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第2章、第10話【真相】






「くそっ……! 何が起こってやがる!」


霧咲孝之は連続殺人鬼ではなかった。

俺は踊らされていたという事実に気づき、歯が砕けそうになるくらい噛み締める。

信じられなかった。でも、信じるしかなかった。

旅団は知っていたに違いない。霧咲孝之が犯人ではない、と。それでもなお、霧咲孝之が犯人だと偽っていた。


突然、旅団という組織が恐ろしくなった。

月ヶ瀬舞夏や野牧誠一と笑いあった事実が、黒く黒く塗り潰されていくような気がした。

信頼していた。そんな彼らに騙されたんだ。


「なんでだよ……」


俺には分からなかった。

霧咲が連続殺人鬼だと言われていたが、現実には違った。

つまり、本物のジャック・ザ・リッパーが何処かにいるのだ。俺はただダミーを倒したに過ぎなかった。

俺を危ない目に合わせたくなかったのか、と考えるのが精一杯の良い言い方だった。


「表の人間は、信用もできないってことかよ……くそ……」


失望にも似た感情が駆け巡る。

信頼しているつもりだった。向こうも信用はしてくれていると自惚れていた。

でもそれは、ただの勘違いだった。旅団は、舞夏は、誠一は……俺を信用することもしなかった。

だってそう考えるほうが一番妥当だ。偽者の犯人を当てて、それを英霊証明なんて道具でばらして……



ばらして、だと?



待て、ちょっと待て、よく考えろ。

どうして俺に『英霊証明』なんて道具を誠一は渡したんだ?

そんなものを渡してしまったら、霧咲孝之が誓約者ではないと俺が気づいてしまう。現実、それで気づいてしまった。

誠一たちからすれば、いっそ俺に『霧咲孝之が誓約者だったと信じ込ませる』ほうがずっと良いはずだ。

わざわざ手間をかけて、こんな道具を渡す必要なんてない。


それでも渡した。誠一は何らかの狙いがあってこれを渡した。


このレポート用紙もそうだ。これも誠一が渡してくれたもの。

これがあるから、俺は霧咲孝之がダミーであることに気づくことができた。この明らかな作為性はなんだ。

まるで『真実に気づけ』と言わんばかりの行動に何の意味があったんだ?


「……決まってる」


真実に、辿り着けと言っているんだ。


「そうか……そうだよ」


この俺を極力巻き込まないように動くやり方、利用のための合理性。

これは月ヶ瀬舞夏のやり方だ。誠一もそれに協力していた。何らかの理由のために、そうせざるを得なかった。

だが、誠一は内心でそれに反発していた。何とかして真実に辿り着かせようとしているんだ。

表向きには真実を伝えられない。だから裏から手を回して、俺に謎を解かせて、何かをさせようとしている。


「……アルフレッド・ガードナーか」


現状、もっとも怪しい人物の名前を呟いた。

彼について調べろ、と言うのだろうか。そういえばあの男は俺と別れた後、どうしているかが分からない。

霧咲孝之とは一本道で出会った。アルフレッドの言う合流地点なんてものはなかった。

最初から俺を煙に巻くつもりだったんだろう。


そうなると、あいつがジャック・ザ・リッパーだった場合、その目的は。


「…………っ!!」


顔が青ざめた。

舞夏や誠一の言葉が頭を過ぎる。

ジャック・ザ・リッパーの目的。かのイギリスの再現をしようとしているのなら。

女性が再び狙われる。


「まさか……」


そうだ、思い出した。

アルフレッド・ガードナーに感じていた違和感の正体に気づいた。

あの職務に忠実そうな男が一般人の俺が捜査に加わろうとすることを良しとするとは思えない。

それなのにあの時、あっさりと彼はそれを承諾した。


承諾したそのとき、そして今夜出逢ったとき。

アルフレッドの視線は俺じゃなくて、その後ろに向けられていたことに気づいた。

彼がジャック・ザ・リッパーの誓約者だとするならば。



狙われるのは間違いなく……沙耶と孤冬だ。



「くそっ……!!」


携帯電話を取り出した。

電源が入っていないが、昨今の携帯電話には最新設備が整っている。

裏のカバーを外し、そこを少し弄ることで一時的に自力で充電することができるのだ。

地震などの災害のとき、GPS機能を使って自分の居場所を電話会社に知らせ、救助を要請することも可能になる。

今回はその機能を使って充電させ、その分の電力を沙耶の携帯のGPSと連結させて居場所を割り出す。


自力で充電できるのは五分ほど。

俺は最初の数分を使って沙耶の居場所を特定し、残りの時間を使って電話をかける。

何事もなく無事なら、何の問題もなく電話に出るのは間違いない、が。


『ただいま、電話に出ることができませ―――』


最後まで棒読みの機械音を聞くことはなかった。

俺は捜し出した沙耶の居場所を頭の中に思い浮かべ、無我夢中に駆け出した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「うらぁぁあああああッ!!!」


