十話 空虚なる
再び戻ってきた幽霊研究部室。なぜかついてきた一宮と一緒に雑談していた。
「結局、なんでこの男とバトルになったんだよ」
部室のソファで伸びている男子生徒に治癒魔術をかけながら、一宮に問う。
「私のお父さんの役職って知ってたっけ?」
「……ん、ああ。公安のお偉いさんだろ」
公安警察。その中でも警視庁に属する警視庁公安部の重職に、一宮の父は就いている。俺も会ったことがある。
「合ってるよ。それで……そうだな。公安って言うと、国家の秩序を守る、みたいなイメージあるでしょ?」
……ああ、話が見えてきたな。あんま関わらない方がいい方向に。
「この男の親が、なんかやらかしたのか」
「そうらしいよ。この男、親が国会議員なんだって。そいつの所属する政党が税金をとある組織に横流ししてたらしくてさ。お食事券ってやつだよね? そこを公安部に抑えられたんだって。で……こっからは推測だけど、焦ったこいつの親が、こいつに私を人質にでもするように指示したんじゃないかな? たしか、その組織の名前は……」
「いや、もういい」
……またこの手の話か。多いんだよな、この学校。親同士が社会的に高い地位にあって、そこで生じた軋轢が子供の代にまで及ぶこと。あんまり深くかかわると、それこそ中史が動かなくならなきゃいけなくなる。それだけは避けたいことだ。
「とにかくお前、狙われてるってことだろ。いいのか、こんな悠長にしてて」
「んー、多分『私である必要』はないから、もう手出しはしてこないと思う。そんな本気でもなかったみたいだし、大丈夫でしょ」
公安との交渉材料のあては、なにも一宮の身柄だけではないということか。
「そうか。身の危険を感じたら……別に俺じゃなくてもいい。周囲を頼れよ」
クラスメイトが事件に巻き込まれて……なんてのは気分がいいものではないので、そう言うと……
「そんなに心配なら、ウチまで来る? コトが済むまで、守ってよ。中史君には、そうするだけの力、あるでしょ?」
一宮が、どこか興奮した様子で身を乗り出し、そんな提案をしてくる。
頬は仄かに蒸気していて、瞳は潤んでいる。
「……ダメ?」
一宮の人間性を知らない男なら、間違いなく勘違いしてしまいそうな上目遣い――
「騙されないぞ。お前、護衛に託けて俺と闘いたいだけだろ」
「きゃははっ、ぜーんぶお見通しだぁ! 『だけ』って言うのには反対させてもらうけどね!」
もう分かることと思うが、こいつは生粋の戦闘狂だ。さっきも、勝敗は決まっていたのにも関わらず、必要以上に男を痛めつけていた。それはなによりも、一宮が闘争を求めているから。
だから俺を誘ったのも、この学校で一番強いとされる俺と闘うため。護衛役として相応しいかどうか実践テストだ、とかなんとか言ってくるに違いない。
「それじゃ一宮さん、トキじゃなくて僕が――」
「非力な染色体XY型は黙ってて?」
「ぐはぁっ――!」
あ、アズマが吐血した。
「ふむ。男としてのプライドを叩き折られたようだな」
「あ……相変わらず、襲の一撃より重い口撃だ…………かはっ」
「……もう……なにしてんの、バカ」
割と本気で落ち込んでしまったアズマに、心なしか普段よりも優しい声音で接する蘆屋。彼女がアズマに対して素直になる場面はなかなか見られるものではない。レアだ。
「ごめんね、でも、私は私が認めた人だけに力を使いたいし、護られたい。私より強い人、それがこの場では中史君だけ。だから私より弱い池田君じゃダメなの。ごめんね?」
そこに笑顔で水を差すのが、一宮という女だ。こいつ本当に空気読めないな。
「……アズマは、貶されるほど弱くない」
嘲笑気味だった一宮の態度が気にくわなかったか、蘆屋の声には静かな怒気が含まれている。ホルスターに手を伸ばした蘆屋は徐々に戦闘時の威圧感を放ち始めた……!
これは一触即発の雰囲気……!
