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第2章、第13話【暗黒】






「…………結果が出た頃か」


藍色の混じった黒天然パーマに眼鏡の男性。

野牧誠一は騒ぎの起こっていた路地裏方面から少し離れたところで待機していた。

商店街に数多く点在する店のひとつ、その壁に腰掛けて静かに息を吸う。

彼は霧咲孝之確保の作戦にも関わることなく、ずっとその場に待機していた。


「時刻九時ジャスト。作戦を第二段階に移行……ってか」


切っておいた携帯電話の電源を入れた。

これで再び連絡が取れるようになる。

誠一が待っているのは月ヶ瀬舞夏からの電話。彼女が下した最後の決断を待っている。


「頼むぞ、おい。黎夜……お前の図々しさが頼りなんだ」


野牧誠一もまた、月ヶ瀬舞夏が妹を殺害するということに反対だった。

彼女がどれだけ苦しんでいたかも知っているつもりだし、彼女の妹を助けるために誠一たちは協力していた。

霊核殺しの宝玉を数ヶ月も掛けて生み出したのだ。


この、『神の指先』としての力で。


その呼び名は聖痕スティグマのような存在だ。

その力は座についたからこそ手に入れたものだ。


(………………)


神の指先。

実は野牧誠一本人ですら、その全容を把握していない。

ただその存在だけは知っていて、自分も『そういう種類』なのだと言うことは理解させられた。


「神、か」


お笑い種だ、と誠一は口元を歪めて笑った。

どんな厄介ごとに巻き込まれているか知らないが、それはいずれ業火として己に降り注ぐ。

くぐもった笑い方をする青年を見咎めて、一人の男が近づいてくる。

誠一はもはやそちらのほうに視線を向けることはしなかった。

数年前からの顔馴染みだ。


「やあやあやあ、こんなところでどうしたのかね、神の指先よ」

「アンタか」


誠一はますます凶悪な笑みを浮かべると、現れた男を一瞥だけする。

いつも通りの薄い気配と全体的に黒っぽい服装の男。

この嫌みったらしい喋り方はまさしく『神の瞳』と呼ばれし、自分と同族と言われた男だった。


「悪くないストーリーだね。神様も喜んでいるのではないかな」

「残念ながら」


誠一は右手の親指で胸を突付くと。


「お目当ての相手は、心のここだ。『自分』は野牧誠一だよ」

「……ああ、そうか。そうだなそうだった。そう何度も主導権を奪えるものではなかったな。失礼した」


神の瞳は嘲るような笑みを浮かべる。

目的の人物に逢える様子ではないのだが、それでも彼は立ち去ろうとしない。


「……なんだ」

「野牧誠一。君もなかなかあくどい。親友も恋人も、この世ならざるモノすらも利用するのかね」


挑発のような言葉に、誠一の顔から笑みが消えた。

あーあー、と発音を確かめるように呻くと、誠一は壁に寄りかかっていた身体を起こす。

そして不敵にもう一度口元を歪めた。

先ほどよりも邪悪に、以前よりもずっと凶悪に。


「ナイ神父」


神の瞳の名を呼んだ。

ナイと呼ばれた神の瞳は静かに彫りの深い顔に笑みを強めていく。

そんな彼を前にして、誠一がゆっくりと問いただす。


「何処まで知っている、今回の事件」

「君と高原希、月ヶ瀬舞夏とアルフレッド・ガードナー。四人が共謀して一人の少女を救おうとした」


問いかけられた言葉すら予想していた通り、と言わんばかりの即答。

ナイ神父の言葉は楽しげでありながら、その言葉は重苦しさを相手に感じさせるようなものだった。

神の瞳を僭称した者はその名に恥じない力を持っている。


「四番隊の部下すら騙し、監視役の藤枝緋紗那を欺き、霧咲孝之をわざと脱獄させてダミーに据えた」

「…………ふん」


全てお見通しらしい、と判断して誠一は憮然としながら鼻を鳴らす。

腕組みし、もはやナイ神父に種明かしをさせることもなく、自ら事の顛末を語る。


「霊核殺しの宝玉を作る役が自分と希さん。アルフレッドはオーストラリア旅行と偽って、霧咲孝之を脱獄させたよ」

