二十四話 (こ、これって……お前は俺だけのお姫さまって、ことなのかな……っ)
今後のことを考えるためにも、一度落ち着いて話せる場所に移動したい。
ということで、女王の家でもある宮城に入り、ヒカリの自室に案内してもらった。ちなみに、ヒカリの上半身が裸でエロい(直球)問題は、俺がロングコートを脱いで貸すことで解決した。露出が少ない人魚というのもそれはそれでえっちだな。
そんな価値ある思索を終えて、俺はヒカリの部屋を見回した。
「これはまたすごいな……」
「そ、そう……かな……」
外壁がサンゴ礁など自然物で構成されてるため、女王の自室も同じなのかと思っていたが……
めちゃくちゃ豪華に飾られた、THE・女王様の自室だった。
中史として和風建築は見慣れている俺だが、こういう西洋風のキラキラした部屋にはあまり縁がない。俺はちょっと緊張していた。
「でも、よかったのか? 人間を勝手に入国させて」
以前は人間による人魚差別の影響で、アクアラクナに入国するだけでもメフィに頼んで数週間かかったのに。
「最初は、止められたよ……でも、みんなに中史くんは大丈夫って言ったら、納得してくれた……きっと、中史くんの『勇者』としての活躍のおかげ、だね……」
メフィを思い出すぞいのポーズでにこにこ、ヒカリが俺を褒めたたえてくれるが……
多分、お前の一生懸命な姿に心打たれたんだよ、みんな。
セルキーじゃ無理で、ヒカリなら押し切れた理由は多分それだ。俺と彼女の関係値の差。
「あ、そ、それで思い出した、けど……」
ヒカリは人魚としての身体をくねらせて、俺との距離を縮めた。
「こっちの世界でも、中史くん、守ってくれてたん、だね……『勇者』として、私のこと……」
一瞬なんのことかと思ったが……
アクアラクナ湖畔での、戦闘時のトラブルを指しているんだろう。
俺を偽勇者と勘違いしたアレックスとの戦闘中。俺の《月降》を逸らしたアレックスだったが、その逸らした方向が運悪く……その先に座っていたセルキーに、あたりそうになったのだ。
それに対して、俺は《月痕》の力を使って被害を防いだ。
あのことだ。
「あの頃はただ、死人を出さないようにと思っての行動だったけど……そうだな。今ならあの時、あの行動を取って良かったと思えるよ」
何気なく行っていたことが、意味があるものだったと知る。それは存外嬉しい知らせだった。
「うん……」
でも、そうか。
ヒカリがセルキーだというなら……裏を返せば、セルキーの言動はすなわちヒカリの言動なのだ。ということは……
「ヒカリは……俺のことを、下の名前で呼びたかったのか?」
「っ!?」
ぼんっ……と顔を真っ赤にして、ヒカリが固まってしまった。
これは……図星だな。
「お前、あの後俺にそう言ってたよな」
セルキーが言っていたことを思い出す。
――『じゃ、じゃあ……トキ、って……名前で呼んでも、いいですか……?』
勇者である俺にわざわざ断りを入れてまで、そう呼ぼうとしていたセルキー。あの時は単なる、親愛の証的なものだと思っていたが……
「あ、あの、あの、ね……それは、ね……」
このテンパり具合を見るに、あれはヒカリの本心。
普段引っ込み思案で言い出せなかったヒカリの本音を、メロウは自己紹介の流れに乗じて口にしたのだ。
「それは、そうなんだけど……む、昔は、そうだった、けど……」
中学の頃だろうか。……そういえば……そんな素振りが、あったような、なかったような……?
「今はもう、中史くんは、中史くんだから……よ、呼び方に、関係は左右されない……し」
「無理に変える気もないか」
「……うん」
それはそうだろうが……正論すぎてもつまらんな。
これまでなら、ここで引いていただろうが……それじゃダメなんだよな。父さんや八重には、そうしないだろうし。
「一回呼んでみてくれないか、トキって」
「え、あ、う?」
ヒカリはちょっとこっちが引くくらい動揺していた。
だが、嫌がる素振りはない。
押せばいける(確信)。
「身体はセルキーなんだし、むしろそっちの方が自然じゃないかなー」
と、俺がわざとらしくいじわるを言ってやると……
「……ト……トキ、の……いじわる……」
ぷくーっ。
誘導通りに、出てくれた。いつものヒカリの、子供っぽい癖。しかしいつもとは違う呼び名。
「……か」
……かわいい。
かわいい!
あの時のセルキーが勇気を出してくれたことで、まわりまわって俺の心が幸福に包まれたのだ。ヒカリ(セルキー)には感謝しなければ……
「お、おしまい……もう、言わない……!」
「ああ、ありがとう。いろいろ満たされたよ」
「中史くんのへんたい……」
不名誉な。
「でも、嬉しいな……」
エム……?
