第2章、第7話【道化】
商店街の路地裏、喧嘩通り。
数年前までは不良の間でそう呼ばれていた路地裏通路だ。
商店街という賑やかな表の世界とは裏腹に、こういう暗い場所は不良どもが跋扈している。
まあ、あくまで数年前の話である。
俺が高校生になる頃には、学園都市の治安は厳しく取り締まられた。
特に名物や若者の遊び場所などもあまりない学園都市は『学び舎』としての地位を確立していく。
結果として遊んでばかりの不良な大部分は東京のお台場のほうへと移っていく。
この学園都市に残ったのは僅かばかりの成績不振者の集まりがせいぜいで、
この路地裏を喧嘩通りと呼ぶ者もほとんどいない。
(今では不良なんかとはレベルの違う裏世界の住人たちの温床となっているのでした)
明るく言って少し欝になった。
高校生のときには少しは住みやすくなったな、と思っていたのに今では連続殺人鬼の隠れ住む潜伏先だ。
東雲の町の路地裏は広い。
使われていない家が多いのは少子化の影響による生徒数の減少が原因だろうか、と俺は何となく思ってみる。
(さてと、誠一の話によればこの辺のはずなんだけど……なぁ)
繰り返すが、学園都市の路地裏は広い。
この場所に精通している奴なんてほとんどいないだろう。
中学の頃に暴れていた俺はかろうじて憶えているが、それでも何年も経った今なら迷う自信がある。
そんな広大な中で目的の少女を探し出す、と言うのは大変なことだと改めて気づく。
どうしたものか、と少し呆然としていたが、やがて気づく。
奥から人の気配がするのだ。
霊核を宿してから基本的な身体能力や直感といったものが、地味にあがっているらしいことは一週間くらいで理解した。
宿してよかった、と思える唯一のことと言えば、朝に妹からの奇襲に対抗できるということだろう。
寝ていても嫌な予感がして飛び起きると、そこには足を上げて俺を踏み潰そうとするクリーチャーの姿が……
あれ、涙が出てきたよ?
閑話休題。
とりあえず兄妹の確執は包帯でぐるぐる巻きにして捨てておく。
心の核シェルターの中に避難しつつ、俺は路地裏の奥へと足を進めた。
(舞夏か……?)
入り組んだ通路を歩く。
空き缶やゴミがそこら辺に転がっているのは誰も清掃をしないからだろう。
一ヶ月に一度は清掃の係りの人が大々的にやっていく。
今月はまだ来ていないらしいのが一目で分かった。
人の気配は真っ直ぐ通路を歩いたその先を右に曲がったところだった。
曲がると、一人の人物の姿が目に留まった。
残念ながら舞夏ではなかった。初めて見る男性だった。
歳は二十代も後半に差し掛かるぐらいに見えるが、それにしては体付きが若々しい。
髪はオールバックにして細いフレームの眼鏡をかけた長身の男性。高そうなスーツが僅かばかり埃にまみれていた。
正面から見て外国人であることがようやく分かった。
黒い髪は日本の人のようだと思ったが、どうやら染めているらしい。
彼はぶつぶつと何かを呟いているようだったが、俺の姿に気づくと少し呆けた顔をした。
「おや」
「……っと、すいません」
何となく黙って観察していたことに罪悪感を覚えて謝る。
黒髪の外国人は特有の青い瞳で俺を見ていた。
見定めるような視線ではあったが、不思議と嫌悪感や違和感といったものは感じない。
俺から見ても立派な姿勢で背筋の伸びた男性は、少し困ったような顔をすると言う。
「困りましたね。ここは立ち入り禁止ですよ。早くお帰りなさい」
流暢な日本語だった。
黒い髪に染めていることといい、青い瞳がなければ外国人とは思わなかったかも知れない。
彼が何者なのかも分からず首をかしげていると、察した男性が再び口を開いた。
「学園都市警察のアルフレッド・ガードナー巡査です。ここで傷害事件があったので、現場を保存して調べています」
「あ……警察の人なのか」
「はい。今日は非番でしたが、公務員は年中無休のようなもので。こうして駆りだされたのですよ」
丁寧な日本語に違和感はない。
外国に初めて行く日本人が身振り手振りで話す外国語も、これぐらい丁寧なのかと思うぐらいだ。
だが、それよりも気になることがある。
言うまでもなくアルフレッド巡査の言った傷害事件のことだ。
「何があったんですか?」
「一般の人には答えられませんね。守秘義務というものがありますから」
