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第1章、第9話【表舞台の裏側で】






 夢を、見ていた。

 昔の夢だ。だが、それは私が体験した昔というわけではなかった。

 誰かの夢に紛れ込んでいるような、不思議な感覚の中にまどろんでいる。

 ああ、またか、と私は思う。裏の世界、その深層の闇へと足を踏み入れてから、何度でも見続ける後悔の夢。


 ―――――!


 会話は聞こえない。

 江戸時代あたりの古めかしい衣服を羽織った、若い男たちの集まり。

 その責任者たる男が、苦渋の表情を浮かべて座っていた。

 私の視点はその隣り、彼を補佐する立場としての視点を借りて、その光景を何度も何度も幻視した。


 彼らは追い詰められていた。

 国のために、と奔走し続けた結果、我々は自らを追い詰め、そして殺し続けてしまったのだ。

 気がついたときにはどうしようもなかった、もはや破滅は明らかだった。


 ―――――徹底抗戦だ、と叫ぶ声。

 ―――――もう、降伏しようと呟く声。


 私の――――カイム・セレェスの視点を宿らせた青年は、降伏を勧めていた。

 理由はわからない。戦いに怯えたわけではなかった、命が惜しかったわけでもなかった。

 勝ち目のない戦いなどできない、合理主義だったからかも知れない。


 ただ、降伏したとしても……責任者の断罪は免れない。

 降伏しろ、と説得するのは死ねという言葉と同意語だったのは明白だ。

 助命嘆願を必ずしよう、と私は言った。

 なんて白々しい、信じるにも値しない言葉だろうか、と客観的に見る私は思ってしまう。


 それでも、その責任者は降伏しようという青年を見ながら、苦々しい笑いを浮かべながら問いかけてきたのだ。

 救えるのか、と。お前は私を助けることができるのか、と。

 必ず、と答えた。絶対に救ってみせる、と青年は誓いの証を立てた。それすらも、傍観する私には馬鹿らしく映った。


 ―――――なら、信じよう。


 だと言うのに。

 彼は気持ちいいくらい気の良い笑みを浮かべると。

 その言葉を信じて、降伏した。そのまま敵の手に落ち、囚われの身になって―――――処刑された。


 「……………………愚かだ」


 夢から覚めた私は、そう呟くしかなかった。

 あんな口約束を信じてしまうなんて愚か過ぎる。

 武士の誓いだろうが、信じる部下の言葉だろうが、そうして信じた先には意味のない終焉だけがあった。


 「本当に、愚かだ」


 きっと、私の中にある英雄は絶望しているのだろう。

 助けられなかった己に。武士の誓いを、必ずと言った言葉を、そうして破ってしまったことを。

 それは未来のカイム・セレェスの姿なのかも知れない。

 私と『彼』は良く似ている。その性格と、そして……愚かな約束を相手に信じさせてしまった、愚かな男として。


 「………………ん」


 ピピピピ、と電子音が鳴った。

 廃ビルの隅っこで横になっていた私は起き上がる。

 服の裏側に隠しておいた『本部』に連絡するための、使い捨ての携帯電話。

 無機質な電子音を止め、耳元にそれを当てる。


 それは一方的な指令だった。

 こちらから口を挟みこむ余地など許されていない。

 ただ、決まった伝達事項をこちらに流し込んで終了、という味気ないものだ。


 「………………了解」


 あちらに届いてもいないだろう、了承をひとつ。

 本部からの指令が届いた。僅か三十秒もない任務伝達。

 指令は単純明快。秘密を知ってしまった者は消せ、というお決まりのパターン。


 「……もうすぐ、夕方か」


