あんた、死刑だよ」


「僕は鮫水遥として、為すべきを為した。その果てに天照大御神から直々に死を与えられるというのなら、本望だ」


 虚勢でもなんでもない僕の本心。

 自分らしく生き、そのように死ぬというなら、悔いはない。


「だっ、だめだそんなの! 何勝手に死のうとしてんだよ!」


「そうです! 鮫さんは何も悪くないじゃないですか!」

 

 サグメとタマヒメの二人が、僕らが何の話をしているのか気づき、そう訴えてくれる。


「二人の気持ちはありがたいのだが、僕は――」


「ふふっ――あはははっ」


 僕が二人に断りを入れようとするのを見て、アマテラスが笑い声を上げる。


「アマテラス、様……?」


 突然笑い出したアマテラスをタマヒメが不思議がる。黙っているが、サグメも同じようなものだ。


「――いいわ。この一日で女神を二柱も味方につけたあんたの胆力に免じて、今回だけ特別に許したげる」


「しかし、そのような特例を作ってしまうのは……」


「じゃあ、内緒にしといて」


 アマテラスはそう言って、わるだくみをする稚児のような笑顔を覗かせた。我が国の太陽神は、存外お茶目なのかもしれない。


「というかね、不敬罪って要するに、私が不敬だと思ったかどうかでしょ? かわいい子孫(ミズハル)に下すような罪じゃないわよ」


「僕からすれば、願ってもないことだ。恐悦至極に存ずる」


 アマテラスの寛大な心によって、僕は命拾いをした形になった。

 そもそも、彼女は最初から僕の演技に気づいていたきらいがある。

 アマテラスもサグメの動機には疑問を抱いていて、それを確認するために、あえて僕の嘘を見逃していたという可能性――安易に否定することはできない。


「でも、サグメ。あんたは違うよ。死罪は冤罪だったけど、タヂカラオの畑を荒らしたのは、確たる事実だからね。今更覆すことはできない」


「ああ。それこそ、覚悟はできてるよ」


 涙を拭って、サグメはアマテラスに向き直る。

 いっとう伝えたいことを、伝えられたのだ。

 

「じゃあ、当初の判決通り――天探女。あんたを、神逐(かむやらい)――追放処分にする。もういっかい葦原で頭を冷やして来なさい」


「ああ――またな、アマテラス」


 今更、タマヒメと少し会いにくくなるくらい、なんともないことだろう。

 ならば、それは単に罰だ。罪に対する罰だ。タヂカラオの言ったように、純粋に己の穢れを清めるための時間なのだ。



   ☽



 アマテラスの居館から移動して、今はタマヒメの館付近。

 桜や木蓮や菊が道行く神々を祝福する川沿いを、僕、タマヒメ、サグメの三人で歩いていた。


 畑荒らし騒動に関するすべての話は終わりを迎えた。真犯人が見つかり、僕の濡れ衣は晴れ、被害者もその顛末に納得した。そしてなにより、二人の女神が心を通わせることができた。

 

「ときにサグメよ。《(うつろ)》の効果というのは、どれほど継続するものなのだろうか」


「今も継続してるぞ。それは、術の使役者が好きな時に解除できるもんだ」


「なるほど。神術とは、通常の魔術と異なる部分が多くて実に興味深いな」


 今はこうして軽い雑談を交わしながら、三人横並びに歩いて地上に向かっている最中だった。

 だったのだが、タマヒメの姿が見当たらない。後ろを振り向いてみれば、彼女は桜の木にとまった鶯に引き止められていた。

 僕とサグメはそれに気づいて歩みを止める。


 そうしてできた空き時間で、僕はこの度の騒動を振り返っていた。


「――しかし、今回の僕は反省点ばかりだな」


 独り言のつもりだったのだが、どうやらサグメには聞こえていたらしい。


「は? 常に最適解出し続けるえーあいみたいなお前が、なにを反省することがあるんだよ」


 僕とサグメはかなりの――親子ほどの――身長差があるので、隣り合って歩いていると、自然、サグメは僕を視界に入れるのに見上げる必要があった。彼女は僕を上目遣いで見上げて、首を傾げる。


「僕の嘘は神にまったく通用していなかった。タヂカラオにも、アマテラスにも、バレバレだったようだからな。どうやら僕は、とんだ大根役者だったようだ」


「いやいや、身動き取れない状態でタヂカラオの前に押し出されて、めちゃくちゃ怖かったんだが? 殺人罪を着せられそうになった時も、あたしは何が何だかわからなくて本気で混乱してたんだけど?」


 《(うつろ)》の効果で素直に当時の心情を吐露するサグメ。


「そこでサグメよ、演技上手な君が、僕に演技指導してはくれないか」


「無視すんなっ! ……演技上手? なんのことだよ」


「まだ神術の影響が残っているのだから、とぼけても無駄だろうに。散々言っていただろう、僕に惚れてしまいそうだとかなんだとか」


「あっ!? いや、あれは!」


「口に出せていたという事は、あれは嘘だったのだろう? 僕のタマヒメへの恋心がいかほどのものかを量るためのな。見事なものだったぞ。嘘であると見抜けなかった」


「それは――あ、当たり前だろ! 誰がお前なんかに惚れ――んぐぐぐっ」


 途中までやかましかったサグメが、突如口を噤んでしまった。どうやら、なにか嘘を言おうとして《(うつろ)》に止められてしまったらしい。


 そして、この状態で嘘を言おうとしたということは――サグメは強制的に、本音を打ち明けなければならない。

 自分が今から何を言おうとしているのか――本人であるサグメはそれを予想できる。


 今から自分が言おうとしていることを予想したその顔は、血の気が引いたように青くなっている。赤き瞳は恐怖に揺れている。しかし神術には逆らえず、サグメは口を開いてしまった。


