十八話 二度目の望月
ダンスを終え、拍手喝采の中、俺と召喚士さんは端の方へと下がっていく。
体を動かし、頬に玉の汗を浮かべた召喚士さんに、屋敷の使用人に用意してもらったタオルを渡すなどしていると……
「いやはや、ただの冒険者などと、とんだ謙遜をしたものですね」
背後から、明朗な声がかかる。
振り返ると、そこに立っていたのはクラインだった。
「見事な舞踏でしたよ、ナカシ卿。どこであのような舞いを覚えられたのですか」
先程の俺のダンスを褒めるクライン。
まさか、中史の名前を出すわけにもいかないので……
「俺の舞踊が上手く見えたなら、それは彼女が素晴らしかったからですよ。褒めるなら彼女を」
ここは召喚士さんの株でも上げといてやろうかと、隣の白髪美少女を指すと……
(……? なんだ?)
「……おや」
「ミ……ミッドナイト卿……」
クラインを前にした召喚士さんは、肩をこわばらせて動揺していた。
「これはこれは。貴女も一緒でしたか」
クラインは常時笑みを浮かべているためにただでさえ細くなっている目を更に細めて、召喚士さんに礼をした。
「……はい。ミッドナイト卿も、ご健勝のことと存じます……」
召喚士さんの方も、狼狽しながらもなんとか言葉を紡ぐ。
そして、
「……どうしたんだ?」
俺の方を、ちらりと見たと思うと……
「あの、勇者様。私、ミッドナイト卿とお話があるので……」
そう言ってクラインに、未だ動揺の色がぬぐえない瞳を向けた。
「……すみません、ナカシ卿。内密のお話なもので」
その視線を受け取ったクラインは承知したとばかりに頷くと、二人して奥の部屋に引っ込んでしまった。
「あ、おい……」
一人取り残された俺は、先程の召喚士さんの様子を思い出していた。
『ミ……ミッドナイト卿……』
あれほど周章狼狽した召喚士さんは、見たことがない。
その動揺した姿には……どこか、先日のおしとやかな召喚士さんを彷彿とさせる違和感が付きまとう。
呼び出された用自体は……なんとなく、見当がつく。クラインは議会の議長、つまり召喚士さんに勇者召喚の褒賞金を出した代表人みたいなものだ。勇者周辺の話で、まだ関係が続いているんだろう。
「信じて送り出した召喚士さんからビデオレターが……」
冗談を言いながら、俺はビュッフェへと向かう。
いかにも高級そうな脂ののった肉を取りわけながら、勇者として、中史として……頭をフル回転させる。
「ねえ……あれって勇者様じゃない?」「さっきまで女性と一緒だったけど……今は一人みたい」「声かけてみる?」
だがそんな俺の思考は、どこからともなく現れた姦しい三人娘によって中断されたのだった。
☽
「では勇者様は、魔術だけでなく剣の覚えまであるんですか⁉」
「え、ええ……一応」
『キャーーッ‼‼』
「勇者様……これ、どうぞ……! 私が取りわけた料理ですっ! 戦闘の多い勇者様のため、栄養に偏りがないように盛り付けました!」
「あ……ありがとうございます。後程ゆっくりと食べさせていただきます」
「わ、渡しちゃった……勇者様にお食事渡しちゃったよっ!」
「あのあの、さっき一緒にいた女性とは、その……恋人同士なんでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないですが……」
「じゃあじゃあ、まだ私も諦める必要はないってことでいいんですか⁉ ……い、言っちゃった私……言っちゃったよぉ……!」
「あ、諦める……? 何の話を……」
「鈍感な勇者様も素敵ですっ!」
「身も心も清廉な、正に騎士の鏡なんですね!」
「騎士……? いえ、先程も言いましたが……私は騎士でも、ましてや皆さんに尊敬されるような英雄などでもありません。ただ少し剣が使えるだけの冒険者なんですよ」
『キャアアーーーッ‼』
なにこれ。
召喚士さんがいなくなった途端、若い女性貴族たちが肉食動物みたいに強かに目を光らせて群がってきた。
俺の言葉に一々反応して、代わる代わる黄色い声を上げては散っていき、また集まって来ては、同じことの繰り返し。
「ああ……やはりああなったか」「『勇者』と言えば、王家に次ぐ権力者。取り入ろうとする者も多い」「今頃、実力も地位も勇者以下でしかない五爵家は泣いているんじゃないか?」
という周囲の話を盗み聞くうちに……『勇者』という地位を狙って、今のうちに顔を覚えられようとしているんだろうことは分かったんだが……それにしても反応が過剰じゃないか?
