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第1章、第5話【誓い、世界の裏側】









 今回、夢はなかなかの完成度を見せていた。


 俺は映画館に座っていた。観客は俺一人、いつものようにぼんやりと映画を見るしかできない。

 そして上映されている映画の主人公も俺だ。

 唯一、今までと違うところは……追い求めてやまない人、自分の母親が登場しているということだろう。


 それは事故の直後の話だったと思う。

 母さんは仕事の関係で父さんと一緒に飛行機に乗り、九州のほうへと向かう予定だった。

 俺は沙耶と一緒にじっちゃんに預けられていた。すぐに帰ってくるからね、と母さんは俺の頭を撫でてくれた。


 ――――ああ、今回はあの夢なんだ。


 どこか冷めた視線のまま、俺は溜息をひとつ付いた。

 ぼんやりとニュースを見ていた俺は、速報で両親の乗った飛行機が墜落したことを知った。

 最初は意味がわからなかったが、じっちゃんの驚愕する反応からただならない様子を感じ取ったことは憶えている。


 『連絡を―――――!』

 『―――は―――どうして――なことに!』

 『んー、お兄ちゃ―――どうしたの――――があったの?』


 ここら辺の記憶は曖昧だ。

 俺はじっちゃんに沙耶を連れて部屋に戻っていろ、という言葉に頷いて、じっちゃんの部屋に避難していた。

 沙耶はキョトンと首をかしげていた。安心して、みたいなことを言って、沙耶を寝かしつけてやることしか出来なかった。


 そうして数刻が経つ。

 家の中が静かになった。どうやら、じっちゃんは飛び出していったようだ。

 後で知った話だが、このとき家の中には一人、じっちゃんの知り合いが待機していてくれたらしい。俺たちを心配して。


 そんなとき、携帯電話が鳴った。

 俺の携帯電話だった。当時、中学一年生だったのだから、当然持っていても不思議じゃなかった。

 着信の相手は『お母さん』だった。

 子供二人で不安だったこともあり、母さんの声が聞きたくて慌ててボタンを押した。



 ここからはほとんど、母さんの声しか憶えていない。



 【ごめんね、黎ちゃん。お母さん、帰れそうにないね】

 【ごほ、げほっ……ううん、大丈夫。大丈夫だから……そんな、泣きそうな声、出さないで。……ね?】


 母さんの咳は普通じゃなかった。

 風邪をひいたときのような、そんな生易しいものじゃないと子供だった当事の俺ですら、理解した。

 嘔吐、だったのだろう。血を吐いていたのかも知れない。


 【子供たちの未来を守るのが、親の役目なの】

 【聞いて、黎ちゃん……お母さんの声を聞いて。他の誰でもない、あなたが聞いて】


 多分、すぐ側に大人がいるとしたら、すぐに電話は奪われていただろう。

 もしくは俺が大人たちに渡すかもしれない、そう思った母さんはそんな言葉を口にすると、ごめんね、ともう一度謝った。


 【黎ちゃんは強い子だから。きっと、誰よりも早く立ち直って、沙耶ちゃんを護ってくれる。お母さんはそう、信じてる】


 無理だよ、と叫んだのかも知れない。

 ただ必死で消えてしまいそうな母さんを求めた。だから、俺がどんな返事を返したのか憶えていない。


 【お兄ちゃんは一番最初に生まれたから、妹を護る責任があるんだよ? ごぼっ、ごほ……だ、だからね、だからね】

 【決して悲しみに溺れないで。強くなって……っ……ただ、護りたいと思った人を、絶対に護り通しなさい】


 今にして、思い知る。

 母さんは残された俺たちのことだけを考えていた。

 自分の命の灯火が消えるその一瞬、最期の瞬間まで俺たちのことしか考えていなかった。


 どれほど辛かっただろうか。どれほど苦しかったのか。

 電話が繋がっても助けなんて求めなかった。ただ、ボロボロと情けなく泣くだけの俺をあやしていた。

 慈愛に満ちた声、ひとつひとつの言葉が、今の俺を作り出す基礎となっていく。


 【ほら、泣かないの。男の子でしょ、私の子供でしょ?】

 【なら、強くなりなさい。大丈夫……黎ちゃんならきっと、頑張れるんだから】

 【約束して】


