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第2章、第2話【歯車】





 新東雲学園都市。

 生徒数三千名を超える、日本で唯一にして最大の学園都市だ。

 この都市の人口は五千名弱……要するに、半分以上が学園の生徒である、という子供たちの楽園ネバーランドといえる。


 この学校が作られた背景には、様々な憶測が囁かれている。

 曰く、この閉鎖された空間は非人道的な実験の隠れ蓑だとか。

 曰く、裏世界を暗躍する組織が牛耳っているとか。

 曰く、この学園には秘密裏に学園にとって都合の悪い人物を消していく、特殊部隊の存在があったとか。


 「………………」


 さて、その学園都市の学生の一人、俺こと無涯黎夜の周りは凄まじく模様替えをしている。

 どれぐらいの模様替えかというと、朝起きたら自分の部屋がファンシー路線一色の可愛らしい世界に変貌してしまった、とか。

 もしくは地球誕生、四十六億年前にこんにちは。

 ああ、朝起きたら俺も含めた地球人類全員が性別反転してたり、動物になっていたりするぐらい個人的にはびっくりだ。


 「月ヶ瀬さーん、前の学校はどんなとこだった?」

 「何で学園都市に? そりゃあ、ここは日本でたったひとつの学園都市だけどさ」

 「友達とかいた? 彼氏とかは?」

 「こらこら、あまり無粋な質問までしないの」


 俺は彼女の転校から一週間経った今も、まだ質問責めにされている月ヶ瀬舞夏を横目で見続けている。

 質問は被ったりすることも多く、彼氏云々の類は五回目くらいだろうか。

 それでも舞夏は笑顔を崩さずにひとつひとつ丁寧に対応だ。

 まあ、質問の回数をカウントするぐらいだから、俺も彼女のことが気にかかっている一人ではある。

 だが、それは決して浮ついた気持ちではないと断言しておく。

 彼女の正体を知り、そして尚且つ動向を一番知りたいと思っているだけのことだ。以前、今から十日ぐらい前の事件について。


 「…………何考えてんだか」


 月ヶ瀬舞夏はとある組織の一員エージェントだ。

 この組織っていうのは魔術とか霊核とかいう非常識を駆使して、他の組織と殺し合うベラボーに危険な就職先だ。

 彼女はそこで一部隊の隊長をやっているらしい。ちなみに、まだ大学生という歳でもないはず。高校生ぐらいだろう。

 なのに受け入れられている、というのは……舞夏が麗わしき美人だからだろうか。

 とにかく、深窓の令嬢のような立ち振る舞いには人気も高い。


 「どうしたのさ、黎夜。月ヶ瀬さんのこと、ずっと眺めて」

 「んー? 啓介か。いやぁ、すっかりクラスのアイドルになっちまったなぁ、とか思って。大変だ」

 「気になったりする?」

 「甘酸っぱい興味じゃなくて、純然たる興味だぞ。まったく何をしに来たのやら、ってな」


 新東雲学園、大学部二年Aクラス、月ヶ瀬舞夏。

