二話 英雄の誕生(前編)
「…………勇者様……」
「――ま」
ダメだ。このままだと、色々まずい。
「……勇者様……?」
「魔王討伐行ってくる……!!」
俺はカントもビックリなレベルで理性を総動員させて、この教会らしき建物から飛び出たのだった。
据え膳食わぬはなんとかと言うが……あれは違うだろ、なんか!
…………。
……ああ。
俺が勇気を持って一歩を踏み出せるのは、いつになるんだろう……
☽
教会を出た俺は、そういえば魔王がどこにいるのかを聞き忘れていたことに気づいたのだった。
それで今は情報収集も兼ねて、街の中を逍遥しているところだ。
街の外観については今更言う必要もないと思うが、中世ヨーロッパ風の建築物が立ち並ぶTHE・ファンタジーの世界観だ。
この世界では元の世界と違って魔術が一般にも広く知れ渡っているらしく、こっちの世界でいう「中世は文明の暗黒期」的な不衛生で終末的な文化観も見受けられない。
洗浄トイレに慣れ毎日の入浴が習慣づいている現代人には助かる文化だ。
そうして先程から俺は、手っ取り早く「異世界感」を味わえる獣人奴隷を探している。
通行人の頭に動物の頭が生えてて「おお本当に異世界に来たんだ……!」的展開を望んでいたんだが、現実はそう上手くはいかないものだ。
一時間程大通りをうろうろしていたんだが、見つからなかった。
そもそもこの世界に獣人がいないのか、よくある奴隷的な差別を受けているのか……そのどちらかは分からないが、ポリコレやらLGBTやらが世界で話題になっている昨今、時と場合にもよるが、後者には若干の拒否反応が出る異世界人の俺である。
勿論、その価値観をこの世界の人間に押し付ける気はないが……
耳の長いエルフは少数だが見かけたので、今はそれで異世界気分を味わっておこう。
そして、通行人の立ち話を盗み聞きした結果……この国の名前が「セレスティア王国」であるということは分かった。
王国と付きつつも実際の政治は議会が行う、いわゆる議会主義的君主制で回っている国らしい。
ただ、この議会というのは選挙によるものというよりは諸侯による世襲制の面が強く、そういった意味では貴族制と言った方が良いのかもしれない。
……まあ難しい話はよく分からないのでどうでもいい。
とにかく今はまだ、この世界について知る時間だろう。
魔王討伐と、その先に待つ元の世界への帰還は、それからでも遅くないはずだ。多分。
☽
今はこの世界について知る時期だ、とかなんとか言っていた日から、一日が経った。
未だこの世界についてろくに知りもしない俺は、今――
――魔王城の最奥にて、魔王と対峙していた。
「着いちゃった……」
『よもやと思っていたが――この場所に人が立つことになるとは――』
……あの後。町でぶらついていた俺は、小腹が空いたのでどこかで食事でもとろうとして……自分が文無しであることに気づいた。
そこで、この世界でも例に漏れず冒険者ギルドで討伐したモンスターを換金できることを知った俺は探索を中断して魔物を狩りにいったのだ。
そしたら……面白いように無双できた。スライムやゴブリンなどの雑魚から、グリフォン、ヒュドラといったボス級モンスターまで……みなすべて容易く屠れたものだから、ついテンションが上がって空腹や眠気も忘れて大地を駆け、深山幽谷を越え、人里離れた魔物の巣窟にまでやってきてしまったのだ。
すると突然姿を現したのが、明らかな人工物。
おどろおどろしい雰囲気を纏った立派な城だった。
これは入らないわけにはいかないだろうということで突撃して…………今に至る。
その城が魔王城だったというわけだ。
「…………」
『…………ふむ』