 言い聞かせるように、俺の心に浸透していく言葉。

 苦しそうな声、吐き出される血。

 そんなものですら、関係ない。ただ、俺の返事だけが聞きたかったのだろう。


 【約束、して】


 母さんの声が遠ざかっていく。

 もう、限界だったんだ。本当に限界だったんだろう。

 それでも、もう一度。いや、返事が聞こえるまで何度でも。母さんは、俺の返事を聞きたかった。


 【約束……して……】

 『……うん』


 それで、俺の行く道は決まった。

 俺はこんな素晴らしい母親の子供なのだ。今では、それがとても誇らしい。


 『―――――強くなるよ』

 『お母さんと、僕の約束。絶対に強くなる。強く生きる』

 『だからね、だからね、お母さん。安心してほしい。無涯黎夜は、この世界の中で強く生きると誓ったから』


 ふと、母さんは笑ったような気がした。

 その言葉だけで、自分の人生は誇れるものでした――――そんなことを、独白していた。


 【あり、がとう……黎ちゃん。えへへ、頼もしいね……】

 【なら、そんな頑張り屋さんな黎ちゃんにいいものあげる。お母さんの宝物、三面鏡の引き出しにペンダントがあるの】

 【辛いときも悲しいときも、お母さんはいつも見守ってるのから……そのサファイアの中で】


 弾かれるように母さんの部屋へ……三面鏡の前まで転がるように移動した。

 指定された引き出しの中には、宝石箱が入っていた。綺麗な青い色、母さんと同じ群青色の優しい輝き。

 その間も、母さんは俺に語りかけてくれた。少し寂しそうに、少し切なそうに。時折、苦しそうに何かを吐き出しながら。

 そして、最後に。


 【じゃあ、バイバイ……じゃ、ないね。私はずっと黎ちゃんと沙耶ちゃんを見守ってるんだから】

 【だから、ね】


 同時に、電話が切れた。

 俺は慌ててリダイアルを押したが、もう繋がらなかった。

 半分、錯乱状態になりながら俺は何度も掛け直すけど、もう二度と母さんと話すことはできなかった。


 ただ、呆然とした俺の携帯がメールを受信した。

 たった一言の短い挨拶。

 まるで自分の境遇も関係ない、と言わんばかりに。たった一言の魔法がそこにあった。



 ―――――行ってきます―――――




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「あっ……」


 目が覚めた。まどろみは感じなかった。

 俺を……無涯黎夜の基礎を作り出した出来事。幼かった俺と母さんの約束。

 知らない間に手を伸ばしていたらしい。母さんの姿を求めていたのか、空中に右手を投げ出していた。


 「ああ……畜生っ……」


 頬には涙の跡。冷たい雫が乾いてしまっていた。

 夢を見て泣くなんて、子供みたいだ。

 誰も見ていないからいいが、恥ずかしいのには変わりない。


 ごしごし、と目元を擦る。

 今日は日曜日だから、時間の余裕はあった。

 だが、日曜日の朝は道場で汗を流すという習慣がある。今何時だろうなー、と軽い気持ちで時計を見た。


 『15:00』


 本日は晴天、学園は休日。

 時計の短い針は三のところに、長い針は十二の方向を指していました。


 「なにぃぃぃぃいいいいっ!!?」


 絶叫で頭が一気に覚醒する。寝惚けている場合じゃない。

 時計を引っつかみ、誤作動を疑ってみるが時間の無駄だった。誰がなんと言おうと、昼の三時だった。

 どうして誰も起こしてくれなかったんだ、と子供じみた憤りを感じて、辺りを見回して……はて。


 「……って、ちょっと待て。……ここ、何処だ?」


 ようやく、気づいた。自分が今、ここにいるという違和感に。

 知らない場所だった、と思う。少なくとも、俺の部屋じゃないのは間違いない。

 眠っていたのは白いベッド。壁は黄土色一色で、テーブルとイスとクローゼットが用意されていた。


 どうやら、ホテルの一室らしい。確証はないけど、多分。

 起き上がって、自分が上半身裸なのに気づいた。労わるように、肩に包帯が巻かれていた。

 どうしてこんな怪我をしているんだろう、と思ったところで……昨日、あの金髪の外国人に襲撃されたことを思い出した。


 (っ……!!!)


