十三話 美少女fishing
豊かな森に囲まれた、広大な湖が望める人魚の国――江国アクアラクナ。
白雲が眩しく、風薫る清々しい良天候とは対称的に……湖は、まるで時が止まったがごとく凪いでいる。
あまり生物が棲んでいそうな雰囲気はない。
「……本当にここで合ってるの?」
アクアラクナまでの道なりを知っていると、威勢よく道案内役を名乗り出たのは召喚士さん。
俺たちはそれを信じて付いてきたんだが……
「合ってるはず、ですけど……。勇者様……?」
あまり自信がなかったのか、召喚士さんが肯定して欲しそうに俺を見てくる。
どうして流離世界の生まれのお前が知らないことを、俺が知ってると思ったんだよ……?
そうツッコもうとしたんだが、残念ながら肯定してやるだけの証拠を見つけてしまった。
「ここで間違いない。湖底から強い魔力を感じる」
その御魂の強さだけなら、魔王に並ぶレベルだ。おそらく女王セイレーンか、それに準ずる魔法具かなにかだろう。
俺の肯定の言を聞いた召喚士さんは、
「そうですね! 天才である私が道を間違えるなんてそんな失敗するわけないですからね!」
赤い石の杖を天に掲げて、はしゃいでいた。
一昨日の晩のことを踏まえた上でも、一々大げさなやつだな。
「この湖の中に、人魚がいるってことでいいの?」
少女が確認してくるので、俺はそれに頷き……
スッと、湖に向かって右手をのばした。
「な……何してるんですか?」
「見てれば分かる」
俺は右手に魔力を集める。紺碧に光るその手で、湖中を移動する魔力を探り当て。
伸ばしていた腕を、ぐっと手前に引くと――
水面に、影ができる。
その影は湖の凪を壊し、小さな波を立てた。
そして、次第にぶくぶくぶく……と泡が上り、
「ヒットだ」
――ざぱああぁぁん……‼
激しいしぶきと共に、湖から黒い影が飛び出してきた。
びくびくともがくように蠢いていることから、影は生き物であることが分かる。
「――ひゃうぅぅぅぅぅーっ⁉」
それはかわいい悲鳴を上げて、陸へと打ち上げられた。
「水面近くを泳いでた御魂を、魔力で引っ張り上げた」
「これが……」
「ゆ、勇者様……強引すぎます……」
身を縮こませているそれを見て、少女は感嘆の声を漏らし、召喚士さんは若干呆れ気味に肩をすくめた。
「こうでもしないと、出てきてくれなそうだったから……」
そう弁明しつつ、打ち上げた生き物に目を向ける。
黒い影だと思われていたのは、逆光のせいで。
今、湖の畔で座っているのは……魚のようなヒレに、七色に輝く鱗。陶磁器のように白い肌、左肩からへそのあたりまで垂らされた金髪の三つ編み姿。
絵画からそのまま飛び出してきたような、想像通りの美しい人魚姫だった。
その、人魚は……
「――なにっ⁉ ……あ、に、人間⁉ ご、ごめんなさい、ごめんなさい……許して……お願い……お願い……!」
ものすごく怯えていた。
「ほら勇者様! あんな釣りみたいな方法で呼び出したせいで警戒されてるじゃないですか! 可哀想ですよ!」
人魚を指さして俺を責める召喚士さんに抗弁する。
「いや……男を魅了するとかなんとか書いてあったから、もっと何事にも動じない性格なんだとばかり……悪い」
俺の中では「くっ……種馬ごときに捕まるとは……殺せ!」みたいな女騎士的反応が来ると予想していたので、この怯えようは想定外だ。
確かに今考えると、あまりにも考えなしの行動だった。反省。
と、俺が心の中で謝罪の言葉を述べている横で……
「大丈夫よ。あなたを食べようだなんて思ってないわ」
「ほ……ほんとうですかぁ……」
少女が、人魚の説得にあたっていた。
「ホントよ」
「そうですか……ありが」
「……あ、そういえば人魚のお肉を食べると不老不死になれるって、本に書いてあったわ。あれって本当なの?」
「うわああぁぁぁぁん‼ まだ死にたくないよおおぉぉぉーー‼‼」
ダメそうだった。
少女は単純な知的好奇心から質問しただけなんだろうけど……如何せんタイミングが悪すぎる。なんであのタイミングで訊いたかね、天然美少女よ。
☽
かれこれ、五分が経過し。
「ひぐ……えっぐ……ううぅ……」
「よく泣くな……召喚士さんみたいだ」