 東京の女子校に通っていたが、学校の薦めで学園都市に転入。その背景には両親の仕事の都合もあるらしい。

 愛する娘を突然共学の学園に送り込むことに抵抗もあったらしいが、舞夏の強い気持ちで転入が決定。

 ちなみに俺こと無涯黎夜とは前々から友人の関係にある。

 知り合ったキッカケは彼女のペンダントが強盗に奪われたとき、俺が取り返してあげてから。


 ―――――以上が、月ヶ瀬舞夏の設定である。


 いやいや、確かに色々と間違ってはいないのだが。

 嘘を吐き通すには真実のブレンドが一番だと言うし。だけどおかげで俺の立場が微妙に危うい。何故かは問うな、頭が痛くなる。

 ていうか、舞夏。そのペンダントは元々俺のですから。

 立場は逆、俺のペンダントを舞夏が取り返し……ダメだ、情けなさ過ぎる。


 「まあ、月ヶ瀬さんにとって唯一の男友達なんだから。仲良くしてて損はないよ?」

 「フラグがたった〜ってやつだな。おめでとう、黎夜」

 「てめえ、誠一。何を勝手なことを言ってやがる。つーかお前か、お前なのか、面白い流言を流した奴は!」

 「………………き、気のせいだ」

 「離せ、HA☆NA☆SE、啓介ぇぇええっ!! 誠一ぃ! 一度その根性を修正してやらぁ!」

 「お、落ち着いて黎夜! 色々な意味で不思議な文体になってますから!?」


 閑話休題。

 とにかく、舞夏が俺たちの教室に転入してきてから一週間が経過した。

 今のところ、舞夏からのリアクションはない。それなりに友人としての会話はあるのだが、二人きりで話す機会は設けられてない。

 これは俺のほうから接近したほうがいいのかも知れないが、どうにも迷ってしまうのはどういうわけか。


 ―――――――ああ、話を進めたら厄介ごとに巻き込まれるって本能がわかってるからだ、きっと。


 「……黎夜? 何でそんな微妙な顔をしてるのさ」

 「啓介、俺にもう平穏は訪れないのかな……?」

 「はい?」

 「いや、何でもない……」


 どうせ自分で巻いた種だしな。平穏に終わるとは思っちゃいないよ。

 しょうがない、今日の放課後にでもチャレンジしてみよう。

 一週間も様子見してきたけど、さすがにそろそろはっきりさせたい。

 舞夏の狙い、どうして学園の……わざわざ、俺のクラスに転入してきたのか。

 ところで、ひとつだけ。俺の仲間に対してツッコミを入れたい。


 「しかしまぁ、啓介少年よ。自分は悲しい、君がついに高校生デビューしてしまうなんて……」

 「そう、それは俺も思ったぞ、誠一。啓介、その髪はどうした。お前は俺たちの中で一番の真面目くんだったはずだ!」

 「え、えーと……」


 一週間前の啓介の髪は黒だった。

 だが、突然彼は変貌を始めたのだ。まるで私はまだ変身を二回残していますよ、と言いたげに。

 黒色はなりを潜め、一瞬で白髪になってしまった。なんだ啓介、そんなストレスが掛かるようなことをしたのか?

