さぼり side:本条花凜
ハンカチを教室に忘れた。いつもならポケットに入っているはずなのに。
汗ふき用のフェイスタオルはちゃんと持ってきたが、ハンカチはすっかり存在を忘れていた。
多分、リュックに入れっぱなしなのだろう。
お昼までまだ時間がある。
だから私は、お昼が来るまで待たず自分の教室に行くことにした。
いつも持っているものを持っていないと、どこか不安な気持ちになるからだ。
いくら体育祭とはいえ、授業をさぼっているような気がして申し訳ない罪悪感を感じる。
先生に出会わないだろうか、きょろきょろしながら私は生徒玄関へ向かった。
運良く誰にも会わず、生徒玄関に着き私は内履きに履き替える。校舎の中は、いつぞやの始業式の時みたいにしんと静まり返っていた。
(急がなきゃ)
私は少し駆け足で自分の教室へ向かった。
だんだんと教室が見えてきた。どうやら教室のドアは開けっ放しになっているようだ。
普段あまり運動しないせいか、少しの距離を走っただけで息が切れてしまった。
自分の教室に入る前に、私はゆっくりと息を整える。
そして教室に1歩、足を踏み入れた瞬間私は見てしまった。いや、見えてしまった。
教室の後ろの、窓側の隅に座っている人"たち"を。
斉藤くんと、綾瀬さんの姿を。
2人の姿を見た瞬間、周りの時間が酷くゆっくりになって空気が重くなるのを感じた。
2人の姿だけが光に照らされた様に強調され、他の景色が全て真っ黒になる。呼吸するのも、瞬きするのも忘れるほど視線が釘付けになる。
そして、見てはいけないものを見てしまったという罪悪感が私を我に返した。
私はここにいてはいけない、見てはいけない、何も見ていない。
私は教室に踏み入れた1歩を、静かに後ろに下げた。早く立ち去らなければ、という気持ちが私を焦らせる。
体の方向を教室から生徒玄関の方へゆっくりと変える。しかし、その時にキュッと、靴と廊下の摩擦音が鳴ってしまった。
静寂の校舎の中では、摩擦音はうるさいほど響いた。
私はもうだめだ、とそう思いとっさに走った。
生徒玄関まで走ってしまえばこっちのものだ。見てしまったのが私だと分からなければいい。
私はただがむしゃらに走った。
本当の目的である、ハンカチのことなんてすっかり忘れていた。
生徒玄関はとても遠くにあるように感じる。
走っている最中、感じていた罪悪感は消え、代わりに痛みを感じていた。
心が痛い、苦しい。
そう感じる理由はわかっている。けれど今はそんなことを考えている場合ではない。
あと少しで生徒玄関に着くという所で、
「待って!」
という声が聞こえた。
この声は多分、綾瀬さんだ。
バレたんだ、見てしまったことを、そう思った。
でもここで止まるわけにはいかない。
「待って! 待って!」
と、綾瀬さんの声が校舎内をこだまする。
それでも私は足を止めない。
もう少し、ほんの少しだ。このまま逃げて、さっきのことは忘れればいい。
もう着くのに。
それなのに。
それなのに、私は足を止めてしまった。
なぜなら……
「待って……花凜!」
私の名前を、呼ばれたから。




