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第1章、第1話【常に廻り続ける日常】

「…………」


じりりりりり、目覚まし時計が日頃の恨みを晴らさん、とばかりに鳴り響く。

かーん、かーん、かーん、何かを叩く音が俺を討ち取ろうと部屋中に響き渡る。軽く近所迷惑だ。


「起ーーーーきーーーーろーーーーーーーっ!!!」

「……うぐぅ」


結局、目覚ましと鍋&お玉による同時攻撃に白旗を揚げて目覚めた。

寝ぼけ眼を擦りながら、状況を把握する。

ぼんやりと薄れた視界の向こう、呆れながら右手に鍋、左手にお玉を持った騒音問題の元凶が俺のことを見ていた。


「ん……此処は何処、私は誰、貴女もついでに誰……?」

「台所にフライパンと包丁とメリケンサックがあったよね」

「……悪かった」


フライパンはまあ、分かる。包丁も何に使うつもりか考えなければ、アリだろう。

だが台所にメリケンサックなんぞを隠しておくというのは、常識から外れていると思うんだが……我が妹ながら恐ろしい。

そういえばこの前カップメンを食べようと思って棚を開いたら、銃が落ちてきたんだよな。

本物かどうか確かめる勇気はなかった。


「はい、それじゃあ自分の名前と性別と現在位置と私の名前と、好きな人の名前も言えるよね?」

「……最後だけ修学旅行の夜みたいなこと聞かれたのは、幻聴だよな?」


早速だが。

自分の妹が一般人という枠から逸脱していることから、目を逸らしきれなくなってきました。


「ムガイ、レイヤ。男……ここは俺の部屋で、目の前にいるのは妹のサヤ。OK?」

「……ま、いいよ。名前がカタカナになってるところを除けば」


学園の制服に身を包んだ妹、沙耶が肩を竦めながら答える。

茶色の髪を肩まで切り揃え、健康的な肌が快活な性格を物語っている。

身長や胸については武士の情けだ。考えないようにしてやってくれ。きっと、本人はまだ望みを捨てちゃいないから。


「…………なにかな、その生暖かい目は?」

「いや、何も言うつもりはねえよ、はい」


しばらくは追求したそうな目をしたまま睨まれたが、時間がないのか諦めたようだ。

時刻は午前七時を回ったところか。確かに食事の時間が迫っている。

沙耶はさっさと支度してきてよ、とだけ言い残すと、バタバタと足音を立てながら俺の部屋から退出していくのだった。


「………………」


五月十八日。

まだ少し寝ぼけたままの状態で、寝巻きを脱いで制服に袖を通す。

今日も今日とて学校だ。それは万事変わることなく、いつもどおりの日常を演じていく。

換気のために窓を開けると、五月の太陽が出迎える。

相変わらずの日常だ。退屈で、不変で、そして誰もが平等に与えられるべき平和を享受する権利だ。


「今日は……英語に、日本史に、現国っと……」


該当教科のテキストを鞄に放り込み、準備が終わって背伸びをひとつ。

忘れ物は、と一瞬考え込んだところで、一番大切なものを忘れていたことに気づく。


「おっと……」


机の引き出しから宝石を取り出す。

小さく淡く青い煌き。ペンダントにしたサファイアは、俺のお守りのようなものだった。

これだけは忘れてはならない、と。俺はペンダントを首にかけると、沙耶の後を追って部屋を出た。



     ◇     ◇     ◇     ◇



実家は剣道場を経営している。

