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第1章、第4話【そこにはもう誰もいない】



 いつも通りの朝だった。

 安眠しているところを妹に叩き起こされ、そのついでに懲罰を受けながら起床。

 沙耶の作った朝食を食べ、じっちゃんと当たり障りのない会話をする。

 沙耶が先に学園へ行き、そして俺が洗い物を済ませる。本当にいつも通りだったが、心の中は穏やかではなかった。


 「……ここまでは、今まで通りだったのにな」


 洗い物を済ませ、庭に建てられた道場に入る。

 ここはじっちゃんが近所の子供たちに剣道を教える場所、そして小さな頃から俺が鍛えられた修練場だ。

 壁にかけられた竹刀を手に取った。制服姿のまま、剣術の演舞に入る。


 想定する敵はあの金髪の通り魔。

 奴のナイフもサーベルも打ち砕き、完全無欠に勝利するためのイメージトレーニング。

 振るう竹刀には全力を。風を切る音が錬成の証。本来の姿……剣士、無涯黎夜として竹刀を振るっていた。


 「ふっ……はぁ!」


 敵がいつ襲ってくるのか、分からない。

 だが、舞夏の話を聞くかぎりでは今日、もしくは明日だという予感があった。


 これはペンダントの争奪戦。

 あの通り魔は舞夏よりも先にペンダントを回収したいはずだ。

 舞夏と俺が喫茶店で接触したことが情報として伝われば、奴らも形振り構わなくなってきたとしても不思議じゃない。


 だから、あの感覚を取り戻す。

 敵は人殺しも辞さない裏世界のエージェント。たかが学生が抗えるとは思えないほどの相手だ。

 だが、感覚さえ取り戻してしまえば。俺は奴と互角以上に戦える自信がある。


 「…………イヤァァアアッ!!!」


 俺の本質は沙耶のように武術ではない。竹刀か、もしくは真剣を利用しての剣術にこそ真髄がある。

 俺をただの学生と甘く見た隙があれば、そこを突く。

 とりあえずの準備運動は済んだが、まだ足りない。あとは学園で実戦をしておこう。


 「ふう……良し、行くか」


 ある程度、動き回って体を温めると、俺はそのまま学園へと向かった。

 もちろん竹刀は袋に入れて持ち歩く。これは学園の中でも使うものだし、帰り道を襲撃する可能性もある。

 最悪なのは学園への帰宅途中に襲ってくることだが、人の多い場所を使えば易々と襲ってくることはできないだろう。

 仮にも裏側の人間なのだから、表の世界の住人に気取られるわけにはいかないはずだから。


 さあ、まずはより良い一日を目指すために。

 学園で本来の日常に身を投じよう。もしかしたら、これが最後の機会になるかも知れないんだから。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「……模擬戦?」

