四話 All’s right with the world
緩やかな勾配の上にある我が家目指して、下校中。
夕日に染まった空を背に、薄い影の伸びた道を輝夜と二人、ゆったりと歩いていく。
俺は数十分前、旧校舎にて行われたやり取りを回顧する。
そもそもなぜアズマが蘆屋に殺されかけてたのか、あの後訊ねたのだ。
アズマの弁解はこうだった。
『いや、別に大したことじゃないよ。かぐや姫が転校してきたって聞いたから、いい機会だし黒髪の大和撫子がヒロインのエロゲでもやろうかなって学校に持ってきたラップトップPCいじってたら、そこを襲に見つかってさ。ようするに、不幸な事故だよ』
と、どこをどう見れば事故なのか分からないエピソードを話され、アズマのイカレ具合を再確認するとともに安堵した。友人が変わらず元気なのはいいことである。
『でもあそこまで怒る必要ないと思うんだよね。僕が学校でエロゲしてるのなんて、今に始まったことじゃないのに』
とも言っていた。常日頃から学校でエロゲやってるのは異常以外の何物でもないんだが、ひとまず置いておくとして……
蘆屋に関しては、そこは気づいてやれよと言いたくなった。蘆屋は多分、輝夜という美少女転校生にお前が目移りしないかどうか心配なんだと思うぞ。嫉妬というほど後ろ暗い感情でもないだろうが、そういう類の煩悶に蘆屋が悩んでることぐらい、普段エロゲやってるお前なら気づいてもいいだろうに。変なところで鈍感なんだよな、アズマのやつ。
蘆屋の暴力が好意の裏返しであることなんて、アズマ以外の全員が察してることなのに。
「ふっ……」
その点、俺は美少女からの好意に敏感な自負がある。
御魂が女体を避けるせいで周囲の女子には勘違いされがちなんだが……俺は別に女子が嫌いなわけじゃない。女子のことが嫌いな男がいたとしたらそいつは性的マイノリティーかインポテンツだろう。俺はそのどちらにも当てはまらないノーマルなので、女子に優しくされれば普通に喜ぶし嬉しがる。
はこべを例に出せば、くっつかれると御魂が生理的嫌悪感を覚えてしまうというから避けているというだけで、彼女が俺を好いてくれているのは純粋に嬉しいと思っている。同じ理由で輝夜と一緒にいられることもしっかり役得だと感じている。
だから俺はいつ瞳にハートマークを浮かべ発情した見知らぬ美少女から求婚されてもいいように、常に好感度センサーを360°張り巡らせている。そこらの難聴系鈍感主人公とはわけが違うのだ。
「なんかバカなこと考えてる顔……」
下校中の謎の郷愁感から出づるハイテンションを利用し、心の中で自分語りをしていたら……輝夜に罵倒されてしまった。
ムッとした俺は言い返す。
「失礼な。今は脳内でクルト・ゲーデルの第一不完全性定理における無矛盾性の証明をしていたところだぞ」
「……やっぱり」
脈絡なく何かを納得され、首を傾げる。何がやっぱりなのか。訊ねると、
「なんかトキ……性格変わった?」
なんてことを、大真面目な顔で訊かれた。
「……? 俺は俺だが」
「でもトキ、流離世界にいた頃と、こっちに来てからで……ちょっと、印象が違う気がするわ」
「どんな風に?」
「なんていうか……今の方が、元気?」
ていう表現が合ってるかは分からないけど……と付け加えて、輝夜は首を傾げた。
元気、か。
別にあっちの世界でクール系を演じてたつもりはないが……心当たりはあったので、これにはすぐに返答できた。
「それは多分……俺があの異世界転移の事件を、中史に降りかかる試練の一つだと感じていたからだな。それでずっと気を張ってたから、テンションの上がり下がりがいつもより小さかったんだろ」
本人的には特になにか変わったつもりはないが、輝夜が言うならそうなんだろう。
どっちが素かと言われれば、両方だと答える。それくらい俺にとっては小さな変化だ。
「中史に降りかかる試練? どういう意味?」
つい意味深な言い方をしてしまったので、案の定そこを輝夜に突っ込まれる。
「いや、別に深い意味はない。ただ単に……なぜか中史って、トラブルに巻き込まれやすいんだ。正に一難去ってまた一難ってやつで、暇がない」
巻き込まれ体質……と言うのは違うな。騒動の中心に中史があることは少なくない。
今回の異世界召喚も、俺が中史で魔術が得意だったからこそ起こったことだしな。
とにかく中史の人間は、なにかしら厄介事に巻き込まれやすい。それが中史という影響力の大きさ故なのか、そういう星の元に生まれたからなのかは分からないが。
そのせいで俺は、小中では意味もなく学校を休みまくってる不良一歩手前的存在だった。
「トキにとっては……流離世界に転移したのも、その中史の血が招いた事故の一つ、みたいな感覚ってこと?」
「そんな感じだ。だからいつ何時でも戦えるように、四六時中気を張ってたんだろうな。……そうだな、仕事モードって言うと格好よく聞こえるな。今度からそう呼ぼう」
幸いなことに、先の異世界転移では命の危機に瀕するようなことはなかった。なかったが……その代わりに悲劇の道を歩もうとする、一人の少女と出会った。
メフィス・フェレスト。
彼女のことを思い出したのを皮切りに、ここ数ヶ月間の出来事が次々とフラッシュバックする。
……流離世界でなすべきことは、できる限りしたつもりだ。
魔王を倒した。勇者として活躍し国民を安心させる……ことはできなかったが、クラインの野望を食い止めることはできた。自ら進んで不幸になろうとする彼女を、笑わせることができた。
しかしそれで、気持ちよく一件落着だと言えることが、本当にできるだろうか?