あくまで祖父(じっちゃん)の趣味の延長のようなもので、小さい頃は俺も沙耶も扱かれたものだ。

じっちゃんは剣術、武術の達人として名を上げたらしく、道場には賞状やトロフィーなどもたくさん飾っている。


とはいえ、この2022年の時代に剣道を習いたいという猛者は中々現れず。

道場の収入はあまり芳しくない。だというのに何故か、俺たち兄妹は食べるものにも困らないし、大学にも通える。

足長おじさんでも居るのだろうか、と思わんでもない。少なくとも収入は月に五万程度とアルバイト並みなはずなのだが。


「おはよう、じっちゃん」

「ああ……おはよう」


居間には既にじっちゃんが座っていた。もう既に味噌汁に手をつけている。

じっちゃんは今年で七十にもなろうとしている……はずなのだが、未だに俺はこの老人から一本も取れないでいる。

要するに、その類の化け物なのであった。沙耶も同様で、まだ武術でじっちゃんには勝てず、軽く捻られている。


断っておくが、俺も沙耶も剣術や武術では学園でもトップクラスだ。

基礎鍛錬も欠かしていないし、まだ剣術では負けなしなんだ。じっちゃんを除いて。アレが怪物なだけだ。

普通の爺さんは鉄拳でコンクリートを粉砕したりはしない。だから自信を持って言える。


「お兄ちゃん、チャッチャと食べてしまってよ」

「ああ、了解……っと」


そしてこちらが我が妹の沙耶だ。

俺がじっちゃんから剣術を習ったように、沙耶は武術を仕込まれた。

正直、喧嘩の腕前は見た目と違って激烈だ。間違って襲おうものなら、病院送り間違いなしだろう。


無涯の家はこの三人家族だった。

家主に賢吾――じっちゃんのことな――と兄に黎夜こと俺、そして妹に沙耶だ。


「……ご馳走様」

「お粗末さまでした。食器は流しに持っていっててね。それじゃ、行ってきまーす」


まず、我が妹が出陣するのが家の決まりとなっている。

沙耶は拳法部の期待の新人として、朝練に通うことが日課となっている。授業は九時からなので一時間といったところか。

俺は別にどこかに所属しているわけでもないので、こうしてゆっくりと皿洗いなどをしているわけなんだけど。


「黎夜や、今日も夕方には帰るのかい?」

「ああ、そのつもりだけど」

「なら、帰りに買い物に行ってきておくれ。お茶菓子が切れてしもうての」


お茶菓子か。じっちゃんの好みといえば和菓子で間違いない。

和菓子関連が置いてあるのは、学校の帰り道を少し寄り道して行かなければならない商店街の老舗な店だ。

まあ、どうせ俺もこっそり拝借するつもりだし、ついでに寄っていくとするか。


「OK。分かったよ」

「じゃあ、頼むの」


じっちゃんから千円札を二枚渡される。

それを財布に仕舞い込むと、俺は鞄を持って席を立つ。時間的にはそろそろなところだ。

少し早めに学校に行って、友達たちと駄弁るのも悪くない話だろう。


玄関で靴を履きながら、居間のじっちゃんに行って来ます、と告げる。

背中に気をつけてな、の声を受け、それを追い風とするように俺は家の外へ……俺たちの住む東雲の町へと繰り出した。

 


     ◇     ◇     ◇     ◇



東雲の町は東京湾を埋め立てて作られた人工都市だ。

規模は中々に大きく、商店街や住居区も区切られている。人口とはいえ、公園なども設置され自然は守られている。

そして東雲の町最大の特徴はこの地域に学園はひとつしかないということだ。


それが俺たちが通う新東雲学園(しんしののめがくえん)

