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作者: 希恵和

変わりたかった全ての自分へ


高校2年の時,クラスに一人だけ、変なのがいた.

彼女は、何かがおかしかった.

本来であれば普通の部類に入るはずの彼女は、何故か一般大衆に含んではならないような気がした.


そんな女性だった.


そもそも,『変』ということばは,どこからやってくるのか.

目で見たものか,耳で聞いたものか.大抵はこの二つのどちらかのように思う.


彼女の場合,その両方が異常だった.


彼女をとりまく現状は一見して普通でありながら、異常でもあった。

そして、それに関連する彼女の言動は,日本語として成立していなかったように思う.


彼女の何がおかしいのか.最初は自分にも良く分からなかった.ただ一つだけ.彼女をしばらく観察していて,ふと浮かんだ感想だけは明白だった.


『――こいつ,紅茶のんでるとこしか見たことねえな』だ.


彼女の名前は『カワハラサヨ』.姓がカワハラ,名がサヨ.それにどんな字を当てるのかは未だ分からない.カワハラというのだから,おそらく川原なのだと考えられる.サヨという名はもしかしたらひらがなだったかもしれないし,そうでないかもしれない.もしかしたらサヨではなく,サチとかサキだったかもしれない.


近年個人情報保護が厳重になったおかげか,自分の通っていた高校では連絡網というものが作成され配布されるようなことはなかった.またクラス分けと称して氏名を掲示板に貼るようなこともなかった.クラスメイトのそれも親しくもない人間の名前は,なんとなく耳に入っただけのうろ覚え状態にしかならないのだから,きっと聞き間違いも多いだろう.


親しくはないが,それでもクラスメイトである.

プリント配布やグループワークで何かしら話しかけなければならない場合もある.そういう時,自分は彼女のことを「カワハラさん」と呼んでいた.彼女の方は自分をどんな風に呼んでくれていたのか,よくおぼえていない.


カワハラさんはいつも紅茶を飲んでいた.某飲料メーカーの回し者かと言いたくなるようなヘビーローテーションでペットボトル型飲料水をを消費していた.休み時間でも,授業中でも,いつでもカワハラさんは紅茶のラベルの付いたペットボトルを持ち歩き,ひと動作ごとにその中身を摂取していた.

この頃は確かで世間で熱中症が騒がれ出した時代だったように思う.それに付随して学校での水分補給に口うるさくなり,授業中でも水分補給としてなら,紅茶,ジュースなどジャンルを問わず,摂取しても良いことになっていたし,机の上に置いても咎められることはなかった.


とは言っても,カワハラさんの紅茶の摂取量は尋常じゃなかった。

カワハラさんは一気飲みをするタイプの人ではない.少量を口に含むような飲み方をしていたが,その頻度がすさまじかった.500ミリリットルのペットボトルの残骸が,彼女の机の下に置かれていた.転がるのを防止してなのか,飲み終わったペットボトル数本は輪ゴムで丁寧にいくつかのブロックにまとめられていた.まとめられていたとしても,ペットボトルのブロックが積み重なっていく様は,傍から見れば異常な光景だった.自分はさすがにドン引いた.


ところが,周囲はそれを気にも留めていなかった.

 

 なぜか,その光景は自分以外のクラスメイトには受け入れられていたのだ.

 カワハラさんの作るぺットボトルの残骸は,だれの目にも留まらずに,日常として認識されていたのだ.カワハラさんの紅茶好きについて,クラスメイトに意見を求めると,皆口をそろえてこう言った.「カワハラさんが何を飲んでいるかなんて,気にしたことがなかった」と.誰もがカワハラさんの異常な紅茶愛を認識していなかった.もしや自分以外クラスメイトの誰もが某飲料メーカーの紅茶を知らないのかもしれない.そう思ったが,さすがにそれはなかった.某飲料メーカーの紅茶の知名度は,地域性,年齢で脅かされるものではなかった.


 では,なぜ,カワハラさんの異常は,皆には異常にみえていないのか.

当時の自分は、確か自分では答えを出せなかった.直接,本人に聞いてみるしか答えは無いと思い,聞くにあたった.カワハラさんにその問いかけを投げかけた時も,やはり彼女は紅茶を飲んでいた.あの時,彼女が飲んでいたのはレモンティーだったように思う.黄色のラベルが視界をちらついたことだけはなんとなく覚えている.


カワハラさんはこう言った.

「この紅茶は大人になれた場合のものだから」と.

 

 一瞬,何を言っているか分からなかったが,数秒立っても何を言ってくれたのか理解できなかった.詳しい解説を求めたところ,彼女が彼女なりにかみ砕いて説明してくれた.

