十七話 遠き日の記憶・序
明日からは、明日からは頑張ります……!
その日は暮ごろにひどい驟雨があって、外を歩くとペトリコールのにおいが充満していた。それが陰鬱とした路地になにか秘密めいたものを感じさせた。それは気持ちの良いものではなかった。
カツ、カツ……。僕はその道を緩慢な歩みで進んでいく。
住宅街を抜けて、人気の少ない砂利道に入る。等間隔で置かれていた電燈も姿を消したころ、僕はそこへたどり着いた。
夜の冷ややかな風が穂を揺らす、ススキが原。
僕の足元に沈殿しているじめっとした空気の下を、一匹の小動物がそそくさと通っていった。
月の光を雲が覆い、辺りは闇に包まれる。背の低い僕の頬を、ススキの穂がやさしく撫でた。
ゆるやかな坂になっているススキが原の中――その空気が、微妙に変化する。こちらを警戒する五つの気配がする。
ガサッ――草木をかき分ける音がしたかと思うと、気配は息を合わせたように移動し始めてた。それらは僕を取り囲むように、綺麗な五角形を形作り――
「「はぁッ――!」」
そのうちの二人がススキの影から飛び出て来、明確な殺意を持って僕に襲い掛かった。手にはそれぞれ鈍色の光を覗かせる斧と、農業用具の鋤を握っている。どちらも親の仕事道具を持ち出したものだろう。その凶器は彼らの小さな体躯には似合わず、頭でっかちな印象を受ける。
そう――彼らは子供だった。僕といくらも違わない、5、6歳の少年達。
彼らは自らの身体に宿る御魂を熱く滾らせ、魔力を高め、中史である僕を殺さんと集った。でも――
「――――足りない」
僕は呟くと、ただ御魂に魔力を集中させ、ただそれを一気に解放する。
「ぐああああ――ッッ!」
「があああぁっ――!?」
僕の御魂内で限界まで圧縮された魔力。突如解放されたそれは衝撃波となって、無造作に彼らを吹き飛ばした。
僕を中心として突風が巻き起こって、周囲のススキをいくらか散らした。
「き、貴様ァ――ッ‼」「よくもッ!」
それを傍観していた別の二人が、全身から溢れる魔力を隠そうともせずに飛び掛かってくる。
期を見るに敏。魔術を使った後の魔術師は無防備になる。今このタイミングで動くのは最善手だ。
二人は研ぎ澄まされた神経で的確に僕に狙いを定め、自身が持ちうる最高の魔術で僕の命を刈にかかった。
だけど、ああ――彼らは理解していない。
中史とは――力のない者が最善の手を尽くした程度で辿り着けるほど、近い存在ではないんだということを。
「遅い」
それは正しく、空を飛ぶ白き鳥のように。完璧なタイミングで攻撃を仕掛けた二人の姿を――しかし、僕はこの目でゆっくりと確かに視認する。
右腕に紺碧の魔力を纏い、それを軽く振ると、二人が展開していた魔術式が掻き消された。
「なっ――!?」
「なんでだよッ……‼‼」
魔術を封じられた今の二人は、ただ丸腰で飛び出してきただけの一般人にも等しい。
己が力の限界を弁えず、ただ怒りと恨みとに任せて死地へと飛び込む行為――人はそれを蛮勇と呼ぶ。
彼らが僕に衝突するまで、コンマゼロ三秒。どちらを攻撃しようかと逡巡した後、僕は自分により近い方の首を紺碧の右腕で掴み、持ち上げてみせる。
「がぁっ……はぁっ……うぅっ!」
首を絞め上げられ、苦し気に呻く少年。足をばたつかせてもがくが、右手の力を少し強めてやると、「――――――ッ」と声にもならない悲鳴を上げて静かになった。気絶したようだ。
「その手を放せっ!!!」
言われた通り、気を失った男をそこらに抛り投げてから、もう一人の少年に向かう。
懐から果物ナイフを取り出した男は、それを僕の心臓部に迷いなく突き出した。
僕は右足を大きく後ろに下げる。と同時に、突き出された男の右腕をこちらの左腕で押さえつけ――それをそのまま彼の右腕に沿うようにして移動させて、ナイフを持つ右の手首を捻る。
「《月降》」
ナイフを落とした男に、至近距離から鋭い閃光の刃をお見舞いする。
「――――――!」
クリーンヒットした《月降》は男の左腕を切り落とし、切断部からは鮮血が舞い散った。
「――――、ぎゃああああぁぁぁぁ――ッッッ!!!」
これまでの短い半生の中で、腕を切り捨てられたことなんてなかったんだろう。感じたことのない激痛に、男は地面をもんどりうって叫ぶ。
「あ…………あぁ……」
そして俺は、最後の一人――じっと俺の背後から、機を伺っていた男へと歩み寄る。
いや、「機を伺っていた」というのはちょっとカッコよく言い過ぎたかもしれない――と、仲間がやられていく様を見て、腰を抜かし震えているその男を見て思った。
――地獄。仲間が手も足も出ずに蹂躙される様子をまざまざと見せつけられていた男には、きっとこの場がそのように映ったことだろう。とすると、僕は閻魔大王だろうか?