 「そう、模擬戦。誰でもいいから引き受けてくれないか?」


 朝、教室でいつものメンバーに頼み込むことにした。

 珍しく全員が朝から揃ってるのは幸いだが、果たして何人が引き受けてくれるものか。


 「んー、俺は面倒くさいからパスかな」

 「僕はそもそも黎夜に勝てる算段が思いつかないよ……しかも竹刀持参って」


 祐樹に啓介が早々に離脱。まことに遺憾なことである。

 さて、現状を第三者的に見てみよう。朝、登校するなり模擬戦しようぜ、と竹刀片手に言う友人。

 あはは、やだな。ヤキ入れにきた部活の先輩みたいじゃないですか。……そりゃ、敬遠するわな。


 「ふむ、もったいない。せっかくの機会なのにな……よし、黎夜のヤキ入れを断った奴は罰ゲームな」

 「……どんな?」

 「各自、この紙にひとつずつ罰ゲームを書け。それを箱の中にいれ、それを引いていく」


 誠一、いったいそれは何の意図で? あと、ヤキ入れじゃない、断じて。

 祐樹と啓介が複雑そうな顔をする。そうだろうなぁ、と仕掛け人の俺がため息をついた。

 まあ、おかげで俺との模擬戦に参加してくれる奴が増えてくれれば幸い、ということだろうか。


 「んー、だが断る。この相沢祐樹、自分よりも強い相手に『NO』と言ってやるのが生きがいでね」

 「おい、祐樹。使いどころ間違ってるぜー」

 「僕もやっぱりちょっとなぁ……今の黎夜と戦ったら骨とか折られそうな気がするから」


 おい、俺は鬼か? そいつはあんまりだぞ、啓介。

 結局罰ゲームを受け入れてでも俺との模擬戦を拒否した二人。……やだな、なんか泣けてきた。


 「安心しろ、レイヤ。オレは受けて立つぜ!」

 「そして安心しろ、流牙。お前は受けようと受けまいと、罰ゲームの方向だから」

 「何でだよっ!!?」


 はい、と当然の如く箱を差し出される流牙。

 誠一の顔は悪魔のそれ、というか。うん、どうやらサディストモードに入ったようだ。実に結果が楽しみらしい。

 祐樹、啓介、流牙にそれぞれ紙とペンを渡していく誠一。自分の分と俺の分もあるらしい。


 どんな罰ゲームにしようか。

 よし、『東雲の呂布』との異名をとるバーゲンセールのオバサンと一騎打ち、とでも書いておこう。

 すごいぞ、あの人は。貴様らどけぇぇぇいっ!!! とか言って雑兵の如くライバルを駆逐していくんだから。


 「じゃあ、引いてくれ。祐樹、啓介、そして流牙」

 「だから何でオレもなんだよっ!?」

 「まあまあ」


 まずは祐樹が箱に手をいれ、五枚の紙の中から一枚を引く。

 そうして四枚折にされた紙を開いた祐樹の顔が、微妙に歪む。どんな罰ゲームかと思って覗き込むと。


 『グリコのポーズと格好でグラウンドを三周』


 「うわ、羞恥プレイが来たね」

 「こう、両手を掲げて日の丸を背負ってランニングシャツで走るんだっけな?」

 「………………誰だよ、これ書いたの」

 「ん、俺だが」


 挙手する誠一。……って、お前か。

 今は五月の春先とはいえ、そんな格好でそんな行動をさせたら……変態扱いで警察のお世話になるかも。

 軽くトラウマになりそうな試練だな。ご愁傷様、祐樹。


 「ふう、一番ネックな誠一の罰ゲームが無くなってほっとした。次は僕……ん?」

 「おう、ケースケ。どうした、何が出た?」

 「お台場一の中華料理店『神父』で激辛マーボーを完食せよ、か。誰だ?」

 「あー、それは俺だな」


 あそこの激辛マーボーは死人続出、死屍累々を築くと呼ばれた伝説の地獄メニュー。

 ちなみに啓介は刺激物がダメダメです、本当にありがとうございました。

 ああ、見ろ。啓介が紙を引いたまま固まってしまっているじゃないか。おお、哀れなる子羊よ。


 「……こうなったら、流牙には是非とも『学園長に特攻する』って罰ゲームを引いてほしいよ」

 「あっ、俺のは『東雲の呂布』とバーゲンセールで一騎打ちだから、頑張れよ」

 「何で両方とも豪傑が揃ってるんだよっ!?」


 ちなみに学園長はうちのじっちゃんと互角という爺様だ。

 第二次世界大戦に彼ら二人が参加していれば結果は分からなかった、と米軍に言わせたほどである。

 流牙も常人と比べれば遥かに強いんだが、それでも上には上がいるわけで。


 「こうなったら、マジで神通力を働かせてより良い未来を掴み取ってやらぁっ!!」

 「……いや、この状況では無理だし、神通力って」

 「気にしてやるな。あいつも精一杯弾けようとしてるんだ。俺たちは落ち着いて葬式の準備を」

 「えー、お前も落ち着けよ、黎夜」


 そんなこんなで騒がしい日常を演じ続ける。

 こんな日々が愛しく思えるのは久しぶりだった。やっぱり、こんな平和があるべきなのだ。

 俺もさっさと終わらせてしまいたい。非日常な生活から、今までどおりの立ち位置に。


 こんな生活が楽しい、と。

 本来の目的も忘れて、仲間たちと大笑いしながら学園生活を終えるのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「…………結局、誰とも模擬試合できなかった……」


 少し肩を落としながら商店街を歩く。

 辺りには多くの人たちが今日の夕食の材料を求める、いつもの光景。


 (流牙、生きろ)


