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第2章、第8話【暗躍】






学園都市には病院がひとつしかない。

不便だと思われるかも知れないが、細かい診療所だけなら各地に設置されている。

それら診療所を束ねる形で東雲の病院が存在する。

高原希は点在する診療所のひとつに足を運んでいた。左手には見舞いの品と思しきフルーツの詰め合わせがある。

黒いショートの髪をかきあげ、診療所の数少ない一人用の病室の扉を開けた。


そこにいたのは紫の髪の少女だ。

負傷したほうの腕をギプスで固定し、首にかけて吊っている。

暇を潰すために本を読んでいるらしいが、片腕しか使えない彼女は少し不便そうだ。


「こんにちは、緋紗那さん。傷の具合はどう?」

「あ、高原主任……わざわざこんなところまで……」


入院していた少女は藤枝緋紗那。

霧咲孝之との戦いで傷を負った少女は、学園都市でも裏世界の顔が利く診療所のひとつへと運ばれた。

錆びたナイフは破傷風を初めとした感染症の可能性も強かったが、幸いにも処置は早かった。

傷跡は残るかも知れないが、一月ほどで腕も元通りに動かすことができるらしい。


せっかくなので余った僅かな時間を使って、希は様子を見に来ることにしたのだ。

言葉少なめに何度か当たり障りのない言葉を交わす。

希はリンゴの皮を剥いて何等分かに分け、皿の上に並べてから談笑に入る。


「ごめんなさい。先走った挙句、負傷してしまうなんて……」

「おかげで霧咲孝之の包囲が完了できたわ。恥じることなんて何一つないでしょ」


自分で切ったリンゴを一切れ掴むと、口の中に放り込む。

少し酸味が強いがまあ合格点か、とそんなことを思いながら希はこれからのことに思いを馳せた。

霧咲孝之を追い詰めることには成功した。

そうだと言うのに希の顔色は晴れることはなく、少し硬い。とは言え、これがいつもの高原希の表情ではあるのだが。


「とりあえず、今日はお見舞いに来ただけだから。もうすぐ一仕事あるしね」


一仕事。

もちろん連続殺人鬼を捕らえる仕事のことだ。

緋紗那も分かっているように頷く。

今の彼女は監視役としての任務は果たせないが、これでどうにかなるのならそれでもいいか、と思っていた。


そう、思っていた。


「あ、高原主任……ひとつ、聞きたいことがあるんです」

「何かしら?」


緋紗那は少しだけ俯いた。

その質問を投げかけるべきか、逡巡したのだ。

それほどまでに彼女の質問は自分でも何を言っているのか分からないぐらい馬鹿げていた。


沈黙が降りる。


俯いた緋紗那が上目遣いで希を覗き込むと、険しい顔で続きを待っている希と目が合った。

そんな警戒するような瞳を向けられると、その疑問がさらに荒唐無稽な方向へと進んでしまう。

やっぱり、そうなんだろうか。いや、そんなはずがない。

そんな疑問が膨れ上がって、とうとう緋紗那はその質問を口にした。



「この事件は―――――」




     ◇     ◇     ◇     ◇




俺が家に帰り着いたとき、時刻は午後五時を回っていた。

何故そんなにも時間が掛かったかと言うと、トラブルに巻き込まれたからだ、としか答えられない。

具体的な例を挙げると、知らない少女と激突した。

更に詳しく状況を説明すると、出会い頭に高校生ぐらいの少女とぶつかりそうになり、結果としてラリアットを見舞われた。


『うっ、ぅぁあああああ!! また何をやってんだ私はぁあああ!? 二度目! 二度目のラリアット!?』


いいえ、少なくとも出会い頭に少女にラリアットされたのは今が初めてです。

ていうかこの世界に初対面の女の子にいきなりラリアットを食らわされた男が何人いるだろう、とそんなことを思う。

もしも一度目の人がいるなら逢って見たいもんだ、とニヒルに笑いながら倒れ伏した。