周りの男共からも、非難するような視線を大量に浴びせられるし……
「ゆ、勇者様……この後、お暇でしょうか⁉」
「ご都合が合うならば、当家の屋敷にご招待したくございますがっ!」
「え、それは流石に……」
と、どうしていいか分からず困り果てていると……
「………………」
なぜかムスッと気色ばんでいる召喚士さんが、いつの間にか戻って来ていた。
「あっ!」「妃様がお帰りになられたわ!」「おとなしく退散といたしましょう!」
それに気づいた女子達は、示し合わせたかのように雲散霧消。四方に散っていった。
ていうか、妃って。さっき恋人同士じゃないって言っただろうに。なんでさらにワンステップ進んだ関係になってるんだよ。
「……本当になんだったんだ……」
俺が彼女らの対応に疲れ果てて、肩を落とす。
「…………勇者様」
「よく戻って来てくれたな、召喚士さん」
理由は分からないが、どうやら召喚士さんが帰って来たことで彼女達は解散してくれたみたいなので、感謝の意を告げる。
「……ふんっ」
……が、召喚士さんはどこか不貞腐れたように腕を組み、俺を睨んでいる。
(と、いうか……)
そ……そんな簡単に脱げそうなドレスで腕なんて組まれたら……そこそこある胸が強調されて、押し出されて……! ただでさえ肩が丸出しだったりで露出が多い恰好なのに、そんなことされたらもうそれは原子力爆弾並みの破壊力を持つ対人兵器だ……。俺はリトルボーイを制御するので精一杯。
なんなんだよお前……っ、今まで口でとやかく言う事はあっても、こういう直接的な色仕掛けは最初しかしなかったじゃんか!
「……っ」
あ、でも……そこから視線逸らすので精一杯で、気づくのに遅れたが……なんかこの反応、前も見たことあるぞ。
あれだ、図書館で少女が人魚の本を持ってきて、俺が人魚に会いたがってた時。
あの時と今で、何か合致するようなシチュエーションがあるか? あるとしたら、それが召喚士さんの異変の原因ということになるが……
うーん分からん……。
「どうしたんだよ? クラインのやつにエロ同人みたいなことでもされたか?」
とりあえずこれくらいしか思いつかなかったので、聞いてみる。
「いーえ。私がいない間、随分と楽しそうにしてたみたいですし? そんな勇者様には、関係のないことです」
どうやら関係ないらしい。
というか、あれが楽しそうに見えたのか? 召喚士さんには。不思議なやつだな。
どちらかといえば、俺はお前といた方が気が楽で助かるんだけどな。
「ああいや、そんなことより……」
「なんですか、そんなことって……なんですか……」
「ここには少女のことを尋ねに来たんだ。さっきのクラインにでも聞いてみようぜ。議長のあいつなら、何かしら知ってるかもしれないだろ」
そう話をまとめて、俺がクラインを探し出そうとすると……
「あ、それなんですが、勇者様」
☽
あれから、更に一週間が経過した。
結局、少女についての手がかりはつかめずじまいだった。
ダンスパーティでは、召喚士さんがクラインに呼び出された際に訊いてくれていたらしいんだが……どうやら、何も知らなかったらしい。
議長が知らないとなると、上級貴族が集まる議会員は知らない可能性が高いだろう。
「少女は……一体何者なんだ?」
元の世界に帰るための準備については、順調に進んでいると言っていい。
召喚士さんから議会、議会からエルフ……と来て、目下、エルフが人魚と交渉にあたっている次第だ。
これは俺の問題なので、本来なら俺がリーファルテラナに赴いて、直接エルフに話をつけたかったし、それが礼儀だと思ってたんだが……どうやら、そこは議会の方が済ませてくれたらしい。
ので、今の俺にできることは何もない。セレスティアに少女の情報がないんだったら、あとは別の国に行って捜すくらいしかないんだが……。
――コンコンッ。
と、ドアのノックする音がした。
正確な時間は分からないが、もう夜も遅い。この時間に部屋を訪ねてくるやつなど、そう多くはない。
「私よ、トキ」
少女だ。
入っていいぞと声を掛けると、ドアが開き、枕を抱きしめた寝間着姿の少女が入ってきた。
「何か用か?」
「今日も……ここで寝ていい?」
入ってきて早々、そんな無理難題を押し付けてくる。さすがはかぐや姫だ。
今日も……ってのは、一か月前のことを言ってるのか。夢の中で飛鳥時代に行った、あの時のことを。
前もこのくらいの時間に来たんだろうな。あの時は疲労が溜まってて、この時間にはもう寝てたから、朝起きた時に驚いたわけだ。
「また怖くなったのか?」
「……うん」
以前少女が俺の部屋に来た時、その理由を「一人で寝るのが怖くなったから」だと言っていた。
以来一か月間、少女が俺の部屋を訪ねてくることもなかったので、もう恐怖は克服したものだと思っていたが。体も、小六くらいには大きくなったわけだし。
「召喚士さんじゃダメか? 明日の朝、一緒にいるところを見つかったら、またどやされかねない」
また犯罪者呼ばわりされるのは御免なので、やんわりと断ってみるんだが……
「……トキがいい」
不安そうに瞳を潤ませた懇願するような上目遣いで言われ、俺のささやかな抵抗は終わりを迎えた。
「……分かったよ。その代わり、あの人にバレないよう、朝早いうちに自分の部屋に戻るんだぞ」
まだちょっと尻込みしている俺が、予防線とばかりにそんな約束を取り付けようとする。が、少女は俺のそんな心配などつゆ知らず、
「ありがとう」
持っていた枕も投げ捨てて、ギシと音を立ててベッドに上がってくる。
そして……ひしっ。なんの躊躇もなく、俺の片腕を抱きしめた。
(うっ……っ!)