 私は黄昏に染まった学園都市を、高いところから見下ろしていた。

 葉月に新しい任務を知らせなければならない。

 それはきっと、彼女の心を引き裂くものだろう。それくらいのことは、私にも分かっている。

 だとしても、私のやることは変わらない。これまでどおり、組織の歯車として糸を引かれるままに操られよう。


 私は、私の中の英雄とは違う。

 あの愚かな約束を、必ず破りはしない。どんなに愚かなことでも、その約束を守り続けよう。

 助けるために殺そう。殺してでも助けだそう。


 遠い日の、まだ自分のことを『僕』と呼んでいた時代の約束を果たすために。

 必ず助ける、と。必ず迎えにいく、と。

 幼い自分が泣きじゃくりながら、今にも泣き出しそうな笑みで笑い続ける彼女に向かって誓った言葉を。



 ―――――――そのためなら、誰でも殺そう。

 ―――――――そのためなら、誰でも悲しませよう。

 ―――――――そのためなら、誰でも苦しませよう。



 それがたとえ、葉月であろうとも。

 それがたとえ、カイム・セレェス自身であったとしても。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「はい、月ヶ瀬舞夏です」

 「もしもし……黎夜だ」


 月ヶ瀬舞夏の下に連絡が来たのは、午後の六時を過ぎた頃だった。

 時間としても妥当だと舞夏は思う。

 ホテルは引き払い、支配人に多額の金を渡して自分がいた痕跡を消し、チェックアウトし終わったところだった。


 きっと、ここで断りの連絡を入れるために。

 最初で最後の通話を、舞夏は聴いていた。これで無涯黎夜と月ヶ瀬舞夏の繋がりは終わる。

 会話が終了する頃には、携帯電話も破棄して完全に消えるつもりだった。


 「……返事は、決まりましたか?」

 「ああ」


 我ながら意地の悪い言い方だ、と思った。

 妹を人質に取られているのであれば、彼に抗う術など何一つ持ち合わせてはいないのだ。


 「ひとつ、聴きたいことがあるんだけど」

 「何でしょう?」

 「俺のペンダント……この宝石は『霊核』なのは間違いないんだよな? その情報も漏れているのか?」

 「……? いえ、その事実を知っているのは私と一部の上層部、それに解析を行った者だけ、ですが……?」


 何故、そんなことを聴くのだろう。

 ただ、この話はなかったことにしてくれ……と、その一言だけだと思っていたのに。


 「じゃあ、裏切り者もいないな? これが本物の『霊核』だと知っているのはお前たちだけだな?」

 「そう、ですが……いったい、どうしたというのですか、黎夜さん」


 不審に思った。

 黎夜の様子がおかしい、というのだろうか。

 声には張りがあった。何かを決意したような、そんな何かを感じた。


 「……そちらにも、もう情報が入ってるのかも知れないけど……妹がカイムにさらわれた。ペンダントと引き換えってな」

 「ええ……一応は」

 「こうなった以上、俺に選択肢なんてないんだ。俺はペンダントを渡さないといけねえ」


 当然だ。

 黎夜は決して家族を見捨てないし、自分たちに加担する理由もない。

 こうして直接断りの電話を、素直に入れてくれただけでも十分だ。


 なのに黎夜は。

 まるで内緒話をするように声を潜めながら言った。


 「だけど、それが『霊核』である必要はねえよなぁ?」


 はっ、と舞夏が息を詰まらせたように声を出した。

 黎夜は続ける。

 とつとつと、残り少ない時間を惜しむように、早口で。


 「俺のペンダントが『霊核』かどうか、実際に持っていって解析しないと確証は得られないんだろ?