まあ、当然だろう。
それに傷害事件の詳細は誠一から聞いている。
確証を取ることは出来なかったが、ここが草壁睡華という少女が襲われた場所なのだろう。
傷害事件、と言っていた。殺人事件ではない。それが確認できただけでもよかった。
本当に、良かった。
「どうしましたか?」
「い、いや……えっと、すみません。人を捜しているんですけど」
「……この路地裏でですか?」
不審な顔をされてしまった。
確かにこんなところで待ち合わせるなんて言うのがそもそもおかしいのは分かるが。
「赤い髪の女の子を知りませんか? 多分白いワンピースに、可愛らしい帽子を被ってると思うんですけど」
「………………」
最初に帰ってきたのは沈黙だった。
何かを考え込んでいる様子にも見えて、少しだけ冷や汗が出る。
まさかこのまま署までご同行願えますか、などと言われるとは思わないが。
……いや、ほんと、そんなこと言わないでほしい。
と、ようやくアルフレッド巡査が口を開く。
「さあ、存じ上げませんね」
長い沈黙の割には答えはあっさりとしたものだった。
赤い髪の少女など見たか見てないかなどはすぐに思い出せると思うのだが、どうやら見てないらしい。
警察の人が来たものだから、一度散会してしまったのかも知れない。
アルフレッド巡査は少し考えるような素振りで俺を見ていたが、やがて思い出したかのように言った。
「君は無涯黎夜くんですね」
「え?」
間の抜けた返事を返してしまう。
確認するようだが、アルフレッド巡査と出逢うのは今日が初めてだ。
疑問を氷解させるように、少しだけ口元に笑みを作りながら彼は語る。
「大蔵警部補から君の事は聞いていますよ。人騒がせな少年だ、と」
「あー……大蔵さんかぁ……」
大蔵警部補とは、カイム・セレェスとの戦いの際にお世話になった刑事さんだ。
本名は大蔵繁信と言って豪放磊落な性格の中年太りのオッサンだった。
俺が無茶をすると電話越しから怒鳴りつけてくるが、
倒れている犯人に対しての行動の基本知識などを教えてくれる良い人だ。
最後に逢ったのは一週間前のこと。
ちなみに俺の証言でカイム・セレェスは傷害事件の指名手配を受けたままだ。南無南無。
改めてアルフレッド・ガードナーという人物を見定めてみる。
全身の筋肉が無駄なくついており、実戦に特化した体の鍛え方をしていることが一目で分かった。
格闘術でも使うのかなー、と考えていた俺はふと、ひとつの違和感に気がついた。
「……あれ?」
「なんですか?」
「いや、ちょっと気になったんですけど……そのナイフ……」
アルフレッドの腰のところにベルトで固定された一本のナイフがあった。
一目見て大きいナイフだ、と思う。もう少し長ければ短剣になるくらい大きなナイフは柄も赤銅色で綺麗だ。
実用性には向かない、と俺は判断した。ナイフとして使うには少し重過ぎる。
身体を効率的に無駄なく鍛えたアルフレッドの肉体とは些か釣り合わなくて、妙な違和感を感じ取ったのだ。
「……ああ、警官が持ち歩くのは警棒が主ですしね、珍しいでしょう」
腰のベルトからナイフを取り出した。
普通なら銃刀法違反になりそうな気もするが、アルフレッド巡査は警察らしい。
ならば申請もしているはずだろうことは間違いない。
そうでなければ同僚か上司が注意なり警告なりは与えているはずだ。
なにより、アルフレッド巡査のような規律正しそうな人が銃刀法を知らないとは思えない。
「父の形見です。立派なものだと思いませんか」
「……確かに」
実用性には乏しいが、観賞用としてみれば立派なナイフだった。
アルフレッド巡査の父親の形見であるらしい。
俺も母さんの形見としてずっと持っていたペンダントがある。彼の気持ちは何となく共有することができた。
と、そこで話題が完全に途切れてしまって、アルフレッドはニコリと微笑む。
「では、民間の方はお帰りください。出口はあちらからですよ」
さっさと帰れ、ガキンチョ、みたいな意思が何となく見えるのは気のせいか。
それでもアルフレッド巡査の言うことは正しい。
警察からすれば現場保存のためにもテープくらい張って、仲間をたくさん連れて検分したいところだろう。
その中に間接的には係わり合いがある程度の一般人が入ってはいけない。
「それじゃあ、また」
「はい、この通り物騒ですからお気をつけて」
