一話 転校生!
高校生活と言われてまず最初に思い浮かべるのは、やはり何と言っても「青春」の二文字だろう。
体育祭や文化祭でクラスメイトとワイワイ思い出作り。
意中の異性と放課後ドキドキ想い出作り。
あのクラスの誰があれした、何先生がこうした、どこ部がそれした。
学校生活にはイベントが盛りだくさん! 子供連れでも楽しめるアトラクションも充実! ぜひこの夏はわが校にお越しください!
……我々はそれらを、そこに生まれる喜楽や悲哀も含めて「青春」という言葉でくくっている。
大人曰く、大学に入ると環境も変わり、大人の社会に片足を突っ込んだような感覚に陥るという。
ならば高校というのは、同年代の子供だけで形成される最後のコミュニティの場であると言える。
一説によると高校時代の経験はその人物の幸福度に直結するとかしないとかしないとか。
……だというなら、俺のこれからの人生は間違いなく不幸なものになるだろう。
なぜかというと、そう――彼女がいないのだ。
彼女。英語で言うとガールフレンド。ちなみにラバーと言うとどちらかと言うと愛人としての意味合いが強くなってしまうらしいから、英語圏の彼女ができた場合には要注意だ。そもそも日本人の彼女すら満足に作れてないわけだが、そんな細かなことは気にしない。細かいことを気にする男は嫌われるらしいからな。
というか、そうだ、そもそも俺に彼女がいないのは俺のせいではなく、この学校のせいだろう。……これはなにも無根拠な責任転嫁なんかじゃないぞ。違うぞ。言えば言うほどそう聞こえてくるが違う。ちゃんと根拠がある。
じゃなかったら、俺に彼女がいないわけないだろうし。環境が悪い環境が。
そう思うのは、俺は別に女友達がいないわけではないからだ。彼女ができないと嘆く奴の典型パターンとしてよく見られるのが、そもそも彼女以前に女友達すらいないというもの。それじゃできなくて当然だろうがと教えてやりたいところだが、それを教えたところでそいつらはすでに現実を直視する力を失っている。なので無意味だ。
で、だ。翻って俺はどうだ。女友達はいる。女の知り合いもいる。ちょっと魔術が使えたり同じ家の生まれだったり妖怪だったり神様だったりするが、四捨五入すれば普通の女子と言って差し支えない存在だ。
そんな俺が学校生活を送っていて、その小数点以下四捨五入すればギリギリ普通の女子たちと特別な関係になれないのはなぜか?
それはひとえに、いわゆる「普通の学園生活」を送らせてくれない学校に問題がある! そう見ていいだろう。
「……はぁ」
……などと大仰に語ってはみたものの、現実を直視したとき、俺の努力が足りないのもまた一つの事実なのだろう。
ただこの学校――特に俺の所属するクラス――は、少しばかり世間の常識とは違っているのもまた事実。
けれども平日の水曜日である今日の登校を拒否するのに、それは少々説得力にかけた。
「やっと来たか、トキ」
俺は自分のクラスである二年A組の教室に足を踏み入れた。
すると俺の存在に気付いた一人の男子生徒が、俺の名を呼んだ。
「ああ、おはよう、ミズ」
四角い黒縁眼鏡を光らせ、ブレザーのネクタイをキッチリと締めている、いかにもな模範生。
悪友の鮫水遥だ。苗字と名前の両方にその音が含まれていることから、「ミズ」というあだ名で呼ばれている。
俺は挨拶もそこそこに自席へと向かい、鞄を下して着席した。
「遅刻寸前だぞ。どうしたんだ」
ミズが言ったように、実は俺が教室に来たのはホームルーム開始二分前。朝食にカップラーメンを選んでいたら三分のロスタイムができて間に合っていなかっただろう。菓子パンにしておいてよかった。
「ちょっと事情があってな。もうすぐ分かる」
ミズが首を傾げるのをよそに、俺は教室のドアに視線を向ける。
「はい、みんな席についてねー」
するとガラガラとドアをスライドさせて担任が入室してきた。
ウェリントン型の黒縁眼鏡をかけた教員生活三年目の女教師。立て続けに不人気の象徴とも言える眼鏡キャラである。
一番上のボタンが外されたブラウスから胸元が覗けるか否か、と何人かの男子生徒がイルカショーのようにつま先立ちをして、少しでも視線を高く保とうとしているのが滑稽だ。……っと危ない、転びそうになった。
入室してそうそう視姦をくらっている彼女は七海美海先生。
