六 春過ぎて
タマヒメの居館の中に、意識を失い目を閉じた少女がいた。こうしていると、少女からは普段の粗暴な印象が薄れ、むしろ小動物のような愛らしさが引き立っている。
「――…………ぅ……ん……?」
それは健康的な茶褐色の肌をした、幼い体格の女神だ。彼女が、ゆっくりと目を開いた。その目は燃えるような深紅に染まっており、不思議と視線が惹きつけられる。不思議な魅力のある双眸を持っていた。
「気がついたか、サグメよ」
僕はその女神――天探女に声を掛ける。
先の戦闘時、僕の最後の一撃により、サグメは気を失っていた。あれから一時間ほど経過した今、ようやく目を覚ましたというわけだ。
「あ、て、てめぇ……!」
意識を取り戻した彼女は、自分の置かれている状況を理解した。理解させられた、という方が正しいか。
彼女は今も、八頭の蛇により拘束されていた。拘束されているのが上半身であるだけ、先程よりはいくぶんか自由が効くだろう。それでも両腕を封じられた状態でできることは少ない。
サグメは案の定、僕に噛みついてくる。
「このカガチ共を消せ! 今すぐだ!」
怒りに任せて魔力を解放し、僕を威嚇する。
ちなみに先程からサグメが口にしているカガチとは古語で、蛇を意味する。
「それは無理な相談だ」
「はっ、いいのか? お前が言うこと聞かないようなら、また言霊で因果を――かひゅっ」
いつまでもがんがんと小うるさいその首を、一匹の蛇が絞め上げる。
首を絞められては、自慢の言霊も紡げないだろう。
「――ぁっ……かっ……っ」
身体は必死になってもがくが、両腕が拘束されている状態ではろくな抵抗もままならない。
サグメは身動きが取れないなりに、強い怨恨がこもった目をこちらに向けてくる。
「少しは自分の立場を考えたらどうだ。身動き一つ取れない状態で強がったところで、こうして自分の首を締めることになるだけだ」
どうやらまだ懲りていないようなので、さらに強く絞め上げてやる。
「っぅ……ゅっ……!?」
いよいよ生命の危機を感じ始めたか、サグメの抵抗がこれ以上ないほど激しいものになる。
しかしいくら力を込めたところで、蛇達はびくともしない。
「……っ! …………っっっ‼‼」
そろそろ頸動脈が圧迫されたことで、脳に酸素が送られなくなり、軽度の意識障害が発症し始める頃だ。人と神では人体の構造が異なるかとも思われたが、しっかりと低酸素症を引き起こしているのを見たところ、人体機能は変わらないとみていいだろう。
眦には涙が浮かんでいて、その目の光は霞がかったようにぼんやりとし始めている。
また気絶されては、面倒だ。僕はサグメの頤を掴んで、言ってやる。
「死にたくなくば、無駄な抵抗はしないことだ。従うなら、首を縦に振れ」
死の瀬戸際に瀕して、ようやく垂らされた蜘蛛の糸。今の彼女に体面を取り繕う余裕などないだろう。
サグメはこくこくこく、と一心不乱に首肯する。
僕は首の絞めを緩めてやった。
「――がはっ、はぁっ! ……はっ、かはっ、はっ、はっ…………!」
サグメは解放されるや否や、酸素をむさぼるように呼吸する。その場にぐったりと顔を俯かせて座り込み、肩で息をしている。
しばらくして呼吸が安定してくると、サグメは顔を上げて僕を見上げる。
「はぁ……はぁ……」
その目には、もはや先程のような恨みは感じられない。その赤い目に宿っているのは恐怖心だ。
サグメは最初、僕が脅しで絞首を行ったのだと判断したに違いない。それは自分を従わせるためのもので、本気ではないと。しかしその締め付けを強められた時、サグメはおそらく理解した。それは脅しでもなんでもなく、本気で自分が命を落としても構わないと僕が思っていることに。自分が従わなければ、この男は容赦なく自分を絞め殺す。そのことを死に瀕した御魂が本能で感じ取ったため、サグメは僕のことを恐れずにはいられなくなったのだ。
「イカレてやがる……」
「お前ほどではない」
サグメは心底嫌そうな顔をした。どうやら、僕以上に異常だと言われたことが心外だったらしい。
「……で? お前はあたしをどうしたいんだよ。結局殺すのか?」
「冗談だとしたら下の下だな。なんのために、そんな準備をしたと思っている」
