二十五話 約束?
一億二千万の日本国民が待ちかねたゴールデンウィーク初日、五月二日の土曜日。
最寄りの駅からバスで数十分のところにある大型ショッピングモールに、俺とヒカリ、輝夜は足を踏み入れた。……などと少し大げさな表現をしたのは、俺の中で嵐吹き荒れる心象風景の影響だと思ってくれると助かる。
「月見里輝夜よ!」
「うん、はじめまして……」
かの有名なかぐや姫と西日川家嫡女の夢の対談、第一回目の始まりであった。
「輝夜、こいつは西日川光。西日川家は中史の血縁で……曾祖父が同じだから、六親等の再従兄姉にあたる」
「……結婚できる」
「……? 今はそれ関係ないだろ、ヒカリ」
顔を真っ赤にしながら、急に何を言い出すのかと思えば……ヒカリはときどき、何を考えているのか分からない時があるからな。
確かに日本の法律では、三親等より離れていれば籍を入れることはできるが。
「つまり、トキの友達で、親戚?」
「その認識でいい」
「分かったわ。よろしくね」
「うん、よろしく、月見里さん」
「輝夜でいいわ。私も、ヒカリって呼ぶから」
輝夜、距離の詰め方すごいな。少なくとも俺みたいな陰キャオタクにはできない芸当だ。流石、この一月で芦校で俺より広い交友関係を築き上げただけのことはある。
そのおかげかどうかは知らないが……輝夜の俺に対する少しおかしな態度は、だんだんとなりを潜めてきている。俺と目が合うだけで赤面し出したりするあのおかしな態度だ。この調子で在りし日の少女だった頃の輝夜に戻ってくれることを祈る。……それでまた同衾とかせがまれたらイヤだけど。
「えっと……もう、買い物を始めた方がいいのかな」
「もう昼だし、まずは昼食をとりたいな」
という俺の意見に輝夜も頷いてくれたので、ひとまずファーストフードコーナーへと向かう。
それぞれが好きな店で注文を……しようとして、捨てられた子犬よろしく輝夜がぼけっとした顔で後ろをついてきていることに気づく。
「……俺はマックを買うつもりだ。輝夜もそれでいいのか?」
このショッピングモールに入っているマックは少し変わっていて、本場アメリカのビッグサイズなマクドナルドを味わうことができる。数か月に一度ここに来て、パンズの挟まった肉厚のビッグマックを食べるのが俺の楽しみの一つだ。
それはそれとして、輝夜が俺と同じ趣味嗜好をしているとはあまり考えられない。というか、考えたくない。あのサイズはちょっと、輝夜みたいな線の細い女性にはキツイ食べ物だろう。
「トキ、忘れてない? 元異世界人よ、私」
少々遠回りな物言いだが……言わんとするところは分かった。初めてのショッピングモールで食事だ。勝手が分からないのだろう。
別に忘れていたわけではないが、ここ数週間はずっと学校に通うだけの生活だったからな。
あまり輝夜がこの世界にいることに違和感を覚えなくなってきたのは否定できない。
「何が食べたい?」
「今は……うどん?」
「なら丸亀か花丸か……輝夜、お前確か天ぷら好きだったな」
「うん」
「じゃあ丸亀でいいか。ついてこい」
列ともいえない列に並んで、無事輝夜の昼食を確保。そののちに俺もビッグマックのセットを頼み、荷物を置いていたテーブル席へ向かう。
ヒカリはポムの樹でオムライスを頼んでいた。
「「「いただきます」」」
日本を代表する血筋として、そこだけはしっかりと手を合わせ――
それぞれがそれぞれの食事に、手をつけていく。
ポテトもドリンクも、通常の倍くらいある胸焼けしそうなマックを食べつつ――
テーブル席で、横に座っている輝夜、正面でオムライスをその小さな口に運ぶヒカリの二人に、注目する。
「…………」
「…………」
「…………」
もくもく。むしゃむしゃ。
「「「………………」」」
学生や家族連れの話し声・笑い声が絶え間なく聞こえるファーストフードコーナーで……俺たちの席だけ、嘘のような静寂。
「「「……………………」」」
これは、俺とヒカリの二人だけに限って言えば、なにもおかしな状況ではなかった、
もともと俺もヒカリも口数は多い方ではないので、二人でいるときに喋らないことも少なくない。
仲が悪いのではなく――沈黙が気まずくならないくらいには、二人でいることに慣れているということだ。
が……どうも、静かなのが我慢できない性格らしい輝夜は、この状況が耐えられないとばかりに、先程から俺にSOSの視線を向けてきてる。まあ、人と会話してないと死んじゃう性質の奴ってのは、一定数いるからな。輝夜も軽度のそれなんだろう。
「――あ、あの……」
その長き沈黙を破ったのは、なんとこの場で一番コミュニケーションに難ありのヒカリだった。
ヒカリは俯きながらも、輝夜をちらちらと上目遣いで見ている。中学の頃から比べたら信じられないくらいの進歩だ。娘の成長にお父さんは感動ですよ。
「なにっ? どうしたの? 何でも聞いて?」
話しかけられたのが嬉しかったのか、輝夜は前のめりで元気よく返事をする。