 ペンダントが、なかった。いつも首にかけていたサファイアが。

 慌てて飛び起きた。急な動きで刺された肩に激痛が走ったが、そんなの関係ないと切り捨てた。

 部屋を見渡した。見る限りでは何処にもない。ペンダントの姿を求めつつ、俺は内心で舌打ちした。


 (くそ……くそ、くそ、くそっ!)


 あの夕刻の戦いを思い出す。

 奴のサーベルで肩をバッサリと貫かれ、武器の竹刀を叩き折られた。

 負けたんだ、俺は。

 あの金髪の通り魔に完膚なきまでに。そこまでは覚えている……そこまでは、覚えているのに。


 それ以降の記憶がない。

 奪い取られたのか、という不安が心を犯し始めた。それしか、考えられなかった。

 だけど、さっきから違和感が拭えない。どうして、俺はホテルにいるのか。どうして治療されているのだろうか。


 「くそ……くそったれがっ!!」


 あの男が治療してホテルに預けた、とは考えられなかった。

 むしろ、あのままトドメを刺して逃げれば捕まらないだろう。俺を生かす理由なんてないに決まってる。

 分けがわからない。だけど、あのペンダントは奪われてはいけないんだ。


 あれは母さんの形見だ。

 あの中に母さんがいて、見守ってくれているなんて信じてるほど、純粋じゃないけど。

 それでも、小さな頃からずっと大切にしてきた宝物なんだ。母さんと俺を結ぶ唯一の、大切なものなんだ。


 ベッドのシーツを引っぺがし。

 机の引き出しを全部改めてみたり、中身をすべて確認してみたり。

 この部屋という空間を全て引っくり返してみても。


 「はあっ……はあっ……はあっ……」


 見つから、なかった。

 この部屋にはなかった。少なくとも探しきれなかった。

 かなりグチャグチャに散らかしてしまったけど、そんなことも気にならなかった。


 膝を突いた。まるで何かに許しを乞うように。

 大切なものを失った、という事実がそこにあった。ぽっかりと胸に空洞が開いたような感覚が残った。

 何故か、護れなかったという気分に陥った。

 無涯黎夜は結局、母さんを護ることができなかった、と。そんな絶望感に浸っていた。


 静寂が部屋を支配している。

 そんな寂滅の世界の中で、俺はようやく……入り口のドアの前に、誰かが立っていることに気づいた。


 「………………」

 「あ……」


 振り返ったその向こうに立っていたのは、赤髪の少女だった。

 月ヶ瀬舞夏。あの金髪の外国人と同じように、母さんのペンダントを求めていた者。

 初めて出逢ったときと同じ白いワンピース。チャームポイントだった帽子は室内では被らないらしい。

 あの美しい赤髪が、俺の目の前で惜しげもなく晒されていた。


 「お探しのものは……こちらですか?」

 「っ―――――!!」


 差し出された白い手から、サファイアが零れ落ちた。

 青い輝きを求めて、手を伸ばす。半ば、放心状態になりながら、舞夏からペンダントを受け取った。

 これだ、間違いない。偽者やダミーじゃない。完全な形で俺の元に戻ってきた。


 「あ、アンタ……これ……」

 「昨日、ペンダントが奪われる直前、黎夜さんと一緒に回収しました。……それはまだ、貴方のものですよ」


 視界がぐらり、と揺れた。その優しさに思わず涙腺が緩んでしまった。

 舞夏はペンダントを欲しがっていた。手に入れる機会はいくらでもあったのに。

 彼女にすれば俺まで助ける必要はなかった。ペンダントだけを回収して、俺をその場に捨て置いてもよかった。

 俺が意識を失っている間に、そのまま奪ってしまえば良かった。そんなこと、容易かったはずなのに。


 あくまでフェアに、公平に。

 月ヶ瀬舞夏は言ったのだ。無理に奪うなんて絶対にしない、と。


 「本当に、大切なのですね……そのペンダントが」

 「ああ……母さんの、形見なんだ」

 「そうですか……」


 俺の返事をどのように受け取ったのか。

 舞夏は喫茶店で別れたときと同じように、俺の身を案じるような表情を見せる。


 どうして舞夏も、あの外国人通り魔も、このペンダントを求めるんだろう。

 一千万もの大金を積んででも、手に入れたいと舞夏は言った。

 人を殺し、己の手を血で染めようとも欲しいと、あの外国人は言った。

 それほどの価値がある、と言われても実感が沸かない。ただ、おかげで日常が壊れてしまったのは理解したけど。


 「そう、ですね……こうなれば、仕方ありません」


 やがて、舞夏が口を開いた。その声色の端から覚悟が垣間見える。

 俺が疑問について考えている間に、目の前の少女は何かについて苦悩し、そして決断したのか。

 証拠も根拠もまったくないが、それでもそんな気がした。その予測は間違ってないと確信するほどに。


 「黎夜さん、お話があります。とても、重要な話です」

 「それは、ペンダントの件か……?」


 はい、と舞夏は頷いた。

 荒らされてしまった部屋に苦笑しながら、イスとテーブル、そして添え付けられていたポットで紅茶を用意し始める。

 俺は自分の醜態に頭を掻きながら、とりあえず部屋の片付けを始めることにした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「私がお伝えできる、全てをお話します」