「準備だと……って、これは⁉︎」
僕と話しているうちに冷静さを取り戻し、ようやく気付いたようだ。自身が纏っている衣装が変化していることに。
先程まで着ていたボロ布のような衣は捨て、今は白地に紅葉の柄が施された縮緬の振袖で着飾られている。といっても、正式な中振袖とは異なり、ところどころにスリットが入った身軽さを重視したものだ。これによって、彼女の魅力である小麦色のふとももはしっかりと露出させられている。僕の趣味だ。
「タマヒメが持っていた着物に――君に似合うようアレンジを加えたものだ」
「な、なんでこんなこと……」
「髪を切ってやった時にも同じようなことを言ったが……せっかく素材がいいのだから、それを生かさなくては損だろう。現に、こうして身なりを整えた君は、思わず見とれてしまうほど美しい」
「――……っ!」
サグメはこれ以上ないほど顔を真っ赤にして、口を鯉のようにぱくぱくと動かしている。
「どの道人前に姿を見せるなら、こちらの方が相手にも好感触なのは分かるだろう。君が気絶している間に、着替えてもらった」
「気絶してる間って……まさかお前っ、あたしの、は、裸を見たのか⁉︎」
これ以上はないと思っていたが、どうやらまだ上があったようだ。彼女は羞恥心を隠そうともせず、その表情に発露させる。先程とは別の理由で、泣き出しそうだった。
「もし見ていたら、なんだと言うのだ」
「責任取れ! あたしはこんなでもな、生娘なんだぞっ! それが気を失ってる間に、男にいいようにされただなんてなぁ……うぅ……!」
想像しただけで耐えられなかったのだろう、サグメは顔を真っ赤にして、涙目になりながら主張する。
「責任とやらを取ること自体は、別に構わないのだが……」
するとサグメは、ぽかんと口を開けて僕を見る。
「……え、あたしでもいいのか……?」
驚愕と期待の入り混じった顔で、サグメが呟いた。
「それは、見ていたらの話だ。安心し給え。君を着替えさせたのはタマヒメだ。僕は外に出ていた」
「そ、そうか……。あ、いや、当然だっ!」
サグメは僕の返答に落ち込んだと思ったら、思い出したかのように怒りだした。忙しないやつだ。
「ともかく、その正装に着替えたところで――ゆくぞ」
はて、と首を傾げて、サグメが言う。
「行くってどこに……そういや、珠代の姿が見えねえけど……」
「無論、『正当なる裁き』を受けに、だ。タマヒメはその先にいる」
☽
僕とサグメが向かったのは、昨日、アマテラスから教えてもらった犯行現場。
そこに到着してから、まず目に入ったのは、その惨状だ。
「なるほど。これが僕のせいになっているわけか」
そこにあるのは畑だ。畝はめちゃくちゃに壊され、一部が水浸しになっている。根野菜は掘り返され、収穫間近だった稲は踏み倒されていた。
「きひひっ、こりゃひどい。お前が天津罪を着せられたのも、道理だといえ――……ひっ!?」
「どの口が言っている」
蛇を仕向け、少し威嚇してやると、サグメはかわいい悲鳴を上げたきり静かになった。
どうやら先程の絞首がほどよいトラウマになっているようだ。サグメには悪いことをしたが、彼女の生意気な性格の、よい抑止力になってくれている。
「――……ここに何の用だ」
などと楽しく話していると、畑の横に建てられた館から男が出てきた。
身長は2mを超える大男で、筋骨隆々とした体格は日本の山岳地帯を思わせる。
ここの家主にして、今回の畑荒らし騒動の被害者である、天之手力男神だ。
「……ん? お前、その顔は――!」
僕の顔を一目見て、タヂカラオは憤怒の形相をする。
そのはちきれんばかりの筋肉には血管が浮かび上がっており、燃えるような赤き魔力がそれを一層恐ろしくしている。
「どの面下げて出てきやがった? 殺されてぇのか」
それはもちろん、記憶の中の犯人像と、僕の顔が一致しているからに他ならない。僕の顔を見た瞬間、彼は僕が犯人であると確信した。だから今更になって犯行現場に戻ってきた僕に怒っているのだ。
大気が震撼するような威圧感を覚えながらも、僕はタヂカラオの言葉に応えていく。
「殺すというのなら、好きにするがいい」
「なに?」
「しかし、その対象は僕ではない。――こいつだ」
