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第1章、第12話【回帰―――物語はまだ終わらない】



 「んー……?」


 気がついたら病院の一室だった。

 白い天井が最初に目に映る。ついで白い壁、起き上がって白い床。

 窓がない息苦しい病室で、まるで独房みたいな印象を受けたのは内緒だ。時間の感覚が狂ってしまうところとか。


 俺が気を失ってから何があったは分からない。

 目が覚めたとき、俺は学園都市唯一の大病院に再び入院して点滴を打っていた。

 左肩から指先までグルグルとギプスが巻かれ、完全に大怪我人扱いだった。


 「おっ、なんだ、生きてやがったか。とりあえず、俺様の声が聴こえるか?」

 「……ああ。喧しいくらいだ……誰だ、アンタ?」

 「俺様か? テメェの担当を任されたお医者様だよ。……ふむ、意識ははっきりしてやがるな。すぐに退院できそうだ」


 俺の担当医、と名乗る医者は……何というか、異様な男だった。

 緑色の髪に狐目、白衣を着た医者だが……見た目の異常さに加え、患者である俺にかけた一言が。


 「坊主、運がいいな。あの特効薬、まだネズミにしか試してなかったんだぜ」

 「………………あれ、おかしいな。耳が今、聞いてはいけないことを聴いてしまったぞ?」

 「いやいや、人への投薬は初めてだったんだが……まあ、感度良好。この俺様に感謝しやがれクソ坊主」


 まず、こいつが医者であることを何度も再確認したのは言うまでもない。

 この異常に口の悪いファンキーなヤブ医者は、くつくつと笑いながら俺に手紙を差し出した。

 ……というか、投げてよこした。


 「昨日、黒髪の女が無涯黎夜に届けてくれ、ってよ。やるなぁ、坊主。ありゃあ、さる組織の重鎮さんだぜ。恋文か?」

 「……いまどき、恋文なんて言わねえよ。あと、ラブレターでもないと思うが」


 さる組織の重鎮……まあ、こんな発言が出来るってことは裏世界に片足は突っ込んでるような奴に違いない。

 黒髪の女にして組織の重鎮となれば、心当たりは一人だけだ。


 「つまんねえ奴だなぁ。その調子じゃ、女からの手紙なんて貰ったこともねえんだろ、この童貞野郎」

 「…………………………」

 「おお? 待て待て待て、俺はテメェの主治医様だぞっ! まずは落ち着いて土産の果物を投げるのはやめ、ぐぼは!」


 おお、リンゴが当たったか。

 あれって凄く痛いんだよなぁ。うんうん、天罰って奴だな。

 ついでに帰ったら呪いの藁人形を用意しないとな。


 「お前が天罰を下すのかよ……」

 「勝手に心の中にツッコミ入れるな」

 「はっ、図星かよ。これだからチェリーボーイ様って奴は……」

 「もう一丁、行っとこうか」

 「ちょ、おま、やめ……アッー! 憶えてろよ、このクソ坊主っ!」


 ちっ、逃がしたか。何なんだ、あの医者は。

 医師免許持ってるのか、と言いたくなるような態度に左腕のギプスを触り……その拍子でギプスが取れた。


 「うおいっ!? 本当にヤブじゃねえのか、あの野郎!? ギプス簡単に取れちまったぞっ!?」


 確か、もうほとんど動かなくなった左腕を無理やりに動かしたから……もう動かないんじゃないか、という不安があった。

 出血多量による細胞の壊死。そんな危険性があったことを後から指摘された。

 だが、ギプスが取れても問題なく……とまではいかないが、左肩はちゃんと上がる。

 感覚もある、ほとんど完治に近い状態だ。


 「ありゃ……なんでだ?」


 まさか、あのヤブ医者の特効薬とやらが聞いたって言うのか?