「「この学園都市に霧咲孝之を招きいれたのも君たちだ。この学園都市は閉鎖空間、一人で忍び込むのは難しい」」


ナイ神父の声は複数の男性の声だった。

誠一が訝しげに顔をしかめる。

まるで反響エコーがかかっているかのような声色のナイ神父が、クッ、と短く笑った。


「「「いやいやいや、中々厳しいね。旅団の上層部に知られてしまえば、何らかの責を負うのではないかな」」」


野牧誠一の背後に人の気配がある。

ただでさえ薄い男は生命の流れすら感じさせないほど無機質な動きで現れた。

一人、二人、三人。

誠一は顎に手を当てて考え事のポーズを取ると、ぼそりと呟いた。


「三つ子? いや、前に殺した分も含めれば四つ子か」


そんな言葉を投げかけられたナイ神父『たち』が、可笑しそうに笑う。

思えば彼の笑っている姿しか誠一は見たことがない。

ねっとりとした、蜂蜜のような薄い笑い。何処となく人を嘲笑するような表情がナイ神父の日頃の表情だった。


「いやいや、君は分かっているはずだよ」

「私は偏在する。私は何処にでもいる。私は一にして無限」

「世界の何処にでも存在する。私は『神の瞳』としてその総てを視る」


それぞれの神の瞳が順番に語る。

その光景は非常に精神衛生上、悪いものだったので誠一は露骨に嫌な顔をした。

誰だって同じ顔をした他人から謎めいた言葉を吐かれたら、別の意味で頭が痛くなる。


「……まあ、軽いホラーは置いといて。何が言いたい?」

「君もあくどい男だ、と言ったはずだが?」


黒いコートを羽織った男たちは、その言葉を皮切りに一人一人が誠一を弾劾していく。

男の数が一人、二人と更に増えていく。

叩きかけるように、その呪いのような言葉は怨嗟となって誠一の闇を暴いていく。



「君はわざと無涯黎夜を裏世界に巻き込んだ。その証拠に君自身が霊核譲渡の交渉を行わなかった」


「君は月ヶ瀬舞夏の気遣いを強引に毟り取った」


「君は今回の事件をわざと無涯黎夜にリークさせ、事件の根本的解決を目指した」


「英霊証明を渡し、霧咲孝之が犯人ではないと遠回りに証明させた」


「何故か」


「ナゼカ?」


「無涯黎夜に霊核を外されては困るからだ。彼が再び一般人へと返り咲き、利用できなくなることを恐れた!」


「月ヶ瀬舞夏のためではない! 無涯黎夜のためでもない!」


「ただ己のシナリオ通りに物語を進めていく! 総ての人を駒のようにして動かそうとしている!」


「それこそが『神の指先』の役割だ! 君はとても役割に忠実だ! 素晴らしい!」



重ねられる害悪の言霊。

圧倒的な質量をもって押し寄せるのは己の心。

それは傷を切開する外科医のように、懺悔を受ける神父のように。

ナイという男は十人を超えて増殖し、真相という名前の刃を次々と誠一に突き立てていく。

それは餌に群がる鴉のようにも見えた。


「何度も言うようだけど」


無数の言葉に突き刺された誠一はしかし、静かに言葉を紡いでいく。

向けられた嫌疑は諸悪の根源としての立場。

彼に向けられた信頼も愛情も、その総てを否定されつくして、なお。野牧誠一は口を開く。


「『自分』は野牧誠一だよ。アンタが言うような黒幕になれるような器じゃない」


そして主人公の器でも、ない。

静かに心の中で呟くが、それは誰が知らなくてもいいことだ。


「だから自分にはアンタが言っている意味が分からない」


消えていく。

黒いコートの男たちが一人、二人と誠一の視界から消えていく。

彼らは一にして全。

役割を終えた存在たちが静かに霧散していくなか、最後に残った一人に向けて誠一は言い放つ。


「それこそ、真実なんて『神様』しか分かんないんじゃないか?」

「その通りだ、その通りだよ。そう、真実は『神様』にしか分からない」


含みのある言葉は何を思ってのことだろうか。

文字通り神を宿した存在は忍び笑いを浮かべて、誠一の視界から消え失せようとする。

灰のように消えていく人影を呼び止めて誠一は言う。