舞夏のことは気になったが、ここで警察の邪魔をする気はない。
草壁睡華という少女の無事を確認できただけでも十分な収穫があったと言っていいだろう。
俺は踵を返すと、商店街のほうへと戻っていく。
「…………?」
曲がり角を曲がる前に振り向いてみた。
アルフレッド巡査は俺の背中をじっと見詰めていた。俺が通路から消えるまでずっと。
言いようの知れない視線を受けながら、俺は表の世界へと帰っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「んー……」
時を同じくして商店街。
その入り口とも言うべき場所に妹の無涯沙耶はいた。
新東雲学園はついに午前中の授業だけで放課、という異例の措置を取ったのだ。
原因は言うまでもなく、連続殺人鬼の霧咲孝之だろう。
そんなわけで事件が解決するまで学園は午前中で終了。
夕方にタイムサービスがある商店街も殺人鬼の影に脅えて閉めてしまう店が増えている。
ましてや昼過ぎに来ても安売りはおろか叩き売りもやっていない。
「また明日って言ってたから心配してきたけど……まさか、いないよね……?」
もちろん、沙耶の目的は別にあった。
学園がこんな措置を取ってくるのも初めてなほどの非常事態。
そんな中で『沙耶お姉ちゃんに逢いに来たんだよ』とでも言うなら殴る。
危機感の足りない娘な気がするのは気のせいじゃないと確信している。
「うん、いない。いつもの公園にもいない」
いつもの、と言っても昨日逢ったばかりだが。
そういえば昨日はもう少し遅い時間に弧冬がいたような気がする。
行き違いになる、という可能性は十分だ。
まあ、そこまでする義理もない沙耶は少しだけモヤモヤしたものを感じながらも公園を離れようとする。
「まー、どうせ逢ってもアイスを強請られるだけだから別に良いんだけどねー」
「トリック・オア・トリートーーーー!!!」
直後、無涯沙耶の身体に戦慄が走る。
季節感という日本特有の素晴らしい単語を全力で否定するように、少女が降ってきたのだ。
彼女は錐揉み回転をしながら、とある少女に向かってドロップキックを食らわせようとしているらしい。
まるで『空から落ちてくる系のヒロインです、こんにちは』とでも言いそうなほどの満面の笑みだ。
「アイスを渡さないと悪戯するぞー!!」
「よしきた上等だこの妖怪乞食幼女デラックスめ」
「また妖怪って言ったー! しかもパワーアップしたー!」
「はははは掛かってこいやジャンクフード漬けの若造がぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
「きゃー! だから弧冬は同い年だって何度も、にゃーーーー!!」
激突。
弧冬の一撃が沙耶の身体に直撃する前に身体を捻って避ける。
拳法部の期待の新人、無涯沙耶の身体能力は伊達じゃない。
激突したのは攻撃を外した弧冬の足と、硬い地面だった。
「うっ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう!」
地面を蹴った衝撃が弧冬の全身を苛む。
その頭にコツン、と一撃を与えて試合終了。勝敗は今更語るまでもなし。
「んで」
地面に蹲って頭と足のどちらを抑えて涙ぐむか考える弧冬を見下ろす。
弧冬は相対するように沙耶を見上げた。
一度だけ溜めて、そして改めて目の前の赤髪のショートカットの少女、弧冬へと問いかけた。
「何でここにいるの?」
「沙耶お姉ちゃんに逢いに来た!」
返事は無言と共に贈る拳骨だった。
◇ ◇ ◇ ◇
再び商店街へと俺は戻ってきた。
いつもなら活気のある商店街も連続殺人鬼の影響か、少しだけ元気がない。
生活のためとはいえ、命の危機をだんだんと感じ始めているからだろう。
事件が解決するまで店を閉める人もいる。
早く何とかしなくちゃな、と改めて心に思いながら俺は商店街の中を歩き始めた。
そのときだった。
ぶるるるる、と後ろのポケットに入れておいた携帯電話が震えた。
開くと、そこには目的の人物の名前が画面にあった。
「舞夏か?」
『こんにちは、黎夜さん。お時間、宜しいですか?』
電話の向こう側から聞こえる声は紛うことなき、月ヶ瀬舞夏のもの。
こちらから連絡しようと思っていたぐらいなので助かるのが正直な感想だった。