幼稚園から大学まで、ある意味エスカレーター的に上がっていくのが我らが母校になる。

もちろん、幼稚園や小学校などと分けられているが、全てが『新東雲学園』の敷地に設置されている。

あまりにも広大な土地を完全に買い取って学園にしただけあって、入学当初は迷子になる新入生が続出する。


俺はそこの大学生三年生。

妹の沙耶はまだ高校一年生で、そもそも校舎から違ったりする。

まあ、少しばかり年が離れてしまっているのはご愛嬌といったところか。俺は二十歳で、沙耶はまだ十五歳だ。


「しかし、まあ……さすがにこの時間は空いてるな」


徒歩二十分という行き道を一人で歩く。

これが八時を過ぎたあたりだったら通勤ラッシュになり、人ごみに埋もれてしまう時だってある。

だからこそ、俺は早めに家を出ている。

この時間は部活の人間には遅すぎで、普通に登校する人間には早すぎるため人も疎らだ。


ほぼ家から学校までは真っ直ぐだ。

ただ一度だけ道路を右折し、その後は真っ直ぐ行けばいい。ちなみにそのまま進めば商店街へと辿り着く。


「っ……と」

「あっ……」


その唯一の右折で人にぶつかってしまった。

お互い不意打ちだったらしく、バランスを崩してしまう。日頃は服の内側に隠したペンダントが衝撃で外に出る。

転倒しかけた人の腕を強引に掴んで、立ち止まらせた。


「悪い、大丈夫か?」

「ええ。ご心配には及びません」


ぶつかったのは少女だった。高校生ぐらいだろうか。

シルク生地の白いワンピースが清楚な印象を与える。帽子を被っており、目元までは見えなかった。

ただ、その長く紅い髪が幻想的なまでに美しかった。

ふわり、と風が少女の紅い髪と俺の茶色の髪を撫でていく。胸の外に露出したペンダントが風に乗って揺れていた。


「あ………………」

「……?」


少女は俺の胸元を凝視する。

気づいて、自分の胸元に視線を戻すとペンダントに行き着いた。サファイアが珍しいとでも思ったんだろう。

確かに男の俺が青い宝石のペンダント、というのは違和感があったかも知れない。

慌ててペンダントを胸の中へと仕舞い、未だ怪訝そうな顔をする少女に苦笑いを向けた。


「とにかく、ぶつかってすまなかったな」

「……いえ。こちらも不注意でした。申し訳ありません」


互いに一礼して、そしてお別れだ。

肩がぶつかった相手の名前など聞かないし、記憶することもない。それが普通ということだ。

まあ、赤髪が美しい少女だっただけに名前を聞いてみたい、とは思ったが……さすがにそれは失礼というものだろう。


俺はそのまま登校への道を進む。

最後に一度だけ、だいぶ離れたところからもう一度後ろを向く。

少女はもう、そこにはいなかった。



     ◇     ◇     ◇     ◇



新東雲学園は共学制だ。

男女区別なく、幼稚園から大学生までがここに通うという、狭い世の中特有のそれを取っている。

敷地は考えるのも面倒なほどに広大。呆れるほどだ。

東雲の町や別の町からの生徒数千人を収容できて当たり前のスペースを保持している。


実のところこの学園、埋立地全体の三分の一を占めている。

故にこの東雲の町は学園都市とも呼ばれ、ある意味孤立化した独自の町並みとして展開しているのだ。

それほど偏差値は高くない。一般の大学よりは上だが、高学歴を目指すならば東大に通え、という話なのだろう。


「さて……最初の講義は英語かぁ……」


校舎の最奥、さらに向こう側に東雲大学は存在する。

ここでは年を取って進級するごとに、校門からどんどん奥に行くという仕組みになっている。

つまり、校門の近くには幼稚園がある。

俺のような大学生は迷う心配はないだろうから、一番奥の校舎を使いなさい、という話。


ここでは刺激だけなら求めればたくさん逢える。

これだけの人がいれば派閥もできるし、不良も生まれるし、奇人変人の類だって集まってくるということだ。

まあもっとも、この学園の教師の一部は有り得ない怪物クラスの存在だ。

そういう奴らもいるので、不良は少なくとも学園内で事を起こすことはない。

そんな奴らは身の程知らずの莫迦か、そうでなければ自殺志願者とか精神異常者の類に違いない。



「ぎゃあぁああああああああっ、目ぇぇええええええっ!!!」



