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二十七話 召喚士

 ――世の中には天才と呼ばれる方々がいますが、当然それに私は含まれません。


 学院に一名、国に数名。

 

 彼らは圧倒的なまでの才能と努力で、他を寄せ付けない輝きを放ちながら日々の生を送っています。

 

 …………。


 小さい頃から、勉強は好きでした。

 座学、実技、問いません。

 学校から教科書など渡されると、つい読み込んでしまいます。それだけでは足りず、図書館へ赴き専門の書物を手に取ることも少なくありません。


 内容もそうですが……なにより、勉強は運や周囲の人間に左右されません。いわば、個人競技です。


 努力したぶんだけ、しっかりと報われる。そんなところが好きで、家でも学校でも本を読んでいたのかもしれません。


 それでも、私がガリ勉だなんだと呼ばれるまで勉強したところで、学院に在籍する天才は、成績一位の座を譲ってくれるわけでは、ありませんが。


 家事も、同年代の中では、よくする方だと思います。

 掃除、洗濯、炊事など。経験したことがないのは、子育てくらいでしょうか。


 小さい頃から両親がいなかったので、私はおばあちゃんと二人暮らしで、自然と家事は得意になりました。


 それは努力の結果というわけではありませんが……今の私が多少なりとも「特技」だと言えるものと言えば、勉強と家事、その二つくらいなものです。


 私は、それでは満足できませんでした。


 何もない、平凡な自分。空っぽな私。

 努力を努力と思わない天才。懊悩さえ転機にしてしまう才人。


 両者の間にある大きな溝を見つけた時、私は恐怖で震え上がりました。


 そうして、天才たちへの暗い劣等感を抱いて、私は成長してきました。


 どこまでも凡人な私ですが、夢を見ないわけではありません。

 私がなにかで一番になることを夢見たことが、ないとは言いません。

 

 高望みであること、知っています。それでも頑張って、それでも届かなくて泣いたこともあります。


 そういうときは、自身を鼓舞します。


 凡才の自分を受け入れるには、私の心はいまひとつ強固さに欠けています。


 だから自分は天才なのだと、虚栄心でしかないことは分かっていますが、そう己に言い聞かせて、叱咤激励して、立ち直ります。


 そんな内向的な性格ですから、学院で友達に囲まれるような体験は、ありません。


 ですが、学友に恵まれていないとは思いません。


 たった一人、私に声をかけてくれたアンリエーゼさんには、とてもとても、感謝しています。

 臆病で、相手に対して及び腰な私の手を取って、共に寄り添ってくれる、そんな大切な友人だと感じています。


 学院外での私は、冒険者です。といっても、幼少の(みぎり)、母から教わった召喚魔法で近場の安全な魔物を使役するくらいのことしかできませんけど。


 それでも、不治の病に苦しむおばあちゃんの助けになれたらと、お医者さんへのお金を、貯めていました。


 召喚士などと名乗っていたのは、どこまでも凡人な私が、せめて個性を身に着けようと他との差別化を図ったためです。そういう後ろ向きな性格の私が、私はとても嫌いです。


 こういうとなんだか、私は悲劇の少女で、とても不運な星の下に生まれたかのような印象を受けますが、違います。


 きっと、ただ少しだけ、日常のあれやこれやを人よりも深刻に受け止めすぎなんです。


 優柔不断で出来損ない、つまりそれが私です。


 その私の元に、時の権力者であるミッドナイト卿が突如現れたのは、半年ほど前のことでした。

 公爵様は平民もいいところである私の家を訪ねて、開口一番、言いました。


「貴女に勇者を召喚してほしいのですが」


 すぐにお断りしました。


 私にできるはずありません。

 召喚士などと言ったところで、所詮は凡人の私です。異世界から誰とも知れない勇者様を召喚するなんて、そんな物語に登場する女神のようなこと、成し得ません。


 しかし、公爵様は顔色一つ変えずに、こうも言いました。


「この召喚が叶えば、貴女の御祖母様のご病気の完治に、議会が協力いたしましょう」

 

