表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

第2章、第15話【鬼王】







月の光と紅蓮華が一人の青年を彩っていた。


青年がいるのは商店街の裏手にある路地裏、そのひとつ。

この連続殺人事件の舞台となった惨劇の現場は、今なおその爪痕を色濃く残していた。

月光の控えめな月明かりが、ゾーラ・ツァイスという殺し屋を浮かび上がらせる。

彼の右手には拳銃、左手にはサバイバルナイフ。

両腕も、ナイフも、銃も、そして青年の白い髪も、人の返り血で赤く染まっていた。


「七人、か」


ゾーラが始末した『連続殺人鬼の疑いがある者』の数だ。

路地裏で怪しく周囲を警戒するように行動していた者が六人。若者もいたし、年配の者もいた。女性の姿もあった。

その全てを殺した。銃で撃ち、ナイフで斬り付け、文字通り処刑した。

疑わしきは罰せよ。それが『処刑部隊エクセキューショナー』のゾーラ・ツァイスに課せられた使命。


「とりあえず、それらしき人物は、確かに、始末したと、思うが」


七人目はテレビで見たことのある顔だった。

ギョロリとした瞳の小柄な男だ。確か、世間では連続殺人の被疑者として報道されていたはず。

泣き喚く男の心臓に弾丸をぶち込んだ。恐らくは即死しただろう。

任務達成の予感はしたが、ゾーラは愚直に次の標的を探す。疑わしきの全てを罰するために。


そうして、更なる探索に足を向けようとしたそのとき。


「酷い手際だ。うちの構成員が六人もやられてる。いつから処刑部隊は無差別主義に目覚めたんだ?」


背後からの声にゾーラは振り向いた。

視線の先には眼鏡に天然パーマの男が不敵な笑みで立っていた。

彼の右手には拳銃が握られ、ゾーラへと銃口は向けられている。


「旅団の野牧誠一だ。学園都市とは協力関係にある旅団だ。分かるか?」

「分かる。私たちの処刑部隊と、君たちとは、何度も、協力してきた」


この学園都市は旅団の大きな拠点だ。

旅団をはじめとした裏組織がいる。旅団以外の組織も旅団の傘下に入った小組織のようなもの。

その旅団と学園都市は協力関係を結んでおり、互いに不可侵を信条として同盟関係を結んでいる。

だからこそ、今回の件は誠一にとっても見逃せる話ではなかった。


「そうだ。自分たちは味方同士のはずだ。ならば何故、うちの構成員に手をかけた?」


返事しだいによっては撃つ、と言外に告げる。

銃口を向けられてもゾーラに表情の変化はなかった。彼はろくに誠一を見据えることもせずに言う。


「任務、だからだ」

「クソ野郎が」


予想通りの答えに悪態をつく。

常人としての道徳や理屈をなくしたものは、しばしばそんなことで人を殺す。

そういう類の人間は考えることを放棄した人間か。

それとも、そんな生き方しか出来なかった不幸な生い立ちがゾーラにもあるのかも知れない、と誠一は思った。


「もう任務は終わりだ、帰れ」

「断る。今回の任務は、旅団の依頼では、ない。命令に、従う意義は、ない」

「そうかい」


だが、そんな事情は野牧誠一にとって知ったことではないのだ。

ゾーラにしてもお涙頂戴の過去を語って聞かせる趣味はない。

彼も誠一と同じように自然な動作で右手の黒い凶器を掲げ、敵対の意思を表明する。

両者の表情は厳しく、重苦しい雰囲気が周囲を満たした。

学園都市と旅団。二つの裏組織がここに対立する。


「お前は同盟条約を破り、協力組織のメンバーを殺害。自衛のためにやむなく殺害せざるを得なかった」


口頭はそれでいいんだな、と誠一がまず告げた。

これから起こる戦いは二つの組織の関係を拗らせかねないものなのだ。

理由をしっかりと考えておかなければ、大問題に発展する。それは当然、お互いが分かっている事情だ。


「君たちは、処刑部隊の、任務遂行の邪魔をした。よって、全員を標的と共に、始末した」


ゾーラもまた対抗するようにそう語る。

お互いに立場の違いは明白だった。譲り合うことなど有り得なかった。

相手を殺すと宣言し、銃を構える両者。敗者は相手の汚名も被って死ぬしかない。


「行くぞ、野牧誠一、霊核の博士、かつての、誓約者よ」

「…………っ!?」


投げかけられた言葉に誠一が僅かに動揺した。

その隙を見逃すことなく、ゾーラが拳銃の引き金を引く。先手はゾーラが容易に奪う。

裏世界を蠢く者たちの殺し合いが展開される。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……来た、か」