裂帛の気合と共に少女が拳を振るう。

一撃は風を切って飛んでいき、敵と定めた黒髪の外国人へと叩きつける。

無涯沙耶はただの学生に過ぎない。それは絶対に覆ることのない事実としてそこにある。

だが、彼女の武術は一介の学生を越えていた。

形だけのものではない。実践向けの格闘術、生き残るために、人を倒すために、殺すために使われた戦う術だ。


人を制するのではなく、倒す。

身を守るための武術の域を超え、敵を殺すことに重点を置いた拳。

幼い頃、沙耶は我武者羅に祖父から武術を学び続けた。あの事故から、逃避するために。

子供のときに覚えた格闘術は体に染み込み、未だにその片鱗が垣間見えることがある。


眼を突く、といった行為は記憶に新しいものだった。

十日ほど前に部活の部長、網川流牙に対して使ってしまったことがある。

己の中に定めたタガが外れたとき、沙耶の格闘術は普通の学生とは一線を駕して危険極まりないものとなる。


「っ……」


アルフレッドの息を呑む音が生々しく耳に届いた。

とっくに沙耶の中にあった撃鉄は下りていた。指に弾くなどという生易しいものではなく、ハンマーで叩き付けるように激しかった。

一撃一撃に容赦や躊躇いといったものはなく、命を奪うことすら辞さないほどの覚悟が伺えた。

少女の拳は体の中心点に向けて的確に放たれ、隙を見れば眼を突いてアルフレッドの眼球を狙った。


「はっ……はあ……はあっ……」


常人ならば、恐らくは既に勝負が決まっていただろう。

何もわからないうちに倒れ伏していたに相違ない。それほどの激しい攻撃を前にしても。



「気が済みましたか?」



それでも、アルフレッドは立っていた。

猛攻を繰り出し、息切れをしている沙耶とは対照的なまでの涼しげな顔。

ただの一度も拳を受けることなく、息を切らすこともなく、無傷で沙耶の前へと立っていた。


「はあっ……はあっ、はあ……はっ……早い……」


全力の攻撃を全て避けられ、あるいは弾かれた沙耶の顔が苦痛に歪む。

冷静になってようやく、アルフレッドと自分の間にある実力差に気がついた。気がついたときには遅かった。

洗練された動き。アルフレッドの足運びや呼吸法まで、それは確かに沙耶の理想の動き方だった。


アルフレッド・ガードナー。

無涯沙耶を更に上回る格闘術の使い手であることを、ようやくここで突きつけられた。


「では、お別れです。本日は時間をかける余裕がない」

「くっ……こ、のぉ……!」


眼中にない、と言われた気がした。

事実、歯牙にもかけないような扱い。実力があるにも関わらず、未だ沙耶を倒そうとしない。

侮られている。馬鹿にされている。その事実がたまらなく悔しかった。


「終わりにします」


すらり、と腰に挿していたナイフをアルフレッドが抜いた。

父の形見と称していた、あの大きなバタフライナイフが月の光を反射して光った。

人を解体することも容易だろうな、と思うと沙耶の心が恐怖に凍りついた。

背中に感じる戦慄と破滅の気配をどうにか抑えて、沙耶は真っ直ぐにアルフレッドを見返し、再び拳を構えた。


「では、ごきげんよう」


その言葉を合図にして、二人が同時に地面を蹴った。

攻防は僅か一秒ほど。

たった一度、交錯しただけで両者の戦いは終結へと向かった。


「かはっ……!」

「………………っ」


敗者はやがて、冷たい地面に横たわった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




(負ける……)


私は、柄にもなくそんなことを思っていた。

何年にもかけて培ってきた力が、こんなにも歯が立たない。

私が女だからなのか、それとも何か別の理由があるのか。とにかく、私はきっと負けてしまうと思った。


私とは違って完成された格闘術。洗練された芸術のような武術だった。

こっちはメリケンサックで、相手はバタフライナイフ。

武器も実力も相手のほうがずっと上だと悟った。そして、もうすぐ私は全てを失うことも何となく分かった。


(負ける、んだ……)


激突まで一秒もない時間、私は考えた。

いったい何のために生きてきたんだろう。何のために鍛えてきたんだろう。

ずっと嫌なことから逃げ続けてきた。怖いことを避けてきた。そのために培った武術じゃ、勝てなかった。

それは、とても良く分かっている。当然、分かっていた。


―――思いっきり振りかぶった私の拳は、これまで通りに空を切った。


まるで相手にもされない。

鍛えてきた全てが無駄だったと告げられるようだった。

悔しくて、悔しくて、悔しくて。そして凄く悲しかった。理不尽を前にして怒りすら込み上げてきた。


(お兄ちゃん……)


