二十三話 異邦人
クラスメイトの魔の手から逃れ、屋上で暇をつぶしていたときだ。
芦校の敷地内のどこからか、強い魔力の反応を感知した。
血の気が多い魔術師の通う学校とはいえ、今はただの五分休みだ。あいつらといえど、放課後でもないのに本格的にドンパチやり始めようなんて考える奴は少ない。
とすると――
「ツクヨミ」
呼ぶと、青髪のハーフアップを靡かせた幼女が虚空から現れた。
ツクヨミは自分の子孫のことを常に見守っている。だから魔力を込めた声で呼べば、すぐに転移してきてくれる。
異世界に飛ばされた時は……さすがに世界自体が隔てられた流離世界では声も届かないだろうと思って、あの時は試そうともしなかった。呼べば来てくれただろうか。
「如何にや」
「眼を貸してくれ。緊急事態だ」
「うん」
了承してくれたツクヨミは――立ち上がった俺の手を取ると、すっとどこか一点を見つめるように無表情になった(元から仏頂面だけど)。
そして、自らの右眼に魔術式を構築する。
金碧の魔力がツクヨミの周囲に渦を巻き、それは右眼へと集まっていく。
魔力が増幅していくにつれ、ツクヨミの金色の瞳が、段々とくすんでいき――
それはいくらもしないうちに、ストロベリーに近い赤銅色に染まり上がった。
と同時に、ツクヨミが魔術式を行使し――
「《千里眼》」
ツクヨミが神術を行使すると、莫大な魔力の突風が吹き付ける。
「トキ」
赤銅色の眼をこちらに向け、ツクヨミが俺を呼ぶ。
と言っても、今のツクヨミに俺は見えていないだろう。
「ああ、頼む」
ツクヨミが眼を見開くと、ツクヨミから俺へ、大量の魔力が流れ込んでくる。
すると、視界に変化が起こった。
辺りに靄のようなものがかかり、よく見えなくなる。
靄はどんどん俺の視界を塗りつぶしていき、次の瞬間には真っ白になった。
何も見えない状態となったところで、俺はある場所を思い浮かべる。
先程強い魔力の反応があった場所だ。
(……来た)
感覚としては、カメラのピントを合わせるようなものだ。
目を凝らすと、ツクヨミの魔力を纏った俺の眼は、こことは全く異なる場所を映し出した。
――ツクヨミの神術の一つ、《千里眼》。
頭に思い浮かべた場所の景色を、定点カメラのように俯瞰的に見る魔術。
その範囲、時間に限界はなく、過去だろうが未来だろうが、辺境の惑星だろうが視界に映すことができる便利な魔術だ。流離世界にいる俺のことを『ずっと見てた』というのも、これを用いてのことだったのだろう。
俺は目の前に広がる、ここではない別の場所の光景を見る。
そこでは、二人の人間が対峙していた――
☽
新校舎の裏手、西門前――
一人の女子生徒と、ちょっと見覚えのない不審人物が立っていた。
「……この学校に、何の用ですか」
すでに三時間目の授業が始まっているにも関わらず、教室に戻ろうともしない女子生徒は、対峙する不審者を睨みつけている。
ゆるふわウェーブのかかったプラチナブロンドの長髪に、ぱっちりとした大きな黒目。
蝶をかたどった髪留めが印象的で、黒ニーハイとスカートの間から覗く白いふとももに否が応でも目を引き付けられる美少女だ。
彼女は、西日川光。
中史四家の一つ、西日川家の嫡女で――小・中・高と同じ学校に通ってきた、付き合いだけならルリよりも長い友人だ。
「この高校に魔術師が訊ねてくるなど、そう珍しくもないことだろう?」
どこかスカした口調の不審者は――声からして、男だ。
黒いローブを被っていて、顔は見えない。
しかしだからといって、男に関する情報がゼロというわけではない。そもそも高校に顔を隠して現れるなど、なにかやましいことがあると言っているようなものだ。だからこの場でも、あの男を歓迎すべきでないことは判断が可能なのだ。