いま、捜していたところだ、と告げると舞夏は承知しているように言う。
「以前、ご一緒した喫茶店を覚えていますか? あちらのほうでお待ちしています」
「分かった。この近くだな、すぐ行く……ってか、もう見えた」
十日ぐらい前の出来事を思い出していた。
舞夏が俺を交渉の場所に立たせたとき。母さんの宝石……霊核が欲しい、と言われたあの喫茶店。
この商店街はさっきの路地裏といい、喫茶店といい、俺が裏世界に入る切っ掛けとなった場所だ。
喧騒に包まれたこの場所の暗部というべきか。
それとも誠一の言うとおり、この学園都市そのものが裏組織の温床となるために作られたからなのか。
そんなことを考えながら、俺は手を上げた。
視界の向こう側、喫茶店のカフェテラスに白いワンピースの少女が待っていた。
「黎夜さん、こちらです」
「捜したぞ、舞夏」
まるでデートの待ち合わせでもしているかのようなシチュエーション。
そんな気軽さと共に俺が笑いかけると、舞夏も釣られるように笑みを浮かべた。
イスに腰掛け、注文を取りにきたウェイトレスの人にコーヒーブラックを注文して、周りを見渡した。
さすがにお客が少ない。平日の午後とはいえ、今までならもう何組くらいはいそうなものだが。
「申し訳ありません。場所を変えなければならない理由がありましたから」
舞夏は既に頼んでいた紅茶に口をつけてそう言った。
場所を変えなければならない理由は、きっとアルフレッド巡査のような公共の官吏たちがやってきたからだろう。
そのことからも裏の世界の話だろう、と思っていた。
ウェイトレスがコーヒーを運んできたのを確認して一口だけ口に含み、そして話を促すように切り出した。
「誠一から話は聞いた。舞夏の手伝いをしてくれって」
「野牧副主任からですね。はい、これからよろしく御願いします」
野牧副主任。
それが誠一の裏世界での通称らしい。
確か技術部の副主任にして構成員とか言ってたような気がする。
実のところ未だに誠一が裏世界の人間かどうか信じられない俺は、何となく尋ねてみることにした。
「……なあ、舞夏。ほんとに誠一って裏世界の人間なのか?」
「はい、野牧副主任は間違いなく私たち旅団の一員にして、裏世界でも五本指に入る霊核専門の博士です」
世界でも五本指。
突然、友人の誠一が遠い存在であるような錯覚に陥った。
言うなれば戦いではなく、解析や開発を専門とした職業についているということだろうか。
舞夏は誠一の功績について続けた。
「彼の研究、発明は謎多き霊核に対して素晴らしい実績を認められています」
「霊核に対する発明、ってことだよな」
「はい。彼がいなくなれば私たち旅団は霊核という分野において激しい損失を受けるだろう、とまで言われています」
話を聞くと段々誠一が偉人に見えてくる不思議。
裏世界でも名を知られた、とまで言われてしまうと何故か切なくなる。
同僚を上司に持った部下の気持ちが今なら分かる気がする。
とはいえ、どう考えても誠一に敬意を払うという選択肢が見つからないので諦めて今までどおり接することにした。
ふと、何となく気になったので聞いてみる。
「舞夏と誠一、どっちが偉いんだ?」
舞夏は少しだけ困った顔になる。
好奇心のままに聞いてみたが、少しだけ言い難そうだった。
少しだけ愛想笑いのようなものを見せると、少しだけ恥ずかしそうに舞夏は言う。
「一応、私がクラスA。野牧副主任はクラスBとされていますが……」
隊長や主任はAクラス。
副隊長や副主任はBクラス、構成員はCクラス以下というふうに決まっているらしい。
従って組織でも重宝されている誠一も、霊核を宿した隊長である舞夏の下につくらしい。
実力主義、万歳。
「で、ですが、私は彼とその上司には本当にお世話になっています。以前の黎夜さんの件も」
「誠一が?」
「はい。黎夜さんの無事を確認したり、情報を集めたり、偽の宝石を用意したり」
「そうなのか……感謝しないとな」
表では舞夏が、裏では誠一が動いていてくれたらしい。
こりゃ学食のメニューを奢るぐらいじゃ割りにあわないような気がした。
今度、外食に行ったときに奢るとしよう、うん。
「……で、これからどうするんだ」
本題に入る。
霊核を宿した殺人鬼、霧咲孝之を追い詰めるために。