校内の男子生徒から絶大な人気を誇る美人教師が教壇に立つと、クラスは一気に静まり返った。世の中、顔だ。
しかし、そんな静寂も一瞬のこと。
「今日はこのクラスに転校生が来ます」
学園モノのラノベを開けばまんま同じ文章が書かれていそうな言葉を七海先生が発すると、教室がにわかにざわめきだした。
小中学校ならまだしも、転校の際に編入試験がある高校において転校生は稀だ。私立である芦校はなおさら。
「どうぞ、月見山さん」
熾天使七海が声をかけると、背筋をピンと伸ばして緊張しているらしい女生徒が入室した。
彼女は不安と期待の入り混じった瞳で教室を見渡すと、元気よく自己紹介をした。
「初めまして。京都から来ました、月見山輝夜です!」
智天使輝夜である。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」
――咆哮。
「「「うあおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
――それは咆哮であった。
性欲魔獣たる思春期男子高校生共による、野性を剝き出しにした自然の雄叫び。
その日、芦校全域にヒトのオスの鳴き声が反響した。
「美少女だっ!」「キターーーーーー‼‼」「和風美人!」「黒髪ロング!」「全然名前負けしてねえ!」「フォカヌポゥ」「リアルかぐや姫!」
などなど。
ヒトであることを捨てた獣たちは、高ぶった感情を吐き出すように大声を上げ続ける。
オス共ほどではないが、女子からもちらほら「かわいー」「女優さん?」と賛美の声が上がっている。女子がかわいいもの好きというのはあながち偏見でもないのかもしれない。
「皆さん静かに。……では、月見里さんは中史くんの隣の席を使ってくださいね」
――須臾。
数十の本気の殺意が、一斉に俺へと向けられる。異世界の魔王より怖い。
「はぁ⁉」「戦争だ」「殺戮だ」「どうして中史の隣なんですか美海先生!」「そういう大事なことは、もっと広く会議を興し万機公論に決すべきですよ!」「あらゆる悪口を思い浮かべたが最終的にはこれに帰結する。死ね」「あんな男より俺の隣の方が千倍安全だ!」「おい今七海先生のこと下の名前で呼んだ奴誰だ」「世界はなぜ俺を追い詰めるのか」「というか中史、昨日配られた座席表だとお前の隣は一宮さんだっただろ!」「なんで今日は空席になってるんだよ!」「どういうことだ……?」「おいこいつまさか……!」
喧々囂々の教室の中、男子の中で唯一理性を保っていたミズが話しかける。
「トキ。お前、中史の権威を濫用したな……?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。昨日の座席表に間違いがあったから、訂正してもらっただけだ」
「あのなあ……」
そう。
こいつらの言う通り、偶然俺の隣の席が空席で、そこに転校生の美少女が座るだなんていう漫画的展開は現実ではありえない。普通に転入してくれば、輝夜はクラスの一番後ろに席を構えることになるだろう。
だが輝夜は流離世界の人間、異世界人だ。日本語の読み書きができるだけマシだが、その他の常識は三歳児以下。
そんな人間を無責任にほっぽりだしたら、何をやらかすかわかったもんじゃない。
ということで、授業中も輝夜が困ったときはすぐにサポートに入れるよう、隣の席にしてもらったというわけだ。
そもそも、俺は輝夜を学校に通わせること自体反対だったんだが……
『輝夜は世界に馴染む必要がある。学校はうってつけ』
というツクヨミの進言により、輝夜の芦校転入が半ば強制的に決定してしまったのだ。父さんもなんか、学校に通わせる気満々だったし。
「トキが隣の席なのね。よかったわ」
俺のところまで歩いてきた輝夜が、そう言いながら着席した。
「「「は?」」」
十八人の男子生徒からの「は?」はなかなかに恐ろしかった。
「はは……おいおいどういうことだよ」「なんでもう中史と知り合ってるんだよ」「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった」
激情が最高潮に達した奴らの表情からは、一周回って怒りが消え去り、真顔になり始めている。悟りを開き額に白毫ができている者まで出てくる始末だ。てかお前ら、家系的に神道じゃないの?
