二十八話 【心音ASMR】耳から最高に気持ちいいとろける催眠誘導。耳かき・囁き・落石
……。
…………。
「……(……)」
背中が痛い。
「……収まった……か」
暗い。
落盤して構造の変化したダンジョン内。
新たにできた落石による壁の隙間からわずかに差し込む光だけが、視界を確保してくれる。
ひどい落盤が起こったが、なんとか俺たちは生きていた。
昔から運は良い方だ。
落盤した天井に押しつぶされて圧死する未来だけは、避けられたらしかった。
身体を動かすと、背中に乗っかっていた岩石がゴロゴロと両脇に落ちる。
一着はヒカリにやったため、わざわざ街で買い直した自慢の黒ロングコートが、ところどころ破けてしまっている。帰ったら要修繕だ。
「……、ぐっ、ごほっ、ごほっ……」
空気中に舞う砂埃を吸ったのだろう、ヒカリが咽る。その咳はごくごく至近距離から聞こえてくる。
「……(な、中史くん)」
明暗順応である程度目の前の光景が見えるようになる。
俺の目の前には、ヒカリの顔があった。
彼女の碧の瞳が、暗闇の中で仄かに光っているのが安心できた。
「無事か、ヒカリ」
「……(うん……中史くんが、守ってくれたから)」
「その台詞、最近よく聞くな」
遺跡の振動が本格化したあの瞬間、俺はヒカリをどうにか落盤による被害から守ろうとした。それで咄嗟にヒカリを押し倒し、覆い被さったのだ。
結果として、ヒカリはこうして俺の腕の中にいる。背中の傷は剣士にとっては恥らしいが、俺にとっては間違いなく名誉勲章だった。
「……(ふふ……中史くん、頬に土がついてるよ)」
そう言って、ヒカリは俺の頬をその手でごしごしと拭ってくれた。
「……(中史くん……。こんなに近くに、中史くんがいる、ね……)」
そのままヒカリは、俺の頬をさすりながら、花が咲いたような笑みを浮かべる。
「――――」
……こ……
……これは、よくないんじゃないか……なにか。
なにか、なにか。こんな暗い場所で、ひと気もない場所で、若い男女が、二人っきり、こんなに密着して、だなんて……
今更といえば、今更、だが……
命を落としていたかもしれない落盤の危機から逃れて、抱き合うという、この……
タイミングと、シチュエーションの問題で……よくない。
「なあ、ヒカリ」
「……?(どうしたの、中史くん?)」
きょとんとするヒカリ。
その無垢そうな顔がいけない。
俺は寸前のところで自制心を総動員させていた。
「この場で愛の告白をしたら、頑張って帰ろうという気になれるかな」
「……!?(えっ……あ、愛の……こくはく……)」
暗闇の中でも分かる朱色の頬が、サッと横に動いたのが見える。仰臥したままのヒカリが……俺の顔を視界から外すためだろう、顔を背けたのだ。
「答えてくれ」
もし頷いたら、冗談ではなく前進する気だった。
「……、……、……(う、うん……えっと、ね……どう、だろ……この状況で、そんなこと言われたら……私、どうにかなっちゃう、かも……)」
だがヒカリは、限界まで顔を真っ赤にして、そう答えた。
「そうか……。なら、言わない……」
「……(う、うん……)」
ヒカリは気まずそうだったが、俺は心の靄が晴れてすっきりしていた。
「……(ね、ねえ……中史くん……)」
落盤した遺跡内はしんとしていて、俺たちの話し声以外は風の音すら聞こえなかった。
「ん?」
「……、……(私の心臓の音……ドキドキしてる音、聞こえる、かな……)」
ヒカリが正面を向いて、俺の目を見つめてくる。
「……いや、この距離だと聞こえないな……」
「……(そ、そっか……)」
どこか潤った彼女の瞳に、吸い込まれるのではないかと思った。
「…………?(じゃ、じゃあ……私の心臓の鼓動、聞こえるように……もっとくっついて、みる……?)」
「え……」
「……! ……!(う、嘘だよ! 今のなしだよ、中史くん……!)」
「あ、ああ……」
「……(うん……)」
俺とヒカリは、どこからともなく視線を逸らす。
「…………」
今度こそ、正真正銘、気まずかった。
☽
お互いに平常心を取り戻した後、ヒカリが《燎》で視界を確保して行動開始。
落盤で変形したダンジョンは、落石がひどく崩落した道は途切れ途切れで足場が悪く、もはや天然の洞窟を探索しているのと変わらなかった。
そして見つけたのが、大きな落とし穴。
恐らく大きな岩か何かが落ちてできた穴。
覗けど覗けど、どこまで続いているのか分からない。無間地獄のような不気味さのある大きな穴。
「(《昊》)」
光の効果範囲を拡大させる魔術を使うと、その正体を隠す闇が晴れ、全貌が露わになる。
目測で、深さは約150mほど。俺たちなら落ちても死ぬ高さじゃない。
「試しに降りてみるか」
「……(うん)」
ヒカリとしっかり手をつないで、3、2、1の合図で飛び降りる。