はたして、俺は中史として最善を尽くせたのだろうか?
もっとやれることがあったのではないか。
そんな詮無いことを、どうしても考えてしまう。
あの時、俺はクラインの夢を「野望」だと言って切り捨てたが、少しは事情を聴いてやってもよかったのではないか。結局、あいつがあの法案を可決させてどうしたかったのかは分からず終いだ。それを聞いてやれば、そうすれば、誰も傷つかず、全員が幸福になれる折衷案が見つかったのではないか。
考えればキリはない。考えれば考えるほど、後悔の念は強まっていくだけだ。
少ない希望の一つが、メフィだ。どれだけ後悔を重ねようと俺は――メフィを救えなかった、などとは考えない。それだけはしてはいけないことだからだ。それはメフィが最後、俺に見せてくれた笑顔に対する侮辱に等しい行為だからだ。
だから今は、あの笑顔を引き出させただけでも及第点ということにしておこう。
……それに。
「……どうしたの? じっとこっち見て」
相変わらず精巧な人形みたいにあどけない、とびきりかわいい顔で、キョトンとした表情を浮かべる輝夜。
彼女――月見里輝夜がこの世界にいる。それは単に彼女の新天地での生活の始まりを意味しない。それは流離世界から延々と続くなにか宿命めいたものと地続きの現象なのだと、直観と感性が告げている。
「いや、見れば見るほど輝夜姫だなって」
「……わたしはかぐや姫じゃないわ」
「分かってるよ。だから、『輝夜姫』だ」
人一倍『輝夜』であることに固執する少女。
彼女が『輝夜』であることから解放され、自由な自己を見つけられるまで、俺の異世界転移は終わったとは言えない。
だから――
「ただいま!」
家に着くと、輝夜が大声で挨拶をする。こいつの方がよっぽど元気だな。
「おかえり、トキ、輝夜ちゃん!」
すると、リビングの奥からもうすぐ四十近いのに小学生くらいにしか見えない容姿の母さんが、輝夜に負けず劣らずの溌溂さでおかえりを返した。
ほぼ立ち止まらずに歩いていった輝夜の散らかった靴を整えつつ、俺も自室に鞄を置いてから、リビングに顔を出す。
すかさず母さんが近寄ってくる。
「今日はお父さん遅くなるから、私が料理したのよ!」
見ると、テーブルの上には……なんだこれ。石炭かなにかが積み上げられてるぞ。
「炭鉱でも行ってきたのか?」
「唐揚げよ!」
いや真っ黒なんだけど。こんなの全部食べたら三日後には癌患者だよ。
「やっぱり……失敗だったかしら?」
見るからに落ち込む母さん。こういう態度を取られると、小さい子をいじめているみたいで大変居心地が悪い。親に対する心象ではないんだろうけど。
「母さん。後は俺が作るからいいよ。その間は輝夜の面倒見ててくれ」
「分かったわ!」
少しは落ち込んだかと思ったが、母さんはぱっと明るい笑顔をつくると、輝夜の手を取った。
前々から、どこか輝夜のハイテンションなノリが体に馴染むなあと思ってたが……今その理由がわかった。母さんに似てるんだな、あいつ。
「輝夜ちゃん。初めての学校はどうだった?」
「すっごく楽しかったわ! 知らない人といっぱい話して、お友達になったわ! 授業はよくわからなかったけど、部活見学? にも行って……それに、トキが隣にいたから安心だったわ」
そうして輝夜は、母さんに今日一日のことをあれこれ話している。
それは異世界からやってきた空っぽの輝夜が初めて触れた、この世界の日常。
これからは、今日のような日常が積み重なっていって、その思い出が、記憶が、やがては『月見里輝夜』に代わる輝夜となってくれるのだ。
――だから、今はこれでいい。
月見里輝夜がこの世界に馴染むまで。
それまでは、今日みたいな平穏な日々が、もうしばらく続きますように。