といって、僕は視線で、大蛇に上半身を拘束され、素足を宙でぷらぷらと揺らしている幼い女神を示す。
「どういうことだ? ……お前は、たしか……」
なぜか僕に拘束されているサグメを、タヂカラオはじっと見つめる。
「貴殿は知っていることだろうが、こいつは天探女。建国神話の際は、主宰神の意志に背き高天原中を騒がせた、悪しき女神だ」
「ああ、覚えてるぜ。ワカヒコを唆した女だろ。あの後悪事がバレて、姐さんにここから追放された間抜けだ」
「はんっ……」
タヂカラオを話を、サグメは面白くなさそうに聞いていた。否定しないところを見るに、事実なのだろう。神話には記されていなかったが、あの話の後、サグメはしっかりと罰を受けていたらしい。
「ならば、その間抜けがここにいる理由もおのずと分かってくるだろう。受刑者の二人に一人が、出所後、再犯を犯し刑務所に戻ってくるのだ」
「今回の犯人も、お前じゃなくて、そこの間抜けだってか」
「そうだ。神術《天竄》。世界の事象を、彼女の好きなように改竄することができる。貴殿の目撃した僕は、僕ではない。この《天竄》によって改竄された光景を見せられたにすぎない。神通力を使った改竄によって『鮫水遥によって荒らされた畑』という現実を作り上げたサグメこそが、今回の事件の真犯人だ」
タヂカラオは、考え込むように顎に手を当てる。過去のサグメを知るタヂカラオとしては、僕の言っていることを嘘だと一蹴するのは早計だろう。かといって、むやみに信じるわけにはいかない。彼は自分の眼で、僕の顔を目撃しているのだ。やはり、自分の記憶を何より信じたくなるのは、人も神も同じことだろう。
「証拠はあるのか?」
だから当然の成り行きとして、タヂカラオは僕に証拠の提示を要求した。僕はそれによどみなく対応していく。
「そもそも貴殿の畑が荒らされた昼頃、僕には学校で授業を受けていたというアリバイがある。その事象までは改竄できない辺りが、この間抜けな女神の力の限界ということだ」
「間抜け間抜け連呼しやがって、後で覚えてろよ……!」
「それになにより、本人からの証言がある。サグメは先程、自分が真の犯人であると認めたところだ」
「事実か?」
タヂカラオが、サグメに確認する。
「おいおい、そいつは早とちりってやつだぜ、鮫水遥。あたしはこう言っただけだ。『例えば、どこぞの人間が神の畑を荒らした――そんな事実さえ、作れちまうかもな?』――あくまで例えだぜ、例え」
「その物言いは、自分が犯人だと言っているようなものなのだがな」
まだ白を切るつもりでいるサグメに呆れつつ、数匹の蛇を操り、サグメの前で頭を高く上げて威嚇行動をとらせた。
「あっ、あたしがやりましたっ」
緊迫した声で言うサグメ。
やはり便利なものだ。
「と言うことだ」
「今の葦原では、脅迫による自白はダメなんじゃねえのか? オモイカネに聞いたぜ」
僕とサグメのやりとりを見て、タヂカラオが苦笑いを浮かべる。
それは日本国憲法により定められている、現在の司法制度の一つだ。自白制度と呼ばれる。
「その通りだ。それを言い出すと、証拠が本人の自白だけでは有罪にならないという『補強法則』にも反するため、サグメが犯人であるとする証拠はないことになる。……だが、ここは高天原だ。どちらを信じるかは、貴殿に任せよう」
「この女を信じる。オレがそう言ったら?」
想定内の質問だ。僕はそれにもノータイムで答えた。
「サグメは嘘がつけなくなる神術を扱える。それを使えば、僕たちの言っていることが真実か否か判断できるだろう」
先程は僕から本音を引き出し、タマヒメを失望させるためにサグメが用いた《虚》。あの時は本音を話してはいけないという場面だったが、今は逆だ。強制的に真実を暴露させられてしまうこの神術を使った言葉ならば、裁判の証言としてこの上ないものになるだろう。
「……ククッ、おもしれえ。口が上手い野郎だ。まるでオモイカネと口論してるみたいだぜ」
僕はタヂカラオが、僕が犯人でない可能性を考える道筋を示していた。
