九話 藤原京物見遊山
「中世ヨーロッパ風の世界から、古代の日本とか……温度差でやけどしそうだな」
飛鳥時代と言われて、知識はある程度持っている中史の俺だが、流石に実際にその時代の風景を見たことはない。
ということで、実地調査も兼ねた都の散策をしようという事になった。
「なんだかスース―する……」
「だいぶ粗いつくりだからな。……というかお前は昨日まで来てた服の方が薄そうだっただろ」
お忍びというほどではないが、貴族の恰好のままだと色々目立って仕方がない。
ということで、俺たちはこの時代の農民の服装である、緑に染められた麻の服を着て逍遥している。
流離世界のそれに比べると粗末なものだが、仕方ない。
「思ったよりは庶民も多いんだな」
午後の都はそこそこ活気づいていた。……と言っても大半の人間は畑仕事に勤しんでいる。明日を生きるために懸命に農具を振るう姿が散見される。一日中同じことをしているのか、彼らが笑顔を見せる様子はない。この時代、庶民は度重なる税収により困窮した生活を強いられていた。
「おお……中納言様」
と、こちらに気が付いた農民の一人が作業の手を止めて、中納言と呼んだ。
俺のことだ。
「精が出ますね」
俺は別段驚かずに笑顔で応じる。
この時代の身分差や差別意識を考えると、庶民から貴族に話しかけるようなことはありえない。
というのにこの人のよさそうな農民が俺に対して気軽に声を掛けたのには、「中史」の普段の立ち振る舞いが関係している。
冬時の記憶によると、この時の中史は庶民に優しく、下々のことを考えた政策を上に進言していたらしい。貧困層の実態をよく知るために、今のように直接庶民たちと言葉を交わしていたんだとか。
それで自分達のことを考えてくれる稀有な貴族ということで、庶民からの中史の評判は良好。こうしてむこうから話しかけてもらえるくらいには身分による溝がないということだった。
「出過ぎてもよくないよ。精も根も尽きて、このままじゃ今年の冬を越せるかも怪しい」
「俺たちが直接支援できればと、いつも言っているんですがね」
この時代の中史はこれまでに何度か、仲のいい農民へ食料の配給や税の負担などの支援を申し出たことがある。
しかしそのすべてを農民の側から断られていた。
それはなにも「貴族からの施しは受けない」といったプライドが邪魔をしていたわけではなく、
「んなことしたら最後よ。俺も私もと飢えた人間がヤマト中から集まってくる。そいつら全員の面倒みてたら、いくら中納言様でも三日で素寒貧でしょう」
貴族が農民に施しを与えた、なんて事例が一度でもできてしまえば、二度目三度目を断る理由がないため無際限にそれを続けなくてはならなくなる。そんなことをしていたら、今度は俺たち側が貧しくなるだけだ。
この人はそれを危惧して、俺たちの申し出を断っていた。
「まったく、あなた方は人が良すぎていけない。……おや」
頭をぽりぽりとかいていた農民が、俺の横に立つ少女を認める。
「こりゃ随分とお美しい。まるで天女様だ」
目を見開いて、少女の容姿を褒める農民。
その反応は明らかに初対面のものだった。
それもそのはずだろう。
なんたって少女は、ほんの一か月前に竹の中から拾われてきたばかりなんだから。
「この方は?」
といってもそれをそのまま伝えるわけにもいかないので、
「分家の次女が産んだ子ですよ。今日は軽い顔合わせです」
適当に嘘を言って誤魔化す。中史の一族は分家も合わせれば相当数になるから、嘘に気づかれることはないだろう。
「こんにちは」
ぺこり、と礼をして挨拶の言葉を発する少女。
「おお、頭なんて下げる必要ないです。そんなことで貴族の品格が疑われでもしたら、こちらは申し訳なくて死ぬしかないです」
農民は慌ててそれを止めさせる。いろんなところに気が回るいい人である。
「……? 分かったわ」
少女は分かってなさそうな顔と声でそう答えた。
生後一か月では農民のこの微妙な配慮が理解できなくても仕方ない。
「よくしてもらってるこちらが言うのも違うかもしれませんが……お人好しも、過ぎると身の破滅を招きますよ、中納言様」
俺はこの言葉を特に気にすることなく受け流すことにした。それは冬時に言ってくれ、俺じゃなくてさ。
☽
「優しいのね」
農民と別れた後、再び歩き出した俺たちは都の外を目指す。
しばらくすると少女はこくん、と首を傾けながらそんなことを口にした。
「誰が?」
「トキ以外に誰がいるのよ」
ジト目で寄られるが、
「あれは冬時とか、この時代の中史のしたことだろ。俺だったらあんなことはしない」
記憶がインプットされているとはいえ、「時」と「冬時」の区別はつく。
少なくとも農民の感謝は、「時」の俺に向けられたものではない。
「同じことよ。御魂が同じなんだから、同一人物みたいなものでしょ?」
「……気づいてたのか」
実は、「時」と「冬時」、「少女」と「姫様」の御魂は、それぞれ完全に同一のものなのだ。俺が目覚めたとき、寝ぼけていてなかなか周囲の異常に気づけなかったのにはこの事も起因している。
他人の御魂に俺の記憶だけ流し込まれた、とかそういうのだったら違和感にもすぐ気づけたんだろうが……この体はそうではなかった。
全く異なる世界、異なる時代に生きる二人の有する御魂が、完全に同一のものだという事実。
御魂は肉体の死後、輪廻の輪に乗って転生するのでありえない事ではないんだが……
この場合、どちらかがどちらかの御魂に乗り移った、などという話ではなくなってくる。
