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六話    馴染みのない幼馴染

 は? ……今、なんて言ったんだ……

 この、空波とか言う女子は。


 幼馴染? まさか。


 そんな存在が俺にいるわけない。

 まず覚えがない。こんなかわいい顔してたら少しくらいは記憶に残ってるだろうがそんなものは一ミリもないし、そもそも幼馴染って言ったって俺は小さい頃の記憶を……――。


 そこまで思考が至って初めて、俺はその信じがたい結論に行きついた。


 え、ということは……


「久しぶり。……って言っても、トキはあの頃のこと、覚えてないんだよね」


 ……そういうこと、なのか……?


 俺が失った、4年間の記憶。

 8年前の記憶。

 その空白の期間に、俺は空波と出会っていた……のか?


「「「………………」」」


 突然の『幼馴染』カミングアウトによって、しばらくの間、水を打ったように静まり返っていた教室。


「ま――また中史かよ!」「月見里さんに続いてっ」「不公平だっ!」「富の再分配を要求する‼」


 しかし次第に事態を呑み込み始めた生徒たちが、昨日のリプレイのような騒ぎっぷりを見せる。


「そうだそうだっ、僕も毎朝起こしてくれる系幼馴染欲しかっ――――うげっ」


 男子勢の一員となって俺に野次を飛ばしていたアズマが、蘆屋からの鋭い眼光に身をぶるぶると震わせる。


「……言ってきかない子には、殴るしかない。……その理屈、賛成」


「ひいぃっ⁉」


「おい待て、逃げるなアズマ――……え。……中史?」


 ガラ、と椅子を膝裏ではじいて俺が立ち上がる。


 その行動があまりに突然のことだったので、クラスメイトの視線が一気に俺に集まった。野次を飛ばしていた男子共も、なんだなんだと好奇の目を寄越しながら、なんとなく押し黙ってしまう。


(なんで立ったの、俺……?)


 俺は、空波の元へと歩いていく。


(え……ちょっ)


「な、中史君? どうしたの? 空波さんと知り合いみたいだけど……個人的な話は、休み時間に……」


 ――分かってます、今すぐ席に戻ります!


 頭の中で作文したその返事は、しかし発音されることなく脳内に居座り続ける。

 七海先生の制止の言葉が、右から左に流れていく。

 自然と、足が空波の方を向く。

 訳が分からない。


(いやあの、なにしてんの俺の御魂……?)


 俺の意志とは無関係に。

 そう……他のなにでもない俺の御魂が、そうしろと叫んでいる。


「……トキ?」


 そして、空波の元までたどり着いた俺は――


「えっ……」「は……?」「な――⁉」


(おい、バカやめ――)


 ――ぎゅっ。


 驚くほど自然な動作で、空波を、抱きしめた。クラスメイト30人の目がある前で、堂々と。


 ……教室の空気が、凍り付いたのが分かった。


「……!」


 抱きしめられた空波は、突然の出来事に驚き、目を見開いて……

 それから、ほんのりと顔を赤らめつつも、安心したように笑顔になった。


「あぇ、いや悪い空波、違うんだこれは――」


 初対面から抱き着くとかセクハラにもほどがあるので、必死に弁解するが――そもそもあちら側は、弁解など求めていなかったようで。


「うん、大丈夫だよ……トキ」


 むしろ空波の方からも、俺の背中に手を伸ばしてきて……だ、抱き着き返してきちゃったぞ。どうすんのこれ。


「お……おい、これは」「おいお前、喋るな。黙っとけ」「今は静かにしてた方がいいよ、なんとなく」


 あれだけ騒いでたバカ共ですらこの通り、ちょっと引き気味なんだけど。


 ここで空波が俺のことを嫌がって突き放してくれたりしたら、まだ事態に収まりがついたんだが……そう上手くはいかず。


「トキ、トキ……ずっと……ずっと会いたかったよ……」


 彼女は譫言(うわごと)のように呟きながら、心臓音を聞く時のように、俺の胸に頭を預け……え。泣き出しちゃったんだけど。

 しかも、しなだれかかってくるみたいに預けられた空波の身体が制服越しなのにめちゃくちゃ柔らかいし、涼し気な夏の新緑を連想させる良い匂いがするしで、俺はいよいよパニック。


(……え)


 さらに、俺の驚きは続く。


 これは……なんでだ?