最初に僕は犯人でないと断言することで、まず彼に様々な可能性を考えさせる。そしてさり気ない証拠をまず提示することで、徐々にタヂカラオの中でサグメが犯人である可能性を増やしていった。そうしてサグメが犯人か否か、僕が無罪か否かを判断する最後のピースとして、最も強力な手札である《虚》の存在を明かした。もし口八丁手八丁で誤魔化す気でいたなら、この神術の存在はむしろ隠しておくべきものだったはずだ。なぜなら、僕が嘘をついていた場合、ここで実演して見せろと言われたら終わりだから。それをあえて自分から開示したこと、そんな強い判断材料を最後に用意していたことを、タヂカラオは褒めたのだろう。
「分かった。オレはお前の言うことを信じるぜ、ああと……」
タヂカラオは野性味のある笑みで応じてくれた。力自慢で有名なタヂカラオのことだ、もし決闘など申し込まれたらいかにして回避しようかとも考えていたが、杞憂だったようだ。
「鮫水遥だ」
僕は右手を差し出し、握手を求める。
「そうか、水遥。……ところで、なんでオレんところに先に来たんだ? 姐さんとこに直行しとけばよかったんじゃねえのか? オレも、後からそこに行く予定だったんだからよ」
タヂカラオはそれに快く応じつつも、僕の行動に対して疑問を呈してきた。
実際に裁きを下すのは天照だ。本来ならば、アマテラスの居館にてこのやり取りをするべきだったのだ。
それでも僕がここに寄り、タヂカラオ一人と話を着けに来たのには理由がある。
「それなのだがな、タヂカラオよ」
僕は一歩前に出て、タヂカラオの目を覗き込む。
「畑を荒らされた上に、改竄された人物を犯人と信じ込まされていたのだ。サグメの手の平の上で転がされ、やり場のない鬱憤も溜まっていることだろう」
「回りくどい話し方だな。つまりは何が言いたいんだ?」
「なに、こいつは丈夫でな。斬っても絞めても死なない。ならば貴殿には、憂さ晴らしに一撃入れるくらいの権利はあると思ってな」
そう言って僕は蛇達を操り、拘束状態にあるサグメの身体を、タヂカラオの前に差し出した。
「お、お前……ホントにあたしのこと、何とも思ってないんだな……っ」
その迷いない行動に、彼女が頬を引きつらせる。……そこになにやら喜悦の感情が混じって見えたのは、僕の錯覚だろう。
「ほう。若人にしては、いい心がけじゃねえか」
サグメとの距離を詰めて、威嚇するように指をぽきぽきと鳴らすタヂカラオ。
「は? おいお前、本気であたしを殴るつもりかよ。力しか取り柄のない神にできるのは、せいぜい無抵抗の女をいたぶって遊ぶくらいってことか?」
それに狂犬のごとく噛付く彼女の姿勢は、見習うべきかもしれない。相変わらず、そういう態度が結果的に自分を苦しめることになるとは気づいていないのだろうか。
「……なるほどな。こいつはたしかに、殴りたくなる性格してやがる」
「そうだろう? 僕も先程そう思って……つい、な」
「かかっ、見かけによらずおっかねえな、お前。気に入ったぜ」
「『つい』であんな思いさせられたのかッ、あたしは!」
僕とタヂカラオが和気藹々と親交を深めていると、サグメがまたなにやら騒ぎ出した。仕方がないので、僕は彼女の方に意識を向けると、話を先に進めた。
「……それで、どうする? 一発くらいならば、アマテラスも許してくれるだろう」
「……そうだな」
返事をしたタヂカラオは、また一歩サグメへと近づく。タヂカラオの巨体がサグメの前に堂々と立ち塞がり、彼女の身体をその陰で覆い隠してしまう。
「ふんっ――」
その至近距離から、タヂカラオは山をも砕く拳を振り上げた。
「……ぅ!」
この国の戦神とも言えるタヂカラオの一撃だ、流石にただでは済まない――そう思っただろうサグメは反射的に目を瞑り、数秒後に襲い掛かる痛みと衝撃に耐えようとしていた。
「――なんてな。さすがにオレも、そこまで子供じゃない」
しかし、その拳が振り下ろされることはなかった。
タヂカラオは拳をぱっと開き、その掌をひらひらと振る。
「……なんのつもりだよ」
そんなタヂカラオの行動に納得がいかないのが、サグメだ。
彼女には、タヂカラオの意図が理解できなかったのだろう。