廃工場の外で待機していた希がそっと呟く。

中では無涯黎夜と月ヶ瀬舞夏が、一人の少女を救うために頑張っている。

彼らの邪魔をさせないために、高原希はここに立っている。


「…………お早いお着きね」


現れた人影に声をかける。

最初からこうなることは分かっていた。何のために希がここに残っていたのか。

処刑部隊が動いたということは、学園都市が敵に回ったことに等しい。

つまり、ゾーラ・ツァイス一人が投入されたわけではない。そんな中途半端なことはしない。


希の眼前に立っていたのは処刑部隊のメンバーたちだ。

学園都市の教師と生徒で構成された、学園都市の暗部。殺すことで街の平和を守る部隊。

暗い闇の中では詳しい人数も相手の顔も把握できない。もしかしたら知っている顔もいるかも知れない。


「さて、儂らに申し開きすることはあるかのう、旅団の隊長よ」


そんな中で一人、前に進み出る男がいる。

二メートルの巨漢。和服に身を包んだ白ひげの男の名前は吾蔵紅煉(わくら、こうれん)と言う。

学園都市の生徒ならば誰でも知っている伝説的存在だ。


「あら。東雲学園の学園長本人が来るとは光栄ね」

「これほどの事件となればの。儂らとて無為に日を過ごしておったわけではないわ」


新東雲学園、学園長。

それが表世界の名であり、更には裏世界の名前では学園都市ナンバー2の怪物。

既に齢六十を超えているが、老いてなお益々盛ん、という言葉を証明するような筋骨隆々の老人だ。

処刑部隊の長。紅煉は腕を組んで威厳たっぷりに言う。


「今回の件。旅団の不手際で犠牲者が増えたことは申し開きのしようもあるまい」

「わざわざそれを言うために来た、というわけじゃないわよね」


回りくどいことは嫌いだった。

同時に少しばっかりせっかちな性格の彼女は壁に立てかけておいた槍に目をやる。

この廃工場に訪れたということは、この中で行われていることにも気づかれている可能性が高い。

そうなれば、激突は避けられないところだった。


「うむ。此度の連続殺人、儂は二つの可能性を睨んでおる」

「…………、」

「ひとつは殺人鬼が誓約者であるため、旅団が手を焼いている可能性。もうひとつは」


それこそが本題である、と告げるように紅煉は目を細める。

老獪という言葉は似合わないものの、長く生き続けた年の功が希の心を見透かせようとする。


「旅団がわざと殺人鬼を泳がせ、何らかを画策している可能性よ」


完全に気づかれている、わけではない。

だけどほとんどの事実は既に彼らの中で仮説として用意されてしまっている。

希は背中から冷や汗が流れるのを感じたが、それでも表向きに動揺することはない。

彼女もまた隊長の一人。幹部であり、責任者だ。その行動には責任が伴う。


「私たちがいったい何をしているって言うの?」

「それは分からん。だがの、いよいよとなった状況で、隊長格が集まったこの廃工場、何かあると思わんか?」


紅煉の言葉に希は無言だった。

それこそが肯定の証と見た紅煉は口元を僅かに歪ませると、白いあごひげに手をやりながら言う。


「どんな企みをしているかは知らん。だがの、それで学園都市の住人が犠牲となった。儂が許せんのはそこじゃ」

「……そうね。処刑部隊はもともと、学園都市を守る治安維持部隊だもの」

「そうじゃ。旅団と対立するのは儂とて心苦しい。それでも、儂らは儂らの本分を全うし、筋を通さねばならんのよ」


それが処刑部隊。

方法こそ褒められたものではないが、それが彼らの本分。

学園都市の人々を守るために彼らは戦っている。


「後ろの廃工場、改めさせてもらうが、構わんの?」


それを断ることはできない。

希の立場的にもそれを拒絶してしまえば、それは企みがあることを証明してしまう。

紅煉は希の返事を聞くこともなく、そのまま一歩前へと進み出る。

ざわざわ、と背後の処刑部隊のメンバーが各々、廃工場へ侵入しようと歩を進めて……足を止める。