 引いた罰ゲームは『目でピーナッツを噛む』という内容だ。

 ちなみに流牙が自分で書いて自分で引いたものだ。俗に言う、自爆である。

 さらに余談だが、この罰ゲームを企画した野牧誠一に至っては。


 『明日、な。一試合組んでやるから、それでオーケー? はい、了解、決定』


 こんな具合である。

 罰ゲーム決行はまた後日、という話になって解散……おい、グダグダだな。


 さて、どうして俺が狙われている立場にも関わらず、商店街に繰り出したかと言うと。

 もう一度、舞夏に会えるかも……俺に接触してくるかどうか、という実験中。

 舞夏にも通り魔の奴にも情報が駄々漏れ、という状況だ。俺に監視が付いている、と言われても驚かない。


 (俺が舞夏なら人通りの多い場所で接触してくる。俺があの通り魔なら人がいない場所で接触してくる)


 公平に交渉を持ちかけてきた舞夏は、やましいことがないから普通に出てこれる。

 逆に警察に追われる立場である通り魔は、こんな場所には出てこれない。

 あのとき、舞夏の連絡先ぐらい聞いておくべきだったか……いや、それでもペンダントを渡すつもりはないのだが。


 ただ、あの通り魔のことを聞いておきたい。

 いつまでも『通り魔』なんて固有名詞は面倒だし、それにあいつのことも気にかかる。

 舞夏は『ペンダントを狙う人たち』と言っていた。いくら何でも、俺一人であんな奴らを何人も相手にはできない。

 だから情報がほしくて、こうして自分を囮にするような作戦を取っているのだが。 


 「…………噂をすれば、影」


 溜息をつく。

 そんな言葉は本当にあるんじゃないだろうか、と思うほどに。


 「お前のほうには逢いたくなかったんだけどな」


 黄昏の商店街、その真ん中。

 そこに、まるで世界を破壊する異分子のように。

 黒いコートに身を包んだ金髪の通り魔――――あの男が、そこに立っていた。



 「やあ」

 「…………」


 気軽に、それこそ朝の挨拶のように男は声をかけてきた。

 その瞳は相変わらずギラギラしていて、その口元は禍々しいくらいに歪んでいる。

 認められないほどの凶悪さ。なのに、どうしてこの商店街に溶け込んでいられるというのだろうか。


 「月ヶ瀬舞夏と接触したそうだな……ならば、私の用件も分かっているな?」

 「ああ……こいつだろ?」


 挑発するくらいの気持ちでペンダントを見せ付ける。

 ここではまだ、事を起こしたりしないはずだ。何しろ周りに人が多すぎる。こんな状況ではじめるはずがない。

 奴が仕掛けてくるとすれば、路地裏だろうか。


 さて、本当に接触してしまったがどうしよう。

 ここで仕掛けるべきか、それとも今回は回避するべきか。

 正直、模擬戦で感覚をつかんだほうがいいに決まってる。そうすれば勝率は上がるのだから。


 明日になれば誠一が戦ってくれる。

 イメージトレーニングは重要だ。人事を尽くさなければ天命など待つ意味はない。


 「では、少し路地裏で話そうか」

 「いやだね。そんな危険なことができるか。このまま帰らせてもらう」

 「……交渉するつもりはない、ということかな?」


 返事すらせずに踵を返した。どうやら現れることは分かった。後は時期を図るだけ。

 こいつをぶっ潰して警察に引き渡せば、すべてが解決するはずだ。舞夏とも交渉に応じなければいい。

 そうすれば、持っていられる。ずっと母さんの形見を持ち続けられる。


 なのに、そいつは。

 くつくつと愉快そうに笑ったかと思うと、俺の背後に立っていた。耳元にこそり、と。


 「なら、この商店街にいる奴らを何人か殺してみようか? 気が変わるかもしれないな」


 囁かれた言葉に、俺はこの男の正気を疑った。

 常識も倫理も罪悪も、その全てを無視した発言。口の中が乾いて、擦れたような声しか出ない。


 「な、にを……?」

 「人が大勢いるなら安心だとでも? 私はこうと決めたら実行するよ……たとえ、血に汚れようと」

 「ふざけんな……そんな、脅し」

 「そうだな。まずはあの子にしようか……野菜を買おうとしてるね。初々しい感じだ、初めてのお使いってやつかな?」