 そんなはずはないと思う。薬って言うのはあくまで薬で、風邪とかの症状を抑えるためのものだ。

 そうして押さえ込んでいる間に自己治癒で直すものであって、怪我を治すようなものではない、と思う。

 ……とは言った物の、俺の常識ってやつは数日前からぶち壊されまくってて、自信がないのだが。


 「手紙、ねえ……」


 何が書いてあるんだろうか。

 そういえば俺はあの校庭で倒れてしまって、その後に何があったかも理解できていない。

 周りには誰もいないわけで、しかもあの夜のことを説明できる奴らなんて少数なもんで。

 俺は少し迷った後、天凪葉月の手紙に手を伸ばした。便箋は可愛らしいシールで止められた、簡易的なものが三枚。


 少し胡散臭いと思ったのは内緒だ。

 確かに『Dear(親愛なる)無涯黎夜』、そして差出人は『天凪葉月』となっているのだが。



 『挨拶は省かせていただきますが、壮健でいらっしゃいますでしょうか。天凪葉月です。


  この度は大変なご迷惑と共に、とんでもないことに巻き込んでしまい……ただ、頭を下げるしかありません。

  本来なら実際にお逢いして話したかったのですが、今の私に貴方が目を覚ますまで待つ時間の余裕がありません。

  よって、このような形を取らせていただきました。非礼を許してください。

  是。恐らくは目覚めても、誰も貴方に事態を説明する者はいないでしょうから、簡単なご説明をさせていただきます』



 これは、口述筆記か?

 いや、どう見ても直筆だ。見えやすい大きさに繊細なタッチで、綺麗な文字で書かれているのだが。

 わざわざ是、とつけて文章を書く必要があるのか? いやまあ、何も言わないが。

 ともあれ、事情を説明してくれるのはありがたいので、そのまま目線を下に向けていく。



 『まず、私たち組織であるアスガルドでは、黎夜のペンダント……霊核が偽物である、と決断されました。

  これは貴方が私たちを騙そうとして持ってきたサファイアを証拠とし、結局は旅団の先走りであるということで決着。

  旅団が霊核を入手した、という事実もない以上……これ以上の追求、というものはないでしょう。


  これが表側のアスガルドと旅団の見解です。


  しかし騙されてはくれない人物も両組織にいまして、個人的な追跡は避けられないところでしょう。

  組織を率いて霊核を奪いに来るようなことはありませんが、用心はしておくことです。

  否、ですがそれについての対策はこちらでも用意しておきました。

  これは決めていたことですが、こうなれば利用しない手はありません』



 なんだろうなぁ、と半ば人事にも近い心境でさらに下へと視線を向ける。



 『私はアスガルドから離反し、組織から出奔することにしました』



 最後の一行には、そんなことが書かれていた。

 ゴン、と盛大に頭をぶつける。

 誰の土産か分からない果物が―――ああ、舞夏って書いてあるや、わーい―――病室の床にいくつか落ちる。


 「ちょ……そんな、簡単に済む話じゃ……」


 組織を裏切った工作員、ってのは漫画の中の世界じゃ狙われて殺される、って印象しかない。

 葉月はそんな大それたことをしてまで、何をしたかったのか。

 慌てて二枚目をめくろうとして……そのとき、病室に人の気配を感じて、慌てて手紙を隠した。

 いや、隠す必要はないはず……だよな? 正直、迷うところではある。


 「……………………」

 「……沙耶?」


 病室に入室してきたのは沙耶だった。

 俯いた顔のまま、トコトコと黙ってこちらに歩いてくる。


 「……なんだ、どうし……」

 「…………お兄ちゃん、帰ってこなかった。帰ってこないかと思ったら、こんなところで寝てたんだ……ふふ、ふふふ」


 ……アノ、無駄ニナンカ怖インデスガ。


 「……沙耶、お前と最後に会ってから何日経過した?」

 「そうだね、三日ってとこじゃないかなー? って、私も今更ながらに思い返しているよ?」

 「えーと……」

 「学園に行った様子もないし、家にも帰ってこないし、なんか私もいつの間にか学園休んでて皆勤賞逃しちゃうし……」


 いかん、舞夏に葉月め……ついでに沙耶のフォローもしやがれ。

 つーか三日?