最期に思ったのはやっぱり兄のことだった。

無事でいてくれるかな。無事でいてくれたらいいな、って素直に思う。

私は、お兄ちゃんが幸せにならなきゃ嘘だって思っている。

頑張ったなら、頑張った分の報酬がないと我慢できない性格だった。それくらいのことを求めたかった。


―――バタフライナイフが閃き、私はかろうじて避ける。だけど、そのおかげで防御はあまりにも無防備になる。


私が死んだなら、お兄ちゃんは泣いてくれるかな。

私の友達たちは皆、悲しんでくれるかな。

そんなことを頭の中で思い浮かべた。もしも哀しんでくれるのなら、その人生にはやっぱり意味があったんだと思う。



―――ズゴンッ、と壮絶な音がして、私の腹部に拳が入る。視界が真っ暗になって、体の中がグチャグチャになると錯覚した。



だけ、ど。

だけど。

だけど……それは。



―――私はそのまま地面に崩れ落ちる。体から力が抜ける。たった一撃で私が壊れていく。



『あ  の  イ  タ  ミ  を  お  し  つ  け  る  こ  と  に  な  る』



―――崩れようとした足が、もう一度地面を蹴った。



許さない。

赦さない。

ユルサナイ。

あの地獄を私の大好きな人たちに押し付けるのは、ユルサレナイ。



―――男の驚愕の声が聞こえた。無視して、我武者羅に腕を伸ばした。左手で胸倉を掴む。絶対に逃がさない。



私は、死なない。

誰も、殺させない。

誰かがその願いを犯そうというのなら。



―――右の拳、メリケンサックという凶器を振りかぶり、全体重を乗せて。



『私  は  殺  さ  れ  る  前  に  殺  し  て  ヤ  ル  か  ら』



―――男の腹部を、思い切りぶちのめした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「かはっ……!」

「……っ」


壮絶な音が響いた。

ぐしゃり、と人体から聞こえてはならない、そんな音だった。

沙耶の右の拳がアルフレッドの腹部から離れる。その右手は手首まで赤く染まっていた。


ぐらり、と地面に横たわったのは、沙耶だった。

最後に放った一撃すらも、アルフレッドには届かなかった。敗者は静かに、力尽きて地面に倒れる。

彼女が気絶している、ということに気づくまで、アルフレッドはしばしの時間を要した。


「……莫迦な」


最後の彼女の執念。ただの学生が見せた狂気にも近い何かを感じ取っていた。

そして少女の最後の一撃は的確にアルフレッドの腹を捉え、そして腹部からは出血が見られた。

内出血に留まることなく、その皮膚を貫くに至ったのだ。

もちろん、それは凶器であるメリケンサックによるところが大きいのは言うまでもない。


「油断、しましたか……ぐっ……」


だが、それを差し引いても少女の拳がここまでの苦痛とは予想しなかった。

アルフレッドは驚愕の表情を隠しきれないまま、歩き始める。

彼は腹部を左手で押さえながら、倒れる沙耶すらも無視して路地の向こうへと消えていく。


「時間をかけてしまいました……早く、行かなければ……」


初めから、沙耶など眼中にはなかった。

目的は彼女などではなかった、と。まるでそう言わんばかりに焦燥に駆られながら歩く。

内臓に強い衝撃を加えられ、あばら骨も数本折れているかも知れない。

そんな重傷でも、アルフレッドは目的地に向けて歩き続けた。早くしなければ、とそう呟きながら。


だと言うのに、アルフレッドの歩みは止まる。


自分の足の裾を引っ張る者の存在に気づいたからだ。

言うまでもなく、それは無涯沙耶という少女の手だった。決して行かせない、とその行動が告げている。

意識を失っているにも関わらず、無意識にアルフレッドの足を止めていた。


「くっ……!」


時間は掛けられなかった。

アルフレッドはバタフライナイフを再び取り出し、それでスーツの裾を切り取った。

沙耶の手から解放され、アルフレッドはもう一度目的地へと向き直る。

予想外のアクシデントに見舞われた男は、その事実に珍しく顔色を変えながら再び歩き出そうとする。



そこで今度こそ、アルフレッドの歩みが完全に止まることになった。



「……無涯、黎夜」

「見つけたぞ。アルフレッド・ガードナー」


眼前に立つのは日本最強の剣士を宿した者。

全ての剣術の基礎となった剣術、新陰流の創始者にして剣聖と称えられし伝説の英雄。

その力を宿した無涯黎夜は、アルフレッドが何かを知覚する前にその右頬を思い切り、殴りつけた。

悲鳴を上げることもできず、地面を転がっていく男を冷たく見下ろして黎夜は言う。


「沙耶に手を出しやがったか……?」

「ぐっ……がふっ……!」


静かな怒りを内包した問いかけ。

アルフレッドはゆっくりと立ち上がるが、体の軸が揺れているのか、足元がおぼつかない。