「自分からも言わせてもらいたい。霧咲孝之の件だが」

「ふむ」


最後の一人の影が揺らぐ。

興味を引かれたのか、はたまた気まぐれなのかは分からない。

彼は立ち去ることをやめ、誠一の言葉に耳を傾ける。


「彼を脅してノイローゼに追い込み、草壁睡華を襲わせたのはアンタで間違いないな?」


その言葉に一瞬、ナイ神父の笑みがぎこちないものになる。

その反応が何よりの証拠だ、と誠一は内心でほくそえんだ。

彼は先ほどのように偏在し、分裂し、増殖する。

常人の孝之相手にそのような姿を見せれば精神に異常が出てもおかしくはないだろう。

先ほどの誠一を言霊責めにする姿を見て、誠一はそのことに確信を覚えた。


「……ああ、そういえば彼女はどうしたのかな? 病院の世話になっていると聞くが、さてさて」

「彼女の記憶は消させてもらった。以前にも一度消したことがあるから、難儀したがな」


それより、と話を逸らそうとするナイ神父に向かってはっきりと告げる。


「アンタの『瞳』の便利さは知っているつもりだけど、それでも掻き回さないで欲しいもんだ」

「さてさて、さてさてさて。何のことか分からないが、少しその警告は遅すぎた」

「なに?」


その言葉に違和感を覚え、更に追求しようとしたそのときだった。

ピピピピピ、と誠一の携帯から電子音が鳴り響く。

月ヶ瀬さんか、と期待してポケットから取り出したが、予想に反して相手の電話は四番隊の部下からだった。

もう作戦行動を終了して、霧咲孝之の身柄を押さえているはずだったが。


不審に思いつつも、誠一は携帯電話を耳元に当てて通話する。

聞こえてきたのは悲痛な叫びだった。



「ふ、副主任……! こ、こちら四番隊所属の津井藤矢(づい、とうや)ですや……! 現在、正体不明の敵性と交戦中、応援を……!」




     ◇     ◇     ◇     ◇






何が起こったのか。

四番隊所属の津井には分からなかった。


今から十分ほど前のことだ。

隊長と副長の両方から連絡もなく、また連絡が取れない状態だったが、とりあえず与えられた任務は完了。

路地裏の端で気絶していた霧咲孝之の身柄を押さえ、一息をついていたところだったのだ。

メンバーは津井の他にも五人。それぞれの隊員の表情にも安堵がこぼれる。


霧咲孝之に手錠をかけ、細心の注意を払って護送すればそれで終わり。

確かに誓約者ではない隊員たちでは緊張感も感じる仕事ではあったが、既に誰かが気絶させてくれていた。

おかげで捕らえるのも楽だったわけだが、いったい誰が孝之を打ち倒したのか、で少し隊員の間で話題を呼んだ。


隊長説。

副長説。

学園都市に暗躍するスーパーマンみたいな存在まで噂された。

そんな中、一人の隊員が可能性を指摘した。


「あのー、津井さん。処刑部隊エクセキューショナーって可能性はどうでしょう?」

「ねえですわ、多分」


この学園都市の暗部として、代わりに手を汚す役。

それが処刑部隊と呼ばれる存在。今回の事件でも処刑部隊の投入は間違いないだろう、と言われ続けてきた。

何とか出てくる前に事件は解決できたが、もしも出てきたらどれほど危険かを津井は知っている。

仮にも津井藤矢という男は、裏世界を三十年以上も生き残ってきたベテランなのだ。


「何度か処刑部隊の方々と仕事を一緒したことがあるんですや」

「さっすが津井さん! 伊達にベテランじゃない!」

「その特徴的な喋り方もただのキャラ立てじゃないんですね!」

「すっごく違和感がある語尾とかもただのキャラ立てとかじゃなくて、別に意味があるんですね、分かります!」

「く、口調のことは言うなやー!」


誓約者を護送中だと言うのに、彼らの会話は明るい。

もっとも霧咲孝之は舞夏たちが誓約者だと言ったに過ぎない、ただの一般人。

いくら津井を含める隊員たちであるとは言え、護送に失敗するようなことはない。


「まあ、とにかくや。処刑部隊ってのは血も涙もない奴らですや、何ていうかー、あー」


津井は何かいい例がないか、と頭を巡らせて。

