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十九話  藤原京再び

 俺は呆然自失として、目の前の光景を眺めていた。


 木目の板に、椅子のような寝具。

 燭台に灯った火が、ボウと揺れる。

 

 この簡素な麻布の寝間着には……見覚えがある。


「……ここ、は……」


 飛鳥時代。


 少女がかぐや姫で、俺が中史冬時兼竹取の翁であるこの時代に、再びやってきてしまったのだ。


 この可能性を、考慮していなかったわけではない。二度とこの世界に来ないという確証は、どこにもなかった。

 だが――実際に再び飛鳥時代に送り込まれると、困惑しないわけはない。


「――うっ……」


 突然の出来事に唖然としていると、例の頭痛と共に、これまでの冬時の記憶が流れ込んでくる。


 時の流れは、どうやら流離世界と同じようだ。あれから一か月。今も俺と少女は、この館での暮らしを続けていた。


「もう少しすれば、少女もここに来るだろうな……」


 事態を把握するにつれ、段々脳の処理も追い付いてきて……ここに至る以前のことも、思い出してきた。


『――《月夢(ルナ)》』


 ここに来る直前に、少女が使った、あの魔術……。


 状況からして、あの魔術によって俺たちがこの時代に飛ばされたことは、間違いないと言っていい。


 つまり、俺と少女の精神を、この時代に飛ばし、かぐや姫と冬時の記憶を植え付けた……


 その犯人は――少女だったのだ。


 これで一つ、謎が解けたな。


 俺たちは、魔術を使った相手が格上なんだと思っていた。

 俺は魔術を使われたのにも関わらず、敵意を感じなかったから。


 だが、違った。


 敵意を感じられなかったのも当然。少女は敵意どころか、意識すらないような状態で、魔術を行使していた。

 また、あの《月夢(ルナ)》とか言う魔術……魔術式を編む際に、驚くほど御魂の魔力を使用していなかった。あれは恐らく、『術口(すいこう)』を用いない魔術、流離世界の魔術だったのだ。


 だから、俺は魔術を使われたことに、気づくことができなかった。


 真相は、そういうことだったんだ。


「――あっ、いた、トキ!」


 一つ胸のわだかまりがなくなって、ホッとしていると……白い麻の寝間着を着た少女が、俺を見つけ、とてとてと走り寄ってきた。


 少女が魔術を使ったんだとしたら……一体何のために。

 そう訊こうとした俺の言葉は、しかし少女の次の質問によってかき消された。


「ねえ、この状況って……また私達、飛鳥時代に来ちゃったってこと?」


 大真面目な顔で、そう訊ねる少女。


 少女は、自分が魔術を使ったという自覚がないようだった。


 魔術行使の時を思い返してみれば……たしかに少女は、眠ったような無表情をしていた。全くの無意識のうちに、自らの意思以外の力でそこに立っているような雰囲気があった。


 おそらくこの状況は、少女が自ら望んで描いたものではない、ということなんだろう。


「……そういうこと、みたいだな」


 だったら……少女には、言わない方がいいだろうな。

 自らも知らぬうちに自分がこんなトンデモ現象を引き起こしてるなんて知ったら、ショックを受けることは想像に難くない。


 この事は、俺だけが知っていればいい事実だ。念のため、召喚士さんにも言わないようにしよう。



   ☽



 朝餉を取りながら、俺たちは今後のことについて話し合っていた。因みに父さんはすでに朝食を食べ終え仕事に向かっている最中なので、この場には俺たちしかいない。


「当面は、竹取物語通りの行動を取ることを心がけよう」


「物語通りに?」


「ああ。この後の大きな出来事と言えば三つ」


「『かぐや姫』命名と……五人の貴公子と帝からの求婚。そして、月の使者のお迎え。その三つね?」


 事前に竹取物語のあらましを教えてある少女は、三本の指を立ててそう並べ立てる。


「その三つを、なるべく物語通りに進行させたいんだ。付き合ってくれるか?」


 宣言と共に、少女に頼み込む。


「それは、もちろんいいわよ」


 当然、と言った調子で了承する少女。


「でも、なんで? わざわざ物語と同じような行動をしなくちゃいけないのは、なんで?」


 どうして竹取物語と同様の行動をしなければならないのか。

 少女はそんな疑問を投げかける。


「それは……これが、現実だった時のことを考慮して、だ」


「現実?」


 頭上に疑問符を浮かべる少女に……俺は、少女が魔術を使っていることは伏せつつ、説明する。


「この状況が、『敵』の魔術によって作り出されたものだって話は、召喚士さんとしたよな?」


「うん。トキより強い魔術師だったら大変じゃない、っていう話をしたわ」


 ぱく、と黒米を口に入れる少女。

 もぐもぐと動く頬からはハムスターを連想させる。


「魔術ということは……これが、夢じゃない可能性があるってことだ。現実の過去に送り飛ばす、世界間転移の魔術である可能性が」


「それは、そうだけど……あっ、そうじゃない」


 ハッと目を小さく見開いて、口に運んでいたお椀の手が止まる。

 気づいたようだ。


「その場合、俺たちが変な行動を取ると、歴史が変わるかもしれない。すると、おそらく俺たちをモデルにして書かれただろう竹取物語がないことになり、俺の生きていた時代との整合性が合わなくなる。俗に言う、タイムパラドックスってやつだな」