黎夜は倒れる沙耶をそっと介抱した。

右手にかかった血を見て心の中に冷たい何かが過ぎったが、幸いにも返り血のようだと気づいてホッと息をついた。


「………………」


アルフレッドはそんな二人を無視するように歩き出す。

無視をしているわけではなかったが、今はそれどころじゃない、といった具合に焦燥の顔色が見て取れた。

唇を噛み締め、激痛を堪え、それでもアルフレッドは目的地に向かおうとする。

もちろん、その行動を無涯黎夜は許さない。アルフレッドには聞きたいことが山ほどある。


「……待てよ」

「どいて……いただきたい」


弱々しい男の言葉を黎夜は敢えて無視した。

腹部に強烈な一撃を受け、そして今また誓約者としての思い切りの拳を叩き付けた。

あのカイム・セレェスですら、誓約者の腕力を込めた一撃によって気絶したのだ。威力は決して小さくはない。

身体は頼りないほどズタボロになっているのに、それでも何かを求めるアルフレッドの姿にはやはり違和感があった。


本当に、ジャック・ザ・リッパーの誓約者なのだろうか。


何というか、覇気がなければ狂気もない。

ついさっき戦った霧咲孝之のほうが、ずっと黎夜の中での連続殺人鬼としてのイメージに合致していた。

アルフレッド・ガードナーはとてもそんな連続殺人鬼といった感じには見えない。

もっとも、イギリス警察の全てを敵に回して逃げ延びたほどの英霊だ。それくらいのことはお手の物かも知れないが。


「お前は、何者なんだ?」


真実に辿り着け、と。そのようにお膳立てをされた。

俺は真実を知らなければいけない。勝手に設定された勝敗じゃなくて、その枠を超えて向こうへ行く。

虚偽にまみれた事実よりも、純粋に毒の強い真相を見つけなければならない。


「大蔵さんに問い合わせた! アルフレッド・ガードナーなんて警察官は存在しない! じゃあお前は誰だ! 誰なんだよ!」


きっと、アルフレッド・ガードナーは知っている。

この一連の連続殺人事件の真実。その全てを、あるいは一端を彼は把握しているはずだ。

それがどんな形であろうとも、確実にこの男は関与していると直感が告げている。


「私は……」


ゆっくりと、月明かりに照らされてアルフレッドが口を開く。

彼は黎夜を真っ直ぐに見据えると、少しだけ沈黙した。そこには何か、黎夜にも分からないような感情が込められていた。

それは正の感情でも、負の感情でもあった気がする。

アルフレッドはようやく沈黙を破るように、もう一度。今度ははっきりとした声色で答えを口にした。


「私は、旅団四番隊副長、アルフレッド・ガードナー」

「なっ、に……?」


想定外の答え。

アルフレッドの口から想像もしなかった単語が零れ落ちる。

旅団、四番隊、副長。

黒髪の外国人は足を踏ん張ってしっかりと立ち上がると、深々と一礼をして黎夜へとお辞儀した。


「月ヶ瀬家にお仕えする、舞夏お嬢様の部下でございます。黎夜さまのことは、かねがね」

「ちょ、ちょっと待てよ……!」


整然とした口調はアルフレッドの本来の口調だろう。それを受けて黎夜は慌てて手を振った。

アルフレッドが犯人では、と黎夜は思っていた。

確かにイメージとしては何か違うとは感じていたが、それでも結局はそこに落ち着くと予想していたのだ。

だが、やはり違和感の正体が判明すると同時にその予測が霧散する。


そうだ、確かにそれなら辻褄が合う。


警察官に扮して霧咲孝之の情報を集め、今夜の作戦でも警察に扮装。

思えばアルフレッドは部下らしき警察官に指示を出す場面があった。なら今回の警察の暴走は、最初からこうなる予定だったのだ。

沙耶がこうして気絶だけで済んでいるのも、アルフレッドが切り裂きジャックではないという証と言える。

念のために英霊証明を掴んでもらったが、結果は白。

アルフレッドもまた、ジャック・ザ・リッパーの誓約者ではなかった。この殺人事件の犯人ではなかったことが証明された。


「じゃあ、なんだってんだ……霧咲孝之もダミー。アルフレッドも違う……それなら、誰が犯人なんだ!?」

「そもそも、黎夜さまは勘違いしておられます」


黎夜の信用を得たアルフレッドは、腹部を押さえながら口元を歪める。

まだ理解できないのか、と莫迦にしたような表情ではあるが、その裏には隠しきれない憂いが見える。

それは彼の迷いを象徴しているようだ。

黎夜に告げていいものか。アルフレッドはしばしの間、悩んだようだったが、やがてぽつぽつと語り始めた。


「確かに霧咲孝之はダミー。私たちが追っているジャック・ザ・リッパーの霊核の持ち主ではありません。

 霊核の持ち主に性別は選ばない。ジャック・ザ・リッパーが男性だとは誰も言っていない。知っていれば簡単な話です」


そんな前知識は分かっている。

性別は関係ない。前に誠一から切り裂きジャックの情報を得たときも言っていた。