 俺はベッドに座り、舞夏はイスへと腰掛けた。

 二人の間にはテーブルと、淹れたての紅茶。きっと長い話になるんだろうな、と漠然と思った。

 さて、何から話しましょうか……と、舞夏は紅茶に口をつけながら、考える。


 「そうですね。まずは私たちのことを話しましょうか。……重ねて言いますが、他言無用ですよ」

 「分かってる。……さすがに、守秘義務はあるもんな」


 鬼が出るか、蛇が出るか。そんな表現ですら大げさとは思えない。

 世界の裏側をこれから話される。そんな、異様なシチュエーションが俺の緊張を高めた。

 俺も返礼するような形で紅茶を飲む。風味が柔らかで、優しい味わいだった。


 「ではまず、単刀直入に」

 「……おう」

 「私は、とある組織のエージェント(一員)。そこの首脳陣の一人なのです」


 ………………………………………………

 ………………………………………………

 舞夏には悪いんだが、単刀直入すぎて全く意味が分からなかった。


 「……えーと、悪い。要領を得ん」

 「ふふふ、分かっていますよ。これから詳しい説明をしますから」

 「ああ……サンキュ」


 とりあえず、舞夏は何かの組織(会社)で責任者の一人をしている、ということだろうか。

 いまいち、よく分からないんだが、一千万円も出すと言っている時点で背後に組織があると、気づくべきだったか。

 いや、でもなぁ。俺の目の前にいる少女は……俺より、年下に見えるんだが。


 「私たち組織は戦っています。数多い敵対勢力を相手にして」

 「あぁ、経済の話か? 株か、それとも先物取引……」


 つまらない豆知識だが、製紙産業はある意味、必ず儲かる経済産業だ。

 世界がどんな形になろうとも、紙の需要は途切れることがない。人類が生きている限り、紙は生活の必需品なんだから。

 だが、その反面……いずれ枯渇することが分かっている産業でもある。

 世界中の木々を伐採してしまえば、紙は作れなくなる。

 ……とか、何とか。そんなことを経済学の講師が口にしていたような。


 話が脱線してしまった。

 どうやら経済の話ではないらしい。舞夏はふるふると首を振っている。

 何処となく、寂しそうに。まるで大罪を懺悔するような表情で、再び舞夏が口を開いた。



 「いいえ、本当に戦っているんです。本当に殺し合いをしているんですよ、黎夜さん……」



 瞬間、呼吸が死んだ。

 最初は何を言っているのか、理解できなかった。何かの比喩か何かだと信じたかった。

 背中から嫌な汗が噴き出した。べったりと、包帯が肩に張り付いてくる感覚が生々しい。


 はははは、と笑い飛ばしてやろうとして、でも出来なかった。

 少女の瞳がそれを許さなかった。決して俺を威圧しているわけではない。俺を縛るものはない。

 ただ、その真摯な態度が告げていた。冗談なのではなく、真実なのだと。


 「怖い、ですか? 私もまた殺し合いに参加したことがあります。……私が、怖いですか?」

 「…………んな、ことが……」

 「無理をする必要はありません。嫌悪するのも当然です。だから、私は気にしませんよ」


 殺し合いに参加したことがある、と。

 それはつまり、月ヶ瀬舞夏は人を殺した経験があるという意味でもあった。

 あの金髪の外国人と同じように、人の命を奪った。その事実を、舞夏は隠さずに伝えてきた。


 「……あいつは何なんだよ……?」

 「貴方を襲った金髪の男は、私たちの敵対組織の一員……名はカイム。カイム・セレェス」

 「……カイム・セレェス」

 「そうです。言うなれば黎夜さん、貴方は私たち組織同士の抗争に巻き込まれてしまった、ということになります」


 突拍子もない話だ。

 目の前にいる少女が……こんな穢れも知らなさそうな少女が、殺し合いを肯定している組織とやらの責任者の一人。

 俺を襲った金髪の外国人、カイム・セレェスもまた、通り魔なんて生易しいものじゃない。組織の暗殺者ヒットマンだと言う。