やがて思い至ったらしく、そうですやな、などと呟くと後輩と思われし男女たちに向かって説明していく。


「人質百人を取って立てこもる銀行強盗がいたとしても、迷わず制圧しにいくって感じですや」

「え、人質は?」

「無視はさすがにしませんや。けれど処刑部隊にとっては『標的の撃破』が最優先されるわけで……まあ、十人くらい死ぬ」


もちろん、その責任は全て強盗に押し付ける。

学園都市お抱えの掃除屋。人知れず手を血で汚していく存在。

それが処刑部隊と呼ばれる存在の行動であり、だからこそ気絶させただけの霧咲孝之の姿はありえない。

これだけの犠牲を出した存在ならば、まず間違いなく殺害するのが通例だからだ。


「堪りませんな」

「堪りませんやー。味方になってくれれば頼もしいけど、敵に回したなら嫌な感じですや」

「でも、旅団と同盟締結しているんでしょう?」

「そう、手を組んでいますや。旅団も学園都市も、自分だけじゃトップクラスには勝てないって踏んだんですやな」


それは聞いたメンバーの、まだ二十代ぐらいの男性が少し意外そうな顔をする。

彼はおずおずと津井に向けて、疑問を投げかけてみた。


「あ、あの……旅団や学園都市でも、勝てないんですか? 誓約者だって、旅団だけで七人くらい抱えてるのに」

「ランク付けするなら、旅団や学園都市はBクラス。アスガルドはAクラスからSクラスって感じですや」

「え、えーと……BとAの差って……?」

「単純計算で二倍くらい。もう少し詰められるかも知れないけど、まともに総力戦でもやりあったら勝率二割ですや」


改めてアスガルドの強大さを思い知る。

局地戦の戦いでは一進一退の攻防を続けていたため、両組織の力は互角だと若者は思っていたらしい。

その考えを口にすると、津井は苦く笑って言う。


「アスガルドには『クロノア』……時計の一から十二までの席を埋める誓約者がいるんですや」

「十二人……」

「まあ、噂によれば『11』の席についていた天凪葉月は出奔したらしいけど……それも近々、補充されるそうですや」


補充される、という意味を隊員たちはそれぞれ考えていた。

アスガルドの精鋭部隊の全員は誓約者であり、しかも補充が利くほどには予備の誓約者を揃えている。

誓約者は誓約者でなければ勝てない。

旅団がアスガルドを超えて更に上に行くためには、誓約者を貪欲に集めるか、新たな戦力を模索するしかないのだ。


「だからこそ、Bクラスがふたつ揃えばAクラス。アスガルドも一気呵成に攻め立ててこれないって寸法ですや」

「そういえば、この前『魔狩機関』ってところが潰されたそうですね、アスガルドに」

「あそこはリーダーがクルースニクの誓約者ですや。成り上がりを目指したのか、他の理由があったのかは分からんですけど」

「そこもBクラス?」

「いんや、C以下ですや。正直、絶望的な戦いやってのに良くもまあ」


それぞれに戦う理由というものがある。

もちろん、それは時に望まない対立を生み出すことがある。

それでも命を削って戦わなければならないときがある。そして、その結果が全てを失うことだと承知する。

裏世界で、責任を持つ立場にいる人間はそうしなければならない。


「ていうか、えーと。何の話してたんだっけ」

「月ヶ瀬隊長のスリーサイズがどうとか」

「ご希望の品はビンタか? それとも女性の冷たい視線か? どっちも取り揃えていますや?」


調子に乗った若い男性のメンバーが思わず閉口する。

誰だって異性の嫌われ者になんてなりたくない。

しかもメンバーの中には女性も混じっているため、取り消しは不可能そうだった。

津井はそっとその男性に心の中で手を合わせると、ああ、と当初の話題を思い出す。


「そうそう、処刑部隊。とりあえず、一般人な自分たちじゃ手も足も出ませんやな」

「誓約者ですか?」

「それもいるし、地方から流れてきた傭兵とか、幼い頃から殺人教育をされた子供とか、色々」

「ひえぇ……」


聞けば聞くほど裏世界の腹黒さに驚くメンバーたち。