 かのお菓子の女王マリー・アントワネットは処刑の前に美しい髪が白くなってしまった、という話もあるが……恐ろしい、話だ。


 「いえね、何度も言ってるけど白髪じゃなくて、銀髪。銀色だからね?」

 「「嘘だっ!!」」

 「なんでそんなホラー漫画も絶賛! みたいな顔で否定するのさ! さすがに失礼だと思うんだけど!」


 良かった、この反応は安藤啓介だ。

 実はカツラを被っていたり、別人が変装している可能性も真面目に議論してみたが、ちゃんと啓介だった。

 中身は変わっていない。外面だけを変えたということは、ちょっとしたイメチェンか何かだろう。

 まあ、銀色に髪を染めるっていうのはちょっとアレかも知れないが。似合っているから良しとしよう、うん。


 ちなみに残る我が友人、相沢祐樹と網川流牙は次の講義のため席を外している。

 まあ、そろそろ帰ってくる頃だとは思うのだが……俺はもう一度舞夏のほうに視線を向ける。


 「………………」


 相変わらずの綺麗な紅いロングストレートの髪を惜しげなく晒している。

 聖歌隊のような帽子は室内では被らないらしい。

 さてさて、彼女にどんな感じで接するべきか。

 話があるんだけど、の一言でいらない噂を立ててくれるのがAクラスクオリティだしなぁ。

 まあ、どうにかするしかないんだけど。


 「はいはーい、皆さん、おしゃべりはそこまでですよー。楽しい楽しい史学の時間ですー」


 と、ここで学園七不思議のひとつ、葵小桃先生の登場だ。

 うっかり補習でも食らって舞夏に放課後に仕掛ける時間すら使えない、なんてなったら大爆笑ものなので思考凍結。

 君子は危うきに近寄らず、なのだ。


 本当の君子だったら、そもそも面倒ごとに首は突っ込まないよなぁ。……はあ。



     ◇     ◇     ◇     ◇



 「舞夏、ちょっといいか?」

 「えっ?」


 放課後、俺が考えた作戦はこうだ。

 下手な考え、休むに似たり。とりあえず突っ込んでいって後は野となれ山となれ作戦。

 いや、悪かった。正直何も思い浮かびませんでした。

 だからせめて舞夏には伝わるように、瞳に力を込めて真面目な話だぞ、と告げてみる。勘の良い舞夏なら気づくはず。


 「黎夜さん……? ああ、そうでしたね」


 ぽん、と手を叩く仕草をする舞夏。

 その周りでは興味深げに耳をそばだてるクラスメート+別のクラスの舞夏目当てな好青年たち。

 ははは、嫌だなぁ、皆。妙に笑顔が輝いて見えるぜ……?

 頼むぞ、舞夏。お前の政治的手腕に期待する。何とかして彼らの誤解を真実も混ぜて答えてやってくれ。


 「今日はご一緒に帰る予定でしたか」


 殺意ゲージ、30%アップ!

 さすがだ、舞夏。一筋縄じゃいかないな。

 というか、気にする俺が悪いのか? この殺意を受け流せというのか!


 「ああ。借りた本を返しとかないといけないからな」


 さすがだ、俺! よく無難な方向に話を持っていけた。

 いいか、冷静になれ。まだ殺意は途切れていない。とりあえず何事もありませんよー、と周りに伝えつつ誘わないと。

 舞夏の狙いを突き止めるために。そして何より俺の安全な学園生活のために!


 「ええ。ついでですから、家に寄っていってもらえますか? そのほうが、落ち着いて話せますでしょう?」

 「お、おう……」


 はい、殺意ゲージ60%オーバー急上昇! 何だこの怨念のこもった株は。とっとと大暴落してくれよ。

 舞夏、わざとか。わざとなのか?

 もしも内心慌てふためく俺を見て、クスクス笑っているとしたら相当の性悪だ。


 「お話したいこともありましたし……今まで時間をおいたのも、間違いでしたね。申し訳ありませんでした」

 「あー、そいつはいいんだが、舞夏……」

 「? 何でしょうか?」


 この、殺意のまなざしに気づいていないのですか?