 あれだけ女体嫌いで、抱き着かれたら失神するぐらいには耐性がなかった俺のDT御魂(ソウル)が――空波に対しては、全くと言っていいほど抵抗しないのだ。それどころか、自分から抱きしめにいく始末。

 なに、もしかして一目惚れですか御魂さん。そんなに好みのタイプだったんですか。いやかわいいけど。俺としてもめちゃくちゃドストライクだけど。


「……な、なにを見せられてんだ俺たちは……?」「とりあえず殺してもいい? 今なら許されるよね?」「これだけのことをしたんだ、司法も大目に見てくれるだろ」「隣のクラスに最高裁判所長官の一人息子がいただろ。なんとかしてあいつ味方に引き込もうぜ」


 ようやく喋り始めたクラスメイト達がなにかよからぬことを企てているが、反論しようにも口が開かない。

 中史時の身体はもうとっくにオーバーヒートを起して使い物にならないのだ。


「ト、トキ……?」


 教室の後方に座る黒髪の姫様が当惑と共に俺の名を口ずさんでも、そちらに意識を向ける余裕もない。


「うっ……ううぅ……」


 俺の御魂はただ、胸の中で静かに肩を震わせ続ける空波を抱きしめることにしか関心がないようだった。


(え、えぇ……)


 ……なんか、もういいや。どうとでもなれ、俺の青春。


   ☽



 公衆の面前で恥を晒した中史時のその後はひどいものだった。


『恥の多い生涯を送っています』


 と書かれたプレートを首から下げたまま、俺は一時間目の授業を受けさせられたのだ。


 常に女に飢えている思春期男子共の前で男女がイチャつくと(本人にその気は全くないが)どうなるかなど、推して知るべしだ。さっきから身体の節々が痛くて動かせない。


 そんな調子で休み時間。

 教室の右端に席がある空波は終礼と共に立ち上がると……う、目が合ったぞ。それだけじゃなく、迷わず俺のところまで歩いてきた。


「さっきは、急にごめんね。トキにああされて、つい嬉しくなっちゃった」


 で、一周回って不自然に感じるレベルで自然な流れで、話しかけてきた。


「いや、アレは俺が一方的に悪かっただろ。こっちこそいきなり抱き着いたりして、悪かったな」


 まずは謝る。なんか流離世界でも謝ってばっかりだった気がする。誤りばかりの人生である。

 自分で言ってて『いきなり抱き着いて悪かった』ってなんだよとは思うが、事実そうなのだから仕方がない。


「ううん。トキがボクのことを覚えてないのは、知ってたのに……昔と同じじゃ、ないのにね」 


 そう語る、口ぶりは……やっぱり知ってるっぽいな、空波。八年前の俺を。


「……なあ。さっきは俺のこと、幼馴染って言ってたが……」


「うん。そうだよ。ボクとトキは、幼馴染。昔……12年前、岩手の遠野で、ボクたちは出会ったんだよ」


(12年前に岩手で、か……)


 その証言は、俺の記憶の空白期間と一致する。

 疑っていないと言えば嘘になる。それは別に空波が怪しいとかそういう訳ではなく、中史という家柄上、素性の分からない人間の言うことを真に受けるのは危険だからだ。

 だがもし空波の言っていることが本当だとしたら、彼女は俺の記憶のことも……


「……トキは、全然変わってないね。ちょっと安心したよ」


 なんて言いながら空波は、さっきの今でまた瞳を潤ませて俺を見る。

 その態度に、俺は……どうしても、温度差のようなものを、感じてしまう。こんな言い方はひどいだろうが……少し馴れ馴れしい、などと。

 今も、『変わってない』なんて言われたところで、そもそも昔の俺がどんな人物だったのかが分からないんだから、肯定も否定もできない状態だ。

 