津井も死に掛けたことは何度もある。

生死の境を乗り越えてきた分、知識と経験が津井籐矢という存在を裏付ける。

だが、年齢的にも苦しい五十代一歩手前の津井はそろそろ引退などというものを考えていたりするのであった。


だから、この数分後に津井は心の底から思った。

もしも今夜を生きて帰ることがあるのなら、そのときこそ裏世界と縁を切ろう、と。



銃声が響いた。



誰かが空気を吐く、そんな音が聞こえた。

津井は背後を振り向く。

若い男性のメンバーが腹部から血を噴出し、目を見開いたまま倒れ伏すところだった。

彼は何が起こったのか、きっと分からなかっただろう。それほど一瞬のうちに仕事は終わっていた。


津井は即座に思考を巡らせる。

残りは自分を含めた五人のメンバーと、そして護送中の霧咲孝之だ。

彼自体は気を失ったままなので、手錠をして台車の上に乗せている。その台車を押している若者が混乱する。


「な、なんだ……!?」

「全員、武器を取り出せ早くッ!」


津井の怒号にも似た指示が飛ぶ。

台車を押していた若者は震える指先で腰のホルダーに挿していた拳銃を取り出そうとした。

だが、犯行は鮮やかで素早かった。

津井たちを強襲した乱入者は白い肌を闇の中に浮かばせたかと思うと、一瞬で若者との間合いを詰めていた。


「にっ……!」

「ギッ……ィィィィガァァァアアアアアアアアッ!!?」


逃げろ、という声も間に合わない。

若者は銃を乱射しようとして、その手首をざっくりと切り捨てられた。

夥しい量の血液と、男の悲鳴が路地裏に響き渡った。

忍者のような動きの男は青年だった。一瞬だけ津井に見ることができたのは、白い肌と外国人のような風貌。


続いて銃声が再び、二度にわたって響き渡る。

不安定な体勢をしていた男だが、その狙いは外れることなく男女二人の胸を貫いた。

肺の中に残された空気の全てを吐き出す、か細い断末魔。


そして悪いことは続く。


惨劇による悲鳴により、気絶していた霧咲孝之が覚醒したのだ。

彼は目を覚ますと、ぎひっ、と口から血の塊を吐き出して勢いよく立ち上がる。

手錠をしたとはいえ、足まで縛ってはいなかった。


「げひひひぎぎゃあァァァァアッ!」


意味の分からない奇声を上げながら、霧咲孝之は走り出そうとした。

津井はその場の判断を素早く行った。

襲撃者の目的は十中八九、この霧咲孝之だ。襲ってきた敵は恐らく、自分などでは勝てない存在。

命が惜しければそのまま逃げ去ればいいのだが、生憎と白人の殺人鬼は逃がしてくれそうにない。


「づ、津井さん……! 応援を!」

「合点承知っ」


残った最後のメンバーも拳銃を取り出すと、二人の殺人鬼に向けて構えた。

威嚇などをするつもりはない。そんな余分なことをする余裕はない。

ただ殺すつもりで構えた。こんなところで死にたくなかった男は、雄たけびを上げながら銃を乱射する。

その発砲音を聞きながら、津井はとにかく自分の上司たちに連絡を取る。


月ヶ瀬隊長――――応答なし。

アルフレッド副長もまた、応答がない。

最後の望みは暫定として四番隊の指揮をしていた、かつての上司である野牧誠一。


ピピピピピ、という電子音。

ぶつり、という通話が可能なことを示す音が、津井にとって唯一の希望だった。



「ふ、副主任……! こ、こちら四番隊所属の津井藤矢ですや……! 現在、正体不明の敵性と交戦中、応援を……!」



喚き散らすように叫んだが、無意味な試みだった。

津井の心臓が干上がった。

背後に聞こえていたはずの銃声は、もう彼の耳には届かなかった。


「あ、……」


津井籐矢はゆっくりと背後を振り向いた。

その先にあったのは絶望の形。

敵性はそっと彼の胸に黒い鉄の塊を押し付けると、何も躊躇うことなく引き金を引いた。

本当に呆気なく、津井の体の機能は停止した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「………………」