俺は何をすればいいのか。
同じく霊核を宿した俺は何をするべきなのか、それを舞夏に聞きに来たのだ。
「私たち旅団は今日……遅くても明日までに決着を付ける心積もりです」
「そんなことができるのか? 一週間以上も孝之の足取りを掴むこともできなかったのに」
「状況が変わりました」
指を組んで舞夏が告げる。
言葉の端々には力のようなものも感じた。
それが策に対する絶対の自信か、それとも強がりから出た一時的なものなのかは分からない。
俺の顔から笑みが消え、話の続きを促すように舞夏を見た。
「昨晩、第六の事件が発生しました。これは私たちの落ち度であり、痛恨のミスです」
「…………」
「ですが、私たちもみすみす、犯行を重ねさせているわけではありません」
第六の事件。
草壁睡華という少女が襲われた事件のことだろう。
全てが終わったあと、俺は彼女になんて謝ればいいのかも分からなかった。
俺の沈黙を気にすることなく、舞夏は続けて語る。
「黎夜さん。潜伏するために最低限、必要なものは分かりますか?」
「えっ……と? 金とか、かな」
「そうですね。でもそれ以上に必要なのが食料です。生きるためには食べなければなりません」
確かにそうだ。
指名手配犯では金を持っていても買い物することはできない。
要するに食料を手に入れることが困難だ。
霧咲孝之はそこのところをどうしていたのだろう、と疑問に思ったところで舞夏はさらに続ける。
「では、霧咲孝之はどうやって食料を手に入れているのか。そこに問題があります」
「やっぱり……盗んで、じゃないのか?」
「そうですね。民家や店に忍び込んで手に入れている、と考えるのが妥当でしょう」
そうだな、と返そうとして気づく。
連続殺人鬼のような奴が民家に忍び込んだりしたら、その家の人は無事ではすまないのではないだろうか。
俺は思わず大声で反応してしまう。
「ちょっと待て、それじゃあその民家の人たちは……!」
「そういった報告はありません。恐らくは商店街の店のほうを狙っているのでしょう」
家と店をひとつの家に纏めている人もいれば、家と店を分けている人もいる。
その情報が正しいとするならば、孝之は店を狙って食料を調達しているのだろう。
さすがに犠牲者が出れば警察も家族の人も気づくし、周囲の人も気づく。
心は穏やかではないけど、そういうことと信じることにした。
何より舞夏たちの情報操作や隠蔽能力、そして収集能力を俺は十日ぐらい前のことで良く知っている。
「ですから、荒らされた店がないかと調査させましたところ、当たりました」
「当たったのか!?」
「はい。昨日の夜、果物を売っている店が荒らされ、盗難にあったそうです。今日の朝に収集しました」
昨日の夜、ということは第六の事件発生後のことだ。
それから霧咲孝之は現場から逃亡し、そして空腹を満たすために店を荒らしたことになる。
その盗難事件以外にはまだ事件は起きていないらしい。
詳しく調べれば疑わしいことがいくらか出てくるかも知れないが、
今の舞夏にとっては最新情報さえあれば十分なのだろう。
「つまり、霧咲孝之はその近辺にいる」
「もう逃げてしまってるんじゃないのか?」
「いいえ。昨日の第六の事件のとき、私の隊の副隊長が数人を率いて通路を封鎖しましたので」
現在は完全にひとつの区画を囲んでしまっている状態だ、と舞夏は言った。
つまりはチェックメイト、完全に追い込んだ状態だ。
派手に動き回ると窮鼠かえって猫を噛む、といった可能性もあるため、今は封鎖に留めている、と舞夏は言った。
更に舞夏は続けた。その瞳は裏組織の指揮官だと俺に改めて告げていた。
「作戦の決行は今晩、夜の九時」
舞夏の強い意思が伝わるような一言だった。
戦いを前にした将軍のような、そんな緊張感の漂う雰囲気を纏ったまま彼女は言う。
「夜の闇に紛れて逃げ出そうとするでしょう霧咲孝之を、私たちで囲んで処断します」
処断。つまりは殺す、と彼女は言った。
反対する気もないし、それをやめろ、だなんて言うことはできなかった。
今の舞夏が無理をしているなんて一目で分かったからだ。
顔色が悪いし、目の下には薄くクマのようなものまである。眠れない夜を過ごしたのが俺でもわかった。
その果ての決断なら文句は言えない。
今の俺にできることは被害がこれ以上増える前に、霧咲孝之を倒すことだ。