顔を隠し、アポも取らず学園に潜入する怪しい男……そんな人間がこの高校に来る理由など、いくつもない。
「……あと一歩でも前に出たら、あなたはきっと後悔しますよ」
同じことを思ったか、ヒカリは威嚇するように、右腕に魔力を纏わせた。
状況から察するに、学校の敷地内に侵入した不審な男にいち早く気づいたヒカリが駆けつけ、対応中といったところなのだろう。
「ほう。後悔か」
余裕の笑みを浮かべる男も同様に、闇色の魔力を全身から溢れ出させる。
「させてみよ」
かなりの魔力量だ。
中史の血を引くヒカリでも、易々と勝てる相手ではない。
「…………っ!」
緊張した面持ちのヒカリが、丁寧な所作で魔術式を完成させた。
大気が震動するように、ビリビリと音を立てる。
10mほどの間合いから、ヒカリは魔術を放った。
電気を纏った光の波。
辺りはまばゆい光に包まれ、たまらず男は腕で顔を覆った。
「《春雷風花》――」
最初一本だった光の柱は、男に向かう途中で枝分かれするように何本にも分裂した。
その光線は男を囲い込み、男を確実に捉えようとする。
「この魔術……そうか。君も中史なのだな」
フッと口元に笑みを浮かべた男は――ダンッ。
地面を強く蹴り上げ、空中に飛び上がることで《春雷風花》の囲いから抜け出した。
「ならば、手加減など必要なかろう」
黒のローブを空に靡かせ、男が右腕を振ると、そこに魔術式が構築される。
その仕草は……どことなくぎこちない。いや、決して不自然ではないんだが、なんだか一般的な魔術師の戦い方を真似たような違和感が残る。
……この男、魔力量の割にあまり戦闘慣れはしていないのか?
「《形相》」
そんなことを思っているうちに、男が魔術を放つ。
「……ふむ。君にこの魔術は使うべきではなかったか」
どす黒い魔力の塊が、ヒカリを前方を覆うようにして広がった。
(魔力量の割に、こんなものか……?)
その魔術は、見かけこそ凶悪だが、それほど強力なものではない。
魔術式を構築するのに使用した魔力量に対して、実際に放たれた魔術の威力が釣り合っていない。
男が魔術の発動に失敗したか……もしくは、なにか条件付きの魔術か。
「これくらいならっ……!」
本人の言った通り、この程度の魔術ならヒカリでも防ぐことができる。
彼女は御魂を奮い立たせ、魔力を増幅させることで……なんとかそれをかき消した。
「魔術にばかり、気を取られすぎだな」
――だが、それはフェイントだ。
ヒカリが魔術で手一杯になっている間に間合いを詰めた男が、闇色の魔力を纏わせた左拳を突き出す。
ヒカリがそれに気づいた時には、男の攻撃はすでに彼女の腹部を貫いていた。
「がぁっ……ぅ……」
魔力で強化された突きを喰らったヒカリは……口から血を垂らしながら、うめき声を上げる。
「うぅっ……」
腹に穴を開けられながらも、ヒカリは強い敵意のこもった眼で男を睨む。
そして力を振り絞り、反撃のため左腕を振り上げた。
「脆いな」
「あああぁ――っ」
男が右の手で払いのけるようにすると、ヒカリの左腕はいともたやすく吹き飛んでしまった。
「……おかしい」
苦痛に喘ぐヒカリに、男は言う。
「あまりに手ごたえがない。まさか――」
眉根を寄せた男に、ヒカリが微笑んだ。
するとその瞬間、血に染まった彼女の身体が激しい光を発し――
指の先から、髪、鼻、顔と――徐々にヒカリの身体が、崩れ始める。
瞬く間にヒカリの身体は、ロウのようにドロドロに溶けてしまった。
「なるほど。偽体か」
目の前で起きたことを冷静に分析する男は……だいぶ、頭の回る奴みたいだな。