例えば、あそこで目を押さえつつ転がりまわる男は奇人変人の類だ。

俺は別に刺激を求めているわけでもないので、何も見なかったことにしてその場を立ち去ろうとする。

がしり、と擬音でもつきそうな感じで肩を掴まれてしまった。


「おい、こらレイヤ。ちょっとは心配してくれてもいいんじゃねえの?」

「ごめん、僕には変人の友達なんていないんだ。触らないでくれるかな」

「……キャラが違いますねえ、唐突に」


冗談半分はさておいて。


「半分だけかよ、冗談は」

「俺の聖域(心情)に勝手に入らないでくれるか、流牙」


網川流牙(あみかわりゅうが)……俺のクラスメートの一人だ。

不本意ながらこの奇人も俺の友達の一人で、そして友人の中で唯一部活やサークルに勤しんでいる男だ。

大柄で体格が良く、そして黒髪を短く纏めている。

人の名前を微妙な発音で呼ぶのが特徴。所属している部は――――さて。


「おい、レイヤ。そんなことは良いんだ。つーか、どうにかしろよ、お前の妹」

「akiramero」

「ローマ字で言えば何でも通ると思うなよ!?」


そう、我が妹の沙耶が所属する拳法部だ。

一応、この男はそこで部長を張っている。先代の大学四年生の部長は就職活動を理由に、早々に世代交代した模様。

実力は部長を張るほどだから、ずっと強いんだろう。俺の友人はどいつもこいつも、ある意味で化け物に近いのだ。


そんな男がこうして涙目で俺に迫る理由。

それは流牙の後ろから走って追いかけてくる小柄の影が原因だろう。聴くまでもなく分かる。


「ぶ、部長! す、すいませんでした!」

「やっぱりお前か、沙耶……何があったか、当ててやろうか?」

「うえ、お兄ちゃん……」


推理する。拳法部の道場で何があったのかを。

まず、沙耶が謝るということは沙耶に全面的に非があるんだろう。加えて、部長が涙を流して奇声をあげて転がってきた。

ここから推察されることは、おそらく。


「流牙に模擬組み手か何かを挑んだ挙句、奴の想像以上の実力に反射的に目つきを使ったな?」


こう、『チョキの正しい使い方を教えてやる、グサリ♪』みたいな感じで。

だからこそ流牙も『目ぇええええええっ!!!』とか何とかで、転がりまわったんだろうから。

見ると沙耶は罰の悪そうな顔をする。どうやら、図星らしいと頷きをひとつしたところで、沙耶から懺悔の告白。


「正確には目つきで怯ませた後……その、飛び膝蹴りで部長の顔面を強打……」

「トドメまで刺したんだ!?」


読み違えた、自分の妹の容赦のなさを。

きっと戦っているうちにスイッチが入ったんだろう。要するにキレたのだ。

そうなった時の沙耶は手がつけられない。急所攻撃もトドメも自由自在だ。なんて恐ろしいんだろう。


「レイヤ……いつかこの子、人を殺すぞ」

「奇遇だな。俺も常々、そう思っている。いつか取材陣が来たとき、こう言うんだ。『いつかやると思ってました』とな」

「……弁護してくれる気、ないんだ、お兄ちゃん」


というか、トドメまで食らってピンピンしている流牙も十分に異常なのだ。

普通ならキレた沙耶の一撃をもろに受けたら、病院送りは間違いない。まだ警察沙汰にはなっていないのは奇跡だろう。

これもじっちゃんの教えの賜物だ。

一応、年を重ねた熟練度という観点から、まだ俺のほうが強い……はず、なんだけど。


「まあ、今日も拳法部は平和ってことだよな」

「流血沙汰になってんだけど、オレは無視か?」


この会話そのものが平和な証拠なんだ、と思う。

流牙が頭から血を流しても、それが何度も続けば日常化するという話だ。だからこれでいいと思う。

こうして、くだらない会話を続けよう。


「沙耶、流牙なら遠慮なく殺してくれて構わんからな。死体遺棄なら手伝ってやる」

「お前との友情の絆の行方が気になるよ」

「うん、ありがと、お兄ちゃん!」

「其処は礼を言うところじゃなくて窘めるところじゃねえの、妹さん!?」


こうして授業が始まるまでの時間を潰していくのだった。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「信じられねえ……ここまで軽々と犯罪を肯定する兄妹とは思わなかった」