 あはは、やだなぁ、明日元気に学園に登校してくださいねーって言ってた小桃先生の授業も二連続スルーかぁ。

 ちょっと少しだけ、俺の不幸指数が上がっているような気がするぜ。


 「……ああ、空が青いなぁ……」

 「ここって窓ないよね。しかも今、夕方だよ」

 「頼む。少しだけ現実逃避させてくれ」


 あと、ついでと言っちゃなんだが、誰か目の前で青筋立てている我が妹を止めてください。


 「……で。私が眠っている間のこと&お兄ちゃんが入院している理由を聴かせてくれるよね?」

 「それは……」

 「聴かせて、くれるよね?」


 目の前で土産物だった果物リンゴが、妹の握力で握り潰された。

 ははは、それは脅しか? 一昔前の大御所元歌手ぐらいのものだぞ、そんなパフォーマンスは。

 俺は暴力には屈しない、屈しないんだからな。

 やめろ、沙耶! 握力に自信があるのは分かったからアイアンクローはやめっ……ぐぉぉおおぉぉおお……!!


 何でだよ、頑張ったじゃん!

 俺、お前のために頑張ったじゃん! なんだよこの扱いは、畜生!


 「大体このおみやげはなに!? 月ヶ瀬舞夏って誰! 何で家族の私たちよりも早く病院把握してるんだーっ!!」

 「や、やめろ、沙耶……退院が伸びるだろうがぁぁぁぁ……!」

 「とりあえず、私たち家族に思いっきり心配をかけた、この数日間を反省しろ、莫迦ぁぁぁぁぁああっ!!!」




 プー、プー、プー。


 「先生、404号室からナースコールです」

 「無視しろぉ。どうせあのクソ坊主だ、痴話喧嘩でもしてんだろうよ」




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「……くそ、今思い出しても無常すぎる……」

 「まあ、とりあえずおかえり、黎夜。でも、妹さんが心配していたのも理解してあげないと」

 「そうだぞ。うちに上がりこんで部屋を荒らしまくったんだからな……」


 一番の被害者は祐樹らしいな、それを聞く限りでは。

 とりあえずあれから数日経ち、俺は学園へと再び通うことになっていた。

 しばらくは休講届けを出されていたため、俺の出席は無傷のままらしい。いや、それでも効果は薄いんだけどな。

 もちろん、その辺は舞夏あたりの手配というか配慮だと思うのだが……家族のほうにはノータッチだったらしい。

 詰めが甘いぜ、舞夏……ある意味、一番してほしかったことはいもうとへの対応なのにな。


 「でも、この数週間で病院に二度も担ぎ込まれるって普通じゃないよ、黎夜」

 「分かってるって。もうないから安心してくれ」

 「んー、どうだろうか。俺はむしろ、これが黎夜の病院通い伝説の幕開けになりそうな気がするが」


 なんだとー、といつも通りの馬鹿騒ぎな登校風景。

 この日常に俺は帰ってきたんだ。

 色々あったし、本当に命の危険まであるような滅茶苦茶な数日間だったけど、それでもここに帰ってこれた。


 退院後、葉月の二枚目の手紙を読んだ。

 それには葉月が組織を抜けた理由や裏世界の動き、俺に関することや数日前の戦いの結末が記されていた。



 『お察しの通りかも知れませんが、これは反逆罪に当たります。アスガルドがそれを許す道理はありません。

  私はこれでもアスガルドの精鋭であるクロノアの一人。組織のアキレス腱でもある情報もいくつか把握しています。

  アスガルドからすれば、これは由々しき事態なのは疑いようがありません。

  きょうび、組織を抜けるなどヤクザ世界ですら許されるものではないのですから』



 それはそうだろう。

 葉月はアスガルドとかいう組織の精鋭の一人だ。組織からすれば突然辞める、と言われて『はい、そうですか』はない。

 漫画でのヤクザ世界でもケジメとやらを付けさせられるのだから。

 といいますか、葉月。ヤクザの世界を格下扱いか。

 裏世界の前には、ヤクザなんて表世界のチンピラ程度ってことなのだろうか?



