六話 闇夜の一番星
「酷いですよ勇者様! 私ずっとずっと教会で勇者様待ってたんですよ⁉」
「悪い悪い。緊急事態だったんだよ」
つい先程のことだ。
宿で食事が出ないことを知った俺が、街に出て出店で食料を買い集めていたところ……
白髪の女が、怒り心頭で話しかけてきた。
なんだなんだ不審者か? と思ってよくよく見てみると、そいつは召喚士さんだった。
少女のことですっかり忘れていたが、そういえばこんな人もいたなと思いつつ、事のあらましを彼女に話した。
すると召喚士さんは、俺への怒りも忘れて「丁度勇者様に渡そうと夕食を持ってきていたんです。これでその子に夕食を作ってあげましょう!」と、手に下げた籠を示して言ってくれた。
なんだかんだで、優しい人なんだろうな。
そして、帰ってきた宿泊部屋にて、俺と召喚士さん、少女の三人が集まっていた。
「なんですかこのかわいい女の子! 魔草少女ですか⁉」
「聞きなれない単語だな……なろうのテンプレから外れた設定出されても困るんだが?」
「なんで半ギレなのかは訊きませんけど……魔草少女ですよ。セレスティアから西へ遠く離れた大地に広がる『コエティア森林』に棲んでる、すっごくかわいい植物の女の子達です! 勇者様は知らなくても仕方ないですけど、みんな美形なので、この世界では褒め言葉として、『美人』という意味で例えられるんですよ」
「へえ……一回ぐらいは会ってみたいな」
つまり、美少女天国ということだ。
男として行かないわけにはいかない!
「……魔草少女……」
今の話を聞いていた少女が、ぽつりとつぶやいた。
……そうだ。今はそんな遠方の美少女達より、目の前の美少女について詳しく知らなければならない。
「……とりあえず、他己紹介だよな。このやたらテンションの高い如何にも頭の弱そうな女は、召喚士さんだ」
「えっ今の私の事だったんですか職業名聞くまで誰の紹介してるのか分からなかったんですけど……?」
召喚士さんについて端的に伝える――色々端折りすぎた気もするが――と、少女は二度ほど瞬きをして、
「よろしくお願いします、召喚士さん」
「いや『召喚士さん』っていう名前ではないんですけどね……まあ、はい。よろしくお願いします、美少女ちゃん!」
と言って、少女をぎゅうっと抱きしめる召喚士さん。
少女は苦し気な声を上げたが、その表情からは喜びが見て取れた。
この空間名前がない人の割合高いな……。
「お腹空いてるんですよね? 今日はモンスターたくさん討伐して報酬も入ったので、好きなだけ食べてください! ……あ、いいですよね、勇者様?」
あのモンスターの半数は俺が討伐したものだ。
本来なら山分けとなる俺の分の報酬で買った食料を少女に与えてもいいのか、と聞いているんだろう。
「いいよ。……というか、それは全部召喚士さんの取り分ってことでいいよ。慣れない術口を使った魔術を成功させたんだから」
「……ありがとうございます、勇者様」
ぺこりと頭を下げて、バスケットの中から食べ物を取り出す召喚士さん。
元の世界で見慣れたものもあれば、初めて見るゲテモノ食材も散見される。
「材料ばっかだけど……このまま齧るのか?」
「何言ってるんですか。これから料理するんですよ!」
「料理って誰が」
「私ですけど……」
「は?」
「だからなんで半ギレなんですか……台所借りますね、って言っても宿屋のですけど」
こいつみたいなキャラは、家事全般触れたことないメシマズヒロインと相場が決まっているはずだ。
まさか料理ができるなんて……そんなことあってはならない。
「とにかくすぐに作るので……待っててくださいね」
それだけ言うと、召喚士さんは食材をバスケットにしまい、奥の方に引っ込んでいった。
後には俺と少女が残る。
「仲良いのね」
「まだ会って二日目なんだぞ」
「そうなの?」
「俺はこの世界の人間じゃない、転移者だからな。一週間前に召喚士さんに召喚されて、この世界に来たばかりなんだよ」
事情が事情なので、少女には俺のことを包み隠さず話すことに決めた。
と言っても、そもそも隠しているというわけでもないんだけど。