「確かにさっきまでは嘘だったよ。だからあんだけ自然に演技できた。けどな……あ、あのな、水遥……あたし、今は――」


「ストップだ。《(うつろ)》の効果を解除する」


 僕がそう言うと、サグメの御魂に働いていた呂色の魔力がサッと雲散し、術式が破壊された。それによってサグメは神通力の強制力から解放され、口を噤むことに成功する。


「言いたくないことまで、無理に口にする必要はない」


 僕が思うに、この神術は、言いたくても言えないことを伝えるのに使うべきだ。理性が邪魔をして伝えられない本音を、神の力を借りて伝えるためのものなのだ。決して、隠しておきたい秘密を強制的に暴露させる、自白の用途で使うべきものではないと、そう考えている。

 彼女の青ざめた表情から察するに、今サグメが口にしようとしていたことも、それに類するものだったはずだ。そんなものを無理やりに聞き出すような趣味は、僕にはない。


「……だというのに、サグメよ、なぜ君は、恨めしそうな顔で僕を睨んでいるのだろうか?」


「……知らん。お前の判断が機敏すぎて呆れてるだけだ。…………あのまま最後まで言わされても、別にあたしは…………っ」


 なにやら、思うところがあるようだが……生憎と、僕とて他者の心の機微をすべて把握できるわけではない。


「言いたいことがあるなら、はっきり言うことだな。それでなくとも君の神としての性質が、本音がどこにあるのかを掴みづらくしているのだ」


「言いたいけど、言いたくないんだよっ」


「どちらかに絞れ」


「うぅ……もっ、もう知らん! お前なんか大嫌いだ馬鹿っ!」


 言葉として発することができる時点で、心から思っていることではない――つまりなんの意味もない暴言を吐いて、サグメは逃げるように遠くへ行ってしまった。一足先に、地上へと向かうつもりのようだ。

 どうにも行動が読めない女神で、面白い。サグメとは、良い友人になれそうだ――遠ざかる彼女の背中を見つめながら、僕はそんなことを思っていた。



   ☽



「すみません、おまたせしました鮫さん、サグメちゃん……って、あれ? サグメちゃんは?」


「彼女なら、すでに天浮橋で待っている」


「そうですか。待たせちゃってるんですね」


「ああ。では、僕たちも行こうか」


「……あ、あのっ、鮫さん。今日は……本当に、ありがとうございました」


「なにか、君に感謝されるようなことをした覚えはないのだが」


「そんなことないです。鮫さんのおかげで……私とサグメちゃんは、やっと本当の友達になれた気がします」


「僕はただ、自分の無罪を証明したくて必死だった。その過程で僕が無罪であることをアピールするために、ああする必要があったまでだ」


「鮫さんが嫌いな『嘘』をついてまで、する必要があったんですか?」


「当然だ。予測されるトラブルは可能な限り未然に防ぎ、何事も完璧にこなすのが僕のやり方だ」


「ふふっ……」


「好きだ、付き合ってくれ」


「えぇっ!? なんですかっ、急に! そこは『どうして笑っているんだ?』って返すところですよね!?」


「いや、君の笑顔があまりに魅力的だったので、反射でな」


「反射で告白しないでくださいっ」


「善処する」


「はい。もう……何を言おうとしていたのか、忘れちゃいそうでしたよ……えっと」


「……?」


「私に、サグメちゃんみたいな嘘を見抜く神通力はありませんけど……鮫さんの嘘だけは、不思議と分かっちゃいます。今笑ったのも、あなたの言葉が嘘だと、分かったからです。……あなたは、人のためになら、平然と嘘をついてしまうんですね。自分の矜持よりも、他人を想って……。でもそれを認めようとしないから、誤魔化すためにかわいい嘘を重ねるんです」


「そんなことはない。……サグメのことで嘘をついたのは……そうすることで、君の気を惹こうとしたのだ」


「また嘘をつきましたね?」


「まさか、僕が君に嘘をつくわけがないだろう」


「はい。でも、私は……鮫さんがそんな人で、良かったと思います。自分の信条を貫き通すためには、他人をも傷つけてしまう……そんな冷酷な人だったら、きっと悲しかったと思いますから」


「それは、そうだろうな。人を傷つける矜持を、矜持とは呼ばない。周囲を顧みないその姿勢は、独善と言われるものだ」


「そして……私がきっと、そうなんです。自分が、私が、悲しい思いをしたくないから……たったそれだけの理由で、人間を遠ざけてきたんです。相手がどんな人か、ちゃんと見ようともせずに」


「タマヒメ……」


「ごめんなさい。今、鮫さんを困らせちゃってます。あなたはここで、嘘でも『そんなことはない』と慰めの言葉をかけるような、そんな適当な人じゃないのに」


「すまないが、それだけは僕にはできないことだ。ともすると、それは独善なのかもしれないが……」


「私はそうは思いません。そして……そんな鮫さんだから、お願いが、あるんです。あなたにも、ヨドヒメさんにも言われたように……私も変わらなくちゃいけないと、思いますから。ただ拒絶してるだけじゃ、ダメなんだと思うから」


「君の願いというなら、なんなりと」


「ありがとうございます。では……あの、鮫さん……」


「ああ」


「こ、今度……私と物見遊山――でーと、してくれませんかっ」

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