 『ですが、私はこの道を選ぶことにしました。理由は、今の自分が考えるだけでふたつ。


  ひとつはカイムのことです。彼は貴方に敗れましたから。

  彼の名誉を守るため、というのは少し違う気がしますが……それでも、これは必要なことなのです。

  私が望んで貴方が叶えた、誰も死なない結末を迎えるために。

  組織は厳しいものです。

  『一般人に倒されてしまった』者が自分の組織で精鋭をしていることはマイナスです。組織の面子を保てないんです。

  アスガルド自慢の精鋭がその程度だと思われれば……それは組織にとって、最悪の印象を残してしまいますから』



 要するに、俺がカイムを倒した時点でカイムは組織にとって『用済み』扱いになる、と。

 裏世界における用済み、というのはリストラなんてもんじゃない。

 漫画の中だけの世界が、そのまま適応されるんだろう。組織の面子って理由は莫迦みたいだが、理には適っている。

 組織ってのは舐められたらお終いなのだ。それなりの実績と実力があるからこそ、他の組織が畏怖の目で見る。

 体裁って奴を保つためなら、自分の精鋭の一人を簡単に切り捨てるのが裏世界だと教えられた。



 『そのカイムを救うためには理由が必要です。それも万人に納得してもらえる理由が。

  それが私の裏切り、というわけです。

  同じ組織の同じ精鋭で元々同じパーティを組んでいた私なら、カイムを撃破されても組織に傷はつかない。

  いえ、傷はつくでしょうが……それでもカイムの名誉は守られます。

  私の理想は善悪の関係なく、人を救うことです。

  だからこそ、この選択に悔いは全くありません。否、むしろ清々しいぐらいです。だから心配は要りません。


  もうひとつは黎夜の霊核の疑いについて。

  これには偽情報を利用することにしました。即ち、私が本物の霊核を持って逃走した、と流したのです。

  カイムも口裏を合わせてくれるでしょう。そうすることで、自分には非がなくなりますから』



 つまり、簡単にまとめればこうなる。

 表向きは俺のペンダントは霊核ではなく、これ以上俺の近辺が疑われるような状況ではない。

 不審に思った奴らは調べる過程で、葉月が霊核を持って逃走したという偽情報を掴む。

 そうした奴らの目は葉月に向かい、俺は平穏を享受できる……ということらしい。

 調べれば調べるほど、葉月が怪しい結論にしか達しない。


 だが、この決定はあまりにも葉月が被害を受けすぎている。

 もしもこれで葉月が殺されでもしたら、それこそ目覚めが悪いなんてもんじゃない。

 自分のせいで殺されたようなもんだ……というところで、三枚目。そこには俺の心を見透かしたかのような文章。



 『そろそろ、私個人が大丈夫か、などとお思いになられましたか?