エンマ様なら、地獄へ送られた者には生前に行った罪を問い、然るべき裁きを下すはずだ。
「君も僕を狙う?」
それに倣って、僕も彼に問うた。
彼は血の気の引いた青い顔で、いや……いや……と首を横に振る。僕がただ立っているだけで何もしないでいると、男は慌てて背を向け、必死の形相で逃げ出していった。
「…………」「――――っ」「…………っ」「――――」
その場には僕と、喋らなくなった――全員気絶している――四人の少年が残された。
「…………数人で奇襲してもこの結果だ。今後は、中史に果たし状なんて送らない方がいい」
見慣れた光景、予想された結果。
僕は懐から丈夫で古風な和紙で作られた果たし状――この日時に、この場所に来るように書いてある――と携帯を取り出した。果たし状の方はその場に捨てて、携帯でとある番号に電話する。
「《浄土》」
電話がつながるまでの間に、僕は左腕を失い、痛みで気絶した少年に治癒魔術を施す。このままだと出血多量で危うそうだったから。
「もしもし。僕だよ。……うん。治してほしい子がいる。四人だ。場所は――」
三度目のコールで出てくれた電話の相手は、久慈家の人間だ。中史本家――つまりは僕の家から分かれた家だから、こんな僕とも仲良く接してくれる。人を治すことに長けた彼女たちの血筋には、たくさん助けられている。だから僕は今回も自分が傷つけた四人の処置を、無責任にも久慈家の人間に任せてしまう。
僕は人を傷つけることばかり得意で、治すのは苦手だから。
「……じんべえに返り血、ついちゃったな」
お姉ちゃんが選んでくれたものだから、なるべく汚したくなかったけど、仕方がない。
「…………」
そして、なんとなく。特に理由はなかったけど――強いて言えば、気分転換がてら――僕はすすきが原を更に歩いていく。
しばらく行くと、前方に石段が見えてくる。火の灯っていない寂しい石灯篭が並んだそのきざはしを、僕はカラコロと下駄の音を立てながら上ってゆく。
その先で僕を迎えたのは、簡素な造りの神明鳥居だ。
小山のようになっているススキが原で、一番隆起しているこの場所にある、小さな神社。
ちょっと気持ちの整理をしたい時、一人になりたい時には、よくここに来る。
ここに来るのは、僕くらいなものだったから。
「ねえ」
けれど今日は違ったらしい。鳥居をくぐったその瞬間、境内のどこからか声がした。
僕はすぐさま声のした方を振り向いて、その子を視界に捉える。
「《月降》」
「うわ、すごい殺気――」
声の主は少女だった。が、そんなことは関係なかった。彼女の御魂からは、強い魔力の反応があり――それは魔術師特有の、攻撃的なもので――
相手が魔術師だというなら、女だろうと手加減してはいけない。魔術という超自然の力の前では、ちょっとの筋肉量の差など物の数に入らない。隙を見せた者が、数瞬の後には物言わぬ骸となっている――そういう世界だ。
だから僕は出会い頭に魔術を放った。この闇の中、僕に声をかける魔術師なんて――中史の命を狙う者以外に考えられなかったから。
――だけど。
「《鉄盾魔堅守護壁》」
少女が唱えると、境内に瑠璃色の粒子が奔り、それは魔力によって象られた防御壁となった。
ズズズガガガガガガガ――――ッッ!! 僕の魔術が、彼女の盾を削り取るような轟音を上げるも――
「……まさか」
「落ち着いて。ボクはきっと、みんなとは違うから」
《月降》は彼女の魔術を突破することができずに、防ぎきられてしまった。
同年代の魔術師相手に、いくら不意打ちとはいえ中史の魔術が防がれるなんてことは初めてだったから、僕はひどく驚いた。
「ねえ――トキ、でいいんだよね」
あの中史宗家の当主・中史刻の嫡子――中史時。僕は魔術師界隈では不名誉にも有名人だったから、初対面の相手に顔と名前を知られていても、特に思うところはなかった。
「君は?」
僕の魔術を防ぐことのできる同い年くらい子――とても珍しい存在に、僕は興味が沸いた。
それで初めて、しっかりとこの目で彼女を見た。
(…………っ)
――雲間から、月が顔を出した。明るい光が彼女を照らした。
――青みがかった髪の、二つ結びのおさげ。
――澄んだ泉のように静謐でぱっちりとした瞳。
――筋の通った鼻に、桜色に潤った唇。
――僕よりも小さい華奢な肩が、ひかえめに女の子を主張している、彼女に――
「空波るり、だよ。お話しよう、トキ」
自らをルリと名乗って、笑顔を見せる彼女に――
警戒心や敵意はおろか、初対面の人間に当たり前に感じるはずの心の距離感、不信感までもが、すべて消し飛んでしまった。
それはこれまで抱いたことのない、とても強い感情――
運命という陳腐な言葉で片付けてはならない、特別な――とても居心地の良い気持ち。
――名前の分からないその感情に戸惑いながら――
秋の夜、月の光差す境内で――僕とルリは出会った。
治癒魔術の平均的なレベルは、長柄>>>久慈>中史という感じです、