「だはは、悪かったな、丁度いい時間つぶしが出来たよ」


英語の講義を受けるためにメンバーが集まる。

基本的に東雲大学は単位制だが、実はクラスとして分けられていたりする。

何でもそのほうが管理がしやすいんだとか。

さすがに何千人もの生徒がいれば、ある程度は簡略化されても仕方ないかも知れない。


俺たちはAクラス。別にAもBも特に意味はないのだが、まあそれは置いといて。

まずは英語の授業を受けようと、俺の友人が勢ぞろいし始める。

見渡す限り、制服姿の人間ばかりだ。大学だというのに私服は認められていない、というのもこの学園の特徴と言える。

制服の形とネクタイの色で学年を見分けられるようになっている。大学三年生のネクタイは水色となっている。


「おーす、おはよう。……流牙、その頭の包帯はどうしたの?」

「よう、ケースケ。高校生になったばかりの女の子に強襲された」

「……マジで?」


既に教室に来ていたのは安藤啓介(あんどうけいすけ)だ。

黒髪に眼鏡が特徴で、真面目な優等生。身長は決して低くないのだが、俺たち友人の中では一番小さい。

かなり気のいい奴で、頼みごとも気軽に引き受けてくれることが多い。常識人である、というところも大きなステータスだ。


どうやら席を取っておいてくれていたらしく、場所を明け渡してくれる。

俺と流牙は譲ってもらった席に座りながら、残り二名の友人の到着を待つ。


「……啓介、あいつら遅いな」

「来ないんじゃないのかな? ……少しメールしてみるよ」


残りの二人は優等生、と言えるほど出席状況は良くない。

要するにサボリがちだったり、調子が悪くて休んだりすることが多いのだ。なかなか、五人揃うことがない。


「おっ、一人来た」

「ユーキだな、あれは。おーい、ユーキ、こっちだ」

「おーーう……」


相変わらずのテンションでゆったりと近づいてくるのは相沢祐樹(あいざわゆうき)

