三十一話 『檜の間』
(七月七日、穏やかな昼下がり、中史本邸『檜の間』。和室、木目の入った柱、藺草畳。床の間に向日葵が生けられている。掛け軸には達筆な『天長地久』の文字。襖の隙間から琴の音が聴こえてくる。ルリとまほろが、バターサンドクッキーの入ったバスケットと湯飲が置かれたテーブルを挟んで座っている。二人はしばらく《月鏡》と輝夜の話をしていた。二人は芦校の制服を着ている。ルリはブラウス姿、まほろはセーターの上から上着を着用している。)
まほろ「……なるほど。ルリが『月詠会議』に参加していたのはそういう理由ですか」
るり「うん。トキが宿存派で押し通そうとしなかったらボクが出ようと思ってたけど、杞憂だったね」
まほろ「中史は中史ですから」
るり「そうだね。ずっと変わらない。昔から……」
まほろ「……ルリは、それが杞憂で終わってよかったと、思ってますか」
るり「んー? そうだねー……。(テーブルに突っ伏して)まほろはどうなの?」
まほろ「どうもこうもないです。今の私が中史をどうこうできるなんて、考えてないですよ」
るり「まほろはトキが、大嫌いなんだもんねー」
まほろ「性格の悪さは相変わらずですか。(お茶を一口飲んで)……それよりも、ルリ、今の話は本当ですか」
るり「本当だよ。四家の当主とボクだけが知ってるかな、現状」
まほろ「だとしたら……あの二人、相性最悪じゃないですか。どうするんですか」
るり「(厭味ったらしく)どうするって? ボクに二人の仲介させる気? 自分から負け犬になろうとする幼馴染ヒロインみたいに?」
まほろ「そんなこと私は言うつもりないです。そうじゃなくて、最悪の場合中史は、月見里輝夜をあの世界に置いてきたりするんじゃないですか」
るり「かもね。宿存派を標榜するトキがそんなことしたら、大変だね」
まほろ「それでは……ずっと変わらないままです。誰よりも寂しがり屋で臆病なあの人は、ずっとあのままじゃないですか」
るり「んー……それでなんでまほろがトキに冷たくするのか、ボクには分からないんだけど?」
まほろ「事情があります。いいんです。私の愛はきっと中史に伝わっています……」
るり「もはや現実逃避の域だよそれ」
まほろ「うるさいですね……いいんですよ、今の私にはこれがありますから(上着の袖をひらひらさせて)」
るり「なにそれ」
まほろ「会議の翌日に貰った中史からの私へのプレゼントです。(恍惚と)あれから毎日着てます……」
るり「多分本人はそんなつもりで渡してないと思うけど」
まほろ「それ以上本当の事を言ったら退学処分にします」
るり「職権濫用すぎる。……ま、それはそれとして。トキに関しては、大丈夫じゃない? ヒカリも一緒に行ったんでしょ、今回」
まほろ「ヒカリはダメですよ、彼女は好きになった相手を甘々に甘やかしてダメにするタイプです。ダメ男製造機ですよ」
るり「あはは、確かに。もし行くとこまでいったら、最後まで一緒に堕ちちゃうかもね。ちょっと見てみたくもあるな」
まほろ「私はイヤですよ。中史がちゃんと帰ってこなかったら泣く自信あります(誇らしげに)」
るり「今ドヤ顔するタイミングじゃなかったよ絶対」
まほろ「(話を逸らして)しかし、ヒカリの場合三年……それ以上ですか。粘り勝ちですか」
るり「トキはホントダメだよね。釣った魚に餌やらない……ならまだいいんだけど。定期的に餌与えちゃうんだもんね……」
まほろ「義務感で与えてるのがよくないです。(急に悲しげに)そういうの女には一番辛いんですよ。どうしてそれが分からないんですか」
(鹿威しの音が響く。襖が開き、菖と夜見が登場する。菖は黒の着物、夜見は中学のカットオフセーラー服を着ている)
菖「くすくす、面白い話してるわね」
夜見「(笑顔で)夜見はこの間餌もらえて満足したよ。いつかトキちゃんが夜見ともお喋りしてくれたら嬉しいな」
るり「菖さん? 大学の研究忙しいとか言ってなかった?」
菖「あんなのすぐ終わるわ。魔術学に比べたら、話聞いて本に目を通せば済むことだものね」
まほろ「夜見はどうして京都にいるんですか」
夜見「夜見はトキちゃんの帰りを待ってるんだよ。だってここでしょ? 着くのここでしょ?」
菖「くすくす、そうね。月読神社の本宮に戻ってくるはずよ」
夜見「あ、バターサンドクッキーだ。(一つ口にして)おいしい夜見ー」
まほろ「(冷静に)次それ言ったら斬り殺します」
菖「怖いわ、くすくす」
るり「それで、夜見はどうせ遊びに来ただけだろうけど、菖さんは違うよね。何の用事?」
菖「そうね、向こうで進展があったから、伝えに来たのよ」
まほろ「(眉を寄せて)まさか……」
菖「月見里輝夜、あっちで怪しい集団に捕まっちゃったみたい。(欣然と)ええ、そうよ、そうよ、光時はミスなんてしないわ。だからこれは、故意なのね。くすくす、光時、やっぱりやっちゃった、かわいい。(悩まし気に)かわいいわ、光時、お姉ちゃん、どうにかなっちゃいそう……」
夜見「こういう時の菖、ちょっと気持ち悪いから、夜見は好きじゃないな」
るり「言動で誤解されがちだけど実はわりと常識人の夜見がドン引いてるのおもしろ」
まほろ「面白がってる場合ですか。どうするんですか」
菖「(陶酔して)どうするの光時、一人で帰ってくるの、それとも異世界に籠ってしまうかしら……くすくす、どっちでもいいのよ、その時はその時、お姉ちゃんがなんとかするわ、くすくす、くすくす(部屋の中を舞うように歩き回る)」
夜見「(笑顔で)……お兄ちゃん帰ってこないの? なんで? やだ、もう会えないのやだよ……? (なおも晴れやかな笑顔で)思わせぶりなのはいいけど餌くれないのは私無理……え、耐えられる自信ないんだけど……」
まほろ「ショックのあまり素の夜見が出ちゃってますよ」
るり「みんな大慌てでおもしろ」
まほろ「だからルリはなんでそんな余裕なんですか」
るり「ん、んー……(考える素振りをする)……まあ、なんとかなるんじゃないかなって。あーでも、ヒカリがどうするかは賭けかな。最悪の場合……(突として立ち上がり、部屋の隅の荷物を漁り始める)」
菖「(立ち止まって)ルリ、帰るの?」
るり「うん。どうせ菖さんもどうなるか分かってるでしょ。九年母だっけ? あれあるんだから」
菖「そんなに便利なものじゃないのよ。でも、そうね……(……間……)やっぱり楽しみだわね」
まほろ「まあ私はなにがあっても中史の味方なので、どうでもいいといえばそれまでですが……」
夜見「トキちゃん絶対帰ってきてね、絶対だよ、夜見泣いちゃうよ」
るり「夜見の『絶対』中史とは思えないほど軽……」
菖「くすくす、くすくす」
(騒ぎながら、菖、ルリ、夜見退場。残されたまほろは湯飲を傾けて瞑目する)
まほろ「結局私たちのスタンスはなにも変わらないわけですか。(祈るように)……帰ってきてくださいね。まほろを信じてください、まほろはあなたを信じていますから……まほろはあなたを、ずっと待っていますから……」
次回、三章エピローグです。