「そもそも大人というイデアは,今の時点およびそれより起点に近しい時点には存在しないから.みんながいつも見ている紅茶は,今私が持っている紅茶より,起点に近しい存在なんだよ.皆は起点の周辺しか見えない.でも,私は大人に近いものしか見えない.私は一部の中間視野を持つ人間の領域を間借りすることで,存在を固定させているだけ.だから,起点しか見えない人間には,私の持っているこの飲料水は知覚できない」

「つまり私は大人のイデアを見れる立場でありながら,楽園に近いってこと.故にイデアを正確に記憶する人間のみにしか見えないものもあるの」

 結局説明してもらっても意味が分からなかったので,適当に相づちをうって,その場が逃げ去った.話に付き合えば,付き合うだけ無駄な時間が消費されてしまうような気がした.当時の自分にとって,カワハラさんはこの時点より「電波」の類に区分された.といっても、授業中,何かしらで当てられた時のカワハラさんの対応は普通、むしろ優等生よりの模範解答であったし,友達と戯れているときの彼女は普通の女子高生そのものであった.皆が見ているカワハラさんは常識人で,優等生の真面目な女性だった.

自分と話したあの一点のみが異常なだけだったと後に感じた.もしや自分がからかわれただけだったのではないかとまで思えるくらいの変貌で.まるで開けてはならぬパンドラの箱のように,その紅茶の記憶に蓋をしておくことにした.厄災が外へあふれ出ないように.そうすることが一番だと思った.苦い記憶である.


 

 何故,今頃になってそんなことを思い出したのか.

 その理由は,今日が高校の同窓会に参加する日だからに他ならない.高校2年の時,最も仲の良かった男友達が結婚すると聞いた.結婚式の招待状も届いたが,その日は仕事の都合上参加できそうにもなかったので,欠席に印をつけ,ちょうど日も近かった同窓会に出席を印し,その日に合おうと連絡した.


 久しぶりに彼に会いたかったがため,衝動的に丸を付けたが,同時にカワハラさんという痛い思い出に会うことに少し,いや大分不安を感じる.会った時のために,イメージトレーニングをすることにした.

 

 が、そもそも想像力の乏しい自分に,そのような高尚なものが出来るわけもなく,大した策も準備できずに当日を向かえてしまった。まあ,いい.きっと何とかなるだろう.そう思っていた.

 結局,そんな都合の良いことは出来なかった.


「カワハラはまだ来てねえけど,そろそろ来るんじゃねえか? 何,お前,カワハラのこと,苦手なのか? お前にも苦手なもんってあるんだな」

 同窓会の会場は,地元で有名なホテルの宴会場を貸し切って行われた.大体7割の人間が来ていたようなので中々参加率は高いように思う。男女差は若干男性が多かったが,女性もそこそこ集まっていたらしく隅の方で固まってグループを形成していた.なんだが,高校時代の女子が群がっている光景と被って見えた.

ちなみにけらけらと笑いながら,自分をからかってきたのが前述の彼である.卒業から何年か経ってはいるが,そこまで老けた様子もなく,高校時代のノリが劣化することなく帰ってきた気がしていた.

「そもそもカワハラって,どこの大学に進学したかも分からねえ」

 それは自分もそうだ.カワハラサヨはあの後どんな人生を歩んだのか,自分には知る由もなかった.あの電波が大学で改善された可能性がある.もしかしたら,今頃,結婚して主婦となっている可能性さえあった.


 そんな幻想は一瞬にして打ち砕かれた.


『――この同窓会に,カワハラさんは来れないんだ』

 喧噪の中で誰かが言った.その声は女性の声をしていた.

 会場の隅で,女性の泣き声が聞こえた.軽快な笑い声の中に,不協和音のように,針のような声がじくじくと刺さって,少しずつ溜まっていった.


 カワハラさんは結局,同窓会には来なかった.カワハラさんについて、詳細は不明でしかなかった. カワハラさんと今でも連絡を取り合っている人も、過去取り合っていた人もいなかった.



 ただ一つだけ、分かっていたことは

 カワハラさんはもう既に,過去の人になっていた.ということだった.



「河原さん,高校卒業してすぐに亡くなってたんだって」 

「沙世ちゃん,卒業式以来,急に音信不通になっちゃったんだって.連絡先も全部変えて,家も引っ越したって聞いてたけど,まさか病気療養だったなんて……」

「え,沙世ちゃん,交通事故にあったって聞いたけど」

「あれ,私,沙世ちゃんは自殺したっていってなかったっけ」

「なんか,出所の分からない情報ばかりだけど,河原さんが死んじゃったってことは確か

みたい」

「河原さん,綺麗な子だったよな.なんかもったいねえな」

「病気じゃ仕方ないか」

「そもそも河原さんは自殺なんてするような人じゃなかった」

「河原さんってどっちかっていうと目立たない子だったから,俺覚えてないや」

「河原さん,優しい子だったのに」


 同窓会は河原さんの話題でもちきりになった.この時,自分はカワハラサヨが『河原沙世』であったことを知った.大した情報が入ってこない今,憶測で物を語るしかなかった.紅茶の好きな女性が一人,この場所には居ないことだけがこの場においての厳密で,正確な真実だった.憶測の域を超える何かはそこには無かった.ただ,何かひっかかっていた.のどにつっかえた魚の小骨のような,違和感があった.けれども,それは分かると,何かしらの難が,自分に降りかかるような気がした.


