二十話 名付け親
この時代、女性が成人するには裳着や髪上げなどと呼ばれる儀式を行わなければならない。
しかし、それは少女は既に済ませている。
だから、ここで秋田にさっと名付けて貰えば、今日のところは仕事は一段落!
……そう、思っていた。
秋田が来たのは、半刻ほど前。館に上がり、少女とご対面。
彼が少女を一目見ただけで、その愛らしさに感嘆していた時は、すぐに終わるもんだと思っていた。
……だが。
「――『春風』、でどうでしょう。腕白な姿が春の突風を感じさせます」
「いやいやいや!」
――名前決めは、思いの外難航していた。
「ううむ……ですが、少女にぴったりだと思うのですが……」
「そうですかね⁉ 俺はもう少し別の名前の方がいいんじゃないかなぁと思ったりするんですが!」
原因は、至極単純。
――秋田が、中々「かぐや」の名前を出してくれないのだ。
名づけは、秋田が少女の容姿や性格を見て、そこから決められる。
だから、少女を見れば「かぐや姫」と言う名前がポンと出るものだと、俺は思っていたんだがそれが間違い。
この時代に、竹取物語はない。
俺が少女を見てそこにかぐや姫を見出したのは、あくまで『竹取物語のかぐや姫』という女性のイメージが、頭の中に固まっているからこそのことだ。そのイメージが少女と合致するから、俺は少女をかぐや姫だと、違和感なく受け入れることができた。
だが、秋田は竹取物語を知らない。
つまり、この勇気凛々元気溌剌、興味津々意気揚々な少女を見たところで……その姿から「かぐや」と言う名前を思い浮かべる可能性は、限りなくゼロに近い。
そういう理由で、名前決めは想像以上に長引いていた。
秋田がなんと思おうと、少女はかぐや姫でなければならない。
それが俺の知る竹取物語であって、正史だからだ。
俺は何とかして秋田を「かぐや」の三文字へ誘導しようと、頭を回す。
「もっとこう……たおやかな大和撫子みたいな名前の方が、少女には合うんじゃないかと……」
「大和撫子……」
老眼なのか、皺の多い眉間にさらに皺を増やして、庭園を眺める少女……を見る秋田……を睨む俺。
「見て見てトキ、虫が飛んでるわ! 赤い虫! なんていう名前なの、この子!」
「……大和撫子?」
「違うんです!」
なんて間が悪い! あっちいけナツアカネ!
だが……これくらいのことで諦めるわけにはいかない。
俺は矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。
「え、ええと……そこは、ほら! 眩しいくらいに元気ってことで、光が揺れているという意味の『かがよう』から取ったりして……! それをちょっと変えるくらいで、いいじゃないかと俺は思います」
「ううむ……かがよう、ですか……」
俺の言葉に耳を傾けるようにして、唸り声を上げる秋田。
い、いいぞこの調子だ……!
「そう! あとはそうだ、『竹を割ったように真っすぐ』って性格! なんでも最後までやり遂げようとする、強気なあの子っぽくないですかね⁉」
ここで『なよ竹』要素を出しつつ、少女のイメージについてのディティールを固めていく。
「そう言われれば……確かに……」
秋田は俺の論に関心を示すように、深く瞼を閉じた。
もう一歩だ! 頑張れ中史時!
「風になびいた綺麗な黒髪とか、笹の葉みたいにしなやかでしょう!」
「なるほど……柔らかな竹のように、かがやく少女……」
「そうです! だから、彼女は『なよ竹の――」
「いやでもやっぱり『卯月』にしましょう」
「なんでだぁ――――――――――――っ‼」
もう喉まで出かかってただろ! なんでそこでブレーキ踏むんだ秋田さん!
「う、卯月? ……春風?」
俺たちの話が中々終わらないことを気にしてか、少女が会話の輪に入ろうとしてくる。
少女が呟いたのは……違う。お前は、そんな名前になるはずじゃないんだ。
「……お前は」
――この時には、俺はもう昂る感情のままに行動してしまっていた。
歴史の整合性など、どこかに忘れて。
――秋田か誰か知らないが、こんなヤツに任せてられるか。
竹取物語なんて言ったって、所詮、作り話だ。中史の力で、いくらでも書き換えられる。
後から「秋田を呼んで、そう名付けさせた」とでも記しておけばいい。
なぜだかわからないが、そうでなければいけない。
そんな確信めいた予感が、胸の内を通っていった。
だから――――
「はい。それでどうでしょう。あなたは、うづ――」
「――輝夜‼」
気づいた時には、俺はその名前を叫んでしまっていた。
よく分からん名前を呼ぼうとした秋田の口を手で塞ぎ、喉が痛くなるほどの大音量で、少女の名前を、呼んでいた。
「輝夜!」
「え……?」
「返事したな⁉ じゃあそれがお前の名前だ! いいか、お前は『輝夜』だ! 春風でも卯月でもない、なよ竹のかぐや!」
少女の困惑の声を、都合よく返事と捉えた俺はまくし立てる。
「かぐや……」
少女は驚いたように目を丸くするが、俺は構わず喋り続ける。
「ああ! 『かがよう』という意味の動詞から取って『かぐや』! 漢字は輝く夜で輝夜! OK?」
「お……おうけい……?」
英語が分からない少女が、戸惑ったように眉尻を下げたのを見て……
昂っていた感情が、段々と落ち着きを取り戻し始める。
少女の困惑顔がなんだかおかしくて、小さく笑ってしまう。
何も焦る必要はない。
俺は深呼吸一つして、少女に向き直った。
「……それでいいかってこと。……いいか、輝夜」
