二十九話 ――私とあなたを結んでくれる。
ツクヨミと同じ月神とはいえ、俺たちにとっては他人(他神)も同然だ。
攻撃する手が揺らぐことはなかった。
「《月降》」「《光矢》」
俺とヒカリが、牽制の魔術を飛ばす。
『……っ! いきなり容赦ないわね……!』
それを寸前で避けたライトメアナイトは、俺たちから大きく距離を取った。
彼女の元に、膨大な量の魔力が引き寄せられていく。
『――月よ影よ、集え閃く光の下に』
深紫の魔力を固めて、自らの武器を顕現させる。
『――鏡に映る汝を照らす。あまねく汝の姿を照らす。ただあるがまま、あり給え』
彼女の手元に、一枚の巨大な円盤が現れる。
『――<月照神鏡>シピュテ』
光り輝くその円盤は、一枚の神鏡。
神の魔力を発するその鏡は、あれは……
「……《月鏡》、か?」
『そ。メアの神格、メアの神器。あんたらが興味津々な《月鏡》よ』
俺は新たな術式を構築しながら、考える。
ライトメアナイトの《月鏡》は、今は輝夜が持っているという話だったはずだ。しかし実際は、目の前の月神もそれを手にしている。これはつまり……
「《五月降》」
考えるより先に体が動いていた。
ヒーロー体質の俺は、月神へ《月降》の五連撃をおみまいする。
『《月光反射鏡》』
ライトメアナイトはその攻撃を、<月照神鏡>で難なく防ぐ。
「――っ!」
そればかりか、神鏡に当たった《月降》が反射して、俺の元へと返ってくる。
遅れて俺は理解する。
《月光反射鏡》は『中史』でいう《呪々反射鏡》――カウンター魔術だ!
「(――《蛍火》!)」
ヒカリが咄嗟に光の玉をばら撒き、反射した魔術の勢いを殺してくれる。
その間に俺は態勢を立て直し、相手の出方を窺う。
『さすがはヨミの子供たちね。メアの世界の魔導師で、ここまでの人間はいないわ』
月神は落ち着いて俺たちを評価する。
ここで増長して追撃してくるようならこちらも《呪々反射鏡》でお返ししてやろうかと思っていたが、生意気な性格に反して冷静なやつだ。
……これは、短期決戦に臨むべきだろう。
「十束剣」
光が象られ、輝く利剣を手にする。
「《月降》」
光の斬撃を飛ばしながら、俺は別の魔術式をもう一つ構築する。
『《月光反射鏡》』
「……!(《七光矢》!)」
先程と似た攻防が繰り広げられる。
七本の矢による同時攻撃は反射した魔術を押し返し、<月照神鏡>に直撃するが――
やつの《月鏡》はビクともしない。
《月鏡》は神器、神そのものだ。あれを正面から突破するのは不可能と考えていいだろう。
紫閃光を試したい気もあるが、あれは魔力の消耗が激しい。できれば打たせたくない。
『そんな様子見みたいな攻撃ばっかりしてないで、さっさと全力出したら? どうせ効かないから』
《月降》や《光矢》などの弱攻撃ばかりする俺たちに、そんな煽り行為をしてくる。
「……言ったな? 後悔するなよ」
俺は少し嬉しくなる。
挑発される側に回るのは、いつ以来だろう。
少なくとも中学に上がってからは、覚えがないな。
『――神は後悔しないわ』
ライトメアナイトが、深紫に染まった妖しい笑みを浮かべる。
いいだろう。それがお望みなら、使ってやろう。
俺は先程から構築していた術式を、完成させる。
だが、先にこっちだ。
「《青海波》」
紺青の魔力が煌めき、激しい水遁が発生する。
『水属性? 海神でもあるメア相手に、それは悪手じゃ――』
だがそれは、普通の《青海波》ではない。
『いや、違う――これ、メアを狙ってない……?』
ものすごい勢いで、ドバドバ放出される水流は、月神への攻撃を目的としたものではない。
俺はただひたすらに《青海波》にて津波のごとき大海をつくりだしていく。
『なに考えてるか分からないけど、メアが黙って見てるわけ――』
「(――《鬼遣》――)」
その隙は、ヒカリが生み出してくれる。
「……(中史くんの邪魔は、させないよ)」
『なっ……に。これ、変な感じ……』
夜見も使っていた、西日川流の呪術。対象の戦意を喪失させる術。
