消えた勇者さん
私の名前は空野きらら。「きらら」は漢字で書くと希望の星という意味になるんだけど、小さい頃からの夢だったアイドルになれて、満員のドームでのソロコンサートを成功させることができたのも、お父さんお母さんがつけてくれたこの名前のおかげだと思ってるの。
——って、今は私の名前のことはどうでもいいの。それよりも今の状況よ、今の。
気がつけば、なんか狭くて薄暗い木造の小屋の中。
目の前に立っている、ソプラニスタみたいな威厳のある格好をしたおじいさんは誰?
状況だけなら、いつのまにか誘拐されていたのかなってところだけど、でも。
「ほっほ、召喚が成功したようじゃな」
しょうかん? おじいさん、なんだかすっごく満足そうだけど、私になにかしたの? さっきから私、違和感があるどころじゃないこの体を確認してるんだけど……。
「……私の体が……」
口から漏れた声が低い。
手が大きい。指が長い。腕が太い。——胸がない!
「どういうことなのこれっ!?」
叫び声も野太い!
「なんじゃ、女みたいな悲鳴を上げおって」
「そうよ!」
「なにがじゃ」
「私は女の子なの!」
「……ハア?」
「これってどういう状況なのっ!?」
聞いてみたけれど、おじいさんはあからさまに「こいつ、頭おかしいんじゃないか?」って呆れた顔をするだけ。
——ハッ! そうよ、これはきっと夢だわ。そうじゃなかったらなにもしてないのに体が男の人になっているなんてありえない。よし、目を覚まそう。頬をつねって。
「……っ、痛い……」
思いっきりつねったからものすごく痛い。このたくましい腕と太い指でつねったらそうよね、痛いよね。
頬をさすりながら目が覚めるのを待ってるけど、ぜんぜん夢が終わらない。この状況、本当に夢じゃないの? 私、怪しい世界で男の人になっちゃってるの?
「して、勇者よ。落ち着いたか」
勇者? へえー、この世界、勇者がいるような世界なんだ。まるでRPGみたい。
……ん? 今ここにいるの、私とおじいさんだけだよね……?
振り返ると、おじいさんはやっぱり呆れた顔をしてた。
「落ち着いたか?」
「……勇者って、もしかして私のこと?」
「他に誰がおる」
そんな顔されても、まさか自分のことだなんて思わなかったから聞いたんじゃないの。
「私が勇者なの? それ、本当に私のこと?」
「勇者の素質を持つ者を呼んだのじゃから、現れた者が勇者じゃ」
踏ん反り返りながら、「そんなわかりきったことを」なんて顔されても、こっちはなにもわからないんだってば。
でも本当に勇者の素質が私に? 希望の星という名前は勇者向きでもあった……なんて? うーん?
とりあえず、私がこの世界の勇者になっちゃったとして。
「どうして勇者を呼び出したの? やっぱり、この世界に危機が迫っているとかなんかそういうの?」
「うむ。魔王の危機が迫っているのは確かじゃが、お主を呼び出したのは勇者が逃げたからじゃ」
「勇者が……逃げた?」
「国一番の魔法使いであるわしが勇者の教育を任されておったんじゃが、あやつ、いよいよ冒険に出るという直前になって逃げ出しおった」
「だから、どうして逃げたちゃったの!?」
「根性が足りんかったんじゃろうな」
「勇者なのに?」
「勇者の役割と性格は別物じゃからのう」
そうなのかなあ? あ、でも私も、勇者になっちゃっただけで別に勇者向きとは思えないし、そういう人もいるかも。
「だとしても、急に呼ばれた私なんて、勇者の力なんてなにも持ってないよ?」
体が男の人になっちゃったぐらいで。
「もうすぐ冒険に出るんでしょ? 素質だけで私に勇者が務まるの?」
「勇者なんじゃから少しぐらいは魔法も使えよう。試しにやってみい」
「……メラメラ?」
適当にそれっぽいことを言ってみたら、指先から小さな火が出てきた。うわあ、本当にできちゃった、ちょっと感動。でも、火事でも起こさないように気をつけないと。
「おぬしの力はそんなものか。……まあ、勇者とはいえレベル1じゃから仕方ないか。勇者が求められるのは勇者にしか扱えない伝説の剣を握り、異次元にある魔王城への道を切り開くこと、その一点のみじゃからの」
おじいさんはズバズバとひどいことを言う。
「一方的に呼び出しておいて、そんな言い方はないでしょ」
「勇者なぞ、すべての能力が平均よりちょっと高いぐらいの……言うなれば半端者じゃ。巨悪に立ち向かう冒険でもっとも求められるのは、圧倒的な火力を持つ魔法使い——つまり、このワシじゃ!」
おじいさんは背骨が折れるんじゃないかってぐらい踏ん反り返ってる。
「そんな扱いしてたから、本物の勇者さんは逃げちゃったんじゃないの……?」
「——とにかく! この世界は魔王を退治するために勇者を求めておる! この世界はお主を求めておるのじゃ! 立ち上がれ、勇者よ!!」
おじいさんは私に向かって叫んだ。
髭もじゃで、袖から覗く腕は折れそうに細くて、勝手に私を呼び出した迷惑なおじいさんだけど、声量はその辺の俳優さんよりもあるから、ちょっとかっこいいと思ってしまった。
私は考えてみた。私が勇者であるというこの状況を。私が魔王に立ち向かわなきゃいけないということを。
他にもいろいろ考えなきゃいけないことはいっぱいある。一番大事なのは、私は元の世界に戻れるのかどうか。戻る方法はあるのかどうかということ。
だって、戻りたいよ。私のアイドル街道はまだまだこれからなんだから。東京武道ドームソロコンサートを成功させたばかりだけど、まだこれから全国ドームツアー、果てはワールドツアーで世界を制覇するという野望があるんだから!