 ふらり、とあの男の気配が背後から消える。

 慌てて振り向いた先には、野菜を買うためにどれくらい払えばいいのか考える五歳の男の子。

 そしてそれに近づく黒い影の動きに迷いはない。

 誰一人として男の異常な行動に気づかない。

 黒いコートのカラスが犬歯を剥き出しにしながら、右手にはナイフを構え――――。


 「やめろ」

 「…………」


 その右腕の手首を掴んで引き止めた。

 黒いフードを取り払った男は、俺の行動に対して満足そうに口元を上げた。


 「わかった。この前の路地裏でいいんだな」

 「ふん……甘い男だ。虫唾が走る。『関係ない奴は狙うな、俺に用があるんだろ』……言いたいのはそんな戯言か?」


 ああ、分かるか。

 ちょうどそんなことを思っていたところだ。

 話が早くて助かる。俺は今、かなりこいつをぶっ飛ばしたいと思っていた。

 マジだった。

 本当に年端もいかない子を、それこそ虫を踏み潰すように消そうとしやがった。


 「前々から思ってたことだけど……お前、ホントにむかつくよな」

 「……ふっ」


 鼻で笑うその顔は優位に立てた証のつもりだろうか。

 以前、確かに俺は敗れた。だからこその余裕だ、だからこその歪んだ口元だ。

 俺は真っ直ぐ、あの路地裏へと歩き出す。


 慎重策はもう取らない。

 ぶっつけ本番の一発勝負。握った竹刀で敵を討つ。

 ただ一言。俺の後ろにぴったりくっ付いてくる金髪の通り魔に、静かな感情の渦をぶつけた。


 「来いよ。その思い上がり、叩き潰してやる」




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「くくくっ……」


 金髪の男、カイム・セレェスは苦笑を禁じえなかった。

 にやにやと余裕めいた嫌らしい笑みを浮かべながら、左手で仕込んだナイフをくるくると回す。


 (叩き潰す……? 私を?)


 あんな竹刀一本で、それが可能と信じるなんて片腹痛い。

 どれほど剣術に自信があるのかは知らないが、何故自分がサーベルを武器として持ち歩いているか。

 それはカイムもまた剣術において自信があるからに他ならない。たかが、二十歳の若者に負ける道理がない。


 さっさと終わらせてしまいたい。

 交渉するつもりはない。月ヶ瀬舞夏の条件を断ったらしいことは伝え聞いている。

 ならばカイムがどのように交渉を展開させたところで、黎夜は首を縦には振らないだろう。


 「……さて、私も忙しいからね。早く済ませてもらうことにするよ」


 カイムは一息、くつくつと笑い顔を崩さずに路地裏に入り込んだ黎夜の背中に声をかける。

 以前は警察の時間差通報により失敗したが、今度はそうはいかない。

 通報されたとしても早めに終わらせてしまえば、と。カイムは右手にサーベル、左手にナイフを握りながら問いかける。


 「ペンダントを渡せ。痛い思いをしたくなければな」


 これは最後の問答。これに拒絶の言葉を投げかけた瞬間、カイムは黎夜を殺害する。

 対して黎夜は袋から竹刀を取り出すと、ゆっくりと構える。

 そうして一言、獰猛な笑みを浮かべながら黎夜はギラついたカイムの瞳を強い視線で射抜いた。


 「断る、と言ったぞ?」

 「そうか、残念だ……な――――!」


 瞬間、カイムは地面を蹴った。

 暗がりを疾走するのは闇夜のカラス。奪うはペンダントと人間の命。

 閃くは銀色の凶器。黄昏の光が白金を幻想的な色に昇華させる。そんな、サーベルの一閃を。



 ガギィンッ!!



 「―――――――――っ」

 「むっ……!?」


 カイムの目が見開かれ、一瞬の瞬きと思考停止が体を縛る。

 常人には視認すら困難な横への一振り。目の前の学生は反応すらできずに腹を裂かれ、臓物をぶちまけるはずだった。

 油断があった、驕りがあった……それは認める。

 だが、そんなはずがないと目の前の光景を、カイムのプライドが否定した。


 サーベルは黎夜の体に届くことなく。

 黎夜が構えた竹刀によって受け止められていた。


 (莫迦な……!?)