「――罪には罰が下される。罪を犯したお前は今から姐さんのところに行って、高天原の法に則った正当な罰を受ける。……なら、それでチャラだ。しっかりと罰を受け、罪を償ったなら、オレがお前を恨む道理はなくなる。それ以上に恨みを残し続けるってのは、おかしな話だ。その時にはお前はもう、罪を償い終えてるんだからな。そうじゃなかったら、なんのための罰だ?」
タヂカラオは腕を組み、縷々として説明してやった。
つまり、この国の主宰神である天照大御神が司法権を行使し、サグメを断罪する――それこそが『正当なる裁き』であって、それ以外のいかなる報復は、たとえそれが妥当な恨みであったとしても、許されないということだ。
「ふはははッ、素晴らしい、実に素晴らしい答えだ、タヂカラオよ! 理屈ではそれが正しいと分かっていても、感情が追い付かず個人的な恨みを抱き続けるのが世の常だ。その恨みつらみを飲み込み、文明社会に生きる者としての理想的な在り方を毅然と示して見せた貴殿は、実に尊敬に値する!」
僕は両腕を広げて、タヂカラオの判断を褒めちぎる。その姿勢は、僕が常にそうあろうと心掛けている正道、正しき生き様だ。それを目の前で体現してくれた神を、僕は諸手を挙げて称賛したのだ。
「……ケッ」
そんな僕の反応が面白くないのが、サグメだ。
彼女からしたら、タヂカラオに情けをかけられて助けられたようなものだ。
自分が犯人ではないと白を切り、報復を受けると知ったら相手を煽っていた自分。大人の判断でやり返してやりたい気持ちを我慢して、アマテラスによる断罪を望んだタヂカラオ。
そのような人格面での差を見せつけられては、自身の無事を素直に喜ぶわけにもいかないだろう。
「……白々しいぜ。お前、人の顔を立てるようなつまんねえ真似しやがって」
……そう思っていたが、どうやら、面白くないのはサグメだけではなかったようだ。
タヂカラオも彼女同様、どこか納得がいっていないような複雑な表情で、僕を睨む。
「水遥、お前、オレにこの判断をさせるために、わざとこんなことしやがったんだな」
「……え? どういうことだよ?」
タヂカラオの突然の追及に、サグメは混乱する。かく言う僕も、まさか気づかれているとは思っていなかったため、少々面食らっていた。
「当のお前が気づかないでどうする。水遥のやつ、ずっと目を光らせてただろ。オレの動きを見逃さないように」
「なんのことだろうか」
「このままだとオレは、そこの女に騙されているとも知らずに訴えを起こした馬鹿野郎ということになる。だからお前は芝居を打った。オレにサグメへの報復の場を与えることで、さっきみたいな反応を引き出そうとしたんだろ。ようはオレに花を持たせたわけだ」
「……ほんとなのか?」
サグメが困惑顔で訊ねてくる。
「まさか。僕は常に本心から生きていると言ったはずだぞ」
「ならその信条を曲げたってことだろ。お前がオレを警戒してたのは、万一オレが本当にこの女を攻撃したとき、すぐに回避させるためだ。お前の勝手な芝居で、サグメのやつが傷つくのは避けたかったんだろ?」
タヂカラオの追及は続く。その話し方からは確信に近いものを感じる。
もはや言い逃れは不可能かもしれない。しかし、これはあまり僕としては認めたくない部分だ。徹底抗戦といこう。
「……警戒していたのは認めよう。しかしそれは、サグメに対してだ。大蛇による拘束を突破して、逃げ出さないようにな」
「こんなにがっちりと縛り上げられてる奴をお前が警戒してたってのは、無理があるぜ」
笑いながら、タヂカラオが言う。
「ならば僕が、身動きが取れない相手からの攻撃に怯えていた臆病者だというだけの話だ」
「水遥、お前……」
そこまで聞いて、タヂカラオは驚いたように目を開いた。
「……そうか。そこまで言うなら、そうだな、オレの勘違いだ。――お前はそれでいいんだな。大したもんだ」
限界まで粘ったところで、ようやくタヂカラオは話を終わらせてくれた。演技など、慣れないものはするものではないな。
「じゃ、これで話は終わりだな。本来ならこの後姐さんのところにいくつもりだったが、オレはここに残るぜ。もう行く意味がなくなったからな。……サグメ、しっかりと罰を受けてくるんだぞ」
「……あ、ああ……騙したりして悪かったな……?」
タヂカラオはそこで話を打ち切ると、僕らに背を向けて自らの居館へと姿を消した。