  似たような宝石を渡して、本物はそっちに渡しておいても誰にも分からない……ってのは、どうだ?」


 舞夏は慌てて盗聴などの心配に気を配った。

 この状況下で『もしも』があれば、黎夜に危害が加わるばかりではないからだ。

 チェックアウトした部屋に駆け込み、会話を続けた。


 組織の一員としては、ありがたい申し出だと思うべきだ。

 なのに舞夏にはそんな感情よりも、個人的に黎夜を心配する気持ちのほうが遥かに大きかった。


 「黎夜さん……何を言っているか、分かっているですか……!?」


 なんで、自分がこんなに声を荒げているのか分からなかった。

 だけど舞夏は冷静さを若干失ってまで叫んでいた。


 「それは……彼らを謀るということ。もしも策が看破されれば、被害は貴方だけに留まらない!」

 「看破される可能性はどれぐらいだ?」

 「彼らが直接、ペンダントを解析することができればその時点で終わりです! そんなことは無謀すぎる!」


 可能性としては、ないとは言い切れない。

 悔しい話だが、実は舞夏の所属する『旅団』とカイムたちの『アスガルド』の力関係は同格イーブンではない。

 力関係にして三倍以上の戦力がある。人員、資金、地盤、そして英雄。

 そんな彼らからすれば、自分たちが解析しなければならないことを……現場で数分で済ませてしまっても、可笑しくないのだ。


 「それは、大丈夫」


 黎夜は、たった一言で否定した。


 「たとえ『霊核』じゃないからと言って、俺たちが害されるとは思えない」

 「何故、ですか……?」


 そこまでの確信が舞夏にはない。

 黎夜はずっと考えていたのだ。カイムと別れてから授業に出ようとするとき、家に帰る途中、数時間で。

 この……袋小路のような、選択肢がひとつしかない取引に風穴を開ける術を。

 強引にねじ伏せて手に入れる……別の選択肢を手に入れるために。



 「『霊核』の話は聞いたし、ペンダントがそうだという確信もある。

  だけど奴らからすれば、それが本物だと確証を得ることはできない。まだ、できていないんだ。


  最初は舞夏の組織の裏切り者からの情報。この時点では舞夏ですら、まだ確証を得ていない。

  不確かな情報でも、カイムは襲ってきた。まあ、とりあえず舞夏よりも早く回収しようって焦ったんだろ。

  そしてそれ以降は、舞夏が交渉を開始した時点で……『多分、当たりなんだろう』と予測した。


  それは正しいけど、それでも事実を真実のままにしてやる必要はない。

  全部、舞夏の勘違いだったことにする。

  『霊核』ではなく、ただの宝石。当然、裏の世界とやらにいない俺には……どっちにしても、妹のために渡す宝物だ」



 これが、黎夜の思い描いていた作戦。

 小桃先生は言った。『一人で抱え込むな』、と。

 当然だ。黎夜は自分ひとりで出来ることなど、高が知れていることを知っている。

 だから、この策には舞夏が必要だ。必ず、協力してもらわなければならない。


 「……黎夜さん、それでも……危険、なんです」

 「百も承知だ」

 「…………何故。貴方からすれば、単純にペンダントを渡せばいいんです。危険を冒す必要なんて、ないんです」


 舞夏の声には緊張に近い何かがあることを感じた。

 確かにおかしな話だ。

 妹を人質に取られた以上、黎夜は確実に妹を助け出す算段を立てなければならなかったのに。


 黎夜は思わず笑ってしまう。

 そう、笑えていた。小さく笑えるほど心に余裕が出来ていた。


 「借りを、返したい。あいつだけは、笑わせたくない」


 そう、これはたったそれだけの話。

 カイムの思い通りにさせたくもないし、沙耶のことも心配でしょうがない。

 黎夜が一番恐れていることは、そんなことじゃない。


 「むしろ、カイムが突然心変わりして俺と沙耶を殺し、霊核を奪う可能性もある。俺はそれが一番怖い」


 舞夏がはっ、と虚を突かれたかのように息を呑んだのにも構わず、黎夜は語る。


 「だから、舞夏には近くで待機していてもらいたい。

  もしも、俺が襲われそうになったときには助けに入ってほしい。それを頼みたい。……出来るか?

