十七話 Shall We Dance?
舞踏会に出席して欲しい。
召喚士さんの願いとは、そんなものだった。
わりに単純なお願いで、拍子抜けする。
「舞踏会って言うと……ダンスパーティだよな?」
一般的にはウィーンなんかのイメージが強い。社交界とも言ったりする、あれのことだろう。
「だんすぱーてぃとは、夜会服などを着て男女が舞踏したり、顔合わせをしたりする催しのことですか?」
流離世界で横文字……というか英語が通じないので、そう聞き返される。
「そうだ」
「では、ダンスパーティで合ってます。――私が議会によくしてもらっていることは、勇者様もご存じですよね」
「ああ。俺を召喚した報酬でボロ儲けしたって言ってたよな」
「はい。そういう事情なので、議会は私と勇者様が親しいことも把握してるんですよ。そこで、次の舞踏会の場に勇者を招待しようという話になっていたらしく……」
「俺とつながりのあるお前が、呼んでくるように頼まれたってわけか」
勇者は魔王を倒した英雄というだけではなく、セレスティア王家の次に偉い爵位を持つ貴族社会の頂点に位置する立場でもある。
貴族連中の中で、俺を社交界デビューさせようという話が上がるのは当然の成り行きと言えるだろう。
「そういうことです。……もちろん、断る事もできるので、気が進まないようならそうしていただければ……」
などと言う召喚士さんの言葉は……どこか、俺に断って欲しいように聞こえる。
女ってのは舞踏会なんかに憧れを抱いてるものだと言うのが、これもまた俺の安っぽい女性観なんだが……召喚士さんはそれには当てはまらないみたいだな。この反応を見る限り。
「俺は別にどっちでもいいんだけどな。ここで断ったら、後々召喚士さんの印象が悪くならないか?」
「……え? わ、私のことはいいんですよ」
自分の名前を出されるのが意外だったのか、前のめりになって否定する召喚士さん。その表情には、どこか焦りが滲んで見える。
だが、ここで引くわけにもいかない。
「よくない。流離世界に来てから召喚士さんには色々世話になってるし、ここら辺で恩返ししておかないと後が怖そうだからな」
「……では、行くんですか?」
「行く。何か少女についての手がかりが掴めるかもしれないしな」
それも出席しようと思う理由の一つだ。色々と普通じゃなさそうな少女について、上流階級の人間なら何か知っているかもしれない。
そう思っての決断だった。
「そうですか……」
……しかし……
結局、召喚士さんが落ち込んでいた理由は、少女の身元調査が原因なのか? もう一度言うが、それにしてはいくらか、大げさな気がするんだよな……。
☽
社交界への出席が決まってから、一週間後。
当日とも言うが……俺たちは、とある大きな屋敷にお呼ばれされていた。
「……あ……あのぉ、勇者様ぁ……」
ガタガタと車輪の揺れる馬車に乗って、夕闇の下を移動中。
御者を除けば、そこにいる人間は二人のみ。少女はお留守番。
お互い、向かい合うようにして座った、俺と召喚士さん。
「なんだ?」
「その……どこもおかしくないでしょうか……?」
りんご飴みたいに、耳どころか頬まで赤くした召喚士さんが訊ねたのは……今宵の装いについて。
薔薇が咲き乱れたような鮮やかな紅が印象的な、オフショルダーのイブニングドレスに身を包み。
いつもの長髪はサイドで一つに結んだおさげになっていて、肩にわずかにかかったその白の艶やかさが、普段の快活さの中で隠れてしまっている召喚士さん本来の幻想的な気品をこれでもかと引き立てている――召喚士さんの、ドレス姿……
おかしいどころか、似合いすぎてこっちが召喚士さんの魅力にやられないよう耐えるので、精一杯なくらいなんだが……
「こんな、公爵夫人が着るような服装は初めてで……私なんかには、不相応と言いますか……」
当の本人は自分の美しさに気づくどころか、着慣れないドレスにたじろいでいる様子。
俺は中史として、こういう場に顔を出すこともあったので多少慣れてはいるんだが、召喚士さんはそうじゃないみたいだな。
とはいえ、このまま会場についても人目につく。もう少し堂々として欲しい……ので。
「……今のお前にいつもの調子で迫られても、ちょっと断れそうにない」
「……えっ……?」