 「信じられないのは、分かります。ですが、考えてみてください」

 「………………」

 「昨日、私は貴方をカイムの手から救いました」

 「む……」

 「あの男を相手に、私のような女が大の男一人を背負いつつ、逃げられますか?」


 それは、無理だと思う。ほぼ0%だ。

 舞夏は俺より小柄だ。そんなお荷物を抱えながら退くなんて出来ない。そんなことをカイムが許すはずがない。

 そして現実に俺が助かっている。

 つまり、目の前で優雅に紅茶を嗜む舞夏という名の少女は、カイムと互角かそれ以上となる。


 「はっ……マジ、かよ……ったく」


 とても見た目では判断できないけど、現にこの少女によってカイムは退けられた。

 竹刀を持った俺が、完璧に敗北した相手に……舞夏は互角以上の戦いをしたのだ。


 「アンタの組織はヤクザか何かか? そうなるとイメージが強すぎるんだけど」

 「いいえ、もっと別の組織です。ですが残念ながら組織自体については、これ以上お話することは出来ないのです」

 「どうして?」

 「深く知れば、消されるかも知れませんよ? あくまで、私たちは裏側の世界の人間ですから」


 ゾクリ、と背中が冷えた。今の舞夏は少女のそれではなく、組織の一員として話していた。

 こいつらの殺し合いに関する謎は尽きない。

 どうしてそんなふざけたことをしているのか、犠牲者は世間的にどんな扱いをされるのか。


 それにそう、どうして。

 どうして月ヶ瀬舞夏はそんな殺し合いの舞台に立っているのか、とか。

 俺よりも年下で小柄で、そして女の子なのに。そんな選択しか出来ないほどの事情があるのかも知れない。


 「分かりましたか?私たちの組織と、カイムたちの組織は殺しあっている。まずはそれを」

 「……OK、理解した。ふざけんなよ、って言いたいところだけどな」


 よく分からない怒りで心がムカムカしている。

 紅茶を一気に呷り、苛立たしげに赤髪の少女を睨み付けた。

 応えるように、舞夏は申し訳なさそうな顔をする。そしてゆっくりと、深く頭を下げて謝罪の意を示した。


 「謝らなければなりません。……以前、仰られましたね。私にペンダントを見られた日から、狙われるようになったと」

 「…………ああ」

 「あれは真実です。ペンダントの件を私が組織に報告し、私は回収任務を命じられました」

 「…………」

 「そして……その情報が裏切り者によって、外に持ち出された。結果として私たちの敵対勢力が回収に動き出しました」



 なるほど、俺の予測はそれなりに正しかったらしい。

 あの時、学園へと曲がり角で舞夏とぶつからなかったら。もしくはペンダントを舞夏に見られることがなければ。

 俺はあのまま日常の中にいられた。あのまま、いつもどおりの学園生活が送れるはずだった。


 「申し訳、ありません。本当なら表の世界にいる黎夜さんを、巻き込みたくはありませんでした……」

 「――――――っ!!!」


 それで、キレた。

 もう、まともなことが考えられなかった。

 ただ、感情だけを目の前の少女に叩きつけるために叫んだ。


 「ふざけんな……ふざけんなよっ!」

 「本当に、申し訳、ありません……」


 重ねて謝る舞夏の姿が……さらに、俺を苛立たせた。

 どうしてこんなことも分からないのか、と。俺は歯を剥き出しにして、さらに叫んでいた。


 「ふざけんなっ……そうじゃねえ、違う……俺が怒ってるのは、そんなどうでもいいことじゃねえんだよっ!!」

 「れ、黎夜さん……?」

 「殺し合いなんて馬鹿げてる……アンタみたいな女の子が、傷ついて傷つけて……殺して、殺されるなんて間違ってるっ!」


 それが許せなかった。

 今の言葉が舞夏の今までの人生を侮辱すると分かっていても、嫌だった。

 俺を表の人間だの、自分を裏の人間だのと区別して、自分を貶めるような言い方が酷く苦しくて、悲しかった。


 「何で、そんな……自分を卑下するようなこと、言うんだよ……」