黒髪に無精ひげ、どちらかと言うと大柄な体格。

性格は友人の俺から見ても一目瞭然なほどの怠け者、というか面倒くさがり屋で、少し単純なところがある。


この授業も面倒くさいなぁ、と言わんばかりの動作で席に座る。

これでも得意科目である教科には抜群の成績を誇るのだから、侮れない。世の中はなかなか面白く出来ている。


「今日もダルそうだなぁ」

「んー、昨日また先輩が押しかけてきてさ……暴れまわられた」

「断れば良いのに」

「先輩曰く、俺にそんな人権はないらしい」


まあ、ともあれこれで四人。

後は一人なのだが、待てども姿を現さない。時刻は九時を回り、とうとう講師が現れてしまった。

全員の中で諦観に近い何かが漂い始めたのと同時に、啓介が送ったメールから返信が来た。


『悪い、寝坊した。代返よろしく』


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


全員がまたか、とため息をつく。

そろそろこの英語の出席日数も王手が掛かっているような気がしてならないが、まあ奴の人生だ。好きに生きるが良いさ。

もちろん、代返などするつもりはない。メールを送った本人も承知済みなんだろう。

以前、出席が少ない上にテストで失敗して単位を落としたことを、まったく反省していないらしい。あの男は何を考えているのだろう。


まあ、歴史の授業あたりには出てくれるのだと信じておく。

流牙、啓介、祐樹のAAAトリプル・エーは三者三様の反応で、この場にいないもう一人の友人に愚痴をこぼす。

ちなみにAAAとは三人の友人の苗字の頭文字、アルファベットを重ねてそう呼ばれていたりする。


「そういえば流牙、課題やってきた?」

「課題? なんだっけ、ケースケ。日本国憲法の前文暗記、だったか?」

「これ、英語の授業なんだけどなぁ……」


啓介はバッチリ終わらせてきたらしい。もちろん、俺もさっさとやってしまった。

祐樹は少しだけ課題の話に耳を傾け、そして今頃思い出したかのように手を打った。


「あ〜、そんなんあったな。面倒くさくて忘れてた」

「安心しろ、ユーキ。オレに至っては何一つ覚えちゃいねえ。だから全然大丈夫だ」


いや、ダメダメだろう。二人とも。

啓介と目を合わせて、同時にため息をつく。真面目に授業を受ける気があるのは、どうやら俺たち二人だけらしい。

テキストを机の上に用意する。それに群がるハイエナが一匹。


「レイヤ、ノート写させろ」

「ほらよ」


どうせここで抵抗したら啓介のほうに群がっていくだけだ。

祐樹は、ノートを写すことすら面倒らしく机に突っ伏してしまっている。さすが祐樹、どこまでその道を貫けるか。

啓介が苦笑混じりにやったほうがいいよ、というが馬耳東風。流牙は既にノート写しの内職を始めてしまっていた。


三者三様の友人たちの様子に、俺は窓の外を見上げながらため息をつく。

今日はどうやら、晴れそうだ。

そんな何でもない、つまらないことを考えながら、講師が授業を始めるという宣言をしているのを耳に入れていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「おはよう。教室は何処だったっけ?」