「タイムパラドックス……? は分からないけど、話は分かったわ。トキの生まれた未来に伝わってる竹取物語と違うものができないように、私達は行動すればいいわけね?」


 横文字が聞きなれない少女は首を傾げるが……言っている事のおおよそは把握してくれたみたいだな。


「その通りだ。……と言っても、正直これは、俺よりもお前の負担の方がいくらも大きい。いつまた流離世界に戻れるか分からない以上、五人の貴公子や帝からの求婚を断ったり、月に連れ帰らされるのが、この時代の少女じゃないとは言い切れない。場合によっては、お前がやるかもしれないんだ」


「私が、結婚を断って、月に帰る……」


「そういう意味でさっき、お前に頼んだんだ。付き合ってくれるか、って」


 少女は一瞬、迷うように視線を漂わせたが……

 すぐに俺へと、その意志の強そうな黒曜石の瞳を向けて、


「やるわ。トキには、お世話になりっぱなしだから。少しでも力になれるなら、私は月にでも行く」


 そんな決意を、見せてくれた。


「お世話って……言うほど何もしてないぞ? 最初に瀕死のお前を治療したくらいで、後は召喚士さんが面倒みてくれてただろ」


 御魂の傷ついた少女を助けたことは、この間少女に認めろと言われたので、しぶしぶ認めるとして……

 そのほかの、日常生活なんかはだいたい召喚士さんがサポートしてくれたから、少女がそんな恩義を感じる必要はない。

 そう思っての反駁だった。


「そんなことないわ。あの宿屋で目が覚めた時……私、自分のことを何も覚えてなくて……すごく、心細かったのよ。これからどうすればいいのか、全然分からなくて……自分が自分じゃなくなったみたいで、怖かった」

 

 しかし、少女から返ってきたのは否定の言葉だった。

 それは、少女が目覚めたあの日の夜にも聞いた話だ。


 記憶を失った少女。自分の名前すら忘れてしまった少女の、言い知れぬ不安感。


 あれからなんだかんだあってうやむやになっていたが……未だその記憶が戻る兆しはなく、事態は旧態依然、なにも変わっていないはずだ。

  

 だというのに……最近の少女からは、そんな不安感や恐怖心はあまり感じられない。

 俺はそれを不思議に思っていたんだが……


「でも、私が目覚めた時、あの部屋にはトキがいた。トキは、私に優しく声を掛けてくれて……その後も、家族でも何でもない私を、あの宿に泊まらせてくれた。ご飯を食べさせてくれた」


 少女から、クサッた雰囲気が感じられなかったのは……


「すごく、すごく感謝してるのよ。それなのに、自分がしたことの大きさに、トキは全然気づいてないみたいだから……」


 これが、原因だったのかもしれないな。

 俺が魔王討伐の褒賞金で、半ば少女を養うような生活を送っていたから。

 それに少女は恩を覚えて……ひとりでに満たされていた、のか。


「だから、トキがそれに気づいて、もういい、って悲鳴を上げちゃうくらいに恩返しをするのが……今の、名前も何もない私にできる、唯一のことなのよ。きっと」


 と言って、少女は挑戦的な目で笑った。

 それが、自分に課せられた宿命なのだと言わんばかりに。


「あのなぁ……」


 俺は、当然反論する。


「大袈裟すぎるぞ、お前。そりゃあ、そうやって感謝されるのは嬉しいことだが……そんな覚悟完了しましたみたいな目を向けられるほど、大それたことはしてないつもりだぞ」


「分かってるわ。今はそれでいいのよ、トキ」


 だが、少女はまるで意に介していないとばかりに、また愛嬌に満ちた笑みを浮かべる。


「……まあ……本人がそう言うなら、俺はこれ以上何も言わないが……」


「そのためにも、まずはこの時代の私の名前の命名ね! えっと……秋田(あきた)さん? が来るんでしょ? もうすぐ」


 と、少女はこの話は終わりだとばかりに、話題を元のものに戻した。


 俺もそれに合わせて、頭の中から余計な思考を振り払い、竹取物語のことについて考えを巡らせていく。


「そうだ。――御室戸斎部(みむろどいんべ)秋田(のあきた)。お前に『なよ竹のかぐや』の名を与える、斎部(いんべ)氏の神主だ」


 以降秋田と呼ぶが、この人はこの時代の朝廷で祭祀などを司っていた氏族、斎部(いんべ)の一人。とある神社の神主を務め、竹取物語においては少女に「かぐや」の名をつけた張本人だ。


 こう説明すると……そもそもなぜ育て親の翁である俺ではなく、そんな親戚でもないじいさんに名付けさせるのかと、少女は訊いてきそうなものだが……


 日本には、割と最近まで『名付け親』という概念が存在した。

 この言葉は、単に「子の名前を付けた人間」というだけの意味に止まらない。


 生まれてきた子供の名前を、寺の住職や神社の神主につけさせることによって、子の幸福や未来の栄光を願う――というような風習のことまでを含めて、『名付け親』の制度といい、竹取物語もこの名付け親制度の影響を受けた作品だ。

 寿限無(じゅげむ)の話なんかが有名だろう。


 だから秋田による命名も、この『名付け親』制度の一つ。この場で俺が「じゃあお前今日からかぐや姫な」と気軽に命名できないのには、こういう理由があった。


「じゃあ、私達はとりあえず、その秋田さんを呼べばいいのね?」


 話がまとまった雰囲気が出てきたからか、少女が意気込む、が……


「いや、その必要はない。どうやら、冬時がもう呼んだ後みたいだ」


「あ、そうなの? いつ来るの、一週間後くらい?」


 と、呑気な調子で問う少女。

 それに俺は、真面目なトーンで答える。


「今日だ。予定ではもうすぐ来る」


「え――――っ⁉」


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