『ご、ごめんなさい! でもあの時と同じようなトラブルはごめんだから何も拾わずに私は逃げる!』

『おいこら待て!? 人を勝手にトラブルメーカーにしてんじゃねえええッ!!』

『ごめんなさーーーーーーーいっ!』


とまあ、そんな事件があり。

結局帰宅したのはこんな夕方の時刻だったのだ。

あのラリアットの女の子、見たことない子だったが、あの勢いは我が妹に通じるところがある。

きっと良いライバルになれるぜ、などとそんなことを呟いてみる。


「うーん……ただいまー」


玄関を開け、ただいまの挨拶。

これを抜くと夕食のメニューが俺一人だけ一品少なくなるという恐ろしさ。

家は武家屋敷のようなもので、声の風通りはいい。

家の中に沙耶がいるなら問題なく届くはずだ。案の定、ばたばたと音を立てて俺を出迎えるべく妹が現れる。


「「お帰りなさい、お兄ちゃん♪」」


時刻は午後五時を僅かに過ぎた頃。妹が二人に増えていました。


「すいません、家を間違いました」

「こらこらこら、待て。そんなことが有り得るわけないでしょ」

「ですよねー」


回れ右をしようとした身体を元に戻す。

沙耶の隣には赤い髪のショートの女の子が立っていた。

俺は当然、妹よりもさらに頭ひとつ小さい小柄の身体に童顔、どう考えても中学生以下だ。

うん、と俺は頷く。大丈夫、俺は冷静だ、まずは冷静に何者かを訪ねなければ。


「で、誰だその座敷童」

「また妖怪扱いされたーーーー!!」


おお、つい本音がポロリと。


「私の友達。一緒に晩御飯食べようと思ったんだけど、いいよね?」

「まずは妖怪を撤回してーーーーーーー!!」

「ああ、それはもちろん……じっちゃんは?」

「リビングでテレビ見てる」

「なんてスルー技能!? これってこれって村八分ってやつだよね、弧冬知ってるよ!」


出逢って僅か一分足らずの邂逅で弧冬という少女の扱い方を把握する俺。

こんな小さな子供と友達になってくるだなんて、と思わないでもないが仲良きことは良きかな良きかな。

沙耶は友達を作るのはうまいが、あまり家には連れてこない。

たまに連れて来るときはもうお祭り騒ぎで、兄の出る幕など無いのだが良いことだと思っているので黙認中。


「よろしく。沙耶の兄の黎夜だ。沙耶がお世話になってます」

「よろしく御願いしまーす! 月ヶ瀬弧冬でーす!」


はい、こんにちは、と握手を交わしていると、ふと違和感を感じた。

月ヶ瀬という苗字は珍しい。佐藤や鈴木ならともかく、月ヶ瀬なんて苗字が一致することがあるのだろうか。

いや、よくよく弧冬と名乗る彼女を見てみると、赤い髪といい、顔つきといい、とある少女を連想させる。


「……ごめん、名前もう一回」

「月ヶ瀬弧冬でーす!」


うん、聞き違いではないらしい。

ちゃんと月ヶ瀬、と彼女は言っている。

まあ、偶然の一致だろう、うん。妹がいるだなんて聞いたことが無いし。

それでも一度沸いて出た興味を抑えることはできず、もう一度だけ弧冬に向かって問いかけた。


「もしかして、お姉さんがいる?」

「いるいる。舞夏っていうお姉ちゃんがいるよー!」

「ほうほうー、つまりは月ヶ瀬舞夏かー……へえ……」



はい、せーの。



「何ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!?」




     ◇     ◇     ◇     ◇




学園都市は裏と表の交差する世界だ。

表向きは日本の学園都市として子供たちを教育し、将来必要な人材を育成する。

裏の顔は殺人や騙し合いを繰り返す血みどろの世界。

閉鎖されたこの場所ならば、情報規制はいくらでも敷ける。

ある程度、裏の人間が暴れたところでいくらでも隠蔽のやり方はある。それが新東雲学園都市の真の顔だった。


学園に一人の男がいた。

学生服に身を包んだ細目の男は高校生くらいの歳に見える。

彼は空き教室で一人、時計を見ながら時間を潰していた。