  ああ、それと宝石かな。

  こいつによく似た宝石がないと、どうしようもない。これについてもそっちを当てにしなきゃならないんだが」


 正直なところ、舞夏は迷った。

 既に『霊核』の解析は済んでいる以上、似たようなものを用意することは不可能じゃない。

 だが、ここで出来ないと断れば黎夜の安全は保障されるのだ。

 組織の一員としての態度か、個人的な感情かで……舞夏の心は揺れ動いていた。


 「……どちらも、私たちを信用しなければなりませんよ……?」

 「『信用』してるんじゃない。俺は『信頼』しているんだ」

 「…………卑怯すぎる言い回しですね」


 それで、迷っていた心が引き締まった。

 舞夏は電話口の向こう側で返事を待つ青年の顔を思い浮かべる。

 凛々しい、意志の強い瞳を思い浮かべる。

 実際に逢って話せないことが残念なぐらい、今の彼は良い表情をしているんだろう、と思いながら。



 「任せてください」

 「期待してるぜ、お嬢様?」

 「まあ。……ふふ」



 こうして、共同戦線が決定した。

 舞夏は覚悟を決める。何より、一番リスクの高い彼が覚悟を決めているのに、自分だけが怯えるのは間違っている。

 この信頼に答えなければならない。


 「宝石は一時間以内……ああ、いえ……三十分以内に用意します」

 「受け渡しは?」

 「私は前もって校舎に潜伏しますから、そうですね。監視役もついているでしょうし……」


 舞夏は作戦を伝える一方で、カタカタカタと音がなる。

 誰かがパソコンを使っているらしい。

 その背後の音に舞夏は苦笑しながら、受け渡しを立案していった。


 「組織の仲間に扮装させて、宅急便として送りましょう。

  それならさすがの監視役も不審に思いません。黎夜さんは手洗い場で摩り替えてください」


 こうして、算段が決まっていく。

 カイム・セレェスを謀るための策、その骨組みが出来上がっていく。


 「……ええ、分かりました。それではご武運を」


 作戦の確認をして、通話を切る。舞夏の背後ではまだ、カタカタカタと音が鳴る。

 振り返り、呆れ顔で彼女は語る。


 「勝手に女性の部屋に入るのは感心しませんよ、副主任?」

 「いやー、お困りでしょうと思いましてね。それに……もう、ここはチェックアウトしたはずでは?」


 眼鏡をかけた男はおどけながらキーボードを叩く。

 段取りは会話している間にほとんど終わらせた。よく似たサファイアはとっくに手配している。

 男の手にはサファイアがあった。黎夜が提案する前に、既に用意されていたことになる。

 故に、本来なら最速でも一時間の時間を三十分以内に済ませられる。


 「それにしても、どうして分かったんですか? サファイアが必要になるって」

 「さあて……どうしてでしょうねえ」


 カタカタカタ、音が鳴る。

 舞夏は男の適当な返事も気にせず、窓の外を見た。

 黄昏に沈む太陽。

 黄金色の空が東雲の町を同じ色に彩っていた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「どういう……こと、ですか……?」

 「聴いたとおりだよ。無涯黎夜を始末しろ、と組織からのお達しだ」


 廃ビルにあるのは三つの人影。

 一人は金髪に黒衣の男、カイム・セレェス。表情はなく、まるで機械のようだった。

 一人は黒髪ポニーテールの女、天凪葉月。瞳は驚愕に彩られ、身体は小刻みに震えている。

 最後の一人は無涯沙耶。葉月がカイムの指示で拉致した、一般人の少女だ。


 「何故、ですか……?」


 葉月は震える声を冷静に押しとどめて、問いかける。

 彼女にはカイムの言葉が理解できない。

 たとえ外道と呼ばれようとも、この方法を選択した。こうすることでペンダントはこちらへ……そして黎夜も無事のはずだ。

 ペンダントがこちらにあるからこそ、カイムも私怨では行動しない。……そのはずだったのに。


 「否。それは、貴方の差し金なのですか、カイム……?」


 カイムは答えない。

 無言が肯定を示しているようで、葉月は唇を噛んだ。


 「貴方が『始末する理由がある』といって、無涯の黎夜を殺害する許可を願ったのですかっ……!?」


 額の傷は屈辱の証。

 一般人に組織の精鋭たる『クロノア』が傷つけられた、となれば……それは組織の権威を下げる。

 その事実ごと葬ろうとすることは不思議ではない。

 雪辱戦の名の下に虐殺する、ということ。それはカイムに与えられた至極当然の行為だ。


 「とんでもない。これは、命令だよ」


 のうのうと、カイムは語る。


 「まあ、それでも雪辱戦としての気持ちがないわけではないがね。私も、機会を持てたことは喜んだほうが」


 パァンッ!!