そもそも切り裂きジャックは不特定の人物につけられた名前で、本当の名前も性別も職業も不明なのだ。

続く想定外のことに考える力を一時的に失った黎夜は、情けなく呻いて言う。


「じゃあ……誰だってんだよ……誰が切り裂きジャックだったんだ……?」

「誰って」


アルフレッドはそこで一度、言葉を切った。

もったいぶってばかりのような喋り方だが、それが彼の迷いを直接表しているのは明白だった。

誠一と同じように、黎夜を巻き込まないように、と舞夏に厳命されているのだろう。

だが、既に黎夜は真実へと手を伸ばしてしまった。賽は投げられ、ルピコン川を渡ることとなる。

アルフレッドは、妙にハッキリとした声で真実を突き出した。



「あなたの後ろにいたじゃないですか」



は、……と黎夜は心臓が止まるかと錯覚した。

驚愕に息を呑み、そのまま呼吸がしばらく停止していたに違いない。

最悪の真実。考えなど及ぶことのなかった第三の可能性。考え付いたとしても即座に首を振っていただろう回答。

思い至って、そんな莫迦なと黎夜は首を振った。

そんな黎夜を構うことなく、淡々と生真面目な性格そのままに、アルフレッドは黎夜の求めていた真相を語る。



「一連の連続猟奇殺人事件。切り裂きジャックの霊核をその身に宿した者の名は―――――」




     ◇     ◇     ◇     ◇




「はっ……はっ、はっ……」


逃げる。

逃げる逃げる。

逃げる逃げる逃げる。

逃げる逃げる逃げる逃げる。


「はあ、はあ……あっ、あああ……!」


後ろから怖いものが追ってくる。

自分を殺すと宣言した男が追ってくる。

孤冬は無我夢中で逃げ続けた。沙耶に言われた通り、後ろを振り向くことはしなかった。

殺される、殺される、その恐怖で足が竦みそうになる。


「……はっ……はっ……はあ、はあ……!」


そんなとき、彼女の直感が何かを告げた。

背後から迫る危険をさらに上回るほどの危険が、孤冬の目の前にいるような錯覚がした。

それはただの第六感に過ぎなかったが、孤冬は確かにそれを感じ取っていた。

だが、確実に後ろから迫る脅威と前から来るかどうかも分からない危機では、恐れながらも前に進むしかないのだ。


そうして走り続けていた孤冬は、視界に赤い色をした何かを見た。


暗闇の中、月明かりだけが頼りの暗い世界。

孤冬の行く道を暗示するような不吉な通路は、孤冬を決して取り逃がすことなく包み込む。

かつん、と足音がして、今度こそ孤冬の喉が干上がった。


赤い何かは少女の髪の色だった。孤冬と同じ、炎髪の清らかなる少女。


「こんばんは、孤冬」

「あっ……あ……」


月ヶ瀬舞夏。

孤冬の実の姉にして、旅団の隊長の一角を務める者。

彼女は前置きもなく、挨拶もそこそこにあっさりと致命的な一言を告げた。



「――――捜しましたよ、ジャック・ザ・リッパー」

「…………」



否定の声は出てこない。

孤冬は実の姉にそう呼ばれた途端、俯いたまま動かない。

姉である舞夏は妹に冷たい視線を向け、妹である孤冬は姉の視線から目を逸らすばかり。


「先ほど、沙耶さんを殺そうとしましたね? アルフレッドが介入しなければ、彼女は殺されていた」

「……………………、」


一番仲良くしていた友達、と言っても差し支えない沙耶。その彼女すらも手にかけようとした。

舞夏は厳しい表情で孤冬を睨み付け、孤冬は視線に耐えられないとばかりに顔を益々俯かせる。


「最初は私たちから逃げ出すためだったんでしょうけど……沙耶さんが追いかけてきたから、欲望に耐え切れなくなったのね」

「…………………………く、ぅ」

「学園都市、連続殺人事件の真犯人。子供の姿をして市外を潜伏し、夜になれば人を殺すために都市を渡り歩く」


孤冬から嗚咽にも似た何かが漏れる。

舞夏は次々と孤冬に構うことなく、冷たい言葉を浴びせかけて糾弾する。

そこには姉妹としての温かさなど欠片もなかった。

まるで感情をなくしたかのように、二人は能面のような顔つきで対面していた。


「私の前ですよ。別に演技する必要はありません。もう、完全に夜です。とうの昔に『入れ替わって』いるでしょう?」

「……くっ……き……きっ、ひひ、きひひひ」


嗚咽が、忍び笑いに変わった。

孤冬という可憐な少女が一瞬で裏返るような、悪意の塊のような声色へと変化して。

それはやがて、忍び笑いから高笑いへと姿を変える。



「きひっ、きひひひ、あー、あー、あーー、きひひ、ひゃはっ?

 ひ、ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ ひ

 ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ヒ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ」



