二十五話 公爵の陰謀
「《人魚泳法》」
セルキーが手を振ると、その場に2つの魔法陣が現れる。
空色の粒子を身にまとった二人は、水中へと入っていく。
すると、体を膜で覆われたように水が二人を避けた。
水中での移動と呼吸を自由に行えるようだ。
「トキはいいの? 魔法、かけてもらわなくて」
「ああ。昔、知り合いの河童に水中での生き方を教えてもらったからな。魔術を用いずとも、俺の御魂は深海でも活動が可能だ」
「ふうん……すごい人なのね、かっぱさん」
正確には人じゃないんだけどな。
「皆さん、私についてきてください」
セルキーが先導し、俺たちはアクアラクナの中を進む。
潜水することしばらく、遠目にちらほら人工物を見かけるようになった。
更に深く潜っていくと、巨大な建物が姿を現した。
数多くの美少女人魚達が、空を飛ぶように泳ぐその場所は――
正に、水中都市。
珊瑚を模した家や、古代遺跡のような角ばった家などが軒を連ねる大きな町。
泡に包まれた橙色の電燈――街灯のような役割だろう――が、小魚の群れと一緒に散歩する人魚の行く先を照らし出していた。
中央の道の先には、青や白の水晶で造られた荘厳な城が屹立している。
「セルキー、いつもはあんな立派なところで暮らしてるのか」
「はい……私には、もったいないお城ですけど……」
セルキーは女王ではあるが、生まれは庶民らしい。
というのも、アクアラクナは王家を持たず、なんと国民による人気投票で女王を決めるシステムらしいのだ。
その時の人魚族の中で最も美しいとされる者に票が集まり、女王を決める。ミスコンのようなものだ。
人魚にとって、『美』とは自らの繁栄のための最も重要な武器である。
したがって人魚にとっては、血筋の高貴さや政治の上手さよりも、男を魅了するのに長けた人物こそが女王の座にふさわしいとされている。
それで、そんな一見ふざけた選定方法を取っているということらしかった。
「その人気投票で、セルキーさんは一位だったってことだな」
「私なんかには、ふさわしくないというのは、分かってるんですけど……」
尾を回しながらも、セルキーはこちらを振り向く。
「そんなことないだろ。みんながお前を綺麗だと思ったから、それだけ票が集まったんだ」
「……それは……トキも……?」
「もちろんだ」
「それなら……うん、自信持ってみます……!」
えへへ、と笑うセルキー。
こいつもこいつで、なかなかに謙虚というか……。
「でも、その性格でよく一位になれたわね? その、嫌味じゃなくて、純粋な疑問として」
そんなことを訪ねる輝夜だが、それには俺も同意だ。
確かにこのあがり症っぽいセルキーが、いくらかわいいからといって人気投票でトップに立てるほど、この国は甘くないはずだ。
「それは……その、皆さん、すごく積極的な人が多くて……私は、そういうの苦手だったから。人魚には、あまり私みたいな引っ込み思案な人、いないから」
なるほど。人魚としてのギャップ萌えみたいなものか。
周りが肉食系ばかりの中、一人だけセルキーみたいな性格のやつがいたら、良い意味でも悪い意味でも、逆に目立つだろうな。
「……つ、着きました」
そんな話をしているうちに、俺たちは湖底の城へと到着した。
地上とほぼ同じ感覚で歩くことができる。
「こっちです」
中へ入り、大広間を過ぎ、更に奥へと移動する。
階段を下りて薄暗い廊下を歩くと、ドーム状のガラス張りになった広い空間に出た。
勇者と女王という組み合わせが珍しいのか、外から何人かの人魚達がこちらを見ているのが見える。俺はお前が俺を見たのを見たぞ。
「ここで、あなたを元の世界へと帰します。人魚族にとって特別な意味を持つ、神聖な場所です」
そこは、これといった特徴もない普通の部屋だ。
ただ一つ、中央に堂々と浮かんでいる巨大な球体だけが、強烈な存在感を発している。
球体……というよりは、水晶だな、これ。エメラルドグリーンの淡い輝きを放つ水晶が、空中浮揚していた。
「<世界水晶>メトロ。この世界をあまねく映し出し、その調和を図る人魚族の宝具です」
世界水晶からは、魔王にも匹敵する魔力がとめどなく溢れ続けている。生き物ではないが、御魂の存在も確認できる。
最初に湖に来た時、俺が感じ取った御魂の正体は、この水晶か。
「世界水晶の魔力を借りて、召喚魔法を行使します」
「魔術式は分かるのか?」
「それも、メトロが教えてくれます」
なるほど。世界を映す水晶なら、召喚魔術の魔術式を知っていても不思議じゃないか。