 私は承諾しました。

 それなら、と。


 私の元から両親が去ってから、ここまで私を育て上げてくれたおばあちゃんへ、恩返しがしたかったんです。


 ……ですがやはり、不安です。そういう性分です。

 私の未来には、いつも多くの失敗と不運とに満ちていますから。


 途端、いくつもの懸念が脳裏を過っては私の心に冷たく重たいものを残していきます。


 聞きました。もしその方が魔王討伐に積極的じゃなかったらどうすればいいか、と。


「それは貴女、簡単な話ですよ。勇者は男です。体でも使って誘惑すれば、言いなりでしょう」


 まるで未来を見てきたかのように、断言します。


 厭でした。


 ただでさえ人と関わるのは苦手で、人と目を合わすのも慣れていないような私が、どうして殿方を誘惑など、できるんでしょう。


 学院は小さな頃から女子高で、周りに男性はいませんでしたから、男に対する、未知から来る恐怖心というものもありました。


 とても緊張し、死んだような心持ちで、私は教会に立ち、杖を握り、魔術式を構築しました。


 強面の大柄な人でも出てきたら、どうしよう。きっと怖くて、泣いてしまう。ああ違う。いったい成功するわけがもないんですから、心配する必要もありませんか。……


 もう自分でも分からない不安定な気持ちを無理やり押さえつけて、地面に浮かび上がった魔法陣に魔力を込めます。


 一度目、失敗。二度目も失敗。


 やっぱりだめだ、私はダメだ。凡人だ。


 そうして泣きそうになりながら、杖を振るいました。いえ、事実、泣いていたかもしれません。よく覚えていません。


 とにかく私は、自身の凡才を認めたくなくて――烈しい自尊心に迫られて、魔法を使い続けました。


 何度目か分からなくなるほど魔法を行使したところ、なんと、成功しました。


「…………やっと……」


 瞬間、教会が光に包まれ、中から現れたのは、私と変わらないくらいの男の子でした。


 はたしてその勇者様は、屈強なる大男でも、老練のおじいさんでもありませんでした。


 その勇者様は、優男――容姿がというのもありますけど、それよりも……

 静謐な中に静かな熱意を宿した、なぜだか無性に心が惹きつけられる不思議な瞳を、していました。

 とても鋭く強い――それでいて優しい目でした。


(ああ……この人も、私とは違うんだな)


 この瞳を持つ人を、知っています。

 私が羨望と嫉妬を向けて止まない、世界を回す側に立つ人の目。物語の主人公の座に、なるべくしてなっている人の目。――天才の、目です。

 その特徴的な双眸が、私を捉えます。


(きっとだ。この人なら、大丈夫だ……)


 私は、そう自分に言い聞かせて、それから自身が召喚魔法を成功させた事実への喜びに震えました。

 それからさらに、不安な心が押し寄せました。この人は、本当に勇者様なのか。私は、誠に異世界から勇者を召喚できたのか。


「……っと……成功、したんです……かね……?」


 天才を前にした私は、しかし次の言葉を見つけることができずに、困り果ててしまいました。


 どう声をかければいいのか。平生の、オークすら見向きもしないような性格の私で接して、良いものか。

 逡巡の後、決めました。


 ずっとずっと、私は出来損ないの日陰者でした。

 才能もなく、性格も暗く、運も悪い。

 学院で私があまり好かれていないのも、多分私の生来の性質のせいであって、彼女たちが性悪というわけではないんだと思います。

 ……そんな私ですが、そのままでいいとは、思っていません。

 いいわけ、ありません。


 できるならば……と。

 私も日陰で本を読むだけではなく、表舞台で活躍する、勇者のような人間の横に、並べるような――


 そんな非凡な人間に、なりたい。


 言葉にしてしまえば、なんとも単純な渇望でしょうか。

 自分で、笑ってしまいます。


「……そうですよね……私ですもんね……!」


 気合を入れなおして、口を開きます。


 せめてこの人の前でくらい、私も胸を張って生きていたい。


「――おめでとうございます、勇者様! あなたは異なる世界から転移させられました! この偉大なる召喚士である私によって‼︎」


 この人をきっかけに、私は変わりたい――



   ☽



 勇者様が逃げるように教会から出ていった後、私の心はただ安堵の気持ちでいっぱいでした。


(襲われなくて、よかった……)


 演技は、バレなかったでしょうか。

 ミッドナイト卿に言われた通り……勇者様に、抱き着いて……


「……うぅ」


 思い出しただけでも、恥ずかしいです。

 どうしてあんなことができたのか、自分でもわかりません。


 いつもの臆病な私だったら、絶対にできなかったことです。


(でも……)


 どうしてでしょう。

 慣れない男の人に、抱き着いたというのに……


 あまり怖いとは、思いませんでした。



   ☽



 勇者様が魔王を討伐し、正式な勇者になったと、聞きました。

 セレスティア中が、お祭り騒ぎです。


 私は初めて、自己の肯定感を少しだけ、持つことができました。


 なにもできなかった私が、凡人の私が、失敗ばかりの私が、世界を救った勇者様を、召喚することができた。

 