 最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。

 葉月はカイムの頬を強かに叩いた。

 日頃、感情を表に出さない少女が……このときばかりは、憤りと悲しみに満ちた瞳で睨み付けた。


 「最低……」

 「どんな汚名も受けるよ。今更、そんな言葉を言われようとも堪えないけどね」


 でも、とカイムは続ける。


 「私には私の目的がある。そのためなら何でもする、誰でも殺す」


 細められた瞳がカイムの闇を映し出している。

 そこには彼の信念がある。

 外道、鬼畜、最低、人でなし、殺人鬼、悪魔。

 どんな言葉を並べ立てられようとも、己の道は変えない。決して道は見失わない。


 「君が、誰も悲しまない世界を歩くために戦うという理想……それが、私の願いと対立するとしたら」


 片手にはサーベル。

 それは本来、味方であるはずの葉月へと向けられている。


 「君であろうと、迷わず殺す」


 息を吐く。春先であろうと、この廃ビルは凍えるほど寒い。

 気温が下がった、とは感じない。

 ただ、葉月の背筋が凍ったからこそ、気温が下がったと錯覚しただけの話。


 「私は、そう誓った」


 だから、殺そう。

 自分の道に立ち塞がる者、全て。

 それで願いが叶うと言うのなら、叶い続けるというのなら。


 「君がまだ表の世界にいる頃から、私は何年間も歩み続けてきたんだ」


 正しさも、理想も、純粋さもいらない。

 間違っているというのなら否定してくれて構わないし、いくら罵倒してくれても構わない。


 「この道が狂っていようと、私はこの意志を絶対として進んできたんだ」


 この道を歩んできた。

 たった一人を護るために世界の全てですら敵に回すと、誓ったのだ。

 葉月を真っ直ぐに見据えた。

 どうする、と視線で問いかける。葉月には……何も、言葉を出すことは出来ない。


 「…………あと、一時間ほど。学園で無涯黎夜と『交渉』を開始する」

 「……………………」

 「周囲には私たちの部下を警備に。万が一、月ヶ瀬が強引に干渉しようとした場合の備えだ」


 葉月は俯いたまま、頷いた。

 止められない。

 また、どうしようもないこととして……この事態を見送るしか出来ない。


 「……無涯沙耶の保護は任せた。全てが終わったら……君が送り届けてやれ」

 「…………是」

 「良い子だ」


 カイムは立ち去っていく。

 その背中は堂々としていた。己の道に一切の迷いがないと告げるように。

 葉月は顔を伏せたまま、気を失ってスヤスヤと眠り続ける少女の髪を優しく撫でた。


 勝てない。

 カイムのように、自分の道に自信を持つようなことが葉月にはできない。


 「……何を、しているのでしょうか……私は……」


 この安らかな寝顔を、悲しみに変えようとしている。

 分かっている、分かっているのだ。

 自分の理想が偽善と独善に包まれている、叶えようもないことだと言うことは。


 「わ、たしは……」


 いつもは無表情な瞳から、雫が落ちる。

 ぽとり、と雨が一粒だけ沙耶の頬に落ちて……ようやく、葉月は自分が悲しんでいることに気づいた。


 時刻は七時。黄昏は既に、終焉を迎えていた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 舞台は全て整った。