「かぐや……輝夜……」
少女は、視線を地面に向けて……何度も、反芻するようにその名を口にした。
そして、やがてその黒曜石の双眸で、俺を見たかと思うと――
「……うん、うんっ。分かったわ、トキ。私は――――輝夜」
満面の笑みで、少女――輝夜は、了承の意を示してくれたのだった。
☽
「なあ、少女よ」
「…………」
「……おーい」
「…………」
「……輝夜」
「うんっ、輝夜よ! どうしたの、トキ?」
……やりずらいな……
あれから数時間後。
結局何しに来たのか分からない秋田さんが帰ってから、輝夜はずっとこんな調子だった。
今まで簡易的にそう呼んでいた「少女」という名前。それを俺が、つい癖で呼んでしまうんだが……
すると、全く反応してくれないのだ。
それで試しに輝夜、と呼んでみると……
「輝夜……輝夜! 私は輝夜よ! もっと呼んで、トキ!」
こうして、光の速さで駆けよって来ては、新たに得たその名を俺に呼ばせたがる。
「……輝夜」
「なに?」
「その『輝夜』ってのは……別に、無理して名乗る必要はないんだぞ? あくまで、この世界の名前っていうだけだから……お前自身がそれを名乗る必要はないんだぞ」
「お前じゃなくて、輝夜よ」
それもダメですか。俺の話全部無視してるし。
「じゃあ……流離世界でも、記憶が戻るまでは、そう呼べってことか?」
「当たり前じゃない。私は、輝夜なんだから」
「本人がそれでいいなら、いいけど……」
「ちゃんと私のこと、輝夜、って呼んで? トキがつけたんでしょ、私に」
「…………」
これは……あれだ。
孵化したばかりの雛鳥が最初に見たものを親だと認識する『刷り込み』。それと同じ現象が今、輝夜の中で起きてるっぽいぞ。輝夜という名前を付けた俺を、親のように慕っている……そんな感じがする。
「……分かったよ。輝夜、な。ただあくまで、記憶を取り戻すまで限定だってこと、忘れるなよ」
仕方がないので、納得してみせる。
「…………そう、ね……」
しかし、輝夜はどこか暗い顔で、玉虫色の返事をするにとどまった。
輝夜が時折見せるこの表情……
俺はその原因を、流離世界での俺や召喚士さんとの生活が占める心の比重が、大きくなったからだと――そう判断していたが。
この『輝夜』という名前も……それを、後押しした感じだな。
何者でもなかった少女が、輝夜という個人を示す確かな存在を得て……舞い上がっている今。
今、輝夜にあの時の質問――『記憶を取り戻す気があるのか』という質問をしたら。
一体どういう答えが返ってくるのか……ちょっと、俺には分かりそうになかった。
そして……それを俺が、どう感じているのかについても、同様に。
☽
冬時が日課にしている社会探訪を済ませたら、後はすることもほとんどなく、順調に時間は過ぎていった。夕餉を取り、風呂……は今日はない日なので水浴びをして、深夜に起きた時と同じ寝間着姿になったら、もう寝るだけ。
燭台の灯りを消して、薄い毛布一枚をかける俺。
「……トキ」
そうして、なぜか当然の権利のように俺の腕にしがみつく……輝夜。
「いや、あの」
「どうしたの? もう寝るわよ、私」
なぜ俺が困っているのかまるで分かってない精神年齢(7)、容姿年齢(12)の輝夜は、寝ようとしたのを邪魔されたからか、少し不機嫌だ。
「二日連続でこれは、流石にマズイだろ色々と!」
「マズイって……何が?」
それはそれは純真な瞳で訊ねてくる輝夜姫なんだが……「お前の体に性的興奮を覚えるからだ!」なんて言える度胸があったら俺は今頃童貞なんてやってないし、よく考えずともそれは普通にセクハラだ。なので、
「このままだと、段々こうして一緒に寝るのが当たり前みたいな感覚に陥って……そこを召喚士さんに見つかったら、終わりだろ?」
尤もらしい言い訳(一応事実でもある)で、その場をしのぐ。
「終わり……? 何が言いたいのか分からないけど、別にいいじゃない。こうやってぎゅってして寝ると、あったかいのよ」
そりゃお前はいいだろうけどな!
…………。
「あー。いいや。もういろいろと吹っ切れた。寝るぞ、輝夜」
心の中で一度ツッコんだおかげで、激しく抵抗していた俺の御魂も、ようやく諦める気になったのか。
数秒ほど前までの緊張感が消えてくれたので、これはチャンスだとばかりに目を閉じる。
「うん」
輝夜も頷いて……結局、同衾することにはなったのだが……その場は、丸く収まってくれた。
そのまま、しばらくの間沈黙が続き――
もうあと少しで意識が落ちかけていたその時、輝夜が口を開いた。
「ねえ、トキ――」
先程までは真っ暗で、何も見えなかったんだが……
瞼を閉じていたことで明暗順応が起こり、輝夜の顔がうすぼんやりとだが、見えるようになっていた。
「流離世界に戻っても……私のこと、輝夜って呼んでくれる?」
その、輝夜は……
不安そうに。
揺れる瞳で、訊ねていた。
「…………」
その問いに答える俺に、なぜか迷いはなかった。
「呼ぶよ。お前はもう輝夜なんだろ。だったら――」
最後まで言い終わる前に……輝夜の俺の腕を抱く力が強まったのを感じて、言葉を止める。
嬉しい、と。そう言うように、俺の左腕を、強く抱きしめた。
そして輝夜は、瞳に喜色を宿して、満足そうに笑いながら……
「ありがとう。……おやすみ、トキ」
短く、感謝と就寝の挨拶の言葉だけを口にすると、
「ああ、おやすみ。輝夜」
静かに瞳を閉じて、夢の世界へと落ちていったのだった。




