譲れないもの
「もう、俺に関わらないでくれ」
俺は本条に、はっきりとそう言い切った。しかし、この言葉が嘘偽りないかと言われたら確実にイエスとは言えない。
俺は昼休みまでの授業中に、いろんなことを考えていた。
本当に言うべきなのか、放置でもいいんじゃないか。呼び出したのが誰かに見られたら、逆に噂話が広がる。
けれど、言わないとずっとこのまま話しかけられる気がする。というか絶対話しかけてくる。だから、ここではっきりさせるべきなのだ。
今更本音などどうでもいい。何も変わらないことが一番いいから。
建前でいいんだ。建前がいいんだ。
そして今に至る。
酷く時間が長く感じられる。本条は俺の言葉を聞いてから視線を下に下げ、俯くようにしてなにか考え事をしているようだった。時間にして30秒くらいだろうか、本条が再びその真っ直ぐな視線で俺を見て、口を開く。
「嫌よ」
予想通りの返答だ。
「どうしてだ」
呆れた口調で俺は聞き返す。
「言ったでしょ。私は嘘が嫌いなの」
「だからって他人事だろ、お前には関係ない」
「うるさい。私はあなたを見過ごすことなんてできない」
何を言っても無駄だと思った。呆れて、諦めて、ここで会話をやめればよかった。
しかし俺は、引き下がらなかった。湧き上がる苛立ちが俺の口調を荒らげ、早めた。
「うるせぇのはどっちだよ! こっちはもううんざりなんだよ! 俺は今まで嘘をついて、建前で生きてきたんだ、お前には関係ないことだろ! ただでさえ本条が話しかけてくるせいでクラスのヤツらに恋愛うんぬんで噂話になってるんだ、もう面倒なんだよ! いい加減にしてくれ!」
顔が熱い。怒り慣れてないせいで、考えていないことまで言ってしまっている。
握った拳は、切り忘れた長い爪がくい込んでいて痛かった。
本条は、顔色一つ変えずに俺を見てる。
「あなたの言いたいことはわかった。でも、私にも譲れないものがあるの」
本条の声はいつもと違った。
力強く、決意の感じさせられる声だ。
「私は嘘を許さない、嘘で生きてる人間なんて絶対に見過ごさない。あなただって心の中ではきっと本音が言いたいはずよ」
その、まるで人の気持ちが分かってると言いたげな本条の目にひどく嫌気がさす。
何もわからないくせに。何も知らないくせに。
「俺の何がわかるって言うんだ! 関係ないって言ってるだ……」
「じゃああなたに私の何がわかるって言うの!」
突然、本条が声を荒らげた。
俺はびっくりして言葉を失ってしまった。
「私は知ってるの! 嘘をついたせいで忘れられない後悔をした人を! 嘘をつかれて、裏切られた人の気持ちをね!」
本条は涙を流していた。
理由などわかるはずもない。
ただ、俺を見る本条の視線が酷く脳裏に焼き付いた。
「私はあなたに後悔して欲しくない……。私はまた、嘘がバレて絶望する顔を見たくない……。あの時、伸ばせなかった手を、今度は……」
俺は何も言えなかった。だって何も知らないから。本条が何を言っているのかわからなかったから。
しばらくお互いの間に沈黙が続く。本条の荒げた呼吸音が教室内に響いている。
本条が落ち着き始めたとわかった所で、俺は口を開いた。
「お前の友達のことなんて知らねえよ。俺は俺のやりたいようにやる、それだけだ」
そして俺は、本条を残して教室を出た。
自分の教室までの道のりが長く感じる。
(最後、適当なことを言ったな……)
俺は後悔していた。
珍しく熱くなって、適当なことを言った。そして女の子を、泣かせてしまった。
俺のせいじゃない、俺は正しいことをしたんだ。
そう、自分に言い聞かせることしか出来なかった。