「入らないで」



直後、空気が重くなった。

殺しを生業とするはずの処刑部隊のメンバーが気圧された。

希は直接、何かをしたわけではない。

人の敵意や殺意といったものが、たった一言に凝縮されていただけのことだ。


「今は大事な『手術』の真っ最中なの。無粋な人たちには入ってほしくないわ」

「手術……?」


訝しげに言う紅煉に希はええ、と頷いて扉の前へと立つ。

意思は明確だ。ここから先は通さない。

不機嫌そうな鋭い視線に混じった敵意を感じ取って、処刑部隊のメンバーたちが戦闘準備を整える。

いきり立つ彼らに対して、紅煉は静めさせるように手を上げてから言う。


「そのような戯言を信じろと言うのは、虫が良すぎると思わんか?」

「信じなくていいわ。邪魔しないでくれたらそれでいい」

「じゃから、それが筋が通らないと言うておるんじゃろうが。粋がるなよ、小娘」


威圧感の溢れる紅煉の言葉。

己の内にひとつの太い芯を持って何十年も裏世界で生きてきた男がそこにいる。

希とて、彼らを交渉で退かせようとは思わない。

かと言ってここで戦うことになるのはまずい。どう考えてもその被害は舞夏たちにも及ぶこととなってしまう。


「貴様、儂ら全員を相手にして勝てるとでも思っておるのか」

「ふうん」


高原希は対抗するように言う。

すまし顔で、いっそ相手を侮るかのように傲慢に。

それが素なのか、それとも交渉のための駆け引きなのか。それすら分からない。

彼女は一度鼻を鳴らすと、不敵に笑って言葉を紡ぐ。



「戦ってもいいわ。半分くらい死ぬだろうけど、構わないわね?」



いっそ、あまりにも傲慢不遜すぎる態度に紅煉は片眉を吊り上げる。

希はそのあまりにも巨大な槍を一度振り回すと、轟音が風を切る音として鳴り響く。

小柄な身体には似合わない戦槍。

その瞳の強い意志は確実に敵の半分を潰してくれる、という自信に満ち溢れている。


「それだけじゃないわ。邪魔をするなら学園都市にも甚大な被害をもたらさせる」

「儂を脅すつもりか、小娘」

「私はね。このときのために三ヶ月もかけたの。徹夜で生活スタイル崩したりしたのも、全部このときのため」


月ヶ瀬舞夏を救うため。

自分のお茶仲間を助けてあげたいから頑張った。

無涯黎夜には悪いが、彼のためではない。月ヶ瀬弧冬を救うために作った宝玉だ。

いま、ようやくその本懐が果たされようとしている。もうすぐ結果が出る。


「私は友達を助けたいの。ただそれだけ。裏世界の事情とか、壮大な企みとか、そんなのどうだっていい」


邪魔は、させない。

友達を助けたいと思うことの何が悪いのか。

学園都市と旅団の都合もどうでもいい。高原希は自分の好きなように動く。


「選んでいいわよ。私を敵に回してまで止めるか、このまま手を引くか。学園長なら、私の英雄の力は分かると思うけど」


紅煉はその言葉に対して、鼻を鳴らしただけだった。

脅しの効力は薄い。実際に希一人と処刑部隊の全員が戦えば、確実に敗北するのは希のほうだ。

目の前に立つ吾蔵紅煉という男は、希を更に超えた怪物なのだから。

彼の実力の高さが、学園都市を旅団と同じランクに留めている、といっても過言ない。


「確かに。貴様の実力を考えれば、こちらも無事では済むまい。半分はハッタリとしても、被害は甚大であろうな」

「…………」

「儂らの被害は恐れん。だが、ここで儂らと旅団が争えば、利するのは外部勢力よな」


そうね、とだけ希は返す。

旅団と学園都市が争えば、アスガルドを初めとした敵勢力が喜ぶだろう。

ここで両者が戦えば、旅団は高原希という誓約者を失う。

学園都市もまた、処刑部隊の何名かを失い、しかも旅団とは対立することになるのは必須だ。


「お願い。私たちは、私たちの筋を通したいだけ」

「………………」


長い沈黙があった。