国王とかは知っているし。
「……じゃあ、トキは私と同じなのね」
少女は笑う。
自分と俺が、同じだと言う。
それはつまり、この世界について何も知らない、という意味であって。
しかし少女にとっては、笑いごとなどでは済まない意味を持つ言葉。
「…………」
――少女は、記憶喪失だったのだ。
自分の名前だけではない――セレスティア王国や、魔王の存在、この世界では日常に溶け込んでいるはずであろう魔術のことまで……何も覚えていなかった。
正に、ここはどこ、私はだれ、だ。
少女は同じだと言ったが……
俺は、自分が中史時であるという自覚がある。
些末なように聞こえるかもしれないが、確たる自意識を持っているか否かというのは、人間にとって非常に大きな問題だ。
そんな俺と今の少女が「同じ」などとは、冗談でも言えることではないだろう。
俺なんかはむしろ、夢だった異世界転移無双ができてワクワクしているほどだ。
自分が何者かも分からない状態で、知らない場所に一人取り残されているこの状況……
少女の抱く不安の大きさは計り知れない。
今は召喚士さんのこともあって表情は明るいが、自身が記憶喪失であると気づいたときの少女の悲愴な顔といったらなかった。
あんな顔を見せられてしまったら、俺は、中史として――
「でも……なんとなく、理由が分かったわ」
「なんの理由だ?」
「トキは……なんだか、特別な感じがするのよ。町で見たどんな人とも違う……心の奥に隠された、力強さみたいなものが、輝いてる感じ」
それはたどたどしく……第六感で受け取った感覚を言語化するのに苦戦しているように見える。
心の奥に、輝くもの……それはおそらく、御魂のことだ。
(まさか……)
この少女は、俺がこの世界の人間よりも強靭な御魂を宿していることを見抜いたのか?
「なるほど。お前はもしかしたら、魔術の……才能というか、適性があるのかもしれないな」
「適性……。じゃあもしかして、これが魔力なの?」
すると、少女の手のひらから、仄かな青の燐光が漏れ出す。
可視化した魔力だ。
「そうだ」
「そうなんだ。これを出せることは、なんとなく覚えてたんだけど……」
これはもう確定だろう。
驚いたことに、少女は魔力を、それとは知らずに操ることができている。
「……お前の御魂の傷は、自身でつけたものだった。記憶を失くす前、お前はその魔術適性で何か大規模な魔術でも使おうとしてたんじゃないか? それで失敗して、自損したのかもしれない」
この場で立てた推測を少女に打ち明ける。
「ううん……分からないわ……」
続く言葉は一度途切れ、一呼吸置いた後、
「分からない……私のことなのに」
少女の顔に翳りが差す。
これまで溜めていた不安を吐き出すように。
それは俺には、幾分か唐突にも思えたが……何か、少女には思う事があったのだろう。
堰を切ったように話し出す。
「たしかに私の記憶なのよ……私が持ってたはずなのに……」
雲をつかむように、宙に手をのばした。
「そこにあったはずのものが……ぽっかりと穴が開いて、抜け落ちちゃってる……」
少女は悲し気に眉を歪ませ、気づけば眦に涙を浮かべている。
「幸せじゃなかったかもしれないけど……昨日まで、私は私だったはずなのよ……」
独り言のような問いだった。いや、事実、それは自分に向けられたものだったのかもしれない。
「――――私は、なんなの?」
……本当に、少女は一人なのだ。
もしくは、一人ですらないのだ。
記憶とは、個人を個人たらしめる核のようなもの。
俺は中史時として日本に生まれ、色々な人と出会い、今ここにいる。
それもこれも全ては、記憶によって確定付けられている過去なのだ。
「記憶」が、中史時の存在を支えている。
記憶こそが俺の正体だ、と言い換えてもいい。
ならば過去をすべて失い、記憶を総て喪失した、今の少女は。
少女は、果たしてこの世界に存在しているのだと、断言できるだろうか。
少女はここにいるのだと、言い切ることができるだろうか。
きっと、少女が今感じているのはそんな形容しようのない不安なのだ。
己が己であり、世界に存在しているという確たる証明を欲している。