(くく……ははは……)
いい気味である。
せいぜいありもしない俺と輝夜の関係を邪推して嫉妬と憤怒に狂うがいい。万年童貞共が。
などと、俺が心の中で高笑いしていると……
「え……ていうことは中史くん、登校中に月見里さんと偶然会って……」「そこで口説いたってこと? そんな手が早い人だったんだ……」「ちょっといいかもって思ってたのに……」
なにやら女子たちが、あらぬ誤解をし出している様子。
「ち、違うぞ! 俺と輝夜は元々知り合いで……!」
新年度早々色狂いのイメージがついても困るので、必死に弁明するが……
「さいてー」「そもそも中史くんって、B組の西日川さんと仲良かったよね……?」「二股?」「さいてー!」
「――――――」
俺のただでさえ低かったクラス内カーストが、ドン底まで落ちる音が頭に響いて止まなかった。
「……なるほどな。トキが今日遅刻寸前だったのは、転校生の月見里さんと共に登校してきたからか。それで彼女の幇助をしていて遅れた、と」
そんな中、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしない優等生のミズだけが、俺の話に耳を傾けてくれていた。
「そう、そうなんだよ……!」
俺は泣いた。
両目からボロボロと涙をこぼし、ミズに縋りついた。
「なるほどな。なら彼女も、こちら側の人間ということか」
「ああ。大親友ミズよ、お前がもし虎になっても、俺はお前に声をかけてやるからな……」
友人の大切さを再確認させられた一幕だった。
☽
というわけで、別に泣いてないしそこまで感動もしなかった茶番劇を終えて、現在時刻は午後を回った。
昼休みである。
俺はミズともう一人の友人と弁当を広げ、昼食を食い始める。
……が。
「……なんというか……すごく視線を感じるんだが」
教室の出入り口を見ると、そこでは無数のオス共が肩を組んで陣取っていた。
一瞬ラグビー部がスクラムでも組んでいるのかと思ったが、違う。
目的は、もちろん輝夜。
美少女が我がクラス、二のAに転校してきたという噂は光の速さで学年全体に広まった。
それで噂のかぐや姫の姿を一目見ようと、各クラスから鼻の下の伸びきった男子共が押し寄せてきているというわけだ。
「美しい……」「まるで二次元美少女だ……」
中枢神経を介していないようなバカ丸出しの感想を漏らす男ども。
こいつらはまだいい。ぜひ満足するまでかぐや姫を見学していってくれ。
「あれほどの美少女が、あの中史なんかと……!」「一体俺の何がいけないのか……どうすれば中史に近づけるのか……うごごごごご」
ただし俺に怨嗟のこもった視線を向けてくる野郎共、テメーらはダメだ。
よく知りもしない人間に延々と血走った目で凝視されるこちらの身にもなってみろ。飯がまずくなるし居心地が悪いし怖い。帰れ。
「こら、邪魔でしょ男子!」「どけーっ!」
そんな俺個人の感想とは別として、教室の出入り口に陣取られるのは普通に迷惑だ。
購買部から戻ってきた女子たちに叱られていた。
「あんたたち、昼食の時間でしょ!?」「食事はどうしたのよ!」「ほら、自分のクラスに帰った帰った」
女子グループの中の一人にげしげしと尻を蹴られ、なくなく自らの巣穴に戻っていく男子たち。
「…………」
……そういえば竹取物語の中には、こんなシーンもあったな。かぐや姫を見に連日翁の屋敷に通う貴族たちと、それを追い払う使用人。
原典では、ここで五人の貴公子が残り、かぐや姫は無理難題を課す展開になるところだが……
教室の出入り口を覗いてみるが、そこには誰一人残っていなかった。フィクションはあくまでフィクションである。いくら輝夜がかわいいからって、昼時の空腹に耐えてまでここに居続けようとする奴なんていなくて当然だ。
ふと輝夜の方を見ると、彼女は休み時間に仲良くなった何人かの女生徒たちと共に、楽しげに談笑しながら昼食をとっている。
残念だったな、輝夜。お前には、五人の貴公子は残ってくれなかったみたいだぞ。