魂が抜けるような感覚に襲われるが、天帝の背から飛び降りた俺にとってはこの程度、遊びみたいなもんだ。
――グシャ。
数秒間の浮遊を終えて、着地する。
実際なんのアクシデントも起こらず、むしろ複雑骨折したお互いの脚を治癒魔術で治し合うことで、俺たちの絆はさらに深まった。
降りた先は、ダンジョンの深層だった。
先程までの天然洞窟と違って、しっかりと整備された地下遺跡の通路。
通常もっと手間をかけてここまで下りてくるところを、俺たちは落盤で偶然できた穴からショートカットしたというわけだ。
「やっぱり俺たちは運が良いみたいだな」
「……?(これで目的達成、かな?)」
――だからここは、ダンジョンの深層部。
セレスティアの歴史の中で千年以上未踏とされてきた、遺跡の最奥。
そこにもはや、ヒカリの《燎》は必要なかった。
妖しい深紫の輝きが、最奥に鎮座する祠から放出されているのだ。
これは魔力の粒子。
極めて高い密度、圧倒的な質量を誇る、深紫の魔力。
『あんたたちね、メアの庭で騒いでたのは』
その魔力の持ち主が、声を発する。
鄙びた、小さな祠から。
莫大な魔力が解き放たれる。
『メア今、寝てたんだけど。あんたたちのせいで寝覚めが最悪よ。どうしてくれんの?』
「寝てた? 夜の神様が夜に寝るなよ。仕事しろ」
祠から放出される魔力の粒子が凝集し、一つ所に形をつくる。
光が象られた浮遊する人形は、少女の姿。
似紫のハーフアップ、大きな三日月の髪飾り。
夜空のような深い青のドレスを身に纏った、造り物のように美しい、月の女神。
「俺たちは、お前と話をしにきた」
『……へえ?』
セレスティアの月神――ライトメアナイト。
この世界の《月鏡》の持ち主で、すべての事情を知る神だ。
『メアがここにいると知ってて来たってわけ?』
腕を組み、月光を凝縮したような花葉色の双眸で、こちらを睥睨するライトメアナイト。
ツクヨミが性格悪く成長したら、きっとこんな感じなんだろう。
「そうだ。セイクリッドに聞いたら、教えてくれたよ」
『そ。あの子はお人好しだから、意外でもないわ』
セイクリッドのことを、あの子、と言った。
薄々そうではないかと思っていたが……やっぱり、血のつながりがあるんだな。
「セレスティア王家ってのは、お前の子孫か」
『そうよ。あんたらがヨミを始祖と崇めるように、あの子たちはメアの力を継いで国を治めてる』
「俺たちを……『中史』を知ってるのか」
『当然でしょ。メアとヨミは姉妹みたいなものだもの』
まあツクヨミのことをヨミなんてあだ名で呼ぶやつはこいつくらいだから、仲が良いのは察しが付くが。それで互いの世界のことを知っているわけか。
『それよりあんたたち、三人でこっちに来たでしょ。どうせ起こされたなら、メアはそのもう一人に会いたいんだけど。今どこにいるの?』
「……」
ヒカリが俺の手をとる。
発する魔力は正しく神のもの。多少の緊張は付き物だろう。
「輝夜のことか? あいつなら今はエンテレケイア……アレックスたちと一緒に、セレスティアで留守番してるよ」
『――そ』
一音、そう呟いて。
ライトメアナイトは、すぐさま神術を構築する。
おそらくは転移の魔術。ツクヨミの《月渡》と類似した術だろう。
「《月降》」
『なっ――!?』
俺は月神に攻撃することで、術式の構築を妨害した。
当然、ライトメアナイトは気分を害する。
『ちょっとっ、なにすんのよ!』
「最初に言っただろ、俺たちはお前と話をしにきたんだよ。勝手にどっか行くな」
こいつには《月鏡》のことを聞きにきたのだ。
同じく《月鏡》を持つ輝夜に会いたがっているようだが、あいつの前でその話をするわけにもいかない。
『いやいや、なんでメアがあんたらの言うこと聞かなきゃいけないわけ?』
「…………!」
ヒカリが口パクで何かを主張していた。
『……その子なんて言ったの?』
「従わないなら力づくで、だそうだ」
『物騒だわっ!』
「それが俺たちのやり方だ」
俺たちの主張を受けたライトメアナイトは、不機嫌そうに眉を顰めた。
『ねえ、あんたらメアのこと舐め過ぎじゃない?』
ツクヨミと違って、分かりやすいやつだ。怒りの表情を浮かべている。
どうやら俺たちの行動が、神の逆鱗に触れたらしい。
『そもそも最初から無礼なのよ、あんたら。ヨミの子孫だっていうから大目に見てあげてたけど、もう限界だわ』
ライトメアナイトが、深紫の魔力を操り、神術を構築する。
こうなることは分かっていた。
俺とヒカリは目くばせをして、覚悟を決める。
「こっちの質問に答えてくれるまで、ここを通すつもりはないぞ」
『いいわ。あんたら軽く捻り潰して、すぐにセレスティアに行くから』
異世界、セレスティア遺跡の最奥にて――
月神VS月神の子孫の戦いが、人知れず始まった。