五話 邂逅
出店などの立ち並ぶ大通りを歩く。
この世界にも休日はあるようで、多分今日がそれにあたる。
そもそも式典の日ということもあって、国はどうやらこの日を「平和の日」として祝日に定めるつもりだとかなんとか。
『姉妹国家ヴェレクトレイトの最新機器! 魔法効果を高める魔法具叩き売り中だよ!』『さぁさぁそこの兄さん姉さん剣士も騎士も一度止まって見て頂戴! こちら産地直送とれたて新鮮、希少価値の高いメンデレ草やメウロ魚が安い安い!』
「異世界モノだと酒は『エール』って名前であることが多いけど……この世界はどうなんだ?」
出店は大盛況だ。この国で最も人口の多いこの街のメインストリートは、芋を洗うように人でごった返している。
『こちらは勇者が討伐したとされる魔王城の門番、エクトドラゴニアの模型だよ! 今ならこの精巧なドラゴンがたったの30ギル!』
「魔王城に門番なんていたっけ……」
勇者も知らないドラゴンのフィギュアまで作られる始末。商魂逞しいことだな。
記念日ということで、かき入れ時なんだろう。
と、物珍しさから歩みを緩めていると……
「お願いしまーす」
何やら一か所に集まった集団がビラ配りをしており……俺も、その一枚を半ば押し付けられる形で手渡される。
『 「エルフィス官僚法」起草目前! 議会の暴走を許すな! 』
これは……デモ活動的なやつかな。
この世界のことをよく知らない俺に、政治の話なんてされても困るというものだ。
ひとまずビラは四つ折りにしてポケットにしまい、再び歩き出す。
「お……あ、すみません」
すると、今度は前方不注意。前からやってきた通行人とぶつかってしまった。
相手は小学校に入ったか入らないかくらいの……ギリギリ幼女じゃないくらいの少女だった。自分でもこの表現はどうかと思う。
俺とぶつかったギリギリ少女は……文句の一つでも言ってよかったと思うんだが、一瞥もくれることなくふらっとした足取りで人混みの中へ消えようとする。
向こうが何も言わないならいいかと思い直し、再び歩みを進めようとギリギリ少女を視界から外そうとした時……
「お……おい待て!」
俺は、思わず叫んでしまった。
視線を外す寸前で気づいた、彼女の命の危機に驚いたからだ。
人の流れに逆らうようにして、ギリ少女の元まで移動する。
そして……少女の腕を掴み、こちらを向かせる。
「お前……どうしたんだ、その怪我……!」
もう一度確認して、息を呑む。
この少女は、深い傷を負っている。
「…………」
もっとも、この世界の人間では、気づかないだろう……
少女が負傷しているのは、その御魂なのだ。
魔力の込めた眼で見ればよく分かる。
外傷は全くなく、むしろ不自然なほどキレイな肌をしているというのに……
ほとんど歩けるのが奇跡なほど、少女の御魂はズタズタに引き裂かれ、弱っていた。
「《稀月》……おい、喋れるか! 何があったッ」
俺が使える最上の治癒魔術を掛ける。
「…………」
肩を叩いて話しかけるが、反応はない。
この国では珍しい、長い黒髪をした少女は……朧気な光を灯した黒曜石の瞳で、虚空を見つめるばかりだ。
近くで見れば、少女は汗だらけだった。体も火照っている……ひどい発熱だ。
おそらく、気力だけでここに立っているのだろう。
本来なら、とっくに倒れていてもおかしくない容体だというのに。
「こういう時は……」
警察……病院……どれも、俺の選択肢にはなかった。
この世界の人間に任せたら、少女の命は助からない。
断言してもいい。
必然的に俺の取るべき行動は一つに絞られる。
「後から、略取誘拐罪とかで訴えてくれるなよ……!」
俺は彼女を背負うと、近くの宿屋に駆け込む。
ドアをけ破るようにして入店した俺に驚いたのか、エントランスで休んでいた他の客たちから奇異な視線が集まるが……
そんなことを気にしている暇はない。
宿屋の主人を見つけると、懐の革袋から金貨を一度に掴めるだけ掴んで、
「これで何泊できる。二人だ。多少ぼったくってもいいから一週間は泊まりたい」
鬼のような形相で迫る俺に萎縮した主人は、頭を左右に振り、
