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幻月のセレナ -世界と記憶と転生のお話-  作者: 佐倉しもうさ
第三章 而して浮生は夢のごとし
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二十三話  ――つながる手と手が、世界を超えて、

 ざぶん、と大きな音がした。


 空に舞うしぶきが、日光を受けて水平線上に輝いた。風は止み、重力から解放され、晴れやかに澄んだ青空には雲一つなかった。


「……ヒカリ」


 口は利ける。御魂に意識を向けるが、その燈火は絶えてはいない。どうやら俺は生き残ることができたらしかった。大空に抱かれて自由落下し、固い地面に頭から着地してそこがそのまま人生の着地点となる最悪の結末だけは、回避できたみたいだよ。中史の人間は地上一万メートルからダイブしても死なない! 豆知識が増えたな。


「ここは……」

 

 五体満足なのを確認したので、次は場所の確認。俺は周囲を見渡して、視覚情報をかき集める。


「海? いや、広い湖……」


 ここは湖の真っ只中だった。俺の身体はずぶ濡れで、自慢の黒ロングコートも水を吸って重くなっている。


 湖中には、数多くの魔力反応が確認できる。

 それらは水中を悠々と泳いでいるが、急に動きが止まったり、水中での縦軸移動が妙にスムーズなあたり、魚群ではない。


 魚ではない生物が多く住む広い湖の名前を、俺は一つ知っていた。


江国(こうこく)アクアラクナ……この場所に落ちたのか……」


 最近切ってないせいで多少長くなってきた前髪。水で濡れて鬱陶しいのをかき上げ、俺は自分がなんのためにここにいるのかを思い出す。


「ヒカリッ!」


 ばしゃあっ――と白い飛沫を上げながら、俺はアクアラクナの湖を泳いで……否、ほとんど藻掻くように進んでいく。


 正しいフォームで泳ぐだとか、水中の移動を楽にする魔術を使うだとか、そんな余裕はなかった。


 メダカの背に乗って上空を飛んでいた時、唐突に俺の御魂が魔力を感知した。


 とてもよく見知った、ヒカリの魔力反応。


 場所は、ほぼ直下――つまりこの湖、アクアラクナの中。

 

 どうして水中からヒカリの反応がしたのかは分からないが――間違いはない。


 俺があいつの魔力反応を間違えるわけがない。


 あいつはここにいる!


「ヒカリィィッ!!」

 

 彼女の名前を、湖の中心で叫ぶ。


 俺はここにいるぞ、と主張するごとく。

 

「クソ、落下した影響で御魂が弱ってるのか……魔力が探知できない……」


 俺は祈る。


 奇跡は待つものではなく起こすもの? 知るか、この世に本物の<神>がいるなら叶えやがれ。奇跡でもなんでもいいから、あいつに会わせろ!


 ――。


「……ぁ……」


 その時――


 俺の疲弊した御魂でも分かる、強い強い魔力反応が――


 アクアラクナの湖底から、ぐんぐんと速度を上げて接近してきている!


「…………」


 間違いない。


 この魔力波は、あいつだ。


「…………」


 ついにそれが、ここへ到達する。


 水面に影が浮かび、大きく膨れ上がり――


「――中史くんっ!」


 一つの黒い影が、水中に飛び上がる。


「ヒカリ!」


 水面を割って現れた、俺の大切な人。


 金髪の三つ編み姿、透き通る空みたいな碧眼。

 七色に輝く鱗に、キレイな魚のヒレ。


 容姿こそ異なるが、その魂までは偽れない。


「「よかったっ――」」


 二人の声が重なる。

 落下するヒカリを、俺は懐に抱きとめた。


 あたたかい。血の通った人の温もり。

 

 御魂の嫌悪感など、微塵も覚えない。

 そんなものが阻むことのできる想いではなかった。


「会えてよかった……中史くん……!」


 俺は腕に力を込めて、ヒカリをきつく抱きしめる。

 ヒカリの心臓の鼓動が伝わってくる。


「ああ、俺もだ……もう会えないかと思った……」


 俺の背に回されたヒカリの腕が震えている。

 震えるほど強く、彼女もまた、俺を抱きしめてくれていた。

 

「……ごめんなさい……あなたが何を恐れているのか、分かっていたのに……あなたを、一人にしてしまった……っ」


 俺の胸に顔をうずめるヒカリの表情は窺い知れない。

 しかし嗚咽混じりの震えた声から、彼女が優しい涙を流していることは想像するまでもなかった。


「いい、いいんだ……今こうして無事でいてくれたから……また会えたから……」

 