眼前で俺を睥睨するのは――魔王。永らく人類を苦しめ続けていた、とても分かりやすい「悪」の親玉。倒すべきモノの象徴。
一見するとただの初老の男のようだが、その体からにじみ出る魔力量が他の魔物とは大きく異なっている。勿論、こいつの量が多いという意味で。あとまあ、そもそもこんな場所に人間がいるはずないし……
「あんたが魔王で合ってるんだよな」
一応確認はとっておく。
『いかにも。――貴様こそ、何者だ。人の身、それも単身でわが城に攻め込み、今、正にこの我に闘志を向ける貴様は……最近セレスティアからわざわざ殺されに来る騒がしい駑駘どもとは、何か根本から違う――貴様は』
「ああ。俺を召喚したやつ曰く、どうやら俺は『勇者様』らしいからな」
『ふん……我を討つ気か? 伊達や酔狂で言っているのではあるまいな』
「なら試してみろ」
挑発すると、魔王はいかにもといった禍々しい玉座から腰を上げ、右の掌を俺に向ける。
『よいぞ。一撃のうちに灰燼に帰す――威勢だけでは勇者にはなれぬと知れ、あわれなる人間よ』
大言壮語――では、ないのだろう。この世界において、こいつは確かに絶対的な力を有し、それによって他の命を弄んできたんだ。
だから今回も同じ。
それは予定調和のごとく、魔王の力の前に、下等生物であるところの人間は斃れる――魔王は、そう確信している。
やつの右手に、魔力が集中する。道中出会ったどんな魔物よりも強大で、暴力的な魔力の渦――それが、俺の命を根こそぎ刈り取らんとする。
『――散れ』
宇宙誕生時のような魔力の奔流。
バチバチバチ……と城中を紫電が駆け巡り、吹き荒れる風は街で拾った黒のロングコート――なろう主人公っぽいから気に入っている――をたなびかせる。
――ゴオオォォォォォン――……!!
衝突。
その一撃は確実に俺の身体へ向かう。地は揺れ、天は荒れ、土煙が舞う。
魔王はまたしても、その力の豪然たるを知らしめる――……
…………。
『………………なっ……!』
……視界が晴れる。
俺の目に映るのは、驚きに目を見開いた魔王のご尊顔。
『……ありえん……我の一撃を受け……』
肩をわなわなと震わせる魔王。
「無理もないだろうけどな」
これまで、この世界でその強大な力を振るっていた魔王だ。
その魔力をもってすれば、みな一様に一撃で沈む……それが世界の定め。それが強者の誇り。
そう信じて疑っていなかったのだろう。
「だが、それはあくまでこの世界での話だ」
魔王は歯軋りしつつ、俺の……五体満足、無傷の身体を睨みつける。
俺と魔王の間には、俺を守るように宙に浮く鏡のようなものが見える。
俺が魔力を操り造った、魔力吸収の防御壁。それに、魔王の魔術は受けとめられていた。
「魔王が世界のルール……異世界転移者にその理論は通じないらしいな。――――《呪々反射鏡》」
俺が呟くと、周囲を囲っていた防御壁は激しい光を発し――その黄緑色の粒子は、魔王城を暖かく照らし出す。
陰影が濃くなり、恐ろしさを増した魔王の顔が歪む。
魔王の魔術を防いだこの壁は、ただの防御壁ではない。
それは相手の魔術を無効化し、威力を何倍にも膨れ上がらせて返す魔術。その名も呪々反射鏡。
元の世界の中史――俺の先祖が考案した、カウンター魔術だ。
『ありえてはならぬことだ……ただの人の身で、我の力に抗おうなどと――――!!!』
凄まじい勢いで奔る、魔力の螺旋。
きらめく粒子を伴って、その魔の刃はぐんぐんと力を増しながら飛んでいく。
『――――!!!』
須臾の静寂。
ホワイトアウト。
フラッシュバンのような光が辺りを白一色に染め上げ、音を、時間を吸収する。
元の世界で名を馳せた中史……その子孫である俺、中史時の魔術は、確実に魔王の首を貫いて――――