 そう聞けたらどんなにいいことか。勘の鋭い舞夏なら絶対に気づいているはずなのだが。

 きっと、この殺意は俺限定なんだろうなぁ。帰る支度をする舞夏の微笑みを見ながら、俺は心中で溜息をついた。


 「……んじゃ、行くか」

 「はい。黎夜さん」


 ちなみに彼女が名前で呼ぶ男も俺一人です。

 もちろん、優越感になど浸れない。いや、そんな気持ちもないこともないのだが、それ以前として胃が痛いのだった。



     ◇     ◇     ◇     ◇



 今日は週に二度の部の休みの日だった。

 新東雲学園は部活に力を入れてはいない。学園都市という性質上、大会というものを開けない。

 必然的に部といってもサークルなのだが、力を入れる必要がなくなるのだ。

 よって週に二回は休みが設けられている。それよりも勉学に励め、と言いたいのか。それとも生徒の自主性を求めているのか。


 「……自主性求めるなら、休みは強制でなくてもいい気がするけどなー」


 強さを追い求める武闘派少女、というわけではないが。

 それでも十年近く続けた武術はすっかり身体に馴染んでいる。身体を動かさなければ調子が悪いくらいだ。

 しゅしゅしゅ、っと左腕でシャドウボクシング。右腕はしっかりと教科書の詰まった青色のカバンを支えている。

 茶髪のセミロングとくりくりとした瞳。無涯沙耶は今日も絶好調だった。


 「でもどうするかな。今日はよっちもかおりんもバイトだし、セラーヌは……ダメだ、誘う方法が見つからない」


 よっちとかおりん―――岬上良美(さきがみ、よしみ)と大羽香織(おおば、かおり)は沙耶の親友である。

 ちなみにセラーヌ・ベルセリオスも友人だ。ついこの前入学してきた不思議な雰囲気の慎ましい女性である。

 とはいえ、自分から人と関わろうとしない性格なもので、女の子デートに誘っても成功率は低いのであった。

 仕方がないので大人しく家に帰って家事でもやるとしよう。


 「あー、なんだかなぁ……面白いことでもないかなぁ」


 とことこ、と商店街に向かって歩く。

 帰るまでに夕飯の食材を購入しておこう、と思ったからだ。

 さて、商店街へ続く一本道の隅っこに公園がある。それほど大きいものではない。

 子供が遊ぶスペースで商店街に行く親たちが、そこで子供を遊ばせている間に買い物に行くシステムだ。


 がらん、としている。この一週間は子供一人もいない。


 「…………ま、そうだよね」


 それも当然のことだ、と沙耶は思う。

 少なくとも二週間前なら、数人の子供たちのはしゃぎ声が聞こえていたのだ。

 だが、今はそれもない。子供は一人じゃ出歩かないし、女性は特に一人で行動しない。

 何故なら、今の学園都市は――――危険だからだ。


 『昨日の深夜、また女性が殺害されたらしい』


 昨日で何人目だったっけ、と沙耶は思い返していた。

 この学園都市に巣食う連続殺人鬼。

 監獄から抜け出した凶悪犯は今もこの街に潜伏中、ということだった。


 (まあ、私たちはお兄ちゃんたちからの情報リークで何ともなかったんだけどね)


 その反面として噂が急激に広がるのも早かった。

 国は意図的にこの情報を隠したがっていたらしいが、犠牲者が出ている以上、知らない振りなど出来ないのだろう。

 警察は日夜、百人以上の厳戒態勢でパトカーを見かけるのも珍しくない。

 一部では犯人が捕まるまで学園都市自体を閉鎖し、千人体勢でローラー作戦を実施するという案まで出ているぐらいだ。


 そんな状態であるものだから、こんな時間であろうとも子供が遊んでいるはずがない。

 腕に覚えのある自分だって、買い物が終われば即座に帰宅しろと言われているのだから。


 「…………あれ?」


 だからこそ、その光景は沙耶の目には異常としか映らなかった。

 おかしいなぁ、と一言だけ呟く。

 誰もいないはずの公園、誰もいてはならないはずの公園に一人の少女がぽつんと座っていた。

 さっきまでいなかったはずの赤い髪の女の子が、寂しそうに座り込んでいた。


 (保護者が近くにいる……ってわけでもないよね)


 見た限り、近くに保護者らしく大人の姿はない。

 改めて沙耶は少女へと目を移した。まず、印象深かったのは赤いショートヘア。

 つい最近、兄のところに現れた赤いロングストレートの少女と髪の質がよく似ていた。表情は俯いていて分からない。

 ふとした興味、このまま通り過ぎるには後味が悪かった。


 「……ねえ? こんなところで何してるの?」

 「……?」


 公園の中に入り、赤髪の少女へと声をかけた。

 彼女はきょとん、と。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、座り込んだまま沙耶の顔を見上げていた。