……でも今は、今わかっていることの中からやれることをやるしかないよね。
「いいわ。勇者として、私がこの世界の人々の希望の星になってみせるわ!」
そして、元の世界に戻る方法も見つけ出す!
「……」
おじいさんがノッてこない。
せっかく人がおじいさんの望むとおりにするって決心したのに、どうしてまた呆れた目をするのよ。
「……いい加減にその話し方はなんとかならんのか」
「だから、私は本当は女の子だって言ってるじゃない!」
「姿は男じゃ」
ぬぬぬ……確かに、自分の耳にもさっきから低い叫び声が入ってきてるけど、そんなすぐに話し方なんて。……いいえ、私はトップアイドル。女優としても数々の役をこなしてきたわ。男役は経験がないけど。
でも、やらなきゃいけないなら、勇者だって演じてみせる……!
「……わかったよ、偉大な魔法使いのじいさんよ。俺もやらなきゃいけないのなら、腹をくくって勇者をやりとげてやるさ。……こんなしゃべり方でどうだい?」
背筋を伸ばして、意識して腹に力をこめて、少し低めに声を出してみた。どうかな、男らしい?
「できるではないか」
おじいさんは感心したようにうなずいてくれた。
でも、剣を握れるから必要ってだけなら、女の子のまま召喚してくれてもよかったのに。ゲームなら主人公の性別を選べるのもあるのに。もし伝説の剣が人の身長ぐらいある大剣だっていうなら仕方ないけどね。
「ではお主がその気になったところで、少し訓練するか」
訓練? これから?
「もう冒険に出るんじゃないの?」
「出るからこそ突貫で訓練するんじゃろう。明日は王に謁見し、パーティメンバーとの顔合わせがあるぞ。訓練できる時間は今日しかない」
うわあ、忙しい。
おじいさんは魔法使いだから、私の魔力を底上げさせたがった。でも、私はレベル1のちょっと能力が平均以上くらいの勇者でしかないから、やっぱりちょっとした炎を出すくらいしかできない。
おじいさんは私の魔法を見て段々イライラしてきた。
そして、いきなり私の目の前に手を突き出してきた。
「そうではない、こうじゃ!」
かっこいいと思ったあの叫び声が聞こえた瞬間、目の前に大きな火の玉が迫ってた。
え、ムリ、そんなの……。
目を開けたら、おじいさんに顔を覗き込まれていた。
私、生きてる?
「いい加減に起きんか」
私が目を覚ましたのを見ておじいさんが叱る。寝たくて寝てたわけじゃないんだけど……。
体は……なんともない? ……ううん、服が焼け焦げて、平らな胸板が覗いてる。
思わず両腕で隠してから悲しくなった。今の私、こんな体なんだ。これじゃあヒラヒラの衣装も着られないよ。アイドルなのに……。
それにしても、どこも痛くないし、火傷の痕も見当たらない。あんな火の玉をぶつけられたのに。
「わしが秘蔵のアイテムで蘇生してやったんじゃ。また新たに勇者を召喚するのは大変じゃし、時間もないからの」
無傷の体を確認していると、おじさんが踏ん反り返りながらそう言った。……ちょっと待って、秘蔵のアイテムでって。
「蘇生したって……私、死んでたの!?」
「死んだのではない、倒れただけだ」
「あんな火の玉ぶつけられて、倒れた、じゃあすまないでしょー!」
平然としてるおじいさんに向かって叫ぶと、その後ろに日が沈みかけてる空が見えた。
服が焼けちゃったところがやけにスースーすると思ってたら、壁がなくなって風が当たってたのね。さっきの火の玉で小屋が燃えちゃった?
「加減してやったのに、文句の多いやつじゃ」
「さっきので加減なの!?」
「逃げたあやつにはもっと厳しくしてやってたぞ。わしのしごきに必死についてきて見所のある奴だと思っておったのに、わしのレベル99の魔法でスパルタしたら逃げてしまいおって、残念なことじゃ」
……それってもしかして、本物の勇者さんは逃げたんじゃなくて、消し炭になったんじゃあ……。
このままじゃ、冒険に出る前に私も消されちゃう。
「訓練はもういいです。ありがとうございました」
慌てて立ち上がって、おじいさんから距離を取った。魔法に対して距離はあまり意味なさそうだけど。
「ふむう……まあ、くたびれた顔で王の前に出させるわけにもいかんしな」
納得いかない様子だけど、おじいさんは引き下がってくれた。ホッ。
「……ねえ、剣や魔法で戦うんじゃなくて、歌とダンスでモンスターを感動させて世界平和とかできないの?」
今晩泊まる宿へ連れて行かれながら、私はおじいさんに訊いてみた。
「モンスターにそんな情緒を理解する脳みそはない。それができるなら、勇者以外のメンバーは吟遊詩人で事足りる」
あっさりと却下されちゃった。
ダメかあ。歌で平和を導く世界があってもいいと思うんだけど。
それにしても、このおじいさんてどこかで見たことがある気がするんだけど……異世界に知り合いなんているわけないし、気のせいよね……?