世界水晶からセルキーへ、魔力が流れていく。
「それでは、勇者様――」
セルキーが胸の前で両手を組み、魔術式を構築しようとする。
「悪い、セルキー」
「え――きゃっ⁉」
しかし俺はそれを遮り、一つ断りを入れてから、セルキーの腕を引いて、抱き寄せる。
すると――
ドォォォォォォォォ――――と大量の泡を伴って、先程までセルキーが立っていた場所に激しい水流が流れる。
それはこの部屋のガラスを粉々に割り、左右に大人数人が通れるくらいの穴を開けた。
「な……なにが……」
「トキ、セルキー、大丈夫?」
「ああ」
「…………」
セルキーが事態に驚き、輝夜は俺たちの心配をする。
その中で……召喚士さんだけが、俯いて押し黙ったままだった。
「……出てこいよ」
俺は攻撃がした方向へ声をかける。
「なるほど……やはり貴方は勇者だ、ナカシ卿」
穴の奥から姿を現したのは、一人の壮麗な服装をした男性と、ローブを纏った五人の集団。
その男性とは……クライン・ルード・ミッドナイト。
召喚士さんに、俺をこの世界に呼ぶように指示を出した張本人で……人魚の売買にも深くかかわっている、公爵家の当主だった。
「今の不意打ちで、そこの邪魔な小魚を消してしまうつもりでしたが」
くつくつとおかしそうに笑うクライン。
「猫を被るのはやめたのか?」
「部下の過失は、すでに私のところまで行き届いています。それならば、この挨拶が適当かと思いましてね」
クラインとつながりのあったハンターをアレックス達が捕らえたことは、既に知っているということか。
「ああ、正しいな、それなら」
何かしら仕掛けてくるだろうと思ってはいたが……まさか、黒幕直々にお出迎えとはな。
その目的はいまだ不明瞭なままだが……
やる気だぞ、こいつ。全身に魔力を宿らせて……すっかり臨戦態勢だ。
「誰……?」
初対面の輝夜が、警戒するように身を引いた。
「敵だ。糸目キャラは黒幕だって、相場が決まってるだろ」
「いやはや。敵だなんて、酷いですよ勇者様。当屋敷に招いた仲じゃないですか」
「仲良しのお友達に魔術を打つのが、公爵家の礼儀か?」
「…………」
「目的は、俺の暗殺か。それとも、女王か?」
クラインはフッと口の端を醜悪につり上げ――
「「「《斬辻励起風》」」」
返答だとばかりに、後ろの魔術師集団と共に、俺へ向けて上級魔法をおみまいしてくる。
凄まじい水圧のそれを、《月降》で迎え撃つ。
……が、わずかに相殺しきれなかった。
「……ちょうどロクサネの魔法を六度打ち消せる威力に調整したんだけどな」
余波を《呪々反射鏡》にて受け止め、やつの魔力の動きに意識を向ける。
すると……妙なことに、どこかからクラインへ向けた、細い魔力の流れができていた。
その先にあるのは――<世界水晶>メトロだ。
人魚族の宝具にして、魔王にすら匹敵する魔力を持つ水晶。
そこからクラインと後ろの五人へ向けて、魔力が供給されている。
「もう気がつきましたか、勇者ナカシ卿」
愉快そうに笑うクライン。
「確かにあなたは強い。ですが、今の私に勝てるかどうか……それは、分からないのでは?」
そう言うと、やつは見せびらかすようにして自らの左手を上げる。
そこには、五芒星が描かれた籠手が嵌められていた。
「とある魔術師から入手した珠玉の魔法具です。いかな勇者といえど、水晶の魔力を得た私相手では、役者が不足しているというものではないでしょうか」
あの魔法具が、世界水晶の魔力をクラインへ供給しているということか。
《人魚泳法》なしに水中で動けているのも、その魔力故だな。
クラインの魔力量でこの湖中まで来るには、ほぼ全ての魔力を使う必要がある。
だから本来なら、今頃は魔力が尽きているはずだが、世界水晶の供給により全回復してるな。
「そうか……このタイミングで襲撃してきたのは、世界水晶の在り処を突き止めるためか」
世界水晶の力を借りて、俺を殺す。
それが、クラインがここに来た理由か。
「ご明察です、ナカシ卿。世界水晶のある部屋は、人魚族にとって神域も同然。そう易々と教えてはくれなかったものでして」
「教えて……そうか。お前、そのために人魚を買ってたのか」
人魚の売買に手を染めていたクライン。
やつは買い取った奴隷から……世界水晶の位置されている場所を聞き出そうとしていたのだ。
それで誰も口を割らなかったから――他の貴族に売り払ったりしてたってとこか。
「ええ。さすが勇者様は察しがいい。……ですが、だからなんだというものです。この籠手がある限り、私は無敵。どれだけ推理が上手かろうと、その推理をセレスティアまで持ち帰ることができなければ、無意味というものです」