少なくとも、俺にそれを決める権利はない。
それを持つのは彼女自身。
どこぞの懐疑論者じゃないが、自分の名前を真の意味で呼ぶ事のできる人間は、自分だけなのだから。
――それでも。
「……大丈夫だ」
少女が伸ばした手を、俺は取る。
白魚のように透き通った造り物のような、けれども確かな温もりを感じる細い指先、小さな手。
それは微かに震えていた。
無責任なことは言えない。
根拠のないことは口に出せない。
――それでも、
「今はまだ、お前じゃないかもしれない。今は誰も、お前の名前を呼ぶことはないかもしれない」
俺は言葉を発す。
それは深山からあふれ出た清水のように、静かに、けれど連綿と流れていく。
「名前がなくて、居場所がなくて、どうしようもないくらい不安でいっぱいで、その場に立ち竦むことになるかもしれない」
冬の夜の湖のように澄んだ、黒の瞳が俺を覗く。
「……けどな」
俺はその視線から逃げない。
「まずは生きてみろ。歩いてみろ。自分が気が付かなかっただけで、名前は意外と、傍に落ちているかもしれない。見落としていただけで、居場所は案外、すぐ近くにあるかもしれない」
「どうして……」
縋るような眼差しが俺に向けられる。
「トキは……どうして、そんなことが言えるの?」
無責任を責めているようにも、一縷の望みを求めているようにも聞こえる問いかけ。
少女の眼の中で揺れ動く意志は強固だった。
それを見て俺は――一部の親しい間柄以外の人間に、初めてこの過去を告げることを決めた。
「――俺も実は、記憶喪失なんだよ」
それは、ノイズ混じりの言葉。
「小学生の頃のとある記憶を、失くしたままなんだ」
☽
「「「いただきます」」」
明るい声が室内に響く。
テーブルには見事な料理が並べられている。
小麦色に焼けたパンに、カボチャのシチュー、生ハムとサーモンのサラダ。
「食後には果物の盛り合わせを用意してあるので、後で持ってきますね」
「お……おかしい……」
「……勇者様? 何かお気に召さない点がありましたか?」
「いや……そうじゃない」
何一つ黒焦げになってない……だと……⁉
どうせ召喚士さんのことだから、大見得切って期待させておいて、いざ出てくるのは炭の山――待っているのはそんな展開じゃなかったのか……⁉
「……すごくまともだ」
「一応、家では自炊してるので……」
後ろ手にエプロンを外しつつ、照れるようにはにかむ召喚士さん。
「このシチュー、セミの抜け殻とか入ってないよな?」
「入ってませんよ!」
「そうか……」
某ガキ大将のシチューでは定番の具材なんだが……どうやら本当に召喚士さんはメシマズヒロインではないようだ。
「そうとなれば……冷めないうちに食べるか」
「そうね。改めて、いただきます」
こういう習慣は覚えているらしい少女と俺は、命に感謝しつつ、スプーンですくったシチューに口をつける。
一口目を飲み込むと……
『…………』
俺たちは、すぐさま二口目を口に運ぶ。
「えっと……どうでしょうか。実は私、家族以外に手料理を振舞ったことがなくて……。私の家系が、全員味音痴じゃないという保証もないので……」
そわそわした様子で味の感想を求めてくる召喚士さん。
口の中に芳醇な……とかなんとか、食レポの才能は俺にはない。
とりあえず「舌鼓を打つ」とか言っておけばそれっぽいなぁ、くらいの認識だ。
なので、
「美味いよ」
シンプルかつ分かりやすい言葉で返す。
「本当に美味しいわ!」
どうやら少女も俺と同じタイプだったらしく、それだけ言うとまた黙々と手を動かし始める。
「……ほんとうですか?」
「ここで嘘言ってどうするんだよ。正直、異世界でこんなおいしい料理が食べられるとは思ってなかったから、嬉しいよ。ありがとう、召喚士さん」
虚心のままに告げ、生ハムで野菜を巻いたサラダを口の中に放り込む。
「そうですか……なら、良かったです」
召喚士さんは、その言葉を胸に抱くように、手を重ねて破顔した。
「……っは。ゆ、勇者様のために作ったんじゃないですからね!」
「思いついたようにツンデレしなくていいから」