感情の篭っていない顔色。端正な顔立ちは外国人のものだ。彼は生徒に擬態して暇を潰している。


「…………む」


学園というのは本当に便利な潜伏場所だ。

歳若い者ならば生徒として潜り込める。年配や大人でも教師として伏することができる。

最悪、どんな歳でも大学部に編入すれば歳など関係ない時代になっているのだ。

対して偏差値も高くない学園が、都市としてまで機能するほど生徒数が多い理由もここにある。


青年の名前はゾーラ・ツァイス。

もちろん偽名だった。本当の名前は本人ですら忘却してしまっている。

顔立ちから欧州辺りの出身だということは分かるが、女性のように白い肌が彼の故郷を特定させない。


「貴様、誰だ」


中性的な顔立ちとは裏腹にゾーラの声色は重く、くぐもった男性のものだ。

彼は時計の針から顔を上げると、空き教室に足を踏み入れた知らない顔の男に声をかける。

この教室はこの時間、伝われない。

ただの生徒ならば問題ないのだが、現れた人物は生徒にも教師にも見えないどころか、学園関係者とも思えない。


「なに、なに、警戒することはないよ。小生はただの連絡役さ」


連絡役、という言葉にゾーラの眉が僅かに動く。

先の説明の通りゾーラ・ツァイスは学業が本分の学生というわけではない。

潜伏する手順として東雲学園の生徒に成りきり、違和感を残さないために制服を着用しているに過ぎないのだ。

彼もまた組織の構成員。連絡役とは同業者といったところになる。


「連絡役とは、また、ふざけたことを、言う」


だが、ゾーラは男を見て眉を顰めた。

連絡役というのは当然ながら目立つべきではない。

生徒なり教師なり、通行人なり。そんな特徴が無いのが特徴、といった姿で接触を図るべきだ。

連絡役を名乗った男は自然体のまま、違和感しかない格好で連絡役を騙っていた。


ひとつひとつ区切った日本語は、彼が日本の言葉に慣れていないことを表していた。

確認するかのような口調で、連絡役の男を睨み付ける。

その視線を受け流す男を見て追求は無駄だと悟ったらしく、ゾーラは話を進めることにした。


「まあいい、要件を、聞こう」

「話が早くて助かる、実に助かるよ。連絡とは件の連続殺人事件についての指令だよ」

「……そうか、命令が、下ったか」


それだけで説明としては十分だった。

学園都市を騒がせる連続殺人鬼。件の人物についての処遇が決まったらしい。

正確には決まったのは標的の末路ではなく、ゾーラたちが動き出すことが、という意味になるだろうが。

連絡役たる男は嬉しそうに声を上げると、酔ったような口調で何度も頷く。


「そうともそうとも! 君には今夜、連続殺人鬼と思しき人物を全て処分してほしい」


それがゾーラ・ツァイスに下された指令。

今夜中に決着をつける。全ては今夜、このくだらない茶番劇の幕を下ろす。

確実に、的確に、絶対に。

些細な可能性すらも見逃さず、どんなイレギュラーも全てを削除することで平穏を手に入れる。


「全て、か」

「疑わしきは罰せよ、全てはそう、学園都市の平穏のため。そうだろう、処刑部隊エクセキューショナー?」


学園都市お抱えの殺し屋たち。

四人の学園教師と八人の学生で表向きに構築された東雲の町の暗部。

裏世界の殺戮とて横行するこの街の治安を殺戮で解決する集団の名前が処刑部隊エクセキューショナーだ。

高原希が、野牧誠一が、月ヶ瀬舞夏が。

彼らが動き出すまでに決着をつけたいと願っていたが、物語はそううまくは行かないらしい。


「私がこの職についたのは、それ以外に、生きる道が、なかっただけなのだが」


裏世界に堕ちた者は何かしらの事情を抱えている。

必要に迫られて堕ちるしか選択肢がなかった者もいれば、表では叶えられない願いを叶えるために足を踏み入れる者もいる。

ゾーラという殺し屋もやはりそうした幸福の席からあぶれた者に過ぎなかった。

世界は優しくない、当然だ。