  ご心配には及びません。今のアスガルドは事態の収拾にばかり気を取られてはいられないのです。

  失った組織の信頼や威厳を取り戻し、他組織に対して牽制を送ることにも意識を回さなければなりませんから。


  クロノアにはクロノア以上でなければ太刀打ちは不可能。私も逃げに徹すれば数ヶ月は生き延びる自信があります。

  精々、数日後には私を始末した、という偽情報が出回るぐらいのものです。

  これは真実ではなく、アスガルドが体面を守るために意図的に漏らされる情報で……私は書類上の死を迎えるぐらいの結末でしょう』



 それが良いことなのか、俺には分からなかった。

 もう賽は投げられてしまっていて、俺には葉月の決定を覆す方法なんて思いつかない。

 それに清々しいと葉月は言っていた。

 きっと、組織の中にいては理想を貫けないと気づいたのだろう。なら、俺は葉月の無事を祈るだけにした。



 『さて、説明はこれぐらいでしょうか。

  しばらくは身を隠すことになりそうです。ですから、最後に私から忠告を。


  今回、旅団とアスガルドの双方は貴方の情報をシャットアウトすることになるでしょう。

  ですから貴方自身も自重することです。

  今回こそ情報規制はされるでしょうが、次回などがあればどうなるかは分かりません。

  このまま平穏を享受していきたいのならば、大人しくしておくべきです……と、警告させていただきます。


  それでは、ご健勝で。心よりそれを祈っています―――――天凪葉月』



 と、こういうわけで俺は平穏の中に帰られたわけで。

 楽観はできないのだが、旅団とアスガルドの双方……幾重にも積み重ねた論理ロジックを見破れる者はいないだろう。

 何しろ掴んだと思われた真実こそが偽物なのだ。実に心理学的にも適っている。


 だからこそ、俺はこうして祐樹や啓介と学園に登校できる。

 何事もない日常、誰もが当たり前に享受できるはずのつまらない日々がこんなにも眩しい。


 「それにしても、変な話だと思うのは……家族には連絡がいってないのに、学園のほうには連絡が来てたところかな」

 「あー、確かにそれは俺も思ったな。実際のところ、どうなんだ、黎夜」

 「あれかな。謎の美少女、トンデモ設定、正体不明の悪役登場ー、とかそんな感じですか?」


 大当たりだ、啓介。商品は何がいい?


 「しっかし、久しぶりの講義かぁ……啓介、ノート後でコピーさせてくれ」

 「ああ、全然構わないよ。……ああ、そういえば今日は僕たち集合だっけ?」

 「え? あー、そういえばそうなのあったな」


 僕たち集合? ってのはどういう意味なのか。

 改めてその意味を問うと、啓介は苦笑交じりに首を傾げながら、昨日の講義の終わりに語られたことを伝えてくれた。


 「小桃先生のクラス……要するにAクラスは、今日の一コマ目の前に集合……ってこと」

 「一コマ目の前? そりゃ早朝だなぁ、何の話だ?」

 「さあ? 言ってみれば分かるだろ」


 一コマ目が始まるのは朝の九時ジャストだ。

 要するに一コマ目前というのは、その講義が始まる三十分前……八時半までのことを言う。

 集合ということはそれまでにAクラス専用の教室に待機していろ、という話。

 まあ、部活をやっている流牙と朝に弱い誠一には致命傷なので、恐らくあの二人は来ないものと思われる。


 「ちなみに、誠一は?」

 「もうメール来てる。昨日の夜に……『夜更かしして起きれない、後で事の顛末をよろしく』って」

 「予告する暇があったら起きる努力をしようぜ……」


 もう、一種の犯行声明だと思うんだがどうだろう。

 真面目に部活動に打ち込んでいる流牙のほうがずっと上等だ。とはいえ、あいつに何を言っても効果ないからなぁ。


 「って、俺たちもそんなこと言ってる場合じゃねえぞ。一コマ前までもう十分もない!」

 「おー、気づいたか。ちっ、あと少しだったんだけどなぁ」

 「祐樹、テメェ気づいてたなら……っていうか、俺たちを遅らせて何が狙いだったんだ!?」

 「んー、主に朝早くからってのが面倒くさい」


 ここにもいたよ、誠一と同じくらい面倒なのが大嫌いな奴が。


 「んで、狙いとしては?」

 「お前ら全員遅刻させて、俺がサボる正当な理由って奴を……」

 「啓介。殴っていいか、こいつ。ヤンキー使用済みの釘バットで頭蓋を鈍く」

 「い、いや……やめておいたほうがいいんじゃないかな〜……」


 ちっ、と舌打ちしながら朝の登校路を走る。

 そうして演じ続けられる日常の、ほんの一瞬……すっ、と現れては消える蜃気楼のように。



 「―――――――ふふっ」



 視界の端、柔らかな表情で俺たちを見続ける葉月の姿があった、ような気がした。


 「えっ……?」


 振り返った先には誰もいない。

 本当に蜃気楼のように、幻のように消え失せた彼女の笑みは……今までで、一番極上の笑顔だった気がした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「はいはーい、皆さんお揃いですねー? 揃っていない人は、皆さんが教えてあげてくださいねー」