「分かった。俺はどうすればいい。囲んで倒す役か?」
「はい。相手は誓約者、ただの構成員では囲みを突破される恐れもあります」
「ああ、そうだな」
「黎夜さんには遊撃隊として動いていただき、もしも倒し損ねたときには私たちの代わりに彼を倒していただきます」
倒す、の言葉に二つの意味が込められている。
ただ制圧するか、それとも殺害するか。
舞夏は俺に殺すことを望んでいるのだろうか、と思うと、つい口が滑ってしまう。
「倒す……殺す、か」
「……最悪、足止めや見失わないようにしていただければ構いません。あくまで万全の布陣を整えますので」
舞夏もやっぱり分かっている。
俺は人を殺せない。それが23人も殺した連続殺人鬼であろうとも、俺には殺せない。
そんな重いものを背負ってしまったら、俺は戻れなくなるような気がした。
このさき何があっても、例え裏世界に二度と関わらないと誓っても……きっと、殺したときの手の感触を憶えている。
俺にはそんな重いものは背負えない。
つい二週間前までは普通の学生だったんだ。
殺したり、殺されたりだなんて考えられるような世界には一生縁がないとさえ思ってたんだ。
「黎夜さん……私たちに引き渡すだけでも十分です」
「悪い、舞夏……俺は」
俺の迷いを見抜いた舞夏の言葉に唇を噛む。
これが覚悟の違いだと言うのだろうか。
裏世界の力を手に入れたはずの俺が、こんなにも圧倒された気になってしまうのは何故なんだろう。
どうして同じ力を持っているのに。
こんなにも舞夏や誠一が遠く感じるんだろう。
こんなにも立っている場所の違いを認識させられてしまうんだろうか。
「分かってます。黎夜さんは絶対にその手を血で汚さないようにしてください」
舞夏の表情が少しホッとしたような気がした。
その真意を尋ねる暇もなく、舞夏は言葉を重ねる。
「本来なら黎夜さんの力をお借りすること自体、私たちにとってはあってはならないことなんです。
黎夜さんの情報は隠蔽し尽くさなければならない。
そんなデリケートな位置にあるあなたを戦線に投入しなければならないことは心苦しいですが……」
そこについては俺が自分で決めたことだ。
沙耶やじっちゃんには迷惑をかけることになるかも知れないが、もう火がついてしまった。
これ以上、連続殺人鬼とやらを好き勝手にさせておくわけにはいかない。
草壁睡華のような犠牲者を出さないためにも、俺の力が役に立つなら使いたいと、心の底からそう思う。
舞夏もその意志を汲んでくれているのだろう。
それ以上、俺が危険なことをしないか、などの警告もせずに口を噤んでいた。
「じゃあ、俺は行くよ。集合場所と時間は?」
「夜の八時に、商店街の入り口で」
了解、と返事をして伝票を拾おうとすると、舞夏やんわりと微笑みながら回収される。
以前は奢ってもらったから今度は、と思った俺の行動を見事に先回りされた。
少し情けなく宙に浮く手の所在がなくなり、ばつの悪い表情のまま、俺は頭を掻くのだった。
「あ、黎夜さん。もうひとつお話が」
「お? おう」
夜に備えて準備する予定だったが、それほど急ぐことでもない。
舞夏に話があるというのなら、と否応もない。
再び席に座る。隙を見て伝票を奪おうと試みてみるが、隙がない。完敗なのだった。
そんな勝負に挑む俺の目をじっと見て、舞夏は決心したように言う。
「黎夜さん。この件が終わりましたら、貴方の霊核を外させて欲しいんです」
◇ ◇ ◇ ◇
「うるうる……苛められた……うるうる」
「襲い掛かってきたのアンタだから」
「捕虜には捕虜としての人権を要求するー!」
「沙耶法典、第三章第二節。『家事を司る者に反抗する者に人権はない』」
「なにそれー!?」
住宅街へと向かう道を無涯沙耶と月ヶ瀬弧冬は歩いていた。
商店街も物騒だということを近所の主婦に聞いたのだ。どうやら物取りがあったらしい。
例の連続殺人犯ではないか、という不安が広がっている。
今日は家で大人しくしておいたほうがいい、という言葉を受け入れて商店街から離れる途中だった。
「愛が足りないぜー! 弧冬はもっと愛が欲しいー!」
「よし、抱きしめてあげる」
「ほんと!?」
「抱き」
「むぎゅ」
「絞め」
「にゃぁぁぁ! 絞めるの文字がきっと違うー! 苦しい苦しい苦しいうえーん!!」