「任務了解した。ゾーラ・ツァイス、出撃する」

「頼んだぞ、頼んだぞ。この学園都市を揺るがす愚者に処罰を、極刑をな」


返事は無かった。

ゾーラは連絡役と語る男に一瞥もせずに教室から去っていく。

残されたのは一人だけ。開幕を告げる鐘に心を躍らせる観客のように至福の笑みを浮かべて言う。


「さあ、さあ、さあ、楽しみだ。物語には障害が付き物だ、そうだろう、神の指先よ。我が同胞たちの出来損ないよ」


障害は用意した。

簡単には終わらせない。

その世界を打ち破ろうというのなら過酷を乗り越えていけ。

そうすることで物語のひとつでも演じて見せろ。


「歯車を廻す者としての精一杯の悲劇と喜劇を期待しよう」


哄笑する男の通り名は『神の瞳』だ。

彼はくつくつと嫌らしい笑みを浮かべると、空き教室の中で再び灰になって解けていく。

最初からそこに存在しなかったような自然さで彼の存在が消えていく。



「踊れ、踊れ、神の手のひらの上で」



残されたのは愉悦を多分に含んだ嘲り。

チェスの駒の動きを楽しそうに見守る人間のように。映画を楽しむ子供のように。

その結末に期待する。




     ◇     ◇     ◇     ◇




学園都市、ビル街。

路地裏を生み出すのはこうした大きな建物の群れだ。

ホテルや会社など、そういった建物も学園都市には存在する。

ちょうど、月ヶ瀬舞夏が住居として利用しているホテルもそうしたビル群のひとつだ。

その一室にアルフレッド・ガードナーという男がいた。


そこは彼が学園都市に滞在する際に利用した部屋らしい。

生活観があまり感じられないのは長居していないからだろうか。最低限、眠る場所しか用意されていないように思う。

アルフレッドの部屋に備え付けられていたのはベッドとテーブルと椅子だけだ。

その椅子に座ってアルフレッドは瞑想をしていた。

過ぎ去った過去を反芻していた。

遠い昔の記憶を思った。


「ふう……」


息をひとつ吐く。

いよいよだ、とアルフレッドは思う。

今夜、何もかもに決着がつくのだと思う。

長いような短いような時間が過ぎ去った気がした。

アルフレッドはジッと、テーブルの上に飾られてある写真掛けを見つめていた。

過去の残滓であり、幸福の思い出であり、もう届かない日常であり、終わってしまった平和の形だった。

少女が二人、アルフレッドを挟んで写っていた。利発そうな少女と活発そうな少女、アルフレッドの大切な思い出だ。


「行きますか……」


その全てを壊してくる。

受けられた信頼も、積み重ねてきた温かさも。

すらり、と父の形見と称したナイフを腰のベルトに挟んで挿し、立ち上がる。

決着をつけよう。アルフレッド・ガードナーが己の意思で。残酷な運命と共に沈んでこよう。


「終わらせるのです……何もかもを」


例えその先に。

理不尽な破滅と絶望だけが待っているとしても。




     ◇     ◇     ◇     ◇




今夜の夕食は鍋だった。

鍋といえば冬に食べるようなイメージがあるが、学業に専念しなければならない沙耶は気にしてられない。

必然的に時間がないときは鍋でもカレーでもして、明日のご飯まで作りおきできるようなものを作っておく。

この調子なら明日の朝ごはんはうどんかおじやだろうな、となんとなくそんなことを思う。


で、今日は特別に小さなお客様一人をご案内。

俺とじっちゃんは隣の席で黙々を端を伸ばし、沙耶と弧冬の会話に耳を向けた。

楽しそうな話に俺も混ざる。せっかくできた共通の話題は舞夏についてだ。


「うーん、お姉ちゃんと黎夜お兄ちゃんが知り合いだったなんて……すごいねー!」

「確かに妹同士が仲良くなっていることも考えれば、人の縁ってなかなか深いものがあるんだなぁ」

「舞夏ってこの前の赤い髪の女の人だったんだ……世間って狭いねえ」

「ここ、学園都市だからな」


世間が狭いのは当たり前である。