切り裂きジャックが顕現する。

覚悟を決めている舞夏でさえ、圧倒されるほどの殺意と狂気。

ぎらぎらとした視線と、だらしなく笑う口元は少女のものではなかった。

月ヶ瀬孤冬は、ジャック・ザ・リッパーとしての正体を現した。


「ひどいなぁ……お姉ちゃぁん……冷たいよぉ、冷たいよぉ……きひっ」

「……ええ、そうね。でも、これも仕事だからね」


語りかける舞夏の厳しい言葉には、優しさに似た何かが混ざっていた。

可憐な少女らしい言葉から、ねっとりとした不快な声色へと変化した孤冬の声を受け止める。

孤冬はけたけたと哂いながら言う。


「お姉ちゃんも私を殺そうとするのぉ? 孤冬、お姉ちゃんだけは信じてるのに……」

「……それ以上、私の妹を侮辱しないで、切り裂きジャック」

「あは、殺すんだ! 孤冬に生きてほしいって言ったのも嘘なんだ? 他でもない、お姉ちゃんが全部の元凶なのに!」

「……その後始末をつけに来たの」

「嫌だ! 孤冬はまだ生きたい! もっと、もっと、もっと! たくさん壊して壊して壊してやるんだから! きひっ、ひひ、ひひひひ!」


聞くに堪えない言葉。

糾弾する声は孤冬から舞夏へと向けられたものだった。

舞夏は動じることはなかった。少なくとも表面上では平気な顔をしていた。

そのまま、小さく『誓約フィーデス』と呟き、舞夏自身の英霊をここに顕現させて戦闘準備を整える。


「もう、誰も壊せないよ、孤冬」


ひっ、と孤冬の喉から恐怖に歪む声が聞こえた。

誓約者同士とは言え、その中にもやはり格というものがあった。

舞夏は天使のような姿で光り輝く剣と盾を取り出す。その神々しさは彼女の霊核の格を示している。

対して孤冬の霊核は取るに足らない殺人鬼。最初から勝負は決まっていた。


「ひっ、ぎぃ……!?」

「こんなお姉ちゃんでごめんね、孤冬。ばいばい」


壮絶な音の応酬が響く。

誓約者同士の戦いは激しさを増したが、孤冬は下馬評を覆すことはできなかった。

孤冬は少しだけ抵抗したが、やがて動かなくなった。

舞夏は気を失った孤冬を抱えあげると、そのままその場所をあとにする。

後に残されたのは、激しい戦いを物語る戦いの爪痕だけだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「嘘、だろ……?」


呆然と、俺は呟くしかなかった。

沙耶が妹のように思っていた友達で、ついさっきまで笑いあって家で食事もした。

元気いっぱいで、明るくて少しおっちょこちょいで、そんな少女だった。

あの子が、ジャック・ザ・リッパー。連続殺人鬼。既に学園都市で何人も手にかけた凶悪犯。


「真実です。昼は弧冬お嬢様のまま。ですが、夜になるにつれ、霊核の力が暴走していく」

「暴走……?」

「霊核を宿した人間は、三通りに分けられます。受諾か、拒絶か……それとも、利用か」


受諾は、俺や舞夏のように霊核を宿すことに成功すること。

拒絶は多分、宿すことに失敗してしまうことだろう。確か以前聞いた話では、失敗すれば発狂すると聞いたことがある。

そして、第三の可能性、利用。

宿したように見せかけて……そうか。霊核に利用される。現代に蘇った英雄として、第二の人生を謳歌するために身体を乗っ取る。


「弧冬は、身体を乗っ取られているのか……?」

「はい。いまや身体の所有権の半分は切り裂きジャックに明け渡している状態でしょう。もっとも彼の者が活動する夜の時間帯に」

「じゃあ、今の弧冬は、もう……?」

「切り裂きジャックとして徘徊しておりますでしょう。故に、私は、お嬢様を追わねばならないのです……」


ぎり、と歯軋りをするしかなかった。

弧冬相手に英霊証明を試す機会なんていくらでもあったのに、俺は見破ることができなかった。

切り裂きジャックの潜伏能力に敗れた、と言っていい。

最後の最後まで、俺は旅団からも切り裂きジャックからも欺かれ、掌で踊らされ続けていたんだ。


「舞夏お嬢様は、苦しんでおられます」


はっ、と俺は息を呑んだ。

そうだ、当たり前じゃないか。

どうして俺は、その事実に気づかなかったんだろう。



――――舞夏は霧咲孝之の捜索には当てないのか? 相手が誓約者だってんなら、もう舞夏を出すしかないだろ?