 出逢ったばかりで月ヶ瀬舞夏という人物のことを、俺はほとんど知らない。

 でも、俺を助けてくれたんだ。過去にどんなことをしてきたって、この少女はペンダントを奪って逃げようとはしなかった。

 殺し合いを望んでいるようになんて、見えなかった。それなのに自分が穢れているような言い方が、悔しかった。


 命を奪うことをしていてなお、命は大切だと告げる行動が取れる。

 それは比較の仕様もなく、凛々しくてカッコいいことだ……と、感情に任せて叫び倒した。 


 「俺みたいな苦労も知らない学生が言うのは、お門違いだろうけどさ」


 舞夏はただ、目を瞬かせて驚いているだけだった。

 もしくは憤りを感じているのかもしれない。逢って三日ぐらいの赤の他人が、何を戯言を吐いているのか。

 それでも、我慢できなかった。もっと自分を誇って欲しかった。



 「アンタは俺を助けてくれた。利害なんて関係なく、月ヶ瀬舞夏は無涯黎夜の命を救った。

  殺し合いをしているなんて関係ない! アンタが人の血で手を染めてるかも、なんてどうでもいい!

  誇ってくれよ。自慢してくれよ。俺は舞夏が怖いなんて思わない。思えるはずがない!

  だってアンタは自分のやったことを隠さなかった。まだ出逢って三日の俺に、自分の傷を見せた。その勇気があった!」



 一息、深呼吸をする。

 こんな好き勝手なことを言って、あとでどうなるかなんて考えなかった。

 嫌われることは悲しいけど、伝えてやりたかった。今までの感謝も、舞夏に感じた憤りも全て。


 「そんな勇気は俺には持てない……だから、舞夏は最高にカッコいいんだ」

 「…………黎夜さんは、強いんですね」


 舞夏は真っ直ぐに俺の瞳を見据えて、そんなことを言った。

 口には微笑み、そして瞳には強い意志。組織の人間としての仮面ではなく、ありのままの凛々しい少女がそこにいた。


 「ありがとうございます、黎夜さん。ですが、私は自分を卑下しているわけではありませんよ?」

 「………………え?」

 「あのように言えば、黎夜さんは踏み込むことを躊躇うと思いました。騙すようなことを言って、申し訳ありません」

 「…………」


 えーと、つまり。俺が一人で勝手に盛り上がって、叫んでいただけですか?

 うわ、穴があったら入りたいって気持ちが良く分かった。確かにこれは穴に入りたい。

 恥ずかしさで顔が熱くなって、ベッドに腰掛けたまま頭を抱えた。


 「……………………偉そうなこと言って、悪かった……」

 「い、いえ、気にしませんから。ですから、頭を上げてください、黎夜さん」

 「……ああ、悪い。しかも話の途中だったんだよな、まだ」


 頭を振って恥や思考をシャットアウト。

 まだ重要なことを聞いていない。何故、俺が狙われるのか。ペンダントの謎がまだ残ってる。

 舞夏は一度頷き、咳払いをひとつすると、続きを話し始めた。



 「さて、ここから先はさらに荒唐無稽な話になります。まずは落ち着いて聞いてください」


 了解、と頷く。既にこちらとしては驚き尽くしたから、並みのことじゃ動じない自信がある。

 舞夏は意を決した表情で紙と万年筆を用意し始めた。


 「まずは黎夜さん、英雄という人たちのことをご存知ですか?」

 「英雄……?」

 「はい。例えば中国で三国最強と呼ばれた呂布、イギリスで高名な円卓の騎士ランスロット」


 その他にも叙事詩に現れる英雄ベオウルフ、日本では老若男女に親しまれる桃太郎、フランスの預言者ノストラダムス。

 神話や歴史に名を残す英雄たちの名前を、舞夏はまず列挙していった。

 一応、史学専攻のためにある程度は詳しいつもりだが、それでも知らない名前がたくさん出てくる。


 「まあ、分かる奴も分からない奴もいるが……それが?」

 「黎夜さん、仮にですが……英雄の力が現代に蘇ったら、それはすごいことだと思いませんか?」

 「……は?」


 あの、ペンダントの話のはずが、どうしてそんな英雄列伝に?