「勇者様の中での私の印象ってこんな感じなんですか⁉ ……あっ、『こんな』とは言っても別にあなたのことを卑下している訳じゃないんですよ? 今のは話の流れで……」
ようやく人魚が泣き止んできたのを見計らって、俺は声を掛けた。
「さっきは、あんな呼び方をして悪かった」
「……うぐ……あ、あの……」
「俺たちに敵意はない。危害を加えるつもりもない。……話だけでも、聞いてくれないか?」
片膝をつき、目線を合わせて話す。小動物相手に有効な手だ。今の人魚は正に、肉食動物に怯えるか弱い小動物のように思えた。
人魚は半信半疑といった様子で、俺の言葉の真意を探るような目を向けたが……
やがて、こちら側に本当に戦闘の意志がないと判断したか、その端正な顔を上げて、話を聞く耳を持ってくれた。
「……うん。いいですよ……さっきの魔法も、びっくりしたけど、怪我はしなかったから」
幾分か落ち着きを取り戻した人魚が、柔らかく微笑んでくれる。
「あわわ……やっぱり危険ですよ人魚……! そうやって理解があるフリして気を惹こうとしてるんですよきっと……!」
なにやら慌てている召喚士さんを無視して、俺は話を続ける。
「ありがとう。俺は……あー……勇者、って言えば通じるのか?」
人魚にまでその名が知れているのか分からず、疑問形になってしまった。
「ゆ……勇者……⁉ あなたが、魔王を討伐した英雄だって言うんですか……⁉」
だが、この反応を見る限り知られてるみたいだ。良かった。
「知ってるなら、話は早いな。実は、ここにはある噂を聞いてやってきたんだ」
「平和の象徴が、こんな何もない国にどんな用事……?」
心当たりがない、といった風に首を傾げる人魚。
まさか勇者が異世界人で、元の世界に帰ろうとしているだなんて考えには普通なら至らない。
「ああ、実は……」
俺はその経緯を伝えようと、口を開く。
その時、背後から勇ましい声が飛んできた。
「そこまでだ!」
翻って声の主を探すと……
そこには、二人の少年と一人の少女が立っていた。
そいつらは恰好からして、冒険者の類。
中央に立つのは、駆けだし冒険者のような服装の金髪黒目の少年。凛々しい眉と形のいい口をした中学生くらいのこいつが、俺に声を掛けた男だろう。
腰に鞘を差している事から、剣士と思われる。
その右横にいるのは、俺に声を掛けた少年より一回りほど大きい男。現代だったら俳優にでもなれそうなアマイマスクを持っているが、決してなよなよしているわけではなく、その鍛え抜かれた体格からは身体能力の高さが伺える。
背中に長槍を背負っているので、こいつはランサーだろう。
金髪黒目の背後に隠れるようにして佇むのは、息を呑むような美少女。セミロングの黒髪は艶があり、ぱっちりとした瞳からはどこか戦国武将の妻のような芯の強さを感じる。
召喚士さんのものよりも二回りほど豪華な装飾の施された杖を握っている。ヒーラーか。
……そこはかとなく、勇者パーティのような様相を呈している三人組。
俺に何の用があって話しかけたのか。
聞こうとするが、それよりも早く剣士の少年が言葉を発した。
「今すぐその人魚から離れろ、偽勇者っ!」
「……なるほど」
訊くまでもなく、あちら側から事情を説明してくれた。
こいつらは、どうやら俺が偽の勇者だと勘違いしているらしい。
「俺は本物だ」
「嘘を付くな! 勇者とは人類を長年苦しめていたかの魔王を討ちとった大英雄だ! それがどうして人魚をあんな手荒に扱う!」
……それに関しては結構真面目に反省してるから、あんまり追及しないでほしい。
「最近、セレスティアでは勇者を騙りその権威を利用して横暴な振舞いをする悪人が増えている。お前もその一人だろう!」
怒声を浴びせる剣士の言を聞いて、俺は自らの考えの至らなさを痛感する。
そんなことになってるのか……。
これは、今だからこそできる詐欺だな。
まだ俺が魔王を討伐してから日は浅い。勇者の顔が国民に知れ渡る前の今のみ有効な手口だ。
俺がもっと積極的に勇者として公の場に顔を出していれば、防げていたかもしれない。
「違いますよ! 勇者様は、本当に勇者様ですっ!」