何しろ閉鎖空間のようなもので、確かに考えてみれば有り得ない話ではない。


「そういえば弧冬って何処のクラスよ。私まだ知らないんだけどー」

「うえっ!? ま、まさか沙耶お姉ちゃん、クラスまで襲撃するつもりー!?」

「見られたら困る何かがあるんか、この子は」


弧冬はわたわたと慌てふためくと、話をそらさんばかりに鍋へと手を伸ばす。

そうしながらも姉の話をしたいらしく、笑顔を俺に向けながら舞夏のことを話してくれた。


「だからね、だからね。お姉ちゃんは小さいときから天才的だったんだよ、あむあむ」

「こらー、弧冬。お肉ばかりじゃなくて野菜も食べなさい!」

「ぎゃー! 白菜は弧冬嫌いー! 嫌いなんだってわーん! ぎゃー、……あれ、美味しい?」


そんなこんなで騒がしい鍋タイム。

弧冬は牛肉を狙って掴みまくっていたが、白菜を皮切りに色々な食材へと端を伸ばしていく。

鍋は野菜も出汁や仕込みで美味しく食べられるのが売りなのだった。

沙耶はそこらの主婦よりもよっぽど家事ができるのである。これで暴力癖がなければ、と思うと兄として本当に残念だ。

ぎらり、と俺の心の声の一端を感じ取った沙耶から睨み付けられ、鍋攻防戦から退却する。


隣には緩やかに適度な食物を確保しながら、細い目で二人を見守るじっちゃんの姿。

孫娘を見るお爺ちゃんモードに完全に変更中なのだった。


「ふぉ、ふぉ、ふぉ……家族が一人、増えたみたいだの」

「友達が来たときは沙耶のテンションが高くなるが……今日はまた、レベルが高いな」

「世話の焼ける妹みたいに感じるんだろうのぉ」


妹か。

家には両親がいない。

家族が増えることなんて有り得ない。

いつもこの三人が無涯の家の住人たちであり、それ以上はない。

だから家族がいるということはとても羨ましいことだと思う。とても有りがたいことだと思ってる。


「弧冬は、お姉ちゃんと仲良いか?」


ふと、そんなことが気になった。

舞夏から妹がいるという話を聞いたことがなかった。

もちろん話す必要がなかったから、と言われればその通りだとしか返せない。

ちゃんと仲良くやっていやがるのかなぁ、とちょっとだけ気になってしまったために問いかけてしまったのだが。


「……うーん、分かんない。あんまり逢う機会が無いんだ。お姉ちゃん、忙しくて」


弧冬は困った顔で苦笑いするだけだった。

俺は少し息が詰まってしまう。忙しい理由ぐらいなら俺にも良くわかる。

その間、ずっと彼女は待っているだけなんだろうか。それとも舞夏とはそもそも別のところで住んでいるんだろうか。

多分、別々に暮らしているだろうことが分かった。

何しろ夜遅くまで舞夏のマンションにいたことがある。それでも弧冬は姿を見せなかった。


寂しい思いをしていることは一目瞭然だった。

聞くまでもないほど当たり前のことなのに、弧冬は苦笑から純粋な笑みへと変えると、ニカッと歯を見せて笑った。


「でもね、弧冬はお姉ちゃんのこと、大好きだよー!」


そう言うと、弧冬は再び鍋の攻略に取り掛かる。

俺は少しだけぼうっとしていた。

忙しくて構ってやれない舞夏のことを好きだと弧冬は言った。そのことが何故かとても嬉しかった。

理由は良く分からないけど、とても嬉しくなってしまうのだった。


「そっか、そうだよな」


口元には自然に笑みが浮かんでいた。

俺もまたじっちゃんのように、愛しい妹を見るような瞳で沙耶と弧冬の二人を見つめていた。

二人は本当の姉妹のように騒がしくしながらも、表情に笑顔は絶えなかった。


「熱いー! 豆腐が熱いー」

「ああ、もう。ほら、慌てないでいいんだから!」


騒がしい平和な晩御飯。

笑いあいながら食べるひとつの家族の形がここにある。

そんなこんなでドタバタしながら、楽しい夕食会は過ぎていくのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ふわー♪ おなか、いっぱい〜♪」