処刑部隊が動くということの意味、それを曲げろと希は言う。

それを理解していながら、希は頼むしかない。

やがて、ゆっくりと。確かに吾蔵紅煉の首が縦に振られた。


「退くぞ」

「……良いので?」


退却を指示する紅煉の言葉に、メンバーの一人が確認を取る。

よほどのことがなければ、吾蔵紅煉という人物は己を曲げることはしない。

珍しいものを見たような声色に対して、紅煉は厳しい仏頂面を崩さないままに言う。


「今回の件、旅団の総意ではないようじゃからな。精々、一隊長の独断と見た」

「……それでしたら、十分抗議対象で?」

「そうじゃの」


呆気なく肯定しておきながら、紅煉は毒気を抜かれたような顔で言う。

彼が右手を振ってメンバーに帰るように言うと、一人二人と処刑部隊のメンバーが消えていく。

街を守るための部隊といっても、ゾーラのようにこれでしか生きられないだけの者もいる。

そんな立派な志を未だに宿している者は少数に過ぎない。


「今回の件は貸しじゃ。いずれ返せ」

「請求はうちの副主任に言いなさい。少しは利便を図ってくれるんじゃない?」

「ふん……喰えん女よな。嫁入り先が見つからんのではないか?」

「そ、それこそ大きなお世話よ。ちゃんと当てはあるわ」


投げかけられた言葉に希が言いよどむ。

不遜な態度だった彼女が目をそらして呟くのを見て、紅煉は僅かに笑った。


「勘違いはせんでもらいたい。貴様は退いてもらったのではなく、見逃してもらっただけじゃ」

「……分かってるわよ」

「それと、悪いが一人だけ処刑部隊のメンバーと連絡が取れん。そっちまで責任は持たん、勝手にするがいい」


それが、四番隊を全滅させたという処刑部隊だろう。

出来ることなら彼も退かせてもらうなり、してほしいのだが、これ以上の我侭は通らないだろう。

紅煉もまた立ち去ろうと背中を向ける。その背中に向かって問いかけた。


「そっちは倒していいのかしら?」

「生き残ったもの勝ちじゃな。勝ったほうの言い分を信じる。どの道、敗者はいらん」

「……殺してもいいってこと?」

「生かして返してくれるならありがたいが、言うまでもなくこっちは相手を殺すつもりじゃぞ」


生け捕りにしてもいいが、そんな心根で学園都市の殺し屋を止められるか。

言葉の裏にそんな意図を感じて、希は黙る。

本当に困った。旅団に対して都合が良すぎる。これは確かに学園都市に対する『貸し』だ。

彼の気まぐれには認めたくなくても、感謝しなければならない。


「感謝するわ」

「いらん。態度でいずれ示せ」


その言葉を最後にして紅煉の姿が掻き消える。

希はその後姿を見送ったあと、誠一の応援に向かうか、ここに留まるかで少し悩んだ。

だが、処刑部隊が気が変わった、といって押し入られても困る。

誠一はここを死守してほしい、と言っていた。なら、それを守り通すことこそが、一番正しい選択だと思った。


「…………ま、まあ別に。心配してないし」


ふと、口に出た言葉に少しだけ頭を抱えた。

危機が去ったと理解して希はそっと槍を壁に立てかけると、得物と同じように自分も壁に背を預ける。

時間を潰す方法を探しながら、希は路地裏へと続く通路を見た。

その奥では命を懸けて戦う部下がいて、案じるような表情でしばらく彼女は立ち尽くしていた。


ざり、と足音が聞こえてそちらに視線を向ける。


「あら」


意外そうな人物の登場だった。

黒い髪の外国人。出血していた腹部には包帯が巻かれている。

顔面蒼白で今にも倒れそうな彼を見て、希はとくに声をかけることもなく、そっと道を譲るのだった。

譲られた道のさきには扉、彼の仕える主たちがいる。


「任せたわよ」

「……感謝します」


短い言葉を交わして、彼らは交差する。

直接助けたいと願う者と、間接でも助けたいと願う者が擦れ違う。

お互いに武運を祈って、彼らはそれぞれの自分の仕事を全うするために力を尽くす。




