八話 幻夢(後編)
歴史モノに見えるようなカテゴリーエラーっぽい内容ですが、異世界転移モノとしての雰囲気が崩れない範囲内でストーリー展開していきます。歴史の知識などは一切必要ありません。
館内での事務や中央官庁での仕事など、一通りの用事を済ませた後。午後のことだ。
従者などが暮らすための館で待機していた少女の下へと向かい、話し合いを開始する。
「結論から言うと、俺たちは精神だけそれぞれこの時代の人間の御魂にインプットされてる、ってことみたいだな」
半日この時代で過ごしたが、誰も俺の存在を不審がる素振りはなかった。
この肉体は昨日までも普通に俺として生活していた、ということだ。
俺がそうなのだから、少女も同じことだろう。
つまり、俺は「中史時」としての記憶と精神のみを、この肉体に宿る御魂に流し込まれた状態なのだ。
「言われてみれば、確かにそんな感じだわ。この身体、確かに私とそっくりだけど、全部が全部同じってわけじゃないみたいだから」
俺が立てた推論に少女が納得してくれたのを確認し、次の話に移る。
「まず俺は、あの『流離世界』の宿屋で眠りについた。その時、隣の部屋にお前もいた。そこまではいいな」
流離世界、と言うのは異世界のことだ。
俺が元の世界から迷い込んだ世界だから、流離いの世界。
この名称は、元の世界の住人である俺と、流離世界の住人である少女とでコミュニケーションをとる際、話し手によって「異世界」だの「俺の世界」だの「お前の世界」だの名詞が異なるのは非常に面倒くさい。ので、混乱するのを防ぐために作った造語である。
俺と少女の間のみで伝わる簡易的なジャーゴンと言うわけだ。
「えっと……うん、ほぼ合ってるわ」
少女の返答はどこか玉虫色だったが、俺は話を続ける。
「そして、起きたらこの世界にいた」
「そうね。寝てて、起きたら知らない場所にいた、ってことは……」
ここに因果関係を見出すとしたら……
「一番必然性が高いのは、これが夢だという結論だな」
「それが夢だと自覚できる夢……明晰夢ね?」
ピンときた、とばかりに少女が表情を明るくする。
「お前、そういう知識は残ってるんだな」
記憶喪失だというのに、どちらかと言えば一般常識というよりは専門寄りである明晰夢については覚えているらしい。
……実は記憶喪失じゃなくて、少女がすべて裏で糸を引いていた黒幕、なんていうことの伏線だったりしてくれるなよ。
これ以上考慮すべき事項が増えると、流石に頭が混乱してくるからな。
「メタ視点的に考えたら一番ありえそうなのが嫌だな……」
「トキが何を勘違いしてるのかは分からないけど――そうね。多分、私に関する記憶だけを失ってるんだと思う。普通に生活する分には、何も問題ないから」
「なるほどな」
いわゆる、意味記憶とエピソード記憶というやつだ。
少女は後者のみを忘れているんだろう。
だとしたら、魔法のことについて忘れていたのは謎だが。
魔法が人生に直接関係するような立ち場……冒険者だったりしたのか?
……この歳でそれはないか。
「まあいい。話を戻すが……そういうことだ」
宿屋で寝て、ここで起きた。
「だからこれは、明晰夢。……それも俺とお前が偶然同じ夢を見ているっていう、奇跡みたいな明晰夢だ」
「そう言われると……なんだか、夢だと思わない方が自然ね?」
あえてそういう言い方をしたんだが、少女には通じたらしい。
少女の言うように、これが普通の夢だとしたら、今の少女と話している状況はだいぶ特殊なものということになる。
それに、そもそもからして目の前で喋っている少女が自我を持った存在であるという確証もない。
全部俺が見ている夢の中での妄想だという事もあり得る。
それに関しては、もし本当に夢だった場合、目覚めた後に確認すればいいことか。
「じゃあ他の可能性って言うと……どんなの?」
どこか哲学じみてきた思考を中断し、少女の問いに答える。
「第三者の手によって、魔術かなんかで、寝てる間に精神だけこの世界に飛ばされた、って線か」
「御魂を転移させる魔術……召喚士さんがトキを流離世界に召喚したのと、同じ原理で、ってこと? そんなこと、本当にできるの?」
魔術の才がある少女だからこそ、世界間転移の術がどれだけ困難を極める魔術であるのか、分かるんだろう。
少女はその存在を疑っている。
「俺の始祖……神様や、それ専用の能力を持つ者なら可能だろうが……十中八九、普通の人間には無理だな」
流離世界には召喚士を名乗るアホがいた気もするが、あの職業は名前だけの見せかけだろうしな。
あいつにできるのは中級の攻撃魔術ぐらいなのでノーカウントでいいだろう。
……あと料理もできるか。あれは本当に美味しかったな。
「人間には無理……他の種族の仕業ってこと?」
「俺は流離世界について詳しくは知らないから、どんな種族が存在するのかも理解してないんだが……人間より魔術の扱いに長けた種族とかがいるんだったら、それの仕業かもしれないな。覚えてるか?」
訊ねるが、
「ごめんなさい……分からないわ」
