二十話 るりと初デート ~星の魚でPTSD~
間隔空いて、本当にすみません!
幽霊列車に揺られること十分。
「ここも……知ってるな。境臨海公園か」
着いたのは、東京都江戸川区に位置する境臨海公園。水族館、アスレチック、植物園、バーベキュー場など多彩な施設があり、子供連れやカップルに人気の巨大な都立公園だ。東京湾に面しており、橋を渡って移動した先にある海浜公園では、潮干狩りや海水浴なども楽しめる。
「ボクと別れた後も、何回か来てたの?」
「ああ。小さい頃は、中史氏のいくつかの家とたまに遊びに来たし……直近だと、去年の夏休みにA組の仲いいやつらと」
「池田君とか、蘆屋さんととか?」
「それとミズと、光も一緒だったな」
「あれ、今でもトキ、ヒカリと仲いいの?」
「なにか意外か? 別に普通に話すぞ。まあ、たしかに昔ほどではないかもしれないけど」
俺はルリについての記憶を失っているが、別にその期間に置きていたことをすべて忘れているというわけではない。ルリ以外のことについて……例えば小学校に通っていたことなんかはしっかり覚えている。というか本当に、ルリのことだけが記憶からすっぽりと抜け落ちてるという感じなのだ。
だからルリと出会っていたのと同時期に、それとは別にヒカリとよく話していたことは覚えている。
「だってヒカリ、A組にいなかったじゃん。本家とは距離を取ったのかなって」
「まあ、確かにそれは西日川当主の意向らしいけどな」
「ふぅん?」
「……そんなことより、行こうぜ。水族館だろ」
中史の話なんてデート中にするものでもないので、ヒカリの話は早々に切り上げて、そう促す。
「……えっと、そう……だけど」
ルリの手を引いて、歩き出したが……なんだか歯切れの悪い反応を見せるルリ。
「どうした?」
「いや、ボクは水族館に行くなんて言ってなかったのに、よく分かったなって……」
あー……確かに。なんか自然と水族館に行こうとしてたな、俺。なんでだろう?
「ここの目玉というか……メインが水族館だろ? なら、まずはそこから回るものだと思ったんだよ。違ったか?」
「あ、そういうこと……ううん、そうだよ。行こう、水族館」
なんだがギクシャク? というよりは、不自然な会話になったが……なんとか俺たちは移動を開始した。
本当になんで、水族館なんて唐突に言い出したんだろうな。
☽
「ジンベエザメだ……」
かわいい。
水族館に入場すること三分、ルリは中央のアクリルガラスに守られた海の神秘に魅入られていた。
目をキラキラ輝かせて、水槽の中の空を泳ぐ魚たちを見るルリの姿。
そんなルリに、俺は……
(変わらないな……)
などと、思ってしまって……
「……?」
自分で自分の感想に、首を傾げる。
変わらない? 何と? ……いや、ルリについて思ったんだから、そりゃ昔のルリと比べて、ってことなんだろう。
つまり俺は、今のこの、ジンベエザメに見入るルリに対して、デジャヴを覚えた――と。
ルリが幽霊列車でここに来たってことは、俺とルリは小さい頃にも、この境臨海公園内の水族園にやってきていたんだろうから、そういうことなんだろうけど……だとしても、俺は記憶喪失だ。
忘れている景色に対してデジャヴを覚えるなんて、そんなことがありえるのか?
「どうしたの? トキ」
「あ……いや、なんでもない」
「そう? じゃ、次の場所いこう! 向こうで、いっぱいマグロが泳いでるってよ!」
ルリの青みがかった髪が、照明の光を通した水槽の水明かりに照らされて、淡い白色を帯びている。それはルリが歩き出すと同時に位置がズレたため消えて、フロアの床に水たまりのような大きな円を作った。
色々と考えることはあるが……不確かな記憶について、合理的な説明を求めるだけ無駄か。今はそれよりも、デートを楽しむことに注力しよう。
☽
「ひぃっ……⁉」
とある場所まできて、ルリが突然怯えるような声を上げた。
「……どうした?」
「あ、あれ……!!」
ビシッ、とルリが指差した先は――
「ねえ見て見てママ、ヒトデ乗ったー!」「あらホントね」「こ……怖いよ。こっちに近づけないでぇ」「大丈夫だよ、ほら」
年齢が二桁に達さないくらいの子供たちが多く集まる、海生生物とのふれあいコーナー。
注視してみるが……その光景は平和そのもの。
「あ……ああぁ……」
ルリがこの世の終わりのような表情をする理由らしきものは見あたらない。
「落ち着けよ、ルリ。そんな怖がるようなもの、なにもないぞ」
と、ルリの気を落ち着かせるため、呼びかけるが――
「ほ、ほんとに……怖くない? 嘘じゃない?」「嘘じゃないよ。確かに見た目はちょっとグロデスクだけど、危害なんて加えないし、おとなしい生き物だよ」
「ヒ、ヒトデェッ――!!!」
全く効果がない。どころか、急に叫び出す始末。何事かと思ってみるが……そこには、幼稚園児くらいの男女のペアが、ヒトデを手のひらに乗っけて遊んでいる姿があるだけだった。