 この事実が、私の心の大きくて前向きな力になってくれました。

 とても嬉しくて、その場で小躍りしてしまいました。


「このまま、ナカシ卿と行動を共にしてください」


「……あ、あの、おばあちゃんの病気は……」


「ご安心を。すでにあの病を治すことのできる医者は見つかっています」

 

「ほ、本当ですか!」


「ええ。ですからあとは、貴女の活躍次第ということです」


 爽やかな笑みを浮かべて、ミッドナイト卿は言いました。


 その笑顔が、私には、勇者様に抱き着くという行為よりも、むしろ怖く、不気味なものに感じられました。


 その感覚は、正しかったんだと思います。


 ミッドナイト卿は、勇者様を暗殺する気でした。


 そうとはっきり言ったわけではありません。ほのめかす程度でしたが、察することができました。

 

 私はつまり、勇者様に取り入って、油断させる工作員のような役目を負わされたのでした。


 

   ☽



 それから、勇者様と一週間ぶりに再会しました。


 まだ少し、男性と顔を見て話すのは怖さが残りますが……

 それでも、勇者様には感謝しています。


 私はただの出来損ないの凡人ではないのかもしれない、と思わせてくれましたから。そんな甘い夢を、見させてくれましたから。


 自分でも、それがなんと醜い感情であるか、分かっています。

 他人の功績を、あたかも自分のものかのように思って、舞い上がるなんて。

 その行為こそ、なんて平凡な人間のすることなのか、と。


 しかしぎりぎりのところで、私の自尊心は、その正しき罪悪感を覆い隠してしまいました。


 だから、せめて感謝の気持ちだけは持って、勇者様に接しようと思いました。


 勇者様が勇者様の世界に帰りたいと言い出した時、私は考えました。


 私がもう一度召喚魔法を使って、勇者様を元の世界に帰すことが敵えば……私はこの人を、裏切らなくて済むのかもしれない、と。


 もちろん心配ではありますが……そこまでして私は、おばあちゃんの病気を治してほしいとは、思ってませんでしたから。

 


   ☽



 そんな私の前向きな心の灯は、しかし勇者様の魔法を目の当たりにして、一瞬のうちに吹き飛んでしまいました。


 勇者様が空へと放った、《月降(つきおろし)》。

 

 その力の大きさを、勇者様が勇者である理由を、天才が天才たる所以を、まざまざと見せつけられて。

 私の心は、あっけなく折れてしまいそうでした。


 あんなの、私には無理だ。一生追いかけたって、追いつけはしない。届かない。


 そう絶望しかけたところで……ああ、なんて現金な女なんでしょうか。

 術口(すいこう)の存在を教えてもらい、それを使った魔術の威力の高さを目にした途端、私はまた自分の中に眠る才能の存在を信じそうになってしまいました。


 喜ぶと同時に、自らの矮小さに嫌気が差しました。


 そんな私を、勇者様は褒めてくれました。

 小さかった頃、おばあちゃんに褒められるのがなにより嬉しかったのを、思い出しました。


 今日まで折れずに努力を重ねてこられたのは、おばあちゃんの励ましがあったからだと思います。


 その日は遅くまで、術口を使って魔法の練習をしました。


 私がもっと、強くなれば。

 そうすればミッドナイト卿の手を借りることなく、勇者様を裏切ることなく、私がおばあちゃんを、治してあげられるかもしれない。

 

 ただその一縷の希望を目指して、杖に魔力を集めていきました。


 

   ☽



 勇者様が、謎の美少女を拾ってきました。


 二人が教会と学院からほど近い宿屋に泊まるということで、美少女ちゃんが心配になった私は、美少女ちゃんの隣の部屋を借りることにしました。


 その夜遅く、勇者様が私の部屋を訪ねてきました。


 理由は、なんでもないようなことでした。

 ただとりとめのない話をして……それから、どうしてか自分の部屋に帰りたがらなかった勇者様に、私の世界の魔法について、大まかに教えてあげました。


 私が勉強中だった《水渦極海砲(ノウル・ナヴェレスト)》を一目見ただけで覚えるどころか、魔術式の改良までしてしまうなんて……と、また陰鬱で、劣等感に押しつぶされそうな小さな私が顔を出しました。