それで一瞬ひるんだ月神は、集め始めていた魔力を霧散させてしまう。
「ナイスだ、ヒカリ」
その間も、俺の水流は止まらない。
ぐんぐんとその放出速度も上がっていき――
水浸しになったダンジョンの、その水位が上がり始める。
「どうせ落盤で、ここまでの道も塞がってるだろ」
『あんたまさか、この空間ごと――!?』
どうやら気づいたようだが、もう遅い。
《青海波》の生み出す水は、この遺跡の最下層に行き渡り――
俺たちの足首、膝、腰、胸の辺りまで――
凄まじい勢いで、水位を上昇させていく。
「息は持つか、海神」
『バカじゃないの……!?』
そしてとうとう、増した水かさが天井まで到達する。
セレスティア遺跡の最下層は、完全に水没していた。
最も、それだけでどうこうしようというつもりじゃない。
神であるライトメアナイトは当然として、俺も光も、水中で溺れ死ぬほどヤワな人間でもない。
これはただの、舞台装置。俺がこれから使う術の、前提条件を整えるための術。
「耐えろよ、セレスティアの祖神」
俺は魔術式を構築する。
金碧に煌めく高純度の魔力が、俺の御魂に集う。
集い、集い、凝集した魔力が術式に送られる。
それは《月痕》と並ぶ、三秘術の一つ。
「――《水月》」
水に映るいくつもの月が、流れ星のごとく金の尾を引いてライトメアナイトを襲う。
それはさながら、月の流星群。
青と金の流れが水の中で螺旋を描き、質量と連撃で目標を殲滅する、中史の流星群だ。
月の流星群に実態はない。
水面に浮かぶ月の光――水月のごとく、それは幻影である。
相手は《水月》に干渉することさえできず、許されるのはただ自らに降りかかる流星群を眺めることのみ。
さあ、どうする月神――
『――なるほど。水があることが、条件だったわけね』
迫りくる月の連弾を見つめながら、ライトメアナイトが言う。
月神の表情は、真剣でこそあったが――追い詰められた者のそれではなかった。
『でも、残念だったわね。メアの“全力”も、それが条件なの』
ライトメアナイトの魔力が膨れ上がる。
深紫の輝きが、流星群を照らし出した。
『ヨミの子孫を殺したくないわ。耐えなさい、ナカシトキ』
月神が、神術を行使する。
『《月》』
瞬間、世界が光に包まれた。
焼かれるような高熱の白き光――
それを突き破る、深紫の光の束。
「――ッ!?」
音を越え、光に迫るレーザービーム。
圧倒的な力で月の流星群を呑み込み、水中を奔る光。
干渉できぬはずの水月の光を、奴は自らの光で塗りつぶしたのだ。
それで、俺は悟る。
これが、神の力。月神・ライトメアナイト最強の神術なのだ、と。
「……」
回避、防御、反射、迎撃――不可能。
抗うことはできない。
俺の身体が、ライトメアナイトの光に包まれる。
「――――」
「……!(中史くんっ!)」
水中で無数に増幅する月光が、俺の身体を四方八方から照らし出す。
全身から鮮血が溢れ出し、遺跡内の水を濁らせていく。
これまでに味わったことのない苦痛が、全身に奔る。途轍もないダメージに御魂が悲鳴を上げているのが分かる。
拍動する心臓と輝きを増す御魂は、命の危機の徴に相違ない。
俺にできることは、ただ耐えることのみ。
死なないようにと、生き残るようにと、魔力の体内循環を止めずに、御魂を守ることだけだった。
「……!(中史くん……!)」
「……後は…………頼んだ、ぞ……ヒカリ――!!」
最後にそう言い残して、俺の意識は深く深く墜ちていった――
☽
中史時の意識が途切れた後、セレスティア遺跡の最深部に残っていたのは一人の少女と、一柱の女神だった。
セレスティアの月神・ライトメアナイトの神術が、ようやく収まる。
「……(中史くん……)」
意識を失い、水を飲んで身体から空気が抜けたトキが沈むのを、ヒカリが抱きとめる。
『ま、死んではないわね。でも溺れて死んじゃうかも』
どこか楽しんでいるようにも見えるライトメアナイトの言葉に、ヒカリが視線を鋭くする。
『どうする? まだやる? メアに謝ってくれるなら、その男を助けてあげるけど?』