 まだ幼いなぁ、と沙耶は思う。見た目は大体、14歳くらいと予想。


 「……誰?」

 「私は沙耶だよ。貴女は誰?」

 「ん……孤冬はね、孤冬って言うんだよ」


 孤冬こふゆ……それが少女の名前だった。

 人のいない寂れた公園は、ひとつの終わってしまった世界を連想させる。

 そんな時間の止まった世界の中に孤冬は佇んでいた。



     ◇     ◇     ◇     ◇



 「……………………」

 「……………………」


 夕暮れの帰り道、舞夏と二人。無言で歩き慣れた道を歩く。

 本来なら女の子と一緒に帰る、というシチュエーションに喜ぶべきところなのだが、相手が舞夏と考えるとそうもいかない。

 何しろ彼女と経験したのは甘酸っぱい恋の物語ではなく、血と肉と臓物が織り成す殺し合いの舞台だったのだから。

 要するに話題がありません、助けてください。


 「……えっと、舞夏。学校は楽しいか?」


 そんなことしか言えなかった俺はヘタレでいい。

 壁に耳あり、障子に目あり。

 裏の世界の話をするには、それなりに秘匿ができる場所であるほうが好ましい、とは舞夏の弁だ。

 舞夏は俺の質問に対して、少し驚いた表情をする。


 「ええ、とても。学校自体は初めてでしたから……ね」

 「初めて? 小中学校は義務教育だろ? 普通なら通わせると思うんだけど」

 「はい……でも、あんなに大勢の人と一緒に物事を学ぶのは初めてです。私の教室には、私一人しかいませんでしたから」


 つまるところ、飛び級というところだろうか。

 先生と生徒のマンツーマン授業。生徒一人に対して先生が指導していく家庭教師みたいなものらしい。

 月ヶ瀬の家の英才教育、俺がやったら三日で倒れるにファイナルアンサーだ。


 「そっか……でも、楽しいんだろ?」

 「……はい、とても。私にはもったいないくらいに」


 何故だか、その横顔が寂しげに見えた。

 だけど憂いのある表情はすぐに消え去る。残ったのは凛々しい、いつもの舞夏だった。

 夕方、逢魔々時……魔の住まう時間帯と古来から恐れられた黄昏が、俺を幻惑したのだろうか。

 俺には分からなかった。その寂しげな表情の意味が分からなかった。


 「なら、楽しめよ。せっかくの初めての学校だ。友達と楽しんだり、部活に入ったり、色々選択肢あるぞ」

 「ふふっ……確かに選り取りみどりですね。選択肢が多すぎると、迷ってしまいます」


 舞夏は深窓のお嬢様のように、静かにくすくすと笑った。

 その話は愉快だと知りつつも、それを憧れるだけのように……自分には結局、手の届かないものだと言うかのように。



 「いっそのこと、ひとつしか選択肢がなければ良かったのですけどね……私は優柔不断ですから」



 ついつい迷ってしまいます――――乾いた笑みが妙に悲しかった。

 どうして悲しくなるのかは分からないけど、何となく俺自身も気付いてしまったからだろう。

 舞夏が劇的な転校をした、という事実に現実感が沸かなかった。

 だからこそ、いつか終わる夢のような危うさを持っていて……そして、舞夏の言葉の端々から、それが感じられていた。


 何かの理由で舞夏はここにいる。

 だけどきっとそれは、すぐに終わってしまうことなんだろう。


 「……なあ、舞夏」

 「何でしょうか?」

 「……あー、なんだ、えっと。……今を楽しむのが得、とか思わないか?」


 それが何だか悲しいことだと思ったから。

 終わってしまうことなら、あまり楽しまないでおこうなどと舞夏が思っているのなら、それは勿体無いことだと思うから。

 俺は本当に脈絡もなく、何の意味もなく……そんな言葉を告げていた。


 彼女は殺し、殺される組織の責任者の一人。