夕食後、午後八時前。

すっかり暗くなってしまった空を見上げながら俺たち三人は学園都市を歩いていた。

もちろん弧冬を送るためだ。霧咲孝之が何処で襲ってくるかもまだ分からない。

最初は泊まっていけばいい、と沙耶が言ったのだが、弧冬は少し慌てながら固辞した。

沙耶は残念そうだったが、次の機会にすればいいと思ったのか、今回は諦めた様子だった。


沙耶と弧冬のシスターズを送りながら考え込む。

今頃、旅団は静かに下準備をしている頃だろうか。俺も送り迎えが終わればそちらに向かうつもりだった。

舞夏が指定した時間まで、あと一時間以上ある。

誠一たちと連絡を取り合いたかったが、電話が繋がらなかった。向こうも忙しいのだろう、と思う。


「あれだけ食べても成長の余地なし……と」

「あー! そんなこと言っちゃうんだ、沙耶お姉ちゃん! 弧冬はまだ成長の余地あるよ!」

「何処が?」


隣では二人の女の子が夜だというのに騒がしい。

住宅街の中なので静かにしてほしいところだが、そろそろ十字路の道路に差し掛かるところなので何も言わない。

舞夏のマンションはビル群にある。住宅街ではあるが、大回りをしなければならない。

商店街まで降りた後、別の通路をたどっていかなければならないのだった。


「私のお姉ちゃんは胸もバイーン、なんだから! だから弧冬も将来性あり!」

「へぇ〜……」

「え、なんでそこで俺を見るんだ、沙耶……」


別に胸とかそういうのを気にしていないわけじゃないでもないぞ。

うん、何だか凄く混乱中。確かに舞夏のスタイルはモデルに行っても通用するぐらいのレベルなのだ。

白いワンピースとか基本的なものをいつも着ているから、そういうところも結構強調されるわけで。

とりあえず俺は今、とても落ち着いているということを現したい。

どうだろうか。そうか、無理か、そうか。


「即ち! 沙耶お姉ちゃんみたいにぺったんこにはならないのだ、遺伝子的に!」

「くっ……お兄ちゃん! なんでお兄ちゃんは胸が大きくないのよ!」

「えええっ!? 無茶言うなよお前!?」


そんな理不尽な要求を受け流しながら十字路を進む。

学園都市南部の商店街まで降りてきた。そこから別の通路を辿ってまた戻らないといけない。

商店街はもちろん、全ての店にシャッターが閉まっている。

この近辺に霧咲孝之が潜伏している可能性がある、と通達されたのだろう。人の気配もなかった。


ここで決着を付けるというのなら、商店街付近の住人は全員避難させられているんだろう。

実家がある者は住宅街の実家へ、ない者はマンションやホテルにでも連れて行かれているのかも知れない。

とにかく生活観のない商店街は、無人を示すように部屋の明かりもつかず、真っ黒に染まっていた。


「あれ……なんだろ……?」


そんなときだった。

弧冬の肩がぴくり、と震え、何かに気づいたようだった。

少女が指を指し示した場所にパトカーらしきものが止まっていた。

無人を示す黒色にサイレンの赤い光が混ざり合っている。


俺は愕然とした。

沙耶や弧冬にはあれが警察のパトカーだと言うことが分かるだろう。

もちろん俺にも分かる。商店街に警察が来ているのだ。


「やだ、また事件……?」

「あれは……」


パトカーの隣に誰かがいた。

もちろん複数形であり、私服警官らしき人たちが周りを取り囲んでいる。

そのうちの一人に見覚えがあった。