だがその大げさな動きに、ヒカリはビクリと萎縮し、ぎゅっと目をつぶってしまった。
それでもヒカリめげずに、輝夜をまっすぐ見つめ……
「私……輝夜ちゃんの事情は、中史くんから聞いて知ってるけど……輝夜ちゃん自身のことは、まだよく知らないから、その……お話したいな、って……」
勇気を振り絞り、輝夜に思いを伝えるヒカリ。
うっ……うぅ……ヒカリ、強くなったんだな……もう俺が、声が小さくて聞き取りづらいと評判だったヒカリ語の光語訳をする必要もない、か――。
俺の頬を、一条の光が伝う。それは日本語では涙、英語ではtear、はこべからちょっとだけ教わったから知ってるフィンランド語ではkyyneleと呼ぶ、悲しい時にも嬉しい時にも流れるダブルスタンダードな水分なのであった。
「嬉しいわ! しましょう、お話! 私もトキの友達と、もっと仲良くなりたいから!」
俺の友達ならいつでもウェルカムらしい輝夜も、それに快い返答をする。
中史と深く関わるのはいただけないが、これくらいは見逃そう。
輝夜がこの世界に馴染めるように――それが、俺の今の大目標だからな。
それもこの一環として、カウントしていいことにしよう。
☽
そして、すぐ後悔。
「か、輝夜ちゃんって……中史くんの、恋人なの?」
俺が出会ってきた女の中でも、赤面しやすさランキングの首位に立つヒカリは、今回も永久凍土すら溶かしそうな熱を帯びた赤い顔で、そんな事を訊ねてしまう。
なんでどいつもこいつも、口を開けば俺と輝夜の関係を疑いだすんだろうね。もっと聞く事あるだろ。
で、訊かれた輝夜は輝夜で、
「……それ、みんなから訊かれるわ。恋人って、男の人と女の人が、お互いを好きだと思ってなるものでしょ? トキは私のこと、好きなの?」
とか、なんとも答えづらいことを俺に訊いてくる。負のスパイラルだ。
「likeの意味でならいくらでもイエスと言ってやるがな。ヒカリ、俺と輝夜はお前が思ってるような関係じゃないぞ。言っただろ、異世界人だから、一時的に一緒に暮らしてるだけだ」
しかしそこは、この一か月でイヤになるほど聞かれた質問。対応も慣れたものである。
それを聞いたヒカリは……
「そ……そうなんだ」
なぜかちょっと嬉しそうな声色で、納得してくれた。その反応は少し気になるが、まあいいか。
「じゃあ……中史くん、あの約束は、まだ続いてる?」
おっかなびっくりという様子で、訊いてきたのは……
「……なるほど」
なにかと思ったら、そんなことを心配してたのか。ヒカリのやつ。
「――ヒカリ。俺はあの時言ったはずだぞ、絶対だと。世辞でもその場しのぎのおべんちゃらでもなく、な。……お前も中史の人間なら、その言葉の意味が分からないわけはないだろ」
「う、うんっ……!」
少し強めに言ってやると、ヒカリは心から安心したのだと分かる表情で頷いてくれた。
まったく。久しぶりに戦ってるところを見て、その成長にはかなり感心したんだけどな。精神面はまだまだみたいだ。
「……なんか、今のトキ、刻みたい」
なっ……!?
俺が、父さんみたいだと?
「おい、それは名誉棄損だぞ、輝夜。俺があんな有事の時以外は変人な人間と一緒にするな」
「……有事の際に頼もしいのは認めてるんだ……」
ヒカリがなんか言っているが、無視だ。
とにかく俺が父さんに似ているなんて心外にもほどがある。
「お父さんになんてこと言うのよ、トキ。……そうじゃなくて、なんか、ヒカリに向ける眼差し? そういうのが、トキのお父さんみたいだなって思っただけよ」
「ああ……」
そういうことなら、分からなくはない。俺は中学生の時の騒動からこっち、どこかヒカリを手のかかる娘のように見ている節があった。そこは否めない。輝夜が正しいです。
「……私は、イヤだって言ってるのに……」
このように、本人は嫌がってるけどな。
「それを嫌がるなら、せめてあの哲学者を名乗る不審者程度、赤子の手を捻るように倒せるようになることだ。中史では、強い奴が正しいんだからな」
などとまた、説教臭いことを言うと……
「……なんでも力の強さで物事を決めつけるのは、よくないと思うわ」
ちょっと怒った感じの輝夜によって、逆に俺が諫められてしまう結果になった。
一宮のこと、悪く言えないかもしれない。
「……中史くんのいじわる」
ヒカリは頬をぷくっと膨らませて、拗ねるふり。自分に都合が悪くなった時のヒカリの癖だ。
子供っぽいのとあざとく見えるのとで、二重の意味でやめろと言ってるんだが……これもなかなか直らない。本人は無意識でやってるっぽいからな。
「……それで、トキ。さっきから気になってたんだけど、『約束』ってなに?」
そこで輝夜が、話が長くなりそうな疑問をぶつけてきたので……
「もうこの話はいいだろ。どうせ話してもつまらない。とっととインナー買って帰るぞ」
俺は強引に話を打ち切って、ごちそうさまをすると、食べ終わってからになった容器をそれぞれ店へと運ばせたのだった。