「……おーす、誠一。今日もまた重役出勤だな……出席日数、ヤバいんだけど?」

「あー、そうだな。まあ、どうにかなるんじゃないか、と」


二コマ目、歴史の授業に奴は現れた。

百八十cmを超える長身、鞄を引っさげた眼鏡の男。俺たち友人チームの最後の一ピースだ。

名を野牧誠一(のまきせいいち)と言って、これまた一筋縄ではいかない人物となっている。


例一、悪いことがあったときの対応は『まあ、そんなことも在ろうよなぁ』だけに留めたり。

例二、突発的に肉体的ツッコミが飛んでくる。脈絡のない攻撃を加えた後、『悪い、つい』の一言で済ませようとしたり。

例三、啓介曰く『隙がない』男……というか、欠点も堂々と開き直るため、欠点として追求してやれない。


「要するに、変人の類でも極められた変人。それが野牧誠一、というわけだ」

「はい、そこ。誰に向かって解説しているのか説明せよ、二文字以内で」

「カミ」

「……神? 髪? 紙? そうか、カミの後にも何か続くのか、そういうことか」


こんな掴み所のない男が特徴となっている。

何しろキャラクターがたまに違ったりするし、過去に色々なことをやっているようなことを仄めかしたり。

決して本音は口にしない、とまでは言わない。俺たちから見れば本当にただの変人。それ以上でもそれ以下でもないのだった。


「…………ぶつぶつ、ぶつぶつ」

「おいおい、流牙の少年はどうしたんだ? なんか、少し壊れてるんだけど」

「英語の講師に当てられてね……南無南無〜」


啓介が手と手を合わせて拝み倒す。

流牙は結局、課題には間に合ったものの講義中に当てられ、答えられなかったことから課題をさらに追加されてしまった。

ちなみに課題すらやってこなかった祐樹は結局当てられず、お咎めなし。世の中って不公平に出来ている。


そういうわけで、きっと流牙は解けなかった英語の一文を呟いているのだろう。

もしくは出された課題の問題を頑張って解いているのかも知れない。

さてさて、俺たちとしては災難だったな、と声をかけるしかない。


「ぶつぶつ、ぶつぶつ……I am bone of my sword(体は剣で出来ている)」

「待て、流牙。それは自分が貸したゲームの詠唱な。万が一にでも発動したら面倒だから、やめておけ」


しかも珍しく発音完璧だったりする。

ちなみに俺は意味が良く分からない。確か恋愛シミュレーションゲームの話だったとは思うが。

誠一に『面白いからやってみろ』とは言われたものの、妹の手前で二次元の気になるあの子とのラブロマンスは不可能だと思う。

なんというか、確実に妹から軽蔑の目を向けられるような気がするのは気のせいじゃない。


「そういや、この問題集やった? 小桃先生の授業、これからだっただろ?」

「ふふふふ、オレを甘く見るなよ、セーイチ。このリューガさまに不可能はない」

「問一、豆腐の原料は?」

「小豆」


早速、流牙の不可能が露見した。

正しくは大豆……というか、わざわざ間違えたとした言いようがない流牙の回答だった。


「まあ、流牙の相変わらずのアレっぷりは置いといて……祐樹、学校終わったらお前の家行っていい?」

「ん〜、別に構わんが」

「啓介はどうする? 今日バイト?」

「いや、今日は休み。僕も行くよ、せっかくだし」


ある程度の人員が確保できたのか、誠一が満足そうに口元を上げる。

恐らく新しいゲームでも始めるんだろう。誠一の勧めるゲームは特殊で、啓介曰く『子供に優しくないゲーム』らしい。

内容は押して図るべし。もちろん、一人暮らしの祐樹の家でしか出来ない代物だ。


「黎夜はどうする?」

「夕方には帰るってじっちゃんに言ってるからパス。買い物もあるからな」

「そりゃあ、残念」


ちなみに流牙は拳法部に出なければならないため、遊ぶ時間はない。

二週間に一回ぐらい、全員でカラオケやボーリングに洒落込むぐらいで、計画性のない遊びの場合は中々人が集まらない。

余談だが全員、腕に覚えがあったりする。何らかの兵法者という意味では戦闘力の高いメンバーだ。


「皆さーん、授業を始めますよー」


ようやく歴史の講師が現れた。

ピンク色の髪をショートカットに切り揃えた少女……いや、幼女が現れる。

とてとて、と擬音でも付きそうな軽快な足音で、我らが歴史学の先生が教壇に立った。

もちろん、あの教壇の後ろには足場が置いてある。


「宿題は終わりましたかー? やってこない子は楽しい楽しい補習ですよー」


葵小桃(あおい、こもも)先生。

俺たちのクラスの担任でもあり、マスコット的な存在でもある。というか、学園七不思議の一人だったりする。

見た目はどう贔屓目に見ても十二歳ぐらいなのだが、博識で教員免許まで持っている。

というか、あれでも二十歳過ぎている。


どう考えても在り得ない、と何年もお世話になっている俺たちでさえ思う。

身長は百三十cmほど。安全面の問題上、二十歳でジェットコースターに乗ることをお断りされた武勇伝を誇っている。

ちなみに容赦なしのスパルタ先生でもある、ということがギャップに拍車をかけていた。


(この授業だけは出席も課題も完璧にしねえとな……)

(ふっ……目から汗が流れるぜ)

(流牙、課題忘れたペナルティとして、朝まで居残りさせられたんだっけ……もちろん、保護者には連絡済で)

(さすがの俺も、この授業では手を抜いちゃいけねえと思う)


上から誠一、流牙、啓介、祐樹の台詞だ。

啓介はともかく、残りの三人ですらこれなのだから、どれほど小桃先生が厳しいかというのが窺えるだろう。

まあ、そんなわけだから、俺たちも気合が入るというものだ。


「はーい、お喋りしちゃダメですよー。先生の話はちゃんと聞いてくださーい」


それでシーンとなる教室。

にっこりと微笑む無邪気な笑顔の裏側には、生徒を補習に追い込むための黒い何かを感じるとか何とか。

まさかな、とか笑いたくなる。なるのだが、小桃先生は生徒に補習させるのが趣味とか、そんな噂が流れているだけに笑えない。


「ではではー、相沢くんに問一の問題です。1894年に起きた代表的な戦争は何ですかー?」

「……あー、日清戦争」

「はいー、よく出来ました。皆さんも、語呂合わせで覚えると楽ですよー。一発急所(1894)に日清戦争ですー」


凄まじくバイオレンスな語呂合わせだった。


「では、そうですねー……網川くん、問二の問題ですー。三国干渉の後、勃発した戦争の名前は何ですかー?」


流牙に当たってしまった。

完全にサービス問題。だからこそ間違えれば、補習確定も間違いないだろう。

しかも最悪なことに、流牙には分からないらしい。俺たちのほうに視線で答えを教えてくれ、と訴えている。


(莫迦、そんなことも分からんのか……)