黒髪の外国人。流暢な日本語で警官らしき人たちに指令を下す男の名前はアルフレッド・ガードナー。


「アルフレッドさん!」

「君は……無涯黎夜くんですね。こんばんは」


声を掛けて駆け寄った。

アルフレッド巡査はまず俺を見て硬い声で挨拶をする。

いつもどおり、警官らしく一般人はあちらのゲートへどうぞ、と全身で伝えてくる素っ気無さだ。

そんなアルフレッド巡査は改めて俺たち三人を見て、表情が凍りつく。


「どうしたんですか、これ?」

「………………」

「アルフレッドさん?」


停止するアルフレッド巡査。

彼が硬直していた時間は僅か数秒足らずのものだった。

あ、いえ……と規律正しいアルフレッド巡査らしからぬ反応を返すと、背筋をぴしりと伸ばす。

どうやら気合を入れなおしたようだ。


「……連続殺人鬼、霧咲孝之を捕らえるための包囲網です」

「はっ……?」


声が思わず裏返る。

警察官たちが霧咲孝之を包囲していると言っている。

これはつまり、どういうことだ。

表世界の住人であるところの警察が裏世界に介入をしようとしているということになるのか。


アルフレッド巡査は失礼、と俺たちに言うと、ポケットから通信機を取り出した。

恐らくは包囲した警察官たちと声を掛け合っているのだろう。

俺からはそれほど離れていないところでの通信のため、彼らの言葉を拾うことができた。



「総員に通達。これより、我らの威信にかけて霧咲孝之を捕らえる」



まずい。

これは本当にまずい。

表世界の住人たちが介入しようとしている。

警察の威信にかけて、とアルフレッド巡査は言った。

せっかくの人払いも警察という表の人間がいては意味がない。


暴走だ、と思った。


何とかしなければならない。

誓約者は誓約者でなければ勝てない。

このままでは多くの死傷者が出てしまう。それだけじゃなくて孝之に包囲を抜けられる。

ギリリ、と俺は小さく歯軋りした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




同時刻、診療所。

藤枝緋紗那はベッドに横たわったまま、白い天井を見つめていた。

もはや舞台から退場した彼女の出番はない。


「………………」


希はもう去っていた。

彼女は緋紗那の質問に対して、最後に伝えた。


『貴女の言う通りよ』


説明はそれだけだったが、それで緋紗那は全てを悟ってしまった。

詳細は分からない。どんな陰謀や思惑があったのか、そこまでは分からない。

それでも理解できることがひとつだけあった。

藤枝緋紗那は騙されていた。旅団という組織も、表世界と呼ばれる世間一般も騙されていたのだ。


「……………………」


窓の向こう、夜の闇に顔を向けた。

騙された憤りはない。それが必要なことなのが分かったからだ。

だから緋紗那が感じているのはただひとつだけ。

願っているのはただひとつだけ。



(もう、理不尽な結末だけは見たくないですよ……)



人を騙してまで護りたかったもの。

人を欺いてまで成し遂げたかったこと。

願わくばこの優しくない世界に一筋の希望と救いを与えてください。


藤枝緋紗那はそんなことを願いながら、ゆっくりと瞳を閉じた。






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