 一コマ前の時間、Aクラス。

 大学だというのに高校のように教室があるのも特筆すべき点な新東雲学園。

 担任にして七不思議な葵小桃先生が笑顔で登場する。

 いつも通り、その名前に恥じないピンク色の私服はまさに『小桃』に相応しいだろう。

 原則としてスーツな教師陣でも、さすがに見た目小学生な女性にまで着せるのを強要させるつもりはないらしい。


 「……で、結局どんな話なんだろうなぁ……」

 「小桃先生、転校説に一票」

 「先生なのに転校なのか……いやに説得力がありすぎて、有りだな」


 そういえば俺は補習ならぬ特別授業ってのがあったんだっけな。

 何らかの理由で俺の出席は護られたわけだが、それでも聞き逃した授業内容を簡単に語ってくれるそうだ。

 もう、俺は嬉しくて嬉しくて、とりあえず流牙あたりに八つ当たりしたい。


 「よし。ならむしろ、僕らは世界史未履修組に認定、よって急遽補習が確定」

 「地獄すぎて無しだ。むしろ、有りとは認めねえ」

 「あー、俺も黎夜に一票……というか、どう考えても陰謀ものだと思うぞ、それは」


 そんな未来予想図は心の底からお断りしたい。

 俺らの両親が学生の時代にも一度あったらしいが、きっと大変だったんだろうなぁ。


 「なら、黎夜はどう思う?」

 「小桃先生の七不思議の謎についてのカミングアウト。実は不老不死の実験サンプルでした」

 「あー、あるあ……ねーよ」

 「黎夜……突然不老不死だなんて、錬金術にでも興味を持ち始めたりとか……?」


 完全に拒絶される俺の意見。

 いや、そうだよなぁ。普通はそんな反応だよな。

 俺は一週間ほど前に常識を木っ端微塵にされたから何とも言えないけど。

 だって小桃先生の若さは異常ですよ?

 世界の裏側を知った今となっては、そんな説が飛び出してきても笑い飛ばしたりはできません。


 「えー、良いですかー? 実はですねー、このクラスに飛び入りで転校生がやってくることが決まったんですよー!」


 小桃先生の言葉にクラスの皆が安堵に近い溜息を漏らす。

 良かった、地味に転校生ぐらいの報告で。良かった、補習追加とか補習追加とか補習追加とかじゃなくて。

 ちなみに中途半端な時期の転校生というのは、この学園都市では珍しくない。

 ここが学園都市である以上、生徒として迎えられる人間は色んな時期から参加してくるからだ。


 「……んー、転校生か」

 「どんな人なんだろうね。小桃先生のクラスの転校生っていうのは初めてだし」


 ざわざわ、と今度は件の転校生談義。

 それに答えるように小桃先生はご機嫌な態度を崩さずに笑って見せた。


 「喜ぶのです、男性諸君ー。なんと美人も美人、何処かのご令嬢のような女の子ですよー!」


 瞬間、クラスの男性諸君一同は立ち上がった。


 「中々、競争が激しかったのですが、なんと先生が籤引きで引き当てましたー!」

 「「「いやっほぉぉおおおうっ!!! 小桃先生最高ぉぉぉおおおっ!!」」」

 「どんどん褒めてくださいーっ!」

 「「「先生最高ぉぉぉおおぉおおおっ!!!」」


 途端に熱気に包まれるAクラスの皆様がた。

 祐樹や啓介ですら『ほお……』とか『へ〜……』とか勢いにこそ呑まれないものの感心した態度で臨んでいる。

 だが、ひとつだけツッコミを入れさせてくれ。

 小桃先生。アンタら教師は転校生をクジで振り分けていたのか? 教師としてどうなんだ、それ?