     ◇     ◇     ◇     ◇




銃声が響く。

地面を蹴る音がする。

白銀の凶器が閃いて風を切る。


「自分のこと、知ってるの……か……っ」


息切れしながらそんなことを問いかけたのは野牧誠一だった。

戦いはあまりにも一方的だった。

ごろごろと我武者羅に地面を転がり、左腕からは出血している。荒い息は劣勢を示すように早い。

銃を撃って反撃するが、それも一時的な牽制にしかならない。


「学園都市は、協力関係にある、組織のことは、一から、調査している」


対してゾーラは息が乱れることすらない。

決定打こそないものの、身体は無傷そのもの。素早い動きで野牧誠一を翻弄している。

今はただ無理をしていないだけで、肉を切らせて骨を絶つ戦法へと切り替えたなら即座に誠一は倒されるだろう。

第一、無理をすることはない。まもなく誠一の体力は底を尽きる。


「野牧誠一、三年前、旅団の四番隊長、だった」


今やその面影もないがな、と退屈そうな瞳が告げている。

野牧誠一の運動量を把握したが、酷いものだ。とても裏世界を渡り歩くようなものではない。

そもそも体力がない。少し動いただけで息を切らす。

正直なところ、彼はそこら辺にいる大学生とそれほど変わらない。化けの皮は剥がれた、とゾーラは思った。


「参ったな、おい……はあ……はっ……全部、知ってんのかな……?」

「言うまでも、ない」


ゾーラには会話に興じる余裕もある。

誠一にはないはずだが、そんなことはどうでもいい。

地面を蹴って接近し、そのままナイフを閃かせる。誠一は手馴れた動作でそれを捌こうとするが、遅い。

捌ききれなかった一撃が、誠一の右肩を僅かに切り裂いた。


「三年前、霊核の実験が行われた。旅団は、新たな可能性を、見つけ出そうとした」


誠一は距離を取ろうとするが、ゾーラはそれを許さない。

更に距離を詰めるとナイフを振るう。

ゾーラの戦闘スタイルは接近戦による鋭いナイフと、奇襲や遠距離からの攻撃として銃を多用する。

絶妙にして変幻自在な業は達人の域を達していた。


「ぐあっ……」

「人の器に、二つ以上の、霊核を宿す、実験だ」


ざくり、と肉を抉った感触が右手に確かに伝わった。

心臓を狙った刃は右腕によって邪魔をされたが、手の甲を串刺しにする。

赤い血が舞って、誠一とゾーラの両者を真っ赤に染める。激痛が誠一を支配する。

その衝撃で誠一は右手の銃を手放してしまった。


「そこで、どんなことが起きたのか、それは知らない」


一瞬の判断でナイフを手放すと、誠一の銃を蹴飛ばした。

地面を擦る音がして誠一の武装である銃が、誠一の届かないところまで転がされる。

彼の右手にはナイフが貫通したままだ。そんな彼の腹にゾーラは強烈な蹴りを浴びせる。

身体が折り曲がり、吐瀉物を吐き出しかけた。そんな誠一に一切の容赦なく、ゾーラはもう一撃を加えた。


「だが、君が四番隊長で、なくなった以上、何が起きたかは、明白だ」


無様に転がる誠一に向けて、容赦なく銃を発射した。

誠一がそれを避けることができたのは全くの偶然だった。ゾーラの動きに構わず、そのまま地面を転がったのだ。

それはゾーラが追撃で銃撃してくることを読んでいたからだが、それだけではこの状況を覆すことはできない。

もはや語っているのはゾーラだけであり、誠一には一切の余裕がなかった。


「実験は、失敗した」


そして、終焉はすぐに訪れる。

起き上がろうとする誠一の腹を、ゾーラは全体重をかけて踏みつけた。

声にならない苦痛に、誠一の身体が痙攣した。

無様に地面に横たわったまま、もはや立ち上がる力もないらしい誠一に対して、ゾーラは銃を突きつけた。


「君は代償として、恐らく誓約者ではなくなった」

「がっ……あっ……」


チェックメイト。

もはや反攻に転じる体力もない誠一に打つ手はない。


(ちくしょう……やっぱ、だめか……)