これからどうするか、と思ったところで沙耶は言う。
「私の家、来なよ。せっかくだから晩御飯も食べていきなさい」
「え、……いいの?」
「いいの、友達でしょ。その代わり、あんまり人に強請るのはやめなさいよー」
友達、という言葉に弧冬の動きが止まった。
彼女は呆然とした面持ちで、上目遣いに沙耶の顔を見つめていた。
「どうしたのよ」
「……友達? 弧冬、友達?」
「違うの?」
弧冬は、目を大きく開いて立ち止まっていた。
何か信じられないようなものを見たような唖然とした顔をしたあと、顔をくしゃっと歪めた。
酷く辛そうな顔で、明るい彼女しか知らなかった沙耶が大いに戸惑った。
弧冬は酷く苦しそうな顔をしながらも、それを上回るように幸せそうな笑みを浮かべた。
その瞳には光るものがあって、沙耶は何も言えなくなった。
「ううん、友達。弧冬と沙耶お姉ちゃんは、友達」
「当たり前じゃん? 何言ってんの、この子は」
「あ、あはは」
今にも泣き出しそうな声色で声を絞り出す弧冬を見て、沙耶は思う。
いつも一人でいる弧冬はどんな生活を送っているんだろう。
毎日毎日抜け出している娘を見て、家族はなんとも思わないんだろうか。
初めて逢ったときのように、いつも一人だったのだろうか。この子は小さな身体に寂しさを抱えていたのだろうか。
(弧冬のお姉ちゃんって人も、何やってんのよ)
こんなに寂しがってる妹がいるのに。
友達なんて言葉で照れるでもなく、感極まってしまうような子をほっとくなんて。
事情は知らないし、聞くつもりもないけど。
せめて構ってやってもいいじゃない、と弧冬は心の底で毒づいた。
「ほーら、今日は鍋。家族はお爺ちゃんとお兄ちゃんと私だけだから、気兼ねしなくてもいいわよ」
「……お父さんとお母さんは?」
その言葉で、沙耶はグッと歯を噛み締めた。
弧冬の無邪気な言葉に怒りを覚えたわけじゃない。ただ、唐突に亡き両親を思い出してしまった。
今度は沙耶の視界が涙で歪みかけたが、彼女は堪えた。
もう八年も前に乗り越えたことだ。
ここでまた泣き出してしまったら、あのとき泣くこともできなかった自分の兄に申し訳が立たなかった。
「うち、両親いないから」
「あっ……」
「ほーら、そんな申し訳なさそうな顔しないの。気を使われるほうが困っちゃうかな」
八年という時間の中で、何度も経験したことだ。
気を使われるほうが困るし、嫌だった。もう乗り越えている両親の死を穿り返すのが嫌だった。
だから弧冬の赤みがかった髪をグシャグシャに撫でて誤魔化すことにした。
「わっ、わっ、わっ」
「うらうらうらうらうらー」
「わーんっ、やっぱり苛めっ子だー!」
そんな会話を交わしながら、二人は並んで舗装された道を歩く。
まるで本当の姉妹のように。
少女たちは笑い合いながら日常を謳歌する。
◇ ◇ ◇ ◇
そんな彼女たちを見ている者がいた。
楽しそうな彼女たちを興味深く観察する者がいた。
心せよ。
そう、仮にも彼を『神の瞳』と名づけよう。
全ての真実を知る者である。全ての事情を見通す者である。
彼は偏在している。何処にでも存在している。空気のように世界に蔓延した神の瞳である。
故に真実を知る彼は笑い続ける。
「心せよ」
そして、その背後にも人影がある。
長身の男。天然パーマに眼鏡。その右腕には黒光りする拳銃が握られ、銃口は『神の瞳』へと向けられている。
眼鏡の奥の目は鋭かった。
裏世界の人間としての野牧誠一だった。『神の瞳』のこめかみへと銃口を突きつけると、静かに威圧的な声で言う。
「失せろ」
「そのつもりだ、そのつもりだよ、『神の指先』よ。小生とて出張るつもりはない」
「失せろ、と『俺』は言っている」
「ああ、ああ、消えるとも。私は今回の茶番劇に加担するつもりはない。実に、実に興味深くはあるが……」
銃口を突きつけられているというのに『神の瞳』は穏やかだった。
まるで十年来の親友を迎えるかのような気軽さで、彼は誠一の肩を叩く。
対して誠一は眉間の皺を寄せると、何の躊躇いもなく引き金を引いた。
ヒュン、とサイレンサーの音は呆気なかった。
神の瞳はその脳髄を真っ赤に染めると、力を失って地面に倒れる。
だが、その身体はまるで灰のように細かくなると風に吹かれて飛んでいく。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