 「…………つーか、何処のカルト教団だ、この熱気」

 「は、ははは……いや、でもしょうがないんじゃないか、と思うよ、やっぱり」

 「あー、でもそろそろ終わらせてくれないと、講義が間に合わんのだが……」


 祐樹が携帯の液晶を開くと、時刻はデジタルで一コマ目まで十分前を示している。

 教室移動を考えればそろそろ転校生を紹介していかなければ手遅れだ。

 小桃先生も教祖ごっこを十分に堪能したのか、コホンと咳をひとつすると幼い声色で場を盛り上がらせた。


 「時間がないので顔見せですねー、それではどうぞ転校生さんーっ!」


 ガラガラ、っと教室の入り口の引き戸が音を立てる。

 姿を見せたのは少女だった。学園特色の制服に身を包み、白い聖歌隊の帽子のようなものを被っている。

 一瞬、俺の思考が完全に停止した。処理落ちというやつだ。

 周りの野郎どもが雄たけびをあげるどころか、息を呑んでいるだけでも衝撃的だったというのが分かるだろう。


 …………………………えーと、だな。

 つまるところ、この俺、無涯黎夜はどのような反応を取るのが正解なのかどうか、よく分かりませんでして、はい。



 「本日より転校してきました、月ヶ瀬舞夏と申します。以後、宜しくお願い致しますね」



 美しい赤い長髪、端整な顔立ちと優しげな微笑み。

 チャームポイントの帽子を取ると、優雅に一礼するその姿は……紛うことなく、月ヶ瀬舞夏だった。


 ああ、なんだ、えーと、その。

 周りは舞夏の姿に目を奪われて静寂の中、俺だけは別の理由で石化魔法をかけられていた。

 朝に曲がり角でぶつかった食パンを咥えた少女との再会というベタの流れを、斜め上からアレンジしたような衝撃。



 「なにぃぃぃいいいいいいいいいいっ!!?」



 せっかくの静寂が、無粋な男の驚愕に満ちた叫び声で破られたのは、その数秒後の話だった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「おーす、セーイチ。何してるんだ、こんなところで」


 黎夜の叫び声がAクラスを満たしているのと同時刻。

 拳法部の道場の隅っこに、本日の集合指令をボイコットした青年がいた。


 「うん? よう、流牙。もう終わりか?」

 「おうよ。……んで、セーイチは何やってるんだって聴いてるんだけどよ?」

 「うむうむ、よくぞ聴いてくれました。実は小説の考案中でね」


 誠一の装備はシャーペンとA4サイズの紙が一枚。

 そこには小さな文字で人の名前やら矢印やら注意書きやら、よく分からない羅列が書き込まれていた。


 「誠一が小説、ってのは聴いたことねえな?」

 「そうかもなぁ……そして流牙、死んでくれ」

 「何でだよっ!? 今の会話の流れの何処にオレが死ななきゃならん道理が隠れてんだよっ!?」

 「なんとなく以外に理由がないんだが……何か?」


 さも当然のように答える誠一に、流牙は頭を痛めた。

 とりあえず莫迦と自覚している頭をフル回転させて、事態の収拾を測ることにする。


 「んで、その小説ってのはどんなのだ?」

 「まあ、まだプロローグの段階だよ。主人公の通っている学校に彼と因縁のある女の子が転校して来るんだ」

 「ほうほう……それで?」

 「突如、倒れる男。友人が慌てて声をかける。『流牙、おいっ、しっかりしろ、流牙! ダメだ……死んでる……』」

 「話が唐突過ぎるわっ!! ていうか、オレが死ぬってそういうことかっ!?」


 まあ、冗談は置いといて……と話題を横にずらす。


 「で、登場人物の一人は読者に向かって、こう言い放つのさ」


 愉快に、痛快に、いつも通りに軽薄な笑みを浮かべて誠一は語る。

 誰かに送る言葉のように。

 くつくつ、と。首をかしげる流牙にも気にせず、朝の日差しをその身体で存分に浴びながら。




 「『物語は、まだまだ始まったばかりだぞ』……ってな!」





 第一章、了

 

皆様、こんにちは。

空想世界イデアの作者、蟹座氏です。

読者の皆様にはまず、ここまで読んでいただけたことに心よりお礼申し上げます。

少しでも楽しんで読んでいただけたなら、書き手としてこれほど嬉しいことはありませんw

まだまだ稚拙な物書きの身ではありますが、これからも宜しくお付き合いいただければ幸いです♪


さて、第1章における今回のテーマは【世界観とキャラの紹介】

恐らくは長丁場になると思われる物語なので、基礎はしっかりと書いていく予定でした。

展開も王道モノに設定し、何とか分かりやすくこのキャラの人となりや世界観を描写してきたのですが、いかがだったでしょうか?

この物語の方向性や流れ、といったものを掴むことができたなら成功なのですがw


次回はこの物語の十日後。

裏世界に片足を突っ込んでしまった黎夜と、それを取り巻く環境。

学園都市を震撼させる連続殺人事件!

興味を持っていただけた方は、次の話も読んでくださると嬉しいですw



追記:結局、英雄の正体が判明したのはカイムだけなのか(笑)

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