 非日常に足を踏み入れていた人だ。どうしてそんなことをしているのか、俺は知らない。そして詮索してはいけないと思っている。

 だからせめて、泡沫の日常を楽しんでほしかった。

 本当にただそれだけの理由で、そんな言葉を口にしてしまったのだ。


 「…………ええ、それは、本当に楽しいのでしょう」


 ひとつ、零れたのは肯定だった。

 だけど彼女の首はゆっくりと、今ですら楽しむ資格はないと告げるように……静かに横に振られていた。


 「ですが、こうしている間にも……そう考えてしまう私は、きっと損な性格なのでしょうね」

 「舞夏……」

 「黎夜さん、私は損得を選択させられるなら、損を選んでしまう人間なんですよ」


 それで会話は終了、とばかりに舞夏は早歩きで先に進む。

 その背中がこれ以上は言わないで欲しい、と告げていた。静かに、俺は目を伏せて……彼女に追従する。

 もう建物は見えていた。舞夏が住む高層マンション、そのロビーですら肉眼で確認できる。

 ああ、そういえばまた帰りは遅くなりそうだな……と。そんなことを考えて、携帯電話を取り出した。



 「……もしもし、沙耶か?」



     ◇     ◇     ◇     ◇



 「孤冬はね、孤冬はね、アイスがいいな」

 「……まあ、いいけど。じゃあどれがいい? 『海賊アイス、初回限定版』とか『ノストラダムスのお気に入り』は高いからダメだよ?」

 「んー、海賊アイス……この、イチゴとチョコとバニラと抹茶とメロンとオレンジとその他を全部混ぜ合わせた、っての、興味ある」

 「そんな貴女にこの言葉。自重しなさい、孤冬……奢ってあげるだけ感謝しなさい」


 とりあえず公園に置いていくのは危ない、ということで保護。

 アイス買ってあげるからおいでー、と言うとアヒルの子供みたいに付いてきた。

 まあ、何というか、知らない人に付いていっちゃダメなんだよ、というべきかどうか、すっごく迷うところではある。


 で、結局無難にソフトアイス(クッキーバニラ)を注文。

 こそこそ、と伝説の預言者の名を冠したアイスを持ってこようとした孤冬の頭にチョップ。

 涙目で睨み付ける少女を意図的に無視して、さっさと注文を済ました。

 ところでノストラダムスのお気に入り、とは……製造者以外、中に何が入っているのか分からない新商品アイスである。

 需要あるのか、などと言うなかれ。罰ゲームの定番アイテムなのだ。


 「あのね、あのね、沙耶。孤冬ね、アイスが大好きなの」

 「そうかそうか、そりゃ良かったわね。……で、孤冬、アンタの親は何処?」

 「親……? んー、高層マンションみたいなところにいると思うよ。こっそり抜け出してきた!」


 こつん。


 「ぶったね!? 親にもぶたれたことないのに!」

 「こらこら、アンタその歳じゃ、そのネタ知らないでしょ」

 「あうあうあうあう、孤冬、痛いのは嫌いなんだよ?」

 「誰だって好きじゃないと思うけど……まあ、いいや。一人で帰れる? 私、買い物があるけど」


 あまり長居をしてはいけない。怖い怖い鬼よりももっと怖い殺人犯がいる。

 本当なら送ってやりたいし、一人で帰れないなら送ってあげるべきだろうと沙耶は思う。

 その場合は兄に遅くなるね、という連絡を入れなければならないのだが……果たして、あの兄が承諾するだろうか。


 「孤冬、沙耶を手伝うよ。アイスのお礼」

 「いいの? 一人で帰れない、とかじゃない?」

 「うん、孤冬は一人で帰れるよ。なんたってもう16歳だもん!」

 「嘘だっ!!」


 こんな漫画でしか見ない子供体型な同い年がいてたまるかー、と叫ぶ。

 孤冬の体格はどう大人に見積もっても中学生くらいだ。身長もそれほど高くない自分よりも、さらに頭ひとつ下なのだ。

 明らかにさばを読みすぎだろう、大人ぶりたい年頃なのかも、などと現実逃避しておくことにする。