悄然と俯いてしまう。
覚えてないか、もしくは最初から他種族なんて存在しないか……
「試しに聞いてみただけだ。責めてるわけじゃない」
「……ありがとう」
まだ平安貴族のそれほどは派手ではない簡素な着物の袖を揺らして、少女が微笑む。
――それに、夢や転移魔術という可能性は、実際のところほぼほぼ皆無だと言ってもいい。
なんとなれば、
「この記憶があるからな……」
「……」
俺たちが起きたすぐあとに脳内に取り込まれた、この世界の俺たちの記憶。
「ただの明晰夢。寝てる間に御魂が別のところへ転移されたという事件性のある出来事。……この二つの説じゃ、記憶のことを説明できない」
「なら……そのどちらでもない、全く別の原因だってこと?」
「もしくは、そのどちらでもある、ということも考えられるけどな。とにかくこの記憶のことがある以上、俺たちの常識は通じない」
「これだけ話し合った後で身も蓋もない言い方だけど……まともに考えるだけ無駄ってことね?」
俺と同じ結論――すなわち思考の放棄という極致に帰結した少女が、同意を求めるように目を合わせてくる。
「そうだな。だからこそ今大事なのは、この状況に至った経緯の解明じゃない。この世界での俺たちの立ち位置の把握して、流離世界に帰る方法を見つけ出すことだ」
俺がそう結論付けると、少女は俺を指して言う。
「私達の生い立ち……まずトキは、フユトキ、よね。――私を、見つけてくれた」
少女の言う通り。
この時代の俺の名前は、中史冬時。
中史とついている事からも分かることだが、元の俺と同じ、中史氏を持つ、中史本家の嫡子で……
「つまり、俺の直系のご先祖様ってことになるな」
「ご先祖様……本当なの? この記憶が、第三者によって一から作られた偽のものだって可能性は……」
「ないな。もしこの状況が第三者によるもので、そいつがなんらかの魔術を使ってこの絵を描いたんだとしても……少なくとも、この身体が『中史冬時』のものであることは間違いない」
「なんで、言い切れるの?」
首を傾げる少女。
「『時』の方の俺が、知ってるからだ。飛鳥時代末期に活躍した、中史冬時って先祖がいることをな」
中史の家系図の中に、冬時の文字を見たことがある。
そこそこ有能な人物として身内界隈では有名で、功績なんかも一通り記憶しているから分かることだ。
「へえ……どんなことをした人なの?」
興味津々、といった風な少女。だが……
「『藤原不比等らと共に大宝律令・養老令の編纂を行い、平城京遷都の際にも尽力した人物』…………って言われて、分かるか?」
「分からない……」
俺は敢えて少女に対して、不親切な説明をした。そう心掛けた。
案の定、少女は言葉の不明瞭を嘆いて眉を落とす。
この時代、屋敷に引き籠り、政治に疎い女の少女にはチンプンカンプンだろう。
「別に意地悪で難しく言ってるんじゃないぞ。……俺たちの目的は、元の世界に帰ることだろ?」
それだけ言うと、聡い少女は俺の言わんとすることを理解したらしく、
「必要以上にこの時代のことを知る必要はないってことね。直接政治に携わるトキはともかく、私はここで貴族の作法を学んだりするだけだから。……分かったわ。そっちは、トキに任せるわ」
俺の言を継ぎ、納得してくれる。
こいつ……年齢の割に少々賢すぎないか?
俺がこのくらいの時なんて……ああ記憶ないんだった。覚えてないや。
「そういうことだ」
歴史の勉強がしたいなら学校に行けばいい。
詳しい歴史的事実なんかはどうでもいいんだ。
なんかすごい権力持ってた藤原氏とかいうのいたなぁ、ぐらいで捉えてくれればそれでいい。
俺たちはあくまで流離世界から来た魔術師で、歴史小説の主人公じゃない。
「……それだけすごい一族だってことが分かればいいんでしょ? 『中史』が」
「そうだな。日本において皇族の次に権威がある、古い延臣の一族。……それが俺の生まれである、中史家だ。この時代でも、他のどの貴族よりも偉いのは確かだ」
「ある程度自由に探索できるなら、良いことね」
こういうことを言って、変に敬われたりしても嫌だったので……すんなりと受け入れ、態度を変えないでいてくれる少女に、心の中で感謝する。
「――とまあ、中史冬時についてはそれくらいだな。特に『あの中史の嫡子に悲しい過去……!』的なのもない」
「私の記憶の中のフユトキも、そういうのはないわ」
少女がそう言ったところで、俺の記憶についての話は一段落する。
あまり重要な情報は得られなかった気がするな。
「じゃあ……次は私ね」
居住まいを正して、少女が自分の胸に手を当てた。
俺はそれを見て……微妙に、暗い気持ちになる。
それは少女に関する一つの――そして最も重要な記憶に起因する変化であって……
視点は異なるものの、俺と同じ記憶を持つ――俺もその場にいたためだ――少女もまた、苦笑する。
そして――頭痛が痛くなり、馬から落馬しそうになるその事実を口にしたのだった。
「私は二週間前――竹の中から、拾われたわ。竹を刈りに来た、フユトキによって」