取り残されたサグメは釈然としない様子で、僕と彼のやり取りに首を傾げていた。
☾玉日女命☽
サグメちゃんを連れた鮫さんが、タヂカラオさんの居館から離れていきます。その後ろ姿の向かう先は、アマテラス様のところです。本来なら、私も今そこにいるべきでした。しかし私はヨドヒメさんと一緒に、タヂカラオさんの家の中から隠れて二人の様子を窺っていました。
「行ったぞ」
戻ってきたタヂカラオさんが私たちに声を掛けます。
「ありがとね、匿ってくれて」
「それは別に構わねえよ。結果的に、真犯人を知ることができたしな」
がはは、と腰に手を当てて笑うタヂカラオさん。
そうです。私たちはここから一部始終を見ていたので、その様子もしっかりと目に映りました。
畑荒らしの犯人が、サグメちゃんだった。
それを脅されてのこととはいえ、本人が認めていたんです。
「…………」
「ちょっとあんた、無神経にも程があるでしょ! たしかにあんたからしたら犯人が見つかって良かったかもしれないけど、その子はタマヒメの親友なんだよ?」
「あ、ああ……そうか、お前の前で喜ぶべきじゃなかったな、悪い」
タヂカラオさんが後頭部に手をあてて、申し訳なさそうに頭を下げます。
「い、いえ……そんな、大丈夫です」
口ではそう言いながら、その言葉はどこか上滑りしていました。
まるで私の体から御魂だけが抜け出たような非現実的なふわふわとした感覚に包まれていたのです。
たしかにヨドヒメさんの言うように、私たちが見た光景は衝撃的なものでした。
サグメちゃんが、悪事を働いた。私なんかと一緒に遊んでくれて、私なんかに優しく笑いかけてくれた、子供みたいに無邪気で、少しいたずら好きな、あのサグメちゃんが。
私のことを、嫌いだと言って。そう言って、鮫さんを傷つけようとした。そのために、彼に罪を着せるために、きっとサグメちゃんはタヂカラオさんの畑を荒らしたんです。それを理解してしまったとき、その行動を取っているサグメちゃんを簡単に想像できてしまったとき、私は私のことが大嫌いになりました。サグメちゃんが私に言ったことは、あの悲しい言葉は、嘘だって信じていたはずなのに。そう鮫さんの眼を見て、宣言したはずなのに。気を抜くと、私の生来の弱い部分が、どうしても良くない想像をしてしまう。あまつさえ、規模さえ違うが、同じようなことをサグメちゃんならいたずらでしそうだ、などと思ってしまう。そんな私が嫌で嫌で、また私は涙を流してしまいそうになるんです。
けれどそれよりも驚いたのは、それよりも強く私の心に残ったのは、鮫さんが最後に取った行動でした。
あれだけ堂々と本心から生きている、嘘をつかずに生きている、とっていた彼がついた嘘。タヂカラオさんの面子を保つため、サグメちゃんに反省を促すためについた嘘。鮫さんは、ああいう風に嘘をつくんだと、知りました。バレバレで、とても不器用。ほんとうに、どうしてサグメちゃんは気づかなかったんでしょう。
口ではなんだかんだと言いながら、あの人は、自分のことなんて全部後回しなんです。人のために、自分以外の誰も傷つかない嘘をついた。
いつも自分に自信があって、隙がない人だと思ってました。でも、そうじゃないのかもしれない。
少しでも目を逸らしていたら見逃してしまいそうな、分かりにくいものです。でもそれは、一度気づいてしまったら、二度と見失うことのできないものです。
だからこの時、私は初めて鮫さんを、身近な存在に感じられたのかもしれない。
そしてもしかしたら、と。
彼ならば、サグメちゃんのことを救ってくれるんじゃないか、なんて。
そんな無茶なことまで願ってしまいます。なぜなら、彼は言っていたんです。『本当の彼女を取り戻すために』、と。私にとっての本当のサグメちゃんは、優しい子です。そして、鮫さんは嘘つきでも、自分のための嘘をつかない嘘つきだということを、今知りました。
それなら――と。どんなに難しいことだと分かっていても、心の中で願わずにはいられなかったんです。
「鮫さん、どうか……サグメちゃんを、助けてあげてください」
私はヨドヒメさんにもタヂカラオさんにも聞こえないくらい、小さな声で呟きました。