 「ですから、英雄の力です。これは誇張を抜きにして、偉大で危険なことなんです。

  例えばですが、かつて戦場を駆けた武将は、現代のオリンピック選手を遥かに凌駕する身体能力を持っています」


 まあ、いまいち回りくどいことばっかりで頭を捻るばっかりだが、舞夏の話が本当ならすごいことだ。

 オリンピックの世界新記録を全部これから塗り替えられるし、土木工事なんて楽々なんだろうな。

 だが、間違えてはいけない。今は英雄の在りし日を尊ぶ話ではない。決して、ない。


 「えーと……それが、何だと?」

 「分かりませんか? 英雄の力と、そのペンダント……正確には、そのサファイアとの繋がりが」


 英雄の力が蘇ることと、このサファイアの繋がり?

 前者は正直言って仮の話に過ぎないし、件のベンダントとどうやって繋げていけ、というのか良く分からない。

 仮に英雄の力が蘇ることが真実として、俺のペンダントがどうしてそこで出てくるのかと―――――ん?



 単純に、そのままだとしたら?

 英雄の力が蘇る=サファイアの宝石となるのなら。



 「まさか……」

 「そう、その宝石は『霊核』……英霊の核としてこの世に産み落とされた宝玉。私たちが求めている『力』そのものです」


 舞夏はそのまま紙にすらすらと綺麗な文字を連ねていく。

 そこに書かれた内容は、もう驚くものかと誓った俺を更に驚かせるには十分すぎる内容だった。


 「勝手ですが、我が組織の技術副主任に連絡して宝石を鑑定しました。結果はクロ。これは確実に『霊核』です」

 「英雄の力、とやらが宿った特殊な宝石……? 母さんの形見が?」


 舞夏の組織とカイムの組織が、交戦する様子。その理由はこの『霊核』と呼ばれる宝石を奪い合うため。

 来るべき大災害……組織同士の全面戦争に向け、戦力を増強するために暗躍しているらしい。

 舞夏は休暇を取り、偶然朝の散歩を楽しんでいただけだったらしい。そこを聞くと、巻き込まれた自分の不運が恨めしい。


 「英雄の力を身に宿す者たちは『誓約者』と呼ばれます。私も、そしてカイム・セレェスも」

 「そうか……あいつ、急に強くなりやがったと不思議に思ってたけど……って、舞夏も?」

 「はい。とはいえ、どの英雄なのは内緒ですよ? 知っているのは組織の人間の上層部か、家族だけです」


 ふふ、と優雅に微笑む舞夏を見ていると。

 だんだん、呆れるような気持ちが心を支配し始めた。

 いや、苛立ちも多少にあった。


 「ねーよ、ふざけてんのか?」


 さすがにそれは、信じられない。というか、馬鹿馬鹿しくて信じるに値しない。

 常識的に考えて、というかなんというか。

 こんなサファイアが英雄の力を引き出す道具とか、そんな話はマンガやゲームだけの幻想ファンタジーだ。


 一瞬、そんな話もあるのかも知れない、とか思ったが、さすがにそれはない。

 現実感が沸かないし、何よりそんな常識は有り得ないと理性が否定してしまっている。

 とはいえ、実際に命を狙われてしまった以上、全部が全部嘘か妄想、ということでもないのだろうが。


 「……」

 「それとも、アンタの組織はカルト集団か宗教結社なのか? 昔々の英雄の再来を期待している、とか」


 実際、そういう話もあるらしい。

 チベットでは宗教指導者が死んだら、その生まれ変わりを探しにいくという話を聞いたことがある。

 これだって現実的じゃないが、それでも舞夏の説明のような魔術的要素がないだけ、マシな解釈だ。


 「そう、ですね。確かに信じてはもらえない話だろう、とは思っていました」

 「残念ながらな。むしろ論より証拠のほうがいいかも知れん」


 もちろん、証拠があればの話だが。


 「仕方ありませんね……黎夜さん、貴方の紅茶のカップをテーブルから遠ざけてもらえますか?」

 「ん……? ああ、いいけど」

 「出来るだけ私から離れたところに置いてください。置いたなら、危ないので私の後ろに」