どちらも時、どちらも冬時の御魂。
言うなればこの状態は、そう――御魂の同期だ。
「だから、どっちもトキのしたことよ。それに、流離世界の私を救ってくれたのは、間違いなくトキでしょ?」
どこか嬉しそうに、同意を求めるように微笑む少女。
「目の前に死にかけの人間がいて、自分がそいつを助ける手立てを持ってたら……誰だって助けるだろ。今回は、たまたまそれが俺だっただけだよ」
「トキが私を助けてくれた事実は、認めるのね?」
そう言うと、したり顔の少女は俺の返事も待たずに歩みを早め、先に行ってしまう。
なんだなんだ、急にスキップなんてし出して……テンション上がる要素あったか? 今の会話に。
「おい、待てよ。あんまり離れて迷子にでもなったら……」
本当に迷子になるわけはないと分かっているので、半ば冗談で言ったんだが……
「……ん?」
ふと、視界の端に一人の男を捉えた。
紺や橙の煌びやかな色合いで着飾った着物を纏い、烏帽子のような被り物をしたそいつは……服装から分かるが、貴族だ。それもかなり偉い……。
「あいつ、少女の方を見て……」
人通りの少ない路地に立つその貴族は、抃舞する少女をじっと観察している。
「かわいいと人目を引くのか…………いや」
あの男、どこか装いがおかしい。
男の周囲に纏う魔力が、少し変な動きをしている。
中史としての経験が言っている。……あの男は敵だ。
どこの誰か、と冬時の記憶を探るよりも早く、俺は第六感で危険を察知した。
「……っ」
男に睨まれている少女の元へ駆ける。
「……勘のいい男よ」
俺の接近に気づいたらしいそいつが、独り言ち、右の掌を少女の方へと向けた。
その掌に……ゆっくりと、魔力が集まり出す。
やはり……この男は陰陽師だ。それも、以前会ったことがある。冬時の記憶から、男の素性も把握することができた。前に俺のことを襲ってきた……中史を目の敵にしている、とある一族の男だ。
「だが遅いっ!」
男の手に集まった魔力が、凝縮、圧縮され――高密度・高精度の魔術式を展開していく。
「……え? な、なに……⁉」
男が大声を出したことで、少女が異変に気付いた。
少女は俺と男とを繰り返し見比べ、おおよその状況を掴んだらしい。
俺に、助けを求めるように目を向ける。
だが、俺と少女の間にはまだ距離がある。
「中史冬時! 貴様とてこう先手を打たれては敵うまい!」
男は俺の名を叫ぶ。
確かに男の言うように、普通の魔術師は魔術一つを使うのに10秒近くを要するため、こういった不意打ちには弱い。こいつはそれを知っていて、奇襲を仕掛けてきたんだろう。
狙いは、あくまで俺。というか、中史。
少女が狙われているのは、俺の素振りから少女が俺の身内だと判断したからだろう。
「目の前で親族が死ぬ姿を、その眼にしかと焼き付けておくのだな!」
やがて魔力は、淡い紫の光を宿し――
「――《夙之叢雲》ッ‼」
男の手から、無数の楕円形の光弾が射出された。
それらは目にもとまらぬ速度で少女の元へと飛来する。
「きゃあっ⁉」
少女が咄嗟にしゃがんだことで、光弾はその奥の雑木林に当たり、重音を立てて木々を抉っていく。
「魔術が不得手なお前では、どうすることもできまい! 《夙之叢雲》‼」
すかさず二の矢が放たれる。
薄紫の光弾は、少女の足元に着弾し、舗装されていない道路上に土煙を上げる。
「さあどうする! このままそこの女が死にゆくのを指をくわえぐはああぁッッ…………‼」
俺が魔力波を飛ばすと、男は口から血を吐いて膝をついた。
「ト、トキ……!」
その隙に、少女は俺の元へ駆け寄る。
「な、何をした…………⁉」
苦し気な表情の男が俺を睨む。
御魂を直接傷つけられたというのに、大した気力だな。
「今、お前が魔術を使う様子はなかったはず……」
「そうだろうな。魔力波を飛ばしただけだ」
要は、うちわで扇いだ風で物を倒したに過ぎない。
「嘘をつけ! それでここまでの威力になるわけがはああぁっっ……‼‼」
もう一度魔力波を飛ばしてやると、男は苦痛に顔を歪め地面に倒れる。
「本当なら、お前が少女に敵意を向けた瞬間に攻撃してやっても良かったんだがな」
この男は勘違いをしているが、別に俺はいつでも魔術でこいつの光弾を迎え撃つことはできた。
俺は中史だ。あの程度の奇襲に対応できないようでは、無事に明日を迎えることもできない。
「だが冬時の立場も考えて、それはやめた」
「な、何を……⁉」
困惑と恐怖を露わにする男に、俺は続ける。
「苦労したぞ。お前が死なないように、最低限度の密度で魔力波を飛ばすのは。おかげで最初の攻撃を防げなかった」
だが俺が反撃をしなかったのは、この男の命を案じてのことだ。
中史の使う魔術は総じて強力。それもこの時代より400年分も進んだ技術の魔術だ。
そんなものを俺が使ったら、こいつの魔術を相殺するどころか完全に打ち消して、その余波で本人の御魂まで消し飛びかねない。
使い勝手が良いため気に入っている《月降》なんかを放った日には、どれだけ威力を軽減しても殺さないことは難しいだろう。
そのため俺はこいつを死なせないよう、針に糸を通すように慎重に大気中の魔力を操り、最小威力の魔力波を放ったのだ。
そんなことをするのは初めてで、少々手間取ってしまった。
「確かに冬時は、魔術が苦手だが」
こいつは、少女を危険に晒した。
その事実が、俺の怒りをふつふつと湧き上がらせる。
「ちょっと事情が複雑でな。今の俺は、お前よりも強いぞ」