 俺はこれまで、ヒカリに伝えるべきことをなにも伝えていなかった。

 それでも彼女は俺を見て、俺の求めるものを分かってくれていたのだ。


 だからこれからは、せめて彼女への想いと、自分の心を、言葉にして伝えていこうと思った。


 ……それからしばらくの間、俺たちは抱き合ったままだった。


 森から水浴びにきた水鳥が再び飛んでいった頃、俺から腕の力を抜いた。


 その代わりに手をつなぐ。


 右手と右手だったから、自然と恋人繋ぎになったのが嬉しかった。


「ふふ……中史くんだ、ね……」


 俺の顔を見て、ヒカリが可憐な笑みを浮かべる。


 今の西洋的な顔立ちの彼女の微笑みは、どこか蠱惑的な魅力を持っていた。


「何も言わず、いなくなってごめんね……中史くん」


「もう離れないでくれ。離さないでくれ。この腕にお前を抱いた代わりに、弱くなってしまった俺を」


 そう言って軽く、もう一度だけ抱き合った。


「うん……」


 彼女が頷いたのを確かに聞いて、俺たちは離れる。


 それで再会はおしまい。


 ここからは中史として、状況の整理に努める。


「――それで、中史くんは……ど、どうしてこんなところに、いるの……?」


 こっちは戻らなくてよかったどもり癖まで復活していた。


「ドラゴンに乗って空を飛んでたら、真下からヒカリの魔力反応がしたから飛び降りたんだ」


「中史くん……! そ、そんなに私のこと……嬉しい、なぁ……!」


 事情を聞いたヒカリは、にへらぁと赤くなって満点の笑顔を見せてくれた。やっぱり身投げしてよかった。今度からヒカリが落ち込んでる時は高いところから落ちて見せよう。きっと笑ってくれる。


「でも、そっか……だから急に、国内に中史くんの反応がしたんだ、ね……」


 ヒカリからしたら、どこからともなく湖に現れた俺の魔力反応を発見したのだ、驚いたことだろう。


「それで私、宮城にいたんだけど……一秒でも早く、中史くんに会わなきゃって……」


 その言葉で俺はまた胸がいっぱいになるんだが、それは心に留めておいて、


「ところで、ヒカリ……その姿はなんだ」


「うん、これは……」


 と言って、ヒカリが自分の体に目を向けると……


「………………ぁ」


 俺の質問の意図とは違うところに、引っかかってしまったらしい。

 

 絹のような柔肌。

 触れたら崩れてしまいそうな細い肩、形の整ったほどよいふくらみ、キレイなおへそに、モデルのようなくびれ――

 すなわち、露出した上半身を……ずっと俺に曝していた事実に、気づいてしまった。


「――――!!」


 ――ひしっ。


 ものすごい速さで、ヒカリは俺との三度目の抱擁を果たした。


「おい、ヒカリ?」


「だめ」


「……え?」


「…………だめだよ、中史くん……見えちゃうから、離れたら見えちゃうから、このまま……!!」


 懐から、くぐもった声がする。


 長い金髪からちょこんと覗く耳は、端から付け根まで真っ赤になっていた。


「……見られちゃってた……私の、は、裸……中史くんに、ずっと見られてた……っ」


 小動物のようにぎゅっと縮こまって、そのまま、ずるずると下がっていき……ぶくぶくぶく……


 水中に身を潜めてしまった。


 水面に金髪だけが浮かんでいて、ちょっとしたホラーだ。黒髪だったら濡れ女と見紛っただろう。


 そのまま、十秒、三十秒……一分が経過しても、ヒカリは顔を出さない。

 泡すら出ていないことを見ると、肺呼吸をしていない。


「俺が聞きたかったのはそっちだよ、ヒカリ。……その人魚の姿は、一体なんだ?」


「ぶくぶくぶく……うん……」


 顔の上から半分だけ出して、ヒカリは返事をしてくれた。


 そうだ。


 今のヒカリは、人魚の姿をしていた。


 上半身が人間、下半身が魚の空想生物。しかしこの世界においては、実在する種族。

 