「それくらいには魅力的だから、自信持てよ」
「――っ⁉」
真面目な声音で、本心を告げてやる。
その言葉を受けた、召喚士さんは……
「…………はい……ゆうしゃさま……」
発火しそうなほど顔を真っ赤にして、ドレスをぎゅっと握って俯いていた。
この変な態度の理由は分からんが……ま、屋敷に着くまでには平静を取り戻していることだろう。
☽
着いたのは、ヴェルサイユ宮殿を一回り小さくしたような印象を受ける、それでも十分に豪華なお屋敷だった。
屋敷の主人は、クライン・ルード・ミッドナイト。公爵家であるミッドナイト家は、セレスティア王家領の次に広い領地を有し、こういった催し物の会場には、ミッドナイト邸が度々使われていた。
また当主のクラインはセレスティアの議会を代表する議長を務める時の権力者としても知られており、召喚士さん曰く、俺を此度のパーティに招待しようと最初に提案したのも、このクライン・ミッドナイトなんだとか。
(クラインって……平和記念式典で会ったあいつか……)
俺も一度、その領主様とは偶然会ったことがある。
異世界に来て日が浅かった式典のあの日、王城ソラネシアで声を掛けられた。
特に印象には残らない男だったが……。
「お嬢様、お手を。少々段差が高く、危険でございますれば」
「もっ、もう勇者様! からかわないで下さいっ‼」
ミッドナイト邸に着いた俺はと言えば、先程から召喚士さんをしきりにお姫様扱いして、楽しんでいた。
召喚士さんはその度に一々頬を染めて、俺を怒鳴りつけてくる。
というのも、こうすると最近どこか浮かない顔をしていた召喚士さんが、元の明るさを取り戻してくれることに気づいたのだ。
何に懊悩しているのか知らないが、こいつにシリアスな面持ちは似合わない。
オーバーな反応をしてくれるから、からかい甲斐もある。ちょっと楽しい。
「それにしても……豪華な屋敷ですねぇ……」
ミッドナイト邸には、それを囲むようにして緑の庭園が造られており、屋敷へと伸びる大道には静かに輝く噴水や、草食動物を象った植物のアートなども置かれている。
それを見た召喚士さんは壮観といった様子で、感嘆の声を零した。
「少女も連れてきたかったな」
「仕方ありませんよ。有爵者とそれに連なる貴族しか招待されないんですから」
屋敷内へと入り、天使のレリーフが飾られた廊下を過ぎると、そこは会場だった。
「大人数だな……」
魔力で光るシャンデリアに照らされた煌びやかなその空間は、麗麗たる服装をした貴族たちでごった返していた。
テーブルの上には大量の美味しそうな料理が並べられている。
「伝説の勇者を招く最初の舞踏会ということで、通常よりも大々的に開かれているという話です」
えぇ……そんなのに招かれたのかよ、俺。ちょっと魔術が使えるだけのただの高校生をなんていう場に連れてきたんだよ。
……できるだけ目立たない場所で、ひっそりと御馳走に手を付けてればいいか……。
などと、俺が陰属性魔術を行使しようとした矢先――
「皆さん、よくお集まりくださいました」
頭上から、爽やかな声が響いた。
顔を上げると、階段を上った先、テラスなどにつながるギャラリーに、にこやかな笑みを浮かべて立つ男がいた。
その顔は俺の記憶の中のやつと一致する。クラインだ。
「当屋敷の主、クライン・ルード・ミッドナイトです。今宵の会を無事開けたのは、ひとえに私を支えてくださる各地の領主殿や、議会員のお力添えあってのもの。おかげでこの場には、一流の料理人が作った世界各国の美食が並んでいます。セレスティアでも著名な音楽隊を招くこともできました」
朝礼の際の校長先生のように、当たり障りのない定型文を並べるクライン。
さっさと情報を集めて帰ろう。
そう、心に決めたところ……
「さっそく演奏を聴きたいところなのですが……皆様は既にご存じかもしれませんが、今宵の会にはあの方もお招きしているのです」
クラインがそう言うと、会場がにわかにざわつきだした。
なんだか、雲行きが怪しくなってきたぞ……?
その『あの方』って、もしかしなくても……
「そう、先日この世に蔓延る悪の権化たる魔王を討伐し、セレスティアの歴史にその名を広く轟かせた大英雄、勇者ナカシ・トキ卿でございます!」
やっぱり俺だ! できればそっとしといて欲しかったのに!