誠一の心を諦めが占めていく。

野牧誠一の力では目の前の殺し屋をどうにかできるほどの力はない。

そうだ、これが野牧誠一という人間の限界。

既に『主人公』という役割から転げ落ちた人間には、こうして倒れているのが妥当なのだ。


(参ったなぁ……くそ……)


悔しさに涙すら滲んでくる。

虚しくて、情けなくて、それでも納得している自分がいる。

納得したとたん、思わず笑みが零れてしまう。

そんな誠一の様子を知ってか知らずか、構うことなくゾーラは引き金に手をかけた。


「君は愚かだ、力を求めて、全てを失った」


その言葉がかつての野牧誠一を的確に表していた。

確かに愚かだったかも知れない。

惨めな自分は無謀の代償として、確かにそこにある。こうして土を舐めている立場にいる。


(ああ、畜生……『自分』じゃダメか)


すう、と観念するように息を吸った。

それはいっそ、全てを諦めたかのような表情だった。


「さようなら」


短い死刑宣告。

ゾーラはこれまでと同じように、躊躇うことなく引き金を引こうとした。

だが、引き金を引くことはできなかった。

迷ったわけではない。躊躇ったわけでもない。もっと単純な話だった。



―――――――使いたくなかったなぁ。



「《神約フィーデス》」



誠一が言葉を紡いだ、その瞬間。

ゾーラの身体が弾け飛んだ。まるでバレーボールのように鈍い音をさせながら。

三回、四回と硬い地面にバウンドさせられたゾーラの身体は、勢いが止まることなく壁に叩き付けられた。


「なっ……が……ごはっ……?」


何が起きたのか、文字通りゾーラは理解できなかった。

腹部に強烈を超えて殺人的な一撃が叩き込まれた、らしい。

らしい、というのはその瞬間をゾーラ・ツァイスは反応するどころか、視認することすらできなかったからだ。

激痛に全身がバラバラになったかと思った。身体の中で骨が砕かれていた。


ゆらり、と。対照的に野牧誠一の身体が起き上がった。

俯き加減で目が黒い髪に隠れており、その表情を把握することはできない。

だが、彼の声が聞こえた。口元が僅かに動いている。ゾーラはそれを直接聞いたわけでもないのに、背筋が凍った。



「なあ、少年」



違う。

先ほどの男じゃない。

あの無力な存在じゃない。

化け物だ。あいつは違う、とゾーラは本能的に理解した。



「お前――――鬼を見たことはあるかい?」



その答えになら、答えられた。


今まで見たことはなかった。

そして今、目の前にいるのが『鬼』だとゾーラは思った。

『人』とは違う存在。古来より『人』の敵とされてきた怪物という存在が、にたりと笑った。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「あ……れ?」