その提案はむしろ、優しすぎるくらいだった。
トキとヒカリの不遜な態度に怒っていた月神だが、本来の彼女はこれほど攻撃的な人間ではなかった。
普段のライトメアナイトは、異世界のツクヨミと同じく、子孫を見守り、セレスティアの豊かな繁栄を願う心優しい神だ。
今はトキとヒカリの態度があまりに無礼だったから、怒っているだけで、これは彼女の本性ではない。
だからここまで理不尽な敵意を向けてくる相手にも、ライトメアナイトは最後まで手を差し伸べようとした。
「……(……許さない)」
しかし今のヒカリは、その手を取れるほど冷静ではなかった。
トキを傷つけられた怒りが、その激情だけが、今の彼女の原動力だった。
「……(中史くん……中史くん……!)」
その憤怒に呼応するように、ヒカリの身体が激しく輝く。
光が彼女を包み込むと、その姿を変質させた。
すらりと伸びていた二本の脚が、魚のような鱗と尾のついたものへと変化したのだ。
その姿は正しく、人魚族の女王、メロウ・ハル・セルキーのものだった。
実はトキは気絶する直前、ヒカリに掛けていた異術《The Forgiven》の解除を行っていた。水中ならば、こちらの方が適当だと考えたためだ。
それによりヒカリが、この世界における元の姿を取り戻したのだ。
セルキーの姿になったヒカリは、一つの魔法を行使した。
「――《人魚泳法》――」
人魚の姿に戻ったことで取り戻されたヒカリの声。それにより紡がれる、セルキーの魔法。
ヒカリの声が、セルキーの魔法が、トキの命を繋ぐ。
《人魚泳法》は水中において他種族にも人魚と同様の生態を付与する魔法だ。
水中での生活を可能にする人魚の魔法を使い、ヒカリは気を失ったトキの溺死を防いだのだ。
「ありがとう、中史くん……しばらくお休みしててね」
ヒカリはトキに、慈愛に満ちた眼差しを向ける。
想い人の頭を撫でながら、彼女は更に重ねて魔術を編纂した。
「――《檣頭電光》」
飴色の優しい光がトキを包む。
それは本来、危険な航海に出ようとする夫の無事を、妻が祈る際に使われる術。
願掛けのような、意味のない魔術だ。
しかし今のヒカリの魔術は、トキへの愛情と月神への憤怒が引き出す『想いの力』により、数段階強化されている。
だからこの《檣頭電光》は間違いなく、命の危険からトキを遠ざけてくれる幸福のお守りだった。
それはセルキーとヒカリ、異なる世界に生きる二人の力を使ってでも、絶対にトキを一人にはしないという、強い想いの表れだった。
『あんた人魚だったんだ。水中戦なら負けないってつもり?』
「《閃電雷火》」
『ちょっ――!?』
水中をバチバチと放電する光が閃き、激しい火花と共に月神に襲い掛かる。
『《月光反射鏡》!』
月神はその不意打ちを、なんとか<月照神鏡>を間に合わせることで弾き返した。
「今のが返事ということで……いいですよね……」
『あんた頭おかしいんじゃないの!? ちょっとくらい会話してくれてもいいじゃない! あの温厚なヨミからなんでこんな物騒な子孫が――』
「《蛍火》!」
『話聞きなさいよおおおぉぉぉぉぉ!!』
触れたら火傷では済まない高熱の光球を撒かれ、急いで避難するライトメアナイト。
自分たちから喧嘩を売っておいて、相方が返り討ちにされたから報復する――
それを一般的には「逆恨み」というのだが、今のヒカリにそんなことは関係なかった。
ただ目の前の忌まわしき月神が、世界一大事な人を傷つけた――ヒカリにはその事実だけで十分だった。他の事情や前後の文脈などは関係なかった。
「《七光矢》!」
背を向けて退避する相手には矢で射るのが適切――ここに至るまででそう学んでいたヒカリは、七本の光の矢を月神に飛ばした。
『メアはただあの子に会いたいだけなのに! ヨミの子孫もみんないい子だって聞いてたのに!』
そうしたヒカリの行動に、ライトメアナイトまでもが本気で憤り始める。
互いの怒りが互いの新たな激情を生み出す、不幸せスパイラルだった。
『《月懸》!』
月神は宵闇に染まった光の刃を放ち、ヒカリの術を迎撃した。