クラインの言葉を聞いて、事前に知っていたとはいえ、改めてその事実を聞かされた貴族共は、伝説の勇者様はどこだ誰だと、小声で話しながらあちらこちらに視線を彷徨わせている。
どうせこの後は……
「ナカシ殿、どうぞ前へ!」
そうなるよな。
「行きたくねえ……」
「ほらほらどうしたんですか、前出ないとダメじゃないですか、私の勇者様っ」
俺が青い顔をしていると、召喚士さんはさっきの意趣返しとばかりに耳元でそう囃し立ててくる。
「お前のじゃねえよ……」
抗弁にもならない抗弁を吐いて、俺は嫌々ギャラリーへと上がる。
クラインの隣に並び立つと、貴族共は様々な反応を示し、会場がどよめきたった。
「あれが勇者様……」「ふむ。もっと歴戦の戦士然とした大男かと睨んでいたが」「若年の色男じゃないですか……!」「あまり冒険者のようには見えぬが……」
この場には、式典の時にはいなかった男爵や子爵なども数多く出席している。俺の顔を見るの自体、初めてというやつらが。
「式典の時以来ですね、ナカシ卿」
クラインが、俺にだけ聞こえる声で言う。
「俺はあまり人前に出るのは得意じゃないんです。手短にお願いします」
言うと、クラインは「?」と困惑顔で頷いて、会場に向き直った。
――人前に出ることが多いお前ら貴族には分かるまい、日陰に生まれし者の運命など――
「皆さん、この方こそが、これから伝説となるであろう勇者ナカシ・トキ卿です!」
貴族としてそこはわきまえてるのか、俺が紹介されてもむやみに騒ぎ立てることはせず、代わりに静かな歓心の声がいたるところから聞こえてくる。
俺は早く終わってくれとの一心で口を開いた。
「初めまして、ナカシ・トキです。この度は、勇者というこの身には余りある称号をいただけたこと、大変光栄に思います。しかし私は、しがない冒険者。剣を振ることしかできぬ浅学の身なれば、立場こそ勇者なれど、皆さまに傅かれる理由が薄弱なるは火を見るよりも明らか。どうか畏まらず、相応の態度で接していただきたく願います」
この後の立ち回りのことも考えて、なるべく俺がただの高校生であることを強調する言葉を並べる。こいつら、勇者のことを神聖視しすぎるきらいがあるからな。
「ほう……力を得るといかな誠実な人間とて傲慢に成り下がってしまう中、ナカシ卿は……」「謙虚なのね……騎士の鏡だわ」
……が、どうやらそれが逆効果だったらしく、貴族共は俺にますますの羨望の眼差しを向けてきてしまう。なんでだよ。
「今宵は私のことなど気になさらず、この会を楽しんでいただければと思います」
そう締めくくって、儀礼的に礼をしてから、そそくさとその場を去る俺。それを見送る、英雄に向けられた数多の視線。とてもつらい。
「ナカシ卿もこうおっしゃられた事です。卿の言葉を借りて――今宵の会、存分に楽しんでいただければと思います!」
クラインがパーティ開始の声を上げると、会場の一角で楽器を構えていたオーケストラらが反応する。コンサートマスターが指揮を執れば、会場には優雅な音色が奏でられ始めた。
その音楽を聴きながら、俺は召喚士さんの許へと戻る。
「様になっていましたよ、勇者様」
「うるさい」
召喚士さんから視線を外せば、その先にはダンスパーティを楽しむ複数の貴族たちの姿があった。
ビュッフェを皿に取りわける者、お見合いの前段階的な顔合わせを行う者、一対一になって舞踏に興じる者、様々だった。
その中の何人か……黒やグレーといった落ち着いた色のドレスを身に纏った女子グループが、俺を見つけたのか、笑顔でこちらに手を振ってくる。
無視するわけにもいかないので、俺も手を振り返すと……女子グループは顔を赤くして小躍りなんかし出した。大げさだなぁマジで。
「……少し、寂しいですね」
ふと、その様子を見ていた召喚士さんが、俺に話しかけるでもなくそう言った。
「寂しい?」
その言葉の真意が分からず、聞き返す。
「これまで勇者様を知る者は、私と美少女ちゃん、そして一握りの国民だけでした。それがこういう場に顔を出して、セレスティアの名だたる貴族の方々にも勇者様の魅力が伝わっていって……」
「魅力も何もないだろ。さっきだって、猫背で陰気臭い挨拶するヤツのどこが魅力的なんだ?」
反論するんだが、召喚士さんは意にも返さず話を続ける。
「ミッドナイト卿や貴族の方々と触れ合う勇者様を見ていると……勇者様が、本来ならば私なんかとは関わることのないような、そんな素晴らしい一角の人なんだと、思い知らされているようで……。勇者様が、遠くに行ってしまうように思えて……それがなんだか、寂しいんです」
よく分からんが……アレかな。応援してた美少女ゲームの声優が有名になって、表に出るようになった時に感じる寂寥感みたいなものか?
「…………」
我ながら最悪の例えだと思うが……正鵠を得てはいるんじゃないかとも思う。
流石に、この例えを召喚士さんにそのまま伝えるのは憚られるので……
「杞憂だ。俺はただの高校生……流離世界風に言えば、一介の魔学生に過ぎない男だよ」
「そうやって謙遜するのは、勇者様の長所でもあり、短所でもありますね」
柔らかい笑みを浮かべて、召喚士さんは俺を見上げた。
そう言われると弱いが……
エロゲ声優云々が正解なら、召喚士さんが寂しがる気持ちも分かる。
なので俺は召喚士さんに一歩近づいて、片手を彼女の前に差し出した。
「――お嬢様、お手を」
「だから勇者様、からかうのは――ぁっ」
ぶつくさと文句を垂れる召喚士さんの手を強引にとって、もう片方の手は、彼女を支えるように背中にまわす。
見れば俺と召喚士さんの前には、人が避けるようにして会場の中央まで綺麗に道ができている。
……俺はどの道、じきに元の世界に帰る身なんだ。
「一緒に踊っていただけませんか、お嬢様」
帰ることが決まってるのなら、それまでできるだけこの人の傍にいてやればいい。
そうして、教えてやればいいんだ。
「………………よろこんで」
俺は歴史に名を残す勇者なんかじゃなく、ただの中史時なんだってことをな。