 江国アクアラクナに棲息する、人魚族(マーメイド)だ。


「なんで人魚、しかも……」


 ヒカリは、それだけではなく。


 かなり似ているから、あまり違和感はないけれど。


 その顔立ちは、あの西日川光のものではなく――


「セルキーの姿をしてるんだ?」


 人魚族(マーメイド)女王(セイレーン)、メロウ・ハル・セルキ―。


 俺と輝夜を元の世界に送り還そうと頑張ってくれた、心優しい人魚の少女。


 今のヒカリの御魂は、セルキーの身体に宿っていた。


「私も……わ、分からないん、だけど……この世界に転移した瞬間から、私、こうだったよ……」


 ふむ。

 徐々に回復してきた魔力を込めた右目でヒカリの御魂を観察するが……

 

 それは、あの時のセルキーの御魂そのままだった。

 ヒカリの御魂が憑依している……わけでもなさそうだ。


 御魂はセルキーのまま、ヒカリの意識が表出している。


「どういうことだ?」


 そもそもヒカリの御魂はどこへ……いや。


「ヒカリ、もしかしてセルキーとしての記憶があったりするか?」


「え……うん、そうだよ、中史くん……なんで分かったの? 私じゃない私の記憶が、あるの……光としての記憶と、セルキーとしての記憶が、二つ……それなのに、身体は成長してないから、おかしいなって……」


 私じゃない私、と言ったな。


 そういうことなのか?


「ヒカリ、現時点で体に違和感はないか? 腕を動かした時の感覚にズレがあるとか、魔力の体内循環が思うようにいかないとか……」


「ううん。それが、ないの。びっくりするほど、ヒカリとおんなじだよ」


「やっぱりそうか。じゃあそれは、お前の御魂だ」


「え……?」


 俺の言葉に瞠目するヒカリ。ピンと来ていないようなので、俺は続ける。


「正確には、()()()()()()()()の御魂――すなわちセルキーの御魂、だ」


「この世界の私が、セルキー……」


 それには彼女自身納得するものがあったのか、ヒカリは胸に手を当てて――水中で見えないけど水面の影的にそういう動きだ――考え込む。


「この世界が並行世界だって話を、『月詠会議』で父さん達から聞いたよな」


「うん」


「ここは今でこそ独立していても、元は同じ枝から分岐した世界……姉さんは、こっちとあっちの世界は姉妹みたいなものだと言っていた」


「それじゃあ……世界と一緒に、ヒトの御魂も……分岐して二つになってるってこと……? この世界の私の御魂は、セルキーとして生まれて、元の世界では、光として生まれた、って……」


「……いや、というよりも魂の『同期』……みたいなものだと思う」


 複数の同一の御魂が並行世界上に同時に存在することなんて、あっていいのか? 干渉しない前提での並行世界だというのに、転移による御魂の『同期』なんて干渉以外の何ものでもない……それをどうにかするのが『理』の外の力だが、だとしても……御魂が同一だというなら、それは枝が分岐するたびに質量が倍になるようなもので……無数の分岐した世界の数だけそれが起こっているなら、この世界に魔力の総量なんてものは……


 そもそもこんなこと、俺や輝夜の時には起こらなかったのに……どうして……


「ああ、ダメだ。考えるにしても、元の知識が足らなすぎる……無知故にいくらでも可能性を思いついちゃうから、考察自体が無意味だ……もっと姉さんから、並行世界についてちゃんと聞いておくんだったな」


 エロゲでやったから知ってるとか言って、科学や魔術学に舐め腐った態度取ってた仇が……ここに来て響くな。よく考えたらエロゲなんてwikiに載ってるようなことしか教えてくれないしあてになりませんね、はい。


「とにかく、この世界に転移した時点で、ヒカリの御魂はセルキーの御魂としてこの世界に存在し始めたんだ。それは元は同一の御魂で、新しく情報を追加するような処理ではなかったから、記憶が倍になったにも関わらず身体の成長はしなかった……ってことにしておこう。今は」


 記憶が倍に……というと、似たようなことは輝夜の《月夢(ルナ)》でも経験したが、あれは明確に《月鏡》による魔術だと判明している。あれとは性質が違う……? いや、記憶を保持するところまで魔術の作用とは限らない……?


 うーん、分からん。


「えっと……どういうこと?」


 俺もよく分からないが、とにかく今言える事は、


「お前はお前だってことだよ。ヒカリでもセルキーでもあるお前だ。名前を呼ぶときは、付き合いの長いヒカリの方で呼ばせてもらうけど」


「そっか……うん。そんな気がしてきた……私は私、だね……」


 ヒカリはそう言って、にこーっ。今日何度目か分からない笑顔を見せてくれた。

 一日に女の子の泣き顔と笑顔を何回も見られるのは、男としてはかなり幸せなことなんじゃないか? ちょっと悪い考えっぽいけど。

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