 無涯黎夜は逆転の一手に全てを賭けた。

 月ヶ瀬舞夏は策に乗って戦う意思を示した。

 カイム・セレェスはこれまで通りに己の道を歩き続ける。

 天凪葉月は道に迷いつつも役者として決戦の舞台にあがる。


 全員が含む意思を持つ。

 そうして世界は、大神の思惑通りに全ては進んでいく。


 「カイム・セレェス……テメェの思うとおりに算段を進めようってんなら」


 無涯黎夜の宣告はここに。


 「その思い上がり、無涯の名の下に斬り捨てるっ!!」


 それを合図にしてカイムは口元を歪めたまま、人殺しの道具を取り出した。

 呼応されるように舞夏も、そして葉月も己の武器を取り出す。

 カイムの視線は、無涯黎夜という標的一点に絞られる。凝視した瞳は、苛立たしげに揺れていた。


 「君ごときが、私たちを殺せるというのか?」

 「いいや、残念だけど俺じゃあ勝てねえんだろうな……だからこその、舞夏だ」


 一人で戦う必要はない。

 葵小桃先生もそう教えてくれた。誰かに助けを求めることは恥ではない。


 「だから斬り捨てることはできない……けど、護ることはできる」

 「無涯沙耶、か……一般人が、私たちから狙われて護れるとでも?」

 「護るさ」


 一言、当然のように簡潔な言葉で対抗した。


 「死に物狂いで、怪我をしようと護る。護ると決めたからには護る」


 頑張れ、と友人たちは声援を送ってくれた。

 それで十分。実力で足りないなら努力と根性で補うしかない。

 舞夏はその意志を頼もしく思った。逆に、葉月はその真っ直ぐな瞳を直視できなかった。


 カイムは舌打ちをひとつ、舞夏のほうに向き直る。

 こうなってしまえば時間はない。部下たちも呼んでおくべきか、と思案したところで気づく。


 「……月ヶ瀬。私たちの部下はどうした? 連絡がないのだが?」

 「私は貴方たちが来るよりも前に潜伏させてもらいました。……最初から、包囲網の中にいましたので」

 「ふん……つまるところ、お前たちは手を組んだということか」


 カイムの目が怒りに見開かれる。

 葉月が持っていた宝石……黎夜から渡された、何の力もないただのサファイアを奪い取る。

 そのまま、地面に叩き付けた。サーベルを突き立てると、ガラス音と共に破壊された。


 「やはり、偽者フェイク……よくもこれで、交渉に臨んだものだな」


 本来の『霊核』はこの程度で破壊はされない。

 英雄の力を込めた宝石が並大抵の衝撃では壊れない。そういうものだ、とカイムは言う。


 「あん? 最初から人を殺そうと考えていた奴に言われたくねえなぁ?」

 「貴様……」

 「それに、俺だってペンダントのサファイアが本物だって確証はなかったんだ。それが偽物なんて、分からねえよ」 


 それに、と黎夜は続ける。


 「誰が黙って殺されるかよ。むしろ、馬鹿正直に渡さなくて良かったってやつだな」

 「…………結果は、変わらないよ」


 腰を落とす。

 獣が獲物に飛び掛ろうとするような動作。

 銀の凶器が人の生き血を啜ろうとせせら笑う。


 「………………」

 「葉月、君も戦え。月ヶ瀬が参戦する以上……これは『アスガルド』と『旅団』の抗争だ」

 「……是」


 黎夜には、頷く彼女が苦しそうに見えた。

 カイムの言うとおりに頷く葉月を見て、思わず唇を噛んでしまった。

 今は敵だが、選択しだいでは味方だったかも知れない人。

 分かり合えるはずだった少女が、静かに己の得物である短刀を取り出した。……黎夜に、向けて。


 「来ますか、カイム・セレェス。そして天凪葉月」

 「ああ。個人的にそろそろ潰しておこうと思っていたんだ、月ヶ瀬舞夏。君はここで死ぬといい」

 「……是、参ります」


 舞夏、カイム、葉月の三名が対立する。

 戦闘という枠に限れば、互いが考えることは簡単だ。何しろ黎夜は戦力にならない。

 これは英雄同士の潰し合い。

 そこに一般人が入り込む余地などない。だからこそ、黎夜は舞夏に頼らざるを得ない。


 黎夜の戦いとは防衛線。

 後ろに立つ家族を、凶刃から全身全霊をかけて護ること。

 一瞬だけ、黎夜はとても優しい表情で後ろを見た。


 (まったく……安らかに眠りやがって、いい気なもんだ)


 それで、決まった。

 これより後ろには何人たりとも通さない。


 「いざ―――!」


 決戦の火蓋が切って落とされる。



 「「「誓約フィーデスッ!!」」」



 三者が同時に叫び、校庭を包む絶大な殺気が倍増する。

 その光景を眩しいと黎夜は思った。

 英雄同士の激突が始まる、と……そう思うと震えが止まらなかった。


 轟音がひとつ。

 黎夜は竹刀を握りなおすと、真っ直ぐに激闘を見据えた。




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