通話は一瞬で終了した。

誠一は俯いたまま、彼らの断末魔を聞いていた。

神の瞳はそんな彼を見て目を細めると、おやおや、と肩を竦ませた。


「物語には障害が必要だ。そうだろう?」

「アンタか……」


静かな憤怒。

ぽつりと呟いた言葉には怨念がこもる。

恐らくは無涯黎夜すら見たことのないような、野牧誠一の本気。


「アンタが、手を回したのか」

「ゾーラ・ツァイス。処刑部隊の所属だよ。ちょうどいいシナリオのスパイスになるだろう?」

「ぶち殺す」


誠一は短く言い放つと、拳を握って思い切りナイ神父へと殴りかかる。

だが、ナイ神父は口元を余計に歪めると、少しだけ後ろに下がる。

本来、その程度では誠一の拳を避けられるはずがないのだが。


「ぐっ……」


殴りかかる誠一の動きが止まる。

激痛を感じたかのように苦しむような表情を見せる誠一は、苛立たしげに歯を噛み締める。

ナイ神父はそんな彼を見て、つまらないものを見たかのような感情のない声で言う。


「無理をするものじゃない。無理はいけないよ? 君の体はボロボロなんだからな」


その言葉に誠一は否定の言葉を言うことはなかった。

それが真実であると言外に証明していた。

激痛を感じた箇所は両足首。それと左腕に、その他色々と。彼の体の限界をナイ神父は見逃さない。


「まあ、愉しもうじゃないか、お互いに。私もこれ以上の手出しはせんよ」

「…………くっ、そ」

「はっはっは。若いとは素晴らしいが、若いのに君はもう老兵のようだ。引退することをお勧めするよ」


最後まで誠一を挑発するような言葉を吐いた後、高笑いとともにナイ神父の姿が消える。

立つ鳥跡を濁さず、との言葉をそのまま示すような鮮やかな転身。

灰のようになって散っていくナイ神父だが、その言葉の意味とは裏腹に憤怒という濁りが誠一の胸に渦巻いていた。

そんな力関係が、野牧誠一とナイ神父の実力の差を表していた。


「……勘違いすんなよ、神の瞳」


負け惜しみのようにそっと、誠一は呟いた。


「自分が何のために、まだ地獄うらせかいに留まっているのか……良く心しておいたほうがいい」


携帯電話が再び鳴る。

今度こそ、通話相手の名前が映された場所には月ヶ瀬舞夏の名前がある。

誠一は口元を綻ばせて笑った。

無涯黎夜はやってくれたことを確信して、親友として野牧誠一は裏表のない賞賛とともに笑った。





     ◇     ◇     ◇     ◇





「き、きひゃ……はっ、はっ、はっ……!」


逃げる。

逃げる逃げる。

逃げる逃げる逃げる。


「ひゃあ、はあっ、ひあっ、はっ……!」


怖い。

怖い怖い。

怖い怖い怖い。

何だあの化け物は、あんなの人じゃない―――孝之は内心でそう思う。

荒い息を吐いて逃げる。喉が干上がって、胸が潰れそうになっても、とにかく逃げる。


「無駄だ」


短い死刑宣告。

乾いた音が響いて、霧咲孝之の足に穴が開いた。

鈍い痛みを認識したとき、孝之は路上を転げまわる。機動力をやられて逃げることもできなくなった。


「い、やだ。いやだいやだいやだいやだ嫌だァァァアアアアアッ!!!」


泣き叫ぶ。

十数人という人間を殺してきた殺人鬼が泣き叫ぶ。

かつて、藤枝緋紗那が言っていた言葉があった。

殺される人の気持ちを味わえているか、と。霧咲孝之はいま、本当の意味でそれを味わっていた。


「助けて……たすけて、やだ、い、ぎぃぃぃぃぃぃぃ……!?」


刺される。

抉られる。

斬られる。

突かれる。


「ひぎぃあっ、はあっ、ぎゃあああああああッ!」


断末魔が響く。

殺人鬼が殺人鬼を捕食するように滅多刺しにする。

白い殺人鬼。処刑部隊。

疑わしき者の全てを罰するゾーラ・ツァイスは、最後に孝之の胸に向けて引き金を引いた。


ぱん、ぱん!


音が響いて、ぐったりと血溜りの中に沈む人影。

それを見ても眉一つ動かすことなく、ゾーラは真っ赤に染まった拳銃とナイフを携えて歩き出す。

疑わしい者は全員殺す。

殺すことでこれ以上の被害は絶対に出さない。殺すことで学園都市の平和を守る者。


ぽたり。

ぽたり、ぽたり。

ぼとぼとぼと……流してきた血は涙のように。


ゾーラ・ツァイスは彷徨い続ける。

任務を達成させるために。生きるために。

殺すことでしか、傷つけることでしか生きる選択肢がなかった一人の男。

殺人鬼ならぬ殺人機は更なる標的を求めて闊歩する。

その背後には血に沈んだ人の肉が、多数転がっている。



それがゾーラ・ツァイスが進んできた道そのものだった。





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