十六話 異変と招待状
お互いの禊も済んだところで、俺はアレックス一行とセルキーに、俺が異世界転移者であることと、元の世界に帰ろうとしていることを明かした。
するとアレックスらは人魚一本釣りの理由が分かったようで、納得してくれた。
後はセルキーさんに女王の元まで案内してもらい、元の世界に還してもらうだけ。
俺には勇者という地位があるし、多少の困難があっても謁見は可能。
――そう、踏んでいたんだが……
「多分、難しいです……」
セルキーさんの反応は芳しくなかった。
「難しいってのは、女王に会う事がか?」
「というよりは……入国自体が、です。……先程もエンテレケイアさんが言っていたように、最近は人間による人魚の捕縛が頻発しています。それで今この国は、人間にあまり良い印象を持っていない……ので……」
「……そうか」
考えてみれば当然の話だ。
自分達を奴隷扱いした種族を、それが例え英雄だとして、快く歓迎できるかと言われれば、答えはノーだろう。
「そうか……難しいか……」
その表情から落胆を感じ取ったのか、俺の顔を見たセルキーが前のめりになって口を開いた。
「あ……で、でも、あなたは特別だから……ちょっと大変だけど、リーフォルテラナに仲介してもらえば、大丈夫かもしれないです」
セルキーの口から出てきたのは、そんな提案だった。
森泉公国リーフォルテラナ。
エルフの暮らす大森林の国名だった。
「なんでここでエルフの名前が出てくるんだ?」
これまでの話の流れと、リーフォルテラナとの関連性が見えず、首を傾げてしまう。
すると、召喚士さんが説明してくれる。
「エルフと人魚は、とても仲が良いことで有名です。エルフと森林、人魚と湖。お互いに、自然と相利共生の関係にあるという点で親交を深め、利害関係を無視した相互扶助の関係にあるんですよ」
素晴らしいことですね、と笑みを浮かべる召喚士さん。
「人魚とエルフの関係は分かった。つまりこういうことか。人間とエルフは仲が良く、エルフと人魚も仲良し。双方に顔が効くエルフに話を通してもらえば、俺の入国も叶う、と」
「はい、そういうことになります……だから、ごめんね。今すぐ、あなたを元の世界に還してあげることはできません」
申し訳なさそうに眉をハノ字にして、ペコリ。
地面に手をついて、頭を下げるセルキー。
「セルキーが詫びる必要なんてないだろ。全部、俺たち人間が好き勝手した結果だ」
「……あ、そうですね……」
国民の意思なんてどうしようもないことだというのに、律儀なやつだ。
「じゃあこれから、私達はリーフォルテラナに行けばいいの?」
少女が、人差し指を立ててセルキーに問う。
「えと……先に、正式な約束をしておかないとダメかもしれません……」
「それなら、私に任せてくださいっ!」
ここで意外にも名乗り出たのは、召喚士さん。
出欠確認を受ける小学生のように無邪気な笑顔で手を上げている。
「そういえば、議会に褒賞を貰ったとか言ってたな。コネでもあるのか?」
指摘すると、召喚士さんは僅かに顔色を変えた。
「ま、まあそんなところですよ! 私くらいの天才ともなると政界の重鎮も放っておかないんです! 玉の輿ですね! 勇者様もいつまでもそんな態度だと、本当に私が欲しくなった時に後悔しますからね⁉」
「……なあ、彼女はいつもあんな調子なのか?」
「あれが召喚士さんなのよ」
「というか、勇者相手の方がよっぽど玉の輿だと思うんだけど……」
困惑した様子の一行。
今日も召喚士さんは絶好調だった。
「あ、あの……」
そんなこんなで、俺を除いた五人が親交を深めている中……
セルキーが、なぜか内緒話でもするように、小声で話しかけてきた。
「なんだ……?」
「……大英雄である、勇者様にこんなこと、失礼かもしれないけど……」
「さっきアレックスにも言った通り、畏まらなくていい。普通に接してくれ」
「じゃ、じゃあ……トキ、って……名前で呼んでも、いいですか……?」
耳を赤く染めて、丁寧にそんな許可を求めてくる。
「召喚士さんのアレは、あいつが勝手にそう呼んでるだけだ。好きなように呼んでいいよ」
「……! ……ありがとう、トキ……」
俺の名前を囁いて、ひかえめな笑みを浮かべるセルキー。
……これは……
確かに、危険かもしれないな。
普通にしてるだけでも、信じられないくらいの美少女顔なのに……笑顔になっただけで、こんなにもかわいさが増すなんて。
耐性がない男だったら、今ので堕ちてたかもな。