津井藤矢はゆっくりと目を開ける。

地面に横たわったまま、何度も目を瞬かせた。

感触としては昼寝から目覚めたときのような、生活リズムも関係なくうたた寝をしていた感じだった。

おかしいな、と津井は思う。


「…………生きてますや」


生きている。

胸に銃弾をぶち込まれたというのに。

あれそのものが生々しい夢だったのか、と疑いたくなった。

だが、胸に巻かれた白い包帯の存在と、その包帯が真っ赤に染まっていることから夢じゃないと判断する。


「おう、起きたか。寝てろよ、また死ぬぞ」

「…………あんた」


視界の端に奇妙な男がいた。

緑色の髪をした細目の男性。白い衣服に身を包み、煙草を吹かせていた。

津井の隣には同じく四番隊のメンバーが倒れている。

全員、何らかの治療を施されているが、目を覚ます様子はない。ぐっすりと眠っているらしい。


「ったく、いきなり呼び出しを受けたと思ったら、こんなに患者さんがいるとはなぁ……薬が足りねえかと思った」

「薬……?」

「おっと、あんま喋んなよ。胸に穴が開いてやがったんだ、次に開いたら責任はもてねえぞ」


朦朧とした頭では彼が何を言っているのか、よく理解できない。

薬を使って胸に開いた傷を塞いだ、と言いたいのだろうか。

白衣を着ていることから医者だろうと予想できるが、彼は裏世界の闇医者か何かだろうか。

物知りでいたつもりだった津井だが、そんな凄腕の医者の存在は知らなかった。


「いやー、良かった良かった。あの薬、まだネズミとクソガキにしか投与してなかったんだが、良く効くな」

「…………」

「お? 嫌そうな顔すんなよ、自信はあったんだぜこれでもよ。おかげでようやく、マシな薬として世に送り出せるわなぁ」


かんらかんら、と緑色の男が笑う。

何者だろう、とか。そんな疑問が津井の中に巻き起こるが、それでも口は開かない。

気になることが多すぎて、夢でも見ているのではないか、と思ってしまう。

津井は確かに、死んだ、ような気がしたのだが。


「しっかし、治療してやった途端に逃げ出した奴がいたが、ありゃあ誰だぁ? なんかこう、ギョロっとした奴」

「げっ……霧咲孝之……」

「ああん?」


医者らしき男は、思わず津井が漏らした呟きを拾って少し考えた。

その名前に聞き覚えがあったらしい彼は、眉を歪めた。

そしてようやく思い至ると思わずちっ、と舌打ちをしてしまう。


「しまったなぁ、ドクターストップしておくべきだったか。逃げちまったぞ、そいつ」

「………………」

「いやぁ、悪かったな。一番ひどい状態だったから、真っ先に治療したら逃げちまってな」


彼としては大人しくしろ、と言いたいところだったが、要治療患者が多いために追跡は断念したらしい。

命を助けたこと自体は特に後悔していないようだ。

津井は少し逡巡したが、やがて意を決したように言う。


「自分は、死んだと思いますや」

「死んだな。だから生き返らせた」

「いや、そんな簡単に」

「簡単じゃねえよ。色々と制限があんだよ。万人を生き返らせることができんのなら、俺様は今頃、英雄さまだ」


いや、普通なら人を生き返らせることはできない。


「アンタ……何者ですや?」

「俺様かぁ?」


超適当に投げやりな口調のまま、緑色の髪の医者は立ち上がる。

どうやら次の患者のところへと向かうらしい。

地面に横たわっているからこそ分かるが、遠くからこちらへと向かってくる足音が聞こえる。

恐らくはこの医者が呼んだ人員たちだろう。彼らに津井たちを任せて医者は次なる戦いの場へと赴く。



「俺様は『神の右腕』だ。奇跡を司る神様の右手だよ」



白衣をはためかせ、医者はそのまま立ち去った。

津井は最後まで、彼の言っている言葉の意味が理解できなかった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「バカな……」