「どうした.辛気臭い顔して」

 そういった彼は,何かを察したように「河原さんと仲良かったんだな,俺,知らなかったけど」と言うので,一応訂正しておいた.自分と河原さんはクラスメイトであって,たいして仲は良くなかったと.唯一共有していたのは,彼女が紅茶好きであったことである.


 それを伝えると彼は「そこまで否定しなくてもいいだろ,何かしら交流があったんなら,仲が良かったってことにすりゃいいじゃねえか」と言った.


 その時,彼は続けてふと昔を思い返す中で,こう言った.

「まあ,俺が河原さん,紅茶の飲みすぎで体調壊しただけじゃねえか? あの人,よく紅茶飲んでたし……ってさすがに不謹慎か.でもなあ,人生,何があるかってわかるわけじゃないしな.俺たちもそろそろ健康とか気を付ける年に近づいてんだろうな」

 まあ,そうだろうなと……って何かがおかしい.彼は今何を言ったのだろうか.高校時代,自分が最も疑問に思っていたことの答えへの手がかりが,今,確かに開けてしまった.


「あれ,もしかして覚えてねえの? 河原さん,めっちゃ紅茶好きだったよな.あれ,飽きねえのすげえよな.流石に味変えてたらいいけどさ……なんで顔,真っ青なんだよ.なんだよ.お前,気分悪いのか,もしかして,熱中症とかか?」


 そんなわけないだろと言いたかった.自分は大丈夫だと思いたかった.けれども,自分はようやく気が付いてしまったから.


 自分以外がどうして,彼女の紅茶のことを覚えているのか.

 あの時,どうして彼女の紅茶は誰にも,気に留められなかったのか.


 あれはきっとカワハラさんの「魔法」だったのだ.自分がいなくなる前に,せめて自分の好きなものを,誰にも気にせず,飲むために皆にかけた魔法だったのだ.自分が死んだ後の世界でしか見えない紅茶を,自分の命が尽きるまで,自分だけの独り占めするための,そんな些細な願い事が,何の因果か叶ってしまった結果だったのかもしれない.

 

じゃあ,なぜ自分にだけ,見えたのか.

その理由は,ずっと前に,もっとずっと前にあったのかもしれない.



「いや,なんでもない.昔のことをふと思い出しただけだ」

 すっかり忘れていた.きっと彼女にとっては,かけがえのない記憶を,自分だけが忘れていた.


入学式の時,体育館の裏でうずくまってる女の子がいたのを思い出した.その日はとても暑かったし,彼女の顔もほてっているように見えた.きっと熱中症だろうと思って,近くの自販機で買ってきたペットボトル,たった一種類だけ,500のペットボトルがあったから,迷わず買ったように思う.渡したら,遠慮すると思って,カバンの隙間に突っ込んで,その場から去った気がする。ペットボトルを彼女のカバンに突っ込んだ時,カバンの中身がちらっと見えたんだよ.『カワラ』って読んだ時のことを.


「あんとき,ちゃんと名前が読めたら,こんなに苦労しなかっただろうな」


 そういうと,彼はこう言った.

「そんな後悔が出来るってことは,お前も随分大人になったんだな」

 彼は得意げな顔をして,こっちを見ていた.


 ああ,そうか.これが大人になるってことなのか.昔のことを思い出して,後悔できるのはそれだけ自分が年を取ったということであり,それだけ自分の年齢を受け入れたことになるのか.


 この彼女の「魔法」が消えた後の世界では,誰かが好き勝手に自分のことを言い散らかすかもしれないし,逆に自分のことなど気にも留めないかもしれない.そんな横柄が余計に見えやすく,理解しやすくなる.理解しやすくなる分,自分たちは賢くなったのではなかろうか? なのに,どうしてこの胸はズキズキと痛むのだろうか.


「それなら,自分は大人になんかなりたくなかったなあ」

 こんなバカげた願い,きっと彼女みたいに叶うことは無いのだろう.だったら,せめて声に出すくらい,いいじゃないか.


 彼女が大人になれなかった世界で,自分だけが大人になってしまった世界で,愚痴をこぼしても,どうあがいても自分だけが生きていくのだから.

彼女のことを気にも留めなかった人たちが,徐々に彼女の紅茶のことを思い出す.そんな世界を今,生きている.

これからは,馬鹿みたいにはしゃいでいた時代をいつか忘れていく世界を生きていく.

変わっていくであろう自分を、これからどうやって受け入れればいいのだろうか.


 その答えは、きっと誰にも分からない.

 

変わりたくなくなったので、書いてみました。でも、きっと変わっちゃうかもしれません。その時、私は何を出来るんだろう。この作品の主人公よりは有意義なことをしてみたいとは思いますが、出来なれば仕方ないとも思います。まあ、それも人生。

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