「……ヒトデか? あれに怯えてるのか、ルリ」
「ヒトデ……ヒトデ……イヤ、イヤぁっ、来ないで――ッ!!」
「……ルリ? おい、ルリ」
「入ってこないでよ――ダメ、来ないで、動かないでよっ、やめてぇ――――ッ⁉」
「ルリ、聞こえるか、ルリ!」
突然何かを呟きだしたルリの肩を揺すって、呼びかけてみるが――
その目はただ虚空を見つめて、俺の声など聞こえていないかのようだ。
どうしてヒトデなんかにここまで怯えるのかは分からないが……こんな状態になった人間を、俺は中東の難民キャンプなどで何人も見たことがある。心的外傷後ストレス障害――俗にトラウマと言われる病気だ。戦争経験者などに多いそれは、過去の強烈な出来事が心の安定を崩し、極度な緊張感などを生じさせるもので――今はその当時の様子が、フラッシュバックするというPTSDの症状がそのまま発症してる感じだな。
「こ……殺さなきゃっ……」
「お、おい……ルリ?」
通常PTSDには、トラウマの対象を時間をかけて、『怯える心配はないものだ』と思わせる、という治療法が試されるが……ルリの場合は、ちょっとダメそうだな。ヒトデを怖がってるだけじゃなく、親の仇のように憎んでるような節がある。
「殺さなきゃ……トキだけが触っていいボクの身体をその触手で弄んだ罪……千の屍でも足りない、この星からお前が消え去るまで永遠に――ボクが嬲り殺しにしてあげるよ――! 《金波――」
「おいバカやめろっ!」
ルリが魔術式を構築し始めたので、さすがに止めに入る。
俺はルリの体を抱き上げて、物理的にヒトデをルリの視界から消し去る。頭一つ分以上身長差があったので、ルリは足が丁度床につかないくらいの高さで抱きしめられていた。
事情を知らない人からすると、公衆の面前で急に抱き合いだしたバカップルにしか見えない。方々からの視線がとても痛い。ので、そのままの姿勢でふれあいコーナーからゆっくりと遠ざかっていく。
室内に入り、クマノミなどが遊泳する水槽の前まで避難する。その頃にはルリは正気を取り戻していたらしく、俺に抱きしめられていたルリは顔を林檎みたいに真っ赤にしてしおらしくなっていた。
一件落着。
☽
おかしい。
なんというか……疲れた。いや、体力的には魔術師と戦う方が疲れる。これは精神的な話だ。それとも、女の子と出かけるのはそもそも疲れるものなのだろうか。昔、ヒカリや八重と出かけた時はそうでもなかったんだがな……ただの物見遊山とデートは違うということか。
「お昼の時間までまだちょっとあるけど、どうしよっか」
「そうだな……」
ここは臨海公園のメインストリート上にある中央広場だ。それを取り囲むようにいくつかの出店も見受けられる。俺はそのうちの何店かを目にして――
「……クレープ屋さん」
ぽつりと、ルリが呟いた。
「ん、クレープ食べたいのか?」
「え、ああっと……うん」
少し間があってから、ルリは頷いた。
俺とルリはクレープ屋の屋台に近づいて、メニュー表を見る。
「なにがいいかなぁ」
様々なトッピングなどが選べるのがクレープの良いところだ。ルリは至って真剣な表情でメニュー表とにらめっこしていた。
「いらっしゃい。兄ちゃんたち、デートかい?」
屋台の中でトンボ(生地を広げるアレ)を握るのは、今時珍しいくらいに声をかけてくる、人のよさそうなおじさんだった。
「はい。ここには昔来たことがあるんですよ。彼女との思い出の地なんです」
「そりゃめでてぇな、何でも選びな、おまけしてやる」
「ありがとうございます。それじゃあ……」
俺はメニューを見るルリに、そろそろ決まったかどうかを訊ねようとして――
「ツナマヨネーズとチョコチップバニラアイスを、一つずつ」
「えっ?」
「はいよ。ちょいと待っててな」
俺の口は、あろうことかルリの意思も聞かずに、勝手に二人分の注文を入れてしまった。
ルリが驚いてこちらを見る間に、注文を受けたおじさんはクレープを作り始めてしまう。
「ト、トキ……?」
「わ、悪いっ、勝手に頼んで……なんというか、口がひとりでに動いた……? いや違う、その二つを頼むべきだとどうしてか思った……のか」
「そ……そう、なんだ……」
「おじさんに言って、今すぐにでも変えてもらおう……! ルリ、本当は何を頼みた――」
謝ってから、注文を訂正しようとした俺の、腕を――ルリが掴む。そして、
「い、いい……」
「え……?」
このクレープ屋の手際はとてもよかった。
上手く聞き取れなかった言葉を俺が聞き返している間に、おじさんは二つのクレープを完成させてしまう。
「それでいいんだよ……いまので大正解だよ、トキ……!!」
そう言う、ルリの目からは……一筋の涙が、伝っている。
「ルリ、それは――」
「はい兄ちゃん嬢ちゃん、お待ち! 楽しんでいってな!」
二つのクレープを受け取って、俺たちはベンチに戻る。
俺から手渡されたチョコチップバニラアイスのクレープを、ルリはそれはそれは美味しそうに食べていた。