今のは西日川家の魔術の一つ――《光媒鳥》。自身の幻像を作り出す魔術だ。
「その通りです。本物の私は――」
敵が幻像に気を取られているうちに、自分は背後で魔術式の構築をする。それが《光媒鳥》の常套戦術だ。
「ここですっ!」
男が振り返り、防御態勢をとるが――ヒカリの魔術の方がいくらか速い。
「《閃電雷火》ッッ!!」
ヒカリの魔力が溢れ出し、雷を纏った猛火が辺り一帯に吹き荒れる。
雑木林を燃やし、地面を放電させ――その中心にいる男も、確実に感電死させるほどの大魔術だ。
広範囲に渡る魔術に、逃げ回っていた男も退路を断たれ――
その黒いローブの上から、ヒカリの魔術が直撃する。
「――」
男の姿は煙で包まれ、《千里眼》の視点からではよく見えない。
「はぁ……はぁ……」
魔力の方はまだ足りているが、集中するのに神経を使ったのだろう。
ヒカリは膝に手をついて息をしている。
今の魔術で、男を仕留めきれたと判断したか――ヒカリは傍目にも分かるくらい警戒を解いてしまっている。
だが――
「流石、中史の血を引く者だ。あまり戦場に立ったことはないと見える君のようなお嬢さんですら、これほどの魔術を扱えるとは」
「――!? ま、まさか……!」
大魔術が収まった煙の中から出てきた――傷一つない男に、ヒカリは目を見開いて愕然とする。
身体を覆っていたローブは焼かれ、素顔が露わになっている、男は――
「しかし、奇襲をするつもりなら声を上げない方がよい。私は今から奇襲しますと宣言してから攻撃する間抜けが、どこにいる?」
わたあめのような髭を生やし、白い布一枚を体に巻き付けるようにした服装の――古代ローマかギリシャの世界からそのまま飛び出てきたような、奇妙な風体の奴だった。
「――ここへは、月鏡保持者を探しにきた」
古代ギリシャ人(推定)は、口を開く。
「今日は中史には用はないのだが――邪魔をするようなら、相応の結末が訪れるのみだ」
先程の魔術とは比べ物にならない量の魔力が、古代ローマ人(暫定)の御魂に集う。
「《大いなる魔》」
男の魔術式から発されたのは、混沌が渦巻く魔の大海。
漆黒の魔力が波のように押し出され、ヒカリを呑み込もうと波を打つ。
「――っ!」
予期せぬ攻撃。
突然の危機。
それでもなんとか、ヒカリは自らの身体を動かす。
ここで自分が負けたら、きっと誰かが被害に遭う。だから絶対に止めなければいけない――そんな強い意志の宿った瞳で、懸命に魔術式を構築していく。
「《春雷風花》」
再び放たれたのは、稲光の包囲網。範囲内を光の網で包み込み、直ちに焼き焦がす鳥の籠。しかし――
「効かぬ」
大きく勢いを増したアリストテレスの魔術は、春雷の包囲網ごと呑み込んでしまった。
それはヒカリも想定の範疇だったのだろう、彼女は後方に大きく退いて距離を取った。
その上でもう一度、反撃を試みる。
「――紫閃光」
ヒカリはその場の魔力を集め、自らの武器を具現化させた。
彼女の手に象られたのは、一張の弩――クロスボウ。
それは西日川の家の者が得意とする、長距離用の射撃武器。
女が当主をする西日川家にとって、刀剣での近接戦闘は分が悪い。
だから彼女らは昔から、息を潜め、狙いを澄まし、戦場で暴れ狂う足軽を人知れず射抜こうとする。
「ここで、絶対に止めます」
黄金色の光の波が流動するその武器を、ヒカリは迫りくる魔術に向けて構える。
ヒカリは流れるような動作で台座に光の矢を置く。
「……紫閃光の弾数は三にあらず、二にあらず。徒矢となるか、止め矢となるか。乾坤一擲の一矢なり」
引き金を限界まで引き絞り、対象に狙いを定め――
「――いざっ!」
ビュゥッン!