 サーベルとは湾曲した片刃の刀のことだ。柄には大きな手甲がついており、指や手を保護している。

 要するに凶器だ。竹刀のような子供の遊び道具ではない。真実、人を殺せるはずの武器である。

 それが、木で作られた竹刀で受け止められる、はずがない。


 本来ならそのまま叩き折り、黎夜の体を斬り捨ててやるべきなのだ。

 素人ならいざ知らず、カイムは熟練したサーベル使い。自分の剣術にはそれなりの自負を持っていた。

 だから、信じられない。竹刀はサーベルを受けたまま、鍔迫り合いになっている。まったく、動かせない。


 「うちの竹刀は特注だぞ。何しろ木の部分は表面だけで、中身は豪華鉄板使用だ」

 「は……?」

 「総重量は、お前の得物の何倍かな?」


 刹那、黎夜の腰が沈む。

 カイムは困惑し、一瞬の停滞が行動を支配している。

 戦いのさなか、そんな隙こそが絶対の好機だと、黎夜は師である祖父にそう教わった。


 「はあっ!!」

 「ぐっ……」


 弾き返され、体勢が崩れる。それ自体にもカイムは驚愕した。

 ただの学生に力負けした。鍔迫り合いで押し切られた。剣術において自信を持っていたはずの、自分が。

 苦し紛れにナイフを投擲しようと、左手を上げようとして……金属音と衝撃がカイムを襲った。


 「がぁあああああっ!!?」


 鉄の竹刀がカイムの左手を打つ。弾かれたナイフが黄昏の差し込む路地裏に舞った。

 黎夜の猛攻はそれだけに留まらない。

 左手への攻撃は牽制に過ぎない、と言わんばかりにカイムの頭めがけて打ち込んだ。

 当然、カイムとて易々と通すわけにはいかない。

 サーベルを横にして上段から振り下ろされる竹刀を受け止めようと試みる。


 ガギィッ!!


 重い衝撃がサーベルを握る右手を襲う。

 火花が散り、路地裏をほんの一瞬明るくする。カイムにはそんなことに気を回す余力がなかった。


 (なんだ、こいつは……?)


 有り得ない。こんな重い一振りも有り得ないし、自分がこうして驚かされ続けていることも有り得ない。

 無涯黎夜はただの学生ではなかったのか?

 特別な力を使っている痕跡もない。ただ、単純に地力の差でカイムは黎夜に押し負けていた。


 「なんだ」


 黎夜は、笑った。

 なんてことはない。そう、たとえ相手が何者であろうと、関係なかったのだ。

 奴もまた人間だ。そこらで売ってる百円カッターで切られれば血を流す、普通の人間となんら変わらないのだ。


 「お前もやっぱり、ただの人間なんだよな」


 その確信があれば十分。

 自信さえ取り戻せれば黎夜に負ける要素など在りはしない。

 敵は人間、自分も人間。ならばどこに恐れる要素などあろうか。決して、負けるはずがない。



 「なっ、めるなぁぁああああああっ!!!」

 「ぐうっ……!?」


 だが、カイムもやられっぱなしで終わるつもりはない。

 こんな学生如きに敗れるはずがない。敗北など許されるはずがない。

 傲慢でも油断でもない。これは自負だ。プライドの問題だ。決して、こんなところで負けられないという意思だ。


 決して有り得てはならない。

 カイムはここに来て、ようやく悟る。

 目の前で切り結んでいる相手は『敵』だ。カイム・セレェスの敵となりえる存在だ、と。


 「ふざけるなっ……!」


 裏の世界、非日常。黄昏に沈む狭い空間で命を賭ける。

 黎夜とカイムは互いを制するために剣を振るう。

 一合、二合、三合……十合渡り合っても、決着はつかない。

 舌打ちをしたのはカイムだ。こうして時間を稼がれるうちに警察に来られれば厄介という他ない。

 以前、その戦法でカイムは出し抜かれた。もう時間はかけられない……そういう意味で、カイムは焦燥に駆られていた。



 (……!)


 黎夜はカイムの焦りに気づいていた。

 体力が尽き始めているのは向こうも同じ。実力が拮抗しているのも理解している。

 なら、ほんの一瞬の油断。

 たった小さな挙動や動作で勝敗は分けられるだろう。


 「っ……今だっ……行けぇぇえ、舞夏ぁああーーーーーっ!!!」

 「――――っ!!?」


 カイムの行動は迅速だった。

 目の前の敵であるはずの黎夜すら捨て置いて、背後へと視線を向ける。

 その姿勢、その行動は獣のように鋭く……そして、時間にすれば一秒すらないほどの牽制。

 それは、黎夜にすれば絶対的な好機だった。


 「しまっ……」


 己の失態に即座に気づいたのもカイムだ。

 背後には誰もいない。襲撃が来る様子でもない。ただ、背後には商店街おもてのせかいが広がっている。

 舞夏と接触していた、という情報は得ていた。

 だが、どんな交渉の内容だったかは分からない。だからこそ、カイムは黎夜のハッタリを信用してしまった。


 まさか、ペンダントと引き換えに自分を捕らえる策を練っていたのか。

 それとも舞夏のほうから言い出した罠なのか。

 そんな疑問がカイムの思考をほんの一瞬だけ停滞させた。

 それは両者互角の殺陣において……十分すぎるほどの隙だった。見逃す道理などなかった。


 ガヅンッ!!