「――そ、そうやって……中史くんが、私とお話してくれる、の……」
「……ヒカリ」
引っ込み思案で、人前で話すのも下手くそなくせに……
ヒカリは両手を合わせて、上目遣いになりながらも、そう言ってくれたのだ。
俺はその姿に、何も言えなくなってしまった。
自分のことをよく見てくれてる……なんて、ヒカリは俺のことを言うけれど。
彼女はもっとずっと俺のことを見ていてくれた。
こんなにも俺の事を見てくれていた相手を……俺はこれまで無視してきたのか。
「見落としていただけで、居場所は案外、すぐ近くに、ね……」
いつか、どこかの誰かに言った言葉がリフレインする。
自分のこともまだまだ見えていなかったのに、偉そうな奴だ。
結局俺は、お前に頼りきりだった頃から、何も変わってなかったみたいだよ。八重。
「……ありがとう」
それは二人に向けた言葉だった。
感謝と共に、色々なものが吐き出された気がする。
それで俺の心は軽くなった。
「よし、すぐにセレスティアに戻ろう。『中史』としての仕事再開だ」
「うんっ」
くすぐったそうにヒカリは微笑んだ。この対等な関係が父さん達とのものだけでなくなったことこそを、俺は喜んだ。
☽
人魚たちにはあれこれと理由をつけた。女王は国内の見回りをするとかいうことになって皆が会おうとして会えない理由を作ったからこれで大丈夫だろう。
しかし一つ問題があった。
汀に差し掛かった時、それは浮き彫りになった。
「私、歩けない……」
ピチピチとヒカリの尾が水を打つ。
今のヒカリは人魚。
下半身が魚の状態では、陸を移動することはできなかった。
「……俺が負ぶるか?」
「――! そ、それは……っ!」
ヒカリが赤くなる。
「……いや、だめだな」
いろんな理由から無理だ。
ヒカリは恥ずかしいだろうし、足がないと背負うのも大変だし……なにより、この国の事情を考えると、人間が人魚を抱えて移動するという図は、事情を知らない人間は変な勘違いするだろう。要するに拉致の現行犯と疑われかねない。
ギルドで少し話を聞いたが、依然として人魚と人間の関係は悪いままらしかった。
「どうしよう……」
一応人魚といえど、地上を移動することはできると言えばできる。だがそんな地べたを這いつくばるような真似はヒカリにさせたくないし、その横で歩きたくもない。
「……試してみるか」
成功すれば何とかなる方法が一つだけある。というか、ここでしか使えない方法が。
「中史くん、何か方法があるの……?」
「ああ。――ヒカリ、人魚姫の話は読んだことあるよな」
「あ、アンデルセンの? ある、よ……リ〇ル・マ〇メイドの原作、だよね……」
認識の仕方がかわいい。
「作中に、今とまんま同じ展開があるだろ」
「お、王子様に会うために……魔女に、魚の尻尾を人間の脚に変えて、もらう……?」
「それだ。その魔術を使う」
俺の発言に、ヒカリは瞠目する。
「つ、使えるの……? だって、それ――」
「ああ。外国の魔術だ」
中史は基本、日本の魔術しか覚えない。それで国内の問題にはほとんど対処できるから、それ以外を覚える必要がないのだ。
またもう一つの理由に、技量不足というのもある。数学で筆算の方法が各国により異なるように、術式の構築法や用いる言語も国や文化圏によって異なる。そのため日本の魔術が使えるからと言って、海外の魔術も同様に使えるとは限らない。
異なる文化圏の魔術を覚えるのは、第二言語を習得するのに似ている。
「な、中史くん……異術使えたん、だね……やっぱり、すごい、な……」
自国のものでない魔術を、日本では異術と呼ぶ。
「『月詠会議』で……椛が、海外の魔術について言及してただろ。あれを聞いて、俺も次期当主として怠けてられないと思ってな」
大義さんら特課と共に剪定派シンパの対処に当たる傍ら、暇を見て異術の特訓を積んでいた。
……中史だって、いつまでも国内に閉じ籠っているわけにもいかない。
「ただ、まだ勉強中なんだよ。だから、上手く行くかどうか分からない。なにより、異術を他人に試したことがない」
だからあまり、気は進まない。
という俺の弱気を感じとってか、ヒカリが……
「それでも……やってみよう、よ……」
と、自分から提案してくる。
「いいのか?」
「うん……中史くんのこと、信じてる、し……失敗しても、それで中史くんが成長できる、なら……私、いい、よ……」
「……お前は優しすぎるよ」
そして、危うい優しさだ。俺次第で、自分の身が危険に晒されるというのに。
……だが、それがヒカリにとって、人を信じる事、なんだろう。
「わかった。やろう」
ならば、報いないわけにはいかない。
「まだ慣れてないから、無詠唱は無理なんだよな……」
海の魔女の魔術をそのまま真似るわけにはいかない。それではヒカリは声を失い、歩くたびに激痛が走るという重い対価を支払うことになってしまう。
その対価を奪う効果だけ消して、魔術式を構築する――
御魂に魔力が集まったのを感じて、俺は詠唱を行う。
「《……Oh Gods,My dear neighbor……Thou shalt leave thyself in my hands……》」
紺碧色の粒子が、ヒカリを包み込む。
「《The Forgiven》」
繭のような輝きの中に閉ざされたヒカリ。
明滅する煌めきと共に、徐々にその光が弱まり、姿が露わになっていく。
顔、髪、上半身……その姿は、いつものセルキーのもので……
「…………」
黒のロングコートからは、二本の脚がすらりと伸びていた。
人間の脚だ。
「……成功、か?」
光が収まり、彼女は自身の身体を確認する。
一歩、二歩、歩いてみるが特に異常は見受けられない。
どこもおかしいところはなさそうだ。
そう安心した彼女は、俺に話かけるため、口を開いたのだが……
「……っ……?」
ヒカリはぱくぱくと口を動かすだけで、何も言葉を発さない。
「………………!」
いや……これは、発せないのだろう。
「……! ……っ」
……あぁ。
「……まぁ、そう上手くはいかないか……」
「……、……!」
ふるふると首を横に振って、そんなことないよ、気にしてないよ、とジェスチャーするヒカリ。
今はその優しさが沁みる。
「すまない」
なんとか、セレスティアまで二人で歩くことは、できるようになったけれど。その代わりに。
ヒカリは、声を失ってしまった。