「い、一週間の宿泊でテル金貨なんて大金使われても困ります! それでしたら、70ギルほど頂ければ……」
「すまないが常識に疎い。必要なだけ取ってくれ」
ジャランと音を立てて革袋をその場に置いて、主人に宿泊代の硬貨を取らせる。
「鍵はこちらになります……二階、奥の部屋です」
「急かして悪かったな。ありがとう」
俺は少女の息があるのを確認しつつ二階最奥の部屋に入室し、少女を寝具の上に寝かせる。
「《稀月》」
入念に治癒魔術をかけながら、少女の容体を診ていく。
「……ぅ…………ぁ……」
汗ばんだ身体で、少女は苦しげに呻く。
頬には黒髪が張り付き、ワンピースのような薄い布一枚で覆われた身体は呼吸で激しく上下している。
「こんなとき、『長柄』だったら一発なんだろうが……」
中史には本家筋の『中史』の他に、いくつもの家がある。その中の一つが、中史分家『長柄』家。
長柄家は人を癒す術に長け、自身も強靭で健康な御魂を有していることで名高い家だ。
あれと比べると、俺の治癒魔術は特別秀でているというわけじゃない。
それでも俺は中史総本家の嫡子、次期当主。
不可能ぐらい、軽々乗り越えなきゃならない。
それとは別に……この世界の勇者でもあるんだからな、一応。
「酷い傷だな……」
改めて診てみても、少女の御魂は痛々しいまでに歪に変形してしまっている。
このままでは身体を形成する魔力までバラバラに崩れ、やがては死に至ってしまうだろう。
「それに……」
治していくうちに気づいたことだが……
この御魂の傷は、外的要因によって負ったものではないようだ。
つまり、誰かに攻撃されたということではなく――自損。
平野での召喚士さんのように、何か慣れない魔術を無理矢理使おうとでもしたんだろうか……?
「クソッ……傷の治りが悪いな……」
確かに中史家は攻撃一辺倒の血筋だが、治癒魔術が不得手というほどではない。
通常なら、これだけ魔力の練られた《稀月》を掛け続けられれば、意識を取り戻していてもおかしくはない。
だというのに少女の御魂は、まるでこの傷ついた状態が正常なのだと言わんばかりに、治癒魔術を受け付けない。
何か……特別な事情があるのだろうか。
分からない。
俺に今できるのは、ありったけの魔力をこの少女の御魂に注いでやることだけ。
ただでさえ過剰な魔力を用いた《月降》を放った後だ。
俺の魔力は、残り5%を切っている。
普段なら1割以下になった場合、魔術師の敵襲などに備えて魔術の使用は控えるとこだが……
今は、そんなことも言っていられない。
「死ぬんじゃないぞ……」
とにかく全身全霊で、少女に治癒魔術をかけ続けよう。
☽
あれから、およそ三時間。
すっかり日は暮れて、空には月が懸かっている。
窓から漏れた淡い月明かりが、少女を優しく照らす。
俺は少女に付きっ切りで看病をつづけた。
……多分峠は越えた、と思う。
「……あぁ……」
今日は息を吐いてばかりだ。
魔力はほぼ底を尽き、逆に俺の方が疲労でどうにかなりそうな……そんな憔悴しきった状態の身体。
こういう時は、御魂の自然治癒力に任せて――
「…………っ」
少女の眉が、ピクリと動いた気がした。
木椅子に座っていた俺は、立ち上がろうとして……大きな音を出してはいけないと、なんとか自制する。
「……大丈夫か」
「――……」
――少女が、静かにその瞳を開けた。
強い光を宿した黒の虹彩の双眸を、こちらに向ける。
「喋れるか?」
その問いに――少女はコクンと頷き、
「…………あなたは?」
上半身を起こして、問いかけてくる。
鈴の転がるような……透き通った声だった。
いつまでも耳朶に残り、俺の緊張した心を和らげる……温かな、それでいてはっきりとした声音だ。
「俺は――」
この世界では「勇者」と答えた方がいいのかと、少し迷ってから……
「時、だよ。中史時」
「……トキ」
少女は俺の名前を反芻するように唱える。
「ああ。俺の名前だ」
「覚えたわ。トキ、ね」
また一つ頷くと、少女はその大きな、意志の強そうな目で俺を見つめ、
「……助けてくれたの?」
「結果的にはそうなったのかもしれない。最初は、歩行中のお前にぶつかった加害者だったけどな」