形勢は逆転した。

ゾーラにとってそれは悪夢としか言いようがなかった。

目の前で起きている出来事は単純だった。

誠一の拳の一撃が壁を砕き、地面を蹴れば一瞬で距離を詰められ、圧倒的戦力で潰される。


「貴様、霊核は……」


霊核は使えないはず。

そうでなければ隊長を下ろされるなんて事態になるはずがない。

だから霊核を失ったに違いない。そのはずなのに、どうして誠一はこうして自分を圧倒するのか。

分からないゾーラに向けて、彼はゆっくりと説明する。


「実は霊核を完全に失ったわけじゃないんだよ。ほんの一分ほどなら、今でも『俺』は全盛期になれる」


一分、という時間。

戦いにしてみればあまりにも短すぎる時間だ。

そしてその霊核もまた、通常の誓約者としてのそれを超えたものとして覚醒した。


「なあ、知ってるか?」

「……?」

「霊核を二つ以上宿すとな、人格がぶっ壊れるんだよ。あんまりに強大な力だから、潰れてしまうんだ」


霊核。

英霊の魂を宿した宝玉。

誓約者となるにはその英雄を心に宿してなお、耐えなければならない。

耐えられないものは自滅し、廃人となる。それが誓約者の末路だ。


「世界のどこかには、英霊の力を完全に制御するような才能を持っている奴もいるんだろうが、生憎と『俺』は違った」


二つ以上の霊核を宿す誓約者。

それは英雄二人分の魂を許容する必要がある、ということだ。

残念ながら野牧誠一はそれに該当しなかった。彼は選ばれた存在というわけではなかった。


「『俺』は以前宿していた霊核のほとんどを失い、暴走した。最終的には瀕死になって、隊長を下りた」


手を下したのは高原希だ。

彼女ほどの力でなければ、二つの英雄の力を宿して暴走した誠一は止められなかった。

惨劇としか言いようがない凄惨な戦いだった。

彼女は涙を流しながら、誠一の左腕を破壊し、両足の腱を引きちぎった。そうしなければ犠牲はもっと広がっていた。


「だけどな、そのときに『俺』は変革した」


野牧誠一の変革。

それは人の枠を超えた存在への昇華だった。

人間の英雄という枠を超え、もっと恐ろしい『怪物』としての霊核を宿すこととなったのだ。

それと同時に誠一は新たな名前を手に入れた。


即ち、『神の指先』と。


神の名を冠した存在。

創造主に認められた『人以上の霊核』を宿した者。

故に彼らの中での変貌のキーワードは『誓約』にあらず、神として降臨する『神約』と為す。



「これまで通りの野牧誠一とは別に、もっと大きな役割が人格を持って形成されていく。

 だんだんと『俺』と『自分』の境界線が分からなくなっていく。

 イメージ的に言えば『俺』には二つの顔があるんだ。もうひとつの自分を、とある男は『神の指先』と呼んだ」



二重人格、とは違う。

野牧誠一と神の指先は等しく、同じ存在として偏在する。

言うなれば『神の指先』とはこの世界における役割だ。

その代償として、その報酬として、野牧誠一は神の力の一端をこの手に収めた。


「もう時間だな。最後に教えておいてやる。『俺』の霊核の名前だ」


ゾーラは死刑宣告に反応して銃を構えた。

だが、身体が動かない。震えた手は思うとおりに動いてはくれなかった。

恐怖と絶望がゾーラを包み込んだ。

人間以上の存在、英雄以上の存在として眼前に存在する者への畏怖が、ゾーラに反抗する気力を失わせていた。



「鬼王、酒呑童子しゅてんどうじ



鬼を束ねたとされた鬼。

人の枠を超え、信仰され、畏怖され、そして英雄によって退治される。

鬼は神の一端を担う怪物の一柱。

単純な鬼としての膂力によって振るわれた拳が、ゾーラへと向けて振り下ろされる。


「う、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


ゾーラの咆哮が路地裏に響いた。

心を奮い立たせて反撃しようとしたゾーラだが、畏怖に当てられた指は決して動かない。

耳を塞ぎたくなるような、肉を潰す音がした。

処刑部隊の殺し屋だったゾーラは血溜りの中に沈み、それを見て鬼が真っ赤に染まった腕を見て笑った。



「信じられるか? これが一番格下の神様なんだぞ?」



そうして、時間が経過する。

一分という短い時間が過ぎた途端、誠一の余裕に満ちていた顔が激痛によって歪んだ。

苦しそうに唇を噛み締めると、立っていることもできないらしく、そのままその場に倒れ伏した。

その身体が痙攣し、誠一は苦しそうに息を吐く。


「かっ……は、は、は……は、はあ……」


神の力を利用した代償が誠一を襲う。

ろくに呼吸もできない状態で、は、は、と短く息を吸うとそのまま意識が朦朧としていった。


(まあ……いいか……)


裏方の出番は終わりだ。

物語の締めは主役に任せて、死んだように眠りにつこう。

誠一は僅かに口元を歪ませると、そのまま意識は闇の中へと堕ちていった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