俺は、例の女性と親密になりたがらない御魂がブレーキを踏んでくれたから、良かったけど。
☽
それから、二週間ほどが経過したある日のこと。
「魔術を覚えたいわ」
すっかり俺の部屋に入り浸るようになった少女が、確かな意志を瞳の奥に光らせていた。
「魔術を?」
「うんっ。今の私は、ただ魔力を操れるだけで、魔術式を編むまではできないでしょ?」
少女は手の平から淡青の魔力を漏らす。魔力の粒子は重力に従って床に落ち、少女の元を離れると、溶ける様にして消えた。
「そうだが……必要あるのか? 確かに流離世界では魔術が一般的で、使えるに越したことはないけど」
「そうよ。だから……」
分かってるじゃない、と食い入るように双眸を輝かせる少女。
まるでそれ以外に選択肢はないとでも言いたげだ。
だが、俺はその態度に首を傾げる。
「でも記憶が戻れば、魔術の使い方も自然に思い出すだろ?」
少女が魔術を使えないのは、十中八九記憶喪失が原因だ。
この国では、そこらの子供でも初級魔法程度なら行使できるレベルには魔術が一般に浸透している。記憶を失くす前の少女が魔術を使えなかったとは、考えにくい。
だから、今の少女が魔術を習得する必要性は低い。
当然、少女もそのことを織り込み済みだと、俺は考えていた。
「護身のためだって言うんなら、記憶が戻るまでは俺が守るよ。それくらいの力はある」
「……そ、それは……」
が、少女の反応は予想に反するものだった。
全く考えもしなかった――そんな表情だ。
「……そうだったわ」
その言葉は、『大前提』を失念していなければ、出てこない言葉だ。
すなわち――
「お前、自分の記憶を取り戻す気があるのか?」
「え……?」
指摘された少女は――驚いている。
しかもその驚嘆は、俺の言葉に向けられたものと言うよりは……自分の内面に向けられたもののように思えた。
「あ、あるわよ……」
少女の声は弱々しい。
自分の言葉にまるで自信がないようだ。
「…………」
何故だろう。
この宿屋に来た初日、彼女は確かに自らの失われた記憶を求め、悲嘆の海に暮れていた。つい数十時間前まではそこにあったはずの過去に手をのばし、出会ったばかりの俺にすら縋るほど弱っていたのだ。
それが、今ではそんな事情など忘れてしまったかのごとく、生き生きとした振舞いを見せている。
なにか、少女が心変わりする要因があっただろうか――
俺がその要因を考えようとした、その時。
「ただいま帰りました、勇者様、美少女ちゃん」
キィー……と軋む音を立てながらドアを開け姿を現したのは、女神官みたいな衣装に身を包み、絹糸のように仄かに輝く白髪を揺らした美少女。
……自分で言っておいてアレだが、女神官という表現はしっくりくるな。本名が秘匿されてるところなんて正にそっくりだ。
というわけで、助けを請うどころか自らゴブリンに犯されに行きそうなこの人は、召喚士さん。
「……どうした?」
その様子が、なんだかおかしい。
いつものナチュラルハイテンションはどこへやら。
その挙措はなよやかで、おしとやかな雰囲気を醸している。
部屋の照明を受け、影が差したその顔はどこか浮かない様子だ。
召喚士さんは持っていた杖を壁に立てかけ、木製の椅子に腰を下ろした。
「ふぅ……」
メランコリックな色を滲ませた瞳。その視線の先は、窓の外に向けられている。
日が落ち、暗くなり始めた空を見る召喚士さん。
「……?」
その様子を訝しんだ俺が、彼女を見つめていると……
こちらに気づいた召喚士さんが、にこっ。
「どうしましたか、勇者様」
薄い笑みを湛えて、俺に体を向けた。
……こ。
「これじゃ、欠点がないただの薄幸美少女じゃねえか……!」
俺は咆哮する。
いつでもどこでも自信過剰で、事あるごとに下のネタを挟む残念美少女。それこそ我らが召喚士さんだ。
「あはは……それ、褒めてくれてるんですか、貶してるんですか。どっちですか、勇者様」
だというのに、今はどうだ。
「普段ならここで『やっと、ようやく、ようやっと私の美しさに気づきましたか勇者様! この天才召喚士である私相手にこれまで我慢できていたのは流石の忍耐力ですが、どうやらここまでのようですね! さあそうとなれば結婚初夜です勇者様!』と、喧しく喚くところだろ⁉ なんだその常識的な反応は! お前さては偽召喚士だな⁉」
いつもの召喚士さんから灰汁をすべて取り除いた様な素晴らしき人格。
見ているだけで庇護欲を掻き立てられる薄幸美人っぷり。