誠一が仕方ない、と言わんばかりに後ろからボソボソ、と。

聴いた瞬間に流牙の表情に自信が付いてくる。答えが分かれば、後は元気良く大きな声で答えるだけだ。

首しか見えない小桃先生の教卓に向かって、流牙は胸を張って元気良く言い切った。



神々の黄昏ラグナロクっ!!!」



どうやら、流牙の補習は決定したらしい。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「…………カイムだ」


学園から西に離れた寂れた住宅街。

元々は人がたくさん住んでいたのだが、時代の流れと共に人はもっと都会へと移っていく。

その煽りを受けた住宅街の安アパート、その一室で青年は携帯電話を取っていた。


「そうか、調べが付いたのか……それで、標的の霊核は何処にあるんだって?」


尋ねる男は外国人特有の長身に痩躯、タバコを口に咥えている。

金色の長い髪は黒いフードに隠されてしまっているが、鋭く紅い色をした瞳は青年の雰囲気を険しいものにしている。

彼を一般人、として見る者は百人中一人か二人程度だろう。


「新東雲学園の生徒が所持? ペンダントにして持ち歩いている? 確かな情報筋なんだろうな、それは」


身にまとっているのは黒いコート。そして、その奥にはサーベルを隠し持っている。

明らかな異常、日常に溶け込めない不純物。

それが青年、カイム・セレェスが醸し出す圧倒的な雰囲気だった。電話の相手の言葉に、軽く肩を竦めてみせる。


「まあ、いいさ。じゃあ、私は霊核の回収に向かう……いや、天凪まで出るまでもない。何しろ相手は一般人だろう?」


腹ごしらえのつもりか、テーブルの上に鎮座している蜜柑を口に入れる。

そうしてひとつ、息を置き、カイムはこれより仕事に出かける。

黒尽くめの服、金色の髪、ギラギラした紅の瞳は炎のように。

そして右手に隠し持つサーベルは断罪のための大鎌のように。


「出陣――――」


携帯電話を切り、ニヤリと口元を歪めてみせた。

それだけで周囲の空気が死ぬ。それだけで常人に恐怖を刻む。たった、それだけの動作にまで死が溢れている。

それが、カイム・セレェスの在り方だと言わんばかりに。



「標的、無涯黎夜」



黒いカラスは、獲物を喰らい尽くさんと飛翔した。







イリシュ様からご指摘をいただきました。

『東雲の学園都市は幼稚園から大学まで一貫なのに、数千人というのはあまりにも少なすぎませんか?』


本来でしたらメールでお返事をさせていただくのですが、メールのホストが見つからないなどということでイリシュ様のところに送れませんでしたので、皆様へのご説明をかねてこの場をお借りします。



イリシュ様。ご指摘ありがとうございます。それではお答えさせていただきますね。

東雲の学園都市は幼稚園から大学まであるにも関わらず、数千人しか生徒がいないその理由は、その学校に進んでも旨みがないからなのです。

普通なら学校に行かせるなら資格や就職に有利であったほうがいいですよね?

ですが、東雲の学園はエスカレーター制で幼稚園から大学まで進めるという利点しかなく、そのために親から敬遠されがちなのです。

例えば幼稚園や小学校、中学校までは学園都市でいいかも知れませんが、高校や大学になると学園都市の外へと進学させたい、と思うのが親心なんです。

わざわざ学園都市に入学させる理由がないため、東雲の学園に通う生徒たちの大半は『一人暮らしをせざるを得ない環境』であったり、『何らかの理由で学園都市に入学せざるを得なかった』生徒たちが大半であり、結果的に生徒数の低下に繋がっているわけです。

じゃあ東雲の町なんて作るなよ、という感じですが作られた理由はいずれ作中で登場させる予定ではあります。

以上が生徒数が少ない理由ということになります。


ちなみに時間軸は2022年。

子供たちが大半の学園都市では少子高齢化の影響は色濃いのかもしれませんねw


重ねてご指摘をありがとうございました。

今後とも気になる点がございましたらいくらでもご質問ください。出来る限り対応させていただきます。

今後とも叱咤激励を宜しくお願い致します!

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