「あれ? なんで怒るの? 私、今カサちゃんに言ったんだよ。池田君は取らないから、末永くお幸せに、って」
「――っ! そ、そんなんじゃない……! あたしは、ただ……っ!」
「あー赤くなった! 分かりやすいカサちゃんかわい~っ!」
……全然そんなんじゃなかったみたいだ。アズマとの関係を指摘された蘆屋は顔を真っ赤にして反論にもならない反論をしている。
そういえばド忘れてた。この二人普通に仲のいい友達だった。一宮とか、蘆屋のこと「カサちゃん」ってあだ名で呼んでるしな。
「……それで、あなたがかぐや姫?」
で、俺、アズマ、蘆屋を次々に口撃していった一宮は、次の狙いを輝夜に定めたようだ。
彼女はぐいと身を乗り出して、輝夜に顔を近づける。
「へえ。教室で遠くから見た時にも思ったけど、近くで見ると、ホントに綺麗な顔だね。中史君もこういう清純派が好みなのかな? あなたはどう思う、噂のかぐや姫?」
「……か、かぐや姫じゃなくて、輝夜よ」
お、珍しい。あの輝夜がちょっと押され気味だ。
「……ふうん」
すると一宮は……輝夜の頭の先からつま先までを値踏みするように見ると、
「ねえ中史君」
もう輝夜からは興味を失ったとでも言うように、俺へと向き直り――
「噂だとそういうことになってるけど、中史君、この子と付き合ってるの?」
……随分と、唐突な質問をぶつけてきた。いや、噂ではそういうことになってるし、おかしくはないのか? 一宮自体が変わった奴だから、よくわからん。
「噂はあくまで噂だ」
「そっか、よかったぁ!」
それを聞いた一宮は、笑顔で両手を合わせた。
かわいい。かわいいが……なんだかその笑みは、妙に整いすぎている。まるで作り物の笑顔を、無理やり貼り付けたようだ。……つまり今、一宮は心からは笑っていないのだ。
「……なんでそんなこと訊いたんだよ。一宮、色恋に興味あるタイプじゃないだろ」
俺は嫌な予感がして、あえてそんな決めつけるようなことを言う。これで一宮が、俺の無神経を批判する流れになればいいなと思ってのことだったんだが……
「……だって、こんな子が中史君と付き合ってたら、多分私、この場でこの子の事、そこの男と同じ目に遭わせてた」
しかし一宮は、俺のそんな思惑など無視して、ひどく冷静な声色で。
気が触れたわけでも何でもないのだと分かる明瞭な瞳で――そう言い切った。
「こんな子が中史君となんて、分不相応にも程があるもんね? ちょっと顔が良いからって勘違いしたのかと思って、はらはらしちゃったよ。だって……」
そうして、輝夜のことを執拗に「この子」、「こんな子」、と。
親が我が子に向けて、そう呼ぶように。
格上が格下に向けて、そう呼ぶように。
相手を、『輝夜』という固有名詞で呼ぶまでもないと判断した、一宮は――
「こんな子供に、中史君が時間を取られてるなんて考えたら、そりゃね?」
目の前のお姫様は、ほんの子供である、と。そう強く主張する一宮の、それは――
それは、輝夜が最近まで幼女だったことを言い当てたわけではない。一宮はそのことを知らない。
「子供……ううん、赤子だね。力もなければ、意志もない。自分で戦うことを放棄して、ただ守られてるだけの赤子」
一宮が言っているのは、今の輝夜の行動原理について。
俺が危惧していた、月見里輝夜の、中史時への偏重した思い。
それはまさに、子が親を慕うような盲目的な信頼感。
言い換えれば、環境に強制された、無意識の依存である。
「あのな、一宮」
事ここに至って、俺はやはり自らの選択を悔やむ。
昨日の危機感は、杞憂などではなかった。……ここには連れてくるべきじゃなかった。
「私たちは魔術師だよ? それがなくたって、私たちには目指す場所とか、目的とか、そういうなんでもいい、あやふやでもいい、それでも確かな意志を持ってる。だけど――」
彼女の言うことは、どこまでも正しい。
だから一宮は、やっぱりサディスティックな笑みを浮かべて言う。
「ねえ……輝夜、だっけ。輝夜、あなた、何がしたいの?」
「もうやめろ、一宮」
俺は、努めて優しく言ったつもりだった。
「……なんだ、中史君はこの子を庇うの?」
しかし俺の言葉が、一宮にはどうやら効いたらしい。興ざめしたようにスッと身を引いて、輝夜との間隔を開ける。
「そういうわけじゃない。ただ、事情があるんだ。お前にも後で説明するよ」
……一宮の言うことは、正しい。しかしそれは、仕方のないことなのだ。月見里輝夜は、比喩でもなんでもなく子供なのだ。そんなうちから、一宮の言うようなものを求めるのは意地悪な話だろう。
次に俺は輝夜が心配になって、彼女の方に視線を向ける。
「何がしたい、って……」
だが幸いなことに、輝夜はこの事をあまり深くは受け止めていないようだった。ただ初対面の人間から、「あなたは何かしたいことある?」と聞かれたと思ってる。それだけは、救いだ。
一宮の口調も、聞くだけならおちゃらけてるように聞こえるからな。
その中身まで踏み込まなければ、一宮はかわいくて愛嬌があるだけの女子高生だ。
別にこんな形じゃなければ、一宮も輝夜と普通に接してくれるだろうし。
だからこの場はひとまずお開きにして、あとで――
「こんにちは」
……と。
それは第三者の声だった。
一宮のものでもない。幽研部員のものでもない。
みんなの視線が、一斉にそちらへと集まる。
(――――っ)
ドク、ドク、ドク――
俺の心臓が、再び激しい鼓動を打ち始める。
全身に巡る血潮が騒ぎ立てて、俺の思考回路を乱していく。
……部室の入り口に立って、笑顔で手を振るおさげの女の子。
「あ、いたいた。ここって、魔術師のための場所なんだってね。トキのお父さんから聞いたよ」
空波、るり。
他でもない……俺の幼馴染疑惑浮上中の彼女が、
「なら、トキ。……ボクと、闘ってよ」
あまりに……あまりに唐突に、俺へ対戦を申し込んできた。目と目が合ったらポケ〇ン勝負だ。