「偽勇者には、お似合いの女ですね?」
「何があったっ! お前はそんな気の利いた返答ができるほど、人のできた奴じゃないはずだろ! 目を覚ませ!」
「今のは間違いなく貶してたと思うわよ、召喚士さん」
俺は召喚士さんの両肩に手を置いて、内に眠る彼女の御魂に直接語り掛ける。
「大袈裟ですよ、勇者様……。ただ、ちょっと悪い報せが舞い込んできたというだけです」
「悪い報せ?」
気になるワードが出てきたことで、召喚士さんの肩から手を放す。
すると、少々騒ぎ過ぎていた自覚があった俺はキマリが悪くなって、おずおずと自分の居場所へと戻る。
俺が定位置に着いたのを確認した召喚士さんが、説明を始めた。
「美少女ちゃんについてです。先日、美少女ちゃんの身元を調べるために、ギルドや周辺住民に行方不明者の捜索願いなど出ていないかどうか、聞いて回っていたんですけど……」
「ああ、その話は聞いたよ。ありがとうな」
勇者として上級モンスター討伐の際などに声がかかり忙しい俺の代わりに、召喚士さんが少女の身元について調査してくれていた。
その範囲はセレスティア全域に及ぶため、ギルドの方でも情報を集めるのに数日を要していたのだ。
「いえいえ。……それで、先程その結果を聞きに行ったんですけど……」
「……その感じからすると、ダメだったか」
「はい。行方不明の少女の情報などは、出ていないそうで……」
……となると、この少女は一体なんだ?
セレスティアの治安は、主に二つのグループによって守られている。
一つは、法の下に犯罪者を取り締まる警備隊。いわゆる警察だ。
もう一つは、冒険者ギルド。ギルドは魔物の討伐だけでなく、迷子の子犬の捜索から凶悪犯罪者の捕縛まで、警備隊だけでは手が回らない仕事を幅広く受け付けている。
一般家庭のまともな親であれば、子供が失踪すれば直ちに警備隊やギルドを頼るはずだ。
そうでないとすれば、少女は戸籍を持たないスラム街の出身者か……人魚の様に裏社会で奴隷扱いを受けていて、脱走してきたか。
今のところ、考えられる可能性はそれくらいだ。
「……ねえ、トキ。別にいいのよ。探してくれるのは、本当に感謝してもしきれないけど……せっかく、もうすぐ元の世界に帰れるんだから……」
話を聞いていた少女が、申し訳なさそうに申し出る。
「お前が誰か分かるまでは、流離世界に残るつもりだよ」
すぐに元の世界には帰れないとセルキーに言われた時、そこまで落胆したかったのはこれが原因でもある。あの場でセイレーンに俺を元の世界に帰すことができると言われても、ちょっと待ってほしいと断っていただろう。
「そんな……私一人でも、平気よ」
「本当にそうなら俺も帰るよ。でもお前のそれは、遠慮だろ」
「…………」
図星だったのか、少女は押し黙る。
……それに、出会ったばかりの少女の御魂は、自損により半壊していた。そんなのは滅多に起こることじゃない。
少女を取り巻く環境が普通じゃない可能性は、実は結構高いんだ。
だから、この少女をそのままにして俺だけ元の世界に帰るというわけにはいかない。
「…………あなたがそんな人じゃなかったら、私も楽だったのに……」
「ん? なんか言ったか、召喚士さん」
「いえ、難聴の勇者様は知らなくていいことです」
「そうか?」
確かに何か言ってたと思うんだがな。
それになにか、今の落ち着いているのとは、また別ベクトルで雰囲気の違う感じがした気がするんだが……
「召喚士さんがおしとやかに見えたのは、少女の身元の調査の進捗が芳しくなかったからか」
「……はい、そうですね」
少し間があってから、肯定する。
まあ、少女が何者なのかが分からない限りは、何も状況が進展しないわけだしな。落ち込むのも分かるが……別にそれは今までも変わらなくそうだったことだ。
今更そんなに気落ちすることはないんじゃないか。
と、俺が疑問に思っていると……
「……それともう一つ、勇者様にお願いしたいことがあるんです」
こちらも厳かな様子で、召喚士さんが言った。
「なんだ。エロいこと以外なら受け付けるぞ」
「ありがとうございます」
……ここで何のリアクションもないの、調子狂うな……。
早いとこ召喚士さんのお願いとやらを解決して、元の調子に戻ってもらおう。
そう決意して、召喚士さんの言葉に耳を傾ける。
彼女は畏まった面持ちで、こう告げてきた。
「実は、一週間後に議会の重鎮や上級貴族などが集う、舞踏会が予定されています。勇者様には、そこに私と出席して欲しいんです」