「なら、それを壊せば解決だな」
再び《月降》の魔術式を組み、やつの籠手を狙う。
勢いよく放たれた光の刃は籠手に直撃し、クラインの身体が数メートルほど後退する。
……が。
「…………」
「この魔法具は魔力を吸収します。つまり、魔法は効きません」
やつの籠手は、無傷だった。
それは……ちょっとおかしいな。
この世界の低レベルな魔法具が、俺の魔術を吸収しきれるとは思えない。
俺は更に魔力を込め、クラインの籠手を注視する。
……なるほど。
「その魔法具、この世界の物じゃないな。お前の御魂に魔力を注ぐ際、術口を経由してる。かなり高い技術で作られた魔法具だ」
「さて。私には何のことやら」
しらを切るつもりか、嘲笑を浮かべて籠手に魔力を集めるクライン。
「ですが、本来ではありえないほどの大魔法を扱えるのは確かですね。例えば――」
クラインは後ろの集団と共に、魔術式を構築していく。
やつらの周囲には、紅蓮に染まった魔法陣が8つほど浮かび上がった。
魔法陣からは、マグマのような赤い魔力が漏れ出している。
魔術式が完成し、魔力が充填されると――
「「「《爆熱噴炎星》」」」
魔法陣から、高熱の赤き噴炎が出現した。
水中で発動したはずの噴炎は、しかし消火されず、逆に周りの水を蒸発させながら、俺へと襲い掛かる。
「《呪々反射鏡》」
俺は多方面に反射鏡を展開し、噴炎を受け止めた。
それを鏡の中で無限に反射させ、元の何倍もの威力に膨れ上がらせる。
「これでどうだ?」
反射鏡にて倍増した大火をクラインにお返しする。
噴炎は部屋中の水を蒸発させながら、クライン達を焼き焦がさんとするが――
「ですから、魔法は効かないと、言ったはずですよ」
左手を突き出しているクラインには……
またしても、傷一つついていない。
「心が折れてきたのではないですか?」
クラインがニヤリと嗤い……
一瞬、俺の後方に視線を向けた、気がした。
「…………」
俺は一度後ろを振り返り、三人の様子を確認する。
輝夜とセルキーは二人で固まり、俺たちの流れ弾を警戒している。
一方で召喚士さんは……なおも俯いたまま、顔を見せずにいた。
「おや、お仲間に助けを求める気でしょうか。しかし、無駄ですよ。伝説の勇者様が得意とする魔法は、すべてこの籠手が防いでしまう。剣も扱えるらしいですが、あなたは帯剣していない。つまり、使うとしても魔力でできた魔剣。それでは、この籠手には敵いません」
よほど勝算があるのか、意気揚々と状況説明をするクライン。
「翻って私には、世界水晶から無限に供給される魔力と、魔法を無効化する魔法具がある。私の後ろには5人の宮廷魔導師が控えています。頑張ってこのどちらかを突破したところで、その頃にはあなたは消耗し、私共との差は開いたままです」
「…………」
「これではあなたの勝利は――」
「お前は何を言ってるんだ?」
クラインの言葉を遮り、俺は問う。
「何、とは一体……ああいえ、そういうわけですか」
一度は困惑した様子のクラインだったが、すぐにその表情を歪にゆがめ、心底おかしそうに笑いだす。
「なるほどなるほど。敗色濃厚とみて、現実逃避を始めたと。もう一度ご説明して差し上げましょう」
自らの強大さを誇示するように、バッと両手を広げるクライン。
「私には水晶と籠手、そして魔術の達人である宮廷魔導……師……まどう…………っ、し……が……⁉」
くるりと振り返ったクラインは、何が起こったか分からないという風に目を見開く。
「その後ろで眠りこけてるやつらが、どうした?」
そこには気絶した魔導師達の姿があった。
「な…………なにを………………」
動揺したクラインが、呻くように声を上げる。
「……何をしたのですか、ナカシ卿……」
「水中の魔力波を操っただけだ。他のやつに一度試して、コツを掴んだからな」
「試された石上さんは吐血してたわよ、トキ……?」
後ろで輝夜がぼやく。
あれは調整ミスじゃなくて、お前を傷つけようとしたあいつへの怒りの表れだ。
「見たところ、その籠手に当たらなければ、魔力は吸収されない……籠手が魔力を吸収する範囲は、そう広くない。つまり、籠手の範囲を避けるようにして後ろの五人に魔力波を送れば、それに無効化されることもない」
「…………その通りですが……そんなことが……!」
「確認するが、クライン」
俺は魔術式を構築しつつ、やつに言う。
「お前の話では、今頃俺は消耗しているはずじゃなかったか?」