 鈍い殴打音が路地裏に木霊した。

 振りぬいた凶器は鉄を内包した竹刀……その重量や、棍棒や鉄塊となんの違いがあるだろうか。

 狙いは違えることなく、鋭く繰り出された一撃がカイムの額を打ち据えていた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「………………」


 ふう、と俺は溜息をついた。

 通り魔の男は一撃を食らって、地面に倒れ伏している。

 さすがに鉄の塊で殴りかかるようなものだったから手加減はしたが、死んでいないだろうな?


 汚い手を使いたくはなかったけど、想像以上に強くて小細工を弄するしかなかった。

 最も、ハッタリの効果も想像以上だったが。

 咄嗟にお互いの共通の知り合いらしい舞夏の名前を出したのだが、警戒の仕方がちょっと異常だったような気が。

 ふむ……実は強かったりしてな、舞夏。


 「あっ、もしもし。無涯黎夜です。昨日の刑事さんですか? ……はい、はい。いえ、昨日お話した通り魔なんですが……」


 昨日、病院での事情聴取に来た刑事さんの携帯電話の番号を登録しておいた。

 まさか昨日の今日に電話がかかるとは思っていなかったらしく……ついでに、俺の無鉄砲さにも呆れた声だった。

 とりあえずぶっ飛ばしたことを伝えると、かなり怒られた。


 伝えられたことは二つ。

 気絶している犯人は近づかないこと。本当に気絶しているなら拘束する必要はないらしい。

 下手に近づいて意識を失っているのがブラフならば、本当に身が危ないということを切々と語られた。

 もうひとつは十分もせずに路地裏に駆けつけるから、それまで待っておけというもの。


 (まぁ……待っておくけどさ)


 カイムのサーベルは回収しておこうか、と思ったところで気づく。


 (あいつ……気絶している癖に、サーベルは握ったままかよ……?)


 まさか、と思った。

 普通、気絶している人間が何かを握ったままだろうか。

 もちろん可能性としては問題ない程度だが……もしかして、刑事さんの言うとおり、気絶した振りをしているのか?