 それできっと、あんなことを言ってしまったんです。


 人に聞かせるようなことじゃ、なかったのに。

 人に知られていいような感情じゃ、なかったのに。


 なのに私は、気が付いたら話してしまっていました。

 私が心の奥底に秘めている、弱い部分を。

 まだそれほど親しくもなかった、会って二日目の他人に……あの私が。


 どうしてでしょう。

 わかりません。


 分かりませんが……ただ勇者様は、私のそんな、面倒くさい感情を、受け止めてくれました。


 いえ、受け止めた、というのは少し違うのかもしれません。


 勇者様は、酷い人です。無茶を言います。

 

 天才に敵わないと言ったら、それまで努力をしろと言います。夢が叶うまで、努力をしろと。そうすれば、絶対に報われるから、と。


 根拠なんか、一つもないのに。

 敵わない天才こそが、勇者様、あなたなのに。


 それなのに、馬鹿正直に、私ならできるなんて、勇者様は、言い切ってしまいました。


 根性論もいいところです。これを受け止めてくれた、なんて生易しい言葉で表すのは、少し違うと思います。ですが、叱咤激励、というのもまた、違和感を覚えます。

 私の思う叱咤激励の言葉とは、あんな優しい声音をしていません。


 それが私への信頼から来たものだ……などと、自惚れることはありません。

 きっと美少女ちゃんや、ほかの人……誰にでも勇者様は、こんな風に、同じ言葉をかけるんだと思います。


 でも……


「――それに、召喚士さんは、天才なんだろ?」


 そう言った、勇者様の。


「俺は、その言葉を信じてるんだぞ」


 その言葉だけは、私のみに向けられたものだと信じています。


 私を天才だと、勇者様(天才)は言います。

 これもまた、なんてひどい話なんでしょうか? 皮肉ですか、勇者様?

 

 そんな風に、言ってやりたくなりました。


 口を開いて、非難を言葉を――紡ぐことが、できませんでした。


 それ以上に、嬉しかったんです。

 

 凡人の私を知って、それでも天才の私を肯定してくれたことが。

 私が天才だという言葉を、信用してくれたのが。


 ただそのあなたの言葉だけが、私の中に残って……それは今も、消えずにずっと、心に響き続けています。


「なんたって、私は天才ですからね!」


 だからこんな大それだことだって、勇者様の前でなら、言うことができるんです。


 ……勇者様と、おやすみの挨拶を交わして……

 勇者様が、私の部屋から、出て行ったとき。


 なぜだか私は、自我の目覚めも未だ訪れていなかった幼い頃に見た、お母さんの背中を思い出していました。


 私が、行かないで、といくら言っても、歩みを止めてくれなかったお母さん。泣いても、泣いても、帰ってきてはくれなかったお母さんです。


 その時抱いた気持ちと、勇者様へ向けた感情は、とても似ていました。


 つまり――ほんの少しだけ、寂しい、と。


(……あれ?)


 それで私は、気づきました。

 いつの間にか私は、勇者様に対して恐怖心を抱かなくなっていたことに。それどころか……、ということに。

 

 もうこの頃には、私が勇者様と行動を共にして、破廉恥な話で勇者様の気を惹こうとするのは、ミッドナイト卿に指示されたからだと。


 そう言い切ることが、できなくなっていました。



   ☽



 それからしばらくは、何事もなく勇者様と美少女ちゃんとの日々を楽しんでいました。


 おばあちゃんとアンリエーゼさんから、どこか明るくなったな、と言われ、すぐにその原因に思い当たった私は照れて、適当なことを言って誤魔化しました。あの二人にごまかしなんて、意味はなんでしょうけど。

 

 状況が一変したのは、二週間ほど経ってからのことです。

 私は週に一度、おばあちゃんの様子を見に、家に帰っていました。学院からそのまま家に向かって、いつものようにただいまを言います。


 耳がいいおばあちゃんなので、それまで私のただいまを聞き逃したことはありませんでした。ただいまと言えば、おかえりと返ってくるのが常でした。


 その日は違いました。

 

 いつまで経ってもおばあちゃんからの返事はありません。


 私は最悪の想像をしながら家の中を駆けます。おばあちゃんの部屋に移動すると、そこには椅子に揺られながらうたた寝をしているおばあちゃんの姿がありました。


 ホッと胸をなでおろして……それから、急におばあちゃんが心配になりました。


 これまでなんともなかったけど……本当におばあちゃんの病気は、ただ寿命が縮まるだけのものなのか。それに伴って、何か悪い病でも併発するんじゃないか。

 私はそのことを今の今まで考えてこなかった自分を呪いました。

 どうしてこんな単純なところにさえ気が回らなかったんだろう。

 やっぱり私は――と。また例の自分を卑下する言葉の数々を脳内で並べ立て、それからぐっと胸の前で両拳を握って、決意しました。


 一刻も早く、おばあちゃんの病を、治さないと。


 