 「???」


 首をかしげながら、飲み終わった紅茶のカップを……そうだな、玄関にでも置こうか。

 舞夏は立ち上がると、定位置で待機する。ちょうどカップと直線になる場所で、距離は約十メートル前後ってとこだろう。

 俺はさらに後ろから何が起こるのか、とハテナ顔だ。


 だけど、なんとなく。

 その光景がダーツに見えるな、なんて間の抜けた感想が頭を過ぎったのと同時。


 「《誓約》」


 フィーデス、と舞夏が呟き、その瞬間、部屋が白い光に包まれた。

 カシャン、と呆気ない音と共に、十メートル先のカップが砕けた。もちろん、舞夏はその場から動いていない。

 まさにダーツだったんだろう。光輝く白い矢が真っ直ぐに標的を射抜いていた。


 「―――――」


 驚きの言葉をあげることすら出来なかった。

 誓約フィーデス……カイム・セレェスが突然、豹変したように強くなったときに呟いた言葉と同じものを。

 そして舞夏の背中には、神話でしかお目にかかれない天使の翼が生えていて。


 呆然としている間に、天使の翼が蜃気楼のように消え去った。

 ほんの数秒の光景が夢幻のようだった。何度も目を擦って現状把握に努めるばかり。


 「見えましたか、黎夜さん?」

 「あ、ああ……いや、でも……」


 現実感が沸かない、なんてものじゃない。

 玄関に置いてあったカップは砕けている。この事実が先ほどの光景を否定させようとしない。

 多少、得意げな舞夏の顔を見ていると、微妙に敗北感を覚えるのはどうしてだろう。なんか、悔しい。


 「信じられませんか? でしたら、まずは目の前の光景を否定しなければいけません。

  先ほど、幻想ファンタジーと言いましたね。この場合、実際に起こっている以上……正確には非常識オカルトが正しいでしょうか。

  これでもまだ、この世には貴方の知っている常識しかないと訴えますか? こんな非常識、あり得ないと叫びますか?」


 はっ、と諦観に近い溜息のようなものが流れた。

 停止しかけた思考を、強引に紡いだ。

 そうして、少しだけ時間をもらって……ようやく、この世には俺の知っているもの以外にも『常識』があることを納得した。


 「これが、『霊核』」


 噛み締めるように、舞夏は言う。


 「英雄の力をその身に宿す極意。宝石と、その力の名前を英霊の力の核という意味で『霊核』と呼びます」


 黎夜はただ、その言葉を受け入れる。

 今までの常識を捨て、舞夏の言う新たな常識を受け入れていく。


 「絶大な力だから、手に入れたがる……そんな、理論」

 「核兵器を持ちたがる国みたいな、つまらん理屈だな」

 「それでも、もしものときは最凶の切り札となります。手に入れて損はありません」


 それが組織の一員としての月ヶ瀬舞夏の結論だ。

 俺はただ、ベッドに倒れこみ、枕に顔を埋める。

 色々と理解しようとしてみたが、処理が追いつかない。そうして少し話を変えてみようと思った。


 「そういや、ここって何処だ?」

 「学園都市の住宅区の向こう側にある、ホテルの一室ですね。ちなみに私が滞在している場所でもあります」

 「あー、つまり俺の家から歩いて二十分くらいかぁー……って、待て。ってことは、このベッド」


 がばり、と起き上がる。

 舞夏はそんな俺の様子に、少しだけ動揺したような顔をして。


 「い、一応シーツは変えたのですが、もしかして何か気になること、でも……?」

 「がぁぁああああああっ!!!?」


 勢いよくベッドから飛び起きた。

 そのついで、包帯を巻いた左肩を机にぶつけ、悶絶する羽目になったのだが。


 「痛っ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 結論から言おう。

 話題選びに失敗した男の末路だった。






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