 「……おい、起きてるのか、テメェ?」

 「………………」

 「言っとくけど、不意打ちなら無駄だぞ。頭を鉄で殴られたんだ、脳への衝撃が大きい……まともに動けないだろ?」

 「……………………」

 「まあ、大人しくしてくれるなら楽でいいけどな」


 反応はない。

 どうやら本当に気絶しているだけのようだ。

 最も、脳震盪に近い状態なら問題ない。不意を突かれないかぎり、俺は負けないはずだ。

 気を張っていればいい。警察が到着するまで、わずか十分程度なんだから。


 奴を見下ろすような位置に立つ。

 金髪は路地裏の土で汚れ、打ち据えた額が割れて血が流れている。


 「……おい。まさか、本当に死んでたりしてないだろうな……」


 そんな不安が漠然と蛇のように絡み付いてきた頃。


 「…………っ……よ……?」


 か細い反応が返ってきて安堵した。

 それと同時に緊張が走る。圧倒的優位で、こんな状態から負けるはずなんてないのに。

 僅かに上げられた顔、こちらを射抜く視線。


 「図に……乗るなよ……?」


 それがただ『殺す』とだけ告げていた。

 ゆっくりと動く。壁に背を預けるが、それだけだ。それ以上の行動はできない。

 奴の反撃はここまで。俺はその様子に僅かに気を緩めた。


 「《誓約》(フィーデス)」

 「は……?」


 通り魔はポツリと、何かを呟いていた。

 呆気に取られる俺の耳に届いてきたのは『フィーデス』という異国の言語。

 それが何の意味を持つか、どんなものなのかを考えようとして……俺はその選択が誤りであることに気づいた。


 「――――――」

 「は……?」


 一瞬で距離を詰められた。

 脳震盪を起こしているはずの男だ。立ち上がることすら容易ではない。

 そんな相手が、多少気を緩ませていたとは言え、俺に反応させずに目の前に立たれる、という事実。

 それが俺の思考を混乱に追い込んでいたらしい。


 「ぐっ……ぬぁ!」


 脊髄反射のように竹刀を振るうが、そんな単調な動きは避けられてしまう。

 奴の手にはサーベル。人殺しの道具が温かい血を欲しがっている。

 咄嗟に、後先考えずに右へと飛ぶ。

 次の攻撃のための回避ではなく……ただ、死にたくないと思う本能の恐怖だけの回避だった。


 「くっ……くはははははははははははははははははははははっ!!!!」


 哄笑が響く。

 それが煉獄の奥底に眠る悪魔に見えた。

 今までの、あいつじゃない。

 それは明確な線引きだ。『人殺し肯定者』と『殺人狂』の違いがここにあった。


 俺は、殺される。

 昨日もさっきの殺陣でも殺されかけていた。だけど、あの時の奴と今の奴は違う。

 何人もの人間を殺してきた冷酷な瞳が、それを物語っていた。


 「ぐっ……ぁぁあああああああっ!!!!」


 全力で避けても、避け切れなかった。

 左肩に熱い痛みが走る。血液が逆行するような違和感と、そして何かを失うような喪失感。

 最初は理解できなかった『斬られた』という事実が体に浸透していく。

 脳がそれを理解した瞬間、焼きごてを押し付けられるような激痛が襲ってきて、俺はたまらず悲鳴を上げた。


 「がっ、ぁぁぁあ……くあっ……はあっ、はあっ……」

 「くはははははははっ!!! やはり所詮は一般人……斬られる感触には慣れてないものか」

 「そんなもん、はあっ……経験する機会には恵まれないもんだと思うけど、な……はあ」


 精一杯の強がりが空しい。

 竹刀はまだ持っている。斬られたのは利き腕とは逆だ。まだ戦える。まだ、負けたわけじゃない。

 なのに、それが理解できる。

 なまじ実力を測ることができるだけに、俺はそのことを理解できてしまう。


 無涯黎夜は今のこいつには勝てない。

 前と今の実力差が尋常じゃない。奴が構えたサーベルに迷いはなく、そしてまったく隙がない。


 頭の中で抱いていた勝算が泡となって消えていった。

 こいつは違う。俺たちのような、所謂『一般人』という枠に括られている人間には太刀打ちできない。

 あの男を倒すためには、同じ土俵に上がらなければならない、と。


 「くっ、くく……『告げる、豊玉発句集より抜粋』―――――【三日月の 水の底照る 春の雨】」


 男は言霊を告げる。

 刹那、奴の右腕が消えた。サーベルを掴んでいた腕が消えた。

 目にも留まらぬ速度を超えて、瞳に映らない高速で奴の右腕が動いていた。


 「見事、防いで見せろ。これが私の『霊核』だ」

 「っ―――――――!!!!!」


 男が呟いた言葉は届かなかった。

 そんなこと、考える暇もないぐらい、無我夢中だった。

 ただ竹刀を振り回す。敵を攻撃するためじゃない。死にたくないと思う一心で。


 雨が上からではなく、前から降ってくる感覚。

 ニードルガンを乱射されているような錯覚が、大量の矢が襲い掛かるような恐怖が俺に襲い掛かった。

 振り回した竹刀に『雨』が当たる。

 ガキィン、と金属音がして、ようやくそれがサーベルの刃だと知った。


 (なんだよ……それ……)


 雨の正体に確信したのは十の雨を打ち落とした頃だ。

 人の身を超えた高速の刺突。一秒に五発刺し貫く妙技は、どう考えても異常の権化。

 俺は、そんな絶対的な力を見せ付けられて、気づいてしまう。


 (こんな、のっ……!)


 無理だ、と心の中で呟く時間さえなかった。

 持ちこたえたのは三秒弱。

 同時に鉄が仕込まれていたはずの竹刀が、叩き折られた。

 俺はその衝撃に耐えることができず、地面にそのまま吹き飛ばされる。


 「ごっ……!?」


 ごつり、という凄惨な音。

 壁に後頭部をぶつけたらしい。激痛と同時に、考える力が闇に囚われていく。


 (だ、めだ……)


 意識を失ったら終わりだ。

 殺されるだろう。奴は何の躊躇いもなく、俺の胸にサーベルを突き刺す。

 それに、命を奪われなかったとしても……ペンダントを失う。母さんの形見のペンダントが、両親との唯一の絆が。

 それだけはダメだ。そんなこと、分かっているのに。


 俺の記憶は、そこで途絶えた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「……三秒。私の本気を前に、よく持ちこたえたものだね」