   ☽



 しかしそれは、同時に勇者様を裏切るということを意味していました。


「一週間後のこの時間、当屋敷にて舞踏会を開きます。ぜひ貴女にも、勇者様を連れてご出席いただければと」


「……勇者様に、何をする気ですか」


「そんな怖い顔をせずとも、何の用意もなしに獣へ襲い掛かるほど、私も愚かではありませんよ」


 ミッドナイト卿との関係は、続いています。


 勇者様とミッドナイト卿は、私にとって光と影のようなものでした。

 

 勇者様は私を励まし、術口の存在を教え、私の進むべき道を示してくれました。


 ミッドナイト卿は、私がそれに見合う働きをすれば、おばあちゃんの病を治してくれると言っています。


 恩人として同列と扱うべきはずの二人なのに……どうしてこうも、違うんでしょうか。


 どうしても、ミッドナイト卿を好きになれません。私がおかしいのでしょうか。褒賞金をもらい、生活の援助までしてもらっているのに。それなのに、まったく好意を持てないのは、私が卑しい女だからなんでしょうか。


(……違う)


 寸前で、踏みとどまりました。


 勇者様と出会う前の私だったら、ここで私の浅はかさを肯定し、自らを責め立てていたかもしれません。今は違います。失敗ばかりの私ですが、今は……。


 それでも、気は重たいままです。


 私の頭の中で、おばあちゃんと勇者様が天秤にかけられ、揺れています。


 私はどちらを選べばいいのか。

 明確な回答は出せぬまま、勇者様を舞踏会に招待することになりました。



   ☽



 今日くらい、夢見心地のまま終わらせてくれたって、よかったじゃないですか。

 どうして――


「ミ……ミッドナイト卿……」


 きっと浮かれていたんです。勇者様に魅力的だなんて言われて、それを真に受けていい気になっていたから、セレスティアの月神様が罰を与えたんです。

 じゃなきゃあ、こんな酷いこと、起こるはずありません。


 勇者様と一緒にいた私の前に、ミッドナイト卿が姿を現しました。


 それは少し考えれば、分かることでした。


 勇者様もミッドナイト卿も、同じ館にいて、そもそもからしてミッドナイト卿は、勇者様に近づくために、今宵のダンスパーティ(そう勇者様は言っていました)を設けたんですから。


 だから、二人が出会うのは、必然でした。

 それなのに私には、ミッドナイト卿と勇者様が、同じ景色の中にいる現実が、信じられませんでした。


 私は、二人を全く異なる世界の人間として認識していたんだと思います。


 冥界と天界が、太陽と月が、朝と夜が、光と闇が、決して交わることのないように。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 そう信じて疑っていなかったんです。


 この時、私の世界を形作っていた微妙な均衡が音を立てて崩れ落ちていくのを、確かに見ました。

 勇者様の隣に笑顔で立つ私が死んだのを、この目で捉えました。


 ああ、ダメです。勇者様。こっちを見ないでください。今の私なんて、視界に入れる価値もない売女です。壊れてしまう。勇者様までこの人と関わったら、きっと世界が壊れてしまう。


 その後、別室に移動した私はミッドナイト卿から、今後の計画についてのあれこれを聞かされたんだと思いますが、よく覚えていません。美少女ちゃんのことについて、なんとか訊ねたことだけ、かろうじて覚えているぐらいでした。



   ☽



 ギギギ、ギギ――天秤が軋みます。


 重い音を立てて、おばあちゃんの方へ、天秤が傾きました。


 ついに、アクアラクナ、リーファルテラナ双方と、話がつきました。

 勇者様が、元の世界に帰る日が、間近にやってきています。


 ごめんなさい、勇者様。

 私は、あなたを裏切ります。


 私に、あなたの横に立つ資格なんて、なかったんです。天才の横に立つのは、同じく天才です。輝夜ちゃんは正に、勇者様と類似した雰囲気を纏っています。世界を回す側の人間の雰囲気を。

 

 それにやはり、どうしてもおばあちゃんのことは、諦めることができませんでした。


 だからダメなんです。


 どれだけ未来を、希っても――


 どれだけ私が、努力したところで――


「……《水球弾(フロー)》」


 夢見た世界は遠く。

 どこかへ消えてなくなってしまう。

 それは私が凡人だから。

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