――――ああ、その通りだ。月ヶ瀬さんはつい昨日、正式に捜索隊に加わることが決定『してしまった』



あの誠一の言い方が気になっていた。

まるで、意図的に舞夏を捜索部隊に加えなかったかのようで、そして加えることが残酷だと言うような言葉。

あれは、こういうことだった。誠一は弧冬がそうだと知っていて、舞夏も弧冬が犯人だと知っていた。

舞夏は言っていたじゃないか。切り裂きジャックを殺さなければいけない、って。


「血を分けた妹をその手で殺す、ということに苦しんでおられるのです」


心臓が跳ね上がった。

姉の手で、妹を殺させる。その残酷さに眩暈がした。

俺が、沙耶を手にかけなければならない。今回の事件はそういうことだったのだ。

アルフレッドは厳しい表情のまま、とつとつと語る。


「私は、お二人がまだ十にも満たないときから、月ヶ瀬家にお仕えして参りました」


そっと、アルフレッドは胸の中から写真を取り出した。

色褪せ、草臥れてもまだ輝きを失わない思い出を収めた一枚の写真を俺は受け取った。

そこには、自然な微笑みのアルフレッドを挟むように二人の少女が写っていた。

右側には紅い髪の理知的で気品のある微笑みの少女。左側には赤い髪の快活で元気の伝わってくるような笑顔の少女。

舞夏と弧冬の小さい頃の写真であることは、言うまでもなかった。


「舞夏お嬢様と紅茶を楽しんだこともある。戦いの手ほどきをお教えしたこともある。

 弧冬お嬢様とご一緒にアイスを口にしたこともある。笑いあったことも何度もある。お二人の笑顔を今でも憶えている」


昔を懐かしむように、切なげな声でアルフレッドは語る。

それは俺にも入り込めない、アルフレッドと舞夏たちの思い出の残滓だ。


「私にとってお二人は仕えるべき主君であり、大切な妹のようなものなのです」


そこまで言うと、アルフレッドの顔がくしゃりと歪んだ。

懐かしい思い出が一転して、語るのも苦しいものに変わっていく。

主君と仰いだ二人。そのうちの一人である弧冬を殺そうとしたアルフレッドの心境が、苦しげに口から漏れていく。


「そんな残酷なことがありますか」


未だ血が流れる腹部を抑えて、アルフレッドは両脚を地面に強く縫い付けるようにして立ち尽くす。

顔面を殴られた脳震盪も些か回復してきたのか、その瞳はより強いものへと変化していく。

原動力は世界に対する怒りだった。

理不尽という名の運命に向かって、アルフレッドは混信の力を込めて叫んだ。


「姉の手で妹を殺させるなど、そんな酷い話がありますか……っ!」


舞夏は、ずっと、悩んでいたのか。

妹の弧冬を殺さなければならない。自分の手であろうと、誰かの手であろうと、必ず殺さなければならない。

きっと、悩み続けていたに違いない。

喫茶店であったとき、その顔には疲労の色が見えていた。俺ですら気づくほど、舞夏には余裕がなかったのだ。


「貴方さえいなければ、全てうまくいったかも知れないのに……」

「え……?」

「……いえ。恐らくこれは八つ当たりなのでしょう。ですが、もう止まるわけには参らないのです」


アルフレッドがバタフライナイフを改めて掴みなおす。

何度かステップをして体の具合を確かめ、その視線は真っ直ぐに俺を見つめている。

俺も自然に構えを取った。なんだかよく分からないうちに、俺はアルフレッドから強い敵意を抱かれていた。


「私がこの手で終わらせる」


一言、決意の言葉が彼の口から零れた。


「舞夏お嬢様の手を肉親の血で汚してはならない。そのような業を主人に背負わせはしない」


愚直な従者が出した答え。

肉親を殺させるような残酷なことは絶対にさせない、と。

たとえ舞夏の意志に反してでも、主人をこの手で殺すことになろうとも。

絶対にもう一人の主人だけは手を出させない、と。アルフレッドはそう決意を固めていた。


「私が殺す」


だから道を譲れ、とアルフレッドは瞳で告げた。

ぼろぼろの身体を引き摺って、ばらばらになりそうな意識を繋ぎ合わせて。

もう弧冬が救えないのだとしても、舞夏だけは護ってみせる、と。執念にも似た覚悟で構えを取る。


「その業は、私が背負う」


俺は少しの間、沈黙した。

時間にすれば多分、五秒もなかった。意外にも早く結論は出た。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……悪い」