 カイム・セレェスは敗れた青年を前にして、感心したように呟く。

 額から流れる血を舐めた。これは一般人である黎夜を相手にして付けられた、屈辱の傷だ。

 たかが学園都市の学生。切り札を使うまでもない、と思っていた。

 だが、現実はこうだ。カイムは切り札たるものを使い、そして全力を持って叩き潰した。


 「誇るといいよ。君は私に手傷を負わせ、そして本気を出させた。一般人初の快挙だ」


 それは己の失態にして、黎夜の誉れだとカイムは言った。

 自分はその組織では上位の立場にあるエージェントで、敵と認識したのはあくまで一般人だった。

 例えば『霊核』という言葉にすら覚えのない、表の世界の住人だった。


 「私は無涯黎夜を『敵』として認識した」


 故に。


 「敵は殺せるときに殺しておく。悪く思わないでくれ、それが私の主義なんだ」


 カイム・セレェスは容赦なく、サーベルを振り上げた。

 このままペンダントを奪えばいいだけの状況で、カイムはここで命を奪うことを選択した。

 それが確実だから。生かしておいて利がないから。たった、それだけの理由だった。


 「さようなら、無涯黎夜。誇るといい、君は裏の世界の住人の敵と認識された。それだけ、強かった」


 それで最後。

 青年の息の根を止めるために、カイムはサーベルを振り下ろした。



 血を啜るため、真っ直ぐに下ろされる刃は。

 黎夜の胸を貫くこと、なく。

 そのまま中空で静止した。代わりに流された血は、ほんの一滴だけカイムの頬を伝った。



 「…………ちぃ」


 頬を僅かに裂かれたカイムが舌打ちする。

 サーベルは黎夜を襲うことなく、改めて戻される。気絶した青年には構わない、そんな暇はない。


 「嘘が真となる、というか。噂をすれば影、というのはこの国の言葉だったか」

 「…………」

 「まさか、本当に現れるとは思ってなかったよ。月ヶ瀬舞夏」


 カイムの視線は黎夜には向けられていない。

 路地裏でもない、商店街へと続く道でもない。その瞳は、上空を見つめていた。

 商店街の一角には大きな建物が並んでいる地区がある。それは工業区と呼ばれ、その裏側が路地裏となる。

 カイムたちが立っているのが、その裏側。マンションのように高い建物、そこに。


 長く紅い髪と帽子、黄昏色に染まった白いワンピース。

 月ヶ瀬舞夏が立っていた。

 右手には眩い白い剣。左手には輝く白い盾。そして背中には……美しく、やはり白い、翼が。


 「そこから離れなさい、カイム・セレェス。さもなくば、次はその胸を射抜きます」

 「ふん……天使の羽を媒介にした矢、といったところか。貴様の『霊核』はよほどのものと見える」

 「いかがしますか? ここで私と戦うことの愚かさ、ご理解できると思いますが」


 カイムは余裕を崩さずに、しかし内心で忌々しげに舌打ちする。

 いかに身体能力強化で動いているとはいえ、本来なら脳震盪で意識も朦朧としている身だ。

 短期決戦ならともかく、長期となればなるほど不利になるのは目に見えている。

 そうなれば命も危うい。ここは無理をせずに、退くべきだと冷静な部分が訴えた。


 (だが……)


 そうなれば、舞夏はペンダントを回収するだろう。

 せっかくここまで追い詰めておきながら、結局奪われるとなれば無駄骨と言わざるを得ない。

 ここは援軍を呼びつつ、時間を稼ぐべきか―――そんな思考を、忌々しい音に邪魔された。


 「……警察、ですね」

 「ぐっ……くそ、またか。本当にこの男は腹立たしい」


 カイム・セレェスは路地裏の影へと消えていく。

 このまま警官たちを殺害し、その上で舞夏と戦うことになれば……それはまずい展開になる。

 もはや退くことに異存もなくなったカイムは、黎夜もペンダントも捨て置いてその場から離脱した。


 「………………」


 舞夏は少しだけ逡巡した後、路地裏へと舞い降りる。

 気絶した黎夜を見下ろし、そして首にかけられたペンダントを確認した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「……どういうことだ?」


 やがて、一分後。

 警察が駆けつけたとき、事は何もかも終わっていた。

 刑事はただ、首をかしげるばかりだった。


 そこには、何も残っていなかったのだから。

 気絶しているはずの通り魔の姿も、そして……無涯黎夜の姿さえも。






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