少女は要領を得ない、という風に眉根を寄せて首を傾げる。
「覚えてるか? 大通りで歩いて……」
俺の言葉に首肯すると、
「なんとなくだけど……すごくつらくて、苦しかった」
そりゃそうだろう。御魂が半壊したまま歩いてたんだ。
それはともすれば、死に匹敵する苦痛かもしれない。
「だけど……いつからか暖かい光が、私を包んで……それからは、痛みが引いていったわ」
訥々と、少女は言葉を紡ぐ。
俺が治癒魔術を掛けていた時のことを言っているんだろう。
「ここは?」
「お前の御魂を治療するために駆け込んだ宿屋だ。大通りからそんな離れてないから、帰るのには困らない。安心しろ」
「……御魂?」
頭に疑問符を浮かべて訊ねる。
……そういえば、この世界ではそうは呼ばないんだったな。
「……精神魂のことだよ」
「精神魂……」
少女はそれでもまだ納得いっていないとでも言いた気に、顎に手を当てる。
「というか、そうだ。それだ。お前、何があったんだよ。精神魂についてたあの傷は……ただの損傷じゃないだろ」
ずっと気になっていた疑問を氷解すべく、少女に問いかける。
もし少女が何か特別な事情を抱えていて……それが武力によって解決できるようなものなんだとしたら、俺は勇者として、中史として、力になれるかもしれない。
「……トキ、私……」
少女が口を開き、俺に何かを伝えようとした、その時――
――グゥゥゥ…………
呑気な音が、部屋中に響いた。
「…………」
その音は、何を隠そう少女のお腹から鳴っていた。
今はもう夕食時だ。病み上がりで、体力も使ったことだろう。腹の虫が鳴いても仕方ないというものだ。
「…………」
気まずさから部屋には静寂が広がり、恥ずかしい音を聞かれた少女は頬を赤く染め俺から顔を背ける――
――なんてことはなく。
「……お腹すいちゃった」
えへへ、と困り眉で笑う少女。恥じらう様子はない。
……まあ、多分まだ年齢一桁だろうしな。
羞恥心も大人より薄いんだろう。
俺としては、妙な雰囲気にならなくて大助かりだ。
「そうだよな。まずは夕食をとろう。話はその後だ。……お前はまだ、ここで寝てろ」
「分かったわ。……ありがとう」
また、向日葵のような明るい笑みを湛える少女。
それを見て……俺は、嗚呼、と確信する。
――この子は将来危険だ。
今でさえ美少女……美幼女? とにかく見目麗しい顔してるってのに、10年後のこいつに同じ笑みを向けられてみろ。
心を射抜かれない男など、この二つの世界のどこを探しても見当たらないだろう。
俺はロリコンではないので、今はまだ致命傷で済んでいるが……これが30代無職童貞のイエスロリータ〇〇タッチを信条とする紳士だったら危なかったな。
俺はロリコンじゃないから、助かったけど。ロリコンではないから。
……などとざわつく心を押さえつつ。
宿屋なら多分飯ぐらい出してくれるよな、なんて楽観的な考えで部屋を出ようとして……
「……そうだ」
「……?」
俺は立ち止まり、振り返る。
視界には、寝具の上に流水のごとく垂れた濡れ羽色の長髪が映る。
「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな」
「……言ってなかったわ」
少女の方もハッと口を開き、また笑ってくれる。
……よく笑う子なんだな。
「私だけ教えてもらってるのも、不公平だわ」
「俺はトキだ。お前は?」
「私は――――」
少女は口を開き、言葉を紡ぎ出す。
そして、自らの名前を口に出そうとして……
――それが、すべての始まり――
「……えっと」
寸前で、困ったように口を閉じてしまう。
それは、紡がれた糸が突然ほつれるのに似ていた。
――俺が今際の際に、自らの記憶を回顧しようとした時――
「……どうした?」
異常を感じ取って、俺が訊ねる。
――最も色濃く、鮮明な像を見せるであろう少女――
「……分からない。私……自分の名前が、分からないわ……」
――中史時の人生の分岐点とも言える、一人の少女との邂逅の時だった――
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