ゆっくりと、俺は竹刀を構えた。

道は譲らなかった。アルフレッドの敵意に応えるように、俺もまた静かに目を細めて言った。


「俺には、何が正しいことなのかまでは分からない。けど、嫌だ。この道は譲れない」

「っ……舞夏お嬢様に、弧冬お嬢様を殺させても、いいと……?」

「違う、そうじゃない! そうじゃないけど、それじゃ誰も救われねえだろ! 結局、誰も……笑えねえだろ!」


子供の癇癪だっていうのは分かってた。

でも嫌だった。舞夏が弧冬を殺さなければならないということも。

アルフレッドがその代わりに弧冬を殺そうとするのも。どちらの選択肢になっても、誰一人笑うことができないから。

俺は目の前にある善悪や好悪しか選べない。


「霊核が原因だってんなら、手はある! あるんだ! そんな悲しい選択肢を選ぶ必要なんかない!」

「…………それを、貴方が言いますか」


アルフレッドは、返事の代わりに静かな怒りを込めた言葉を返した。

俺が思わず息を呑んでしまうほど、どうしようもないほどの憤り。何処にぶつければいいのかも分からないもの。

彼自身が顔を歪め、ぶつけるべきではないと分かっているのだろう。一瞬の殺意はすぐに霧散した。


「私の意志は、変わりません」

「っ……」


もはや戦いは避けられない。

互いに道は譲らない。ならば、相手の願いを打ち砕いてでも止めるしかない。

だけど、この戦いに意味なんてないことは、俺にも分かっていた。


誓約者は誓約者でなければ勝てない。


アルフレッドは勝ち目のない戦いに赴こうとしている。

そして俺はたとえ勝ったとしてもそれだけで、舞夏が弧冬を殺すことを止めることはできない。

どちらかが譲歩しなければ勝敗はつかない。あるのはどちらにとっても敗北のみだ。


「アルフレッド。舞夏は何処にいる」

「……、」

「倒す前に聞いておかなきゃ、どちらにとっても意味がねえよ」


対してアルフレッドは、自嘲するような笑みを浮かべた。

俺に挑戦するような、もしくは試すかのような、そんな笑みだった。


「私の願いを、貴方に託せと……そう仰るのですか?」


無言のまま、俺は頷いた。

それがどれだけアルフレッドを侮辱することなのかは分かっていた。

夢を奪い、俺だけが得をするような問いかけをしたのだから。

アルフレッドは少し考えると、やがて答えた。


「とある廃工場です。詳しい場所は私の胸ポケットの中に、携帯電話が入っています。それでGPS機能を使えば」

「ありがとう」


お礼と共に、俺は霊核を解除した。

大剣豪の英雄は俺の中で再び眠りにつき、今ここにいるのはただの無涯黎夜だ。

目を見開いて驚くアルフレッドに対し、俺もまた告げた。


「俺一人で負傷したアンタを乗り越えられなきゃ、最初から助ける資格はねえ」

「…………ふっ」


そのとき、アルフレッドが初めて自然な笑みを俺に向けて零した、気がした。

地面を蹴ったのは、図ったかのように二人同時だった。

アルフレッドは拳を振るい、ナイフを閃かせた。

俺もまた、雄たけびをあげて竹刀を八双の構えで掲げ、アルフレッドへと挑んでいった。


しばしの激しい打ち合い。

想いと想いをぶつけた殺陣は激しさを増したが、それも長くは続かなかった。


強烈な一撃が片方の頭部に叩き込まれ。

壮絶な一撃が片方の腹部へと吸い込まれていった。

力尽きたかのように一人が倒れ伏した。


もう一人は、荒い息をあげながら、その場でしばらく立ち尽くした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「路地裏の、廃工場……ここか」


走れば十分ほどの距離に、舞夏の集合場所はあった。

薄暗い通路を走るのだからもう少し時間はかかるかも知れないが、大体の居場所は把握した。

俺は倒れたアルフレッドを見やった。

再度の脳震盪で気絶した愚直な従者は、最後に俺に伝えた。


『救ってやってください、黎夜さま……霊核に人生を狂わされた、あの姉妹を』


薄れ行く意識の中でも、最後まで舞夏たちのことを想って。

多分、傷だらけでなかったなら、横たわっていたのは俺のほうだった。

もしくはまだ戦えたのかも知れないが、最後に俺に願いを託してくれたのかも知れない。


『こんな残酷な運命を、どうか斬り捨ててください……』


分かっている。

願いは確かに託された。

こんなふざけた運命は絶対に斬り捨てる。

俺は支度もそこそこにして、沙耶を抱きかかえた。こんなところに寝かせていたら風邪を引いてしまう。

どうしたものか、と思っていたところで声がかかる。


「……お兄ちゃん」

「っ、気がついたのか!」


良かった、と息を吐いた。

アルフレッドの一撃はできる限り手加減されたものだったんだろう。

だからこそ痛烈な反撃を受けてしまったわけだが、相変わらず末恐ろしい妹だと思った。

だが、沙耶は思いのほか厳しい表情で言った。


「弧冬が、殺人鬼って……ほんと……?」

「っ……!」


聞かれていた、と知って頭を殴られたような衝撃が襲った。

沙耶は泣き出しそうな顔で俺を見る。

誤魔化そうとした。何を言っているんだ、と言って安心させたかったが、沙耶は言葉を続けた。


「あの、ね……弧冬、お腹が痛い、って言ってた……きっと、たくさん内側に溜めてたんだと思う……」

「……そうだな」

「私には、さっきお兄ちゃんたちが言っていたことなんて、何もわかんない……分かんないけど……」


涙ぐむ沙耶はどうすればいいのか分からない子供のようだった。

誰よりも近しい人たちを失うことを恐れる妹。

沙耶にとって月ヶ瀬弧冬という少女は、もう絶対に失いたくない友達だったのだ。


「お願い……助けてあげてよ……弧冬、苦しんでる……助けてって言ってるから……」


その言葉が、妙に嬉しかった。

例え弧冬が人を殺していたとしても、涙を流してまで心配してくれるような奴がいる。

そんな風に育ってくれた妹のことも嬉しいし、弧冬の味方がいてくれることも嬉しかった。

だから俺は、強く頷いた。


「当たり前だ」


沙耶の頭を撫でて、そして踵を返して路地裏を駆けた。

願いは託された。絶対に救わなければ、と誓いを新たにして走り出す。

今夜、この一連の殺人事件の全てに決着をつける。

霊核に人生を狂わされた二人の姉妹。その二人が集まる廃工場で、この事件の全ての真実が待っている。






インフルエンザになってしまいましたw

きっとこれは真犯人の弧冬の呪い、こほこほw

第2章の最後近くまでは書き溜めていますが、そろそろ一日一話ペースは維持できなくなってきたかも。

少しスローペースにはなりますが、これからも宜しければお付き合いくださいw

蟹座氏からの業務連絡でしたw

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