―――――心せよ。
それでも、ねっとりとした言葉だけが響き渡る。
「……『心せよ。幸福な日常など、夢幻のようなもの』……か」
誠一は感慨もなく、その場から立ち去った。
物語は動く。それはもう止められない。
今はただ目の前のことに集中しなければならない。連続殺人鬼を捕まえ、そしてこの喜劇を終わらせる。
野牧誠一もまた歯車なのだから。
この世界の人間は糸に操られるがままの人形のようなものなのだから。
狂おしく踊り狂う道化たちは踊る。
運命に支配されて踊り続ける。もしくは誰かの掌で踊り続ける。それが裏世界の常識だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「霊核を、外す?」
改めてその言葉を反芻する。
霊核を外す。つまりは誓約者をやめ、英雄の力を手放すということだ。
力を失う代わりに裏世界から狙われる理由が無くなるということでもある。
「そんなことができるのか?」
それが正直な感想だった。
外すことが出来るのなら、決して霊核を宿すな、とかそういうことは言われないと思うのだ。
危ないときのワンチャンスで宿して、不必要なときに外してしまえばいい気がする。
まあ、多分お金がかかるとか。そういう理由が良い落としどころだろう。
「『霊核殺しの宝玉』……我が旅団の技術の粋を集めて完成させた新技術です」
「霊核、殺し……」
なんとも物騒な名前である。
霊核技術の発明ということは、誠一の発明だろうか。
名前からしてみれば霊核を外す、というよりは霊核を壊す方向に全力を尽くしそうなネーミング。
外す、と言っている以上、舞夏の組織が回収するのは間違いないだろうが。
「でも……それは」
躊躇いはあった。
力を失うことに対する躊躇いがあった。
裏世界との繋がりが断たれることを指していた。
目の前の少女との関係が途切れることを指していた。
「黎夜さん」
そんな俺の迷いをピシャリと舞夏が斬る。
咎めるような口調だった。
強く言い聞かせるかのような声色で舞夏が言う。
「こんなことを言ったら怒られるかも知れませんが……ご家族の方を思うのなら、霊核を外すべきかと」
「――――――、」
その言葉にハッとした。
そうだ、危険なのは俺だけじゃない。
裏世界の人間に狙われて危ないのは力のある俺よりも、力のない身内だ。
「カイム・セレェスのやったことを覚えていますね? 私たちの世界では身内を狙ってくる輩も少なくありません」
もちろん覚えている。
あの時は沙耶が狙われた。結果的には大事に至らなかったが、もしもを思えば背筋が凍る。
そうして現実を突きつけられる。
例え俺が強くなったとしても、俺一人では家族や友人を守れない。
俺は約束をしたんだ。
母さんの分まで沙耶を守ると。
強く生きると無涯黎夜は誓ったんだ。
「黎夜さんは日常にいて良いんです。私たちと一緒に地獄に堕ちる必要なんてないんです」
そうだ、強く生きるということは裏世界で戦うということじゃない。
当たり前の平和を保って、当たり前の生活をして、当たり前の日常を謳歌することだ。
その俺が妹を危険な目に合わせる種を持っていてどうする。
ただの大学生だった俺が、ただ少しばかり強い力を持っているだけで舞い上がってどうするというんだ。
「何より、妹さんたちまで危険な目にあわせないためにも」
「ああ、……その通りだ」
何でも守れるなんて思うなよ、無涯黎夜。
俺なんて目の前の少女一人にすら勝てるかどうかも分からない程度でしかない。
そんな中途半端な力に固執して、一生の後悔をするなんて間違っている。
俺が欲しいのは平穏だ。
身を滅ぼすほどの力じゃない。断じてない。
「分かった。旅団の好意に甘える。俺は何より、家族を守らないとな……」
「それでいいんです。こんな馬鹿げたこと、やらないほうがずっといいんです」
舞夏はそう言って優雅に微笑んだ。
その笑顔は整った顔立ちのせいか、とても美しく見えた。
美しく見えるからこそ、そこに内包された感情の色はより濃く俺の瞳に写った。
自嘲という感情が色濃く見えた。
「だって、いつも悲劇しか用意されないんですから」
あはは、と恥ずかしげに笑う彼女の姿が、何処となく小さく見えるのだった。