正に光のような速度で放たれたそれは、音を越し、衝撃を生み、やつの魔術へ向かっていく。
矢に纏われた光が、一際強く輝く。すべてを包み込む閃光は、やがて《大いなる魔》にまで接触し――
その強大な闇の中心部を的確に貫き、大きな風穴を開けてみせた。
「やった――!」
その時点で、ヒカリは勝利を確信した。
魔術とは、複雑に絡み合う魔術式によって生み出される奇跡だ。その形を成している大部分が破壊されてしまえば、たちまちに魔術は崩壊し、ただの無害な魔力に帰してしまう。
だから、紫閃光の一撃によって術式の要所を貫かれた《大いなる魔》はまもなく崩れ去る。
「…………え」
――はずだった。
「健闘を讃えよう、勇気ある弓兵よ」
確実に魔術式を破壊されたはずの魔術。しかしそれらは、残った一部分から徐々に再生し、瞬く間に元の形を取り戻し――ヒカリに襲い掛かる。
「《大いなる魔》は、それを阻むものに強く反発する。自らの前に障害が立ち塞がれば、それを乗り越えようと独りでに強化する。幾千もの苦難を退け、幾億もの窮地を乗り越え、やがては到達点へと至ることになる王の魔術だ」
その勢いは、もはや止められない。
「…………い、いや」
ヒカリの手元から、紫閃光が消える。
あれは一度使ったら役目を終えてしまうものだ。二の矢はない。
――必殺の一撃が通用しなかった。
その事実はヒカリにとり、代えがたい絶望だろう。
もういくらあがいても、自分の力ではどうすることもできないと、理解してしまったから。
「……こ、《光矢》」
ヒカリはありったけの勇気を振り絞り、震える体で魔術式を構築し、単体で光の矢を飛ばす。
しかし、当然のごとく効果はない。《大いなる魔》はびくともしない。
俺が十束剣を用いずに《月降》を放つのと同様、《光矢》は紫閃光による一撃の完全劣化だ。
ヒカリとて、そんなことは分かっているだろう。
「《光矢》っ」
それでも、反撃の手をやめることはしないのは。
「――《光矢》!!」
ひとえに、中史としての誇り故か、それとも――
「無駄なあがきだ」
しかしヒカリの非力な攻撃を何発受けようと、アリストテレスの魔術はそれを全く受け付けない。あいつの魔術は、《千里眼》越しでも分かるほど高密度・高精度なものだ。
「……っ」
圧倒的な力を前に、ヒカリが一歩後ずさる。
「……いや」
とうとう、魔術がヒカリの元まで迫る。
その距離はもう数えるまでもない。
数瞬の後には、彼女はこの闇に包まれ消えてしまうだろう。
――それを誰よりも分かっているから、どんなに意志が強くとも、どんなに強がりをしようとも、ヒカリは呟いてしまう。
「た……助けて」
常闇に飲み込まれる直前、ギュッと目を閉じながら――彼女が決して口にはしないと心に決めていた、その言葉を。
☽
――……辺りが静寂に包まれる。
あれから時間にして、4秒は経過している。
本来なら、ヒカリはとうにこの世と別離を果たしている現在。
――アリストテレスの放った魔術……大きな闇の塊が、ようやく晴れる。
「……ほう」
男が、感心したように息を吐いた。
「……なんとか、間に合ったか」
俺はその男を――《千里眼》越しにではなく、自らの裸眼で視認する。
「…………?」
自らの身に何も起きないことを不思議に思ったヒカリが、恐る恐る目を開けた。
「…………あ……」
そして、自身を守るように張られているバリア――《呪々反射鏡》を見て、小さく声を漏らした。
「……中史、くん」
この学校で《呪々反射鏡》を使えるのは俺くらいだ。
俺がこの場にいることを確信したヒカリが、辺りを見回し――すぐに、後方から歩いてくる俺を見つける。
「悪いな、遅くなって。……危うく、約束を違えるところだった」
俺はツクヨミの《千里眼》を使いながらも、この場所へ向かっていた。
目が見えず、ツクヨミに導いてもらいながらだったから遅れたが。
「そっ……そんなことない。……ありがとう、中史くん……!」
事態を把握したヒカリは、安堵したように笑顔を見せた。
俺はそれに小さく頷くと、男の方へ向き直る。
「……君は、中史時君だな」
男は俺を警戒するように魔力を立ち昇らせ、不気味な笑みを作った。
「知ってるなら話は速い」
数歩前に出て、男をよく視界に捉えた俺も同じく――臨戦態勢に入る。
「中史の学校に何の用だ、古代人」