中史の《月降》と類似した神術だったが、その威力は月神のものの方が幾らか上だ。
『《月懸》』
月神が続けて深紫の光の刃を飛ばす。
「当たらない――っ!」
それをヒカリは、水中での人魚の機動力を生かして危なげなく避ける。
『っ、ちょこまかと!』
ライトメアナイトは《月懸》を撃ち続けるが、一向に標的には命中しない。月神に更なる苛立ちが募り始めた。
そんな様子を見てひとり微笑を浮かべたヒカリは、《月懸》の攻撃を避けながら月神に接近する。
『しまっ――』
優雅に舞うように水中を移動する人魚に、ライトメアナイトは一瞬で間合いを詰められてしまった。
ヒカリは次の一撃を確実に当てるために、月神との距離を縮めたのだ。
そしてこの一撃で、すべてを終わらせるために、
放つは西日川がその名に代々受け継ぐ、闇に抗うための術。
「私の力なんて、月神には遠く及ばないけど……あなたの役に立てるなら、私はなんだってするよ」
想いの力により強化された、ヒカリの御魂が煌めく。
「誰よりも優しくて臆病なあなたが、ようやく私を頼ってくれたから――」
これで倒せなければ、ヒカリに為す術はない。
「あなたが伸ばしてくれた手を、信じようとする心を……」
そんな思いからも、ヒカリは丁寧な所作で、しかし迅速に魔術式を構築してみせた。
「西日川光は、絶対に離さない――!」
綺麗な飴色の魔力が光り輝く。
「――――《光》――――」
優しい月の光が、セレスティア遺跡に満ちていく。
ダンジョンの闇を明るく照らす光に、ライトメアナイトは包まれた。
『きゃああっ――!』
瞬間、ライトメアナイトの光と闇が反転する。
世界を光であまねく照らし、それに従わないものは内部から闇で覆い尽くす、西日川の一方的な《光》。
『う、う……い、痛い……熱いよ……!!』
ヒカリに「異物」と認定されたライトメアナイトの御魂が、徐々に闇で蝕まれていく。
闇で塗りつぶされた御魂はやがて光に照らされて、存在は無へと帰す。
このままでは、月神は死に至る運命だ。
『このっ――好き勝手、して――調子に乗らないでッ!』
自身の存在が揺らぐことの恐怖心と、理不尽な暴力への怒りに、ライトメアナイトの御魂が呼応する。
深紫の輝きが月神を包み、強力な神術を構築するための魔力が満ちる。
『メアが黙ってやられるわけ、ないでしょっ!』
月神は自らの死に抗うため、神術を行使した。
『《沫雪望月桜花》――!』
自然の力を凝縮した七色の光が放出される。
光と光の衝突。
西日川の《光》と、月神の《沫雪望月桜花》が互いの領域を奪い合い、激しく鬩ぎ合う。
「負けない――!」
ヒカリが魔力を送り、押し切ろうとするが――
『あんまり、神を舐めないで!』
ライトメアナイトが叫ぶと、彼女の矜持に共鳴した超自然の七色の光が燦爛と輝き――
「あっ――きゃああああぁぁぁっ――!」
月神の光が押し返し、ヒカリの魔術は《沫雪望月桜花》に包まれて消滅してしまった。
七色の輝きはヒカリを遠方に吹き飛ばし、彼女は身体を地面に強く打ち付けてしまう。
「うっ……く……」
『はっ……はぁ……こ、こんなに手こずるなんて、思わなかったわ……!』
しかし月神の方も、無傷とはいかなかった。
『な、なんなの、あんたら……ヨミの子孫って、みんなこんな化け物みたいな強さなの……?』
《月》に《沫雪望月桜花》という二つの強力な神術を放った月神は、いつになく疲弊していた。
そもそも彼女は、不足した魔力を回復するために祠で眠っていたのだ。
そこをトキとヒカリに叩き起こされ、喧嘩を売りつけられた。
これはこれから輝夜に会おうとする彼女にとって、間違いなく不運な出来事だった。
『って、そんなこと言ってる場合じゃない! もし手遅れになってたら、一生恨むわよ……!』
二人を倒し、当初の目的を思い出したライトメアナイトは手早く神術を行使する。
『《月航》』
ツクヨミの《月渡》にも似た時空間転移術で、虚空に消えた月神。
後には軽傷のヒカリと、気絶したトキだけが残った。