中史の人間にあるまじき失態を悔いていると、俺の代わりに召喚士さんが剣士の言葉に反論してくれる。
「ならどうして人魚を、まるで物を扱うように引き上げたんだ!」
「それは……勇者様はそういう人なんですよ! 出会って間もない私に対しても、辛辣な態度で接してくるような人非人なんです!」
「やはり悪人なんじゃないかっ!」
ダメそうだった。
……少女もこいつも、説得が下手すぎる。
「あ、ええと違うんですよ……! それでもいいところが……ないことも……ない?」
もう俺が直接話した方が絶対早い。
「ねえ、アレックス……ホントにあの人、偽者かな? 私達、もしかしたらすごく失礼なことしてるかもしれないよ」
俺が呆れていると、ヒーラー然とした少女が剣士――アレックスと呼んでいた――にそんなことを問うた。
「……ロクサネ。けど、彼は現に人魚を手荒に扱った。ギルドからも、人魚を狙う偽勇者による被害の報告がある。状況からは、彼が本物の勇者だとはとても……」
アレックスは、ロクサネと呼んだ少女の言葉に迷うような態度をとる。
仲間の言うことだ。こちら側のもっともな言葉より、余程説得力のある風に聞こえることだろう。
というか、既に偽勇者による人魚への実害が出てるのか……。
それで、この人魚は俺に釣り上げられた時、少し異常な怯え方をしてたんだな。
「なら、やってみればいいんじゃないかな」
これまで成り行きを見守っていたランサーが、口を開いた。
「やるって……戦うってこと?」
発言の意味を問う少女に、ランサーは頷く。
「キミが本当の勇者だっていうなら、僕達よりも強いハズだよね。それを証明してみせてよ」
ランサーの言うことは、外見に似合わず喧嘩っ早いことこの上ない考えだが……
正しくは、ある。勝てば官軍、ってやつだ。
そして……それは、自分達の実力に余程の自信がなければ出てこない考えでもある。
自分達が弱かった場合、そこら辺のちょっと腕の立つ冒険者でもこいつらに勝ち、勇者を名乗ることができてしまうからだ。
勇者や魔王に次ぐ実力を持っているという自負がなければ、こんな発言はできないだろう。
「ダメよっ、そんな物騒なこと!」
荒事は嫌いなのか、少女がその提案を拒否する。が……
「分かった。いいぞ」
俺はその誘いに乗ることにした。
「でも、トキ……危ないわよ」
それでも俺が心配なのか、少女が不安そうに上目遣いで俺の顔を覗く。
「平気だ。石上との戦闘で、手加減は得意になったからな。あいつらを殺さないくらいの威力で、俺が勇者だって分からせればいいんだろ」
「そっちの心配じゃないわよ……」
俺がわざととぼけた返しをしたのがバレたか、頬を膨らませて睨む少女から目を逸らして、アレックスと呼ばれた剣士と対峙する。
「それで、どうするんだ。僕たちと戦うのか、偽勇者」
相手が確認をとってくるので、
「戦って話がつくなら、それが一番手っ取り早い。得意分野でもあるしな。……俺は勇者だ。三対一でいいぞ」
決闘を承諾するついでに、軽く挑発してやると……
「……本気だな」
アレックスが、ピクリと眉を動かした。プライドを傷つけられたと、感じたんだろう。
剣の柄に手をかけ、俺を威圧するように右足を大きく踏み抜いた。
「後悔しないでね」
「……うん。いいね」
ロクサネとランサーも、それぞれ武器を構え、臨戦態勢をとる。
「ではでは、私が審判をしますね! 私の合図と共に、戦闘を開始して下さい!」
召喚士さんが手を上げて、対峙する俺たちの丁度中心、そこから横に数十歩引いた場所に立つ。
この人……やっと自分の仕事が見つけられて喜んでやがるな、こんな状況だってのに。
まあ、召喚士さんは俺の魔力量をその目で見てるし……俺の勝ちを確信した上での、この弛緩した態度なんだろうけどさ。
「じゃあ、行きますよ――」
召喚士さんが手を振りかぶると、三人がじり、と腰を落とした。
そして、
「――ぴーっ!」
なんとも気の抜けたホイッスルまがいの合図によって、戦いの火蓋は切られたのだった。
……一方、このやり取りをずっと地べたに座ったまま聞いていた人魚はと言うと。
「どっちでもいいから……優しい人が勝ってぇ……」
半泣きで、自身の身を案じているところだった。