すると風呂上りなのか、血行の良い少女の体温が、腕から伝わってくるし……ひかえめとは言え、たしかにある胸の、柔らかなふくらみに、嫌でも意識がいってしまう。しかも……こ、こいつ、下着付けてないぞ! なんで! そういうことは男の俺が教えるわけにもいかないんだから、召喚士さんが教育しといてよ! ……ああでも、寝る時は着けないものなのか? 男子だから分からん……!
で、それを嫌がった俺というか俺の御魂が、上体を引くと……俺の腕に抱き着いていた少女の頭も連動して揺れ、艶やかな黒髪から、召喚士さんのものともまた違う、甘い中にも心地よい爽やかさを覚えるアイリスの花のような香りが広がり、鼻孔をくすぐってくる。
まさか香水なんて使ってるわけないだろうし、シャンプーの匂いとも違う……少女自身の、香り。
「……なあ」
「……?」
少女は「どうしたの?」と本心から何も分かっていない無垢な瞳で俺を見つめてくる。
クソっ……こうも無邪気な気持ちで寄ってこられると、逆に離れろと言いづらいな。どっかの召喚士みたいに半ばギャグみたいなノリで来られる方が、何倍も断りやすい。
一言も発さないうちから説得を諦めた俺は、大きな深呼吸を一つ。
机に置いてあるランタンの灯りを魔力を送って消し、ベッドに横になった。
そして毛布と引っ張るため手をのばそうとするが、俺がそうするよりもワンテンポ早く、少女が自分と俺の体に、毛布をかける。
身長差の関係上、俺の胸辺りに顔がある少女は、自然と俺を見上げる形になる。
「……おやすみ」
これも少女は意図していないんだろうが……至近距離からの、囁くような「おやすみ」に、心臓の鼓動が早まってしまう。
「あ、ああ……おやすみ」
マ……マズイぞ……! こんな一回りも二回りも小さい年下に興奮なんかしたら、俺は一生ロリコンの烙印を押されて生きていかなければならなくなる。それだけは勘弁だ……!
……と、少女の魔の手から逃れるため、視線を窓辺へとやると……
(そういえば……あの日も満月だったな)
夜空には、見事な望月が浮かんでいた。
欠けたところのないまんまるお月様の光が、セレスティアの家々を照らしている。
あの月光をみていると……俺の先程までの煩悩も、まるで月に吸われたように霧消してしまう。
……ダメだな。一人が怖くなった少女は、俺を信頼してこの部屋に来たんだ。それを裏切るような気持ちは持っちゃいけない。
心臓も、今は正常な脈拍で動いている。
もう平気だ。そう心の中で呟いて、少女へ向き直る。
「――⁉」
が……な、なんだ……
「…………」
先程まで俺の腕に掴まっていた少女。
しかし今、彼女は俺の傍を離れ……ベッドから降りた状態で、その場に佇んでいる。
その様子が……奇妙だ。
どこを見ているのか分からない、虚ろな目。とても意識があるようには思えない、死んだような無表情。
そして何より……少女の額に浮かんだ、謎の紋様――
琥珀色の輝きを発する紋様は、丸い何かを星が囲んでいるような見た目をしている。
なんだ――何が起きている?
いや、そんなはずはない。少女は魔術の使い方を知らないはずだ。だとしたら……
「お、おい少女――」
俺が声を掛けようと、一歩近づいた瞬間。
『――月は夢を見る。可能にして潜性。蜻蛉よりも深き影、遥か筐底の記憶』
御魂を強く揺さぶるような――少女の声が、部屋に反響した。
そう、少女の声……ではあるんだが、その声には普段の少女のような溌剌とした感情はない……どころか、一切の抑揚がない。
『――神の降りて永久となり、月の光は闇夜を照らす。影は光に。光は影に』
目の前の信じられない事態に、俺が動揺している間にも……少女は、その意味の分からない言葉を紡いでいく。
しかも、事態はそれだけでは収まらず――
(……っ⁉)
あまりに微弱すぎて、気づくのに遅れたが、これは。
少女の額の紋章から溢れ出る――正確には、琥珀色の光から漏れ出る、魔力の反応。
何か、魔術を使おうとしているのか、少女が?
「おいっ、どうしたんだ!」
声を掛けるが、聞こえていないのか、返事はない。
『――これなるは、泡沫の刻。彷徨う汝に、幸あらん』
淡々と発される言葉。
少女の表情は依然、全くの無意識にしか思えない無表情。
操り人形のように、ただ口だけを動かす少女の……詠唱か何か、言葉は、ついに最後を迎え――
『――《月夢》』
辺りが、琥珀色の光に包まれたかと思うと――
――次の瞬間、俺と少女は再び飛鳥時代に舞い戻っていた。