 向こうは俺のことをよく知っているみたいだが、こっちからしたら初対面もいいところだからな。今のところ顔と名前、あとは一人称が『ボク』のボクっ娘ってことくらいしか分からない。


「その……昔の俺と空波は、どんな仲だったんだ。その様子だと、仲が悪いってことはなかったんだろうけど」


 ので、訊いてみる。


「ぁ……」


 が……もしかしたら彼女にとって、その質問はアウトだったのかもしれない、と遅ればせながら思った。

 空波が信じられないものでも見たかのように目を丸くして、俺を見つめたから。


 だが、それは一瞬のことだ。すぐに空波はなんとなくぎこちない笑みを作って見せた。


「ご……ごめん。分かってたけど……頭では分かってたんだけど。ほんとにトキ、ボクのこと忘れてるんだなって、感じちゃって……」


 俺が怪訝そうにしていたのが伝わったのか。

 空波は、俺の疑問を読み取ったように、そう説明してくれる。


 先ほどまでの嬉しそうな顔とは打って変わって、その表情は暗い。


 ……拒絶。今、空波が感じているのは、きっとそんな感情だ。

 なぜだか分からないが、彼女のことは手に取るように分かる。

 何も知らないはずなのに。


 空波るりと言う少女が、何を考え、どう思うのか。


 だからこそ――

 

「……なんて呼んでたんだ」


 彼女が俺にどうしてほしいのかも、分かってしまう。


「……え?」


「昔……俺が記憶を失う前。俺は、空波のことをなんて呼んでたんだ?」


「それって……昔みたいに、呼んでくれるってこと? ボクのこと」


「お前が嫌じゃなければな」


「い、嫌なわけないよ!」


 空波は大声を上げて否定する。


 普通なら、過剰すぎるリアクションに引いてしまうところだが……

 ああ……分かる。やはり、分かってしまう。それほど、彼女は嬉しがっているんだということが。まるで自分のことのように。


「……『ルリ』」


 彼女は、はにかんで言った。


「ルリ、って……下の名前で呼んでくれてたよ、トキは」


「ルリ、か」


 はっきりと口を動かして、その音を反復する。


「できれば……また、そう呼んでくれると、すっごく嬉しいよ」


 その提案を、俺は――


「分かった」


 反射と言われても違和感はない。 

 それほどの速度で、快諾していた。


「これからはルリって呼ぶよ。まだ、ちょっと慣れないけどな」


「……ぁ……うん!」


 呼ばれた空波……ルリの方は、また泣きそうになったが……今度は寸前のところで堪えてくれたみたいだ。もうあんな空気は御免だからな。


(……ルリ)


 ルリ。空波るり。

 頭の中で、その名前を反芻する。

 妙に心に馴染む六文字だな、と思った。


「…………」


 いや、きっと『妙に』という表現は適当ではないんだろう。

 子供の頃は、ずっとそう呼んでいたから。口が覚えていたのかもしれない。

 毎日のように発音していた、『るり』という二音を。記憶がなくなっても、御魂が。


 だとしたらやはりルリは、俺が記憶をなぜ失ったのかを知って――――


「…………お嫁さん」


「……え?」


 唐突に何かを呟いたルリに、思わず顔を上げる。


「昔トキに何度も話した、ボクの将来の夢。トキのお嫁さん」


 思考が停止する。

 頭が真っ白になるというのはこういうことを言うのか、と思った。

 ルリが何を言っているのか、理解できなかった。


「……は」


 呆然とする俺に構わず、ルリは後ろ手を組んだまま、幸せそうな表情でこう言い切った。


「さっきの、どんな仲だったのかって言う質問の、答え。そういう関係だったんだよ、ボクたちっ」

良かったなトキ、瞳を潤ませた見知らぬ美少女から求婚されたぞ。

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