 「う、嘘じゃないよ! 孤冬は16歳だもん!」

 「うーん、じゃあ……とりあえず、16歳っぽいことを言ってみて」

 「初めて彼氏とキスしました!」

 「むしろ中学生っぽい回答でしょうが、それはぁあああっ!!!」


 そんなこんなで買い物だ。

 商店街を闊歩しながら、今日の晩御飯はシチューに決定。

 野菜はいくつかあったから、後はルーと鶏肉。それに切れた隠し味の原料を少々……などと主婦全開で買い物中。

 孤冬はせっせと健気に荷物もちをしてくれる。ああ、妹がいるってこんな感覚なんだろうなー、と少しだけ達観。


 と、そこで自分の携帯電話の着信音。

 孤冬から荷物を半分受け取って、片方の手で携帯を耳に当てる。


 『……もしもし、沙耶か?』

 「お兄ちゃん? どうしたの、晩御飯のリクエスト? もうシチューに決定しちゃったよ?」

 『いや、今日はちょっと遅くなるから、言っておこうと思って』


 電話の向こう側は騒がしくない、つまりは室内ということか。

 学校ではないだろう。この時間なら室内であろうと、普通に喧しい音が聞こえてくるはずだから。

 まあ、友達の家に遊びにでも行くんだろう。あんまり詮索するものではない。


 (もっとも、前みたいに数日間も連絡がつかない、とかになることもあるしね……)


 そこら辺は考えてもらいたいところだ、いつでも心配しているのだから。

 とりあえず了承と、ついでに二、三ほど言葉を交わして通話を終える。

 携帯電話を切り、ふうとひとつ溜息をついたところで孤冬の視線に気がついた。


 「……ん? どうしたの、孤冬?」

 「沙耶にもお兄ちゃんがいるの?」

 「うん、いるよ。……ってことは、孤冬もいるんだ、兄弟」


 うんっ、と元気よく孤冬は頷いた。

 まるで自分の家族が褒められることは、自分が褒められるよりも嬉しいことだと言わんばかりの笑顔で。

 孤冬はアイスを食べているときのような上機嫌のまま、語る。



 「孤冬にもね、お姉ちゃんがいるんだよ。舞夏って名前の!」



     ◇     ◇     ◇     ◇



 「紅茶でよろしかったですか?」

 「ああ、サンキュ。お構いなく……ってことで、そろそろ教えてもらっていいか?」


 以前、舞夏によって運び込まれたマンション。あのままの状態で舞夏は俺を迎えた。

 前の失態を侵すまいとベッドには近寄らない。

 椅子に腰掛け、丸テーブルの上にことりと置かれた紅茶を一口。

 そうして舞夏も向かい側の席に着き、一口飲んで満足げに頷いたところで、ようやく俺たちは本題に入った。


 「さて、教えてくれ、舞夏。どうしてお前がこの学園に来たのか」

 「分かりました。……まずは、端的に状況を説明することにしますね」


 舞夏はそう言って、ことりとティーカップを置く。

 黎夜も同じように紅茶を置いて、彼女の話に耳を傾ける。

 彼女はゆっくりと、黎夜の瞳を射抜いたままに告げる。己の任務を、己の責務を。


 「今、この街を騒がせている連続殺人鬼は知っていますね?」


 もちろん肯定する。この街でもはや知らない者はいない連続殺人鬼。

 一週間ほど前、誠一によってリークされた情報。

 脱獄した連続殺人鬼、霧咲孝之がこの学園都市に潜んでいて、次々と犠牲者を生み出しているのを黎夜もニュースで把握してる。


 舞夏はひとつだけ息を吐き、そして語る。

 今回の自分たちの任務。それは裏世界にいる者としての壮絶な決意と覚悟と共に。



 「その人物の殺害、それが私たちに課せられた役割です」



 何しろ、彼女は世界の裏側を機能させる歯車なのだから。






 

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